丹波天平中心部に開ける空間

丹波天平

奥多摩を西に詰めると雲取山で、その向こうには奥秩父の主脈が長々と続いていく。東京都最高峰を出発して最初に出会う大きな山が飛龍山で、雲取山に比べれば遙かに静かなようだが、ここから南東に派生して丹波川に沈む尾根は長いものだからか余計にひっそりとしているらしい。途中にはサオラ峠というものがあって丹波の集落から三条の湯へ続く山道が越えているのだが、車も通れる後山林道がだいぶ前から山奥の湯へと通じているので、山中で人声が響くのはいまや稀なことだろう。
サオラ峠から南東へ、丹波川へと下っていく稜線には”丹波天平”、”保之瀬天平”という二つの「天平(でんでいろ、でんだいら)」が乗っている。山名としては奇妙なもので、どんなところなのか行ってみたいと思わせるものだ。峠越えをして湯宿に泊まり、飛龍山からの長い長い尾根下りをしてみたいとも思ったが、一泊二日が必要なのでそれは後日に回すこととし、まずはこの不思議な地名の場所を訪れるべく日帰りで出かけてみた。


残暑が記憶から薄れ始める10月上旬、7:45新宿発のホリデー快速はかなりの混みようだった。着いた奥多摩駅も、そこから出る奥多摩湖経由丹波方面行きバスも然り。この季節に奥多摩を訪ねることは少なかったので今がシーズンだとは意識に上らなかった。終点である丹波までの乗客は少なくなかったようだが、それより手前、二つの「天平」を乗せる”天平尾根”末端のバス停である親川で下りたのは、私一人だった。
停留所近くは山の斜面に張り付くような家が二三軒見えるだけで、売店も自動販売機さえもない。すぐそこに見える「熊出没注意」の看板脇から上がる細道が登山口入口と決め込んで上がっていく。山腹をからむ簡易舗装が途切れるとまっすぐ行くものと右に斜上するものとに別れる。まずはまっすぐ行ってみる。しかし稜線はどんどん高くなり、このままえんえんと山腹を巻いたまま丹波まで行ってしまうものではないかと思えて引き返す。右に行ってみると廃屋らしきが一軒あるだけで行き止まりのようだ。少し戻ると家の裏手に出そうな道があるのでそちらに入る。すぐに小さな墓地のある稜線に出た。
天平尾根末端から見上げる鹿倉山の稜線
天平尾根末端から見上げる鹿倉山の稜線
地図上の波線によれば最初のうちは尾根筋を辿るようなので、ここから始めるのが間違っていたとしてもそのうち正しい道のりに出会うだろう。木々の合間から垣間見える鹿倉山の肩あたりを見上げつつ休憩してから歩き出す。雑木林の快適な道のりはすぐに急な斜面の登りとなり、踏み跡は急速に不明瞭となる。ぎゃあぎゃあとうるさい鳥の鳴き声を聞きながら、アキレス腱が痛くなるほどの傾斜を上がっていくと立派な道筋に合流する。これは左手の山腹から上がってくるもので、最初の分岐でまっすぐ行く道でよかったのかもと思えたが今さら確認に下ってみる気はしないのだった。


植林帯を行くと木々のあいだに倒れず残る白木造りの家が現れる。ここがおそらく地図上に高畑とある集落で、道のりが快適だったのは生活道路だったからだろう。集落は一軒だけではなく、岬のように突き出した支尾根の上に礎石だけとなったものや、わりと近年まで人が住んでいた(今も使用されている?)ものや、完全につぶれてしまったものが次々と現れる。
高畑に残る廃屋
高畑に残る廃屋。石組みに苦労が偲ばれる
明るく開けた場所からは遠く多摩川流域沿いの山々が望見でき、三頭山月夜見山が中央本線側からの見慣れたのとは異なる姿で眺められる。右手には鴨沢から七ツ石小屋を経て雲取山に向かうときに東側の中腹を辿る登り尾根が急峻な山腹を見せている。その先、谷を隔てて佇立するのは七ツ石尾根の赤指山だろうか。岩壁こそないが、急激に切り立った山肌は山深さを感じさせるに十分だ。これを朝な夕なに目にしていた人たちは、どんな暮らしをしていたのだろう(いや、まだ住んでらっしゃるのかもしれない)。
三頭山遠望
三頭山遠望
集落内にある石仏、石碑
集落内にある石仏、石碑
高畑からは再び整然とした植林のなかで、荒廃を目にした後では落ち着きを感じさせられる。道のりも平坦で穏やかなところを行くと、前方より木々のそよぎにしては大きい音が響いてくる。それは山腹を駆け下りる沢の音で、よく見ると山道が沢筋を横切るすぐ下が水源となっており、水が豊富に湧き出しているのだった。吹き出し口にはコンクリで水槽が設けられ、屋根まで造られている。足下の不安定なところを下って水槽から勢いよく溢れているのを掬って飲んでみると、甘くて美味しい。
すぐ立派な石垣が行く手に現れる。地図に後山とある集落だろうが、高畑とは異なりもはや建っているものはない。山深い分、山での生活を見切るのが早かったのかもしれない。さきほどと同様、ここでも支尾根が後山川のつくる谷にせり出しながら末端が平坦になっている。日当たりはかなりよい。1935年に出た原全教の『奥秩父』には高畑も後山も名前が出てくるが、後山は二軒しかなく、すでに当時から「浮世離れした(原全教)」と評されるところだった。高畑には上ってきていた電線がここには見あたらない。集落がなくなったのはだいぶ昔のことなのかもしれない。


