越中沢岳から薬師岳。残雪が最も多く付いているのが薬師岳。その右は北薬師岳。3つのカールが全て見える。画面右側中央に赤いスゴ乗越小屋の建物が見える

折立から薬師岳、五色ヶ原

かつて好天の立山に登った折り、富士山まで遠望できる眺望のなかでひときわ目を惹いたのは、南方に柔らかく広がる五色ヶ原の草原と、その彼方に大きな山体を浮かべる薬師岳の姿だった。たったいま後にした一ノ越を隔てて高まる浄土山を越えていけば到達できる場所だが、薬師岳までなら数日かかる。いつかそのうち歩いてみたいと思いながら時が過ぎ、ほぼ忘れかけた頃、まるまる一週間の夏休みがとれることになり、ならばと避難小屋ないしテント泊での山行を考えるうちに思い出した。
帰りの交通の便を考えて折立を起点とし、太郎平に上がり薬師岳を越え、五色ヶ原を歩いて室堂に出る山中三泊の計画とした。久しぶりに背負うテント装備は運動不足の身には堪えて、山上の強烈な日差しと併せて終始バテ気味となったうえに過度の日焼けにも陥ったが、足下の花々にも周囲の山々にも飽きることなく、悪天候に見舞われることもなく、加えて、北アルプスということで懸念していたほどには人波が溢れてもおらず、夏の高山を満喫してきたのだった。


<<初日:2010/08/01(日) 薬師峠キャンプ場泊>>
前泊した富山駅前の宿泊先を出て、まだうす暗いなかを折立へ向かうバスの乗車場に向かうと、発車30分前だというのに三々五々登山者の姿が見受けられた。それでも日曜の朝だからか予約者数は22人で半分くらいの座席は空いている。自分も含めていわゆる中高年が大半で、単独行者が多い。荷が重そうなのは片手で足りるほどだった。稜線の小屋まで高度差1,000メートルを上がるコースはやはり人気がないのかと訝しむうちにバスは出発した。
走り出して半時もすると市街地を出るが見上げる空は雲だらけで本日の眺望は期待できそうにない。晴れないかなと窓から眺めていてもいっこうに雲が切れる気遣いがなく、そのうち飽きて眠ってしまう。例年通る林道が土砂崩れのため山中の迂回路を走るとのことで、ただでさえ長いのが余計に長くなっている模様だ。崩壊した林道だが、直すくらいなら工事中のトンネルを開けた方が費用もかからないとのことらしく、復旧作業は行われていないらしい。
二度目の休憩をとったバスは見通しの悪い林道を細かいカーブを切りながら下っていく。前方に見える湖面は人造湖の有峰湖だ。かつて田部重治が最初の薬師岳山行時に弟や甥たちと泊まった農家もこの膨大な水の下に沈んでいるのだろう。満室の看板が下がる清潔そうな有峰ロッジを見送り、あるはずの駐車場に入らず道路脇に駐車している自家用車がこれでもかというくらいに目立ち始めると、登山口真ん前の終点だった。バスが空いていたのは折立登山口が不人気なわけでもこのあたりの山域が敬遠されているわけでもなかった。
折立登山口の広場にて
折立登山口の広場にて。大木の左手が登山道入口 
車の数にも増して人の数が多く、富山駅前から三時間半以上かかって山深いはずなのにそうは思えない。バスのすぐ傍で中高年の(とはいってもここにいるのはほぼみな中高年なのだが)団体が、降車する登山者たちを物珍しそうに見ている。こちらも見返してみると、まるで里山歩きにでも出かけるような出で立ちで、背負っているリュックはみな小振りで平らに近い。まさかその格好で3,000メートル近い稜線に数時間かけて登るのではないだろうなと心配になったが、どうやら登山口周辺の散策路を歩くらしかった。
何で来たにせよ、みな山道入口前の小広い場所に腰を下ろしてなかなか出発しない。朝食を摂っていたりトイレを待っていたりらしい。すでに9時近くで、昨夜は太郎平周辺に泊まったかして下ってきた人たちも多い。雲ノ平は人影少なくとてもよかったとか黒部五郎岳は花が多かったとか経験談を交換する声が聞こえてくる。いずれも魅力的だがそれはそのうちとして、靴ひもを締め直し、汗拭きタオルを首に巻き、ストックを伸ばして、自分の計画の第一歩を踏み出す。


