朝の大白森から秋田駒を望む

八幡平から秋田駒ヶ岳へ

山行二日目、体力面での準備不足のところにひさしぶりの長時間歩行は確実にこたえた。下界でこの夏最高気温だったとラジオが伝える暑さが拍車を掛けた。八幡平の茶臼岳から八瀬森山荘までコースタイム9時間ほどのところを休憩込みで13時間ほどかけて歩いたわけだが、かなり頻繁に水のことを思った。飲むのはもちろん浴びたいと。期待に反して八瀬森山荘の水場の流れは細々としたものだったが無い物ねだりを山中で言ってもしかたがない。タオルをできるだけ下流に浸す。流れは浅くてゴミが付くが構っていられない。顔やら腕やら拭きまくると汚れで白い布地が変色し、全身汚れや埃だらけなのがわかる。ともあれいくらかなりともさっぱりして小屋に戻った。
今晩泊まりあわせることになったかたは朝9時台に乳頭温泉の鶴の湯を出発し、小白森、大白森に曲崎山を越えてここ八瀬森までやって来たという。着いたのは一時間前、夕方5時だったそうだ。それでも歩いている最中に脚がつりそうになり、慌てて梅干し(だったかな)を食べて事なきを得たという。なにしろ倒木が多くて参ったとのこと。ここからだと八瀬森、曲崎山、大沢森あたりまで続くらしい。おかげで疲労は相当のもので、夕飯はつくったものの全然食べる気がしないと言われていた。こちらも食べる気はもとよりつくる気すら起こらず、とりあえず湯を沸かしてフリーズドライのコーヒーを飲むくらいだった。
明日も今日同様に暑くなることだろう。熱中症対策のひとつに盛岡駅の駅ビル地下街で仕入れた茶葉で日本茶をつくり、500ミリリットルのペットボトルに注ぐ。入れたては手に持てないほどだが、明日の朝には冷えていることだろう。


<<三日目:2007/07/25(水)>> 八瀬森-曲崎山-大沢森(大白森山荘泊)
開けた翌朝、二人ともようやく食欲が出た。相宿のかたは大深岳を越えて松川温泉に下るため先に出発していった。こちらの本日の行程はコースタイムだと4時間程度なのでゆっくりする。この山行に出る前に読んできた『東北の避難小屋144(改訂版では150になっている)』だと急遽泊まることにした大白森山荘の水場は涸れていることが多いとあったはずなので、持参の2リットル容器だけでは心許なく、小屋にいくつかあった2リットルペットボトルの1つを頂き、水場に出て中を洗って汲み入れる。大白森で水が得られなければこの合計4リットルで翌夕の田代平山荘まで持たせなければならない。
八瀬森山頂に続く眺めのないオオシラビソの森のなかを上がっていく。本日もまた日差しが強い。暑い暑いとあえぎつつやたらと重い荷を担ぎ上げて山頂かというところに出てみるとまだ先で、30分も登っていないのにほんの少しの日影があると荷を投げ出して休憩に入ってしまう。水を余分に背負っているため昨日以上に疲れる。予想より倒木が多くないのが救いだ。先に出たかたは今ごろどのあたりを歩いていることやら。大きな湿原が出てきたら倒木帯は終わりと伝えてあり、小屋から一時間ほどで抜けられるだろうからもう今はもう楽な足取りになっているかもしれない。
八瀬森小屋前に広がる朝の湿原 (左) 八瀬森小屋前に広がる朝の湿原

