東峰から棚洞山方面に下る途中にて

先日、お坊山南東尾根を登ろうとしたが取り付きがわからず、登れそうなところから登ってみたところ、尾根筋には峠道と見まがうほど広くて整備された道が続いていた。これはひょっとして本当に峠道なのだろうか、だとしたらこの歩きやすい状態のまま尾根を下っているのではないだろうか、尾根筋の道のりが心地よかったせいで山を下ったあとも気になり続けた。再訪して確かめるにしても、またどこから登るのかわからない恐れがある。では下ってみようと、大鹿峠経由で南東尾根に乗って末端をめざす計画を立てた。
里では春の声が聞こえ出すころでも南東尾根の山道はあいかわらず葉が落ちたままで眺めがよかった。肝心の道筋は、尾根上を歩いているうちは明瞭だったが、末端に至ると砂礫混じりの急斜面をジグザグに下りだし、中央高速道脇に出るころには踏み跡さえ怪しい状態になってしまった。峠道がこんな急斜面を下るわけもない。地元のかたがたが整備されたものなのだろうが、たくさんのひとに歩いてもらいたいという希望がこもっていたのだろう、少なくとも棚洞山からお坊山周辺についてはかなり丁寧な仕事をされたものと思う。確かにそれだけの魅力のあるコースで、季節を変えて何度か訪れたいものだと思う。


南東尾根再訪の出発点である大鹿峠へは笹子駅の一つ先の甲斐大和駅からとした。駅から歩いて半時ほどで武田氏ゆかりの景徳院の前に着く。山に登る前に立ち寄った境内は清々しい感じで、本堂に下がる武田菱の家紋が入った暖簾がよく目立つ。曹洞宗のお寺だそうで、ひょっとしたら坐禅道場があるかもしれない。
景徳院境内
景徳院境内
大鹿峠へを示す標識に従い、細い車道を上がっていく。ガイドマップによれば迷いやすい場所らしいが、このときは標識が要所要所にあって安心して歩けた。山の斜面に近づくころ、民家の軒先に出ている小さな白地の標識があって、てっきり細い路地でもあるのかと思っていると母屋と納屋を通り抜けるもので驚く。ちょうど出ていらした家の方に挨拶して通らせてもらう。
猿よけなのか、山側に延々と設置されたフェンスの一角にある扉を開けて山道へと踏み出す。氷川神社の鳥居をくぐるとすぐに植林に囲まれた立派な社の前に出た。かなり大きな神社だ。登っていく山道は急だがこここそ昔の峠道なのか平坦で歩きやすい。あたりが雑木林になると見通しがよくなり、大鹿峠をめざす尾根の上に乗れば左手間近に南大菩薩の主稜線が伸びる。右手上空に高々とせり上がっているのはお坊山山塊だ。いまでは送電線巡視路として使われている道は幅広で凹凸がなく歩きやすい。
景徳院裏から大鹿峠への尾根道
景徳院裏から大鹿峠への尾根道
景徳院を出てから40分ほど経ったころだろうか、山道は尾根上に立つ送電線鉄塔の真下で分岐する。左へ、鉄塔をくぐるようにして尾根筋をたどるものが現在では歩かれているようだが、右手、山腹をたどるもののほうが幅が広く、昔からのものはこちらなのではと思わせる。できれば古くからのものを歩きたかったのでこちらに入った。
出だしから枝が出ていて歩きにくいが、道形は明瞭だった。しかしすぐに文字通りの踏み跡となり、分岐から10分ほどで土砂崩れにより道形が消えているところにぶつかる。踏み跡は続いているので慎重に渡ってなおも行くと、すぐ次のナギにぶつかる。こちらは前のより幅が狭いが足下はより不安定だ。渡ってみて先の様子を木々の合間から透かし見たが、山道らしき痕跡は見あたらない。踏み跡もかなり薄くなっている。
大鹿峠まではそう遠くないように思えるのだが、このさき山腹を経巡っていっても安全なのか心許なかったので、稜線に戻ることにした。来た道を戻るのも気が引けたので、急斜面を木の根や幹にすがりながら登っていくことにした。爪先立ちこそしないが、三点確保の基本を外さず、手がかりに乏しいところは木の根をピンチングするなどほとんどクライミングだ。全身土埃まみれになりながら出た稜線には、おどろいたことに送電線鉄塔が立っている。先ほどの鉄塔の一つ上のものらしい。時計を見ると、素直に歩けばおそらく10分ほどのところを30分以上かかっていた。


