大鹿峠から大谷ヶ丸大蔵沢大鹿林道からガスに覆われる大谷ヶ丸を仰ぐ

2006年ワールドカップも目前に迫ってきた。観戦三昧となる前に”歩き溜め”しておきたい。とはいえ梅雨が近いせいか空模様が落ち着かないので、日帰りで行ける範囲が妥当だ。今年になって二度ばかり訪れている南大菩薩のあたりはどうだろう。先日は大鹿峠から南下したが北上するルートは未踏なので、大谷ヶ丸(おおや(ん)がまる)を越えて米背負峠に出てみよう。余力があれば、その先のハマイバ丸・大蔵高丸にまで足を伸ばすこともできる。


世界最大のスポーツ祭典が始まる直前の日曜日早朝、この計画を胸に中央本線に乗るべく家を出た。笹子までは重たい曇り空に終始していたが、トンネルを抜けると青空だった。よくあることで予想はしていたが、それでも思わず小声で歓声を上げてしまう。下り立った甲斐大和駅では意外なことにおおぜいのハイカーも下車して、どこに行こうというのか、とにかく賑やかだ。こちらは手早く駅を出立して田野の景徳院へと向かう。途中、立て続けにタクシーが帰ってくるのに出会う。湯ノ沢峠からの戻りだろうか。
武田勝頼の菩提寺門前には前回同様に半時で到着した。日は差しているが寒いくらいに風が強く、見上げる稜線は雲に覆われてしまっている。太平洋側からの湿った空気が大菩薩という障壁に当たって雲を湧かせ、風の一部は大鹿峠から吹き下ろしてきているのだろう。うえに上がるころまでには晴れて、広い眺めを見せてほしいのだが…。
大鹿峠への登路
新緑の中を大鹿峠へ
だが登れば登るほど遠望は効かなくなり、ガスが流れるのを目にするようになる。右手、木々の向こうにお坊山山塊の黒い山肌が浮かび、千切れたガスの真っ白な断片がまとわりついている。それが最後で、その後周囲に眺めるものといったら新緑がまだ明るい木々ばかりとなってしまった。日がなく風があるので当然寒い。麓からTシャツ一枚で登り出したものの、40分くらい登ったところの送電線鉄塔をくぐるところでついに耐えられなくなり雨具の上着を着込む羽目になった。手も冷たいので手袋まではめた。いやしかしかなり寒い。追い打ちをかけるように広葉樹の葉からさかんに雫がしたたる。雨が降っているのと変わらず、枯葉で埋まる足下はどこもかしこも濡れていて腰を下ろす気にもなれない。
弱気を抑えつつ稜線に出てみると風が唸り、木々がわさわさと揺れている。すぐ左手に上がると送電線鉄塔が立つコブで、ここで小休憩とした。開けているせいで木の葉からの雫はかからないで済むが、あいかわらず寒いことは変わらない。この先の山道では灌木の水滴も付くだろうから雨具の下も身につける。レインハットまでかぶったのですっかり雨支度になってしまった。
ガスはそこここ濃く、20メートルくらい先は視界が怪しい。汗をかいていないのに頬がじっとりとしているのは相当に湿度が高いせいだ。木々も同じで、なまめかしいとさえ言えるほど幹を濡らしたのにも出会う。最初はナメクジかなにかが大量にたかっているのかと思ったほどだった。
ガスの中を大鹿山へ
ガスの中を大鹿山へ
すぐ隣のほんの少しの登りで着く小さな山は大鹿山とされているもので、ガスで眺めがないせいか狭い山頂が余計に狭く感じる。それだけならどうということもないが、山頂標識が立つところから先は下るのかと思うと多少とはいえ明確に登りで、最高点があいまいにされており、どうにも有り難みがない。大鹿山とはそもそもこのあたりの山の総称であったそうだが、いまの大鹿山はその山名をひとり占めするべきではないことが実感できる。
大鹿山から下ると幅広の平坦なよい道となり、勝れない天気だが気分良く歩けるようになる。濡れてつややかになった淡色の葉群を眺めつつ行けば、いつしか曲り沢峠に着いてしまう。山と山のあいだのたわみであることが感じられないほど平坦なところで、田野での正名”平ッ沢峠”はこの様子から名付けられたのかもしれない。登りと下りとが初見ではそれとわからず別れていくさまは峠というより追分のように思える。しかもここに生えている大木の枝振りがまたすばらしく、その下に憩う旅人を庇護するように大きく広がっている。きっと曲り沢峠は何度来ても、どの季節でも飽きないはずだ。
咲き残りのツツジ
雨にくたれゆく咲き残りのツツジ
曲り沢峠
雨中でも落ち着く曲り沢峠
周囲には新緑の木々が立ち並び、ガスで眺めのない本日の山旅を慰めてくれる。登っているとは思えないほど緩やかに高度を上げていくと不意に山頂標識が現れ、コンドウ丸とある。大鹿峠側からでは通路の途中のような風情でとても山頂とは思えないが、すぐ先で山道はやや下るので反対方向から来た場合はピークらしく感じるかもしれない。気づくと大鹿峠であれほど騒がしかった風もだいぶ弱まり、ガスも薄れている。そのせいか妙に明るい雰囲気で、立ち止まって一息つき、雨具も脱いだ。ちょうどそのとき山道の奥に単独行者の姿が現れる。上半身は山シャツだけなので、この先は降りかかる雫に悩まされることはないのだろう。


