屋宜家
登録有形文化財

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YS-11 STORY



那覇空港に南西航空の主力機YS11が勢ぞろい。 バックの左の小高い丘は瀬長島
湿度が高いとき、小高い丘を越えてくる弱い南南西風は滑走路上に霧を発生させ悪さをする時がある。



雨の中のボーディング 旅心の原点が見えるような・・・1枚  久米島空港



1967年7月1日

南西航空
第一便就航セレモニー

偶然にも南西航空広報誌から見つけて喜んでおります。
貴重な写真です。

この塗装は50年代に日本航空が採用していた塗装です。

設立当初はYS-11ではなくコンベアCV-2402 機
YS-11就航は1968年6月8日から

当時の客室のユニフォームは青いスカートに白いブラウス。
シンプルで清楚なイメージです。

那覇を基点に、那覇-宮古、那覇-石垣、那覇-久米島、那覇-南大東、宮古-石垣、石垣-与那国

1950年代、1960年代の日本航空
プロペラ機からジェット機へ変わっていく時代です
DC-3 > DC-4 > DC-6B > DC-7C (プロペラ機)
DC-8 Siries > コンベア880 > B727 (ジェット機)

1970年代に入って > B747 > DC10
1980年代に入って > B767 > B747-400
1990年代に入って > MD11 > B777 > B737-400
2000年代に入って >B737-800

                                                 JAL's History




1950年代の日本航空の塗装です。
この塗装が南西航空設立当時の塗装

左の写真は国内線用のDC-4
右の写真は国際線用のDC-6B



1960年代に入り鶴丸のロゴに変わりました。

左の写真はDC-8-32
右の写真はDC-8-61

特にDC-8-61は空の貴婦人と呼ばれた。
那覇空港にも飛んで来ていたのでその胴体の長さに驚き、その美しさに見とれたものです。



B727とYS-11

JALもYS11を2機使用していたようです


南西写真館のトップページを飾るにふさわしい写真です。


北側のエプロンに駐機しております。

現在は貨物ターミナルになりましたが当時は何も無く駐機場に使っておりました。

当時、岡本機長は写真が趣味で暗室を持ち、現像焼付けの作業を自分でやっておりました。

パネルをいただいていたのでその写真を撮って掲載しております。


南西航空の源流といえる当時の思い出の一枚です。











YS11 NOSE TIRE


YS11の前輪です。
操縦室にNOSE STEERINGというハンドルがあって左右に方向をコントロールします。

そのコントロールの源は3000psiに加圧されたハイドロ油です。


丸いライトはTAXI LIGHTといいます。

夜間に地上を移動するときに使うライトということですが、使い方はいろいろあります。
地上の整備員との連絡、離陸、着陸時にも使います。








NOSE TIREにスポットが当たることは稀ですが、なかなか存在感があります。




岡本機長提供







SWALマークは1968年からです。


上記の旧JAL塗装から1年後にはSWALロゴが使われたことになります。


写真遠くにはDC10が見えます。
好きな飛行機でした。


”余談”
幸いにも2度ほどDC10のジャンプシート(補助席)に乗る機会がありました。
ボーイングとは違うコクピットに驚いたものです。
ボーイングは女性的と表現できますが、ダグラスDC10のコクピットはまさに男性的、ハードボイルドの世界でした。



上記の写真をズームアップしました


那覇空港


このようなオレンジの塗装は1978年に入ってからです。
この塗装が南西航空のイメージカラーです.


1993年に、下の写真のようないわゆるサンライズレッドの塗装に変わるまで、長い間使われ多くの方々に親しまれました。

このカラーが消えるのを惜しむ声が多かったです。



旧ターミナルから南側駐機場の写真

オレンジカラーのYS11とB737-200が写っている。




1982年
徳村氏提供


旧ターミナルから南側駐機場の写真

オレンジカラーのYS11と、手前のバスはOAS(沖縄エアーポートサービス)の送迎バス。


YS11尾翼の向こう側に那覇空港の滑走路があります。




1982年
徳村氏提供


太陽を受けJTA塗装が輝いている


The YS11 Cockpit

現在はブラウン管(液晶)で電気的に表示される計器がメインですが、この頃は全て機械的に表示する計器です。

電気的な指示計器はデザインが決まれば同じような物が簡単に作れます。

しかし、
相当に精巧な機械式の計器を作るには高度の技術を要します。
私はブラウン管あるいは液晶表示の第4世代機はコクピットに関してのコストはそれほど高くないと思っておりました。

左が機長席、右が副操縦士の席です。
全く同じ計器が装備されております。


UEO(久米島空港)


新旧交代
新ターミナルのPBB(Passenger Boarding Bridge)の建設が始まり、旧ターミナルが取り壊されようとしております。


JTAの信頼できる整備の侍たちとの記念の一枚


まだJTAの写真に行くのは早いですが好きな写真ですので先にアップしておきます。

各々が個性的で主張があり、特に整備の方々からは、「大丈夫さー、任しておけ!」と聞こえてきそうな頼りがいが感じ取れる一枚です。



掲載をことわっておりませんが古い1枚として許していただけると思っております。