尾根道は小さなコブに登り、右手に短く急激に下って大鹿峠となる。峠では風がさかんに吹き越していたが、とにかく驚いたのはU字型に抉れた深いガリーが峠南側のへりまで迫っていたことだ。きれいに磨かれたアバランチシュートのようで、これを登ろうとすることはもちろんのことトラバースさえ誰もしないだろう。田野側からの峠道がかつては大鹿峠に直接伸びていたとしても、いまでは跡形もないわけで、先ほどは深入りせず稜線に戻って正解だった。苦労してこのガレのへりに出たとしたら、相当ショックを受けたことだろう。
大鹿峠直下のガリー
大鹿峠直下のガリー
大鹿峠からは、お坊山をめざして細い尾根を登り出す。出だしは少々歩きにくく、すぐ左下を下っていく平坦な道筋に後ろ髪をひかれる思いだ。大鹿峠を越える峠道はやはり素直に大鹿川沿いに下っていく。20分も登ると、左手に南東尾根で歩いたような幅広の道が分岐している。入口は進入禁止のフィールドサイン代わりに木々が渡されているが、これに入ってみる。大鹿峠への登りでたいへんな目に遭ったばかりなのに懲りないものだと我ながらおかしい。まぁ今回は深みにはまりそうになったら早々に引き返すことにしよう。
5分ほどで、右へ同じような幅の道が分岐していく。どうもお坊山への登路に合流するようだ。さらにしばらくすると左手に下っていくものまである。右手の、山腹を同じような高さでからみ続けていきそうなものを選んだが、もし峠道であればこれほど分岐するはずもないので、これはゆったりとしたお坊山の山腹周遊を楽しむために造られた探勝路なのだろうと結論づけた。おそらく南東尾根上の道筋もそうにちがいない。
お坊山山腹道
お坊山山腹道
山腹道はとくに道標などないが、葉の落ちた季節であれば周囲の眺めがよいので、地図が読めれば自分がどこに向かっているかわかるので心配はない。左手に大きな滝子山を仰ぎつつ、雑木林のなかの快適な道を淡々と歩いていく。山頂への登山道から外れて40分、困難に出会うこともなく、東峰と棚洞山をつなぐ道筋に合流した。古びたベンチが置かれ、冬枯れの木々が投げかける影も長く、雰囲気はあいかわらずよい。左前方に低まりながら伸びている南東尾根と、すぐそこにある棚洞山を見下ろしつつ一息入れた。少々風が出てきていて、この高みでは寒くなりそうだ。誰も来ないだろうしここで食事休憩にしてもよいかと思えたが、やはりあの棚洞山山頂で端正な東峰を見上げ、滝子山と対峙しながらお茶を飲みたいものだ。
お坊山山腹道からの滝子山
お坊山山腹道からの滝子山
こうして休憩もそこそこに尾根を下りだし、15分ほどで棚洞山に着いた。予想通り、東峰は今日もキレイだった。また遊びに来たよとあたりの木々に挨拶してシートを広げ、湯を沸かす準備を始めた。前回同様に人影もなく、梢越しとはいえ眺めは広い。あとは下るだけなのでここでのんびりしよう。


下っていく南東尾根は、登ったときと同じく飽きることがなかった。右手に笹子川と周辺の人家や耕作地を眺めおろし、ときおり右手上空に本社ヶ丸や三ツ峠山のシルエットを仰ぎながら、春の賑わい直前の静けさの中を漂うように歩いていった。が、それもつかの間、尾根末端に至ると砂礫混じりの急斜面で、神経を使って下る羽目になったのは冒頭に書いた通り。もう少し穏やかに里に出してくれれば…と思うのだが、それは欲張りというものにちがいない。
今回は南東尾根の末端で山道がどのようになっているのか確かめたかったので尾根上を辿ったが、出版されている少し前の山行記録を見ると、棚洞山から尾根筋を真っ直ぐ下りず、北側の斜面を大鹿川沿いの林道に向かって下るものもあるらしい。幅広の道は棚洞山の頂を巻くように付けられており、山頂での休憩後、いったんお坊山側に戻ってこの道筋をトレースしたが、林道側に下る分岐は意識していなかったせいか見あたらなかった。ひょっとしたら消えかけているかもしれないが、探してみるのも一興だ。大鹿山、オッ立付近の探勝とあわせてコースを変えて再訪するのもよいだろう。紅葉の時期に歩くというのも素晴らしいはずだ。どうやら、このあたりを歩きに行く理由は当面尽きないように思えるのだった。
2006/3/21

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