(左下) 八瀬森と曲崎山の鞍部で出会うブナの木々

(下) 曲崎山の登りから大深岳とオオシラビソの森を振り返る。奥は岩手山
八瀬森と曲崎山の鞍部で出会うブナの木々 曲崎山の登りから大深岳とオオシラビソの森を振り返る
八瀬森の山頂は標識が立つだけの通路途上風情で、ササとオオシラビソに囲まれて眺めがないのに日の光が十分に回って暑苦しい。登り同様のだらだらとした斜度を下っていき、ふたたび登りに転じだして曲崎山との鞍部を越えたことを知る。気づくと頭上で葉擦れの音がする。ブナだ。先ほどから耳に入っていたのだが、意識に上ったのはようやく今になってからだった。葉群のそよぎも程よいものであれば水の流れと同じく人の心を落ち着かせる。だからここでまた休憩だ。前日の疲労が睡眠だけでは回復できず、休憩のたびに寝そうになる。
曲崎山の傾斜のある登りになると眺めが開け、振り返ると八瀬森がすでに低い。その先にあるはずの小屋の建つあたりは山影で見えない。背後には大深山から延々と下る広い尾根がとりとめもなくひろがっている。下部は倒木が何度も行く手を阻む尾根だが遠目ではそんなことはわかりようもない。左手彼方には裏岩手縦走路、左端の畚岳のさらに左奥には八幡平が茫漠とした図体を広げている。八幡平の描くスカイラインはやはり秀逸だ。西方にある焼山との鞍部から始まる尾根はどこから頂稜となるのか区別がつかない。それくらい滑らかに高まっていく。このなだらかさを見て粘度の低い玄武岩でできているのだろうと思ったのだが、八幡平パークサービスセンターで入手したガイドによると実際にはデイサイト混じりの安山岩だそうで、山の姿から過去においてはアスピーテ火山であると分類されたが現在では台地状火山とでも言うべきとある。
曲崎山の山頂近くになるとふたたびオオシラビソの木々が鬱蒼と佇立して迎えてくれる。その黒々とした様相がなんとも暑苦しい。ようやくの思いでたどり着いた曲崎山山頂は八瀬森同様に見晴らしのないところで、午近くのせいで木陰もほとんどない。少し先まで進んでみると秋田駒を正面に急な下りが始まり、休むところもなさそうなので山頂に引き返し、日影になっている道ばたのササを押し倒してシートを広げ、腰を下ろす。持参の扇で仰いで身体を冷やし、呆然とあたりを眺め、風の音を聴く。ときおり昨晩つくっておいたペットボトル入り日本茶を飲む。横になっているわけではないのだがいつのまにかまどろんでいる。そんなことを繰り返しているうちに一時間半が経った。いいんだこれでと言い聞かせる。全感覚を総動員して森に浸っているのだから。じっさいには暑くて疲れて動きたくないだけだが。


しかしいつまで休んでいても遠くの山が近寄ってきてくれるわけはなく、重い腰を上げる。急傾斜を下るうちは眺めが良い。秋田駒の左手には乳頭山がゆるやかに見える。その右手に明日辿る田代平への稜線が伸びているが、なだらかながらなかなか長い。明日は明日でたいへんになるかなと思ううちにまた森のなかに入っていく。
曲崎山の下りから秋田駒(右奥)から乳頭山に続く山並みを見渡す
曲崎山の下りから秋田駒(右奥)から乳頭山に続く山並みを見渡す。
秋田駒の左は湯森山。さらに左に笊森山。その手前に乳頭山山頂が重なる。乳頭山から右手に長々と小白森・大白森に至る稜線が伸びる。乳頭山左奥の三角形の山は裏に雫石スキー場のある高倉山。
本日の予定だと越えるべき残りは大沢森のみとなる。曲崎山との鞍部らしいところにさしかかるとちょっとした湿地で、ミズバショウに似たのが大きな葉を伸ばしている。湿地の水は、山道の脇から流れ込んでいる。よく見るとその元は湧き水で、水の出口はかすかにだが波打つほどの勢いがある。カップを出して掬って飲んでみると冷たくて美味しい。もしここにこれがあると知っていたら八瀬森山荘から4リットルを背負っては来なかったかだろう。市販のガイドマップにはこの水場は出ていないようだが、八瀬森山荘の壁にかかっていたこのあたりの地図には水マークが付いていた。かつては信頼できる水場だったのが、近ごろは涸れることもあるということだろうか。
大沢森は本日の八瀬森、昨夕の関東森のように、山らしくない山だった。たいていの山はたとえ嘘でも「そろそろ山頂かな」と思わせるものがあるのだが、このあたりの××森というのは、裏岩手縦走路上の険阻森を例外として、なだらかな山頂部と木々による展望のなさのため、いつ山頂となるのか予測がつかない。唐突に山頂標識が出てきて山頂とわかるだけだ。
地形図から予想される大白森との鞍部を越えたあたりで、右手に小屋の姿が見えた。本日の泊まり場である大白森山荘だ。4時間未満のコースを8時間かかっていた。大白森山荘は近年改築されたらしくきれいなつくりだった。しかし厳冬期仕様なのか、一階はコンクリ床で実際に宿泊できるのは六畳くらいの二階部分のみとなっている。ストレスなく泊まろうとしたら二人がよいところだろう。窓からは木立の枝越しに山並みが見えるくらいで展望はないが、静かな雰囲気は好ましい。横になって小一時間ほど寝てから、水場を見に行った。登山路のすぐ脇にある沢がそれなのだろうが、一筋も流れていなかった。