ここで天平尾根を下ってきた三人パーティと遭遇した。昨日三条の湯に泊まり、飛龍山に登ってこの尾根を下ってきたそうで、人にあったのはこれが初めてだという。昨日、丹波からサオラ峠を越えて三条の湯に向かったときも誰にも遭わなかったらしい。概してこの尾根周辺は人が来ないところのようだ。集落の屋敷跡地に入ってしまうと、かつての踏み跡が錯綜しているので山道の順路を見失いがちになる。数少ない登りと下り双方のハイカーがここで出会ったのはよいタイミングだった。お互いに道筋を確認して別れた。
ゆるやかな疎林のなかを大きくジグザグを切って登っていく。ときおり急な斜面も現れるが、等高線の混み具合を見る限り負荷の高い登りはこれが本日最後だろう。左手の上方に木々の幹を透かして稜線らしきが見えるが、なかなか近づかない。ようやくその稜線らしきに出たと思うと、そこは下草も少ないなかに木々が立ち並ぶ公園のような平坦地だった。二重山稜の合間の窪地のようにも見えるここが保之瀬天平と呼ばれるものだろうか。尾根は向かって右手に伸びているが、木々のあいだを巡る散策欲を抑えがたく、正面の林のなかへふらふらと、ちょっとした彷徨気分で歩いていく。
周囲の山々は見えないが、林のなかの見通しはまったく問題なく、平地を横切って正面のやや高いところに上る。どうやらこれが稜線となって上がっていくらしい。右手へ、本来の方向へと軌道修正し、そのうち山道に戻るだろうとばかりに気楽に歩いていく。右手に見下ろしていた平地も徐々に狭くなるに従い、幅広だった尾根が徐々に狭まってくる。なにを祀ったのか祠もあり、この尾根が古くの生活に関連のあったことを伺わせる。
保之瀬天平を見送ってからは長い。地図で見ると丹波天平はピークというわけではなく、飛龍山に向かって徐々に高まる尾根の一地点のため、接近の度合いを測ろうと前方を伺ってもそれらしい高みは見あたらない。ガイドに寄れば「カラマツと雑木に囲まれた」場所とのことだ。そのカラマツが行路の左右に見え始める。10月だというのにまだ青々としたままで黄葉の気配もないが、明るい雰囲気は申し分ない。その樹幹の合間から前方左手に張り出す支尾根のようなものが窺われる。その支尾根の発生点上に乗ったあたりで前方に開けた平坦地が見えてくると、それが丹波天平だった。
丹波天平の木々がお出迎え
丹波天平の木々がお出迎え
頭上に広がる空は秋のもの
頭上に広がる空は秋のもの
標識は立っているが、どこが最高点かと考えるのが無駄に思えるほどとりとめもなく平地が広がっている。カラマツがとり巻くなかに、栗を初めとした落葉樹が立ち並び、さらにその内部はぽっかりと空いた草地となっている。幼樹さえ育っていない。ややじめついているので雨が降れば大きな水たまりとなるところなのかもしれないが、その空き地の中心地に立ってまわりを見渡し、空を見上げると、たとえばケルトの古代祭祀はこんなところで執り行われたのだろうかと思える。そういう舞台に必須の背の高い岩が見あたらないのが残念だ。まわりが木々で賑やかなのに、いやそのせいでか、圧迫するような空虚感が漂っている。木々がみなこちらに注意を払いつつ、しかも無関心を装っている風だ。『木に愛された男』を書いたブラックウッドが喜びそうな場所である。
そんなことを思わせる空間の真ん中で腰を下ろすのはさすがにためらわれたので、林のへりに移動し、木々が落とす影のなかにグラウンドシートを広げて湯沸かし道具をザックから出した。あたりには栗のイガが落ちている。甘いかどうかはともかく、途中の集落の人たちがかつてここに栗拾いに来たかもしれない。しかし今日は10月上旬の好天の休日だというのに人の気配がない。風もなく静かだ。ひんやりした空気の中で飲むコーヒーが美味い。


サオラ峠へは丹波天平の平坦地を通っていく。保之瀬天平同様にかなり縦長だ。名の通り、「天平」とは山上にあって平らで広いところを言うらしい。このあたりでは丹波川向こう側に「高尾天平」とういのがあるようだが、きっと似たような地形なのだろうと思う。平坦地が狭まり、山道が山腹を行くようになると天平は終わりのようだ。あたりは明るいカラマツの林が続く。鬱蒼としたものが奥秩父の森とされるのであれば、奥秩父と言うよりは信州の雰囲気が強い。ときおりブナの木が目に入る。気の早いカエデは紅葉を始めている。
気の早いカエデ
気の早いカエデ
天平の空き地から半時強を歩き、緩やかな高まりを二度ばかり超えると、サオラ峠に着いた。峠は十字路をなしており、人が歩かなくなったらしいわりには裸地が広い。この一帯の森を守ってきたという明治の人中川氏を祀った中川神社の立派な社が建っている。
サオラ峠からの下りは急斜面をジグザグを切って行く。40分ほど下ると小さな空き地があり、標識が立っている。ここから斜度はゆるまり、半時もしないうちに畑の上に出る。丹波のバス停へはさらに下るのだが、それほどもしないうちに着く。停留所前には店も自動販売機もない。近くのガソリンスタンドに自販機が、奥多摩方面に向かうと酒屋が二軒あるきりだった。雲取山荘に泊まって飛龍山を踏んで天平尾根を下ってきたというご夫婦と会話しながらバスを待った。


始発の停留所だというのに定刻通りにやって来たバスに乗り込むと早々に寝込んでしまった。奥多摩駅近くの旅館で一風呂浴び、泊まり客に出す夕餉の支度に忙しい宿を出てみると、すっかり日が暮れていた。
2007/10/07

回想の目次に戻る ホームページに戻る


Author:i.inoue
All Rights Reserved by i.inoue