奥武蔵を続けて歩いていた2016年初春、飯能を舞台にしたマンガ『ヤマノススメ』を読んでいたら、「”ウノタワ”に行こう!」という話があった。主人公の女子高生が親とご近所さんの合同小旅行で名栗川上流の民宿に行き、そこで山に登っていることが話題になってウノタワを紹介され、登りに行く。山に関してはそれだけなのだが、ピークではないウノタワを登山対象に選んでいるところが新鮮だった。
山中に忽然と現れる公園状の地形は、かつて武甲山から大持山へ縦走した時に目にしたが、登山道脇から眺めただけで終わっていた。ウノタワの中に分け入ればまた違う景色が見られることだろう。よしではまた飯能に出よう。


4月初旬、飯能駅前を出た名郷行きバスの車窓は、桜三昧だった。農家の裏の山裾に立つもの、川縁に立つもの、庭先に立つもの。堂々と枝を伸ばし一身に花をつけているものには崇高ささえ感じさせる。ビルの壁や電線を気にして窮屈そうにしている都会の仲間が見たら相当に羨ましがるだろう。左右に首を振っているうちに名郷バス停に着く。
三週間前に訪れた時は満開だった梅はさすがにもう散ってしまっていた。車窓と同じく桜が目を惹く集落内を抜け、妻坂峠方面へと入間川沿いに車道を上る。斜度は徐々に上がり,妙に苦しかった肺もようやく歩行に慣れてきた。追いつき追い越して行く車もなくなる頃、真っ白な構造物が正面に見えてくる。なんだこれは?三週間前に下ってきた道のりを逆に辿ってきたつもりなのだが、こんなものはなかったはずだ・・・混乱の中で見上げる物体は”ありえない角度”の建造物を具現化したかのようだ。旧支配者が物陰から現れてもおかしくない・・・
白岩の採石場 白岩の採石場
久しぶりにラブクラフトの小説世界を思い出させたのは白岩の採石場の光景だった。この先は山道を辿って鳥首峠だ。途中の案内にもそうあった。だが実は本日は山中からウノタワに直接登る計画で来たのだった。つまり途中の分岐で選ぶべき道を間違えたのである。なんだか近ごろこういうのが多い。もとからの不注意かトシのせいか?
ここで引き返して本来のコースを辿ろうとすると山を下る頃は日暮れ時になってしまう。鳥首峠から下ったことはあるが登ったことはなかったので、よい機会だと思い直しこのまま進むことにした。


採石工場の企業が立てた立ち入り禁止の札を飽きるほど繰り返し眺めさせられながら登って行く。眼下には工場用のやや幅広の道もあったが谷が深まるにつれて見えなくなった。やはりいま歩いている山道こそが山中の集落と下界とを結ぶ通路だったらしい。
山道傍らにあったはずの工場の建物は土台だけになっていた。植林の谷間を詰め上げると、傾斜が緩やかになり、そこここに平坦地が広がる。久しぶりの白岩集落跡は、しかし建っている家は谷間のこちらで見る限り2軒くらいしかなかった。かつて軒先のガラス戸から観光ペナントを眺めた旧みやげ物屋はものの見事に潰れていた。屋根はほぼ原型をとどめていたが、地面に落ちてしまっては屋根としての機能はない。粉々に壊れたものを見る以上に喪失感が漂う。
白岩集落跡にて 白岩集落跡にて
山道下にさらに一軒建っている。見下ろすとまだ住めそうな家は、縁側に回ってみると、荒廃の極みだった。手前には錆び付いた子供用の自動車が放置されている。屋内に目をやると、まるで新品のような仏壇が目立つ。祀られていたものはない。そのためか余計に外側の黒塗りと内側の金地の対比が鮮やかで、そこだけ時間の歩みがほかと違うかのようだった。仏壇とはそういうものなのかもしれない。脇には学習机がひっくり返っており、さらに奥には古い型のレコードプレイヤー。いろいろ持って山を下るわけにはいかなかったのだろう。
集落の住居跡から立ち去り、山道周辺の複雑な地形を見回しつつ思う。あの子供用自動車に乗っていた子はどこで遊んでいたのだろう。あの机で宿題をしていた子はどこを駆け回っていたのだろう。ときに過保護と思える昨今の風潮は、危機察知能力を低下させ、自ら経験し考えて生き延びる力を奪っているように思えてくる。みながみな山に暮らせとは言えないものの。


