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強制連行東京第二次訴訟 東京地裁 判決全文

H15. 3.11 東京地方裁判所 平成9年()第19625号 損害賠償等請求

 

事件番号  :平成9年()第19625号

事件名   :損害賠償等請求

裁判年月日 :H15. 3.11

裁判所名  :東京地方裁判所

 

 

平成15年3月11日判決言渡 平成9年()第19625号 損害賠償等請求事件

判      決

原       告  別紙原告目録記載のとおり

同訴訟代理人弁護士  別紙原告訴訟代理人目録記載のとおり

被       告  別紙被告目録記載のとおり

人  別紙被告訴訟代理人目録記載のとおり

主      文

1 原告らの請求をいずれも棄却する。

2 原告らの準備書面(13)による訴えの追加的変更を許さない。

3 訴訟費用は原告らの負担とする。

事      実

第1 請求

 (主位的請求の趣旨)

(1) 被告国及び同株式会社間組は,各自,原告53,同54,同55,同56,同57,同58,同59,同60に対し,

(2) 被告国及び同古河機械金属株式会社は,各自,原告李倫,同劉忠三,同辛子峰に対し,

(3) 被告国,同鉄建建設株式会社,同西松建設株式会社及び同株式会社間組は,各自,原告5,同6,同7,同8,同9に対し,

(4) 被告国及び同宇部興産株式会社は,各自,原告13に対し,

(5) 被告国及び同同和鑛業株式会社は,各自,原告14,同15,同16,同17,同18,同19,同20に対し,

(6) 被告国及び同日鉄鉱業株式会社は,各自,原告25,同26,同27に対し,

(7) 被告国及び同飛島建設株式会社は,各自,原告31,同32,同30,同29に対し,

(8) 被告国及び同株式会社ジャパンエナジーは,各自,原告畢兆亜,同畢兆倉,同劉玉洪に対し,

(9) 被告国及び同三菱マテリアル株式会社は,各自,原告42,同43,同44,同45,同46,同47,同48,同49に対し,

それぞれ朝日新聞,毎日新聞,読売新聞,産経新聞,日本経済新聞並びに人民日報(北京朝陽門外金台西路2号),中国青年報(北京東直門内海運倉2号),解放日報(上海市漢ロ路274号),明報(香港柴湾嘉業街18号),河北日報(石家庄市裕華中路7号),山西日報(太原市双塔東街24号),遼寧日報(藩陽市藩河区中山路339号)の各朝刊の全国版下段広告欄に2段抜きで,別紙謝罪広告文案記載の謝罪広告を,見出し及び被告の名は4号活字をもって,その他は5号活字をもって1回掲載せよ。

(1) 被告国及び同株式会社間組は,各自,原告53,同54,同55,同56,同57,同58,同59,同60に対し,

(2) 被告国及び同古河機械金属株式会社は,各自,原告李倫,同劉忠三,同3に対し,

(3) 被告国,同鉄建建設株式会社,同西松建設株式会社及び同株式会社間組は,各自,原告5,同6,同7,同8,同9に対し,

(4) 被告国及び同宇部興産株式会社は,各自,原告13に対し,

(5) 被告国及び同同和鑛業株式会社は,各自,原告14,同15,同16,同17,同18,同19,同20に対し,

(6) 被告国及び同日鉄鉱業株式会社は,各自,原告25,同26,同27に対し,

(7) 被告国及び同飛島建設株式会社は,各自,原告31,同32,同30,同29に対し,

(8) 被告国及び同株式会社ジャパンエナジーは,各自,原告畢兆亜,同畢兆倉,同劉玉洪に対し,

(9) 被告国及び同三菱マテリアル株式会社は,各自,原告42,同43,同44,同45,同46,同47,同48,同49に対し,

それぞれ金2000万円及びこれに対する被告宇部興産株式会社を除く被告は平成10年2月13日から,被告宇部興産株式会社は同月16日から各支払済みまで年5分の割合による金員を支払え。

 3(1) 被告株式会社間組は,別紙請求目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(2) 被告古河機械金属株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(3) 被告西松建設株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(4) 被告宇部興産株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(5) 被告同和鑛業株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(6) 被告日鉄鉱業株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(7) 被告飛島建設株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(8) 被告株式会社ジャパンエナジーは,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(9) 被告三菱マテリアル株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

それぞれ同目録の「原告名」欄に対応する「金額」欄記載の金員及びこれに対する昭和20年8月16日から支払済みまで年6分の割合による金員を支払え。

4 訴訟費用は,第1項及び第2項については,それぞれの被告らの連帯負担とし,第3項については,それぞれの被告の負担とする。

 5 仮執行宣言

 (主位的請求3の予備的請求の趣旨)

 3(1) 被告株式会社間組は,別紙請求目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(2) 被告古河機械金属株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(3) 被告西松建設株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(4) 被告宇部興産株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(5) 被告同和鑛業株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(6) 被告日鉄鉱業株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(7) 被告飛島建設株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(8) 被告株式会社ジャパンエナジーは,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

(9) 被告三菱マテリアル株式会社は,同目録記載の同被告に対応する各原告に対し,

それぞれ同目録の「原告名」欄に対応する「金額」欄記載の金員及びこれに対する昭和20年8月16日から支払済に至るまで年5分の割合による金員を支払え。

第2 当事者の主張 

1 当事者の主張の概要

(1) 請求原因の概要

ア 被告国に対する請求原因の概要

() 被告国は,別冊1記載のとおり,その政策決定の下に,原告らを中国から強制的に連行した上,苛酷な労働条件の下で,原告らに被告企業の事業所における奴隷的な労働を強制した。被告国の上記行為の違法性は,以下のa及びbの2つの局面から評価されるべきである。

 原告らは,被告国の上記違法行為を原因として,@ 1907年陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(以下「ハーグ陸戦条約」といい,同条約附属規則を「ハーグ陸戦規則」いう。)ほかの条約又は国際慣習法に基づく損害賠償請求として,A 法例11条1項に基づき不法行為の準拠法として指定される1930年5月5日施行の中華民国民法(以下「1930年中華民国民法」という。)所定の不法行為に基づく損害賠償請求として,又はB 安全配慮義務違反の債務不履行に基づく損害賠償として,各2000万円の支払を請求する。

a 政策自体の違法

 原告らを含む中国人に対する強制連行・強制労働は,交戦国である中国の一般住民を組織的な奴隷労働に従事させることを目的として,被告国が企画・立案・実行した,侵略戦争遂行のための政策の当然の帰結にほかならず,その政策の実行に関与した個々の日本軍人,警察官及び関係公務員(以下「日本軍人等」という。)を初めとする国又は国の機関に雇用された被用者の個々の行為のみにとどまらず,一連の政策決定それ自体が,違法な侵略戦争遂行のために行われ違法行為(戦争犯罪)を構成する。したがって,本件で被告国の責任を論ずるに当たって,第1にその違法評価の対象とされるべきは,原告らを含む中国人に対する強制連行・強制労働政策そのものである。

b 日本軍人等の個々の行為の違法

 仮に,aに述べた被告国の政策そのものの違法が認められない場合でも,原告らに対する強制連行・強制労働を実行するに当たり,これに関与した個々の日本軍人等の違法行為は,当然に被告国の責任を発生させる根拠事実となる。したがって,第2に,これら日本軍人等の個々の行為が違法評価の対象となる。

() 被告国は,上記()の違法行為によって原告らが被った損害を填補するための立法を行わないまま放置しているが,被告国の上記立法の不作為は,違憲,違法であることは明らかであって,原告らに対する違法な公権力の行使に当たるから,国家賠償法1条1項に基づき,各2000万円の損害賠償を請求する。

() 原告らは,被告国の上記()の違法行為の結果,名誉感情を著しく傷つけられたばかりか,戦後において,日本に出稼ぎに行き,日本のために働き,利敵行為を行ったといういわれのない誤解を受け,その名誉が毀損されたから,原告らが名誉を回復するために別紙謝罪広告文案記載の謝罪広告の謝罪文の公表と掲載を求める。

イ 被告企業に対する請求原因の概要

() 被告企業は,別冊1記載のとおり,被告国による原告らの強制連行に加担した上,苛酷な労働条件の下で,原告らに被告企業の事業所における奴隷的な労働を強制した。被告企業の上記行為の違法性は,以下のaないしcの3つの局面から評価されるべきである。

 原告らは,被告企業の上記違法行為を原因として,@ 法例11条1項に基づき不法行為の準拠法として指定される1930年中華民国民法所定の不法行為に基づく損害賠償請求として,又はA 安全配慮義務違反の債務不履行に基づく損害賠償請求として,各2000万円の支払を請求する。

a 強制連行への加担

 原告らを含む中国人に対する強制連行・強制労働は,交戦国である中国の一般住民を組織的な奴隷労働に従事させることを目的として,被告国が企画・立案・実行した,侵略戦争遂行のための政策の当然の帰結なのであるが,この政策は,日中戦争拡大に伴い生産を拡大したこともあって深刻な労働力不足に悩んでいた被告企業が被告国に対して行っていた労働力確保の要求が大きな動因となって策定されたものである。強制連行の実行に当たっても,被告企業は,その実態は日本政府の傀儡団体にすぎない華北労工協会との間に労務提供契約を締結して,希望する人数の強制連行者を労働力として確保し,現に日本に連行する際には,担当者を中国国内の港まで派遣して,日本国内の事業所まで連行しているのである。このように,本件で被告企業の責任を論ずるに当たって第1にその違法評価の対象とされるべきは,原告らを含む中国人の強制連行への上記のような加担行為である。

b 各事業所における強制労働

 被告企業は,連行された原告らを含む中国人を実際に各事業所において使役したものであり,警察の協力を得るとともに,自らも守衛を置いて原告ら中国人労働者の逃亡を防ぎ,彼らを不衛生で劣悪な環境に置き,乏しい食事しか提供せずに重労働に従事させて多数の死傷者を発生させた張本人にほかならない。そこで,第2に,被告企業が各事業所において中国人労働者に強制労働を課したことが,違法評価の対象となる。

c 被告企業従業員の個々の行為の違法

 原告らを含む中国人に対する強制連行・強制労働を実行するに当たり,これに関与した個々の被告企業従業員の違法行為は,当然に被告企業の責任を発生させる根拠事実となる。したがって,第3に,これら被告企業従業員の個々の行為が違法評価の対象となる。

() 被告企業は,原告らから労務の提供を受けながら賃金を支払っていないから,別紙請求目録記載のとおり,主位的に未払賃金の支払を,予備的に不当利得の返還を請求する。

() 原告らは,被告企業の上記()の違法行為の結果,名誉感情を著しく傷つけられたばかりか,戦後において,日本に出稼ぎに行き,日本のために働き,利敵行為を行ったといういわれのない誤解を受け,その名誉が毀損されたから,原告らが名誉を回復するために別紙謝罪広告文案記載の謝罪文の公表と掲載を求める。

ウ 被告国の法的責任と被告企業の法的責任との関係

 被告国の法的責任と被告企業の法的責任との関係については,被告国と被告企業とは原告らを含む中国人労働者に対する強制連行・強制労働に係る違法行為を共同して行った限りにおいては,共同不法行為者の関係に立ち,又は安全配慮義務違反に基づく債務不履行に基づく不真正連帯債務者の関係に立つものといえる。

(2) 被告国の反論の概要

ア 条約又は国際慣習法に基づく損害賠償請求は,原告らがその請求の根拠とする条約又は国際慣習法は,原告らの被告国に対する損害賠償請求の根拠とはなり得ないから,失当である。

イ 1930年中華民国民法に基づく損害賠償請求は,原告らが主張する被告国の軍隊の構成員等の公務員の違法行為については,法例11条1項の適用はないから,その適用を前提とする上記請求は失当である。

 仮に,1930年中華民国民法の適用があるとしても,法例11条2項により国家無答責の法理が,法例11条3項により民法724条後段の除斥期間の規定が累積適用される結果,原告らの上記請求は失当となる。

ウ 安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求は,原告らは具体的義務内容を特定して主張しておらず,また,原告らと被告国との間には,安全配慮義務が発生する前提となる「特別な社会的接触の関係」を欠くから,失当である。

エ 立法不作為を理由とする損害賠償請求は,立法不作為が例外的に違法となる場合に当たらないから,失当である。

(3) 被告企業の反論の概要

ア 1930年中華民国民法に基づく損害賠償請求は,法例11条1項により選択される準拠法は我が国の民法であるから,失当である。

 仮に,法例11条1項により選択される準拠法が1930年中華民国民法であるとしても,法例11条2項又は3項により民法724条後段の除斥期間の規定が累積適用され,しからずとすれば,法例33条により除斥期間の規定を持たない1930年中華民国民法の適用が排除されるから,上記請求は失当となる。

イ 安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求は,原告らは具体的義務内容を特定して主張していないこと,原告らが主張する事実関係ないし法律関係が,被告企業に安全配慮義務を発生させるものではないこと,判例法により安全配慮義務の発生根拠となる規範が確立される以前のものであることなどから,失当である。

 仮に,安全配慮義務違反による損害賠償請求権が発生したとしても,上記請求権は時効により消滅した。

ウ 賃金請求は,原告らと被告企業との間には労働契約が成立していないから賃金請求権は発生しないし,仮に,これが発生したとしても,一部企業は賃金の支払をしているし,また,上記請求権は時効により消滅したから,失当である。

エ 不当利得返還請求は,被告企業には利得がないし,仮に不当利得返還請求権が発生していたとしても時効により消滅したから,失当である。

2 事実関係に関する主張

 本件請求の基礎となる事実関係に関する当事者の主張は,別冊1記載のとおりである。

3 法律上の主張

 上記事実関係を前提とする,当事者の法律上の主張は,別冊2記載のとおりである。

理      由

第1 条約又は国際慣習法に基づく損害賠償請求について

1 条約又は国際慣習法による個人に対する請求権の付与

(1) 原告らは,条約又は国際慣習法を根拠として,直接,被告国に対し,日本国内の裁判所である当裁判所において損害賠償を求めている。

 原告らのこの請求が我が国において裁判上認容されるためには,まず,その主張する請求権の根拠とされる条約又は国際慣習法によって,原告ら個人を権利の帰属主体として,被告国に対する損害賠償請求権が付与されていること,すなわち,上記条約又は国際慣習法が訴訟物である損害賠償請求権の権利根拠規定足り得るものであることが必要である。

(2) 国家は,それぞれ独立の主権を有しており,国際社会を構成するほかの国家とは独立対等な関係にある。このような独立対等な諸国家を規律するものが条約又は国際慣習法であって,条約及び国際慣習法は,通常は,国家間の権利義務関係を規律する規範である。このような条約及び国際慣習法の分野においては,他国が条約又は国際慣習法に違反する行為を行ったことによって,ある個人が被害を受けたとしても,当該個人は,原則として,その条約及び国際慣習法に基づき,加害国に対する損害賠償請求権を取得することはなく,このような個人の損害は,その所属する国家の外交保護権の行使による国際法上の責任の追及によって回復が図られることになる。原告らも主張するように,国家と国家との関係を規律するという条約の性格は,時代の変遷や国際社会の構造の変化とともに変容し,個人の権利義務に関する事項をもその規律の対象とするものが現われるようになり,その限りにおいて,個人と国家との関係が条約により直接規律される場合もないわけではない。しかしながら,上記のような原則にかかわらず,条約又は国際慣習法が例外的に,個人に加害国に対する損害賠償請求権を付与したものと認められるためには,当該条約において個人が損害賠償請求権の帰属主体であることが明確に規定され,又は個人が損害賠償請求権の主体であることを前提とする国家実行が大多数の国家において反復され,それが法的確信によって支えられていると認められることを要するものというべきである。そして,条約が例外的に個人に加害国に対する損害賠償請求権を付与しているといえるためには,その実現のための手段や手続についての規定,あるいは,その実現手段を確保することを国家に義務付ける規定が定められていることによって,これが裏付けられていることが必要であり,かかる裏付けを欠いた規定をもって,これが個人に加害国に対する損害賠償請求権を付与したものと解することは困難である。

(3) この点に関し,原告らは,今日侵略戦争やその遂行のために行われた国際法上の違法行為で当該国家の国家責任を発生させる行為の犠牲者である個人が,加害国の国際法上の義務違反を追及して損害賠償を請求することは,国際法上個人に付与された権利であるから,条約等の中に明文の賠償規定が存在しない場合でも,被害を受けた個人は,加害国に対し,損害賠償を請求することができると主張する。しかし,我が国の民事訴訟法による裁判手続で損害賠償を請求する以上,当然のことながら特定の権利根拠規定に基づき訴訟物たる権利の発生が認められることが必要であり,原告らがその請求の根拠として主張する条約又は国際慣習法が訴訟物たる権利の発生ないし付与を規定するものと認められない限りは,その主張に係る請求権は,民事訴訟法上の訴訟物足り得ないものというべきである。換言すれば,原告らがその請求の根拠として主張する条約又は国際慣習法が,個人を権利の帰属主体として,加害国に対する損害賠償請求権を付与するものであるか否かを検討することなく,上記条約又は国際慣習法に違反する行為があれば,これによって被害を受けた個人は,当然に,加害国に対し,当該条約又は国際慣習法に基づき,損害賠償を請求することができるとの見解は,採用できない。

 ちなみに,原告らの上記主張が,侵略戦争やその遂行のために行われた国際法上の違法行為で,当該国家の国家責任を発生させる行為の犠牲者である個人が加害国に対して直接損害賠償を請求することができるとの国際慣習法の成立をいうものであるとすれば,かかる請求に応じた賠償が大多数の国家において反復,実行され,これが法的確信によって支えられている旨の主張もない以上,失当というほかはない。

(4) 以上に述べたところからすると,原告らが主張する条約又は国際慣習法が,国内法に基づく権利とは別に,個人を権利の帰属主体として加害国の裁判手続において実現可能な具体的請求権を付与するものであるのかという問題,すなわちこれらが権利根拠規定となるのかという問題は,当該条約又は国際慣習法が,個人を原告とする請求について,我が国の裁判所において適用される裁判規範足り得るかという問題と表裏の関係にあり,その意味では,原告らが主張する条約又は国際慣習法の権利根拠規定としての自動執行力,被告国の主張する直接適用可能性の論点にもかかわるものである。仮に,原告らの主張する条約又は国際慣習法が原告らにその主張にかかるような損害賠償請求権を付与する権利根拠規定足り得ないということになれば,当然に,権利根拠規定としての自動執行力ないしは直接適用可能性もないということになる。

 原告らが提出する阿部浩己意見書(甲総19,76号証)には,日本国憲法が採用する国際協調主義(憲法98条2項)によれば,条約及び国際慣習法は,国内法に受容され,国内法としての効力を有することになるのであるから,国内法と同様に自動執行力が推定されるべきであるとの記載がある。しかしながら,当該条約又は国際慣習法が,個人に国家に対する具体的請求権を付与するものであるかどうかを問うことなく,その自動執行力の有無を論ずることは失当であることは,既に説示したとおりである。

2 ハーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求について

 原告らは,ハーグ陸戦条約3条は,ハーグ陸戦規則違反の行為によって損害を被った被害者である個人が加害国に対して直接損害賠償を請求することを認めたものであると主張し,ハーグ陸戦条約3条に基づき,被告国に対し,損害賠償を請求する。そこで,1に述べた観点から上記主張について検討する。

(1) ハーグ陸戦条約の法的拘束力について

 ハーグ陸戦条約は,明治40年(1907年)に採択されたもので,被告国は,明治44年(1911年)11月6日にこれを批准し,明治45年(1912年)1月13日に公布したものであり,同条約3条には,「前記規則ノ条項ニ違反シタル交戦当事者ハ,損害アルトキハ,之カ賠償ノ責ヲ負フヘキモノトス。交戦当事者ハ,其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行為ニ付責任ヲ負フ。」と規定している。しかし,ハーグ陸戦条約2条は,「第一条ニ掲ケタル規則及本条約ノ規定ハ,交戦国カ悉ク本条約ノ当事者ナルトキニ限,締約国間ニノミ之ヲ適用ス。」と規定しており,第2次世界大戦においては,交戦国のすべてがハーグ陸戦条約の締約国であったわけではなかったから,原告らの主張する別冊1記載の被害事実についてハーグ陸戦条約を直接適用することはできず,原告らは,帰するところハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則により明文化されたと主張する国際慣習法に基づいて,被告国に対して損害賠償を請求していることになる。

 そこで,ハーグ陸戦条約3条と同一の内容の国際慣習法の成否が原告らの請求の前提として問題になるのであるが,この点をひとまず措き,ハーグ陸戦条約3条が,そもそも原告らが主張する権利の根拠規定足り得るか否か,すなわち,これらが,個人に対して加害国に対する損害賠償請求権を付与したものと解し得るか否かについて検討する。

(2) 条約の解釈の指針

 一般に条約の解釈は,その条約の発効時における国際法上の条約解釈のための規則に従ってされるべきものと解されるところ,ハーグ陸戦条約が発効した1912年ころにおいては,条約の解釈方法について,一般的な明文の規定は存在しなかった。しかし,1969年5月23日に採択された条約法に関するウィーン条約(以下「条約法条約」という。)は,それまで精緻化されてきた条約解釈に関する国際慣習法を集大成したものと解されるので,条約法条約には,同条約は遡及しない旨の規定(4条)が存在するものの,ハーグ陸戦条約の解釈も条約法条約に定められた解釈方法に準じて行うのが相当である。

 そして,条約法条約は,「条約は,文脈によりかつその趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い,誠実に解釈するものとする。」(31条1項),「文脈とともに,次のものを考慮する。(中略)() 条約の適用につき後に生じた慣行であって,条約の解釈について当事国の合意を確立するもの」(31条3項),「前条の規定の適用により得られた意味を確認するため又は次の場合における意味を決定するため,解釈の補足的な手段,特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる。() 前条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合,() 前条の規定による解釈により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合」(32条)と規定している。そこで,まず,ハーグ陸戦条約3条の文脈並びに趣旨及び目的に照らして与えられる用語の通常の意味に従い,かつ,同条の適用につき後に生じた慣行をも考慮して,同条の解釈をする。

(3) 用語の通常の意味に従った解釈

ア ハーグ陸戦条約の趣旨

 ハーグ陸戦条約は,その前文において,「平和ヲ維持シ且諸国間ノ戦争ヲ防止スルノ方法ヲ講スルト同時ニ其ノ所期ニ反シ避クルコト能ハサル事件ノ為兵力ニ訴フルコトアルヘキ場合ニ付攻究ヲ為スノ必要ナルコトヲ考慮シ斯ノ如キ非常ノ場合ニ於テモ尚能ク人類ノ福利ト文明ノ駸駸トシテ止ムコトナキ要求トニ副ハムコトヲ希望シ之カ為戦争ニ関スル一般ノ法規慣例ハ一層之ヲ精確ナラシムルヲ目的トシ又ハ成ルヘク戦争ノ惨害ヲ減殺スヘキ制限ヲ設クルヲ目的トシテ之ヲ修正スルノ必要ヲ認メ千八百七十四年ノ比律悉会議ノ後ニ於テ聡明仁慈ナル先見ヨリ出テタル前記ノ思想ヲ体シテ陸戦ノ慣習ヲ制定スルヲ以テ目的トスル諸条規ヲ採用シタル第一回平和会議ノ事業ヲ或点ニ於テ補充シ且精確ニスルヲ必要ト判定セリ 締約国ノ所見ニ依レハ右条規ハ軍事上ノ必要ノ許ス限努メテ戦争ノ惨害ヲ軽減スルノ希望ヲ以テ定メラレタルモノニシテ交戦者相互間ノ関係及人民トノ関係ニ於テ交戦者ノ行動ノ一般ノ準繩タルヘキモノトス」と規定し,また,ハーグ陸戦条約1条は,「締約国ハ其ノ陸軍軍隊ニ対シ本条約ニ附属スル陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ニ適合スル訓令ヲ発スヘシ」と規定している。

 そして,ハーグ陸戦規則は,戦争におけるふ虜(4条から20条),病者及び傷者の扱い(21条),戦闘における害敵手段等の制限(22条から28条),敵国の領土を占領した軍隊の権力の制限(42条から56条)等について規定している。

 このようなハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則の規定及び甲総第19,20号証よれば,その趣旨及び目的は,陸戦において軍隊が遵守すべき事項を定め,もって「戦争ノ惨害」を軽減し,陸戦に巻込まれる個人の身体,財産等を保護することにあると解される。

イ ハーグ陸戦条約3条の文理

 原告らは,ハーグ陸戦条約3条のフランス語正文においては,日本語で「賠償」と訳されている部分は「indemnite」という用語が用いられているが,この用語自体には国家間の賠償を意味するという限定的な用法は存在しないと主張し,甲総第14号証にも,英語訳文のテキストで「compensation」との文言が使用され,原状回復や陳謝,責任者処罰などをも射程に入れた「resititution」という国家責任解除のための伝統的な用語が用いられていないことからすると,同条は個人の保護を念頭に入れており,損害賠償請求の主体を個人と見ることに相当の合理性があるとの記載部分がある。