山道に入るとすぐ左手に十三重之塔が目に入る。初見では何の意味があるのかわからなかったが、傍らに立つ説明版に記載があり、1963年冬に遭難した愛知大生13名の冥福を祈るものだとわかる。いまは当時と異なり夏だが、広い稜線は濃霧に巻かれると方向を見失う危険があるとも聞く。明日予定の薬師岳は好天であることを祈りつつ塔を後にする。
十三重之塔 慰霊碑
”十三重之塔 慰霊碑
この十三重之塔は、昭和三十八年(一九六三年)一月、薬師岳登頂を目指したが、三八豪雪による想像を絶する猛吹雪と寒気のため、遭難死した愛知大学山岳部員十三名の慰霊のため、ご遺族と関係者により設置されたものである。(後略)”
傍らの碑文より転記
 
道のりは樹林帯の中で、じめついた足下は滑りやすく、木の根も出てところどころ急な登りがある。まだ歩き始めなので、ペースが遅いとはいえさほど休憩を取ることなく登り続けられる。1時間40分ほどで赤っぽい岩盤の斜面にさしかかり、これを登ると草原の尾根に出た。斜度がゆるんでだいぶ歩きやすくなった。風も通るようになり涼しい。しかし頭上は雲に覆われ、周囲の山々はガスの中だ。ときおり雨粒まで落ちてくる。期待した薬師岳の眺めもない。足下の花々がせめてもの慰みだ。
樹林帯の急登を抜けて草原の尾根道を行く
樹林帯の急登を抜けて草原の尾根道を行く
周囲の山はみなほとんどガスの中
ミヤマアキノキリンソウ
ミヤマアキノキリンソウ
イワイチョウ
イワイチョウ
ミヤマママコナ
ミヤマママコナ
ミヤマツボスミレ
ミヤマツボスミレ(たぶん)
緩やかになったとはいえ斜度はあるし、荷の重さに疲労も溜まりだしてきた。視界が閉ざされつつあるのでどのあたりが登り付くべき稜線なのか判然とせず、いきおい休みがちになる。あと1時間くらいで太郎平というあたりで疲れもピークとなり、広い山道脇にときおり出てきていたベンチに横になって、人目もはばからずグラウンドシートを身体にかけて雨除けにし、少々眠った。
いよいよ尾根が広がってたゆたうように見えてくると太郎平は近い。目立ちはじめたのはチングルマで、花が咲いているのと穂が出ているのと両方群落になっている。だがようやく太郎平山荘前までたどり着いたものの、薬師岳はあいかわらず見えず、稜線の反対側にある太郎山がようやく仰げるだけだった。小屋の軒下にはテーブルがいくつかしつらえられており、本日の行程を終えてくつろぐ人たちが談笑したりしている。小屋の売店でビールを頼むと、薬師峠のテント場でも売っているのでそちらで買った方が楽でよいのではとのことだった。確かにそのとおりなので早々にテント場である薬師峠に向かう。
薬師峠キャンプ場
薬師峠キャンプ場
すでに3時過ぎで、峠には1ダースほどのテントが設営されていた。沢の水量が多いらしく水音が大きい。受付を済ませビールを仕入れる。テントを立てて潜り込むと雨が降ってきた。うとうとしながら時を過ごし、日暮れ頃に外に出てみるとガスが上がっていた。谷筋の彼方に顕著な山が見える。黒部五郎岳だ。目をやるたびに夕闇の影に溶け込んでいく。明日眺められるかどうかわからない山の姿に、もっと早く外を眺めてみるんだったと悔しがった。
夕闇迫るキャンプ場より薬師沢の谷筋の彼方に北ノ俣岳(右)と黒部五郎岳(左奥)。
夕闇迫るキャンプ場より薬師沢の谷筋の彼方に黒部五郎岳(左奥)、北ノ俣岳(山頂は見えない)
<<二日目:2010/08/02(月) スゴ乗越小屋キャンプ場泊>>
早朝の3時にいったん目が覚め、星でも出ていないかと外を窺うと、厚ぼったいガスが谷間に充満している。今日も天気は悪いのかと失望して二度寝に入った。夜明け後に再び目覚めてみると、ガスはほとんど消えていて正面の黒部五郎岳が全身を現している。空は青く高い。こんなことならもっと早く目を醒ますのだった。朝6時、峠に日が差し込んできたなかを出発する。