さてお次は本日の目的である大谷ヶ丸だ。あいかわらず緩やかな山道がそれとわかるほど斜度を上げ始めると本峰の登りだった。ガイドブックに「滑りやすい急坂」とあるうち、少なくとも急坂はほんとうで、登っていくうちにあたりを見回す余裕もなくなってしまった。足下ばかり見て歩く視界の端に小さな草原が途切れ途切れに出てくると、人声が聞こえ始め、ぽっかり開けた空間に出る。大谷ヶ丸山頂は木々に囲まれた裸土の広場だった。西方がほんの少し切り開かれているので、ガスがなければ甲府盆地の眺めも得られるのかもしれないが、今日はなにも見えず残念だ。
ここから急な下りで米背負峠へ向かう。天が開けた山頂では葉の雫に悩まされなかったが、木々に覆われた山道を行くと再びガスが暗く立ちこめ、ぱらぱらと雫が落ちてくる。粘土状の道は滑りやすく、実際に一度転んでしまった。足下に気を遣っているうちに峠へはなんとなく着く。記憶にあるよりは開けた感じがしたが、以前に来たとき同様によくない天気なので暗い雰囲気は否めない。前後を急な坂に挟まれているので圧迫感があるせいだろう、山道脇にまばらに生えている木々もどことなく貧相に見えてしまう。
米背負沢源頭近く
明るく愛らしい米背負沢源頭近く
当初は大蔵高丸まで縦走しようかと思っていったが、あたりを覆う陰鬱さに気が滅入って、この米背負峠から下ることにする。下り出すとすぐに小さな沢が現れ、水音がにぎやかになっていくなかをたどっていく。ここから踏み跡はどこにつながるんだという場所も一、二回あったが、小さいながらなかなか愛らしい谷間の道だ。下れば下るほど天気がよくなり、小一時間ほどで出る林道ではすっかり晴れていた。振り返ってみると、米背負峠には不穏なガスがわだかまったままだった。
ガスのわだかまる米背負峠
米背負沢登山口近くからガスのわだかまる米背負峠遠望
林道はすぐ舗装道となり、山腹をうねうねと巡る。途中で振り返ると、大谷ヶ丸の山頂はすっかりガスに覆われている。遠目に見てさえ滝のように流れ下っているのがわかるほどだ。相変わらず稜線では風が強いのだろう。


こうして当初の”あわよくば米背負峠で下らずハマイバ丸・大蔵高丸を越え湯ノ沢峠まで出て…”という目論みは頓挫したが、それでも甲斐大和駅を9時前に出て夕方5時に戻るという、それなりに長い時間を歩いた一日になった。甲斐大和駅から景徳院までは30分、米背負峠下の林道から甲斐大和駅までは途中山道の通過も含めて2時間ほどで、車道歩きが多かったとはいえ、負荷はそれなりに高かった。
南大菩薩で人気があるのはやはり滝子山大蔵高丸・ハマイバ丸のあたりだろうか。前者は鋭角的な姿が良く頂上からの展望もよい。後者は湯ノ沢峠から比較的楽に登れて高原情緒も味わえ、眺めも良い。これらのすぐ近くにあるこの日歩いた稜線は古いガイドによれば”不遇と言われるほど静か”ということだが、ちょうどこの山域の季節だったのか、ハイカーの団体には三度すれちがったし、単独行者も3人ほどいた。みな新緑に誘われてやって来たのだろう。大鹿峠周辺では風と寒さに悩まされたが、揺れる葉に転がる水滴に潤いを感じさせられた山だった。
2006/06/04

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