弘前城から望む夏雲を湧かせた岩木山

岩木山

青森県の山といったら八甲田山と奥入瀬渓谷を歩いたぐらいで年月が経ち、「東北地方の山」といったら盛岡以南しか考えないようになった年の夏、連れが青森市に行きたいと言い出した。仕事の関係で会いたい人がいるという。年は2011年、ちょうど東北新幹線が青森まで延伸し、関東の駅で盛んに青森への旅行キャンペーンを繰り広げていたときのことである。遠出するなら「では山は」と思うに、やはり岩木山を登っておくべきだろうと考えるのだった。津軽を代表する山であるし、未踏でもあるし、安く泊まれる宿のある町(弘前のことだが)からでも日帰りができる。休みの予定の都合上、自分だけ先に陸奥の地に赴き山登りすることにした。


久しぶりに北の地で一晩過ごして明けた朝、弘前駅前から嶽温泉方面行き一番バスが出るのはそう早い時間帯ではなかった。通勤通学に向かう人の流れに抗して停留所に向かう。乗り込んだ車内には山に登る人の姿があったものの、平日だからか、山懐の岩木山神社の前で下りたのは自分だけだった。ここから岩木山への代表的な登路、百沢コースが始まるのだが、いまや下から歩く人は少ないのだろう。
岩木山神社は予想以上に境内が広い。入り口からして駐車場が広い。その片隅で、本日もまた暑くなることを見込んで、かき氷を売る屋台の主が早々と氷を砕いている。きっとあれが恋しくなるのだろうなと思いつつ夏雲の湧く気配の空を仰ぎ見る。参道の木々の合間、神社の社殿の遙か高みから、岩木山がこちらを見下ろしている。
岩木山神社前から見上げる岩木山
岩木山神社前から見上げる岩木山
参道脇は広い
境内にて
拝殿へ
参道は長い。宿坊らしき建物がそこここに見える。ようやく拝殿近くまで来てみると、あちこちで掃除が始まっていた。拝殿の前では土木作業員らしき人たちが人の背丈ほどの杭を参道に沿って打っている。一週間後に迫った"お山がけ"の準備なのだろう。階段を上がってみると立派な拝殿が目の前に迫る。こんな山里にこんな規模の建物がと驚く。この神社は重要文化財級がいくつもあり、それぞれが荘厳なうえに美しい。まだ朝なので訪ねる人も数えるほどしかおらず、神域の雰囲気に浸るには十分な落ち着きが漂っていた。そのなかで本日の登降の無事を祈願する。拝殿のなかでは神職のかたが長箒で畳を掃いていた。


どこから登山道なのか最初は戸惑ったが、拝殿からいったん下って右手に行くと太い石柱が建っていて、深々と彫られている文字を読むと「岩木山神社奥宮登拝口」とある。なるほどここだ。杉林のなかを神社を横目にゆるやかに登り出す。
車道にでくわすと桜林公園という園地で、夏なので葉ばかりの桜がゆったりと植えられている。ふたたび車道に出くわすと今度はスキー場だ。少々驚いたことには、登山道は建物の下に開いた空間を潜っていく。くぐり抜けて振り返ってみると、スキー場のレストハウスらしかった。見渡してみるとロッジ風の建物も目にはいるが、夏は休業のようだ。見上げる岩木山はすでに山頂に雲がかかり始めている。低いとはいっても独立峰、夏山は午後になれば雲が湧く。山頂から少しは眺望が得られればよいのだが。前後左右の展望は山道が樹林帯のなかに吸い込まれるとともに消える。案内にはここからしばらく眺めがないとある。木々を眺め、意外と歩きにくい足下に気を遣いつつ、汗を拭き拭き黙々と登るのみだ。
ほとんど足下ばかり眺めて1時間ほど登ったところで、姥石という岩がある場所に着いた。ガイドにはヤグラが建っているとあったがそれらしいものはない。頭上が開けたものの、日差しが差し込んで暑くもある。岩の傍らに立っている標柱を見ると、側面に記載があり、往時ここから先は女人禁制だったとある。後日、たまたま読んだ『日本の女性登山史』に、岩木山へ登拝する女性はじっさいにはわりと多かったらしく、藩政時代には「怪我をしたり、風紀が乱れたとして、禁令を出した」とあった。冒険心なり好奇心なりは時代や性別にとらわれないとうことだろう。なお、女人禁制は明治政府によって解かれたが、その翌年に還暦の女性が岩木山に単独登頂して地元を驚愕させたという。公的にはこの人が女性の岩木山登頂第一号に認定されているそうだ。
姥石を過ぎて
スキー場脇にて
山道にて
登山道にて
木々の背丈が低くなり、周囲が透かし見えるようになった。道のりが平坦にもなって気分的に一息ついていると、前方から騒がしい水音が聞こえてくる。水しぶきを上げる清冽な沢だ。タオルを外し、帽子を脱ぎ、汗まみれの顔と手を洗って一時の爽快感を味わう。さてそろそろだろうと思っていたら、案の定、焼止ヒュッテはすぐだった。