<<四日目:2007/07/26(木)>> 大白森-小白森-田代平 (田代平山荘泊)
今回の縦走も四日目になった。このあたりは標高が低いはずだが迎えた朝は小屋を締め切っていても暑くない。きっと湿度が低いのだろう。晴れ渡った空を窓越しに見上げて朝食とし、いつもののようにコーヒーを飲んで貸切だった小屋を出る。水が減って荷が軽くなっており、昨日無理をしなかったせいか疲労も軽減した気がする。本日の山場はまず目の前の大白森に登ることと、鶴の湯分岐あたりから徐々に高度を上げる尾根を辿って本日の泊まり場のある田代平まで行くところだろう。そして田代平山荘での水確保が最後の課題だ。
見晴らしのない森のなかを上がっていくと予想より早く前方が明るくなってくる。木道の末端が視界に入り、突如として目の前が天上に浮かぶ一面の草原となる。歩を進めるほど周囲の眺めは開けてくるが、まずは前方彼方に鎮座する秋田駒に驚かされる。いつのまにか圧倒的に大きくなっていて、今にも伸び上がってこちらにのしかかってくるようだ。実際には1600メートル強の標高だがほんとうは2000メートルを超えていると言われても信じてしまうかもしれない。幾条もの溝が刻まれたカルデラ縁の上には溶岩で満たされた火口原の上に最高点をもつ女目岳(おなめだけ、男女岳とも)が円錐形の端正な姿を浮かべる。その背後にはやや扁平ながら女目岳より鋭さを感じさせる男岳が控える。複式火山の複雑な形状のなかに穏やかさと凄惨さを併せ持つ姿は見る者を魅了する。
秋田駒ヶ岳 山の上とは思えない大白森山上湿原
いつのまにか大きい秋田駒 山の上とは思えない大白森山上湿原
大白森山上湿原から曲崎山を振り返る
大白森山上湿原から曲崎山を振り返る。奥は八幡平。その手前に畚岳が目立つ。
落ち着かないほどの魅力を湛える秋田駒から目を離せば、左にはその名の通りの姿をした乳頭山がかなり近くなってきている。さらに裏岩手縦走路とその背後の岩手山を望見し、秋田駒に背を向けると昨日越えるのに難儀した曲崎山が真正面だ。八幡平から乳頭山に至る稜線のなかではもっとも独立峰に近い風貌をしている。畚岳から南に眺めたときはタコのようにずんぐりとした姿だったが、ここ大白森から見ると台形の台座の上に広角三角形が乗ったような形をしている。鹿児島県の開聞岳のように、左右の稜線の同じ高みで斜度が異なっていることから、曲崎山も最初の生成時はこの大白森と同じく平らな山だったのが、その後再噴火して平坦部分を覆うような高まりを創り出したのではと思える。曲崎山も平坦な山頂部であったなら曲崎森とか呼ばれていたかもしれない。
大白森の山上を乳頭温泉方面に進むと、右手には高い山が見られないので湿原の向こうはそのまま空になってしまう。1200メートル程度の標高でありながらこの浮遊感は格別だ。これほどの眺めを見渡しながら縦断するのに20分近くかかる山頂部は、まさに天上の散歩道だった。
ここは乳頭温泉からであれば日帰り圏内なので平日だというのに朝から人がやってくる。土日休日ともなればさらに盛況なのかもしれず、木道が敷かれているのもそのせいと思われる。となりの小白森もまた湿原を頂いていたが、こちらは圧倒的に規模が小さい。ところで大白森にせよ小白森にせよ、”白”は田の”シロ”のことで、規模が大きいのを大白、小さいのを小白とし、これらを山頂にいただくゆったりした山を表す”森”ということで山名が付いたように思える。昨日、大深岳から下る最中に見下ろした葛根田大白森も平坦な山頂に広い湿原を載せていたことから、このあたりでは共通な命名の仕方なのだろうと思う。


