岩櫃山岩櫃山

吾妻線沿線には小さいけれど存在感のある山がいくつかある。吾妻線郷原駅から間近に見上げる岩櫃山(いわびつやま)もそんな山で、標高が八百メートルをほんの少し出るだけの低山だが、佳い山だった。九月下旬という時期は紅葉には遥かに早かったが、そのおかげで静かだったものと思う。


郷原駅を出て山村のなかに入っていく。登路はいくつかあるが、いま辿っているのは密岩通りという名で、見上げる山頂直下の岩壁が爽快だ。山はまだ色づいていないものの、道ばたの秋桜が秋の到来を告げている。狭い山の斜面に立つ農家の佇まいが懐かしくも浮き立つ気分にさせてくれる。やはり心が疲れているときは里山を登りに来るのがいい薬だと思う。秋から冬の奥多摩や西上州が人の気をそそるのは、山あいの生活に郷愁を感じるせいもあるはずだ。
畑地を抜けて暗い山道にはいるとすぐ密岩神社への分岐に差し掛かった。今日はこのあと隣の観音山に寄って、時間が許せば中之条の嵩山(たけやま)も登ってしまおうという贅沢とも慌ただしいとも言える予定を考えているのだが、かえってこういうときこそ寄り道をしたくなるもので、神社へのルートが×印とされた道標を一瞥し、こちらに入っていく人は少ないのだろうなと思いつつ道草を開始する。
廃道化が進んでいるのか、踏み跡は曲がろうとする一、二箇所で曖昧な状態になっている。それでも痕跡を拾いつつ上がって行くが、見上げるほど大きな岩にぶつかって道がわからなくなった。真下に雨宿りができそうな岩窟がある。岩自体は見た目がもろそうで、いまにも崩れ落ちてきそうな風情だ。顔を上げてあたりを見回すと、凍り付いた滝のような岩壁が間近に落ちている。山頂直下からの岩壁にかなり近づいているようだった。あとでわかったのだが、神社への正しい順路は目の前の大岩を左へと回りこむ。だがこのときは岩窟に惹かれて右手に出てしまった。しばらく立ち止まって奥をのぞき込み、さて行くかとさらに右へ足を踏み出したとたん、がさっ、と音がして目の前数メートル先に飛び出してきたものがあった。ぎょっとして立ち止まる。
樹林のなかの暗さで最初は何者だかわからなかった。動いている。動物だ。鹿?いや、なんと、カモシカじゃないか!長いこと山を歩いているが、会ったのは初めてだ。これはすごい。いろいろな人の声を聞くと、ここ岩櫃山ではよく会えるらしいが、まさか自分がでくわすとは思わなかった。なんと得難い経験だろう.....しかし熊でなくてよかった。
カモシカに遭遇
カモシカに遭遇
(フラッシュで目が光っている)
彼(彼女?)はこちらを警戒するように眺めている。猛獣に会ったときにそうしろと言われているのと同じく、最初はにらみ合いをして、それからそっと視線を外して逃げるのを待った。が、逃げない。慣れてるのかな?と思ってカメラを静かに構えて写真を撮る。それでも逃げない。そのうちこちらに害意のないことがわかったのか、おもむろにきびすをかえしてゆっくり歩き出した。少し待って、後を追うように岩を回り込む。不安定な足場を行くのは人間の方が不得意だ。すぐに離され、姿を見失ってしまった。


カモシカを追っているのではなく神社へ行こうとしているのだが、いつしか道形は途絶えてしまって、目の前には急傾斜のチムニーが「ここを登るかい?」とばかりに上に延びているのだった。ちょっと逡巡したが、見上げるとチムニーの上端にケーブルのようなものが何本も張ってあるのが見えた。ひょっとしたら倒壊しかかっているという神社を押さえているものか。だとしたらここを行けばいいんだとばかり落ち葉と倒木のなかを無理やり上がっていく。
見込みは違った。このケーブルは神社をおさえているものではない。どうも、里に向かって屹立している岩峰が崩れないように巻き付けてあるらしい。それはそれで恐ろしくも珍しいものだが、けっきょく神社は見られずじまいか、と視線を周囲に漂わすと、足下に人間の捨てたゴミがある。その先には赤いパイプ状の灰皿柱まである。
あれ?とその灰皿まで近づくと、通行禁止のロープがすぐそばに張ってあって、何十メートルか先に予想より大きな社が赤い鉄骨の土台ごと傾いているのだった。元は白木づくりだったのか、いまでは風雨に晒されて保護色同然の色合いになってしまっている。背後には荒れた岩肌の壁がそそり立っていて、いつまた情け容赦なく次なる岩屑が落ちてくるかわからない。ひしゃげかけた神社は、自分の運命には無関心に、黙って潰れるのを待っているかのようだった。きっと祀られていた神もすでに逃げ出してしまっていることだろう。
その神社への参道を、さきほどのカモシカが散歩でもするように歩いているのだった。ときおり立ち止まっては、だんだんと神社に近づいていく。もしそんな仕草をしてくれたら、と期待したのだが、少し高いところにある神社を見上げることはなく、草か何かを食べる仕草をしながら脇を素通りした。そしてそのまま雑木林の中に消えていった。
神社はあいかわらず傾いていた。動くものが視界から消えて、崩壊の途中で停止したままの姿がさらに痛々しく迫ってくる。ロープが張っていなくても、とても近づくことができなかった。寺でもないのに遠くから軽く手を合わせて、山頂への道に戻った。


こちらはよく整備された道で迷いようがないが、麓から見たとおりのけっこうな斜度が続き、稜線に出るまでは短いものの一汗かかされてしまった。そこから始まる岩稜歩きはほどよい緊張が続いて飽きさせず、「天狗の掛け橋」と呼ばれるナイフリッジは短いものの戸隠山の「蟻の戸渡り」を思わせる。そこを渡り終えると、ちょうど巻き道を来て休憩していた高崎在住の初老の夫婦連れに「よく歩けるねそんなところを」と賞賛された。ちょっといい気分になる。
そこからしばしの山頂は周囲の眺めがすばらしい。この低さでこれほどの展望だなんて、まるで予想していなかった。尾瀬と西上州を除く群馬県のおもだった山が殆ど見えるのではないか?うーん素晴らしい、再訪する価値がある見晴らしの良さ。しかも先ほど出会った夫婦連れの方がやってきて歓談するうち、チョコレートやヤクルトまで頂いてしまって、恐縮するやら嬉しいやら。
奧は上州武尊山、手前は北隣のピーク奧に十二ヶ岳・小野子岳、手前に榛名山の裾野
山頂から中之条の市街地方面を望む。

 左奧:上州武尊山          右奧:十二ヶ岳、小野子山
 左手前:岩櫃山の北隣のピーク  右手前:榛名山の裾野 
 
下りは山の反対側の岩櫃城跡に向かう。狭まった岩の間を通って途中から尾根道に出て、三メートルほどの岩塔が出ているコブを通り過ぎ、細いが明るい踏み跡を辿った。本丸跡の平坦地とかけっこうな規模の空堀とかが残っていて、久能山の久能城、岩殿山の岩殿城と合わせてここは関東近辺の山城としては三名城に数えられるというのも頷ける。史跡としても興味深い、小さいながらも楽しい山なのだった。
2001/9/23

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