嵩山石尊山から中之条市街地をバックに嵩山。左端の突起が大天狗

吾妻八景の一とされる嵩山(たけやま)はずんぐりした身体を台地のうえに曝し、中之条市街地を見下ろしている。町中から望見する嵩山は背が低いとはいえ角を生やした鬼の頭のような格好で、意識して見れば忘れられるものではない。JRの吾妻線で中之条に向かう者にとって残念なのは、下りの吾妻線がこの嵩山に向かって走っていくことで、いちばん見応えのある姿が車窓右手の進行方向に見えたと思ったら駅に入ってしまい、住宅や電線やらが前景に入ってきて絵にならなくなってしまうことだ。車で来るか、ゆとりのある計画で中之条駅を訪れて、飲食店も多い町内を郊外まで見て回ってはこの山の見栄えのよい場所を探すのがいいだろう。


嵩山に登った日は早朝に家を出て上越新幹線と本数の少ない吾妻線を乗り継ぎ、沿線の岩櫃山観音山に登ったのと同じ日である。この二山を歩いて下り着いたのが群馬原町という駅で、嵩山の登山口となる中之条は隣駅だ。そうは言っても一時間前後に一本というローカル線なので一駅でも大きいのだが、このときは十分程度の待ち合わせで下り列車が来た。中之条からはバスも出ているそうだがこちらも本数が少なく、さすがに時間が押してきていたのでタクシーに飛び乗って麓まで行ってもらった。
登り口は隣接しているものの二つあり、よくガイドされている西登山道の方から登る。子供向けの滑り台などが組合わさった遊戯施設を左に見ながら大きな鳥居をくぐり、よく整備された山道になる。犬の散歩をしている地元のかたらしい人がひとり下ってきた。遊歩道と言っていいほど幅の広い道がゆったりとジグザグを切りながら風通しのよい林のなかを登っていき、榛名山の見える展望台を経て天狗平と呼ばれる稜線上の平坦地に出る。ここまでは全くの散歩道だ。
途中には番号の書かれた石像の在処を指し示す看板がいくつもあった。嵩山は観音山の百体には及ばないが板東三十三番の観音様が納められているそうだ。石像は山中のあちこちに配置されていて、隈なく探し回れば三次元オリエンテーリングとなり相当楽しめることだろう。全部見つけるにはかなり時間がかかるはずだが。
さて左手に行けば「小天狗」と「不動岩」があるとの道標に従い、まずは小天狗に向かう。ここは大岩が積み重なったような場所で、周囲の展望がよい。左手には榛名山を背景に原町から中之条の街並みが左右に広がっている。右手にはさきほど歩いてきた岩櫃山が見える。観音山は小さすぎて、たぶんあれだろうと当たりがつく程度だ。視線をそのまま近くに戻すと、目の前に棒のように立っている岩峰がある。反対側にはこれからたどる嵩山の稜線の裏側が見える。不動岩へは少し戻って左手に折り返すように行く。てっぺんに行くには鎖に頼らなくてはならず、楽に登れる小天狗より岩登りをしている気がする。登ってみると、さきほど小天狗から見た棒のような岩がここだとわかる。
小天狗の頂にて
小天狗の頂にて
ぜんたいに嵩山はロッククライミングにはいい場所だと思うが、信仰の山を守ろうとする地権者の手で「岩登り禁止」の立て札があちこちに立てられている。ボルトなどを打たれるとそこから岩に亀裂が入って崩壊が進むというのが懸念されているようだ。フリークライミングならいいのでは、という議論もありそうだが、遠目にはエイドクライミングもフリーも区別がないだろうし、各地で問題になっている屎尿処理がまたやっかいなので、おそらく嵩山での岩登りが再開できる日はかなり遠いことだろう。