沢沿いの岩の出た踏み跡を上がる。騒々しい水音を道連れにするのも半時ほどで、道のりは流水から離れ、ちょっとした草原となる。薬師平と呼ばれるここからは太郎山に再会し、その向こうの北の俣岳に対面できる。黒部五郎岳は谷筋の狭い空間から解放されて何もない空を背景にのびのびと立っている。こちらに向けたカール外側の岩壁が壮麗で、じつに魅力的だ。
ハクサンイチゲ
ハクサンイチゲ
薬師平の彼方に黒部五郎岳(左)と北ノ俣岳
薬師平の彼方に黒部五郎岳(左)と北ノ俣岳
樹林帯でも花は咲いていたが、ハイマツと草原の道のりとなってさらにとりどりの色彩が目立つようになった。撮影を言い訳に立ち止まる理由には事欠かない。周囲はいよいよ開け、黒部川に裾を洗わす山々が遠く近くにせり上がる。槍ヶ岳も笠ヶ岳も見えてくる。かつて田部重治がこの道を歩き同じ眺めを眺めたのかと思うと感慨深い。
タカネヤハズハハコ
タカネヤハズハハコ
ミヤマキンバイ
ミヤマキンバイ
山の上から重機の音が聞こえてくると、薬師岳山荘だった。ジュースを買い求めて飲みつつ、感じのよい女性オーナーのかたから話を伺う。前の小屋は築45年で雨漏りもするし、愛着はあったのだが改築することにしたという。いつから泊まれるようになるのですかと聞くと、正式には昨日からだとか。眺めはこの小屋の売りらしく、晴れた昨夜は皆して下界の花火大会を眺めたそうだ。
小屋を出て見上げると小さな小屋を載せた高みがピークのように見える。迷い薬師と呼ばれるニセピークで、かつてあの愛知大生たちがビバークし、東南稜に迷い込んでいってしまったところだ。砂礫の道を登っていき、振り返れば薬師岳山荘の背後に太郎平が見えてくる。その右には折立から上がってくるルートのうち尾根上のものが端から端まで眺め渡せられる。昨日好天であれば始終薬師岳を仰ぎながら歩けたはずだったわけだ。太郎平の先には太郎山、北ノ俣岳に繋がる稜線が悠々と延び、黒部五郎岳で突然高度を起こす。このコースもいつか歩いてみたいものだ。
迷い薬師まで達した登山道は山腹を抜けていこうとする。寄り道して高みに出るとケルンと地蔵堂がある。お堂の中には寄り添う子供を守るように立つ仏さまがいらっしゃったように記憶している。手を合わせてさらに歩を進めると足下に広がるのは予想以上に大きな中央カールだ。その向こうには黒岳や赤牛岳が大きい。名の通りかたや黒くかたや赤いのが一双の屏風のように視界を大きく占めている。雲がわき始めているが、裏銀座も槍穂高も相変わらず頭を並べている。ニセとはいえピークと名がつくくらいだからか眺めが広く、人影は少ない。山頂はすぐそこだが混雑していると煩わしいのでここで腰を下ろすことに決め、湯を沸かしてコーヒーをつくり、薬師岳到達記念とした。
薬師岳山荘付近から頂上方向を見上げる。中央に見えるピークはニセ薬師。山頂はその後ろ。
薬師岳山荘付近から頂上方向を見上げる。
中央に見えるピークはニセピーク。山頂はその後ろ。
薬師岳山荘の向こうに太郎平を見下ろす。右手下は有峰方面。
薬師岳山荘の向こうに太郎平を見下ろす。
    太郎平から右手尾根上に折立への登山道が見える。
岩屑重なる山頂。奥は薬師堂。
岩屑重なる山頂。奥は薬師堂。
山頂は午を過ぎたせいか思ったよりは人が少なかった。単に団体がいなかっただけかもしれない。山頂の薬師堂に向かって手を合わせ、本日いままで目にできなかった山々を見渡す。黒部湖の上に立ち上がる針ノ木岳、室堂方面の剣岳立山。薬師岳山頂から北薬師岳を結ぶ岩稜は間近で、ここからだと絶壁の上を行くもののように見える。しかも背後にガスを背負ってなかなかの高度感だ。山頂までのルートは幅広の安心できるもので、視界さえよければ易しいといってよいものだったが、これから先は少々緊張するところのようだ。