 しかし,フランス語正文に用いられている「indemnite」という文言に賠償を国家間に限定する意味がないからといって,直ちに同条が,被害を受けた個人が損害賠償請求権の帰属主体であることを明確に規定したものであるということはできないし,また,英語訳文において「compensation」という文言が使用されていることから直ちに同条が伝統的な意味における国家責任の解除を規定したものではないともいえない。原告らの主張は,上記各文言が国家間の損害賠償に限定して用いられる文言ではないというに帰し,上記各文言が個人を帰属主体とする損害賠償請求権を意味するものであることが明らかであると認めるに足りる証拠はないから,フランス語正文,英語訳文及び日本語訳文のいずれをみても,その文言自体から,ハーグ陸戦条約3条において,権利の帰属主体が個人であること,又は帰属主体に個人が含まれることが明確に規定されているとみることはできない。また,同条には,条約が例外的に個人に対して加害国の裁判手続において実現可能なものとして損害賠償請求権を付与したものと解する裏付けとなる個人に付与された損害賠償請求権の実現手段を確保することを国家に義務付けていることをうかがわせる規定は全くない。そうすると,ハーグ陸戦条約3条の上記文脈により与えられる用語の通常の意味に従って解釈するならば,同条が,個人に加害国の裁判手続において実現可能なものとして損害賠償請求権を付与したものとは解し難い。そして,個人の利益の保護を国家を通じて図るのが条約その他の国際法の分野における原則的規律の在り方であることからすれば,前記のようなハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則の趣旨,目的を考慮しても,直ちに同条約3条が被害を受けた個人を帰属主体として,加害国に対する損害賠償請求権を付与するものであると解することはできない。

 また,原告らは,ハーグ陸戦条約前文は,同条約が「交戦者相互間ノ関係及人民トノ関係」を定めるものであると明記していること,この前文を受けてハーグ陸戦規則中には,43条,46条,52条,53条2項,3項が占領地における一般の住民と交戦当事者との関係を定めた規定を置いており,我が国において,これらの条項に基づき,被害を受けた個人に対する賠償が行われた実例があることから,同条約3条は,被害を受けた個人と賠償義務を負う加害国との法的関係を創設した規定であると主張し,同旨の申惠手意見書(甲総77号証)を提出する。しかし,本件では,ハーグ陸戦条約3条が原告らが主張する訴訟物である損害賠償請求権を原告らに付与する権利根拠規定といえるか否かが問題なのであり,他の条項の性質論が原告らの請求に係る同条約3条の解釈を直ちに決するものとはいえない上,ハーグ陸戦規則の上記各条項が一般住民に交戦当事国家に対する具体的請求権を付与したものとする解釈にも直ちに左袒し難く,これらの規定が存在することから,同条約3条が個人に損害賠償請求権を付与したと解することはできない。

 さらに,原告らは,ハーグ陸戦条約には個人が損害賠償請求権を行使する方法,手続について何の言及もないのは確かであるが,同様に,国家が損害賠償請求権を行使する時期,方法について言及した文言がないことから,同条約3条を国家間の損害賠償を定めたものであると解することはできない旨主張する。しかしながら,同条約3条に国家が損害賠償請求を実現する具体的な手続を定めた規定がないことから直ちに同条が個人の損害賠償請求権を付与したものと解釈することには飛躍があるものといえよう。むしろ,条約が例外的に個人に加害国に対する損害賠償請求権を付与していると解されるためには,その実現のための手段や手続についての規定,あるいは,その実現手段を確保することを国家に義務付ける規定が定められていることによって裏付けられていることが必要であることは既に説示したとおりである。

ウ 事後に生じた慣行に照らした解釈

 条約法条約31条3項は,用語の通常の意味に従い,誠実に解釈するに当たっては,文脈とともに,「条約の適用につき後に生じた慣行であって,条約の解釈についての当事国の合意を確立するもの」を考慮するとしているので,この点について検討するに,原告らは,ハーグ陸戦条約3条が個人の加害国に対する直接の損害賠償請求権を付与したものであることを裏付けるものとして,ギリシャレイヴァディア地方裁判所1997年10月30日判決(甲総78),旧西ドイツミュンスター行政控訴裁判所1952年4月9日判決(甲総89)及びドイツボン地方裁判所1997年11月5日判決(甲総90)を提出する。上記各号証によれば,ギリシャレイヴァディア地方裁判所の上記判決は,個人の資格でドイツ連邦共和国に対する損害賠償請求訴訟を行うことは,ハーグ陸戦条約3条,ハーグ陸戦規則46条により合法であるとし,旧西ドイツミュンスター行政控訴裁判所の上記判決は,個人である原告のドイツ連邦共和国に対する損害賠償請求は,国際法からも導き出されるものであり,ハーグ陸戦条約3条により国家はその軍隊に属するすべての人員が犯したすべての行為について責任を負うとして,無形損害を含むすべての損害の賠償を認め,ドイツボン地方裁判所の上記判決は,判示の対象は不明であるが,「この行為の違法性はハーグ陸戦規則52条に照らして明らかである。」と述べている。しかし,これらの判決を行った裁判所は,ドイツ及びギリシャの裁判所に限られ,かつ,その判決数からしても,ハーグ陸戦条約の当事国の合意を確立するに至る程度の慣行というには遠く及ばないものというほかはない。むしろ,アメリカ合衆国第4巡回区控訴裁判所及びコロンビア特別区地方裁判所において,ハーグ陸戦条約による個人の請求権創設ないし提訴権付与を否定し,連邦外国主権免除法に基づく主権免除に対する例外を認めない判決がされた例があること(乙A19,20),我が国においても,東京地裁平成10年10月9日判決(乙A1),同庁同年11月26日判決(乙A2),同庁同月30日判決(乙A3),同庁平成13年5月30日判決(乙A14)のいずれもがハーグ陸戦条約3条に基づく個人の損害賠償請求を否定していることが認められ,我が国においてハーグ陸戦条約3条に基づく請求権を肯定した判決が存在しないことは当裁判所に顕著である。これらのことをも考慮すると,ハーグ陸戦条約3条に基づく個人の損害賠償請求権の発生を肯定する当事国の合意を確立する慣行の存在を認めることは困難というべきである。

 そうすると,事後の実行を考慮してハーグ陸戦条約3条を解釈しても,同条が,ハーグ陸戦規則に違反する交戦当事国の行為によって損害を被った個人に対し,加害国に対する損害賠償請求権を付与したものと解することはできない。

エ 以上アないしウに説示してきたところによれば,ハーグ陸戦条約3条の用語の通常の意味に従いこれを解釈するならば,同条は,ハーグ陸戦規則に違反した交戦当事国の行為により損害を被った個人に対し,加害国の裁判手続において実現可能なものとして損害賠償請求権を付与しているものとは解し難い。

(4) 補足的な手段に依拠した解釈

 原告らは,ハーグ陸戦条約3条に関する1907年第2回国際平和会議の全体会合及び第2委員会会合におけるドイツ代表からの提案に基づく1899年ハーグ陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則(以下「旧ハーグ陸戦規則」という。)の条文の改正の審議経過を根拠にして,同条が被害を受けた個人に対して損害賠償請求権を付与するものであると主張し,これを裏付けるものであるとして証拠(甲総12,13,14,19,77,80,82)を提出する。

 条約法条約32条は,() 前条の規定による解釈によっては意味があいまい又は不明確である場合,() 前条の規定により明らかに常識に反した又は不合理な結果がもたらされる場合における意味を決定するために,解釈の補足的な手段,特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる旨を規定していることは前記のとおりである。前記(3)に説示したところからすれば,ハーグ陸戦条約3条がハーグ陸戦規則に違反した交戦当事国の行為により被害を受けた個人に対し損害賠償請求権を付与するものであるとは解し難いことは既に明らかというべきであり,かつ,条約その他の国際法の分野においては,国家を通じて個人の利益保護を図るのが原則的規律の在り方であることからすれば,上記のように解することが明らかに常識に反した,又は不合理な結果をもたらすものであるとはいえないので,もはや,ハーグ陸戦条約3条の意味を決定するために条約法条約32条の定める補足的手段に依拠した解釈を行うまでもないものというべきである。もっとも,条約法条約32条は,同条約31条の「規定の適用により得られた意味を確認するため」に「解釈の補足的な手段,特に条約の準備作業及び条約の締結の際の事情に依拠することができる」と規定しているので,前記(3)の解釈を確認するため,条約法条約32条の定める補足的手段に依拠した解釈についても,以下に検討を加えておくことにする。

ア 証拠(甲総12,13,14,16,19,77,80,82,乙A17の2)及び弁論の全趣旨によれば,ハーグ陸戦条約の起草過程における以下の事実が認められる。

() ハーグ陸戦条約3条は,1907年第2回国際平和会議の全体会合及び第2委員会会合で,旧ハーグ陸戦規則の条文の修正という形で検討がされた。その際,ドイツ代表から同規則の違反に対する賠償について以下のような条文を新設することが提案がされた。

第1条 この規則の条項に違反して中立の者を侵害した交戦当事者は,その者に対して生じた損害をその者に対して賠償する責任を負う。交戦当事者は,その軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う。

 現金による即時の賠償が予定されていない場合において,交戦当事者が生じさせた損害及び支払うべき賠償額を決定することが,当面交戦行為と両立しないと交戦当事者が認めるときは,右決定を延期することができる。

第2条 (同規則の)違反行為により交戦相手側を侵害したときは,賠償の問題は,和平の締結時に解決するものとする。

 ドイツ代表は,上記提案について概要以下のとおり説明した。

 1899年ハーグ陸戦条約(以下「旧ハーグ陸戦条約」という。)によれば,各国政府は,その軍隊に対し,同条約附属規則の規定に従った訓令を出す以外の義務を負わない。これらの規定が軍隊に対する命令の一部になることにかんがみれば,その違反行為は軍事刑罰法規により処断される。しかし,この刑事罰則だけでは,あらゆる個人の違反行為の予防措置とはならないことは明らかである。そこで,上記規則違反による損害の賠償について検討することが必要であるが,国家の責任を過失責任の法理によらしめるとすれば,国家に,その管理,監督上の過失が認められない場合がほとんどであろうから,損害を受けた者は,政府に対し,賠償を求めることができないし,違法行為を行った士官又は兵士に対して賠償を求めたとしても,多くの場合は賠償を得ることができないであろう。したがって,我々は,軍隊の構成員が行った規則違反による一切の不法行為責任は,その者の属する国の政府が負うべきであると考える。そして,その責任,損害の程度,賠償の支払方法の決定については,中立の者の場合は,交戦行為と両立する最も迅速な救済のための措置を講じるものとし,敵国の者の場合は,賠償の問題の解決を和平回復時まで延期することが必要不可欠である。

() ドイツのこの提案に関しては,交戦国の市民と中立国の市民との間に区別を設けていた点について,以下のとおり賛否が分かれた。

a 第2回国際平和会議第2委員会第1小委員会議長の発言

 現在の規定に欠けている制裁条項を加えようという大変興味深いこの提案は,2つの部分からなっている。第1は,中立の者に関する部分であり,ある交戦当事国の軍隊を組成する者により中立の者に対して生ぜしめられた損害は,その者に対して賠償してしかるべしとしている。そこには権利があり義務があるが,交戦相手側の者に対して生ぜしめられた損害については,いかなる権利も規定されていない。単に,交戦相手側の者に関する賠償の問題は,和平達成時に解決されるべきである旨述べられているのみである。

b ロシア代表の発言

 我々は,先程この会議に提案を行った際,戦時における平和市民の利益を念頭に置いていたが,ドイツ提案はその同じ利益に合致するものであると考える。我々の提案は,1899年条約の実施に当たりこれら市民に課せられる苦痛を和らげることを目指すものであった。ドイツ提案は,この条約の違反によりこれら市民に対し生ずる損害を想定したものである。これら2つの提案の根底にある懸念は正当なものであり,それ自体として国際的合意の対象となってしかるべきであると考える。

c フランス代表の発言

 ドイツ修正案に見られる主張は,中立国の国民と侵略地又は占領地に居住する交戦国の国民とを区別し,前者に有利な地位を与え,彼らにいわゆる中立の配当を認めようとするものである。個人のために採られる保護措置は中立の者か交戦相手側の者かにより区別を設けることなく,すべての者に対し同様に適用されるべきであると考える。

d スイス代表の発言とドイツ代表の謝辞

 ドイツ修正案が中立の者に許し難い特権を与えるというのは誤りである。ドイツ修正案が示している原則は,損害を受けたすべての個人に対し,敵国の国民であるか中立国の国民であるかを問わず適用可能である。これら2つのカテゴリーの被害者,すなわち権利保有者の間に設けられた唯一の区別は,賠償の支払に関するものであり,この点に関する両者間の違いは物事の性質そのものにある。中立の者に対する賠償の支払は,責任ある交戦国が被害者の国とは平時にあり,また,平和な関係を維持しており,両国はあらゆるケースを容易にかつ遅滞なく解決し得る状態にあるため,大抵の場合,即時に行い得るであろう。このような容易さないし可能性は戦時という一大事により,交戦国同士の間では存在しない。賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者についても生ずるが,交戦国同士の間での賠償の支払は,和平を達成してからでなければ決定し実施することはできないであろう。

 ドイツ代表は,スイス代表の上記発言に対し,自分自身もできない最高の弁明をしていただいたと謝辞を述べた。

e イギリス代表の発言

 ドイツ修正案においては,中立の者に対して特権的地位が与えられているが,これを受け入れることはできない。第1条が中立の者に対して受けた損害の賠償を交戦当事者に要求する権利を与えているのに比べ,第2条では,交戦相手側の者については,賠償は和平の締結時に解決するとしている。したがって,交戦相手側の者にとっては,賠償は,平和条約に盛り込まれる条件次第,交戦国の交渉の結果次第ということになる。私は,陸戦の法規慣例違反の被害者に対し交戦当事国が賠償をなすべき責任を否定するものではなく,英国はいかなる意味においてもこの責任を免れようとしているわけではない。

f ドイツ代表の発言

 ドイツ代表は,上記提案が交戦国の市民と中立国の市民との間に区別を設けていることへの批判に対し,両者の間に権利の違いを設ける意図はなく,上記提案は,賠償の支払方法を規定するものに過ぎないなどと回答した。

() 各国代表の発言の中には,旧ハーグ陸戦規則に違反する行為によって損害を被った個人が加害国に対して損害賠償請求権を有することを明確に肯定し,又は確認した発言はなく,以上の検討を経て,第2委員会が,ドイツ提案を「本規則の条項に違反する交戦当事者は,損害が生じたときは,損害賠償の責任を負う。交戦当事者は,その軍隊を組成する人員の一切の行為につき責任を負う。」との規定にまとめ,この規定が総会において全会一致で採択され,最終的に,規則中ではなく,ハーグ陸戦条約3条として条約本文に盛り込まれた。

イ 上記のような起草過程によれば,まず,ドイツ代表者は,旧ハーグ陸戦規則に違反して中立の者を侵害した交戦当事国がその者に対して生じた損害を「その者に対して」賠償する責任を負うとの条項を付け加えることを提案したものであって,この発言のみをとらえれば,あたかもドイツ代表者が旧ハーグ陸戦規則違反の行為によって損害を被った個人が加害国に対して直接損害賠償請求権を行使することを認めることを意図していたかのようにもみえる。

 しかし,各国代表の関心は,専ら中立国の市民と交戦国の市民とを区別することの是非に向けられているのであって,仮に,個人に加害国に対する損害賠償請求権を付与するのであれば,そのような条約は極めて例外的なものであるにもかかわらず,各国代表の発言の中には,被害を受けた個人に加害国に対する損害賠償請求権を認めることの是非に関する発言や被害を受けた個人の損害賠償の権利の実現方法についての発言は何ら存在しない。他方,スイス代表が,中立の者に対する賠償の支払は,責任ある交戦国が被害者の国とは平時にあり,また,平和な関係を維持しており,両国はあらゆるケースを容易にかつ遅滞なく解決し得る状態にあるため,大抵の場合,即時に行い得るであろう,このような容易さないし可能性は戦時という一大事により,交戦国同士の間では存在しない,賠償請求権は中立の者と同様各々の交戦国の者についても生ずるが,交戦国同士の間での賠償の支払は,和平を達成してからでなければ決定し実施することはできないであろうとの,国家間の交渉を前提とした発言をしたのに対し,ドイツ代表が自己の立場を弁明したものと受け止めて謝辞を述べていることからすると,ドイツ代表の提案は,究極的には,旧ハーグ陸戦規則違反の行為によって損害を被った個人の救済を目指すものであったとしても,同規則違反の行為によって損害を被った個人が加害国に対して直接損害賠償を請求することを意図していたものとまで認めるには足りない。そして,第2委員会がまとめた条文及び最終的に採択されたハーグ陸戦条約においては,当初ドイツ代表から提案のあった「その者に対して」との文言が削除されていることも併せて考えると,ハーグ陸戦条約の起草に当たった各国代表が,同条約3条の起草過程において,同条により,ハーグ陸戦規則違反の行為によって損害を被った個人に対し,加害国に対する損害賠償請求権を付与することを意図していたと認めることはできない。

 原告らは,損害の救済の実現方法等について起草過程において議論がない点について,ハーグ陸戦条約は当然に国内法的効力を持つから,ハーグ陸戦条約違反が主張される当該加害国の国内法における手続法によってその救済が図られることが当然の前提となっていたと主張する。しかし,このような原告らの主張は,ハーグ陸戦条約3条が,被害者個人に対し,損害賠償請求権を付与したとする結論を前提とする説明であり,実質的には結論をもってその主張の理由付けとするものに帰するから,失当である。

(5) ハーグ陸戦条約3条の規定の解釈に関する結論

 以上(2)ないし(4)で検討したように,ハーグ陸戦条約3条の文脈及び趣旨,目的とともに事後に生じた慣行に照らし,その用語の通常の意味に従って,これを解釈すれば,ハーグ陸戦条約3条が,交戦当事国の軍隊の構成員によるハーグ陸戦規則違反の行為があった場合に,損害を受けた個人に対し,加害国に対する損害賠償請求権を付与したものと解することはできず,条約の起草過程に依拠した解釈によっても,上記解釈の正当性を確認することができる。したがって,ハーグ陸戦条約3条は,原告らが本訴において主張する損害賠償請求権の権利根拠規定足り得ず,ハーグ陸戦条約3条が,被害を受けた個人に対し,損害賠償請求権を付与する権利根拠規定であるとの解釈を前提に,同条によって具体化された国際慣習法に基づくとする原告らの被告国に対する損害賠償請求は,その余の点について判断するまでもなく,失当である。

3 その他の条約又は国際慣習法に基づく損害賠償請求について

(1) 強制労働に関するILO第29号条約を理由とする請求について

ア 強制労働に関するILO第29号条約について

 強制労働に関するILO第29号条約(以下「強制労働条約」という。)2条1項は,強制労働とは,「或者ガ処罰ノ脅威ノ下ニ強要セラレ且右ノ者ガ自ラ任意ニ申出デタルニ非ザル一切ノ労務ヲ謂フ」と定義し,同条約1条1項は,「本条約ヲ批准スル国際労働機関ノ各締盟国ハ能フ限リ最短キ期間内ニ一切ノ形式ニ於ケル強制労働ノ使用ヲ廃止スルコトヲ約ス」と規定するとともに,同条約1条2項は,「右完全ナル廃止ノ目的ヲ以テ強制労働ハ経過期間中公ノ目的ノ為ニノミ且例外ノ措置トシテ使用セラルコトヲ得尤モ以下ニ定メラルル条件及保障ニ従フモノトス」と規定し,例外として強制労働を許容する場合も同条約による条件を満たすことが必要であるとした。そして,同条約4条1項は,「権限アル機関ハ私ノ個人,会社又ハ団体ノ利益ノ為強制労働ヲ課シ又ハ課スルコトヲ許可スルコトヲ得ズ」と,同条約23条1項は,「本条約ノ規定ノ実施ノ為権限アル機関ハ強制労働ノ使用ヲ規律スル完全且精細ナル規則ヲ公布スベシ」と,同条約25条は「強制労働ノ不法ナル強要ハ刑事犯罪トシテ処罰セラルベク」と規定している。

イ 強制労働条約に基づく個人の損害賠償請求権の成否

 原告らは,被告国が原告らを我が国に強制連行し,日本企業の各事業所において強制労働に従事させたことは,強制労働条約中の上記の各条項に違反するから,同条約に基づき,被告国に対し,損害賠償を請求できると主張する。

 しかし,上記の各規定は,締約国に対して強制労働を禁止するための施策を採る責務を課すものであるが,用語の通常の意味に従い解釈すると,これらの条項が,強制労働を課された個人に対し,強制労働を課した加害国に対する損害賠償請求権を付与したものであると解することはできず,同条約に基づいて国家が違法に強制労働を課せられた個人に対して損害賠償を実行した事例があったことを認めるに足りる証拠もない。

 したがって,強制労働条約が,強制労働による被害を受けた個人に対し,加害国に対する損害賠償請求権を付与する権利根拠規定であり,又は権利根拠規定足り得る国際慣習法が成立していることを前提とする原告らの請求は失当である。

(2) 奴隷条約及び国際慣習法としての奴隷制の禁止違反を根拠とする請求について

 原告らは,昭和2年(1927年)に発効した奴隷条約を被告国は批准していないが,奴隷制度及びこれに類似する強制労働の禁止は,本件当時既に国際慣習法として確立しており,被告国による原告らに対する組織的な強制連行・強制労働政策は,奴隷条約が禁止する奴隷制又はこれに類似する制度にほかならず,国際慣習法違反に基づき,原告らは損害賠償請求権を有すると主張する。

 奴隷条約1条は,「奴隷制度とは,その者に対して所有権に伴う一部又は全部の権能が行使される個人の地位又は状態をいう。」と奴隷制度を定義した上で,同条約5条1項は,「締約国は,(中略)強制労働が奴隷制度に類似する状態に発展することを防止するためにすべての必要な措置をとることを約束する。」と規定する。これらの条項は,条約締結国に対して奴隷制度廃止のための責務を課すものであるが,用語の通常の意味に従い解釈すると,これらの条項が,奴隷制度の被害を受けた個人に対し,加害国に対する損害賠償請求権を付与するものと解することはできず,奴隷条約及び奴隷制の禁止違反に基づいて国家が奴隷制度の被害を受けた個人に対して損害賠償を実行した事例があったことを認めるに足りる証拠もない。

 したがって,奴隷条約が,奴隷制度又はこれに類似する強制労働による被害を受けた個人に対し,加害国に対する損害賠償請求権を付与する権利根拠規定であり,又は権利根拠規定足り得る国際慣習法が成立していることを前提とする原告らの請求は失当である。

(3) 人道に対する罪違反を根拠とする請求について

 原告らは,被告国の強制連行・強制労働政策は,極東国際軍事裁判所の判決によって,違法な侵略戦争であると認定された戦争遂行のために企画・立案・実行された政策であり,人道に対する罪違反の行為であることは明らかであるが,その結果原告らに生じた損害については,刑事責任だけではなく,被告国に民事上の損害賠償責任が生ずる旨主張する。

 日本の戦争犯罪を裁判するために設置された極東国際軍事裁判所に関して規定する極東国際軍事裁判所条例5条()は,人道に対する罪を「戦前又は戦時中に為されたる殺戮,殲滅,奴隷的虐使,追放其の他の非人道的行為,若は政治的又は人種的理由に基く迫害行為であって犯行地の国内法違反たると否とを問わず本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として又は之に關聯して為されたるもの」と定義し,同条3項は,この「何れかを犯さんとする共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に参加せる指導者,組織者,教唆者及び共犯者は,斯かる計画の遂行上為されたる一切の行為に付,其の何人に依りて為されたるとを問わず責任を有す。」として,人道に対する罪を処罰の対象とする旨を規定した。

 これらの条項は,第2次世界大戦において「人道に対する罪」等の非人道的行為等を行った者個人に対する刑事責任を追及し,処罰の対象とすべきものとして,違反者個人の犯罪構成要件を定めているが,用語の通常の意味に従い解釈すると,極東国際軍事裁判所条例の上記規定が,非人道的行為により被害を受けた個人に対し,加害国に対する損害賠償請求権を付与したものであると解することはできないし,また,非人道的行為等を行った行為者の属する国家が被害を受けた個人に対して損害賠償責任を負うという国際慣習法が成立していることを認めるに足りる証拠も存在しない。

 したがって,上記各規定が「人道に対する罪」等の非人道的行為による被害を受けた個人に対し,加害国に対する損害賠償請求権を付与する権利根拠規定であり,又は権利根拠規定足り得る国際慣習法が成立していることを前提とする原告らの請求は失当である。

4 小括

 以上によれば,原告らの主張する条約又は国際慣習法違反に基づく損害賠償請求は,原告らがその主張の根拠として挙げる規定のいずれもが,原告らに,被告国に対する損害賠償請求権を付与する権利根拠規定とは解し難いから,いずれも失当というほかはない。

第2 1930年中華民国民法に基づく損害賠償請求について

1 被告国に対する請求について

(1) 法例の適用の有無

 原告らは,被告国の公務員による原告らに対する強制連行・強制労働という違法行為に基づく民事上の損害賠償請求に関しては,法例11条1項により,1930年中華民国民法が準拠法として指定されると主張して,同法に基づく損害賠償を請求する。そこで,上記違法行為に基づく損害賠償請求権の存否をめぐる法律関係が法例の適用対象となるか否かについて検討する。