天狗平に戻って樹林が頭上を覆う中を嵩山中心部に向かう。「中天狗」と呼ばれる場所はヤブの中のちょっとした高まりにしか過ぎない。その先の右手には「胎内くぐり」という場所への道が分かれている。寄り道してこちらに入ると、すぐ胎内くぐりで、岩と岩が接して人がひとり横になってようやくすり抜けられる石門状になっている。ダイエット度を測るにはいいところだ。ベルトのバックルを岩に引きずりながらも通ることができた。なんだか一安心だ。そのまま進むと山を下ってしまうので、もう一度横になってすり抜け、稜線の道に戻る。
小さなコブのようになった場所を右手に見て巻くと、すぐ「御城平」というところで、小さな石仏が「コ」の字に並んでいる。麓にある中之条教育委員会の案内板によると、かつて嵩山には城があり、戦国時代に上杉方が籠城して武田方の岩櫃城と対峙したのを最後に廃されたという。上州攻略の一環として武田方は嵩山に総攻撃をかけ、もはやこれまでと観念した嵩山の城主城虎丸は大天狗から飛び降りて自害し、後に続くものも多かったらしい。地名に面影を残す御城平の石仏群は落城時に命を落とした人々の墓にあたるようだ。岡山の常山でも戦で死んだ人々の墓をこのように並べていたが、封建社会での決まり事だろうかと当て推量をしてみるのだった。
このあたりは木々が少なくやや見通しがよい。近くに見えるあずまやに下っていくと経塚という場所で、そこから嵩山頂上の「大天狗」へは一投足のようだ。さて、と思うと左手に案内板が目に入り、「烏帽子岩」「五郎岩」なるものが先にある旨書かれている。クライマックスは最後に回すこととしてそちらの方を見にいくことにする。
登るつもりで来てみた烏帽子岩だが、踏み跡を辿って岩の基部を行けるところまで行くと突き当たったのが垂壁である。見上げると鋭く尖った小さな頂上部がハングしていて、落ちかかってくるようだ。登ろうと思えば登れそうだし、ここを越せばハングの背に乗っててっぺんへ、というイメージはあるのだが、まず降りてこられないだろう。例によって少々逡巡し、やはり危ないことはやめることにした。このあたりからはさらに先にある五郎岩も眺められたが、木々が岩にまつわりついていて行っても眺めがなさそうな気がしたのでこちらもやめにした。じっさいには大天狗を見上げる展望地だと山を下ってから知ったが、現場を眺めていたのはすでに夕暮れの気配が立ちこめつつあるときで、見込みのなさそうな場所に立ち寄る余裕は薄れる一方なのだった。
経塚に戻り、いままでの岩峰と比べればかなり長い岩場を大天狗へと登っていく。傾斜はそれほどでもないが登り始めは鎖を掴んだ。山頂近くになって土が出てくるが、最高点には大岩が鎮座していて、その上に小さな祠が乗っており、この祠の隣の平坦面が横になって休むのにちょうどよいサイズなのだった。あいかわらず広い景色を眺め渡したあと、一日遊んだ疲労が出たせいか、日差しがまだ暖かさを残していたせいか、寒くなってきているというのにここでもまた例のごとく横になって二十分ほど眠ってしまった。先ほど登った観音山での昼寝では足らなかったようだ。
大天狗山頂から榛名山と中之条市街地
大天狗山頂から榛名山と中之条市街地 
榛名山の左端の峰は水沢山
さすがに冷えてきて目が覚め、慌てて経塚に降りた。日はかなり傾いている。大天狗脇の登り口脇から麓に続く東登山道というのを下り始めた。嵩山を登ったときに見た散策者からこのかた誰一人として会っていない。どうやら山中にいるのは自分一人のようだ。里近い山とはいえ、そうそう遅くまで留まるところではないらしい。


