Web-Suopei  生きているうちに 謝罪と賠償を!

慰安婦の裁判

 戦前、日本の中国侵略によって一千万人の無辜の中国の人たちが殺されました。1937年以降、日中全面戦争になりますが、日本軍は中国各地で八路軍の抵抗に会います。とくに山西省では日本軍による八路軍のせん滅作戦が行われ、みせしめとして女性たちに対する性暴力が多発しました。山西省盂県の進圭村で は、日本軍によって近隣の村むらから駐屯地に少女たちが連行され、2週間から数月間監禁されて性奴隷として兵士たちに強姦されました。

 第一次訴訟は、そのときの被害者の4人の女性たち、李秀梅さん、劉面煥さん、陳林桃さん、周喜香さんたちが勇気を奮い起こして1995年8月7日東京地裁に起こした裁判です。また、郭喜翠さん、侯巧蓮さんの2人も1996年2月23日東京地裁に裁判を起こしました(第二次訴訟)。原告たちは直接法廷で自らの体験と長年心にとめてきた思いを吐き出すように語りました。今までほとんど知られなかった中国人「慰安婦」の被害状況が少しずつあきらかになりました。

 さらに海南島の被害者による海南島訴訟も支える会が支援しました。

 

第一次訴訟 第二次訴訟 海南島訴訟
慰安婦第一次訴訟

 

原告と請求内容

李秀梅さん、劉面煥さん、陳林桃さん、周喜香さん (各2000万円)

提訴

1995年8月7日 東京地裁

東京地裁判決

2001年5月30日 敗訴(事実認定なし)

事実認定さえ×

東京高裁判決

2004年12月15日 敗訴 判決要旨 弁護団声明

事実認定○、請求権放棄○

最高裁決定

2007年4月27日 敗訴 決定文

 

支援団体

中国人「慰安婦」裁判を支援する会

東京地裁での闘い

○提訴(1995/8/7)

○判決(2001/5/30)

東京高裁での闘い

○判決(2004/12/15)

 2004年12月15日、東京高等裁判所第5民事部(根本眞裁判長)は、中国人「慰安婦」(第1次)訴訟において、控訴人らの請求を棄却する不当な判決を下しました。

日本軍による加害事実を認定
 この判決は、日本軍によって「従軍慰安所」が設置され、日本軍の管理下に女性を置き、日本軍将兵や軍属に性的奉仕をさせたこと、さらに北志那方面軍が、三光作戦を行い、日本軍による中国人に対する残虐行為が行われたこと、このような中で、日本軍らによって、駐屯地近くに住む中国人女性(少女を含む)を強制的に拉致・連行して強姦し、監禁状態にして連日強姦を繰り返す行為、いわゆる「慰安婦状態にする事件」があったとして日本国による「はなはだ悪質」な加害事実を認定しました。また控訴人らの被害事実について現在に至るまでの後遺障害を含む極めて深刻な被害を詳細に認定しました。

国家無答責・除斥は適用
 この点、事実認定すらしなかった一審判決と比較すれぱ、その事実認定は評価に値します。しかしその一方で法律解釈にあたっては、戦後補償裁判の現在の法理 論の水準を一切踏まえることなく、旧来の形式的理論のまま国家無答責の法理を適用し、除斥期間の適用を認めて控訴人らの請求を棄却しました。
 この判決は、除斥について最高裁判所の平成10年判決の引用そのものを誤るなどひどく杜撰な判決で、高等裁判所の判決としてその名に恥じる判決となりまし た。その意味では、他の判決に対する悪い影響は残らないと思われます。本件について、弁護団はすぐに上告をしました。

  • 東京高裁判決全文
  • 東京高裁判決要旨
  • 弁護団声明
  • 周喜香さんの証言
  • 中国人元従軍慰安婦証人尋問(一) −証人/李秀梅さん
  • 中国人元従軍慰安婦証人尋問(二) −証人/劉面煥

  

「生きている限りたたかい続けます」−不当判決を受けて−

  十二月十五日、東京高裁で中国人「慰安婦」第一次訴訟の判決がありました。山西省盂県の村から三日もかけて来日した控訴人の劉面換さんが、満席の傍聴者や 十五人の弁護団とともに固唾を飲んで見守る中、根本眞裁判長は、一審の東京地裁判決に続き、「原告の請求棄却」と不当判決を言い渡し、唖然とする原告や傍 聴者に背を向けてそそくさと退廷しました。

 あとで渡された判決要旨によれば、「日本軍構成員らによって、駐屯地近くに住む少女を含む中国人女性を拉致し、連日暴行する慰安婦状態にした」と原告全員の被害事実を認め、現在もその後遺症に苦しんでいることも認めました。

