中央本線車窓から八幡山(左)と天狗山

天狗山から八幡山

かつて山と渓谷社から出ていた『アルペンガイド別冊 東京周辺の山(1985年版)』では、「中央線沿線の山」として、道志・秋山の山々、滝子山、乾徳山、小楢山、帯那山などと並んで、”八幡山から天狗山”というコースが紹介されていた。紹介文が一度読んだら忘れられない。曰く、「山また山の甲州で一番目立たない山、八幡山はそんな感じの山である」。そう言われて行きたくなるものだろうか。そのせいかどうか、後継版の『東京周辺の山350(2001年版)』では記載が無くなってしまったが、存在自体は忘れないまま30年近くが経った。最近、近くにある水ヶ森や棚山を登る機会があり、八幡山からこれらの山々を眺めてみるのも面白かろうと出かけてみる気になった。ときは5月の連休、と言えども、この山域なら静けさを充分期待してよさそうだ。


ただガイドの通り八幡山から天狗山では、高いのに最初に登ってしまってあとは下るだけの付け足しになりそうだったので、天狗山から登ることにした。時間があればその先の帯那山まで、と期待したのも理由のひとつである。それに30年前は八幡山と帯那山のあいだに登るには山道を歩かなければならなかったが、いまでは車道が古峠を越えており、車で上がろうが歩いて登ろうが出だしから舗装道で高度を稼ぎたくないというのもあった。
ほかにも行きたい場所があったので山行前日に甲府盆地に入った。しかし宿でテレビ番組を遅くまで観ていて当日は寝過ごし、山梨市駅から登山口まで乗るはずだったバスに乗れず、しかたなくタクシーで行くことにした。目指すは登山口近くの堀之内小学校。運転手さんによれば天狗山から登り出す人は珍しいらしい。みな古峠からだそうだ。到着した学校前は古い民家が建ち並び、通りの奥には八幡山が長い頂稜の一角を浮かばせている。標高のわりには落とす斜面が急傾斜で、ただの里山とは呼びきれない不穏さを醸し出している。
堀之内小学校前から八幡山を見上げる
堀之内小学校前から八幡山を見上げる
休日の校庭から聞こえる子供らの声を背に集落内の舗装道を上がる。振り返れば先日登った棚山が手前の丘の向こうにせり上がっている。周囲は若葉の山々だ。立派な舗装道に出てみるとさらに展望が開け、甲府盆地に目が届く。いまだ白い富士山が御坂の山屏風の上に大きい。歩いている車道はフルーツラインという名の農道で、棚山に登ったときにほんの少し歩いたものだ。ただの舗装道だが山同士につながりを感じさせてくれるのは嬉しい。盆地を正面に行けば左手に目指す天狗山が近く仰げる。東西にピークを持つゆるやかな姿だ。
沢筋の斜面にハナショウブ
沢筋の斜面にハナショウブ
集落内から見上げる天狗山
集落内から見上げる天狗山
道標など見あたらないので、持参の25,000分の1図を参照し、天狗山東峰への登山道に続くだろう農道を辿る。はるばると甲府盆地を眺めつつぶどう畑の脇を行くと、長い柄の付いたカマをかついだ農夫のかたに出会う。「天狗山に登るのかい、シカが出るよ」。クマの代わりに名が出るということは、このあたりのシカはだいぶ図々しいということなのだろう。「てっぺんまでかい、たいへんだね」。まぁ、物好きなものなので。