小屋前は開けていて条件さえよければ結構な眺めが得られるのだろうが、いまやガスが周囲を覆っていて下界はまったく目に入らない。外に出ていても暑いだけなのでなかに入ってみる。コンクリートブロック造りの建物は壁のひとつにいわば三段ベッドが二列造りつけられている。それほど狭い感じはしないが、奥の壁を見ると水の染みがあちこちに広がっており、湿度が高いようだ。戸やら窓やら全開にして空気を入れ換える。吹き込む風が心地よい。小屋内部を見上げてみるとかなり高いところに冬期出入り口がある。あのあたりまで積もるということなのだろう。
開け放したのをみな閉めて外に出る。平坦路はすぐに深い沢をへつるような道筋になる。これが大沢と呼ばれる沢だ。はっきりした水流が見えず、水音も聞こえるかどうかだったが、登るにつれて白い流れが目につき、音も大きくなる。谷間も狭く切り立つようになり、足下が危うくなる。岩場も出てくる。岩木山は富士山型の山なので登路は単調に違いないという以前からの思い込みはここにきて誤りだと実感した。
大沢。上流に行くにしたがい水量が増える不思議な沢。
大沢。登るに従い水量が増える。
麓を振り返る
麓を振り返る。登ってきたスキー場が見える。
谷間に響き渡る水音がかなりの音量となったところで、沢底が広くなり、両側に切り立つ斜面が少し遠くなると、前方からおそろしく豊富な水音が聞こえてくる。錫杖清水だ。パイプからどぼどぼと流れ出る水が遠くからでも目立つ。こんなに水量のある湧き水は初めて見た。飲んでみると甘くて美味しい。再び手と顔を洗う。あたりをよく見ると、すぐ隣の小さな岩窟から絶え間なくわき出る水がある。これが本来の錫杖清水なのかもしれないが、いずれにせよここでの湧水量は相当なものなのだった。
すっかり穏やかになった大沢を行く。見上げる谷間の先には岩塔が見える。現地表示で大倉石とされるものだ。その麓に達すると、右手に池が見える。種蒔苗代と呼ばれるもので、周囲を見渡せば火口湖だとすぐわかる。水面の向こうには岩木山本峰の斜面が上へと延び、そこここに岩塔を配して優美なだけの山ではないことを誇示している。山道は池の脇を通って少々上がり、鳳鳴ヒュッテの前に出る。そこから先はリフトで上がってきた人たちと合流だ。なので喧噪を避けて休む場所はここ種蒔苗代が最後だろう。いままでの登りでくたびれたので池の近くにあった岩を枕に横になり、心地よい風にあたっているうち、気分よく眠ってしまった。
種蒔苗代
種蒔苗代
脇を歩く人の足音に目が覚めてみたら、15分ほどしか経っていなかったが、だいぶ頭がすっきりしていた。では、とばかりに意を決して賑やかルートに合流する。鳳鳴ヒュッテ前は自然と休憩ポイントになるのか人だかりが激しい。内部は焼止ヒュッテと似たような造りで、二段二列の寝所があった。一カ所は物置状態になっている。どうもあまり使われていないような風情だ。なぜこの小屋が建てられたのかを考えると内部の雑然感は残念と思える。
ここから岩の出た道を登る。いったん平らになり、トタン板の散乱を左に見る。あとでリフト乗り場にあった岩木山散策ガイドを見ると、このあたりに売店があるように記載されていたので、その跡なのだろう。9合目まで歩かず登れるのでいろいろな人が元気に得意そうに登ってくる。適度な困難は人を高揚させるものだが、この山頂直下の岩混じり斜面はまさにその条件にうってつけらしい。とくに子供は(高校生ぐらいまでを含めて)嬉々として登っていく。
だから山頂も賑やかだ。高度差1400メートルを徒歩で上がってきた身にはお気楽に過ぎる光景に見えるが、それは岩木山のせいではない。岩木神社奥の院に詣でた後、大岩の積み重なる山頂を経巡って人の来なさそうな場所を探し、人声が響いてこず、かつ眺めのよい場所を見つけて腰を下ろす。眼前には山頂部に三つあるピークの一つ、鳥海山が、左右に長い頂稜を悠々と延ばしている。ガスが周囲を閉ざしているなかで唯一よく見える景色だ。あまりにゆったりとしていて、ガスが晴れて全貌を現しても、どこが一番高いところなのかわからないほどだ。
岩陰に咲く
岩陰に咲く
山頂避難小屋の向こうに雲湧く津軽平野を望む
山頂避難小屋の向こうに雲湧く津軽平野を望む
種蒔苗代を見下ろし鳥海山を遠望する
種蒔苗代を見下ろし鳥海山を遠望する。右手に落ち込むガレは鳥の海噴火口
ガスは日本海側から流れてきては視界を完全に閉ざしたり、一瞬、周囲半分くらいの視野を広げたりする。日本海の海岸線は眺めることができたが、北海道はもとより、弘前市街地、八甲田山群は目にすることができなかった。白神山地らしきは遠望できたが、どのピークが何という名なのかまでは判別できなかった。地図とつきあわせようとする間にガスがやってきて視界を閉ざし、しばらく見えないままにしてくれるのである。こうして頭を左右に巡らしつつ、じっさいのところガスの流ればかりを眺める時間が過ぎていった。しかし気分の底には達成感があった。鳥海山が見えているだけでも眺望としては十分だった。


