陶芸エッセイ 11 東京に帰任の内示が出た。そんなとき後輩からメールをもらった。

「単身赴任・やきもの扮戦記」 連載第11回

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   連載第11回  レット イット ビー  ('00年/06月掲載)       
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「レット イット ビー」

 このところ、酒池魚林の毎日である。家から歩いて10分ほどのところにある漁師料理の店「第三共進丸」に入り浸っている。「久しぶりっちゃねぇ」と冗談を言われるほど、連夜通いつめている。じつは、東京への帰任の内示が出たのである。引っ越しまでに、博多の旨い地魚を、もう飽きたというまで食い尽くしてやろうという魂胆なのだ。

 よほどのことがない限り、10時までは晩飯を摂らないという禁を破って、最初にこの店に行った相手は、支社の後輩O君である。
転勤の内示があって数日後、O君から社内メールが入った。営業部員の彼とは、一度だけ組んで仕事をしたことがあったが、親しく話すこともなかった。「件名」のところには、「ありがとうございました」とあって、てっきり僕への送別のメールだと思ったのだが、違っていた。

彼も支社を去るのである。福岡と佐賀の県境にある過疎の村に、夫婦で住むことにしたこと。東京生まれ東京育ちの彼が、転勤を機に自然の魅力に惹き付けられていったこと。「竹炭」を焼いて生計を立ててゆくこと。そして、自給自足を目指すことなどが、淡々とした静かな言葉で綴られていた。
 
 支社全員に宛てたメールらしかったが、僕個人へのメッセージのように思われた。かなり長い返事を送ると、すぐに電話をくれた。彼の部とはフロアーが別れていて様子が分らず、もう出社していないものと思い込んでいた。「まだ、上にいますよ」と笑った。「書いて下さったこと、100パーセント、いや120パーセント解ります」。この男とは、どうしても話しておかなくてはならぬ、と思った。無理を言ってスケジュールを空けてもらった。

 仕事の打ち合わせが延びて、店での待ち合わせに30分以上遅刻した。あらためて彼を見て、穏やかな優しい顔になったなと思った。忘れない内にと、持参した盃を渡した。唐津の土に白化粧して、鉄絵で秋草を描いたもの。以前出ていた火色が出なくなり、粘土や還元濃度を変えてテストを繰り返して、僕なりに満足できるものが焼けるようになった最初の窯のものだ。

彼は、手の中の盃を見つめたまま、「きれいですねぇ」と言った。そして、おもむろに口に持っていった。こういう反応をしてくれると、本当にうれしい。ぼってりした「ぐいのみ」が僕は好きではない。もっと口の開いた盃、口は薄作り。唇にしっくり馴染んで、酒が向こうから流れ込んでくるのに限る。唇の感触で、確かめているのを見るとうれしくなる。「オヌシ、やるな」である。同時に、ちょっとばかり動揺した。朝、カバンに入れる前に、口当たりを確かめたのだ。O君は歌舞伎役者を思わせる、なかなかの二枚目なのである。「間接キッス」という言葉が脳裏をかすめた。

 「都会の人に、自分の作った野菜を食べさせたいんです。僕の考えを押し付けようとはまったく思ってません。とにかく、いちど本当の野菜を食べてみて欲しいんです」。僕は一週間前に、「野菜しゃぶしゃぶ」をやったばかりだった。実家の畑で摘んだ、菜の花、チンゲンサイ、大根など。蕾を付けた野菜を、さっと湯にくぐらせてポン酢で食べる。これが野菜だと思った。

彼の話に頷くしかない。それから「自然」について話した。彼によると、自然(しぜん)という概念は、明治まではなかったそうで、英語の「ネイチャー」を訳すときに、自然(じねん)を当てたのだそうだ。「『じねん』は、人間と対立するものじゃないんですよ」。そして、続けた。「『じねん』は、Let it be なんですよ」。驚いた。この半年ほど僕も「Let it be」という言葉が気になって仕方がなかったのだ。「あるがまま」と訳されたりするが、むしろ「そのままいきなよ」とか、「自分は自分になればいい」というほうが、僕にはしっくりくる

 五年も近くにいながら、ただのすれ違う人でしかなかった。お互いが支社を去る間際になって、こんなに気が合うことに驚く。「縁って不思議ですね。これまでは、お互いに会う準備ができてなかったんですね」と、言った。まるで、恋人にいうような言葉だったが、なんの違和感もなかった

 店を出て、タクシーに乗る彼を見送った。別れ際に「じゃあ、僕もがんばります」。そのあとにすぐに、「頑張るって言葉、好きじゃないんですけど」と続けた。僕と同じだ。また、うれしくなった。タクシーが角を曲がったあと、時計をみると12時半を廻っていた。11時半に店を出れば最終電車に間に合うと言っていたので、それに合わせて飲んでいたつもりだった。本当に、時間が一瞬のうちに過ぎていた。村まで、一万円は掛かるのではないか。これから、厳しい生活に入る彼に、痛い出費をさせてしまった。

 この地に居られるのも三週間を切った。まだ何も片付いていない、自称「工房」のマンションに向かって歩きながら、「Let it be」を口ずさんだ。夜気が春の匂いに変わっていた。




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