舗装道が下がり出すところで左手の簡易舗装に入るが、すぐ行き止まりになってしまった。ヤブのなかを突き進んでみると、シカ除け柵に行く手を阻まれ、左へ左へと巻いていくと植林帯にぶつかって下っていく。このままでは里に戻ってしまう。柵にダメージを与えずに越せる場所があったのでまたぎ越した。
しかし踏み跡はない。さらに水平移動していくと、山頂に向かって直線的に並ぶ石が目に入った。道筋を補強しているかのようだ。これに沿っていく。途切れる場所もある。森がひっそりと隠していたかのような道筋だ。右手から抉れたような道筋が近寄ってくる。戻る先には浄水施設のようなコンクリの地面が見える。おそらくその先に正しい登山口があるのだろう。ともあれ辿るべきものに出会えたので安心して上がっていく。
新緑の明るさのなか、天狗山の山頂かと思われた平坦地に着く。まず目に入ったのは二段になった石積みだ。敷地を全周しているわけではないが、かなりの広さだ。中心部にはさらに石組みがあって、石の祠が鎮座している。年号はもとより、読みとれる字は見あたらず、屋根の横に雲形模様が認められたくらいだった。石の列で補強されたような道筋も、抉れたのも、きっとこの祠に向かうものだったのだろう。山中にあって基盤がこれほどの規模のものは、そうそう見られるものではない気がする。往時は相当の人の登拝があったのだろう。
新緑のなかを天狗山へ
新緑のなかを天狗山へ
天狗山山頂
天狗山山頂
ここは文字通り天狗山の肩と言える場所だった。山頂部はすぐそこだが、進めば進むほど急な斜面の上に見上げるようになる。やっと飛び出してみると、登路同様に新緑のなかで、登路同様に眺望がなかった。だが雰囲気は悪くない。庭園風にそこここの地面から顔を出している丸みを帯びた岩のせいだろう。そのうちのひとつには驚くことに直接標点が彫り込まれている。山頂標識は木の幹に取り付けてあった。案内板もあって、目指す八幡山方面と逆に進み、右手に下ると大工という場所に出るらしい。大工とは堀之内小学校の手前だ。自分が本日取り付いた場所は、あらためて、登山口ではなさそうだとわかる。きっとぶどう畑の上辺を巡る農道をさらに進んでいたら、鹿柵を開閉して出入りできるところに着いたのだろう。


小憩後、縦走を開始する。開放感の少ない天狗山西峰を過ぎ、稜線を外さないよう忠実に歩いていく。標識はないがピンクのテープがうるさいくらいに下がっていて、進路を確認するには役に立つ。細かいもののコブの上下が多く、急傾斜の直登も強いられる。下手に巻こうとすると支尾根に乗ってしまって行き先を見失いかねない。なにせ葉が出てきている季節なので周囲の展望は大して得られない。梢越しに、谷を隔ててすぐ隣の棚山、進行方向に大きな八幡山がわかる程度だ。おそらく水ヶ森だろう、というのも窺える。昇仙峡・太刀岡山方面からとは異なり、このあたりから望む水ヶ森はやたらと丸い。
棚山を望む
棚山を望む
植林だったり雑木林だったりで森の明るさは変わってくる。しかし概して林床の広がりは変わらない。植林だと見通しがよくなるくらいだ。ところがこれが格段に広がる場所に出る。左手下から幅広の峠道が合流してきて、行く手ではいま辿っているのが左右にわかれて下っていく。平地であれば路地裏を歩いていたのがいきなり二車線道路に出たような変化だ。さて、左右に分岐するどちらに入ればよいのか。あいかわらず標識などない。地図を引っ張り出す。
そもそもここはどこだ。罔象(もうぞう)峠と呼ばれる場所だろうか?地形図では十字路に描かれているのでそうとは思えない。先にある桜峠のほうが道の付き方が地図とあっている。桜峠とすれば右に行くべきだ。だが入ってみると、どう見ても北にある里に下って行ってしまう。おかしい、では左のかと入ってみると、これまた下っていく。桜峠なら八幡山の斜面を絡んで登り出さなければならない。こうして半時ばかり開けた峠周辺をうろうろし続けた。
ふと気づく。現地の道の付き方がどうであれ、地図の道筋は稜線を追っている。稜線をたどればよいのだ。落ち葉がうっすらと覆う斜面を登っていくと、踏み跡らしきに出会う。そもそも稜線を外したのが間違いだったようだ。下りに転じた先に出た場所は、意外にも右手から簡易舗装道が上がってきており、正面には山腹を縫う未舗装林道が延びていく峠だった。ここが桜峠だ。先ほどの開けた峠はやはり罔象峠だった。
桜峠は規模感こそなく、北側は植林で暗くもあるが、南に開けた谷間に光が溢れるさまは罔象峠とはまったく違う開放感を感じさせる。谷奥には棚山の斜面の上に富士山も顔を出している。