ア 我が国の法例を含む国際私法は,渉外的私法関係に適用すべき私法を指定する法則,適用規範である。すなわち,当事者間の法律関係を直接に規律する実質法に対して,国際私法は,法律関係を規律するいずれかの国の法を準拠法として指定することによって,間接的にこれを規律する法であり,間接規範,適用規範としての性質を有する。国際私法は,国際的共通性の高い渉外的私法関係に適用されるものであり,私法の抵触問題の解決をその中心課題とする。公法は,私法とは異なり,一国の公益と密接な関係を有する法であって,公法の抵触問題の解決は,私法のそれと性質を異にすることから,刑法や行政法規等の公法の抵触問題は,国際私法の適用範囲外の問題とされている。すなわち,私法の領域における法律関係は,直接又は密接に国家の利益に関係することがなく,連結点を介して準拠法を指定することに合理性を認めることができるのに対し,国家の利益に直接又は密接に関係する公法の領域において,当該国家の利益を全く考慮しない他国の公法を適用することの合理性を肯定することができないものといえるのである。

 しかし,私法と公法との区分は,必ずしも明快なものではなく,ある法律関係が国際私法の適用範囲に属する私法的法律関係に属するのか,その適用範囲外にある公法的法律関係に属するのかの問題は,法廷地における国際私法の解釈問題に帰着するものといえる。上記解釈に当たっては,当該法律関係が当該国家の利益(公益)とどれほど密接な関係を有しているのかを検討するとともに,比較法的にみて,各国が当該法律関係と同様の法律関係を国際私法の対象としているのか否か,当該国家の法制度上,当該法律関係をどのように位置付けているのかを検討することを要するものというべきである。

イ そこで,これを本件についてみると,本件は,当時中国において家族と共に平穏な生活を送っていた原告らが,昭和17年11月27日の閣議決定に基づく行政供出により,日本軍あるいは日本政府の支配下にあった中国軍の兵士(以下「日本軍等」という。)によって,自らの意思に反して一方的かつ強制的に日本に連行され,被告企業の各事業所で強制的に劣悪な労働条件下で過酷な労働に従事させられたと主張して,被告国に対して損害賠償を求めるものであって,個人が国に対して公務員の違法行為によって被った損害の賠償を求める訴訟(以下「国家賠償訴訟」という。)である。

a そこでまず,一般に,国家賠償請求権の存否に関する法律関係が国際私法の対象となる法律関係に当たるか否かについて検討する。

 国家賠償請求権の存否に関する法律関係は,加害者(公務員)の違法行為によって損害を受けた被害者の救済を目的とするものであり,私法上の請求権の存否を審理,判断の対象とするという側面からみる限りにおいては,一般の不法行為と共通性を有する私法的法律関係に属するということができる。

 しかし反面,上記法律関係は,公権力の行使の適否が判断の対象となるという意味で,公法的な色彩を持つことは否定できない。すなわち,公権力の行使の適否に関する判断が,その後の国の行政権,立法権の行使,さらには,国民生活に対する国の機関の権限行使のあり方にも重大な影響を与えるものであって,当該国家の公益と密接な関係を有する公法的な側面を持つものであることは明らかというべきである。換言するならば,国家賠償訴訟の審理において,その適否が問題とされている公権力の行使について,当該国家の法律とは異なる適法要件を定める他国の法律によって,その違法性の有無が判断されるようなことは,当該国家の公益に反するものといえよう。

 さらに,各国の国家賠償に関する法制をみても明らかなように,各国が,国家賠償制度の存否,責任の範囲や程度につき,国政全般にわたる総合的政策判断の下に,様々な立法政策を採用していることは,国家賠償請求権の存否に関する法律関係が,国家の国政全般にわたる総合的政策判断と密接な関係を有する公法的色彩を持つ法律関係であることを示すものといえる。現に,我が国の国家賠償法においても,被告国の公益を考慮した政策的判断の下に,私法の領域とは異なる特別の法政策が採用されているのである。すなわち,国家賠償法は,公務員による公権力の行使を萎縮させないように公務員個人に対し求償できる場合を限定し(同法1条2項),外国人が被害者である場合は,相互の保証のあるときに限って賠償する(同法6条)ものとしており,これらの規定は,国家賠償の問題が国家の公益と直接又は密接に関係していることを示しているものといえる。

 以上に説示したところによれば,一般に,国家賠償請求権の存否に関する法律関係は,個人の損害賠償請求権という私的な権利の存否を対象とし,私的利益の救済を目的とするものではあるものの,他方で,国家の公益と上記のような密接な関係を有しているのであって,かかる法律関係が準拠法の選択を国際私法の規律にゆだねるべき法律関係に当たると解することは困難といわざるを得ない。

b 加えて,本件においては,個別的な公務員の公権力の行使の適否が問題とされているのではなく,被告国が国益を追及する目的の下で国家主権の行使ないし発露として行った上記行為や政策自体の正当性の存否についての判断が求められている。この判断が国家の主権行使の正当性にかかわる点で,本件において判断の対象となる法律関係は,被告国の公益に直接的な関係を有し,極めて強い公法的色彩を持つものといえる。しかも,国家の政策的判断の下に,広範に行われた戦時下における日本軍等の違法行為を理由として被告国に損害賠償義務を負担させるか否かという判断が,全国民の負担の下で維持されている被告国の国家財政に対して重大な影響を与えずにはおかないことも明らかであり,この点においても,本件において判断の対象となる法律関係は,被告国の公益と密接な関係を有し,公法的色彩を持つものである。本件のごとく,国家の主権行使の正当性が判断の対象となり,その結果が被告国の財政に重大な影響を与える法律関係は,国際私法の規律にゆだねるべき私法的法律関係ではなく,公法的法律関係に当たると解するよりほかはない。

 そして,本件記録を精査しても,戦時下において,自国の軍隊が他国で行った違法行為により,他国の国民に被害を与えた場合につき,国際私法を適用した事例のあることが全く主張,立証されていないことは,比較法的にみて,かかる法律関係が国際私法の対象とはされていないことを示すものといえる。

ウ 原告らの主張についての検討

a 原告らは,国家賠償請求権の存否に関する法律関係は,一般の不法行為と同じく,不法行為地における公益にかかわるものであり,違法な行為によって他人に損害を与えた者をして損害を賠償せしめ,社会共同生活において生じた損害の公平な分配を目的とするものであるから,法例11条がその対象とする法律関係に当たると主張する。

 国家賠償制度が,不法行為制度と同じく,不法行為地の秩序維持にかかわるという意味で,不法行為地における公益にかかわるものであることはその主張のとおりであるとしても,国家賠償請求権の存否に関する法律関係が,一般の不法行為をめぐる法律関係と異なり,請求を受けた国家の公益と密接な関連を有するものであることは既に説示したところであり,これが不法行為地の公益にのみかかわるものではないことは明らかである。

 また,既に説示したように,国家賠償に関する各国の法制度が,国家賠償責任の存否,範囲,程度について,国家利益の観点からした総合的政策判断の下に,様々な立法政策を採用していることからも明らかなように,国家賠償請求権の存否に関する法律関係を,単純に社会共同生活において生じた損害の公平な分配を目的とする法律関係であるとみることも困難である。原告らは,国家賠償責任の存否,範囲,程度に立法政策上の制限が加えられているとしても,これも損害の公平な分担の一態様であるとの趣旨を主張するが,この主張もまた,各国の国家賠償に関する法制度については,私人間の損害の公平の分担の観点とは別に,国家利益の観点からする政策的な制限が加えられていることを否定するものとは解されない。したがって,上記主張は,上記判断を左右するものではない。

b 原告らは,公法的法律関係が国際私法の対象外にあることは認めつつも,公法的法律関係については,すべて公法の属地的適用の原則が適用されることを前提に,国家賠償法が公法に属すると解することの問題点ないし不都合を指摘する。

 しかし,国際私法の適用対象となる法律関係に当たるか否かを,公法の属地的適用の原則が適用される法律関係であるか否かによって判断すべきであるとする見解は独自の見解というべきである。また,そもそも,公法の属地的適用の原則が妥当する法律関係が公法的法律関係であるということはできても,公法的法律関係は,公法の属地的適用の原則が妥当する法律関係に限られるべきであるということはできない。なぜなら,条理上,公法の属地的適用の原則が妥当するのは,原則として主権の範囲外の領域において公権力の行使というものが考え難いことによるものであるが,公法的法律関係が当該国家の主権の範囲外の領域においても生じ得ることは,在外公館の職員の公権力の行使についてみれば明らかであり,この場合に,公権力の行使が当該国家の法律(公法)に従うべきことも明らかである。

 原告らが,国家賠償請求権の存否に関する法律関係が公法的法律関係であると解した場合の問題点ないし不都合として主張するところは,国家賠償請求の存否に関する法律関係については,すべて公法の属地的適用の原則が適用されることを前提として,同原則を適用した場合の不都合についてるる主張するものであるから,その前提において,失当というべきである。

c 原告らは,国家賠償請求権の存否に関する法律関係が国際私法の対象となるのかどうかを判断するに当たって,国家賠償法の個別規定を考慮することを批判し,このような個別規定は,すべて実質法上の制度であり,あらゆる国の実質法は,内外法平等の原則に基づく国際私法の適用・不適用を決定する根拠になり得ないと主張する。

 しかし,原告らの主張は,ある法律関係が私法的法律関係に当たることを前提に,準拠法が決定された後における法解釈については妥当するが,ある法律関係が私法的法律関係であるか否か,すなわち国際私法の適用対象となる法律関係に当たるか否かの判断について妥当する主張とは解されない。なぜなら,そもそも,当該法律関係が国際私法の規律にゆだねるべきではない公法的法律関係であるか否かは,実質法レベルにおいて,当該法律関係の性質を検討することなく判断することはできないものだからである。

d 原告らは,自らの主張を裏付けるものとして,奥田安弘作成に係る平成11年2月24日付け意見書(甲総18号証。以下「奥田第1意見書」という。)を提出する。

 奥田第1意見書においては,既に当裁判所の判断を明らかにした点に加え,国家賠償訴訟に関する国際私法の適用に関する比較法的考察がされているが,同意見書が挙示する諸外国の裁判例の中において,国家賠償請求権の存否の判断に当たり,国際私法に基づく準拠法の指定に言及するものは,1982年2月17日オーストリア最高裁判所判決(JZ1982,462)のみであって,その他の裁判例については,国際私法の適用を前提としたものとしても解釈が可能であることが指摘されているにすぎない。

 したがって,比較法的考察によっても,国家賠償請求権の存否に関する法律関係が国際私法の適用対象となる法律関係に含まれると解するには至らず,まして,戦時下において,自国の軍隊が他国で行った違法行為により,他国の国民に被害を与えた場合につき,国際私法を適用した事例のあることが全く主張,立証されていないことは,既に述べたところである。

エ 小括

 以上によれば,原告らの被告国に対する損害賠償請求権の存否を判断するに当たっては,法例11条1項に基づき1930年中華民国民法が適用されるとする原告らの主張は,これを採用することができず,同法に基づく請求は,その余の点について判断するまでもなく,失当というほかはない。

(2) 日本国内法を適用したと仮定した場合の検討

 以上のとおり,原告らの被告国に対する1930年中華民国民法に基づく損害賠償請求は,失当というほかはないが,原告らの被告国に対する民事上の損害賠償請求権の存否について,法例の適用がないと解した場合には,条理上,当時の日本国内法を適用して判断すべきことになるので,なお念のため,当時の日本国内法を適用した場合における上記請求権の存否について検討を加えることとする。

ア 国家賠償法施行前における被告国に対する国家賠償請求の法的根拠

 国家賠償法施行前においては,一般に国の損害賠償責任を認める明文の規定を持つ実定法はなく,国家賠償法附則6条において,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と規定され,同法の規定の遡及適用が否定された以上,同法施行前の公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の損害賠償責任に関しては,民法の不法行為に関する規定が公務員の公権力の行使についても適用があるか否かという民法の解釈にゆだねられていたと解するよりほかはない。そして,戦前における裁判例及び学説を見渡すと,戦前における判例・通説は,民法の不法行為に関する規定は,公務員の権力的作用には適用がないとの解釈を採ってきたことは裁判所に顕著である(なお,最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決・裁判集民事3号225頁参照)。この点につき,原告らは,国家賠償法施行前においても,公法・私法二元論を排除し,公務員の公権力の行使についても民法を適用して,国の損害賠償責任を認めてきた裁判例があったことを指摘し,公務員の公権力の行使について民法の適用がないという解釈が確立していたわけではないと主張するが,原告らが指摘する裁判例を検討してみても,それらは,国又は公共団体が私人と同等の立場に立って行う経済的活動の性質を帯びる行為について,民法の適用対象とする解釈が採られた例があることが明らかになるにとどまる。

 しかし,戦前において,上記のような解釈が採られていた根拠が必ずしも明らかではないことは原告らが主張するとおりであり,戦前の裁判例及び学説に照らすと,「国家無答責」なる不文の「法理」が確立しているとの理解を背景として,上記のような解釈が採られていたことがうかがわれるものの,現時点においては,「国家無答責の法理」に正当性ないし合理性を見いだし難いことも,原告らが主張するとおりである。当裁判所が国家賠償法が施行される以前の法体系の下における民法の不法行為の規定の解釈を行うに当たり,実定法上明文の根拠を有するものではない上記不文の法理によって実定法によるのと同様の拘束を受け,その拘束の下に民法の解釈を行わなければならない理由は見いだし難い。そして,民法715条の文言上は,公務員の公権力の行使が同条の適用から排除されているとはいえないこと,行政裁判所法16条が「行政裁判所ハ損害要償ノ訴訟ヲ受理セス」と規定しており,同条の規定は,実体法上は,公権力の行使に違法があった場合に国に対する損害賠償請求権が成立することを前提としながら,行政裁判所が損害賠償請求訴訟を受理しないという訴訟法上の定めを置いたものと解する余地もあることを考慮すると,国家賠償法施行前における,公務員の公権力の行使の違法を理由とする国の責任についても,民法715条の規律にゆだねられていたものと解する余地がないとはいえない。

イ 民法に基づく請求権の除斥期間による消滅

 しかし,本件で問題とされている日本軍等による原告らを含む中国人の強制連行・強制労働の違法を理由とする損害賠償請求について,民法715条の規定が適用されると解したとしても,その場合には,同条に基づき発生する請求権が,民法724条後段により消滅することがないのかどうかを検討しなければならない。そこで,以下において,この点について検討する。

() 民法724条後段の法的性質

 原告らは,立法の沿革,比較法的考察,法解釈学的考察からすると,民法724条後段は,20年の時効を定めたものと解するのが相当であると主張する。

 しかし,不法行為をめぐる権利関係をあまりに長く不確定の状態におくことには重大な問題があることから,不法行為をめぐる法律関係を速やかに確定させることに民法724条後段の意図するところがあり,同条後段は,被害者の保護と加害者と目される者が長期間が経過して反証資料を失った後に訴訟上加害者とされることを防ぐという利害の調整を図った上で,20年という期間を定め,その限りにおいて不法行為をめぐる法律関係の画一的な確定を図ったものと解するのが相当である。民法724条がその前段で3年の短期の時効について規定し,更にその後段で20年の長期の時効を規定していると解することは,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨に沿わず,同条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるために,請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのがその立法趣旨に沿うものということができるのである。したがって,民法724条後段の規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解される(最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁参照。以下「平成元年第一小法廷判決」という。)。

() 除斥期間の起算点及び停止規定の準用

a 原告らは,@ 除斥期間の起算点である「不法行為ノ時」とは,損害賠償請求権の行使が客観的,一般的に期待され得る状況になった時点をいい,かつ,A 被害者が客観的にみて権利を行使し得ないときは,除斥期間の進行が停止していると解すべきであると主張し,本件では,被告国は,日中共同宣言による中華人民共和国との国交正常化まで戦後一貫して中華人民共和国に対する敵視政策を採用していたこと,中国において,民間人被害者の日本に対する賠償請求の議論が出たのは,平成3年3月の第7期全国人民代表大会においてであり,その後も対日関係を配慮する中国政府の影響の下,一般の中国人が日本国に対して損害賠償を求める裁判を提起することはできず,平成7年3月9日の中国の全国人民代表大会の銭其? 外相(当時)の発言(以下「銭発言」という。)によって,初めて原告らの権利行使の可能性が生じたこと,中国においては法整備が遅れており,国民の法意識も希薄であったから,原告らは,法律に基づき自己の権利を主張するなどという発想を持ち得なかったこと,一般の中国人が自由にパスポートを取得することができるようになったのは1986年以降であり,銭発言までは,原告らが日本に渡航する現実的可能性がなかったこと,一般の中国人の経済状況からすると権利行使の可能性がなかったことなどの事情の下においては,原告らが権利の行使が法的に可能であることを認識し得た可能性があるのは,最も早くとも平成3年以降であり,平成7年3月の上記銭発言によって,原告らの権利行使を実行に移す条件が具備されるに至ったなどと主張する。

b しかしながら,民法724条後段の20年の除斥期間の起算点が不法行為時であることは,条文の文言上明らかであり,また,既に説示した民法724条の趣旨や同条前段が損害及び被害者を知った時を時効期間の起算点としていることと対比すると,権利行使の可能性の観点から,同条後段の「不法行為ノ時」を解釈することはできないものというべきである。

 また,民法上の時効停止規定(民法158条ないし161条)は,時効完成の間際に,時効中断を不能又は著しく困難にする事情が発生した場合に,時効によって不利益を受ける者を保護してその事情の消滅後一定期間が経過するまで時効の完成を延期する規定であって,原告らが主張するように,時効期間ないし除斥期間の進行自体を停止するものではない。しかも,法律関係の速やかな確定を図る除斥期間の性質とその意義,特に民法724条後段が,被害者の保護と加害者と目される者の利益との調整の上に立って,20年という期間を定めたものであることを考慮すれば,中国の社会的,政策的状況や原告らの経済状況はもとより,中国と日本との国交正常化がなされていなかったなどの被害者側の事情のみをもって,これが除斥期間の進行を妨げる理由になると解することはできないものというほかはない。

c 原告らは,昭和20年11月末ころから12月ころにかけて中国に帰国したというのであるから,遅くとも,そのころをもって,除斥期間の起算点とすべきである。

() 除斥期間の適用の制限について

a 原告らは,除斥期間説を採用しながらも除斥期間の適用制限を認めた最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決・民集52巻4号1087頁(以下「平成10年第二小法廷判決」という。)に言及し,同判決は,単に20年の経過だけで権利者の一切の権利行使が許されないとし,加害者が賠償義務を免れる結果となることが「著しく正義,公平の理念に反する」と認められ,その適用を制限することが条理にかなうと考えられる場合には,民法724条後段の適用を制限すべきことを認めており,同判決は,個別事案の特殊性を十分に考慮に入れながら,法の正義・公平の観点から具体的妥当性のある解決を導いているとして,このような観点から除斥期間の適用制限を検討するならば,@ 権利の性質や加害者と被害者の関係などから時の経過の一事によって権利を消滅させる公益性に乏しく,A 義務の不履行が明白で時の経過による攻撃防御・採証上の困難がなく,B 被害者の権利不行使につき権利の上に眠る者との評価が妥当しない場合には,著しく正義・公平の理念に反する特段の事情があるものとして,民法724条後段の適用を制限すべきであると主張する。

b しかしながら,既に説示したように,民法724条後段は,被害者の保護と加害者と目される者の利益の調整の上に立って,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を図ること意図して,20年という除斥期間を定めたのであるから,原告らが主張するように,広く法の正義・公平の観点から,その適用を制限すべきものと解することは相当ではない。すなわち,民法は,上記の利益の調整の上に立って,20年という期間を除斥期間として定めることが法の正義・公平に合致するとの立法政策の下に,同法724条後段の規定を置いたのであるから,かかる実定法の規定が存在するにもかかわらず,上記@ないしBのような基準の下に,正義・公平の観点から改めて除斥期間の規定を適用することの具体的妥当性を探求すべきであるという見解は,実定法の解釈の域を出るものというほかはないものといえよう。平成10年第二小法廷判決も,除斥期間経過時において,不法行為の被害者がおよそ権利行使が不可能であって,そのような状態が加害者による当該不法行為に起因するもので,加害者が除斥期間の経過によって損害賠償を免れる結果となることが著しく正義・公平の理念に反するものと認められるような特段の事情がある場合に限り,民法158条の法意を援用して例外的に同法724条後段の適用制限を認めたものにすぎず,本件においても,このような特段の事情が認められる場合において,権利行使が可能になった後訴え提起に要する相当期間として,時効の停止規定に準じる6か月が経過するまでの間に限り,除斥期間の経過を停止する限度においてのみ,同条後段の適用制限が認められるにすぎないものというべきである。

c 以上の観点から,本件についてみると,原告らは,前記()aに記載した事情を指摘して,平成7年3月の銭発言までは,原告らによる現実的な権利行使の可能性はなかったと主張する。しかし,原告らは,原告らを取り囲む社会経済情勢が,原告らの権利行使を事実上困難ならしめていたことを主張するに帰し,原告らの権利行使が法的に不可能であったことを主張するものでも,本件において原告らが主張する日本軍等の不法行為に起因して,原告らの権利行使が不可能になったとの事情を主張するものでもない。したがって,原告らの主張するところによっても,例外的に民法724条後段の適用を制限すべき特段の事情があると認めることはできない。もっとも,昭和47年9月29日の日本国政府と中華人民共和国政府の共同声明までは我が国と中華人民共和国との間の国交が断絶していたことからすると,それまでの間は,原告らが,被告国に対し,損害賠償請求権を行使することは,理論上はともかく,社会通念上は著しく困難であったことを指摘する原告らの主張には傾聴すべき点がないわけではない。しかし,上記主張に依拠して,民法161条の法意に照らすならば,国交回復前の除斥期間の経過を認めることは相当でないとする見解に立ったとしても,我が国と中国との国交が回復した後は,原告らの権利行使が事実上といえども不可能であったとみることはできないにもかかわらず,国交回復時からみても,本件訴訟が提起されるまでには,6か月はもとより,20年以上が経過しているのである。原告らの被告国に対する権利行使を社会通念上著しく困難ならしめていた事情が解消した後,既に訴え提起に要する相当期間が経過していることは明らかといわざるを得ないのである。

d 以上によれば,仮に,原告らの被告国に対する民事上の損害賠償請求につき,日本国民法を適用したとしても,原告らの被告国に対する損害賠償請求権につき,民法724条後段の適用を制限し,なお,その除斥期間が経過していないと解することは困難というほかはなく,原告らにおいて,原告らが中国に帰国したと主張する昭和20年11月末ないし12月ころから20年が経過することによって,同請求権は,除斥期間の経過により消滅したものと解さざるを得ない。

ウ 小括

 したがって,仮に,本件当時の国内法を適用したとしても,原告らの被告国に対する民事上の損害賠償請求は,失当といわざるを得ない。

2 被告企業に対する請求について

(1) 隔地的不法行為の準拠法

 原告らは,被告企業が,被告国と共に,原告らを強制的に中国における生活から離脱させて連行し,日本における被告企業が経営する事業所において強制的に労働に従事させた不法行為に基づく民事上の損害賠償請求に関しては,法例11条1項により,1930年中華民国民法が準拠法として指定されると主張して,同法に基づく損害賠償を請求する。

 原告らが主張する被告企業の上記不法行為は,その行為地が中国及び日本の双方にまたがるものであるため,このような隔地的不法行為について中国又は日本のいずれの民法が適用されるかが問題になる。

 我が国の法例は,不法行為の準拠法について,不法行為の原因たる事実の発生した地の法律によることを規定する(法例11条1項)。法例11条1項が,不法行為の準拠法につき不法行為地法主義を採用した理由については,不法行為に関する法律が,自国において行われた行為については,行為者の国籍・住所のいかんを問わず一般に適用されることを目的とするいわゆる一般法であること,不法行為における加害者の責任と被害者の救済の問題は,侵害行為のなされた社会の公益に関係するところが大きいこと,不法行為地法によらない限り,行為者が自己の行為の結果について予測することが困難になること,被害者が賠償を求めるのは通常不法行為のなされた地であるからその地の法によることが被害者の利益に適することなどが挙げられている。

 そして,不法行為が複数の国にまたがるいわゆる隔地的不法行為の準拠法は,原則として,不法行為が行われたいずれかの地の法律となるが,ある国において不法行為の主要な部分が行われ,他の国においては,副次的又は軽微な部分しか行われていないときは,主要な部分が行われた地の法律によらなければ,最も密接な利害を有する地の公益が維持されないし,行為者の予測も困難になるから,その主要な部分が行われた国の法律が準拠法となると解すべきである。