さらに、「戦争賠償の請求を放棄する」とした日中共同声明についても、「個人の損害賠償請求権をも放棄したと解することはできない」と判断しました。

 しかし、「日本の民法による請求権は除斥期間二十年の経過で消滅している」とし、その上、国家無答責論を適用して請求を棄却しました。

 これは明らかに法律論として成り立たない矛盾した判決であり、弁護団は直ちに上告しました。

 劉さんは、判決後の記者会見で、「ひどい判決だけれども、裁判所も被害の事実を認めたのだから、日本政府が謝罪することを望みます。生きている限りたたかい続けます。」と、沈痛な表情で語っていました。

 判決の翌々日、中国で待っている控訴人の周さんたちへのお土産の買い物に付き添いましたが、不当な判決であったためか、足取りも重く、大変疲れていらっしゃるご様子でした。

 不当な判決でしたが、加害兵士の方の勇気ある証言を実現した成果もあり、一審では触れさえしなかった被害事実を明確に認定したことの重みを生かして、三月 十八日に予定されている二次訴訟の判決では、何としても勝利しましょう。高裁判決でも事実認定されたということは、政治家やニセ歴史家の「慰安婦は商行 為」とか、「拉致監禁しての暴行はなかった」などの虚偽・暴言に対して、明確に否定する根拠となります。ぜひ、公正な判決を求める署名にご協力ください。

 なお、女性国際戦犯法廷の報道番組の改ざん問題が報じられていますが、NHKおよび安倍晋三氏に対して抗議の声をあげましょう。勇気を奮って内部告発した長井暁さんには激励を! (関口暁子)

最高裁での闘い

○決定(2007/4/27)

最高裁判決とアメリカ下院決議
 去る4月27日、最高裁は中国人強制連行事件の西松事件と中国人「慰安婦」事件について、日中共同声明によって被害者が裁判に訴える権能は放棄され たとする判決を言い渡しました。しかしこの判決は、被害者の損害賠償請求権そのものが亡くなったわけではないとしている点、また西松事件で付言がつけられ たことによって、「慰安婦」被害者も、日本政府に対し謝罪と賠償を求めてさらに運動を続けようという決意を固めました。
 ちょう ど時を同じくして、アメリカでは下院で日本政府に対し、「慰安婦」とされた被害者に対して明確な謝罪を求める決議が上程されていました。安倍内閣は 1993年の河野官房長官談話を受け継ぐといいながら、安倍総理自身、被害者が強制連行されたことを示す証拠はなかった、と発言して世界の憤激を買いまし た。そして「慰安婦」問題はアメリカを始めとする世界の注目を浴びることになりました。決議は6月26日には下院の外交委員会を圧倒的な大差で通過し、7 月30日には下院の本会議を反対なしで通過しました。
 安倍内閣はこの決議を無視して、じっと時を稼ぐ戦法のようですが、一方で河野談話を承継するといいながら、政府内部からも河野談話を否定するような言説が絶えない今の政府の状況は、あまりにも見苦しく、矛盾に満ちたものとして世界が許すことはないでしょう。
 今こそ「慰安婦」問題解決の最大の、そして多分最後のチャンスです。問題はアメリカの決議があっても、反動メディアの「事実無根」「謝罪は何度もした」などとの議論が日本社会を覆っているような状況の中で、どうこのチャンスを現実の解決に結びつけるかです。
 大多数の人々に、事実は何か、そして明確な謝罪とは何か、はっきりとわかってもらい、政府を追い詰めるためにすべての力を結集することです。いまその動きがスタートしつつあります。(2007年8月)

山西省訪問の報告

 2007年6月15日〜18日まで、大森、川上、坂口の3人は最高裁での上告棄却決定を受けて判決報告と今後の政治解決に向けての闘い方を打ち合わせするため、山西省の太原を訪問しました。太原では、中国側から康健弁護士と通訳の竇運生さんの2人が合流しました。
 16日、太原市内の招待所で、原告(被害者は訴訟上上告人ですが、ここでは原告といいます)や遺族と再会し、弁護団から大森が判決報告を行い、今後の闘い について意見交換を行いました。夕方からは太原市内の律師事務所を訪問し、「慰安婦」事件について山西省内の調査の現状をも踏まえ意見交換をしました。夜 は太原の律師有志と懇親会を行い、今後協力関係を築きあげる第一歩となりました。
 翌17日には、各原告を自宅に送りながら、ただ1人体調が悪く太原に出てこられなかった陳さんを訪問し、判決報告等を行いました。
原告は最高裁判決の連絡を受けた直後は悲しみにうちひしがれていたようですが、弁護団から判決の報告を受け、政治解決に向けて今後の戦い方を意見交換する中で、ともに一致して闘っていくことを改めて誓いあいました。
 今回の山西省の太原訪問はわずか4日間でしたが、最高裁で上告棄却され裁判手続は終了したが、政治解決に向けて新たな取り組みを始めることが確認された点で意義のあるものでした。(弁護士 坂口 禎彦)

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