秋山二十六夜山から棚ノ入山日向舟への中途から棚ノ入山

道志の主稜線というものをまだ歩いていない。朝日山と赤鞍ヶ岳だけをつないで歩くのなら日帰りもできそうだが、その前後の稜線も歩いてみたいとすれば、麓に泊まるか、テントを担いでいくしかない。ともあれ偵察の一つもしてみようかと、秋山二十六夜山から棚ノ入山(たんのいりやま)を経て道志の朝日山に達し、行けるものなら赤鞍ヶ岳まで行ってみるつもりで、二月の上旬に家を出た。


中央本線上野原駅を出たバスは南に車道をたどり、山間の蛇行する道を抜けると広い谷に出る。ここが秋山の村で、右手の山々は南に面して中腹まで畑地が開かれ、明るく穏やかな眺めだ。しかし道志の山々は左手彼方に寒そうな雪斜面を見せ、山頂稜線部はすべて雲の中で、あの中まで行くのかと思うとやや憂鬱になる。
車道が雛鶴峠に向かうに従い、広かった秋山の谷もだんだんと狭まってくる。秋山二十六夜山の山脚が間近になると耕作地はほとんどなくなり、秋山山稜にも植林が目立つようになる。本日の下車地点は下尾崎というところで、ここは以前に中央本線梁川駅から回遊コースを採ったとき出た場所だ。
自動販売機があるだけの停留所からまばらな家並みの中を山に向かって歩いていく。舗装道のうえに雪はなかったが、停留所から10分歩いて山道に入ると地面が白くなった。さらに10分ほど沢沿いの踏み跡を行くと、雪のない左手の斜面をジグザグに上がるようになる。傾斜もほどほどで快適に高度を稼ぎ、稜線に出た。左手に葉を落とした雑木林、右手は植林で、無理のない斜度が続き、久しぶりに山を歩く身には気分がよい。足下に雪はなく、晩秋には散り敷かれていたはずの落ち葉も風に吹き飛ばされて深くはない。左手奥には相変わらず稜線部を雲に覆われた道志の白い山肌が静かに広がっている。山頂手前の二十六夜待ちの広場に着いてみると、一面の雪だった。昨日の日曜のものか、踏み跡がまばらに残っている。
二十六夜待ちの広場
二十六夜待ちの広場
11時前に広場を歩き出して棚ノ入山へ向かう。まずは秋山二十六夜山の斑雪の残る長い稜線を西進し、秋山側に下る道を見送り、いったん鞍部へと下る。道幅は広く踏み跡もあり進路に心配はないが、かなり下るのでせっかくの高度がもったいない。周囲は秋山山稜のそこここで見られる赤松の林だが、ここのはかなり明るく、おそらくはもっとも人の歩かないコースのわりには暗い感じがしない。本日は風がなく、里から聞こえてくるものを除けばひっそりしているが、気が滅入るということもない。
棚ノ入山への登りは予想以上に長く感じる。登りは北面になるため雪がかなり着いていて、おそらくは昨日の先行者の踏み跡に足を置くのだが、何度も滑ってしまった。斜面は急で、途中で休みたくとも雪だらけで腰を下ろす場所もなく、何度も立ち止まっては息を整える。振り返ると秋山二十六夜山が頂稜を横に長く伸ばした姿が黒く沈んでいる。この区間の積雪は20センチほどで、持参した軽アイゼンを出すまでもないと思っていたのだが、あとから考えれば素直に準備すべきだった。ようやく斜度が緩んで標石があるピークらしき場所に出た。山頂標識はないが、きっとここがガイドマップで棚ノ入山とされている場所だろう。眺めはまるでなく、そのまま通り過ぎた。
小さな上り下りを繰り返していくと、前方に棚ノ入山と大書した標識が出てくる。かつて高畑山から朝日山に向かったときに来たことがあるサンショ平で、梢越しに秋山方面が望めるが、葉が茂る季節には眺めはなくなることだろう。ここは山道の四つ辻になっており、左手に行けば道志の朝日山、直進すれば秋山の高畑山に向かう場所だ。右手の急斜面を下れば秋山の谷に出るが、一面の雪斜面であるそちらへのトレースはまったくなかった。
ガイドマップが東隣のコブの標点を「棚ノ入山」としているせいか、ここはサンショ平であって棚ノ入山ではないという趣旨の書き込みがマジックで標識になされている。わたしもそう思っていたのだが、小林経雄「甲斐の山山」(新ハイキング社)によれば、サンショ平は棚ノ入山の最高点にあたるらしい。とすれば標識は正しいわけで、マジック書きはガイドマップのみを信用して地元標識を頭から間違いと決めつけてしまったということになるだろう。このあたりの山名はなにが正しいのか不明なことが多いので、ある程度柔軟に構えておいた方がよいように思える。
サンショ平到着時点ですでに12時半になっており、当初予定の朝日山から赤鞍ヶ岳に向かうにはバスの時刻を考えるとかなり無理がある。それにここまでの登りでかなり参ってしまったため、かつて喘ぎつつ登った朝日山にまた登ろうという気が起こらず、地図を広げ近辺のバス停の時刻と合わせて検討した結果、道志とは反対側の高畑山方面に進んで途中の雛鶴峠から車道に下り、2時台の都留市駅行きバスを捕まえることにした。道志の主稜線を歩くというのは、また後日の愉しみにしておこう。


そうと決めれば早く下らなくては。しかし東西に長い頂上部の反対側からの山道は、登り同様に急だった。往路同様に北面のため雪も多く、立木のないところでは滑落の危険に緊張した。目の前には峠に出るために越えるべき日向舟というコブがあるが、かなり高く見える。本数の少ないバスの時刻に間に合うかどうか心配になったが、日向舟への登りは危惧したほどのこともなく、名前の通り日がよく回るせいか雪のない山道を快調に歩いた。稜線近くではツチグリも足もとに見ることができた。胞子はとうの昔に飛びきったことだろう。ここも山頂部は長く、これから峠に下るというところでは視界が開けて道志山塊の北側から秋山山稜までがぐるっと見渡せた。倉岳山高畑山九鬼山に挨拶して、最後の山道を下っていった。
日向舟より大桑山(左)、高畑山
日向舟より大桑山(中央奥)、高畑山(右奥)
 中景は高岩(左)と大ダビ山
峠に着いたのは2時少し過ぎだった。狩猟の季節で、ハンターのものらしき車が何台か停まっており、そのうち一台からはなぜか悲しそうな犬の鳴き声がしきりに聞こえてきていた。とても車内を覗き込む気にならないほど悲痛な声だった。
2003/2/10

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