(2) 本件への適用

ア これを本件についてみると,原告らは,被告企業の不法行為責任を発生させる事実として,@ 被告企業が,原告らを含む中国人の日本への強制連行に加担したこと,A 被告企業の各事業所において,原告らを含む中国人労働者を強制的に劣悪な労働条件下で過酷な労働に従事させたこと,B 被告企業の従業員が,上記強制連行及び強制労働に関与したことを主張する。上記@の点についてみるならば,原告らは,深刻な労働力不足に悩んでいた被告企業が,被告国に対して行っていた労働力確保の要求が大きな要因となって,原告らを含む中国人をその意思に反して日本に強制的に連行し,被告企業の各事業所で強制的に劣悪な労働条件下で過酷な労働に従事させるという政策が策定されたことをもって,被告企業が原告らを含む中国人の日本への強制連行に加担したと主張するものであり,被告企業の日本における政策決定過程における関与が不法行為として主張されているものと解さざるを得ないし,Aの点が,被告企業の日本における行為を不法行為に当たると主張するものであることも明らかである。そして,Bの点についてみると,被告企業の従業員が,中国において行われた原告ら中国人に対する連行に関与したことが不法行為に当たるとする限度では,被告企業の従業員の中国における行為を問題にするものということができるが,原告らの主張によっても,原告らの拉致及び強制連行は,日本軍等によって行われたというのであり,被告企業の従業員の関与については,一部企業の担当者が中国国内の港まで派遣されていたことを主張するにとどまる。したがって,原告らの主張する被告企業の不法行為は,そのほとんどすべてが日本国内で行われたものであることがその主張自体から明らかである。上記説示のような被告企業の要求が被告国の政策決定及びその後の強制連行・強制労働の要因になったとの事情を考慮したとしても,その不法行為の主要な部分が日本国内において行われたものであることに変わりはないから,この不法行為の準拠法は,日本法となると解するよりほかはない。

イ 原告の反論について

 原告は,このような隔地的不法行為について,原告らは自らの行き先を指定することはできなかったのに対し,被告らはこれを選択することができたのであるから,当事者利益の観点から,中国法が適用されるとの趣旨の奥田第1意見書(甲総18号証)を提出する。

 しかし,法例11条が不法行為地法主義を採用した根拠として説示した前記事由のうち,特に行為者の予測可能性を考慮すると,上記アの判断は,まさにその趣旨に合致こそすれ,反することはないというべきである。また,奥田第1意見書において挙示されている判例(大阪地裁平成2年12月6日判決,松山地裁平成6年11月8日判決)は,いずれも,所有権侵害という不法行為は,外国において完結し,その後の侵害は不可罰的事後行為というべき事案に関するものであり,そもそも隔地的不法行為ということもできず,本件とは明らかに事案を異にする。奥田第1意見書をもって,上記アの判断が左右されるものではない。

ウ 小括

 以上によれば,原告らの被告企業に対する不法行為に基づく損害賠償請求権の存否を判断するに当たっては,法例11条1項に基づき1930年中華民国民法が適用されるとする原告らの主張は,これを採用することができず,同法に基づく請求は,その余の点について判断するまでもなく,失当というほかはない。

(3) 日本国民法を適用したと仮定した場合の検討

 以上のとおり,原告らの被告企業に対する1930年中華民国民法に基づく損害賠償請求は,失当というほかはないが,なお,念のため,法例11条1項により準拠法として指定される我が国の民法に基づく原告らの被告企業に対する損害賠償請求権の存否について検討を加えると,この場合,原告らの被告企業に対する損害賠償請求権は,民法709条又は715条を根拠とするものとなるから,民法724条後段の適用により,その損害賠償請求権が消滅したと解さざるを得ないことは,既に説示したところと同様である。

第3 安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求について

1 安全配慮義務の内容,根拠,性質,発生要件

(1) 安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務である(最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決・民集29巻2号143頁参照。以下「昭和50年第三小法廷判決」という。)。安全配慮義務は,主として雇用関係,労働契約関係において事故が発生した場合の責任を念頭において論じられる義務であって,債権債務関係のある当事者間において,一方又は双方が本来的に負う主たる給付義務のほかに,その給付の結果の実現のために密接に関係する行為義務を信義則上負うことを根拠とする付随義務の一種であり,安全配慮義務違反とは,主たる債務の履行は一応あるが,その内容に債務の本旨に従わない不完全さ(瑕疵)があるいわゆる不完全履行の一種であると解されている。このように,安全配慮義務違反による損害賠償請求権は,債務不履行に基づく損害賠償請求権の性質を有するものである(最高裁昭和55年12月18日第一小法廷判決民集34巻7号888頁参照)。

 安全配慮義務の考え方は,契約上の主たる債権債務である給付義務とは別の一定の付随義務を契約関係における信義則を根拠に契約上の債権債務に包含させる機能を有するから,その面では契約責任の内容を本来的な狭義の債権債務から拡大する側面を有するものであるが,それとともに,私法上の直接の契約当事者の関係にある者に限らず,第三者を介して実質的に契約当事者類似の関係にある者や,公法上の法律関係に基づき契約類似の関係に入った当事者間においても,信義則上,契約上の債権債務と同様の規範を設定し,その違反を債務不履行として規律するものであって,このように直接の契約関係には立たない者の間において契約責任を設定する機能を有する点で,狭義の契約責任の主体の範囲を実質的に拡大する側面をも有するものである。したがって,安全配慮義務は,当事者間に,直接の雇用関係がない場合であっても,直接の契約関係にあるのと同視し得るような「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」が存在する場合,すなわち,雇用契約に準ずる法律関係に基づき,一方が他方の直接的な指揮監督,支配管理の下で労務を提供するなど,事実上の使用従属関係にある場合にもこれを認めることができるものの,上記のように,安全配慮義務が契約規範に基づく義務であり,同義務違反による損害賠償請求権が債務不履行に基づく損害賠償請求権の性質を有するものである以上,直接の契約当事者ではなく,しかも,雇用契約に準ずる法律関係に基づく使用従属関係もない当事者間においては,安全配慮義務違反の有無が問題になる余地はない。上記のような法律関係が存在しない場合にも,特定人に他人の安全を保護するための法的義務が課される場合があるが,このような法律関係は,一般の不法行為法によって規律されるものと解すべきである。

(2) この点につき,原告らは,安全配慮義務とは,危険責任,報償責任の法理に基づく義務であるから,「特別な社会的接触の関係」の基となる法律関係は雇用関係に限定されず,その法律関係に伴う危険の現実化によって,一方が,相手方の法益を侵害し,損害を与える可能性が増大するような関係であって,その法律関係において,一方又は双方が,相手方に対し,その危険を管理し,又はその関係から利益を得ている関係があれば,事実上の使用従属関係があることをもって安全配慮義務の発生を認めるに足りるとし,最高裁平成3年4月11日第一小法廷判決・裁判集民事162号295頁(以下「平成3年第一小法廷判決」という。)及び最高裁平成2年11月8日第一小法廷判決(以下「平成2年第一小法廷判決」という。)を引用し,また,安全配慮義務が発生する根拠は,労働契約関係という合意それ自体ではないから,義務に対応する権利者側の同意等の意思表示は必要なく,使用者が労働関係を設定し,労務の提供を請求する意思があれば足りるとする松本克美の意見書(甲総49号証)及び同人執筆の論文(甲総65号証の2)を提出し,その根拠として最高裁昭和59年4月10日第三小法廷判決・民集38巻6号557頁(以下「昭和59年第三小法廷判決」という。)が「労働者は,使用者の指定した場所に配置され,使用者の供給する設備,器具等を用いて労務の提供を行うのであるから,使用者は,右の報酬支払義務にとどまらず,労働者が労務提供のため設置する場所,設備もしくは器具等を使用し又は使用者の指示のもとに労務を提供する過程において,労働者の生命及び身体等を危険から保護するよう配慮すべき義務を負っているものと解するのが相当である。」と判示する点を指摘する。

 しかしながら,平成3年第一小法廷判決は,元請企業と下請企業との間の請負契約及び下請企業とその従業員(元請企業にとってはいわゆる社外工)との間の雇用契約を媒介として間接的に成立した法律関係に基づき,下請企業の従業員が,いわゆる社外工として,元請企業の管理する設備,工具等を用い,事実上,元請企業の指揮,監督を受けて稼働し,その作業内容も元請企業の従業員であるいわゆる本工とほとんど同様であるという特別な社会的接触の関係に入っている場合につき,元請企業の下請企業の従業員に対する安全配慮義務違反を認めた原判決を是認したものであって,危険責任や報償責任を理由として,何らの法律関係に基づかない単なる事実上の支配従属関係がある者らの間に「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」があるとしたものでないことは明らかである。また,平成2年第一小法廷判決も,委託者たる船主と受託者たる運送会社との間の船舶運送委託契約及び船主と船長との間の雇用契約を媒介として間接的に成立した法律関係に基づき,受託者は,船舶を自己の業務の中に一体的に従属させ,船舶の船長に対し,その指揮監督権を行使する立場にあり,船長から実質的に労務の供給を受ける関係にあった場合につき,運送会社に船長に対する安全配慮義務を認めた原判決を是認したものであって,危険責任や報償責任を理由として,何ら法律関係に基づかない単なる事実上の支配従属関係がある者らの間に「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」があるとしたものでないことは明らかである。これらの事案は,いずれも,第三者を媒介にした複数の契約関係を前提として当該当事者間に雇用関係類似の使用従属関係(指揮監督と労務提供の関係)が認められるものなのである。また,昭和59年第三小法廷判決は,当事者間に直接の雇用関係があった事案であって,労働者が,契約上の義務として労務の提供を行う場合に,使用者は,有償双務契約上の義務として,賃金支払義務に加えて安全配慮義務を負うことを判示するものであり,安全配慮義務の発生根拠として使用者側の労務提供請求意思のみをもって足りるとしたものではない。

 そうすると,原告ら指摘の判例が,雇用関係,又はこれに準ずる法律関係のない単なる事実上の支配従属関係があることのみを根拠に安全配慮義務違反を認めたものではないことは明らかである。

(3) そこで,以下においては,(1)に説示した観点から,被告らが原告らに対して安全配慮義務を負っていたと解することができるかどうかについて検討する。

2 被告国に対する請求について

(1) 原告らは,被告国が原告らに対して安全配慮義務を負う根拠として,国家総動員法4条,国民徴用令により徴用された日本国民と国との関係が安全配慮義務の発生の前提となる「特別な社会的接触の関係」に当たり,かつ,中国から強制的に連行され,一定の業務に従事することを強制された原告らと被告国との関係は,国家総動員法4条,国民徴用令により徴用された日本国民と国との関係に類似した関係にあると主張するので,この点について検討する。

 まず,国家総動員法4条,国民徴用令により徴用された日本国民と国との関係が安全配慮義務の発生の前提となる「特別な社会的接触の関係」に当たるか否かについてみると,国民徴用令17条は,「被徴用者総動員業務ニ従事スル場合ニ於テハ(中略)管理工場又ハ指定工場ニ使用セラルル者ニ在リテハ當該管理工場又ハ指定工場ノ事業主ノ指示ニ從フベシ」と定め,同18条1項は「被徴用者ニ対スル給與ハ(中略)被徴用者ヲ使用スル管衙ノ長又ハ事業主之ヲ支給スルモノトス」と定めており,被徴用者が総動員業務に従事する場合,被徴用者は,総動員業務を行う管理工場又は指定工場の事業主の指揮を受け,給与は官衙の長又は事業主から支給されるものとされていることからすると,徴用の結果生じる使用従属関係は,被徴用者と事業主との間に発生することが予定されていたということができ,被徴用者と国との間において,被徴用者が国の直接的な指揮監督,支配管理の下で労務を提供するなどの使用従属関係が生ずることは予定されていないというべきである。そうすると,国家総動員法4条,国民徴用令により徴用された日本国民と国との関係が安全配慮義務の発生の前提となる「特別な社会的接触の関係」に当たると解することはできないから,これを前提とする原告らの主張は,失当といわなければならない。

 また,原告らは,原告らと被告国との関係が国家総動員法4条,国民徴用令により徴用された日本国民と国との関係に類似するとも主張するのでこの点についても検討すると,国家総動員法4条,国民徴用令に基づく徴用においては,厚生大臣が,徴用されるべき者の居住地を管轄する地方長官に対し,徴用命令の通達を行い,通達を受けた地方長官が徴用されるべき者に対して徴用令書を発して交付するものとされており(国民徴用令7条),国と徴用されるべき者との間には,徴用令書の発付,交付という公法的法律行為が存在する。しかし,原告らは,原告らがその主張に係る強制労働に従事させられた前提となる事実関係として,被告国は,華北労工協会から労働者の供給を受けるという外観を取りながら,実態は,原告らを日本軍又は傀儡政府によって強制的に拉致,連行した上,日本国内の被告企業の各事業所において強制的に労働させたと主張しているのであるから,原告らと被告国との間には,何らの法律行為が存在しないことを主張しているものとみざるを得ない。原告らの主張に係る原告らと被告国との関係は,上記のような公法的法律行為が介在する日本国民たる被徴用者と国との間の関係とは全く異なるものであり,原告らと被告国との間の関係が日本国民たる被徴用者と国との間の関係に類似するという原告らの主張もまた失当である。

(2) さらに,原告らは,原告らの労働にかかわる被告国による指揮,監督に関し,@ 国家総動員法6条に基づき,政府は,企業及び従業員に対し,従業者の使用,雇入,解雇,賃金その他の労働条件全般にわたって統制命令を発することができ,1941年の同法改正後は,従業員に対しても命令をなし得ることとなっていた,A 労働提供契約及び華人労務者対日供出実施細目(以下「実施細目」という。)は,いわば政府の命令によって作られた約款というべき性質のものである,B 1944年11月28日の次官会議によって,労働管理は,政府関係機関及び警察署が行うように決められ,内務省は,厚生省,軍需省と連名をもって,中国人労働者の指導及び取締りに関し通牒を発し,関係地方庁は作業場宿舎等の選定,警戒対策など取締上必要な準備をすることとされ,警察は,宿舎に見張所を設置し,点呼等に立会いをしていた,C 賃金についても,企業が支払うことになっていた日当の半分を国が負担し,戦後には,企業が中国人労働者によって受けた損害につき補償金を支払ったから,経済的にも企業と共同して中国人労働者を使用しているといい得る関係にある,D 被告国は,国家総動員法に基づき,その労働条件を規律しており,施設,器具等も,国家総動員法の配給機構の下では,被告国が提供していたと同視できる面もあるし,宿舎の位置,構造は内務省警保局外事課が立案し,関係当局の協議において決定し,食料はもとより,衣類,履物も最低限度の保障をできるものであったとした上,そのような関係は,まさしく勤務条件を具体的に支配管理するという直接的具体的な労務の支配管理性を有する関係にほかならないと主張する。

 しかしながら,前記説示のとおり,安全配慮義務が発生するのは,雇用契約又はこれに準ずる法律関係に基づき,一方が他方の直接的な指揮監督,管理支配の下に労務を提供するなど,使用従属関係にあることを要するところ,被告国が企業及び従業員に対して労働条件全般にわたって統制命令等を発することができたこと(@),労務提供契約及び実施細目の策定において被告国の指示又は命令があったこと(A),関係各省等により原告らの管理を行うものとされていたこと(B),被告国が国家総動員法に基づき原告らの労働条件を規律し,施設,物品等の提供に関与していたこと(D)等の原告らが主張する被告国による原告らの労務に対する規律や介入の態様は,被告企業が各事業所において原告らに対して直接指揮監督をするなどして,その労務を支配管理していたことに対して,法律,命令,通牒等により規制を加え,あるいは,見張所等の設置,立会い,取締り等の間接的な方法で被告企業が各事業所において行う労務管理に対して統制を加え,関与していたことをいうにすぎないのであって,原告らは,被告国が,労働現場において,原告を直接指揮監督し,その労務を管理支配するなどの関係にあったことを主張するものではない。原告らの主張は,原告らと被告国との間に雇用契約又はこれに準ずる法律関係に基づき,原告らが被告国の直接的な指揮監督,管理支配の下に労務を提供するなどの使用従属関係があったことを主張するものとはいえない。また,被告国の被告企業に対する賃金の負担(C)についても,原告らはそもそも賃金を受け取っていないと主張しているのみならず,原告らの主張するところによっても,原告らに対し,直接賃金を支払うのはあくまで被告企業なのであって,被告国が原告らに対して賃金の支払義務を負っていたことを主張するものではなく,被告国は,被告企業に対し,その損失を補てんしたというにすぎないのであるから,この事実によって,被告国と原告らとの間に雇用契約又はこれに準ずる法律関係に基づく使用従属関係があったとみることはできない。

(3) 以上のとおり,原告らが主張する事実関係を前提とすれば,原告らと被告国との間に,安全配慮義務が発生する前提となる「ある法律関係に基づく特別な社会的接触の関係」が存在したとみる余地はなく,その余の点について判断するまでもなく,原告らの主張は失当である。

3 被告企業に対する請求について

(1) 原告らは,被告企業と原告らとの間には,労働契約が存在する場合と同様の使用従属関係があり,被告企業が原告らを含む中国人労働者を支配管理してきており,直接の労務支配関係があるから,被告企業は,原告らに対する安全配慮義務を負担すると主張する。

 しかしながら,原告らの主張は,原告らはその意思に反して,被告企業の各事業所において,強制的に労働に従事することを余儀なくされたと主張するものであって,原告らと被告企業との間に生じた社会的接触は,安全配慮義務の発生が問題となる雇用契約関係又はこれに準ずる法律関係に基づくものではないと主張するにほかならない。原告らがその意思に反して,被告企業の各事業所者において,強制的に労働に従事させられていたとの事実関係の下において,被告企業が原告らに対して負担する義務のいかんは,まさに,不法行為規範を適用して判断すべきものといわざるを得ず,原告らの主張は失当である。

(2) 仮に,被告企業と原告らとの間に,雇用関係に準ずる法律関係が存在しており,この法律関係に基づき,原告らが被告企業の指揮監督,管理支配の下に労務を提供していたとみる余地があり,この法律関係の付随義務として被告企業が原告らに対する一定の安全配慮義務を負担しており,被告企業がこれに違反した結果,原告らの被告企業に対する安全配慮義務違反による損害賠償請求権が成立するとしても,同請求権は,少なくとも,原告らが被告企業の各事業所における労務提供を終了したとき(原告らの主張によれば,昭和20年1月25日ないし同年8月15日となる。)から10年(民法167条1項)を経過した時点,すなわち遅くとも昭和30年9月までには,消滅時効の完成により消滅したことが明らかである。

 この点につき,原告らは,被告企業が,国策として行われた中国人に対する強制連行・強制労働に深くかかわり,積極的に国を動かすという役割を担うなど,上記政策を積極的に推進しておきながら,責任追及を免れるために事業場報告書等に虚偽の記載をし,あるいは報告書を焼却するなど事実の隠蔽を画策したこと,過酷な労働を原告らに課しながら,賃金を全く支払わず,かえって国から損失補償を受けるなど,原告らの犠牲の上に多大な利潤を獲得してきたことなどを指摘し,外務省管理局作成に係る「華人労務者就労事情調査報告書」(以下「外務省報告書」という。)の存在が明らかとなり,被告企業による安全配慮義務違反が明らかになった以上,消滅時効の規定は適用されない旨を主張する。

 しかしながら,債権の消滅時効の制度は,@ 権利者がどのような古い権利でも主張できることにすると,義務者は,その義務の不存在又は既に履行されたことという古い過去の事実について思いもよらぬ時期に証明しなければならないことになるが,それは実際上極めて困難であることにかんがみ,その立証に代えて,一定の期間に限って訴訟上の救済を認め,期間の経過の立証をもって,義務の不存在の主張をすることを許す必要があること,A 長期間継続した事実状態を維持することが,法律関係の安定のために必要であること,B 権利行使を長期間怠った者は法の保護に値しないこと,C 長期間継続した事実は,法律上正当な根拠に基づく蓋然性が多いこと等の目的,機能,根拠から,債権の性質に応じてそれぞれの消滅時効期間を定め,債権者に可及的速やかにその実行を求めさせ,債権債務をめぐる法律関係を早期に確定させようとするとともに,債権者の権利実現の利益と債務者と目される者が長期間経過後に反証資料を失い訴訟上債務者とされることを防ぐという利益との調整を図ったものである。原告らが消滅時効の規定の適用を妨げるべき理由として主張するところは,帰するところ,時効が成立する場合には,その存否が問われることのない50年以上前の過去の事実が存在することを前提とするものであるし,また,当該債権の発生原因事実が生じたとされる時期から50年以上の期間が経過することによって,その発生原因事実として主張される事実に係る積極,消極の証拠が散逸し,原告らが主張する事実関係の具体的認定が困難になっていることは,原告らにおいては,各個別の原告に係る主張事実の立証を50年以上前の出来事についての記憶に基づく原告ら本人の供述に依拠するよりほかなく,他方,被告企業においては,別冊1記載の原告らの被害事実についての個別の認否すらできず,原告らによってその信用性を否定されている事業場報告書以外には有力な立証手段を持たないなど,訴訟の経過にかんがみて明らかである。この点につき,原告らは,外務省報告書の存在が明らかになったことにより,被告企業による安全配慮義務違反は明らかになったと主張するけれど,甲総第2号証,同第3号証の1ないし5(外務省報告書)及び弁論の全趣旨によれば,被告国は,昭和17年11月27日の閣議決定により中国人労働者を移入する方針を決定し,上記決定の下に,多数の中国人がその意思に反して日本に移入させられたこと,これら中国人が,日本の企業の事業所において,劣悪かつ過酷な労働条件の下で労働に従事させられ,その中で相当多数の死亡者,傷病者が出たことなどの事実を認めることはできても,これによって,各原告の労働条件,各被告企業の対応ないし措置を個別に認定することができないことは明らかである。

 加えて,除斥期間の成否で検討したとおり,我が国と中華人民共和国との間の国交が断絶していた間は,原告らが権利を行使することが社会通念上著しく困難であったとみる余地はあるとしても,原告らは,その主張するその他の事情を含め,原告らを取り囲む社会経済情勢が,原告らの権利行使を事実上困難ならしめていたことを主張するに帰し,原告らの権利行使が法的に不可能であったとの事情を主張するものではない。原告らは,「法律上の障碍」が存在しないにもかかわらず,時効期間経過前に権利を行使して提訴するに至っておらず,時効期間が経過した後,更に37年以上経過してから,国交回復時からみても20年以上を経過してから本訴を提起したものである。これらの事情を総合すれば,原告らの主張をもってしても,消滅時効の成立を妨げる理由にはならないと解するのが相当である。

(3) 以上によれば,いずれにせよ,原告らの被告企業に対する安全配慮義務違反による損害賠償請求は理由がない。

第4 立法の不作為を理由とする損害賠償請求

1 立法の不作為が違法となる場合

 原告らは,被告国の国会議員が,被告らが行った強制連行・強制労働という根源的人権問題について認識していたにもかかわらず,長期間,賠償ないし補償立法をせずに,これを放置してきたという不作為について,被告国は,立法不作為の違法を理由として,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償義務を負う旨主張する。

 しかしながら,国家賠償法1条1項は,国又は公共団体の公権力の行使に当たる公務員が個別の国民に対して負担する職務上の法的義務に違背して当該国民に損害を加えたときに,国又は公共団体がこれを賠償する責に任ずることを規定するものである。したがって,国会議員の立法行為(立法不作為を含む。以下同じ。)が同項の適用上違法となるのは,国会議員の立法過程における行動が個別の国民に対して負う職務上の法的義務に違背した場合に限られることになる。

 そこで,国会議員が立法に関し,個別の国民に対する関係においていかなる法的義務を負うのかについてみると,憲法が採用する議会制民主主義の下においては,国会は,国民の間に存する多元的な意見及び諸々の利益を立法過程に公正に反映させ,議員の自由な討論を通してこれらを調整し,究極的には多数決原理により統一的な国家意思を形成すべき役割を担うものである。そして,国会議員は,国民による選挙という民主的コントロールを受けながら,多様な国民の意向をくみつつ,国民全体の福祉の実現を目指して行動することが要請されているのであって,議会制民主主義が適正かつ効果的に機能することを期するためにも,国会議員の立法過程における行動で,立法行為の内容にわたる実体的側面に係るものは,これを各議員の政治的判断に任せ,その当否は終局的には国民の自由な言論及び選挙による政治的評価にゆだねられるべきものと解される。このように,国会議員の立法行為は,本質的に政治的なものであって,その性質上法的規制の対象になじまず,特定個人に対する損害賠償責任の有無という観点からあるべき立法行為を措定して具体的立法行為の適否を法的に評価するということは,原則的には許されないものといわざるを得ない。以上のとおり,国会議員は,立法に関しては,原則として,国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり,個別の国民に対する関係で法的義務を負うものではないというべきであって,国会議員の立法行為は,立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき,容易に想定し難いような例外的な場合でない限り,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けることはないものと解すべきである(最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁参照)。

 これを,国会議員の立法不作為が違法の評価を受ける場合についてみるならば,具体的な立法をすべき作為義務について,立法すべき法律の内容にわたり憲法上一義的に明白に定められているか,又はそのような作為義務が憲法の解釈上一義的に明白であるにもかかわらず,それに違反して国会としてあえて当該立法を怠るなど,容易に想定し難いような例外的な場合でない限り,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けることはないと解すべきである。