まっすぐ降りればすぐなのだろうが、この山道にも道草を誘う場所があってどうにも逆らえない。「骨穴(こつあな)」はこちら、とかいう標識が出ていれば、どんなところか見ないで帰るわけにはいかないではないか。というわけで枝分かれした山道に入り込み、やや荒れた踏み跡にしたがって山腹をからんで行くと、足元に下傾した岩場の見晴らし台が現れた。
ここは前方の見晴らしもいいが右手には急角度に落ち込む岩壁も仰がれ、大天狗での開放的な眺望とは異なるいわば穴場的な展望地なのだが、肝心の骨穴への道がどう続くのかわからないのだった。岩場の途中には進路を塞ぐように展望案内板が立てられている。だが左右は切り立っているし、進むとしたら案内板を回り込んで下っていくしかないのでそうしてみると、岩場が尽きるところで踏み跡らしいのが出てくる。これだこれだと右手にヤブの中を辿っていくと、とつぜん人がちょっと腰をかがめて入れるくらいの岩窟が現れ、その中に石仏が二体、わりと大きいのが納められている。
これが骨穴だった。骨が散乱しているわけではなかった。だがなんとなく中に入るのがためらわれる。入り口付近をうろうろしながら、この岩窟は内部と入り口の一部がほとんど真っ白なので、色の類推から「骨」の字を当てたのかもしれないなどと推測する。しかし「骨」穴に観音様というのも、どうかと思えるのだった。
寄り道したのを元に戻って真剣に下り出す。植林の中ではこれはまずいなと思えるほど暗くなってきている。登山道の途中にはこれでもかとばかりに「弥勒穴-->」などという”ちょっと寄ってらっしゃいよ”標識が出てくるがさすがにもう行けない。だが下山路途中にある「一升水」という場所はさすがに歩みが遅くなる。岩壁から水がほそぼそと垂れているところだが、そんなことよりその岩壁そのものに驚かされるのである。足元から頭上まで真っ白な壁が、かなり上で緩やかに追い被さったまま数十メートルも続ている。いわば自然のアーケード(片側だけ)なのだが、あたりが薄暗くなっている中で白さが燐のように輝いてほんとうに不気味だ。苦労して骨穴に行かなくてもここを見るだけで嵩山の山としての奇妙さを十分味わえる。
骨穴とその中の観音像
骨穴とその中の観音像
飛ばして歩いたせいか下山口にはわりとすぐに着いた。もう夕方も夕方なので、観光客はもとより地元の人もほとんどおらず、すぐ近くにある手打ち蕎麦の店も、既に暖簾をしまい込んでいた。もうバスはないだろう、あってもだいぶ待つはずだ、駅まで歩いて行こうかそれともタクシーを呼ぼうかと思い悩みながら近くにあった停留所の時刻表を見ると、あと三十分ほどで中之条駅行の終バスが来るらしい。そんなに待たないで済むじゃないか、ではそれに乗ろうとバス待ち体勢に入り、近くの親都(ちかと)神社の立派な社殿を眺めたり登山口にある広場を散策したりした。そうするうちにも辺りでは人の気配が片手で数えるほどになり、もの言わぬものの影がますます濃くなってくるのだった。
やや遅れてきたマイクロバスの車内に客は誰もおらず、後方の席にゆったり座ったのはいいのだが、これが信じられないほどの大回りをするのだった。周囲はもう真っ暗になってしまった中を、いつまでもいつまでも山腹の集落を結んで走る。なんだか怪談に出てきそうなバスに乗ってしまったのかなーと本気で心配し始めたころ、やっと平地近くに出たものの、再び暗い裏道に入ったりして、うねうねと田舎道を走り続け、いったいどこを走っているのかぜんぜんわからないのだった。しかももう夜なので停留所に駅に向かう人の姿などなく、ときおり見える家からは明かりが漏れているものの団らんのさいちゅうにある人たちは車窓からだと見ることはできない。
じぶんひとりしか聞く者のいない車内アナウンスのテープを延々と機械的に流しながら暗闇の中をバスはひた走る。かなり気が滅入ってきたころ、ようやく町の灯りが煌々とする中に走り込んでいき、中之条駅に着いた。駅から登山口まではタクシーで十分くらいだったが、バスでは四十分くらいかかった。運賃を払って下りるときに初めて運転手の声を聞き、生きている人間がハンドルを握っていたのだなとそこでやっと納得した。


その夜は高崎に泊まる予定なのでさらに列車に乗らなくてはならないのだが、上りのはいましがた出ていったばかりで、次のは一時間半くらい待たなければならないのだった。バスで高崎方面に行くのはないかと投げやりな気分で時刻表を見て回ると、××行きはもう出ましたよ、とぜんぜん関係のない行き先のがなくなったことをそのへんにいた運転手が教えてくれる。口の中でもぐもぐと返事をして、とりあえず夕飯でも食べるかと、駅前の食堂に足を向けた。
予約していたビジネスホテルに入ったのは夜の9時前だった。割り当てられた部屋で今朝家を出てきたことを思い返してみたが、どうしても昨日の出来事のようにしか思えなかった。いかな低山でも三つも歩けば歩き応えは十分だ。明日は明日で、再び吾妻線に乗ってバスに乗り継ぎ、本白根山を訪れる予定だ。早く寝ようと自分に言い聞かせるのだった。
2001/9/23

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