水晶山から高田山(山頂左にある端の小ピークが石尊山)高田山・石尊山

高田山(たかだやま)は吾妻線の中之条駅から四万温泉へ至る国道353線左手に高まる一等三角点補点の山である。石尊山は高田山の東側稜線にある小さなコブだが、主峰を上回る好展望のピークである。ここには麓の集落を見下ろすように小ぶりの石祠が祀られており、駒岩集落からこれらの二山を目指す登路の途中にはまだ古びていない石造りの鳥居が建っている。
二山とも喧噪にまみれるような山ではなさそうで、岩櫃山嵩山を歩いているうちに浮かんできた「四万温泉に泊まる一泊二日の秋の山旅」の候補としては最適のようだ。まだそれほど寒くない十月中旬に近くの不納山(ぶのうさん)と併せて訪れてみて、短いものの変化のある山道と眺望の佳さを味わってきた。


寝坊して中之条到着が昼になったせいか、四万温泉に向かうバスに乗客は二人だけだった。途中の駒岩バス停が目指す山の登山口となる。一人残った乗客を乗せて去っていくバスを見送って振り返ると、よろず屋らしき店の近くに地元のおばさんが佇み、「これから登るのか?」という風情でこちらを見ている。軽く会釈してから山際にへばりついている集落の中を指導標に従って上がっていく。
折り重なるような屋根を見下ろすようになると植林のなかの山道に入った。だがしばらく行くと道のまんなかにキノコが環になって生えている。人がおおぜい通れば子実体が成長する前に踏みつぶされているはずで、ほんとうに歩かれている道なのかと心配になった。樹林帯が自然林に切り替わるあたりで鳥居をくぐる。ここから先が神域の扱いとなるのは伐採についても当てはまるらしい。木々はのびやかに繁茂している。そのなかに続く道形は広く明瞭でまったく荒れておらず、さきほどの心配は杞憂だったようだ。
この山はかなり急傾斜で立ち上がっていて、山腹をトラバースするような道筋は尾根を乗り越すのかと思えるところで何度も折り返す。周囲は林だが、秋の深まりとともに葉の緑の濃さが落ち始めたので枝の合間に注ぐ光も明るさを増している。深い亀裂の入った大樹の幹を眺めても拒むような暗さはない。尾根筋をたどるようになるとすぐ獅子井戸の水場で、細くわき出ている流れには甘味があった。
そこから右手にある沢筋の源頭を回り込んで尾根を越えると、下草が消え、乾いた落ち葉が見える範囲の地表を覆うようになる。木々の間隔も広がり、空気はいよいよ透き通る。さらに登れば秋の彩りも増えてきて、岩混じりの細い道になる頃には、紅に染まった葉群も目にとまるようになった。
まさにひょっこりと飛び出す石尊山の頂はとても見晴らしがよかった。中之条市街地方面に目をやれば、嵩山が裏側から望める。榛名山はもちろん大きい。振り返れば上越国境の稜線が海のうねりのようで、その途中に稲包山が尖った頭をもたげている。
石尊山から上越国境方面 右奧は稲包山
石尊山から四万川上流の谷筋を望む
右奧は稲包山
遠望ばかりでなく、足元もよく見える。すぐ下の集落に目を向けていると浮遊感が湧いてくる。山頂にはご夫婦一組が先に到着休憩されていて、伊勢崎にお住まいというお二人としばらく歓談した。「土曜だというのに誰もいませんね」。「静かな山ですね」。


石尊山から高田山へは小さなピークをいくつか越えて行くが、それまでの比較的歩きやすい道と違ってすべりやすい下りだったり木の根を掴んでよじ登ったりとややハードになる。千二百メートルを超す高さの山の上だというのにススキを見るようになると、そこが高田山の山頂だった。石尊山より広いが眺めは各段に悪い。誰もいない中、三角点のそばに腰を下ろし、静けさに浸る。
ここは往復登山をする人が多いようだが、まだ時間もあることだし最初からの予定でもあるので、そのまま西進してわらび峠へ下ることとする。山頂からそちらへは急だと聞いていたが、確かにそのとおりだった。一、二ヶ所手がかりのあまりないところで滑りやすい土の斜面を下るところもある。登りにとったルートに比べて荒れた感じだ。それでも道が平坦になり、周囲がやや暗くなってカラマツが混じり出すと、ほどなくして峠に飛び出した。
ここから四万温泉の温泉口地区まで林道歩きとなる。脇を流れる沢の水音を聞きながら、道ばたのススキが盛んに白い穂を出しているのを眺めつつ快調に歩いていった。舗装された部分は多くなく、車体の低い車では無理がある路面がところどころあるせいか、駐車してある四駆を一台見ただけで、排気ガスとエンジン音に煩わされることはなかった。正面には明日登る予定の不納山が仰げる。日の光が当たっているのはもはや山頂部だけで、影になっている山体に対して赤みがかって見える。翌日の天気は心配ないようだった。
2001/10/14

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