2 本件の検討

 以上を前提に本件についてみると,原告らは,憲法前文,9条,13条,14条,17条,29条1項,同条3項,40条及び98条2項によれば,原告らに対する賠償ないし補償立法を行うべき立法義務が一義的に明白に示されていると主張するが,これらの条項を子細に検討しても,強制連行・強制労働の被害を受けた者に対して,いつ,どのような賠償ないし補償を行うかなど,採るべき立法措置の具体的内容を一義的に定めた条項は,およそ見当たらない。すなわち,憲法前文は,憲法の基本理念を宣言するものであって,到底具体的な立法義務を一義的に定めるものと解することはできず,憲法9条は平和主義の原則を,憲法13条は幸福追求権を,憲法17条は国家賠償請求権を,憲法29条1項及び3項は財産権の保障及び損失補償請求権を,憲法40条は刑事補償請求権を,憲法98条2項は国際協調主義をそれぞれ定めるものであるが,どれ一つとっても,又はこれらを総合しても,強制連行・強制労働の被害を受けた者に対する関係で採るべき立法措置について,その具体的内容を一義的に定めた規定ではないことは明らかである。したがって,国会が,強制連行・強制労働の被害を受けた者に対する賠償ないし補償を行うことなどを定めた立法をしないことが,これらの条項の一義的な文言に反すると認めることは到底できない。

 ひるがえって考えると,第2次世界大戦により,ほとんどすべての日本国民が様々な被害を受け,また,中国大陸,朝鮮半島その他の地域の他国民も日本軍等の行為によって様々な被害を受けたこと,その態様は多種,多様であって,その程度において極めて深刻なものが少なくなく,その間に容易に優劣をつけ難いことは公知である。第2次世界大戦中に被告国の政策的決定の下に行われた日本軍等の戦闘行為やこれに付随して国の権力的作用として行われた軍人,軍属その他の公務員の行為によって,日本国民又は上記地域の他国民が被害を受けた場合において,これらの者が被告国に対して損害賠償を求める国際法上の根拠を見いだし難いことや,民法の規定に基づき損害賠償請求権が成立したとしても,現時点においては,除斥期間の経過により,これが消滅していると解さざるを得ないことは,既に説示してきたところから明らかである。現行法上これらの被害を救済することが困難な状況の下で,被告国が,いかなる者に対して,どのような実体的,手続的要件の下で,どのような賠償ないし補償を行うのかは,その事柄の性質上,全国民的な議論を踏まえ,戦後における国内外の社会経済情勢に照らした,外交,財政,経済,社会政策等の国政全般にわたる総合的政策判断を待って初めて決し得る性質の問題であるというべきである。甲総第2号証,同第3号証の1ないし5及び弁論の全趣旨によれば,被告国は,昭和17年11月27日の閣議決定により中国人労働者を移入する方針を決定し,上記決定の下に,多数の中国人がその意思に反して日本に移入させられたこと,これら中国人が,日本の企業の事業所において,劣悪かつ過酷な労働条件の下で労働に従事させられ,その中で相当多数の死亡者,傷病者が出たことは,これを認めるのに十分であるが,これによって被害を受けた者に対する賠償ないし補償の要否及びその在り方についても以上に述べたところと別異に解することはできない。この点についても,国民による選挙という民主的コントロールを受けながら,多様な国民の意見や自由な議論,原告らが主張する国際的補償立法の流れなどの内外の動向をも踏まえた立法府の上記のような総合的政策的判断に基づく立法裁量にゆだねられていると解されるのである。この点についての立法の不作為を理由とする損害賠償請求は,いわば,司法に立法行為を求めるに帰するものといわざるを得ない。

3 小括

 以上によれば,立法不作為の違法を理由とする原告らの被告国に対する損害賠償請求も失当である。

第5 その他の金銭請求について

1 賃金請求権について

 原告らの主張は,原告らは拉致,監禁の上,被告企業の各事業所において,強制的に労働を余儀なくされたと主張するものであって,被告企業との間の雇用契約等の契約関係の存在を主張するものではないから,原告らの賃金請求権は主張自体失当である。

 仮に,被告企業と原告らとの間に,雇用関係又はこれに類似する一定の法律関係が存在し,原告らの被告企業に対する賃金請求権が成立する余地があるとしても,同請求権は,少なくとも,原告らが被告企業の各事業所における労務提供を終了したとき(原告らの主張によれば,昭和20年1月25日ないし同年8月15日あるいは同年11月29日となる。)から1年(民法174条2号)を経過した時点,すなわち遅くとも昭和21年12月ころまでには,消滅時効の完成により消滅したことが明らかであって,消滅時効の規定が適用されない旨の原告らの主張が採用できないことは前記のとおりである。

2 不当利得返還請求権について

 原告らは,前記賃金請求権が発生しないとしても,原告らは,悪意の受益者である被告企業に対し,不当利得返還請求権を有している旨を主張する。しかしながら,仮に,原告らが被告企業に対して不当利得返還請求権を有していたとしても,同請求権は,原告らが被告企業の各事業所における労務提供を終了したとき(原告らの主張によれば,昭和20年1月25日ないし同年8月15日あるいは同年11月29日となる。)から10年(民法167条1項)を経過した時点,すなわち遅くとも昭和31年12月ころまでには,消滅時効の完成により消滅したことが明らかであって,消滅時効の規定が適用されない旨の原告らの主張が採用できないことは前記のとおりである。

第6 名誉回復措置請求について

 原告らは,@ 中国から強制的に連行され,被告企業の各事業所で労働に従事させられるという利敵行為を強制されたことにより,また,原告らの人格をかえりみない非人道的な取扱いを受けたことにより,その名誉感情を傷つけられ,さらに,A 帰国後は,同胞が日本と戦っているときに,敵国である日本に出稼ぎに行き,日本のために働いたという誤解の下に非難を受けるなど,その名誉を蹂躙されたとして,被告らに,名誉回復措置として別紙謝罪広告文案記載の謝罪広告を求めるものである。

 しかし,民法723条にいう名誉とは,人がその品性,徳行,名声,信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価,すなわち社会的名誉を指すものであって,人が自己自身の人格的価値について有する主観的評価,すなわち名誉感情は含まないものと解されるから(最高裁昭和45年12月18日第二小法廷判決・民集24巻13号2151頁参照),原告らが傷つけられたと主張する名誉感情を回復するために同条に定める処分を求めることはできないし,また,被告らの違法行為と原告らが中国において誤解に基づく非難を受けて名誉を毀損されたこととの間に相当因果関係があるとみることも困難であるというほかはない。

 したがって,原告らの名誉回復措置請求も,その主張に照らし失当である。

第7 原告らの準備書面(13)による訴えの追加的変更の許否について

 原告らは,平成14年1月15日付けの準備書面(13)において,@ 被告国は,昭和20年8月14日にポツダム宣言を無条件に受諾することを決定し,翌15日に無条件降伏を宣言したのであるから,被告らは,強制連行され,強制労働に従事させられた原告らに対し,条理上当然の原状回復義務として,必要な保護を行う一般的作為義務を負っており,具体的には,未払賃金の支払,衣食・必要物資の支給,帰郷費用を含む帰還のための措置,傷病した原告に対する十分な治療や療養給付と補償,強制連行・強制労働による肉体的,精神的苦痛に対する慰謝,破壊された生活の回復ための補償,強制連行・強制労働の経過と実情についての事実関係情報の提供をする義務があったのに,被告らは,原告らを着の身,着のままの状態で塘沽等に送り届けたのみで,賃金すら支払わず,上記保護義務を怠っており,被告らには,保護義務違反による不法行為責任がある,A 被告らは,戦後共謀して中国人の強制連行・強制労働に関する統計資料,訓令その他の重要書類を焼燬し,ことに外務省報告書や事業場報告書といった基本となる報告文書を完全廃棄し,中国人労働者の遺骨を意図的に散逸させ,国会答弁などにおいては,上記隠滅工作を奇貨として外務省報告書等の証拠資料の存在を否定し,ひいては,強制連行・強制労働の事実そのものを否定し,事実の解明をしようとする者があれば,その調査活動を妨害するなどした一連の不法行為による責任があるとの趣旨の新たな不法行為の主張を追加した。

 追加して主張された上記不法行為に基づく損害賠償請求(以下「新請求」という。)は,ポツダム宣言受諾後の保護義務違反及び戦後の新たな違法行為という戦後における被告らの行為が違法であったことを請求の原因とするものであり,他方,上記追加主張がされるまでの損害賠償請求(以下「旧請求」という。)は,強制連行・強制労働の違法又は強制連行・強制労働によって原告らが被った損害を填補するための立法を行わない不作為の違法を請求の原因とするものであって,新請求と旧請求とは訴訟物を異にするものであることが明らかである。したがって,原告らの上記主張の追加は,単に攻撃防御方法を追加するにとどまらず,訴えを追加的に変更するものと解される。

 そこで,上記訴えの追加的変更の適否についてみると,新請求と旧請求とは,その請求の原因を対比すれば,被告らの違法行為が行われたとされる時期,違法行為の内容が全く異なり,請求の基礎を異にするものといわざるを得ず,上記訴えの追加的変更は,民事訴訟法143条1項の請求の基礎に変更がない場合には当たらないものというべきである。しかも,新請求は,本件の証拠調べが終了し,第10回口頭弁論期日において,裁判長から原告らが最終準備書面を提出する場合は,口頭弁論を終結する予定である次回期日までに提出するよう指示された第11回口頭弁論期日までには一切主張されず,同期日において原告らによる担当裁判官全員の忌避申立てがあり,その後,口頭弁論期日が開かれた平成14年2月5日の第12回口頭弁論期日になって突然申し立てられたものであるところ,新請求は,従前の主張とは全く異なる事実関係の下に,新たに不法行為に基づく損害賠償を請求するものであるにもかかわらず,その請求に係る損害額については,新たな不法行為の主張に相応した具体的主張が何もない上,旧請求と新請求の各請求の原因が上記のとおり全く異なるものであることからすれば,上記訴えの追加的変更が許容されることになれば,被告らが,新たに主張された被告らの戦後の対応に係る事実主張に対する認否や,その責任についての反論等をすることが必要となり,そのための弁論期日を更に重ね,場合によっては証拠調べが必要になるなど,直ちに本件訴訟の弁論を終結することができず,著しく訴訟手続が遅延することになるといわざるを得ない。

 以上によれば,新請求を追加する原告らの訴えの変更は,旧請求と請求の基礎を異にし,かつ,これにより著しく訴訟手続を遅延させることになるものというほかはないから,不適法であって許されない。

第8 結論

 以上によれば,原告らの準備書面(13)による訴えの追加的変更は許されず,原告らの請求はいずれも理由がないからこれを棄却することとし,訴訟費用の負担につき,民事訴訟法61条,65条を適用して,主文のとおり判決する。

 

東京地方裁判所民事第25部

 

           裁判長裁判官   綿 引 万里子

 

裁判官   生 野 考 司

 

裁判官本山賢太郎は,差し支えのため署名押印することができない。

 

裁判長裁判官   綿 引 万里子

 


 

事実関係に関する当事者の主張

(原告らの主張)

第1 強制連行・強制労働の事実経過総論

1 中国人強制連行の背景と政策決定に至る経緯

(1) はじめに

ア 多数の中国人が,中国国内から日本軍と国民政府(王兆銘政権)によって捕えられ,日本に連行されて苛酷な労役を強いられ,虐待,暴行及び栄養失調などによってそのうちの多数が死亡した事実が今日判明している。

 この中国人強制連行は,日本政府自身の報告書によって明らかにされている。すなわち,日本政府は,1946年3月1日,中国人の強制連行問題について,強制連行により配属された日本国内35社135事業所の事業場からの華人労務者就労顛末報告(以下「事業場報告書」という。)を基礎に華人労務者就労事情調査報告書(以下「外務省報告書」という。)を作成し,現地調査を実施して中国人強制連行に関する事実の大要を認めた上で,その責任の所在を明らかにしている。

イ 外務省報告書によれば,「戦争の進展に伴う労務需給の逼迫に対処し昭和一七年一一月二七日の閣議決定を以て華人労務者を移入するの方針を決定」し,「右方針に従い移入せられたる華人労務者は昭和一八年四月より同年一一月迄の間に移入せられたる所謂試験移入八集団一,四一一名及び翌昭和一九年三月より昭和二〇年五月に至る間移入せられたる所謂本格移入一六一集団三七,五二四名総計一六九集団三八,九三五名に上れり(中略),移入を見たる華人労務者は閣議決定の方針に従い,国民動員計画産業中,鉱業,荷役業及び国防土木建築等に就労せしめたるが,其の雇用主数三五社配置事業場一三五事業場に上れり(中略),此等事業場に於ける華人労務者の配置期間は平均一三・三ケ月,最長二八四ケ月,最低一・三ケ月にして港湾荷役及び土建業にありては事業場を移動せるもの多きも鉱山等にありてはほとんど移動を為さず送還に至る迄同一事業場に定着就労せるもの大部分なり(中略)華人労務者が移入時現地諸港より乗船して以来各事業場において,就労し送還時本邦諸港より乗船する迄の間生じたる死亡者総数は六,八三〇名にして移入総数三八,九三五名に対し,実に一七・五パーセントと云う高死亡率を示し居れり,これを場所別に見れば,移入途次の死亡八一二名・事業場内死亡五,九九九名,集団送還死亡後一九名なり(中略)不具廃疾に付見るに総数四六七名にして特異の現象として失明が圧倒的に多く二一七名四六・四パーセントを占め視力障害之に次七九名一六・九パーセント視力に関するもの合計二九六名六三・三パーセントの多数を占め肢指欠損又は其の機能障害は合計一六二名三二・六パーセントなり(中略)移入華人労務者にして契約期間満了せるもの及び疾病其の他の事由により就労に適せざるものは戦時中といえども之を送還することとせるが船舶関係等の事情もあり事実終戦前送還せるものは一,一八○名に過ぎず大部分たる三〇,七三七名は終戦の送還に属す(中略)一八八名が残留者なり(後略)」(外務省報告書「要旨篇」)とされている。

ウ かかる大規模で継続的な中国人の強制連行は,以下に述べるように日本政府及び日本軍が企業の要請に応える形で官民一体となって行ったものであって,1942年11月27日になされた「華人労務者内地移入に関する件」についてと題される閣議決定がその出発点となっている。

(2) 閣議決定

ア 上記閣議決定は,第一「方針」,第二「要領」,第三「措置」の三項目からなる本項及び備考から成り立っていて,その内容を一言で述べれば,第一の「方針」に集約されているように,侵略戦争下の戦時経済を支え戦争を遂行するため重筋労働部門における労働力不足を補うために中国人を強制連行するという政策を採用したのである。

イ 閣議決定がなされた背景には,当時,日本の中国に対する侵略戦争が長期化するだけでなく,加えて1941年からは太平洋戦争に突入し,戦争拡大のなかで戦争を維持し続けるために戦時経済の矛盾がますます激化していたという事情がある。とりわけ,戦争遂行に必要不可欠なエネルギーの確保という点では,石炭産業に対する増産確保は至上命題であったのである。

 これを,北海道炭鉱汽船株式会社の「七十年史」にみると,「事変にともなう労力の不足の解消策として,華人労務者の移入問題が表面化し,昭和十五年三月,商工省燃料局内に官民合同協議会が設置され,さらに陸軍省戦備課が積極的に斡旋に乗り出すこととなったのであるが,当時は労務管理,治安保持の点から実施に至らなかった。ところが,増産の要請はますます加重され,朝鮮人労務者の移入にも限界があったので,華人の使用もやむなしとすることに,陸海軍,企画院の意見が一致し,十七年十一月の閣議において華人労務者移入の件が正式決定をみるに至った。」とされている。

 同「七〇年史」によれば,中国人労務者の移入は,日本政府と日本軍が決定したもので,日本企業は,その政策決定に何のかかわりもなかったかのようである。しかし,実態は,日本政府及び軍が企業の要請に応える形で官民一体となって行ったものであり,日本国と企業の共同責任を免れることはできない。以下,中国人強制連行の政策決定に至る経緯をその前史たる朝鮮人強制連行に遡りながらみてゆくこととする。

(3) 朝鮮人強制連行の国の政策決定と企業の加担

ア 1937年7月,日中戦争が勃発し,日本の中国侵略は本格化した。日中戦争の勃発は,軍需工場と関連諸産業の急激な発展を促し,労働力不足を招いた。炭坑,鉱山,土建業ではそれは特に深刻であった。このような中,同年7月,石炭鉱業連合会は商工省の諮問に答えて1937年以降5カ年間の石炭需要増を2567万トンと見積もり,そのために11万780名の人員補充を要請した。だが,砿夫の増員は容易ではなく,福岡鉱山監督局の調査によれば,同監督局館内だけでも,日中戦争開始後における労働力不足は,大炭坑で1万1390名,中炭坑で3941名,小炭坑で3359名,必要労働者に対する不足率にはそれぞれ10,20,26%にも達していた。労働力不足の最大の原因はいうまでもなく砿夫の軍隊への召集であった。

 こうした中で,筑豊の中小炭鉱主で組織された石炭鉱業互助会は,日中開戦直後から前後7回にわたって朝鮮人労働者の「移入」と女砿夫の入坑制限及び深夜業の禁止緩和を陳情した。また西部産業団体連合会も,1937年8月,「労働者の補充に関する件」で常議員会を開き,砿夫労役扶助規則の適用緩和,朝鮮労働者の誘致及び内地労働力の余裕ある地方よりの労働者の誘致等に付き協議し,石炭鉱業連合会を通じて善処方依頼を決定した。これを受けて,筑豊石炭鉱業会は1937年8月,石炭鉱業連合会・全国産業団体連合会・鉱山懇話会の三団体に「陳情書」を送り,その中で,「朝鮮人労働者の団体的移住は昭和九年閣議の決定により禁止せられたる所なるが,時局に鑑み労働力補充の一対策として,此際該閣議決定の方針を緩和し之を内地に誘致し得る様取計はれたきこと」を要請した。それと同時に,筑豊石炭鉱業会はA常務理事を上京させ,石炭鉱業連合会の決議を取り付ける一方,関係省庁に強力に働きかけその実現を図った。

イ 日中戦争の開始とともに軍事施設,軍需工場等の新設・拡充・水力発電所の新設のため,土木建築事業の分野でも重労働力が極度に不足していた。これに対して,鹿島組,間組,大成建設・熊谷組等をはじめとする大手土建会社加盟の土木業協会は,日本発送電の工事施工業者と対策を協議の結果,「労務委員会」を設け,厚生省に対して,労務不足により工業に支障を生じている実情を訴え度々請願を重ねて朝鮮人労働者の内地移入を要請したのである。

ウ だが,日本政府は,石炭業界や土建業界のこうした要請をすぐには受け入れようとはしなかった。むしろ,内務省社会局長が各鉱山監督局長に宛てた1937年12月22日付の「通牒」によれば,同社会局長は「公益社会機関をして能ふ限り砿夫の充足を為さしむる」とともに,実効を挙げるために「労働条件の改善を促し砿夫の生活の安定を図ること」が緊要だとして,@ 納屋制度を廃止し会社の直轄制に改めること,A 稼働条件の不利な箇所に就業する砿夫に対しては,賃金決定の際に考慮すること,B 日給2円50銭未満の採炭夫に対しては,平均1割程度を目標に漸次賃金を引き上げ,併せて福利厚生施設の拡充により収入の増加を図ること,この3点を指示し,さらにこれと関連して職業紹介所の国営化を図った。日本政府が,石炭鉱業連合会や土建業界の主張する朝鮮人労働者の団体的移住を受け入れず,逆に朝鮮人労働者の内地渡航を制限し,その一方で,職業紹介所の国営化を図るとともに労働条件の改善を業者に求めたのは,日本国内の治安保持と朝鮮国内の産業開発のためであった。1938年3月1日付の『日本鉱業新聞』の「社説」「半島労働者移入を断行せよ」によれば,その理由は,朝鮮人の「大量移入は各種の社会問題発生の因をなすおそれがあり,また朝鮮自身の産業開発に労働力を必要とする」として,内務省と朝鮮総督府が反対したことにあったとされる。

エ にもかかわらず,職業紹介所の国営化は炭砿や土建業における労働力不足の解消策とはならなかった。労働者の募集を「縁故募集」か「募集従事者」に依存していたこれらの産業では,それは労働力調達をかえって困難なものにしていった。こうして1938年7月28日に至り,厚生省・内務省・朝鮮総督府の三者の話合いがようやく成立し,朝鮮人強制連行政策が決定された。その背後には,在日朝鮮人の統制と同化を課題とした社団法人中央協和会が成立し,治安対策の見通しが立つようになったことが背景にあった。朝鮮人強制連行政策の断行は,こうして産業団体聯合会や土建業界あるいは全国産業団体聯合会の突き上げをその契機として日本政府により決定された。

オ 朝鮮人「移入」についての石炭鉱業聯合会等の政府への働きかけはその後も執拗に続けられた。1940年7月,日本工業倶楽部において開催された石炭鉱業聯合会「第弐回労務担当者会議」での決定はその一例である。三井鉱山・三菱北海道炭砿汽船・古河鉱業・住友鉱業等最大手の本社代表28名,筑豊北海道・常磐所在の各鉱業所代表23名,各地石炭鉱業会代表6名,石炭鉱業聯合会7名によって構成され,厚生・商工両省と企画院の官僚12名,中央,協和会主事を「来賓」として迎えたこの「労務担当者会議」において,業界側は朝鮮での募集の手続の簡素・迅速化,縁故募集の容認,「朝鮮人労働者内地渡航阻止二関スル通牒」の撤廃,朝鮮人労働者「移動阻止法令ノ強化」等,朝鮮人強制連行の阻止要因となっていた諸問題の解決を強く求めた。これに対して厚生省B業務課長は,@ 朝鮮人労働者の募集手続きはできるだけ敏活に取り運ばれるよう朝鮮当局に指示する,A 許可員数の範囲内なら全部縁故者を雇い入れても差し支えない,B 「朝鮮人労働者内地渡航阻止二関スル通牒」は,近く廃止することに内定しているとして業界の要望を全面的に受け入れ,「移動阻止法令ノ強化」問題についても,厚生省において「目下研究立案中」として,前向きの姿勢を示した。「移動阻止法令ノ強化」は「移入朝鮮人労働者逃亡防止対策要綱」として整備され,1942年8月,厚生・内務・商工各次官連名で地方長官及び関係官庁に通達された。1940年10月に開催された石炭鉱業聯合会「第三回労務担当者会議」においては,さらに,「半島人募集許可ノ円滑敏速ヲ図ル為メ聯合会ノ駐在員ヲ朝鮮二置クコトトシ其取扱事項等二関シテ厚生省及総督府ト打合セヲ為スコト」を決定し,また,機関決定には至らなかったが,中央協和会によって提案された「半島逃亡者二対スル全国一斉検索」,あるいは連存朝鮮人労働者に対する再契約の強制問題等が議論されるに至るのである。

カ 1941年8月,石炭鉱業聯合会は,金属鉱山会との連名で企画院総裁及び商工・厚生両大臣に宛てて「鉱山労務根本対策意見書」を提出し,「労務資源の開拓」の一助として,「朝鮮農村に於ける農耕技術の改良農業集約化策を計り,之に依り生ずる半島労働力の内地移入に一層の努力を為すこと」を要請するとともに,中国人の労働力にも言及し「支那苦力の移入に付いても積極的に促進すること」を要請した。

 以上の事実経緯から明らかなように,朝鮮人の強制連行は,その形態を「募集」 (1938年)から「官斡旋」(1942年),さらに「徴用」(1944年)へと歴史的にエスカレートさせて行くが,これは,石炭鉱業聯合会を中心とする経営者団体の朝鮮人労働者内地移入への突き上げによって日本政府の政策に高められ実現されていたのである。

キ 1941年12月8日,被告国は太平洋戦争へと突入してゆく。侵略戦争下の戦時経済を支え戦争を遂行するための重筋労働部門における労働力不足はますます深刻化していった。ちょうどこの頃,すなわち1941年秋には,第1期連行朝鮮人の雇用契約が満期となり再契約の問題が発生していた。「集団移入朝鮮人労働者」の契約期間は2カ年とされていたが,期間満期を認め朝鮮国に帰国されては日本国内の生産部門は深刻な打撃を被る。こうして,1941年秋から,各事業署は再契約又は期間延長に全力を注ぎ,厚生省や社団法人中央協和会を中心に各省関係者と民間関係業者間で「定着督励班」が組織され,再契約が強制されてゆく。もちろん再契約の強制は,朝鮮人労働者の抵抗,拒否にあい「暴動」の一因ともなった。しかし,日本政府,日本軍及び各企業は,警察,特高,憲兵を動員し再契約を強制した。