谷間が狭まると、山道は落ちてきていた尾根を絡むようになる。何度もジグザグを切っていくと、風が徐々に強まってきて、適度に開けた鳥首峠に着いた。いま登ってきたのは植林の無味乾燥な眺めだが、秩父側は同じく眺めなしとはいえ新緑に染まりだした雑木の林だ。本日は風があるが明るい空気が好ましい。風よけにほんの少し山道から外れて腰を下ろし、梢越しに奥多摩方面らしき稜線を窺いながら、軽い食事を摂った。
鳥首峠 鳥首峠
峠からの稜線は痩せてくる。相変わらず吹き越す風が騒がしいものの近く遠くの眺めは悪くない。峠から高まる山道は芽吹き前の木々が並び、左手に見通す先には都県界尾根が大きくせり上がっている。山並みのなかでも目を惹くのは天目山の北に主稜線から離れて一人気を吐く大平山で、大きな尾根をこちら側に二本張り出し、登りに来られるものなら登りに来いと挑発している。じつはいつかその挑戦を受けてやろうと思っているのだが、いまだ果たせていない。
奥多摩方面を遠望する 奥多摩方面を遠望する
伐採されて眺めのよい鞍部を越え、登り返してしばらくで、行く手の木々の合間が明るくなり、ウノタワの小広い草地が梢の合間に見えてきた。稜線部が大きく広がった場所で、再訪の印象は、記憶にあるほど広くはないが、記憶にない複雑さがある、というものだった。すぐにでも中心部にさまよい込みたい思いを抑えて、周辺部の、全体を俯瞰できる斜面に分け入る。
ウノタワ ウノタワ
元は沼だったとの伝承がある場所だが、全体が一様に凹んでいるわけではなく、いくらか凹凸がある。中心部近くで湿った窪地に影を落とす木々が遠景だけになりそうな景色に視点の落ち着き場所を与えている。奥秩父の飛龍山から下る尾根の丹波天平や山梨県の八幡山には規模で負けそうだが、これらよりどことなく軽快な感じがする。見渡せる程度の規模が手頃なのかもしれない。行路の前後がヤセ尾根だったのがいきなり広がるのも功を奏しているかもしれない。
中央部を越えてコース反対側の窪地の縁に軽く登ってみると、なおも広い尾根が見渡せ、この日歩くはずだった山道が目に入る。先は急坂のようだった。ちょうど本日、狭い谷を詰めて白岩集落に出た時のように、息を切らしつつ上がってきて穏やかな稜線に出た先でウノタワを見る方が、驚きの度合いが大きかっただろう。改めて道間違いは残念だったと実感した。
当初の予定ではウノタワを越えて大持山まで登り、山頂でお茶休憩するつもりだったが、すでに時刻も遅くなってきており、ウノタワが本日の目的なので、ここで長居をすることに決めた。落ち着きを求めてハイカーの目が届かなそうな斜面の枯れ葉の上に腰を下ろし、湧かした湯でコーヒーを淹れ、穏やかに広がる草地を眺めて時を過ごした。


ウノタワから再び登りにかかり、心地良い道のりの果てに展望のよい大持山頂直下に出た。振り返れば、眼前に大きな武川岳、その背後に立つ伊豆ヶ岳が午後の光に照らされ、有間山が逆光に霞んでいる。足下に目をやれば枯れ落ち葉の合間に紫色が点在している。カタクリの花だった。
痩せた尾根を経て達する大持山頂には誰もいなかった。木々の合間から武甲山がこちらを覗き込んでいるだけだった。背後にほかの山は見えず、秩父の名山は孤高の雰囲気を湛えていた。痩せた尾根を進んで小持山を越えればあの山との鞍部に出るが、長くかかるので今日は行けない。時計を見ればもう3時、日の光に心持ち赤みが混じってくる時間帯だった。
大持山頂にて木々の合間から武甲山 大持山頂にて木々の合間から武甲山
山頂直下の展望地に戻り、妻坂峠へ向かう。左右に葉の落ちた木々が並び、明るい林床が続く、気分のよい下り坂だった。目の前の武川岳が徐々に高く大きくなっていって、山頂部が見えなくなる頃、峠に着いた。
峠からは名郷側に下った。川沿いの車道に出た後は、単調さを紛らわすため、両側に迫る山の斜面に注意して歩いた。かなりの頻度で岩盤が露出している。植林で目立たなくなっているが、このあたりはじつは岩がちな地形らしい。木々が伐採され、表土が流れてしまえば、じつに壮観な眺めが展開することだろうが、そうなるのは大規模な自然災害が発生したときだろう。ならば見られなくてかまわない。


次々と目に入る巨岩を窺いながら歩いていくうち、キャンプ場が目に入り、名郷の集落が近くなってきた。停留所でバスを待っているひとの姿はなく、近くの駐車場に停めてあった車は一台きりになっており、その車の持ち主もすぐに現れて駐車場は空になった。自分がバスに乗れば、おそらくこの日の山は終了となるのだろう。地元の産という西川材なるものでできたベンチに腰を下ろし、夕暮れ時のバスを待った。
2016/04/09

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