頂稜の長さばかりが印象的な八幡山だが、取り囲む斜面は急だった。足下にヒトリシズカの株など眺め、白い朴葉の散乱を踏んで行くと、広くゆったりとした斜面に出た。進むにつれ幅が広がり、小規模ながら山上台地と呼ぶべき状態となる。この山を同じ山梨県の丹波山村あたりに持っていったら、間違いなく名前に天平という言葉が入るだろう。稜線と言い難い背をたどること30分、左右の幅も狭まり、少々登って山頂に着いた。木々に囲まれてやや開けた場所で、防火帯のように伐られた正面に帯那山手前の1,381m峰が望め、青葉を透かして水ヶ森がうっすらと窺える。小楢山方面は様子がわからない。下山後、八幡山のことを振り返ってみると、山頂は思い出すのに手間がかかった。そこにたどり着くまでの背の広さ長さが強烈なものだから、印象が薄い。
八幡山の頂稜
八幡山の頂稜
ヒトリシズカ
ヒトリシズカ
とはいえ山頂は山頂、到達点のひとつであることは間違いない。シートを広げて座り込み、湯を沸かしてコーヒーを淹れた。連休だというのに山中では誰にも出会っていない。天狗山や八幡山は、予想通り、随分と静かな山のようだ。
八幡山山頂から帯那山方面を望む
八幡山山頂から帯那山方面を望む
登りも急だったが下りも急だった。急降下と言ってもよかった。鞍部に出て、一コブ越えたあたりからロープが出てくる。このあたりの主稜線は予想外に岩稜のようだ。登り上げると八幡山の好適な展望台だった。意外なことに富士型の山影となって間近に迫る。その右手奥には塩山から勝沼あたりが山並みの下に広がっている。
稜線途中から八幡山を振り返る
稜線途中から八幡山を振り返る
右奥の三つコブはお坊山山塊
 
稜線は続く。あまり峠らしくない清八峠を過ぎ、この沢筋が往時の切差からの峠道では、というのを過ぎ、登って着いたところに標識がある。左の尾根を下ればバス停のある切差、行き先には古峠、首岩、膝立。首岩?少々先の稜線を見やると、なるほど、目が二つ付いたような丸い岩が岩壁の上に。それにしても薄気味悪い命名だ。振り返れば行路途中に屏風のような薄い一枚岩の礫岩が立っている。こちらは案内板に単に「ビョウブ」とあった。


さてこの先どうしたものか、朝方は帯那山まで行ってみようかと思っていたが、もう16時近く、交通機関を考えるとこのあたりで切り上げて戸市か切差に下った方がよさそうだ。とはいえ、標識に従って支尾根を下るより、もう少し稜線を歩いて、できれば今一度水ヶ森を遠望してみたいものだ。それくらいの余裕はある。よし、古峠を越える車道に出よう。
峠に至る途中に金光山というコブがあり、ここから期待通り水ヶ森の姿をすっきり眺めることができた。バス停までとしては大回りのルートを選んだ甲斐があったというものである。車道に出てから下り出すと左手に八幡山の姿が仰げるようになる。稜線でも眺めた富士山型の姿が、さらに鋭さを増したような形で切差の集落の上に屹立している。あの長い山上台地はどこに行ってしまったのか。「甲州で一番目立たない山」とされた八幡山だが、歩いてみるとじつに個性的な山だとわかったのだった。
2012/5/5

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