小白森を下ると鶴の湯分岐点で、その前あたりから道ばたにゴミが目立ち出す。乳頭山方面に向かう尾根道は観光地の領分なのか道幅が広く、もはやヤブに悩まされることはない。終始森のなかで眺めはないが葉群のそよぎが耳に心地よい。湿度は高くないとはいえ暑いことは暑いので昨日同様に少し歩いては休むを繰り返す。身体が熱くなってくるとすぐ休んで扇で仰ぐ。身体の負担は少ないはずだが進まないことおびただしい。しかし今回の山はそういうものにしようと方針を変更しているので、森の雰囲気を味わいつつのんびり行く。
蟹場分岐を越えると徐々に上りの傾斜が堪えるようになり、梢越しに乳頭山が仰げるようにもなってくる。鶴の湯分岐から蟹場分岐までは見かけなかったひとの姿もよく見るようになり、人気の山であることがよくわかる。だが人影が絶えると山本来の住人たちが活動するようでもある。例によって腰を下ろし呆然と長い休憩をとっていると、少し離れたササヤブのなかを何か大きなものが動く気配がする。これはまずいかもしれないと思い、持参のステッキを使って金属音をたてて人間がいることを知らせた。そのうえで早々にその場を立ち去った。
田代平の池塘越しに乳頭山を仰ぐ 振り返り見る大白森の平頂
散り残りのワタスゲ
(左上) 田代平の池塘越しに乳頭山を仰ぐ

(右上) 振り返り見る大白森の平頂

(左) 散り残りのワタスゲ
小さな湿原が現れ、木道が出てくるとようやく田代平で、大きく二段になった下の湿原が広がる。頭上にはすっきりとした三角形の乳頭山が高い。日を遮るもののないなかを上段の湿原にまで登り、振り返れば歩いてきた道のりが遠く長い。大白森も眺めが良かったが、ここ田代平も展望がよい。秋田駒はいよいよ近くなり、八幡平から歩いてきた縦走路が屈曲して伸びているのが一望できる。大白森と小白森が異様な平頂を見せてよく目立つ。そういえば初めて乳頭山を訪れたときも目を惹いたことを思い出した。いまのいままで忘れていた。彼方には森吉山が二日ぶりに姿を見せていた。
田代平山荘は屋根が見えてから玄関先に着くまでがまたかかった。大白森山荘同様に一階は単なる休憩所のつくりで、宿泊は二階でとなっている。まずは二階に上ってひっくり返り一時間ほど寝た。懸念の水汲みはそれからだ。


