観音山(瀧峩山)麓の車道から観音山を見上げる

吾妻線沿線の岩櫃山に出かけようとしていた矢先、そのすぐ隣にあるこの山のことを雑誌『新ハイキング』#541(2000年11月号)の「岩櫃山と瀧峩山(筆者注 観音山のこと)」という記事で知った。面白そうだからここにも寄ってみよう、登山口から山頂を周遊しても一時間ほどだし。標高は530メートル。これだけならどうにも歩き足りない。やはり岩櫃山とセットで歩くのがよいと思う。
登山口にある説明書きによれば、もとは「松山」とか「岩鼓」と呼ばれていたそうだが、山中に観音像を祀るようになって観音山と呼ばれるようになったらしい。最寄りの群馬原町駅にある観光案内板でも「観音山」という名で紹介されている。一方で市販のガイドでは「瀧峩山(りゅうがさん)」の名が使われるようだが、これは登山口にある不動堂の正しい名前、つまり「瀧峩山不動尊」から来ているのだろう。しかし惹かれるのは昔の名の「岩鼓」で、風情がありながらこの山の性格も暗示していて優れたネーミングだと思う。これが現在に引き継がれていれば山の知名度も今より上がったことだろう。
ここには小さいながら二つの峰があり、高い方の「東山」には西国三十三番と板東三十三番、「西山」には秩父三十四番の観音像が安置されているという。だが観音山の魅力は全部で百体の観音様というよりも、その納められている場所、山の至るところにある天然の岩窟や石門にある。登山道のない西山を含めるとその数は二十を下らず、この高さでこの数には驚かされる。山じゅう穴だらけという感じだ。しかも人が立って入れるようなものも多いときている。ちょっと寄り道して見て回るには十分なほど楽しい。しかも登り口には見事な滝まで落ちている。行って損はない。(ただし絶対に観音像は持ち去らないでください。)


岩櫃山に登り、岩櫃城跡を見物したあと、大して距離のない車道を歩いてこの山に向かった。このときは「瀧峩山」だとばかり思っていたので、車道の途中に「観音山へ」と記された真新しい道標をみつけても、「きっと別な山への案内だろう」とそのまま素通りしてしまった。車道を辿って大回りして登山口に着いてみると、そこにあった案内板では「観音山(瀧峩山)」とある。なんだ、そういうことか。先ほどのところから山道を入れば、石門をくぐり不動の滝の脇を通って今いるところに出るようだ。
その滝だが、一見の価値はある。車道だけを通って向かう場合、あたりに響く轟音の源に引き寄せられて上り気味に行くと、前方に見えてくる。周囲が明るいのにそこだけが暗く、その中心に白い瀑布がかかっている。三重の滝とも呼ばれるとおり、落ち口から三段に水しぶきを上げていてなかなか立派だ。二段目の滝が左から張り出した大岩に遮られて全体像が見えず、それが豪壮さに神秘性を加えていて眺めて飽きない。見下ろす滝壺は広く、視線を落ち口の辺りに上げれば、いったいどうやって張ったのか、かなり離れた両岸の切り立った岩に注連縄が渡されている。文字通り目も耳も吸い付けられてしまった。右手にある堂が大小の奉納された鉾を軒下にいくつも掲げているのもすぐには気づかなかった。
不動堂の前を登山口に戻り、山道に入る。大回りした車道からも観音山の中腹に開いた岩窟のいくつかを見上げることができたが、登り出すとすぐ最初のが右手に現れる。「胎内窟」と言って左右に開口部があり、奧で繋がっているものだ。その向かいには「北向観音窟」というのがあって、少し登って覗いてみると、名の通り観音様が鎮座している。さらに山道を進むと、昔に金を採掘したのか、「金掘穴」という横穴洞窟が現れる。これは前のと違って人工のもののようだ。真四角に穴が空いている。
右手の斜面をからんでいくと分岐となるのだが、目の前に突き出している「象ヶ鼻」という大岩に驚かされる。左手の山の斜面から高さ3メートル、長さ10メートル、奥行きは5メートルくらいだかの長方形の岩が突き出しているのだ。見た目は鼻と言うよりは舌というのがふさわしい。上で飛び跳ねたらどさっと落ちてきそうな気がして仕方ない。よくまぁ長いことこんな状態でいたものだと感心するが、コースがこの下を通っているのには参る。「これまで大丈夫だったんだから、今崩れてくるなんてことはやめてくれよ」と思いつつ、背をかがめてくぐり抜ける。これもぜひ実物を見ていただきたいと思う。
真横に飛び出した「象ヶ鼻」
象ヶ鼻。この先左手に岩窟が並んでいる
この先にも岩窟群があり、「南大岩窟」とか「大日窟」とか、名前も仰々しいのが次々と現れる。見上げる高さにあったり岩が入り口に散乱していて入るのに躊躇するが、そのいずれにも観音様の石像が納められているようで、これもまた信仰の力というものかと多少畏怖の念も湧くのだった。岩窟をひとつひとつ詳しく見ていくとかなり時間がかかりそうなので、象ヶ鼻を潜り抜けてからは入り口を眺めるだけにしたが、それでも次から次へと出てくるものだから足元がおろそかになり、本来の登山道を外れかけもする。
観音像が納められた石窟
観音像が納められた岩窟
あたりには見るものも多いが、不動の滝の水音がうるさいくらいに大きく響きもしている。谷を隔てて向かい合う低い山並みの斜面とこちらの山がこだましあって音量を増幅しているようだ。そうこうするうち山腹を回り込むようにして灌木帯の中を過ぎ、滝の音も聞こえなくなって山頂の肩に着く。ここはよくあちこちで見ている穏やかな山中の光景で、耳目に圧倒的に迫るものがなくなって落ち着く半面、空虚感に似たものも感じるのだった。
山頂には破損してだいぶ経っている大振りの灯籠や石碑が立ち並び、群馬原町駅方面を静かに見下ろしていた。その手前に腰を下ろして簡単な食事休憩とする。なんのことはない、さきほど歩いてきた岩櫃山で食べきれずに残った市販のおにぎりを食べるだけだ。それからグラウンドシートを広げて横になる。「賑やかな」山なのにだれもいない。半時ほど昼寝をし、のんびりした気分になった。


登ってきたのとは反対側に下る山道に入るとほとんどすぐに「象ヶ鼻」脇の分岐で、来た道を戻って車道に出る。そのまま歩を止めず、遊園地の乗り物を降りた後のような気分で群馬原町駅へと下って行った。駅近くになると、欲が出てきた。「まだ2時だ。隣の中之条にある嵩山(たけやま)にも行ってしまおう」と。
2001/9/23

追記: この山のガイドが記載されているのは書籍だと上毛新聞社『野山を歩く100コース』くらいかと思う。山から帰ってきてからここに記事があることを知った。なお、この本では目次上の山名表記を「滝峩山(りゅうがさん)」としている。
追記2: 2001年10月15日に出た山と渓谷社の『東京周辺の山350』にあるガイド「郷原駅から岩櫃山」でこの山のことが紹介されているが、山名を「滝峩山」としたうえに「滝峩」を「たきが」とルビを振っている。「りゅうがさん」なのか「たきがさん(やま)」なのか本当のところはわからないが、そこは影響力の強いヤマケイ、きっと「たきがさん(やま)」でこの山の名は定着していってしまうのだろう。
(市販本ではガイドなどないだろうと思って例外的に書いた概略図を、捨てるのももったいないという理由で別ページに掲載します。興味のある方はこちらを参照して下さい。)

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