さて下山しよう。当初は嶽温泉まで歩いて下ろうと考えていたが、温泉から弘前に向かうバスの時刻に間に合わないので9合目からスカイラインをバスで下って乗り継ぐことにした。加えて、だいぶくたびれたのでリフトにも乗ることにした。そうしないと山頂での滞在時間がかなり減るからなのだった。今回の山は、予想以上に休憩時間が長かった(なにせ昼寝までしたのだから)。
岩がごろごろする急坂を下り、鳳鳴ヒュッテから大倉石を大回りするように整備された登山道に入る。平坦かと思っていたらかなり下る。車とリフトで上がってきたからといってそう簡単に山頂までたどり着ける訳ではなさそうだ。もうすぐリフト乗り場だというあたりで、左手に巨大な擂り鉢状地形が広がる。噴火口跡の鳥の海だ。地図を見ると底に池があるように見えるが、覗き込んでみると干上がっていた。荒々しい崖に囲まれて、豪快な火口跡だった。
もうリフト乗り場はすぐそこというところで間違えて、乗り場すぐ裏のピークに登っていってしまった。まさに高いところが好きな煙状態である。50,000分の一地図ではわからないが、25,000分の一地図ではここが鳥海山の最高点にあたるらしい。さらに頂稜を突端まで行きたかったが疲れていたしバスの時間も迫っていたのでここまででよしとした。鳥の海噴火口を隔てて見る岩木山本峰が三角錐のじつに美しい姿を見せる。鳥海山に寄るつもりはなかったが、結果的に来てよかった場所だった。
鳥海山から鳥の海噴火口越しに見上げる岩木山
鳥海山から鳥の海噴火口越しに見上げる岩木山
やっとリフトに乗り込んだ。横着して下るわけだが、下りだから周囲を広く見渡せて、これはこれで悪くない。見晴らしのないなかを慌てて下るよりはよいだろう。なにせ下から登ったのだから、下りは端折っても津軽富士は許してくれるだろう。


下った先は広い駐車場があり、その隅にバス停があった。見上げれば岩木山本峰が雲を振り払って姿を現している。もう少し早くそうなってくれていれば山頂からの眺望をもっと楽しめたのにというのは野暮というものだろう。やってきたバスに乗り込んだのは自分をいれて3,4人ほど、みな単独行者だった。嶽温泉で乗り換えたバスは延々と岩木山の麓を走り、ようやく山を背にするようになる。振り返ってみると”嬋娟たる美女”は静かに背を伸ばし、何事もなかったかのようにこちらを見送っていた。
2011/08/19

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