上州武尊山 至仏山から笠ヶ岳への稜線より上州武尊山

10月ともなれば山は寒い。テントで泊まろうとすればなおさらだ。
「上州武尊という山が尾瀬に行く途中の裏にあって、とても見た目がいいのよ」と言う知人がいた。いったいどんな山だ、紅葉のシーズンだしちょっと行ってみよう、と計画は決まった。お手軽コースの往復ではつまらないので山中一泊のテント山行となった。しかしこの山に行くことにした発案者はおそらく修験道の山としての性格に惹かれたのだろう。実際山中では山伏姿の修験者に出逢いもした。秋とはいえあんな暑くて重そうな格好をしながら軽々と歩いていくのには驚かされる。


1993年の10月の連休に上越新幹線で上毛高原へ。そこから湯ノ小屋温泉方面のバスに乗り、武尊橋というところで降りて脇の車道を遡上し武尊神社に出る。ここから山道だ。やや行くと急な斜面の山腹を絡むようになる。本日はテント泊なので荷の重さに4人いるメンバーのうち私を含む3人のいずれかが30分毎に休憩を要請し、歩みの捗らないことおびただしい。自分自身を引っ張り上げるようにして尾根筋に乗ると、手小屋沢避難小屋はすぐそこだった。
小屋は狭くて3人も入ればいっぱい、しかも先客もいたので予定通りテントを張る。敷地は狭かったが二張り設置できた。沢が目の前なので水には事欠かない。食事も終わって5時にもなると視界の範囲で日の当たっているところがどこにもなくなり、寒さがこたえ始める。闇も急速に迫ってくる。急いで食器類の後かたづけをし、なけなしの酒類と軽食を集めて広い方のテントに皆して集まったのはまだ6時前だった。
10月上旬とはいえ山の夜はほんとうに寒い。酒がある程度進んだところで気分を変えてお茶にしようという提案が出たが、誰も外に出てお湯を沸かそうとしない。結局用足しのついでに私が外へ。出ると、頭上は満天の星。驚いたことに天の川が見え、北斗七星の柄杓の柄にあたる部分に二重連星のアルゴルが見える。同行3名のうち2名は大喜びで寒さも何のそので飛び出してくる。「まるでプラネタリウムのようだー」。ただ一人、この星空を怖がってトイレに行くのにも気晴らしに歌を大声で歌っていく人もいた。その様子を見て、何千年かに一度の夜を迎える惑星の人々の運命を描いたアイザック・アシモフの傑作短編「夜来る」を思い出した。


目が覚めると、朝の光でテントの中はすっかり明るい。もう6時だ。張りつめた空気は爽快で体調はそれほど悪くない。夜じゅう私の大いびきを聞かされて寝不足の他の面々はかなり不満げだったが。
朝食後、テントを撤収してまずは藤原武尊を経て最高峰の沖武尊を目指す。登るに従って紅葉の山並みが周囲に広がってくる。だが誰もこのときカメラを持ってきていない。「なんて残念!」。彼方には至仏山が見え、そこから笠ヶ岳の親子を越えて続く気持ちよさそうな稜線が見える。いつか歩いてみたいと思ったものだが、ここにはそう遠くない時期に行くことが出来た。
さて登り着いた沖武尊からは中ノ岳、家ノ串山、前武尊と続くピークが一望にできる。「まだこんなに越えるべきピークがあるのかー」というのが皆の正直なところの一つ。そこから下りたところにある笹清水で喉を潤していると後からやってきた山伏姿の修験者が軽々と我々を追い越していく。そういえば真新しい銅製の仏像だったかが建立されていたところもあったし、信仰がまだ息づいている山なのだとわかる。山中で修行をするためには必須の鎖場も多く、自分たちも何度も渋滞した記憶がある。
鎖場に岩場と言えば、もっとも岩塔が立ち並ぶという不動ノ峰には行っていない。剣ヶ峰あたりで休憩していると、不動ノ峰を登ってきたらしい年輩の単独行者が我々に興奮した面もちでその凄さを語って聞かせてくれた。「○○岩というのがハングした岩で、これを越えてほっとすると次に出てくるのが××岩と言うんだよ!」。あとになって仲間内で「あれは言うなればクライマーズ・ハイって言うものかな」などと話し合ったものだ。やはりひとは困難を切り抜けた直後はどうしても他人に自分の行為を説明しなくてはいられないようだ。私も自宅の隣が火事になった直後はそうだった。場合がちょっと違うかもしれないが。


下山までにはかなり時間がかかったが、何せ重たい荷物を背負っての登りなのだから歩みの遅さは仕方あるまい。それでも歩き通せたのは当時の自分たちとしては特筆もので、一番丈夫なメンバーが山行後に「(自分以外の三人が)ほんとうに歩けるのか心配だった」と言っていたくらいだ。
本日最後のピークである前武尊からの下りは山道の後に続く林道がまた長かった。途中の木賊温泉でタクシーに来てもらったときはすでに日が暮れており、真っ暗な中を本日の宿である川場小学校近くのSLホテル前で下ろしてもらったのだった。
1993/10/9-11

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