Web-Suopei 生きているうちに 謝罪と賠償を! |
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◇遺棄毒ガスの裁判
事件の概要2003年8月4日、中国黒竜江省チチハル市民航路の住宅団地の地下駐車場の工事現場から5つのドラム缶が出てきました。この中には旧日本軍が遺棄した毒ガス液が入っていました。1つのドラム缶は壊れ、液体が土に滲み出し、異様な臭いを放っていました。戦後60年近くたっても毒ガスの威力は衰えておらず、この工事現場で作業をしていた人たちが被害に遭いました。「健全」だったドラム缶は解体作業のため廃品回収所に運ばれ、解体作業に携わった人も被害に遭いました。その後検査に回された化学工場でも被害者が出ました。また、毒ガス液が滲み込んだ土が(そうとは知らず)チチハル市内各所に運ばれ、その土で整地作業をした人、この土の上で遊んだ子供など合計で44人が入院するなどの被害に遭いました。 被害に遭った人々は、数時間後に身体中のかゆみを訴え、水泡があちこちに出てきました。医師も初めて見る症状に戸惑ったそうです。 被害者のうち李貴珍さんは、およそ1ヶ月の入院ののち死亡しました。その他の被害者は3ヶ月余ののちに退院しましたが、治ったから退院したのではなく、治療法がないので退院させられたのです。
この事件は中国では「8・4事件」として大きな問題になりました。当時は化学兵器禁止条約が締結された後で、日本政府は中国政府と遺棄毒ガス処理協定も結んでいましたので、日本政府(小泉政権)はこの事件の翌月(2003年9月)に中国政府に対して、被害者救済の手立てをとることを約束し、翌10月に日本政府は「見舞金」として合計3億円を支払い、このお金は被害者にも分配されました。 しかしそのお金は病院に支払う治療費のために、わずか数年で消費されてしまいました。その一方で、被害者の健康状態は悪化しました。体調の回復は見られず、風邪をひきやすい、身体がだるい、力が入らない、記憶力が低下した、などの症状に苦しむようになりました。また生活や学業にも影響がでてきました。2005年に、被害者6名と母親2名が来日し、政府に継続的な医療支援と生活支援の制度を作るよう要請しましたが、日本政府は対応しませんでした。そのため被害者は裁判を起こすことになったのです。 東京地裁での闘い○提訴(2007/1/25)〇主張・立証 弁護団は、 @毒ガスを捨ててきたこと(先行行為) A毒ガスによる被害は想定できたこと(危険性の切迫) Bこうれを放置すれば事故が起きることを予想できたこと(予見可能性) C事故を回避するための措置をとらなかったこと(結果回避義務を怠った) の4点を主張しました。また、特に力を入れたのは次の2点だそうです。 D被害の大きさを明らかにすること=実地調査と検診の実施 E毒ガス発見場所は旧日本軍516部隊の飛行場(弾薬庫)の跡地だったという史実を明らかにする
裁判では、当時の外務省中国課の担当者の証人尋問も行われ、どこに捨てたかまったく調査していない実態が明らかになりました。中国政府からは1990年代に日本軍が遺棄した場所を特定するよう要請があったにも関わらず、日本政府はそれを履行しませんでした。チチハルには毒ガス部隊とも呼ばれる516部隊が駐留していたのに、調査をしなかったのです。日本政府として当然の職務を履行してこなかったことがハッキリしました。 ○東京地裁判決(2010/5/24)判決は、事件現場が旧軍跡地であったことは認めました。また法廷で証言した被害者の事故直後の身体被害についても認定しました。しかし、その後も継続する被害(自律神経の障害、高次脳機能障害、視野障害など)にはまったく触れませんでした。 また弁護団が主張していた4点のうち@ABまでは認めました。しかしCの結果回避義務は国にない、つまり事故を防止できなかったのは「仕方がない」という判断で、原告の請求を棄却してしまいました。旧日本軍は、毒ガス砲弾を中国各地に遺棄してきたので、事故防止は無理だったというのです。裁判所は日本政府を免罪してしまったのです。 東京高裁での闘い原告は控訴し、医師の証人を立てて、被害の実証にも力を入れました。 また控訴審の間に原告の一人がガンで死亡しました。毒ガスの影響で免疫力が低下したためと推定されました。 ○東京高裁判決(2012/9/21)判決は、国が「法的責任を問われることはないだろうと思って調査しなかった」点は批判してくれました。しかし、「ここに遺棄されている」ことを予見することは不可能だった、という理由で(つまりピンポイントで予見できないのだからやむを得ないという理屈で)、国の責任を免除してしまいました。 最高裁での闘い○最高裁決定(2014/10/28)最高裁は、私たちの度重なる要請にも関わらず、被害者の切実な声を聴くこともなく、一片の通知で上告を棄却してしまいました。 訴訟の意義と、被害者の現状この裁判を通して、被害の実態を徹底的に明らかにすることができました。裁判の当初の目的が支援制度を作ることだったので、裁判を進める過程で日本と中国の医療関係者が協力して、被害救済のための生活支援、医療支援が続けてこれたのです。 その一方で、被害者の現状はますます深刻になっています。お金がないため病院に行くこともできません。安い市販薬を買ってしのいでいる状況です。事故当時7歳だった少女は事件後発達がとまったままになっている(学習障害、知能障害)、というケースもあります。
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