裏銀座方面に視線を戻して足下に目をやれば、黒部川の上ノ廊下が実に深い。『山と渓谷2010年8月号』記載の記事によれば、太古に赤牛岳西麓にあった堰止め湖の水が元々の流路である成願寺川ではなく黒部川へと落ちた結果がこの峡谷だという。赤牛岳から木挽山に続く稜線はどれだけ下刻されたのだろうか、数百メートルというところだろうか。げに浸食作用の力は恐ろしい。
中央カール越しに黒岳(水晶岳)、正面奥に槍ヶ岳と穂高連峰
山頂にて:中央カール越しに黒岳(水晶岳)、正面奥に槍ヶ岳と穂高連峰。
槍ヶ岳の左手前に鷲羽岳。さらにその右手前に祖父岳と雲ノ平。
上ノ廊下越しに後立山連峰。後景中央は針ノ木岳、奥は蓮華岳。左中景は奥木挽山
山頂にて:黒部川上ノ廊下越しに後立山連峰。
後景中央は針ノ木岳、奥は蓮華岳。上ノ廊下左手に立ち上がるのは奥木挽山。
雲海の富山平野を背景に北薬師岳。右手奥に剱岳(左)と立山が顔を覗かせている。
山頂にて:雲海の富山平野を背景に、金作谷カールを抱えた北薬師岳。
モレーンがうねっている。右手奥に頭をもたげるのは剱岳(左)と立山。
山頂を後にし、北薬師への登山道に入る。山頂で見えたほどには尾根は痩せていないが、岩だらけの登下降なので重い荷物だと足運びに慎重さが必要だ。薬師峠から山頂までの道のりがいかに楽なものだったかがよくわかる。だがとにかく暑い。しかし稜線上に日陰はほとんどない。通路途上のような北薬師岳山頂も立ち止まらずに過ぎ、ちょっとした岩室を見つけて休憩する。このあたりで動く気が鈍くなり、休憩かたがたフライシートをザックから出して広げて乾かしたりする。
立山から薬師岳へと縦走してくるとスゴ乗越からの登りが長いようだが、下りも長い。足下に咲く花々とガスの合間に望める周囲の山々に気を紛らわしながら炎天下のなか、岩の出た道のりを歩き続ける。ふと短パンで歩いている膝裏が妙に痛いことに気づく。日焼けだ。慌てて日焼け止めを塗るも、日が当たるとやはり痛い。高山ではこうなるということをすっかり忘れていた。慌てて剥き出しの脚を覆うものの、痛みは引かない。
ウサギギク
ウサギギク
アオノツガザクラ
アオノツガザクラ
小屋手前で咲いていたニッコウキスゲ
ニッコウキスゲ
二重山稜のさなかをいく踏み跡を過ぎ、間山というピークにさしかかる頃にはガスで日が遮られるようになってきた。振り返れば薬師岳の頂上部は雲の中に消えている。樹林帯のなかに入り、軽度の火傷で痛む足をむりやり前に出し続けていくと、木立の陰からエンジン音が聞こえてくる。ようやくスゴ乗越小屋だ。
テント泊の受付を済まし、昨日同様にビールを買って50メートル先のテント場に移動する。乾燥して平らな地面はほとんど先着者たちに占められており、唯一残っていたそのような条件の場所にテントを立てた。薬師峠に比べてここのテント場は狭い。大勢で来るところではなさそうだ。じっさい、設営していたのは見た限りみなソロキャンパーだったようだ。


ようやく泊まり場所を確保したものの、日焼けのせいで膝裏を中心として膝下の周囲がおそろしく熱をもっているのには参った。シュラフの上に横になっても痛くて困る。夜にいったん眠りについたものの、あまりの痛さに2時間ほどで目が醒めてしまってなかなか寝られない。寝る前に聞いた天気予報では午前中は曇りで午後は降水確率50%とかいっていた。この体調でその天気ではどこまで歩けるものか、まさかこの程度の日焼けで遭難救助を出すわけにも行かないし、明日はこのテント場で停滞として様子をみたほうがよいかも、などとすっかり弱気になった。
ふと気づくと再び目が覚めていた。ということはつまり寝ていたということで、寝られないのではというのは杞憂だった。痛みも若干引いている。外は暗く、起床予定時刻はまだだ。最終的にどうするかは明るくなってから決めることにした。
(つづく)

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