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エッセイ「風色のスケッチブック」E |
photo&essay by masato souma |
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ぼくが物心ついたころ、父はすでに会社を退職し、アトリエでキャンバスに向かって
絵筆を走らせていた。そんな父の後ろ姿を見ていたせいだろうか、自分も感じたものを何かで
表現したいという思いが次第に強くなり、いつしか写真に興味を持つようになった。
高校時代、オリンパスのコンパクトカメラを買ってもらい、大学に入るとアルバイトをして
念願の一眼レフを購入し、一人で奥多摩へ撮影旅行に出かけた。
そのカメラで初めて撮った写真は、エメラルドグリーンの水を湛えた奥多摩湖の風景だった。
しかし実は、この時の思い出は、写真よりも旅先で出会った一組の老夫婦との楽しい交わりだった。
3人で鍾乳洞に入って、自然の造形美に感嘆の声を上げ、杉林の山道を上り下りしながら
昔話に花が咲いた。その老夫婦は二人でいろいろな山に登っておられ、旅の思い出を
まるで宝箱から大事な宝物を取り出して見せる子どものように、目を輝かせながら話してくれた。
「二人で泊まった山荘は貸し切りでねえ。電気も引かれてなくて、一本のろうそくの光で
コロッケの晩ご飯を食べたのよ。旅館の食事とは雲泥の差だったけれど、一生忘れられない思い出だわ」。
帰りの揺れるバスの中でも、話は弾んだ。ぼくと四十歳以上もの差があるのに、
ピッタリと波長が合うのがとても不思議でならなかった。
山の中の寂れた駅での別れ。もう辺りは山の稜線と空の境目がわからないほど日がとっぷりと
暮れていたが、ぼくの心はいつしか小さなろうそくにポッと火がともされたように、
何とも言えない温かいものに包まれた。
あれから、はや27年。あのような心温まる会話のできる夫婦を目指しているが、
あと倍の時間がかかりそうな雰囲気である・・・。
月刊『恵みの雨』('02/4月号)より |
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