 朝鮮人労働者への再契約の強制は,総力戦を戦い抜くための国家の要請でもあるが,単にそれだけではなく,労働力確保,募集費の節約という企業側の利害とも密接にからんでいた。再契約の強制が企業の利害と深くかかわっていたことは,再契約強制の法的根拠とされていた1944年4月26日付けの「満期移入朝鮮人労務契約期間延長指導要綱」そのものが,石炭鉱業聯合会の突き上げによって作成されたことからも知られる。例えば,1940年10月開催の石炭鉱業聯合会「第三回労務担当者会議」において,北炭雄別鉱業所代表は「北海道は雇用期間二カ年なるが後一年にて全部送還となれば大問題故是非契約を継続することとしたし官辺の斡旋を希望す」(「第三回労務担当者会議議事録」)として,国家による契約期間の延長を要請した。翌1941年3月の石炭鉱業聯合会「増産対策打合会」では「満期半島人労務者に対する対策」が提案され,「事前工作」としては家族の呼び寄せ,「供出地」に対する炭砿事情の宣伝,定着指導・就業地での再契約の強制,「事後工作」としては賞与・手当の支給,再渡航手続きの簡素化,協和会との連絡の緊密化,期間延長は「二カ年を原則」とする,会員章(労務手帳)の交付等について協議がなされた。1941年5月の石炭鉱業聯合会「第四回労務担当者会議」では,北炭本店労務課長Cが,「石炭山に雇用せる契約満期鮮人に対し国策協力期間設定の件」を提案し,「契約満期鮮人にして帰還せるものに対し満期後三ヶ月間を『国策協力期問』として従前の労務に服せしむる様厚生省並びに朝鮮総督府より強権的志達を発動せられんこと」を要請し,協議の結果,「企画院より関係当局に其主旨を通じて貰う」ことになったのである(「第四回労務担当者会議議事録」)

 しかし,こうした措置にも関わらず日本国内の労働力は太平洋戦争の拡大とともに枯渇化していた。こうして次に日本企業及び日本政府,日本軍が目を付けたのが敵国中国の労働力,すなわち,中国人労働者の内地移入であった。

(4) 内地移入の前史──満州国への中国人強制連行

ア 日本政府,日本軍及び日本企業は,こうして日本への中国人の強制連行を企てたが,日本への強制連行の実施までにはそれなりの理由があった。それは満州国への中国人強制連行の歴史である。

 日本国は,1931年柳条湖事件を契機に中国へ全面的な侵略戦争を開始したが,当時中国東北部では傀儡政権である満州国を樹立したうえ日本が支配するという形をとっていた。

 当時の関東軍の支配は,各主要都市及びその都市と都市とを結ぶ地域に止まっていたに過ぎず,いわば点と線の支配ともいうべきものであった。広大な中国大陸の中のごく一部分を支配したにすぎず,かつ,その支配も極めて脆弱なものであったのである。

 日本政府と軍部は,戦争を維持拡大しながら支配を確立するため考えられるあらゆる政策をとった。支配確立のために,強大な国家基盤に裏打ちされた国家の建設を迫られていたが,そのためには,多くの労働力が必要とされていた。

 しかし,中国東北部の満州国の国家建設に必要な労働力としては,日本からの開拓団だけでは不十分であった。そこで,満州国建設のために満州国人はもとより華北さらには揚子江地域から中国人民を駆り立て満州国建設にあてることを考え出したのである。

 その政策の裏づけとされたのが,満州国政府における「満州国産業開発五か年計画」 (1936年作成,1937年より着手)や「国民勤労奉仕公法」並びに「国民勤労奉公隊編成令」の制定に見られる,満州国版国家総動員法とでもいうべき体制であった。1938年1月には満州における労務統制の必要から全国的労務統制機関である満州労工協会が設立され,騙し募集や供出に当たることになる。しかし,このような方法をもってしても満州国の必要な労働力を確保することは不可能であった。そこで,1941年以降,華北からの強制連行が計画的に実行されることになる。

イ 当時既に,日本政府及び軍部は,中国人を人としてみるのではなく単なる資材や消耗品として見ていた。日本軍は,1935年以降本格的に華北を侵略していたが,1940年には華北で殺戮・破壊・収奪を目的とした「燼滅・粛正作戦」「三光作戦」を行ってきた。それが,1941年からは大量の虐殺や破壊ばかりでなく人的資源の略奪を目的として「労工狩り」「兎狩り」作戦を開始して無差別強制拉致を実施することになり,1942年以降この作戦の規模はさらに拡大されていった。捕らえられた一般住民,農民,俘虜は,俘虜収容所へ送り込まれ,「特殊工人」として満州へ連行され労役させられ,満州国建設に駆り立てられた(1942年1月22日,「特殊工人 国外緊急募集工人に関する件」)。1941年7月には,俘虜収容所と密接な関係をもつ華北の労務統制機関である華北労工協会が設立され,華北の労働力を華北と満州国へ配分した。

 その実態は華北労工協会と企業との間の「特殊工人」の売買であったが(1942年5月22日,「石門俘虜収容所工人供出に対する謝金支出方の件」),もちろん中国人労働者の合意などあるはずもなく,逃走も多発した。そしてまた,例えば,興安嶺の築城工事に駆り出された5000名にものぼる中国人は,築城完了と同時に日本軍によって全員殺害されたという痛ましい歴史的事実も発生したのである。

ウ この間における中国人の労働の実態はどのようなものであったのか。1940年以前の満州への中国人労働力移入は騙し募集,供出によるものであったが,その労働の実態は既に契約労働とは名ばかりの無権利労働であった(満州労工協会『労工協会報』第三巻,四巻)。1941年以降行われた「労工狩り」によって拉致された中国人「特殊工人」は,既に人間としての扱いを受けなかった。満州の炭鉱では,把頭(封建的な労働親方)による請負制度によって労働者は管理されていたが,「特殊工人」に対しては把頭制度に代わって軍隊方式の管理が行われた。200人を中隊,50人を小隊とし,管理,逃亡の防止が図られた。「特殊工人」は一般労働者とは切り離され,指定された区域に集められ,日本人係員が管理した。宿舎から現場への間も監視され,監視の下に護送された(1942年5月7日,「特殊工人管理に関する件」)。その悲惨な結果が,劣悪な条件の中で使い捨てられた人々が「人捨て場」に投げ込まれ殺された「万人坑」であったのである。

 以上のような経験があったことが,日本国内に中国人を強制連行する計画を容易に生み出す背景となったのである。

(5) 日本への中国人強制連行(中国人強制連行の国の政策決定と企業の加担)

ア 中国人労働者の「移入」を求める日本企業の運動として記録されている最初のものは,1939年7月に,北海道土木工業連合会が厚生,内務大臣に陳情のために提出した支那労働者移入の「願書」である。同書は,冒頭において,「平年に於いて恒に不足を感じつつある労働者の需要は頗る円滑を缺き為に国運の進展に重大なる関連を有する事業の成否に影響する虞多く,吾々其業にある者日夜痛歎是が応急手配に奔走し居るも如何にせん,全国的なる労働力不足は姑息なる方法にては到底打開し難きを察し,茲に支那本土より労働者を移入し此問題を根本的に解決するの外無しと愚行仕り」と述べて,「理由」の中で次のように開陳している。

 「千金にも代え難き我等の同胞は大命の下に故国の産業戦線より各自の持つ重要なる職責すら放棄し東洋永遠の平和の確立のために遠路満蒙の広野の酷暑極寒を嫌わず奉公の誠を致す。自然我国の労働力は減せざるを得ず。其枯渇せる労働資源を支那人の有する最も簡易なる奉仕を以て代位するは極めて当然ならずや,吾等は想ふ,彼等の如き低廉なる労働賃金を以て甘んずる労働者を我本土に連行し,我国内の発展力を示し之に相当なる労銀を支払い之を貯えしめ一定の期限に之を本国に送還せんか彼等は声を大にして我日本の実力を謳歌し予てより試みられつつある,百の宣撫工作より優れるものある可しと信ず。」

 「中央政府の指導方針の一として低物価策を高唱せらるる秋に当たり労働者の不足より生ずる賃金の高騰を防ぐには低賃金に甘んずる労働者の一時的移入をなす外なきは論を侯たず。此の見地よりしても支那人に優するものなし。(中略)特別の御詮議により旧慣習を破り御許可被成下度」

 「簡易なる奉仕」「本土に連行」との言葉には,安価な労働力を日本本土に移入し戦時利潤を目論む土木工業連合会の本音が表れている。

 この願書が提出された後,北海道の土建業界だけでなく中央の土木工業協会も政府に「支那苦力」の使用を要請する。土木工業協会の1940年1月の調査部臨時委員会で同協会D理事長は講演の中で次のように述べている。

 「今現に鉱山や何かには,土木にも多少入って来て居るやうですが,朝鮮人を入れて居るやうですけれども,朝鮮が既に苦力が欠乏してゐる。ですから迚(とて)もこれは長く朝鮮から苦力を募集して来るといふことは,ある程度のものはいいが迚も沢山の人夫を連れて来る譯には行かず永続きせぬ。さうしたらどうするかといふと,これはどうしても支那人を入れるより外途はないと思ひます。実は先般もある友人を介して永井逓信兼鉄道大臣に私は一石二鳥策を進言したことがある。それはどういふことをするかといふと,ここで支那苦力を五万人許りこっちへいれて貰ひたい。その永井君の管轄である日発会社でも却々請負が決まらぬ。何故決まらぬかといふと,請負人が今のやうな時節で安い単価では辿も引き受けられない。(中略)今日では支那人を入れるといふと間諜の虞がある。或は如何にも労力がなくて敵国人迄使ったといふことを見透かされると甚だ困るといふ説の方が多い。併し乍らその支那人を使うにしても,これは一ヶ所へ五万人来たからといって纏めておくといふことはいけない。これは幾個所に分けて使ふ。そうして大体山間僻地である。従って寄宿舎も置いてその取締りもしなければならないから,その点に於ては間諜とかどうかといふ心配はない。それから又腹を見透かされるのどうの,そんなことは全く愚にも付かぬことじゃないかと思ひます。それでその支那人をこっちへ連れて来て使えば,この五万だけが労働者が増えたばかりの利益ではない。今日のやうな労働者の缺乏による争奪を幾らか緩和することが出来る。又内地の労働者に対しても能率が挙がるやうになる。それからその支那人に毎日一時間とか三〇分でもいいから,謂はばこの新東亜建設に就いて日支親善の講話でも聴かせば,その労働者にしても一年の中には多少頭に残る所があるに相違ない。」 (「土木工業協会沿革史」394頁)

 上記D理事長の発言は,「労働力がなくて敵国人まで使ったということ」が見透かされるまでに,中国人労働者の内地移入が強制連行,強制労働による他ないことが巷では公然の事実であったこと,にもかかわらずそのようなことは「愚にも付かぬこと」と一蹴する土木工業協会の厚顔ぶり,企業利益獲得に向けたなり振り構わぬ身勝手な姿勢が露呈している。

 1941年8月には,土木工業界だけでなく石炭・金属鉱業両連合会が「鉱山労務根本対策意見書」を政府に提出し,「支那苦力移入積極促進」を訴えた。

イ こうした状況の中で,1940年3月には,華人労務者移入に関する官民合同協議会が商工省燃料局内に設置され,石炭産業における中国人労働者の移入についてここに官民一体となった協議,対策が図られてゆき,1942年には,興亜院が極秘文書「華北労務者の対日供出に関する件」を作成する。その骨子は,「日本内地に於ける労働力不足の現況に鑑み華北労務者により之が充足を図り以て戦時経済の円滑なる運営に資すると共に,供出労務者に対し将来華北に於いて必要とする労働技術の習熟を併せ達成せしむるを目的と」して,募集,輸送,就労中の労務管理の一部並びに帰還を一貫して華北労工協会が行う,また,募集は,華北労工協会が新民会(1937年中華民国臨時政府の成立と同時に北平で設立された思想啓蒙団体),華北交通その他の関係機関と緊密な連携を保持し,これらの機関組織を通じて募集工作を実施する,供出に要する一切の費用は,事業者の負担とし,募集費は1人当たり単価を協定し華北労工協会に一括前納する,というものである。供出に要する一切の費用が事業者の負担とされていることは,これが企業の要請,突き上げによって実行に移されるものであることを示すものであるが,このカムフラージュされた募集といわれる実態がどのようなものかは既に考察した点から容易に判断できる。

ウ 上記興亜院の動きを受けて1942年10月20日,土木工業協会は極秘文書「華北労務者の使役に関する件」を作成する。その中で,「(興亜院の)『華北労務者の対日供出に関する件』の方針に基き土木工事用労務者の移入を実施せん」とし,「移入要領」を定めている。

 土木工業協会のみではなく,石炭統制会も興亜院の方針を受けて「華人移入」の具体化を図る。石炭統制会は,1942年10月1日,各支部に対し,極秘文書「炭鉱に俘虜並に苦力使用の件」を発した。その中で,「苦力使用に関しても現在企画院と種々交渉中にて未だ具体的の結果を見ざるも各業者の熱意如何に依りては此れも使用可能となる見込みあるにより交渉の資料として右俘虜と同様十月五日迄に各社より希望数並に希望条件を徴取することに本日決定した」として,並々ならぬ熱意のほどを示して統制会の決定を伝えている。これを受け,1942年10月5日,石炭統制会東部支部は,磐城,古河,大日本,入山の各炭鉱の俘虜希望人員合計は800人で,「苦力」の希望人員は各炭鉱とも後日報告と統制会に早速回答している。石炭統制会は,1942年10月24日,札幌・東部・福岡の各支部と大阪出張所,京城事務所と住友鉱業宛に秘密文書「苦力使用に関する件」を送っている。この文書には,「首題の件に関し過般来より関係当局と交渉中なることに付ては嚢に本月一日開催の当地各社労務担当者会議に於て其経過御報告申上げたる処なるが其後企画院,興亜院,其他関係官庁と連絡折衝中の処今般別紙の如く苦力使用に関する具体的条件の指示有」とあり,25日までに希望員数,使用の場所,使用開始時期を回答するよう求めている。これに対し,磐城炭鉱は,11月6日,希望人員100,使用場所・福島県内郷町,使用開始時期・昭和17年12月と回答している。

 こうして,1942年11月27日の閣議決定以前に,それとほぼ同じ内容が企画院・興亜院によって,土建・石炭業界に知らされ,業界はその方針に従って中国人連行の具体化を図っている。その後の1942年11月の閣議決定は,日本企業,日本軍,企画院,興亜院によってそれまで進められてきた中国人連行政策を東条内閣が日本国家の正式な政策として閣議で確認し決定しただけにすぎない。

エ 1942年末,企画院の主催によって厚生省,商工省,内務省,運輸省,外務省の各省関係官と民間からは石炭,鉱山,海運,土建の各統制団体及び企業中視察希望者が参加して華北労働事情使節団が組織され,華北労働事情の調査と各業界使用条件を華北側関係者に具陳し検討することを目的に中国への視察を行った。翌1943年1月には右使節団の他に,北京大使館関係者,華北労工協会幹部,華北運輸会社関係者,北支開発者華北石炭関係事業主らが北京大使館に参集し,華人労務者対日供出につき協議し,その後,石炭採掘方面と華北の各港運荷役関係に分かれて労働事情を視察し,あるいは石門労工訓練所を視察して中国人労務者の日本移入について具体化を図っている。

 この経過も日本政府と日本企業の官民一体となった中国人内地移入への熱意を表している。北京に着いた視察団は北京大使館で協議をもつが,意外にもここで,華北の労働力不足に加え食糧難と華北の物価高騰のため日本への移入は困難であるとの意見に遭遇した。しかし,是が非でも中国人労働者の内地移入を目論む一行は,一部の港湾荷役と石炭山に試験的に少数の集団的移入を行い,その結果本格的移入をするかどうか決定することを表向き約したものの,最初から良い結果が得られるような試験が望ましいとして全体の移入計画に障害になる要素を極力排除して試験移入を実施させた。1942年11月27日の閣議決定から1年余り後になされた1944年2月28日の次官会議決定「華人労務者内地移入の促進に関する件」は,「試験移入の成績は概ね良好なるを以て(中略)本格移入を促進せんとす。」としているが,この条文は最初から予定されていたものであったのである。しかし,この「試験移入の成績は概ね良好」とされた真の実態は次のようなものであった。1943年7月から実施された試験移入の事業場となった日鉄鉱業株式会社二瀬鉱業所においては,外務省報告書ではその契約数を133名,乗船数を133名と同数にしている。ところが,日鉄鉱業二瀬鉱業所の事業場報告書は厚生省の割当許可数212名を契約数としている。石門俘虜収容所から塘沽までの移動中に多数が「逃亡」したため門司上陸後三井鉱山田川鉱業所134名,日鉄133名に折半したというのである。その後,日鉄鉱業は契約者数212名を補充するため,さらに79名を連行したが,船中死亡1名,門司・飯塚間死亡1名を除いた77名を二瀬に連行している。三井鉱山株式会社田川鉱業所の事業場報告書も同様に契約者数212名で,63名の「逃亡」を認めている。日鉄鉱業の「逃亡者」が多いため,三井鉱山田川に連行した中国人15名を「譲った」とされている。ここでは,日鉄鉱業二瀬,三井鉱山田川の双方とも石門俘虜収容所から212名づつの計424名を強制連行したのであるが,そのうち157名の「逃亡者」がいたことが明らかにされている。中国人労働者と企業との関係が契約労働であるのなら,このように多数の「逃亡者」が出ることはない。すなわち試験移入の段階においても華人労務者は強制連行によって内地移入されたものであることが明らかにされたのであり,日本政府も日本企業もこれを十分に認識していたのである。にもかかわらず,次官会議決定は,試験移入の成績は概ね良好だと決めつけその後の本格移入を促進したのである。

オ 以上により,次のことが明らかである。

 第1に,中国人強制連行・強制労働の政策決定は,労働力を確保し戦時企業利潤を企てた企業の突き上げ,要請に応じて戦時国家経済体制をとる日本政府により決定されたものであること,第2は,1939年から始まる朝鮮人強制連行の実態及び1941年からの朝鮮人労働者の再契約問題への対処によって,日本政府も企業も朝鮮人労働者の内地移入が既に強制連行であった実態について十分認識しており,さらに,1941年から華北で行われた日本軍による中国人民衆への「労工狩り」「兎狩り」の無差別強制拉致の実行によって,その後に続く中国人労働者の内地移入が文字通り強制によるものであったこと,また,閣議決定の後,1943年7月から実施された試験移入が疑いもなく強制連行であったことを検証したことを,日本政府も日本企業も十二分に認識していたということである。

 1910年8月の日韓併合条約以来日本国民としての地位を有するとされた朝鮮人においてさえその内地移入の実態は強制によるものであり,まして敵国人たる中国人を強制によらずして日本国に移入できるとは日本政府も日本企業も夢想だにしなかったのである。            

(6) 閣議決定の内容

ア 決定事項の内容

 先に述べたように,閣議決定は,第1「方針」,第2「要領」,第3「措置」及び「備考」の四項から成り立っている。

 第1の「方針」には,「内地に於ける労務需給は愈々逼迫を来し特に重筋労働部面に於ける労力不足の著しき現状に鑑み,左記要領に依り華人労務者を内地に移入しもって大東亜共栄圏建設の遂行に協力せしめんとす」とあり,侵略戦争の維持遂行のための労働力不足を補うために侵略先の国民を強制的に利用するという国際法上も到底許されない方針を採用していたことが認められる。

 そして,第2の「要領」によると,まず,1として華人労務者は,国民動員計画産業の重筋労働部門の労働者として使用し,2として主として華北の労務者を利用することとするも,その範囲は限定せず広く華人労務者を「移入」することとし,それらは華北労工協会等の現地機関と協力して進めるとされている。また,同じく「要領」によると,華人労務者は,契約によって原則2年間継続使用することができるとし,その所得は,支那現地において通常支払われる賃金を標準として,残留家族に対する送金をも考慮してこれを定めることとされている。さらに,華人労務者の家族送金及び持帰金は原則として制限しないが,日支間の国際収支に重大な影響を及ぼすときには,これを制限できるものとしている。

 第3の「措置」においては,閣議決定を実施するに当たっては,その成否の影響が大きいことから,まず試験的に強制連行をし,その成否を確かめたうえ本格的な実施に踏込むことを明記している。

イ 決定事項の分析

 上記のような内容をもつ閣議決定は,その法的側面においても矛盾し,かつ実態的側面においても矛盾するものである。

 第1に,強制連行は,「国民動員計画」の一環として行なわれたのであるが(第2「要領」一参照),日本が現に侵略戦争をしている相手国の国民を「国民動員計画」の一つとして位置付けているということである。これは,自国の国民をどのように戦時経済に協力させるかという以前の問題であり,いかなる理由をもってしても侵略先の国民を自国の国民動員計画の一環として労働させることなど到底できないもので,国際法上も許されないものである。

 第2に,華人労務者と企業との間は,契約によるとされているが,その内容が全く抽象的かつ不明瞭なものである。実際,中国人は誰一人として雇用契約はもとより,いかなる名目のものであれ契約と名のつくものは締結していない。契約書はもとより合意さえ存在しない。当然,賃金に至っては,全く支給されていない。

 第3に,「移入」する華人労務者の「募集又は斡旋」は華北労工協会等の現地機関を通す形を採用しているが,そもそも「移入」という言葉そのものの意味内容が不明瞭であり,「募集又は斡旋」という用語もその実態は,後述する兎狩りに代表されるように強制的に何の罪もない農民や商人を有無をいわせず駆り立てたり,自由募集といわれるものも募集条件は架空のものであり詐欺的手段により拘束したものがそのほとんどであったのである。

 第4に,「要領」八,九には,華人労務者の慣習に急激な変化を来さないよう特に留意し,かつ華人労務者の食事は,華人労務者が通常食するものを給付すべきとしているが,その実態は,中国人が普段食するものであるかどうかという以前のしろものであり,到底人間の食するものではないもの,例えばコーリャンの粕でつくった饅頭を僅かな量支給するというものであった(これがために多くの中国人労働者は,栄養失調や病気にかかり死亡したのである。)

 以上のように,主要な点についてみるだけでも,それが法的にも実態上も矛盾するものであったということが明らかとなる。かかる矛盾だらけの閣議決定は,次官会議の決定によっていよいよ具体的・本格的に実行されることになる。

2 強制連行の実行

(1) 現地視察

 「移入」開始に先立って,閣議決定後の1942年末,被告国は,企画院が主催して華北労働視察団18名(団長,企画院第二部E第三課長)を現地に派遣し,実態を把握・紹介しようとした。この参加者は,政府側から厚生,商工,内務,運輸,外務の各省の関係係官,企業側からは石炭,鉱山,海運,土木建築の各統制団体であった。彼らは,同年12月26日から北京大使館を拠点として現地視察,生活実態視察,収容所の労働訓練実情視察を終え,同大使館において,同大使館関係者,華北労工協会幹部,華北運輸会社関係者,北支開発者,華北石炭関係事業主等30名余が集まった機会に,視察団参加者側から質問・応答を重ねて華北の労働事情を把握し,次項の試験「移入」をどのように行うかの方針を定めたのであった。

(2) 試験「移入」

 前記閣議決定の「第三 措置」は,閣議決定を実施するに当たっては,その成否の影響が大きいことから,まず試験的に強制連行をし,その成否を確かめたうえ本格的な実施に踏込むことと定め,これに基づき「華人労務者内地移入に関する件第三措置に基づく華北労務者内地移入実施要領」(昭和17年11月27日,企画院第三部)が定められた。これは形の上では第一次の「移入」の試験的な実施の要領を定めるものであったが,その後の本格実施の基本的な形態を定めることになった点で重要である。

 また,この計画は試験的な「移入」を実施し,その結果を見て「移入」の可否を決定しようというものではなく,本格「移入」をあくまでも実施するため当初から良い成績が得られることを期した「試験移入」であって,方法の巧拙による問題を調整する意味の試験であった。すなわち,華北運輸会社から荷役業に500名を,華北労工協会から炭鉱業に500名を,それぞれ「満一カ年の契約期間」で「移入」すると計画したが,実際には1943年4月より同年11月までに,炭鉱に4集団557名,港湾荷役に4集団1420名を「移入」し,使用した(「外務省報告書」参照。以下の数値は同書による。)結果は,「概ね良好」と評価されたが,実際は,当初から問題点が多数あることが,罹病者数,死亡人数等において明白に現れていた。例えば,日鉄・二瀬高雄(福岡県)に1943年7月に中国河北省塘沽港より試験「移入」された133人は,華北労工協会から「行政供出」された267人の内より分けられた人たちであったが,乗船前に石門(現在は河北省石家荘)で「訓練」を受け,同年7月3日 第七寿丸に乗船し,同月11日,9日間の航海の後北九州門司港に着き,同日のうちに日鉄・二瀬高雄に到着した。

 彼らのうち113人は,当初の「要領」によれば「満一カ年の契約期間」で「移入」ということだったはずなのに帰されることなく,戦争が終わって初めて帰国が決定され,1945年11月8日江ノ島丸に乗船,博多港を発ち,同月12日に塘沽港に帰っている。この人数差のうち,5名は理由不明のまま地崎組北海道に「転出」し,14名は死亡し,1名は行方不明になっている。実に12・3%が死亡及び行方不明である。日鉄・二瀬高雄は,その後1943年11月に同経路により試験「移入」された79人を受け入れ,受入合計は212人になったが,死亡数は24人,死亡率10.8%,その罹病者数は66人を数え罹病率は31.1%であったとされていたのである。この状態が成功であったとは到底いえないはずであるが,被告国は本格実施を強行した。