この山荘についてガイドマップには水場の記載がないが、八瀬森山荘で泊まりあわせたかたから水場はあると教えてもらっていた。そうでなければいったん乳頭温泉に下ろうかとも思っていた。これまた教えてもらったとおり、小屋の扉脇に水場への案内メモが貼られていた。メモは複数に及んでおり、作成日の古い順に「あります」「ありませんでした」「ありました」となっている。ない場合は小屋前にある池の水を掬って煮沸することになるのだが、できれば流水を期待したい。まずはこの目で確かめるべく、トートバッグに4リットル分の容器を詰め込みナップザックのように背負って小屋を出た。
田代平山荘裏手の水場へと続く踏み跡(手前から右奥) 夕照が差し込む田代平山荘二階
田代平山荘裏手の水場へと続く踏み跡(手前から右奥) 夕照が差し込む田代平山荘二階
メモの指示通り、ヤブへと向かう小屋裏の草原に付けられた明瞭な踏み跡をたどる。突入する先はほんとうに藪で一度は躊躇したが、強引に踏み込んでいくといきなりロープの設置された下りとなる。ロープを掴んでいても足を滑らせたほどなのでメモの指示の通り両手は空けておくべきだろう。下っていく先は乳頭山から北西に伸びる尾根の北に広がる谷間で、踏み跡が沢筋の一つにぶつかってからはこれをどんどん下る。そのうち小屋の最新メモにあったように、オオシラビソの倒木にぶつかる。メモ作成者のかたはこれをくぐったようだが、狭いので木の幹の上を歩いて迂回しさらに下る。
下るのはよいが支沢が合流してくるので帰りが心配だ。八瀬森小屋で出会った方もメモに従って下ったのだが、水を汲んで戻るところで分岐する支沢のどちらに入るかわからなくなり、なんと2時間あまりも上ったり下ったりを繰り返したそうだ。なので支沢合流点では石をいくつか積んで目印としていった。このオオシラビソの倒木のあたりもまた支沢が立て続けに合流するところであり、帰りに迷わないように目印を付けるなりして下る。
だいたい15分も下った頃か、大岩がごろごろするなかに水が溜まっているのを目にする。これだけ苦労して溜まり水かと失望するのも束の間、水滴のしたたる音がする。よく耳を澄ませ、さらに下ってみると、伏流水が出ているのが分かる。残念ながら水浴びできるほどの勢いはないが、飲み水とするには問題ない。しかし水深は浅く流れは弱いので、持参のカップで掬っては容器に入れるというのを地道に繰り返す。木々に囲まれて森閑とした沢筋のほとりで、4リットルを満杯にするのに20分くらいかかった。
小屋への帰りは問題なく辿れたが、なにも目印をつけず振り返ることなく下って来たら確かに迷うだろう。ともあれこれで懸念していた水は確保できた。燃料がもつかぎり食事と暖かい飲み物は心配ない。


乳頭山に続く山道が小屋の真ん前を通っているせいで何度か人声が聞こえたが、西の空が赤みを感じさせる頃には気配が絶えた。夕日は森吉山の左に沈んでいく。小屋の裏手の影も濃くなった。今日もまた小屋は貸切のようだ。
田代平山荘の窓から森吉山左に沈む夕日
田代平山荘の窓から森吉山左に沈む夕日
昨夜は疲労のため夜半に眼が醒めることなく朝まで寝ていたが、この日の夜は体力が回復してきたのか、疲労の度合いが少なかったのか、日付が変わる前に眼が醒めた。皓々とした月が窓から差し込み、明るすぎるくらいだ。外に出てみると驚いたことに小屋の前にある池から幾条もの霧が湧き、月照のなかを漂い上っては消えていく。きっと水の温度は地表や大気に比べて下がりにくいためこういう現象が起こるのだろうが、目の前で鈍く揺れる煙のような霧は相当に神秘的だった。ラブクラフトの短編”月沼(The Moon-Bog)”のクライマックスのように、この世のものではない何かが見えてもおかしくなかっただろう。だが幸いにして沼の中から鼓笛の音は聞こえず、月に向かう一筋の光が伸びることもなかった。
(続く)

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