- スミソニアン航空宇宙博物館は、航空機を趣味とする人なら知らない方はまずいないでしょう。このスミソニアンの歴史ある航空機を収集しレストアしているのが、付属施設の
PAUL E. GARBER ファシリティである。ここはワシントンD.C.からクルマで約30分のメリーランド州スィートランド・シルバーヒルにある。大きな平屋建ての倉庫が何棟も連なりなんと約200機が保存されている。しかしその規模に関わらず、別段大きな看板も受付もロビーの建物も無く見逃してしまうほどである。 しかしここには例えば戦前の日本軍の航空機で世界に1機だけという貴重な機体が数多く保管され、一部はレストアされてワシントンの航空博物館で展示されていたり、地方の博物館に貸し出されたり、また何時の日かのレストアの順番を待っている。
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- 日本機では1989年に日本海軍の特殊攻撃機「晴嵐」の修復が決定され、それ以来11年目にしてようやく完成している。その修復にかける情熱と細心の技術は、驚嘆と言うか畏敬の念すら覚える素晴らしい仕事内容である。(その「晴嵐」は2003年からダレス国際空港別館に展示されると聞いている)
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- ところで、この施設はその名が示すようにPAUL E. GARBER氏の収集が発端でNASM保有の半分が彼が手がけたものと言われています。1899年生まれの彼が10歳のころライト兄弟が軍に納めた飛行機の飛ぶ様子を見て強い印象を持ち、15歳の時には既に複葉グライダーを製作するに至っていた。その後軍に入り第一次大戦後郵便飛行関係の仕事をしている過程でスミソニアンの関係者と知り合い、そして第二次大戦後の1946年に国立エアー博物館の設立におけるキー的役割を演じて、そして現在の国立航空宇宙博物館建物を建設するために尽力し、そして1976年にそれが叶ったのである。それまでの彼の個人的な収集が国の施設に展示されることになった。
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- PAUL E. GARBERファシリティーを見学するには事前の申し込みが必要です。担当者が2人ついて2〜3つの倉庫を案内してくれます。まずはレストア工場、そして貴重な機体を保存している倉庫です。私も案内されてぞくぞくする気持ちを抑え切れませんでした。見学グループは15人程度で、私たちの他には米国空軍の現役兵士が2人、退役軍人が孫を連れての見学、高校生くらいの2人といったところでした。
- (場所は3904 Silver Hill road,Suitland,Maryland 20746 http://www.nasm.edu/nasm/garber/Garber.html)
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- ↑施設の入り口です。見学には事前に予約が必要です。アメリカの博物館は例によって陽気なオジサンの出迎えてくれる。「よくきた。日本からか?」。
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- 案内と説明をしてくれたガイド(退役軍人で奉仕活動とのこと)。 連なる保管倉庫の群。
保存倉庫の見学
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- ↓下はエントランスを入った直ぐのところに無造作に置かれていた、中島最後の飛行機「剣 キー115」である。一般的には特殊攻撃機といわれ、終戦の1年前に資材も設備も欠乏する中で、上陸してくる敵艦船への攻撃だけに的を絞って極限まで切り詰めた構造になっていた。三鷹研究所で設計され、設計者は特殊爆撃機として、車輪は離陸後に重量を軽くするために投棄してしまう仕掛けであった。しかし設計者の最後の良心として、胴体下には着陸用の「そり」を設けあり攻撃後の生還着陸を意図していた。
- だが軍は明らかに「神風特攻」を意図していたのだろう。設計終了と同時に群馬県の中島飛行機太田工場で105機生産されたが、その時点で終戦となったため実際に出撃したものない。戦後しばらくの間、日比谷公園に展示(その意図は知らないが・・・)されていたという。
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- 終戦間際の資材欠乏の中での設計であったため極限の構造設計となっている。離陸すると主脚(車輪)は落下させる構造で、上の写真の手前のパイプ構造が主脚である。。 胴体はジュラルミンが調達できないことから、木製の骨格にブリキ板の構造であった。従って赤黒く錆びており、私の飛行機のイメージからは遠いものである。。驚くことにスロットルレバーや操縦桿までも木製であった。(下の写真:勿論オリジナルではなくレストアと思われるが?)
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- さらに1式陸上攻撃機のノーズ部分がドンと置いてありました。先端の爆撃手席とその奥の操縦席の足元の様子が良く分かります。(下の写真)
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- 下は海軍の艦上攻撃機「天山」です。こんなに綺麗に保存されているとは驚きです。全機が残っているのはここだけである。主翼やエンジンは外され保管されている。説明者はキャノピー(風防)の構造が非常に優れていて参考になったと言っていた。
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- 下は愛知が製造した「流星」である。塗装はかなり剥げているが保存状態は良好である。これも現存する唯一の機体ではなかろうか? 発動機は中島の「誉」でクランクケースに「ホマレ」と鋳出しがある。
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- 下は日本発のジェット機「橘花」。2機生産された内の1機である。羽布張りのエルロンやラダーは既に失われ、エンジンも装備されていなかった。(以前に何処かの博物館に展示のために簡易レストアされたようで、そのときのエンジンナセル形状がオリジナルとは程遠く悲しい思いをしたが、ここで見た機体には先端がなかった。
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- しかし、所狭しと無数の機体が保管されている。この他にも日本機では「彩雲」「月光」「銀河」など中島飛行機の製作の機体が保管されている。そして本当は見せてほしかったのが「震電」であったが、ガイドはどの倉庫にあるか分からないとのこと。残念であった。
- でも、「あっ!」と驚いたのはこの飛行機(下)、双発ジェットの全翼機でした。これって実在したんですか!現代のステルス戦闘機の先をいく、実にユニークなデザインであり、ドイツ人の発想に驚くばかりです。(機種名を失念してしまいました)
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レストア工場の見学
- 整然とした工場内。ここはエンジンを含むパーツの製作エリア。
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- 下はブリストルのジュピターを整備中。初めてみました。
- 機体のレストアエリア、1度に3〜4機を手がけているが、大戦機は数年〜10年単位の仕事である。
- 下は懐かしいボナンザのレストア、
- 下はドイツ・ハインケル 「He 219Aウーフー」のレストア中であった。レーダーを備えた夜間戦闘攻撃機のためかワーヤーハーネスがびっしりである。ところがその配置が機体外板を外すと見えるようになっており、整備を十分に考えた設計になっているのには驚かされた。
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- 完成に向けて模型が飾ってある」。下は水平安定板(尾翼)である。上反角があり結構大きい!
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- これはスティンソン L-5センティネルですね。 実にきれいに仕上げてあり、最終の塗装工程に入っていました。
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- このように海外の博物館でもレストア工場を公開しているのが楽しいですね。皆さん機会があったら是非事前に申し込んで訪問してください。もう「宝の山」って感じです。
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- レストアの考え方について当博物館の資料に以下のように書かれている。
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- 歴史的に正確であること。このため単に構造調査だけではなく、設計の背景から製造の状態、戦歴、関与した人々など広く調査すること。
- できるだけオリジナル部品を残し、可能な限り製造時の状態に戻す。ただし飛行状態にすることは目的としない。
- 新たに塗装する場合は、オリジナルの塗色、塗膜の構成を残す。
- 機体の状態が今後の保存に適するならばできるだけ分解はしない。
- 紛失部品は確認できれば代用の同形式部品を用いるが、無ければ外形模型を使う。
- 複製は最小限度にとどめる。博物館のモットーは「Least is the best」である。
- 修復の部品・材料・複製・作業の経過など全て詳細に記録する。
- 永く保存できるように最新の科学的手法を用いる。
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