(3) 本格実施

ア 次官会議決定と昭和19年度国民動員計画実施計画

 本格実施に当たって,被告国は,1944年2月28日次官会議において,「華人労務者内地移入の促進に関する件」と題する決定を行った。この決定は,「試験移入の成績は概ね良好なるを以て(中略)本格移入を促進せんとす。」として,実施要項を定め「華人労務者は毎年度国民動員計画に計上し,計画的移入を図るもの」とされた。その年国家総動員法に基づき定められた「昭和一九年度国民動員計画実施計画」(1944年8月16日閣議決定)第二の()は「決戦の現段階に即応し戦時生産の急速なる増強を図るため軍動員との関係を考慮し人的国力の完全動員を期することとし」て,「朝鮮人労務者の内地移入を飛躍的に増加すると共に,華人労務者の本格的移入を行う」ことを決定し,初めて人数を挙げてこれを「国民動員計画」中に算入し,朝鮮人労務者29万人,華人労務者3万人を供給すると定めた。

イ 敗色濃い当時の戦局

 この時期の戦局の特徴をみると,ドイツ,日本,イタリア等枢軸国側は,二進も三進も行かぬ敗色濃い戦争末期で,連合軍の巻き返しが全戦線で功を奏し,ヨーロッパ戦線では1943年9月,イタリアが無条件降伏し,ソ連軍はスモレンスク(9月),キエフ(11月),レニングラード(1944年1月)と奪回を進めていた。べルリンは既に米・英両空軍の重爆撃を受けていた。

 太平洋上ではマッカーサー指揮の連合軍の巻き返しの蛙跳び作戦が開始され,日本軍は,ガダルカナル島で敗退(1943年2月),同年5月29日アッツ島でせん滅・「玉砕」され,これによって,日本軍は,1943年9月30日「絶対防衛線」を後退させることが決定されたが,それでは収まらなかった。ギルバート諸島では上陸した米軍によってマキン・タラワ両島の日本軍守備隊は,1943年11月25日,せん滅・「玉砕」させられたのに始まり,マーシャル群島クエゼリン・ルオット両島(1944年2月6日),サイパン島(同年7月7日),グアム島(同年7月24日)と次々にせん滅・「玉砕」させられ,太平洋の包囲網は次第に本土に迫っていた。

 インド・ビルマ国境で行われたインパール作戦は1月大本営認可,3月作戦開始となったが,7月,作戦に参加した10万の将兵中,戦死者3万,戦傷病者4万5千という惨憺たる結果で失敗に終わった。

 このような状況下で,7月18日,東条内閣は総辞職した。

 このような戦局を挽回するため,軍需生産は絶対的要請であり,このためにあらゆるものが犠牲にされた。

ウ 犠牲必至の本格実施

 このような時期であったから,前記「移入」本格実施の決定を強行するには障害が山積し,その実施は極めて困難又は不可能であった。そして,このためこれを決定したとおりに実行することは不可能で,あえて強行すれば「移入」対象の中国人に大きな犠牲が出ることは必至であり,被告国は,このことを熟知していた。それにもかかわらず「決戦体制」などと称して,敵国民であった原告ら中国人に対して敢えて行ったのが本事件の発端である。

エ 本格「移入」の実態

() はじめに

 外務省報告書(要旨編)が記述するところにより,まずその全容をみてみると,このような方針に従って「移入」させられた中国人は,試験移入期(1943年4月より11月)8集団,1411名,本格移入期(1944年3月より1945年5月)161集団,3万7524名,総計169集団,3万8935名である。

 しかし,これは「移入」(日本に向けての乗船がその開始である。)された中国人のみの数であって,この外に「移入」のための,これに先行する「供出」と称する人集めがあり,このために中国人を狩り出す作戦が行われるなど,原告ら中国人を拘禁するために,後にみるように強制,半強制の行為があったし,「供出」から「移入」への過程で,「移入」に向けての収容中に,死亡した者,脱走した者なとが相当程度あったことが明らかになっている。

 また,「移入」の最初の段階である事業場への割当=契約数と,実際に「移入」された数の間に,かなりの差が見られ,全数では契約数は,4万1317名である。これらの間の数字の差は,他の資料と突き合わせてみると「移入」の犠牲者が現実に「移入」された前記「移入」数を大きく超えていることを示している。

 さらに,これを「供出」された地域別にみると,華北が圧倒的に多く,3万5778名,華中2137名,満州(関東州)1020名であり,これを「供出」機関別にみると,華北労工協会扱い3万4717名,日華労務協会(華中)扱い1455名,華北運輸肢ふん有限公司扱い1061名,福昌華工株式会社(関東州)扱い1020名,国民政府扱い682名,「供出」方法は「特別供出」,「自由募集」,「訓練生供出」及び「行政供出」の四方法であるが,華北運輸,福昌華工及び国民政府機関扱いのものは,「特別供出」2736名で,荷役,造船等の経験を有する華工を中心にして編成された。素質が最も良く,死亡率が低い日華労務協会(華中)扱いの1455名は,「自由募集」で,素質は悪くないが,死亡率が最も高かった華北労工協会扱いの者は,約3分の1の1万0667名が「訓練生供出」で,元俘虜,帰順兵,土匪,囚人を訓練した者で,その約3分の2の2万4050名は,「行政供出」で華北政務委員会の行政命令に基づく割当に応じ都市郷村より半強制的に「供出」させた者で,これらは,特に「行政供出」による者は,年齢,健康,能力等どの点からみても素質が特に悪く,死亡率も高かった。これらの事実から判断すると,「供出」方法と素質とは極めて密接な関係があることがわかり,この素質不良は「供出」前の「取扱」欠陥と相まって,日本で就労したときの高死亡率並びに「作業率」及び作業能率低調の最大原因となっているのがわかる。

 なお「移入」時に航海日数が相当必要だった者が多く,その間の「取扱」等に不適当な点があって相当多数の死亡者を出したことも見過ごすことができない。

() 中国人を集めるための方針

 閣議決定(第二「要領」)は,「二 移入する華人労務者は主として華北の労務者を以て充つるも,事情によりてその他の地域よりも移入し得ること。但し緊急要員については成る可く現地に於いて使用中の同種労務者並びに訓練せる俘虜,帰順兵にして素質優良なるものを移入する方途をも考慮すること。三 移入する華人労務者の募集又は斡旋は華北労工協会をして新民会その他現地機関との連携の下に之に当たらしむること。四 移入する華人労務者は年齢概ね四〇歳以下の男子にして心身健全なるものを選抜することとし家族を同伴せしめざること」と定めていた。また,次官会議決定(第一「通則」)中では,「一 本件により内地に移入する華人労務者の供出またはその斡旋は大使館現地軍並びに国民政府(華北よりの場合は華北政務委員会)指導の下に現地労務統制機関(華北よりの場合は華北労工協会)をして之に当たらしむること。二 華人労務者は訓練せる元俘虜又は元帰順兵の外募集によるものとすること。前項の労務者は年齢概ね四〇歳以下の男子にして素質優良,心身健全なる者を選抜することとするも成る可く三〇歳以下の独身男子を優先的に選抜するよう努力すること」と定めていた。外務省報告書には華北労工協会については触れられていないが,華北労工協会は,華北政務委員会のもと北京に1941年7月設立された財団法人で,華北政務委員会及び北支那開発株式会社の折半出資の40万円を基本財産とし,それまでいくつかあった公認労働者紹介機関を統合して生まれたいわゆる労務統制機関で,その実態については,外務省報告書中の各事業場報告書中に具体的記載がある。他の傀儡機関と同じでトップには中国人を置くが,実権は関東軍やその特務機関が掌握し,実態は関東軍の出先専門機関であった。

 既にみた外務省報告書中には「供出」,「特別供出」,「訓練生供出」,「自由募集」,「行政供出」など,見慣れない,あるいは現在では用語法が異なる単語が頻出する。以上の方針とのかかわりでこれをまず明らかにしよう。

 「供出」とは,戦前,そして戦後一時期までの経済統制の基本的概念であって,官庁や軍の要求に応じて物品等を提出すること,食糧管理法上は食糧供出制度が設けられ,強制力があった。そして,外務省報告書によれば,「行政供出」とは,「中国側行政機関の供出命令に基づく募集にして,各省,道,県,郷村へと上級庁より下部機構に対し供出員数の割当をなし責任数の供出をさせるもの,「自由募集」とは,「主要労工資源地に於いて条件を示し希望者を募る」もの,「訓練生供出」とは,日本現地軍において作戦により得たる俘虜,帰順兵にして一般良民として釈放差し支えなしと認められたる者及び中国側地方法院に於いて微罪者を釈放したる者を華北労工協会に於いて下渡を受け同協会の有する各地(済南,石門,青島,  ,除州及び塘沽)所在の労工訓練所に於いて一定期間(約三ケ月)渡日に必要なる訓練をなしたる者を供出」するもの,「特別供出」とは,「現地に於いて特殊労務に必要なる訓練と経験を有する特定機関の在籍労務者を供出」せるものとされている。

() 「行政供出」等の実態

 以上の説明で明らかなように,強制連行の対象となった中国人の集め方の大半は「行政供出」と「訓練生供出」であったが,ここで「行政供出」を行う中国側行政機関は,日本軍の傀儡として作られた国民政府(華北よりの場合は華北政務委員会)の機関であった。このことは,既に述べたように,前記次官決定において,「本件により内地に移入する華人労務者の供出またはその斡旋は大使館現地軍並びに国民政府(華北よりの場合は華北政務委員会)指導の下に現地労務統制機関(華北よりの場合は華北労工協会)をして之に当たらしむること」と定め,これらを日本政府の指揮下にあるものと扱っていることにより明らかである。このように,「行政供出」は,傀儡政府と傀儡軍の中国人強制的狩り出しであり,「訓練生供出」は,前記のとおり日本現地軍の駆り出しと,傀儡政府裁判所の囚人を華北労工協会において引継ぎを受けたものであった。

 この点につき,外務省報告書,「行政供出によるもの過半数を占め,訓練生供出之に次ぎ,自由募集,特別供出は両者を合するも供出総員の一割に充たず。右の内特別供出によるものは,荷役造船等につきある程度の経験を有する半熟練工なり。又自由募集によるものは一応労働に対する能力と意欲を有するものとみて差し支えなかるべく,しこうして此等に属するものは前述の通り一割に充たず。次に訓練生供出は概ね元俘虜,帰順兵,囚人なり。体格はともかく思想的危険性と訓練生活による体位低下等一応予見せられざるにあらず。さらに供出の過半を占むる,行政供出は頭数を揃うることのみに堕し,体質,労働意欲その他につき多くの問題を包蔵する危険あり。此等に付ては実績に付後述すべし。然からば何故にかかる危険ある行政供出を選びたるか。当時の実情をみるに,移入の主目標たりし元俘虜,帰順兵,囚人等の供出は当初の見通しに比し,遥かに少なく,他面本格移入決定し実行に着手したる昭和一九年二,三月の頃は既に対満供出は既に終わらんとし,対蒙彊華中は勿論華北自体の需要を満たすすら困難を来しつつありし実情に加え,華北の豊作,物価高,治安悪化は供出の困難に拍車をかけ,その他供出網の不整備及び移入のため華北に進出せる業者の性急なる所要数獲得企図は不完全なる供出網下に劣悪なる華工を半強制的に供出せざるを得ざるに至らしめたり。之に加えるに乗船までの船待ち等の為訓練所生活における食糧事情等は一層体位を低下せしむるの因をなせり。なお日華労務協会等の募集に際してとれる態度は終戦後華人労務者をして紛争の口実を与えたり。」と記載している。

 そして,外務省報告書は,ここに「半強制的」として,強制の契機があったことを認めるが,その実態をみると,この点について当時の派遣軍で,このような作戦に当たった当事者は,作戦に当たり無差別に住民の男子と断髪の女子を捕らえたと証言し,方面軍は,作戦をこの俘虜と資源を獲得目的にして行って多くの農民を捕らえたことを明らかにしている。既に日本軍は,中国民衆から東洋鬼と呼ばれ,恐れられていたから,任意に自主的に日本や日本軍の下で働きたいと考える中国人はいるはずがなかったのである。この結果,外務省報告書に依れば,これら「華工」の年齢は11歳から78歳にまで及んでいるが,これはおよそ前記方針に違反しているだけではなく,可働年齢をはるかに超えている年寄りでも子どもでも見境なしに,労働させる目的さえ無視し,年齢に関係なく員数合わせのために遮二無二強制連行してきたことを示している。

() 華北労工協会及び石門俘虜収容所(石門俘虜訓練所)について

a 閣議決定,次官会議決定における華北労工協会の扱い

 閣議決定は,「移入する華人労務者の募集又は斡旋は華北労工協会をして新民会その他現地機関との連繋の下にこれに当たらしむること」(第二要領三)とし,また,次官会議決定(第一通則一)は,「本件により内地に移入する華人労務者(以下単に華人労務者と称す)の供出又はその斡旋は大使館現地軍並びに国民政府(華北よりの場合は華北政務委員会)指導の下に現地労務統制機関(華北よりの場合は華北労工協会)をしてこれにあたらしむること」として,閣議決定は「華北労工協会」,「新民会その他現地機関」を,中国人労働者の大量強制連行の道具とすることを決め,また,次官会議決定は,「現地労務統制機関(華北よりの場合は華北労工協会)」と定め,このこと自体からこれらの機関が日本政府の指揮命令の系統内にあることを示しているが,その実態は必ずしも明確でない。そこでこの実態を可能な限り明らかにする。

b 華北労工協会

 華北労工協会は1941年7月,設立された。これはそれまでの半官半民的な労務機関 (労働者の募集,供給,斡旋を業とする機関)であった大陸華工公司(青島),新民労工協会(北京),新民労働協会(天津)山東労工福利局(青島),山東労務公司(済南)を一元化した強力な労務統制機関であった。ここで,労務統制機関とは,労働者の雇用のための「募集,供給および輸送並びにその斡旋」を一元的,独占的に行う機関である。

 華北労工協会は1939年2月北京において開催された日本軍主催の「満支」労働関係者会議において,「華北における労働者募集人は,華北労工協会(当時は仮称)の指定するものとし,(後略)」と決定し,やがて華北労工協会を設立するものとしていた。そして1939年9月,華北の労働力の一元的統制機関の必要を確認し,その設立の準備に着手したが調整,審議に年月を要し漸く1941年7月,設立された。

 華北労工協会の暫行条例(華北政務委員会〔華北における偲儡政府〕制定の法規)は次のとおりである。

 華北労工協会暫行條例

「第一條 華北労工協会は財団法人とし華北に於ける労働者を保護し労働力の涵養を図り華北内外に封する労働力の供給配分交流を円滑にし以て労働封策の遂行に資するを目的とす

第二條 華北労工協会は次の事業を行う

一 華北内労働者の募集供給及輸送並にその斡旋

二 出国()労働者の募集配給輸送並にその幹旋

三 入国()労働者の配給の斡旋

四 労働者の登録並に労工証及労働票の発給

五 労働者の訓練及保護施設の経営

六 労働紹介所の管理経営及一般職業紹介

七 労働に関する各種調査

八 前各項に附帯関連する事項

九 其の他華北政務委員会より特に命せられたる事項

第三條 華北労工協会は本部(主たる事務所)を北京特別市に置き所要の地に弁事分処を設く

第四條 華北労工協会は華北政務委員会及其の他一般よりの出損に係る財産を以って基本財産とす

第五條 華北労工協会の経費は事業又は財産より生する収入並に寄附金其の他の収入を以って之に充つるの外華北政務委員会之を補助す

第六條 華北労工協会に理事四名以内及監事三名以内を置く理事の中一名を理事長とす

第七條 理事長は華北労工協会を代表して其の業務を総理す

 理事長事故あるときは理事中の一名其の業務を行う

 理事は理事長を補佐し華北労工協会の事業を監査す

第八條 理事長理事及監事は實業総署督弁之を任命す

 理事長理事及監事の任期は二年とす但し重任を妨けす

第九條 理事を以って理事会を組織し重要なる事項を議決す

第十條 華北労工協会に評議員若干名を置き理事長之を委属す

 評議員を以って評議員会を組織し重要なる事項に関し理事長の諮問に應し又は建議を為すことを得

第十一條 實業総署督弁は華北労工協会の業務に関し監督上公益上其の他必要なる命令を為すことを得

第十二條 華北労工協会は業務上必要あるときは實行総署督弁の認可を得て業務の一部を他に委任又は委属することを得

第十三條 華北労工協会は年度毎に事業計画を定め予め之を實業総署督弁に提出すへし其の計画に重要なる変更を加へんとするとき亦同じ

第十四條 華北労工協会は年度毎に象算を定め且其の決算を行い實業総署督弁の認可を受くべし

第十五條 華北労工協会は次の事項に関し實業総署督弁の認可を受くる事を要す

一 寄附行為の変更

二 重要なる財産の譲渡又は担保の供興

三 解散

四 其の他重要なる事項

第十六條 實業総署督弁必要あると認むるときは華北労工協会をして其の業務若しくは財産涵養の状況を報告せしめ又は所部の官吏をして其の金庫帳簿其の他諸般の文書物件を検査せしむることを得

第十七條 實業総署督弁は華北労工協会の理事長理事又は監事の行為か本法若しくは其の他の法令に違反し又は公益を害するものと認むるときは之を解任することを得

第十八條 本法は交付の日より之を施行す」

 以上の事実からみて,華北労工協会は,被告国の下にあった軍の主導により,華北地域の傀儡政府(華北政務委員会)をして作らせ,実質的には軍又は日本政府関係者が運営していた労務統制団体であり,その行為の責任は挙げて被告国が負うべきであることは明らかである。

c 強制収容所又は労工訓練所

 原告らは,拘束を受けた後,強制収容施設に収容され強制的に日本に向けて出港すべき港湾に連行されるのであるが,先ず大量に収容するのが強制収容所であり,その典型例として日本側作成の文書が存在するのが,石門臨時俘虜収容所についてである。石門臨時俘虜収容所 (石門俘虜訓練所)の実態は次のとおりである。

 多くの中国人労働者の供給源となった石門(現在の名称は石家庄)の収容所についての日本軍作成の文書「昭和拾八年十一月拾伍日概況石門臨時俘虜収容所」(以下「概況」)には,次のように記載されている。

 「石門臨時俘虜収容所は主として当兵団に管内に於いて獲得せる俘虜(被検挙者を含す)及び帰順匪中特に教育の要するものを収容してこれを訓練強化し帰郷若しくは労工移民せしむる目的を以って昭和一四年三月二八日保定に設立せしものを昭和一六年八月四日石門市南兵舎に移転せしめたるものにして,当兵団長に直属しあり。本収容所は部外に対する一般名称を石門労工教習所と称しあり。」

 日本軍が中国侵略を拡大し河北に侵入したのは,1937年6月の盧溝橋事件以来であるが,彼らは当初からこの戦争は「事変」であり,「戦争」でないから戦時国際法上の俘虜は発生しないとし,戦闘中あるいはこれに付随して捕らえた者につき俘虜としての国際法上の取扱いを行おうとしなかった。

 ところが,現地軍はこのあるはずがない俘虜の収容所を1939年3月に設立し,これを後に石家庄に移転している。この設立の時期は前記1939年2月北京において開催された日本軍主催の「満支」労働関係者会議の直後で,しかも俘虜等を収容してこれを訓練強化し(中略)労働者として移民させる目的で,「部外に対する一般名称を石門労工教習所と称し」設立されているのである。

 この間の事情については,C(当時北海道炭鉱汽船株式会社労務部長で後に日本経営者団体連盟〔日経連〕専務理事)はその著書「特殊労務者の労務管理」(1943年11月発行)中の第六章俘虜,帰順兵,苦力(「クーリー」と読む。)で次のように述べ,その後でこの収容所の状況を紹介している。

 「前述の如く内地に移入すべき苦力として第一に挙げられたる難民的苦力はその実質が到底受け入れられるものでないとして,第二の既経験苦力もまた北支の産業事情よりみて移出を不能とするとする色々の理由が伏在して居り,第三の農民層よりの募集苦力も現下の治安状態並びに農村余剰労力の実状,募集公私機関の陣容等の諸点よりみて急速の需要に応じ得べくもないとすれば,勢い残る問題としては,討伐作戦によって得たる俘虜帰順兵にして訓練を経たるものを,一応良民として解放し,之を内地に移入するという以外に,苦力移入の途はないやうに思われる。俘虜,帰順兵の訓練終了者ならば,恐らく随時必要の員数を移入することが出来るかも知れぬ。然し此等苦力が果たして一般苦力の如く従順であり,思想的にも安心できうる種類のものなりや,と謂うことに付いては危倶の念を抱くものがないではない。そのためには一応訓練所の内容を知って置かねばならぬ。」

 同書はこの臨時俘虜収容所を石門俘虜訓練所と呼称し,その位置と職員について次のように述べる。

「1 位置,設立

 北京からの京漢線に乗って約十時間,昔の石家荘が今日の新興都市たる石門市である。俘虜訓練所は市の近郊に五万六千坪の敷地として建設されている。

 昭和一六年八月一五日の設立である。

2 職員

 所長は部隊長の兼務である。実際は所内の主席者が隊長として一切の訓練指導の責任を負って居る。以下職員として下士官○名,兵○名,衛生下士官○名,衛生兵○名,通訳○名という極めて少人数の日本兵が,収容人員二千名弱の俘虜,帰順兵を訓練している。(ここに「○名」とされているのは,出版検閲の結果と思われる〔原告代理人〕) (以下省略)

 一方「概況」は教育については,その「五 教育」中において,「(前略)教育の結果抗日意識を完全に放棄し新政権に忠誠を誓うもの心身耗弱にして釈放するも実害なしと認むるものその他特殊の理由によりて釈放するを有利と認むるものは兵団長の兵団長の認可を経て就職帰農又は労工移民せしむ。」としている。

 すなわち,当時の関係者の間では「討伐作戦によって得たる俘虜帰順兵にして訓練を経たるものを,一応良民として解放し,之を内地に移入するという以外に,苦力移入の途はない」という共通認識があり,この共通認識に基づいて軍が行動しており,その結果捕らえた俘虜を無害化して,良民=労働者に仕立て上げて日本国内に送り込む為に設営した施設がこの俘虜収容所兼労工訓練所であり,部隊長以下がこれに当たっているのである。

 「概況」はこの状況について,次のように述べている。

「収容状況

 当容所の収容能力は,概ね千五百名を標準とす。

 本年十一月十五日現在における収容者は,千五百三十名にして当地に収容所移動昭和十六年八月十五日以来本年十一月十五日迄に収容せる俘虜の数は合計一万七千八百六名に達しあり。

 収容後は概ね一ヶ月間の教化訓練を実施し主として満州国各炭鉱,井径炭鉱及び対日供出として本年二回に亙り福岡県三井,日鉄両炭鉱に就職せしめあるも現在まで内訳数の概要左記の如し

本渓湖炭鉱  二二九〇名

東邊道開発  一○○○名

満州炭鉱   三六二○名

撫順炭鉱   二七四八名

昭和製鋼所   三○○名

井径正豊炭鉱 一五九八名

対日供出    五六四名

就職      三五○名

帰農      九一三名

死亡     二○五五名

その他    一八三八名

合計    一六二七六名」

 すなわち「概況」は,対日供出として三井(田川)と日鉄の両炭坑にこのころまで中国人労働者を送り込んだことを示している。

() 日本の事業場への連行

 こうして捕らえられた中国人は一旦華北労工協会の港湾に近い各地(済南[山東省],石門[河北省石家荘],青島[山東省],  [河北省]及び塘沽 [河北省])所在の収容所に強制収容された。そしてここから日本に送り出されたものである。この収容所は狭い建物の中に多数の中国人を収容し,土間にアンペラ(= むしろ)をしいてそのうえに寝具も暖房もなく寝起きさせ,食事も飲料水も不足していたので,病気にかかる者多く衰弱が甚だしく,次々と死んでいった。死んだ者は穴に投じられ野犬の餌食になった。

 次官会議決定は,「華人労務者は移入に先立ちて可成一定期間(一ヵ月以内)現地の適当なる機関において必要なる訓練をなすこと」とされたが「訓練」とは名のみで集団行動のための規律を叩き込む軍事教練類似の軍隊式教育が行われ,仕事の内容などを教えるようなことはなかった。

 運搬について同決定は,「華人労務者の輸送は日満支関係機関において之が手配をなすこと」と定められたが実際には,もちろん日本の船舶だが客船ではなく,石炭輸送船等物資輸送のための貨物船の船倉を利用して行われた。既に述べたように,戦況が悪化し,海上輸送は次第に危険度を増していたので,危険を避けるために迂回等が多く航海日数が増えたが,これは運搬される中国人労働者にとっては収容所より数等悪い環境の船倉生活の期間が増したことであり,病者は衰弱し,多くの死者を出した。

 外務省報告書はこの模様について,次のように述べている。

「当時逼迫せる船舶事情及び危険なる航海事情下において,しかも石炭,塩等多量の原料輸入の要請を充足する傍ら,華人労務者を輸送することは相当の問題を提供せり。即ち船待ちの予定付かず急遽乗船して食糧その他の準備不十分なることまたはこれと反対に予定以上船待ちして備蓄食糧の不足を訴うること航海日数予定付かず集団輸送一六九件中未詳のもの二六件を除き,内八六件は四〜九日にて先ず不可なきも他の四八件は一〇〜一九日を要し,甚だしきは二〇日以上のもの六件三〇日以上のもの三件にして,最高三九日を要したるものもあり,飲料水食糧等の欠乏を来たせること屡々ありしこと又食糧殊に白麺に砂のごとき不純物混入せる場合もありしと,概ね貨物船にして最初は医師を付き添はしたるもその後は諸般の事情によりこれが付き添いもなく且つ船倉内石炭,塩,鉱石等の上に長時日寝起きせざるを得ざりし状態にありしこと,上陸後直ちに長途の汽車輸送を受けしこと等の実情にあり。」

 その結果,莫大な数の途中死亡者を出している。乗船人員3万8935名に対し船中死亡564名(1.5%),事業場到着前死亡248名(0.6%),合計812名(2.1%)である。北海道の伊藤組置戸は乗船人員499名中83名 (16.6%)が途中死亡し,北炭空知天塩では乗船人員300名中船中で38名,上陸後到着前31名,計69名(23%)が死亡している。これらの数字自体がいかにこの輸送が残酷なものであったかを物語っている。この「移入」の手続としては,「現地労務統制機関(例えば華北労工協会)において交付する「華人労働従事証」に在支帝国公館長の証印あるものを以て「渡日証明書」とすることが定められていたから乗船時の把握も行われていたし,降船時の入国審査も行われたから,この時点で被告国はこれらの全容を把握していたものである。

() 日本の事業場への配置

 外務省報告書は,日本の事業場への配置について,次のように述べている。

「斯くて移入を見たる華人労務者は閣議決定の方針に従い国民動員計画産業中鉱業,荷役業及び国防土木建築業等に就労せしめたるが,その雇用主数三五社,配置事業場数一二五事業場に上れり。」

 そして,業種別にこれをみると,鉱山業は,15社47事業場,移入数1万6368名,土木建築業は,15社63事業場,移入数1万5253名に上り,港湾荷役業は,1社21事業場,移入数6099名,造船業は,4社4事業場,移入数1215名である。

 そして,鉱業の中身をみると,炭鉱が,圧倒的に多く42事業場,移入数1万7432名,その他銅水銀,鉄などの重要鉱石採掘が,32事業場,移入数1万1197名である。そして,土建業の中身をみると,発電所建設が,13事業場,移入数6076名,飛行場,鉄道,港湾,地下工場等の建設が,23事業場,移入数1万4473名である。

 地域別にみると,北海道が58事業場,1万9631名,中部地方が25事業場,1万0188名,九州地方が23事業場,9126名とこの三地方が圧倒的に多いが,これは北海道,九州が炭鉱労働に,そして中部地方は中部山岳地帯に建設中の発電所,地下工場に使役するためであった。

() 雇用契約の欺瞞

 閣議決定(第二「要領」七)及び次官決定(第一「通則」五)は,「華人労務者の契約期間は原則として二年とし」と,あたかも中国人労働者と企業の間に契約関係が存在するかのごとく定めている。

 また,1958年3月4日参議院予算委員会で外務省アジア局長Fは,次のとおり述べ,外務省の見解として無反省にも雇用契約の存在を主張した。

 「戦時中中国から相当多数の労務者が日本に来て働いていたわけですが,この身分につきましては,通常,俘虜とか何とか入っておられますが,私,現地で直接会って承知しておりますが,俘虜ではございません。全部,身分が俘虜であった者も,現地で日本に送る前に身分を切りかえまして,雇用契約の形でみな日本に来ております。従って,通常言われる俘虜という身分ではございません。」

 しかし,第1に,原告らを含む強制連行された中国人は,既に述べたような経過で「移入」されたもので全く自由を奪われた状態で,契約の前提となる自由意思の存在する余地がなかった。もっとも,既に挙げたように,日華労務協会(華中) が「供出」した1455名は,「自由募集」とされている。これは「主要労工資源地に於いて条件を示し希望者を募るものなり」(外務省報告書)であったはずである。しかし,これは実際には労務者側に示された募集条件と事業場側に示された条件が全く相反しており,双方ともに好条件を示して「移入」を図りながら,労務者が来日すると全く条件が違い,紛争が生じた。ここで「自由」とは詐欺される自由のことであった。そして,これら中国人が死亡率が高かったことはみたとおりである。戦後,このような問題の解決には外務省がのりだしているようである。

 第2に,また,現実に中国人たちの意思表示としても存在しなかったし,その成立を示す契約書などは一切存在しない。この一連の過程で作成された契約書類が存在するとすれば,それは現地の収容所あるいは上陸地点で,「供出機関」と事業場の間で「使用」に関する労務供給契約書らしきものが締結され,これが外務省報告書の事業場報告書中に一部現存するのみである。企業側も,さすがに各労働者と契約したとは言えず,「業者は直接華労と契約をなしたるものにあらず,労工協会と契約をなしたるものとす。」(三井鉱山砂川)という。

 第3に,中国人側には「使用」者となる業者を選択する余地など全くなかったことである。それでは誰が誰を「使用」することを決めたのか。まず,「使用」する資格のある産業を決めたのは,次官会議決定である。

 「華人労務者はこれを国民動員計画産業中鉱業,荷役業,国防土木建築業及び重要工業その他特に必要と認むるものに従事せしむること(第一「通則」四)

 「使用」する事業場を決めるのは,厚生省である。

「華人労務者の使用を認むる工場事業場は華人労務者の相当数を集団的に就労せしむることを条件とし関係庁と協議の上厚生省これを選定すること(第二「使用条件」一)

 このために,事業主は,「雇用願」を所轄庁府県経由で厚生省に提出し,厚生省が「割当」の決定をし,大東亜省と内務省に決定した割当表を送り,大東亜省は労務者の引継輸送月日を決定し,厚生省を経て関係庁府県を通じて事業主に通報し,移入労務者の「引継,輸送,到着後の措置につき遺憾なきを期せしむ」(華人労務者内地移入手続 第二 移入雇用申請の処理一乃至五)とされ,この間に中国人個人の意思など全く入り込むことが予想されていない。雇用関係決定にとって必須な賃金の決定手続もない。そして実際に,一人一人について決定したのは,華北労工協会等現地の「供出」機関の「割当」であった。もちろん「割当」を受ける事業場側には,これを受けない自由はあったが,一人一人の中国人には,いかなる意味でも自由はなかった。

 身体は拘束され,自己の意思で収容所から離脱することはできず,これら拘束者に対し抵抗することは死を意味し,「割当」を受けて,日本に連行しようとした事業場に対し抵抗することも死を意味したからである。

 第4に,労働者を使用したとき必ず支払われる賃金が支払われていないことである。閣議決定を始め次官会議決定,その他の関係文書はすべて賃金支払いを前提している。しかし,実態上支払われたところは全くない(敗戦後中国人の強い要求により一部で,賃金に相当する金額が支払われているところがあるのみである。)

3 強制「労働」における実態

(1) 労働管理の状況

 労働管理は,次官会議決定によって,厚生省(労役),運輸省(輸送),内務省(取締り),大東亜省,農林省(食糧),各事業場並びに下級機関として地方庁,「現地より同行せる日系指導員」,国民職業指導所及び警察署が行うように決められている。

 外務省報告書によれば,「内務省に於ては厚生省軍需省と連名をもって関係地方庁に対し之が指導に関し通牒を発せり又之が取締要領を定め之が励行方を通牒せり」とあり,この「取締要領」においては,次のような指示が出されている。

「一 華人労務者内地移入要領第二の「一」に依り割当予定の通報を受けたるときは事業場と連絡し作業場宿舎等の選定,警戒対策の樹立其の他取締上必要なる諸般の準備を為し置くこと

二 事業場側に対しては逃亡防止並びに外部との連絡遮断に処する確実なる施設の完備と華人労務者監督の責任を負担せしむること」

 この政府の指示は忠実に実行されていくが,各事業場においては警察が管理における重大な役割を果たしていた。例えば,釜石警察署は,事業場に対して次のような「提示事項」を送っている(昭和19年9月25日)

「一 看守

イ 県費警官四名

 請願警官二名   甲乙丙三部制勤務

ロ 宿舎側近に警官見張所を設置のこと

ハ 点呼並携帯品点検には警官を立会せしむること

二 逃亡

ニ 逃走者を逮捕せる場合絶対に帰国又は職場に復帰さすことなく警察署に連行のこと」

「四 其の他

イ 作業指導員は絶対に自ら作業に従事せざること 率先躬行の要なし

ハ 漢民族は感情に左右されない 親切にすればする程増長するを以て親切心或いは愛撫の要なし

ニ 労働能率の向上ため成績優良者に嗜好品を与え不良者には減食すること

へ 規律,指導訓練は最初から厳格に行うこと

ル 入浴の設備は被征服者が征服者を持成すと云う支那の観念があるから設備の要なし

タ 外出は一切認めざること

レ 通信面接,書面による通信は抑制しないこと

 自由投函は禁止し一定の投函箱を設置し投函された書面は一括所轄警察署に提出のこと

 面接は内外人を問わず一切禁止のこと」

 また,新居浜警察署は「華人労務者警備計画」と題して次のような指示を出している(昭和19年11月5日)

「第五項5 障壁一周囲に高さ一〇尺乃至一二尺の板囲を為し逃亡防止の為板塀の丈夫に電線を張り続らし三五〇ボルトの電流を送電す

第一一項5 各種不平不満の内偵

7 華人内部の動静査察

11 新聞雑誌を提出せざること

16 写真並に指紋原紙(人相特徴を含む)を個人別に作成保管」

 警察の管理がどのように実行されていったかについては,逃亡した中国人が逮捕された後の状況をみると一層明確になる。「中国人殉難者名簿」によれば,「土屋組天塩では山口県特高が一一名逮捕し以後全員行方不明,鉄道工業美唄一名逮捕以後行方不明,鹿島組御嶽三名逮捕全員死亡,飛島組御岳一名逮捕死亡,西松組安野五名逮捕全員原爆死,熊谷組与瀬一名逮捕死亡,日鉄二瀬鉱業所一六名逮捕内七名死亡,日鉄鹿町鉱業所六名逮捕全員原爆死,三菱大夕張鉱業所一名逮捕死亡,同高島鉱業所一名逮捕死亡,同崎戸鉱業所二七名逮捕全員原爆死,三井田川鉱業所二二名逮捕内四名死亡一名不具,伏木港荷役九名逮捕三名死亡,新潟港荷役一名逮捕以後行方不明」とあり,いかに厳格に警察によって管理統制下におかれていたかがうかがわれる。

 以上のような警察の各事業場に対する指示は全般に内務省指揮下にあった県警警察当局の指示によってなされたものであり,政府の指示に基づくものであることは明らかである。

(2) 衣食住

ア 収容所の状況

 収容所の状況について外務省報告書は次のように述べている。

 「宿舎は華人労務者の為特設せられたるもの最も多く一三五事業場中六七を占め改造,転用等をなせるものあり居室は一人当り○.六三坪平均にして畳敷のもの四五%アンペラ敷のもの二七%,其の他茣蓙敷,板敷のものもあり,逃亡防止の見地より通風採光の点面白からざるもの多く一般に設備充分とは云へざるも特に不良と認めらるるものなきが如し唯受入迄に準備整はず之が為疾病死亡を誘発せりと認めらるるもの若干あり,尚暖房燃料などに関しては特記すべきものなし」

 衣食住の状況に関しては,民間の調査報告によって外務省報告書における報告が信頼しがたいものであるといわれている(一例であるが,民間調査では畳敷の収容は確認されていない。)。それは外務省報告書が事業場からの報告をそのまま統計したものでしかないからであるが,それでも右の報告には「通風採光の点で面白からざるもの多く」「一般に設備充分とは云えざる」と表現され,「暖房燃料などに特記すべきものなし」と明らかにされており,各事業場における収容所の劣悪な環境をうかがい知ることができる。しかも135事業場のうちその多数が北海道に存在していたにもかかわらず「暖房燃料などに特記すべきものなし」というのである。

イ 衣食の状況

 外務省報告書においては,例えば,食について事業場側の支給した食料の平均は配置直後1人1日平均主食924グラム,栄養量は熱量3991カロリーとなっているが,1945年3月の日本人一般の摂取熱量1920カロリーと比較しても,また非常に多くの栄養失調による死亡者を出しているという事実からも,さすがにこの数字には外務省報告書も「信憑し得ざる数字にして恐らく誤記多きに依るものと推察せられ」と述べている。

 別の報告によれば,「捕虜となって連れてこられた中国人は小さなマントウ一個の支給で坑内労働を強制され,空腹の余り恥も外聞も捨てて道路に落ちている生大豆や馬鈴薯を拾って食べた。衣類も満足に支給されない彼らは荒く織った作業衣一枚に痩細った身体を包み,雪のプラットホームにがたがたふるえ乍ら汽車を待っていた(毎朝五時四〇分盤ノ沢発の列車で通勤していた)姿は痛々しいばかりであった」(三菱美唄鉱業所労組「炭鉱の生活史」),「被服も政府から若干配給され,長野県から工事責任者たる日発御嶽建設所長に渡されているが,これらの被服は大部分横流しされ,俘虜がやってきたとき一回夏服を渡されただけで,冬は本国から持参した中国服を使っていた,補修用品が支給されないため南京袋を針金で綴ったものや,セメント袋を足に巻いたり,ワラを巻いたものもあった。食料は少なく少量の小麦粉が長野県知事から配給されたが,俘虜の常食は小麦粉六〇%,麩糠四〇%の粗悪なパン(タテ横約三センチと七センチの長方形で厚さ約三センチ)を三個与えられただけで,空腹にたえかねて野草を採取して生活していた」(電産木曾川分会調査「労働戦線」1950年3月31日)と記されている。

 各事業所側とも,当時の食料,衣料,医薬品等が厳重な配給機構下にあって,県当局の斡旋指示によらなければ鉱業所自体の入手は警察当局の監視が厳重で不可能であった。各事業所における衣食に関する実態は上記事業場と変わらないものである。

(3) 労役の状況

ア 労役の種類

 労役の種類は,乗船人員のうち,鉱山業47事業場1万6368名,土木建築業六三事業場1万5253名,造船業4事業場1215名,港湾荷役21事業場6099名(総計135事業場3万8935名)であり,すべてが重筋肉労働部門である。この割当配置は既に述べたとおり,次官会議決定附則「華人労務者内地移入手続」の細目などにより「関係庁協議の上厚生省之を選定」したものである。

 配置された作業の種類状況をさらに石炭採掘についてみると,採鉱44.7%,運搬10.3%,掘進27.3%,切工1.8%,盛土0.3%,機械14%,農耕0.1%,雑役14.1%となっており,石炭採掘においてほとんどが坑内の重労働に使役されたことが示されている。

イ 生産,労役の量,強度

 当時は,全体として,生産,労務は政府の強力な統制下にあった。中国人の配置された事業場,特に,石炭採掘の事業場は,軍需管理の指定を受け,軍需省による生産の割当てと厚生省による労務の統制のもとに,全体に苛酷な労働が強いられていた。

 中国人に関する労働強度を示す報告として「軍の命令は出勤率八五%を要求している。出席目標は直ちに食糧の配給基準をおびやかす。栄養失調の甚だしい者の中には一寸つまづいて転んだしゅん間,死の転帰をたどった者もあった。」(三菱美唄勤労係G氏)というものもある。

 また,労役強度は,中国人のおかれていた以下の状況から推し量ることが可能である。三井美唄鉱業所では乗船人員597名のうち46名が途中で死亡して事業所に到着したのは551名であった。三井芦別鉱業所では,乗船人員684名,途中死亡74名,事業所封着610名であった。美唄も芦別も途中死なずに事業所に到着した中国人の状態が極端に悪かったと言える。その状態の中で稼働率は美唄が87.8%,芦別が70%,労働時間がそれぞれ二交替10時間で重労働をさせられた。その結果美唄事業所では117名が死亡し,芦別では171名が死亡した。死亡率はそれぞれ37.3%,35.8%である。

 上記のような状況は,石炭採掘のみならず,他の事業場や港湾荷役等の事業場においても同様であった。

ウ 死亡並びに行方不明の状況

 死亡者総数6830名について「外務省報告書」は,次のように述べている。

 () 死亡の時期および場所

 連行船中死亡            564名

 事業場到着前死亡 248名

 事業場到着後3カ月以内死亡  2282名

 事業場到着後3カ月以後死亡  3717名

 生存者集団送還時以後死亡 19名

 () 原因

 疾病によるもの  6434名

 災害によるもの 322名

 自殺 41名

 他殺(ほとんど中国人同士の殺害) 33名

 乗船に至る前に既に多数の死亡者を発生させていたという事実については前に述べたとおりであるが,乗船に至るまでの大量死亡を発生させた状況はそのまま継続して以後の連行から事業所における死亡の大きな要因となっている。ほとんどの事業所で配置された中国人は事業場に到着した時点で既に栄養失調状態であったのである。そこに事業場における苛烈な労働と労務管理が重なってあまりにも悲惨な犠牲を強いたのである。外務省報告書もこの点について触れ,「死亡責任を現地側のみに負わしむるを得ず(中略)然らば受入側の責任とは如何なる点にありや(中略)一概に断ずるを得ざるも食糧の質及量に起因すると認めらるるもの,宿舎被服蒲団等の点に疑問ありと認めらるるもの,医療衛生の施設及診療に問題ありと認めらるるもの等に大別すると得べく(中略)一応判断せらるるところなり」と記している。

 (4) まとめ

 以上のような強制「連行」及び強制「労働」の凄まじい実態は,企業からの要請を受けた当時の日本政府が,自らも戦時経済を揺るがせにせず一層の戦線の拡大を企図して具体化した「華人労務者内地移入」政策を実行した当然の結果にほかならない。

 35企業と日本政府が車の両輪ともいうべき強い共同関係にたって,朝鮮人だけでは足りず,更に中国からも多数の人民を,生活の場所から,そして最愛の家族から,暴力的に引きはがし,極めて不十分な食料しか与えず,栄養不足のまま彼らを牛馬のごとく使役したのである。このことがこれまで述べてきたような言語を絶する被害を発生させたものであり,被告国と企業の責任は人道上・法律上極めて重大であるといわざるを得ない。

第2 原告らの被害事実

1 原告李倫,同劉忠三,同辛子峰の被害事実(被告古河機械金属株式会社関係)

(1) 拉致・監禁

ア 原告李倫

 原告李倫(以下「李倫」という。)は,1923年3月3日生まれで,強制連行された当時22歳であった。李倫は,強制連行された当時,河北省徐水県遂城郷大次良村に,父母,兄,妹,そして妻及び本人の一家6人で居住していた。李倫は,列車の清掃業をして生計を立てていた。

 李倫の家族は,列車清掃業をしていたが,父が日本軍から発砲され死亡したという知らせを受け,徐水に帰省したところ,日本兵に鉄道破壊の疑いをかけられ,Hという中国人と一緒に逮捕され連行された。

 李倫は,徐水から保定に連行され,収容所において,八路軍の疑いをかけられ(実際は何もしていなかった。),棍棒で殴られるなどの拷問を伴う取調べを受けた。中国人の中には,尋問の際,爪の中に針をさされたり,ピストルの筒の部分を指の間に挟んで指をねじられたりという拷問を受けた者もいた。その後,李倫は,石門(現在の石家庄)の労工訓練所に送られた。そこでは,取調べはなく,走ったり歩いたりという訓練を受ける毎日であった。そこから,李倫は,列車で塘沽に移され,日本へ連行された。

イ 原告劉忠三

 原告劉忠三(以下「劉忠三」という。)は,1917年11月8日生まれで,強制連行された当時25歳で,4と名乗っていた。劉忠三は,強制連行された当時,河北省辛集市範家庄郷北大過村に,父母と妻及び本人の4人で居住しており,農業を営んでいた。

 劉忠三は,1944年6月10日ころ,新城の畑を耕していたところ,突然日本軍がやって来て,銃剣でおどされ,後ろ手に縛り上げられ連行された。その際,同じ村から劉小歪も一緒に連行された。劉忠三は,劉小歪らとともに,新城から連行され辛集鎮(今の辛集市)石家庄に連行された。そこには80人くらいの中国人が集められていた。劉忠三らは,石家庄に2日間滞在したあと,汽車で北京豊台を経て塘沽に収容された。その間,4人1組にされ日本軍の監視の下,後ろ手に縛られたままであった。

 石家庄では日本軍と傀儡中国人とが監視していたが,その収容所のまわりには堀があり,高圧電流が流された鉄条網が張り巡らされていた。そこでは取調べや訓練は一切なかったが,連行された中国人の中には何度も殴られた者もおり死傷者も出た。

ウ 原告辛子峰

 原告辛子峰(以下「辛子峰」という。)は,旧暦1924年7月7日生まれで,強制連行された当時,河北省辛集鎮猫営村に,父母,妻及び本人の4人で居住し,農業を営んでいた。

 辛子峰は,日本軍と憲兵隊が村を通り掛かった際,人狩りと称した強制連行により5人の村人とともに逮捕された。辛子峰の場合は,辛集市の憲兵隊本部に連行される際に,迫撃砲の砲弾の運行も強要されている。辛子峰が連行された憲兵隊本部には,20人近くの中国人が集められていたが,辛子峰は,そこに10日間以上留め置かれ,その後,汽車で塘沽の収容所に移送され,さらに収容監禁された。

エ 劉忠三及び辛子峰らは,塘沽に1か月以上収容所に監禁されていたが,そこには約300人以上の中国人が収容され,予防接種をされた。塘沽の収容所からの逃亡は不可能であった。李倫らが収容監禁されている間,逃げ出した中国人が2人いたが,すぐに捕まってしまった。収容所の食事は,トウモロコシの粉で作った粥を茶碗1杯分ずつ1日2回与えられ,ごくたまに野菜が付けられることもある程度であった。塘沽の収容所で布団と作業着を1組ずつ,靴も1足支給された。

(2) 事業場への連行

 同原告らを乗せた清津丸は,1944年(昭和19年)10月に日本の下関に到着し,その後大阪に入港し,原告らは,体を消毒され,陸路3日間かけて栃木に向った。足尾鉱業所にいくことは,塘沽において古河機械金属の者2人が来て説明していた。清津丸は,貨物船で石炭と水を積んでいたが,軍隊の監視もなく比較的自由があったものの,ほとんどの者が船酔い状態で食欲もなく,また食事も粗末であったことから体力も消耗し逃亡することなど出来ない状態であった。実際,船の中で2人が死亡し,海に投げ捨てられたという話もある。

(3) 事業場での仕事の内容

 同原告らは,栃木県足尾町の古河鉱業足尾鉱業所に連行され,収容された。被告古川鉱業作成の事業場報告書及び外務省報告書の第1部移入・配置及送還事情によれば,第1次移入人員は200名であるが,強度の栄養失調者25名が不合格にされ,さらに,乗船者175名の内,現地受入数は165名で既に10名が死亡している。また,第2次移入人員は101名であるが,強度の皮膚病と花柳病に害された19名が不合格とされ,乗船者82名の内,現地受入数は81名で,1名が死亡している(第1次及び第2次の合計で11名の死亡,内,船中死亡者数6名)。上陸時受入状況は,「栄養失調に加え,疲労極度に募り,車中は殆ど半病人の如く意気頓に消沈しあり」という悲惨な状況にあった。しかしながら,原告らは,到着後1週間の休養を与えられただけで労働が開始された。連行された約300名の半数は国民党で,半数は民間人だった。それらを1つの中隊とし,それをさらに小隊に分けていた。劉忠三は,その第2中隊の第1小隊の隊長として配属された。1小隊は,20人から30人ほどであったが,劉忠三が責任者を勤めていた小隊は28人で構成されていた。原告らの労働内容は,銅鉱石を産出するため銅鉱に入りドリルなどを使い掘削し,掘削した土砂をトロッコで外に運び出す作業に従事していた。

(4) 事業場での住環境

 中国人労働者が収容された宿舎は,木造の平屋建てで土間の上に板敷きであった。暖房などはなく,冬は寒さに震えていた。事業場報告書によれば,「ストーブ及び石炉が12月上旬から4月下旬」までとされ,燃料事情として「1ヶ月石炭6頓,木炭200〆,薪300把,練炭200ヶ」と記載されているが,虚偽である。収容人数は,2班40人くらいが1部屋に収容されていた。広さは1人当たり1畳半くらいであった。宿舎の周りには,溝が掘られていた。そして,溝が掘られている部分以外には壁が張りめぐらされていた。門番は2人おり,中国人労働者を監視し,坑道に入る際にも監視されていた。警察署も近くにあり,栄養不良状態で体力も低下し,逃げることなど到底できなかった。警察からは警察官6名が派遣され,常駐していた。事業場報告書によれば,「職員3名,警備員10名,警察官巡査部長以下6名派遣」「官憲(警察署)・内務省の指示に従い生活管理を実施」と記載されており,職員,警備員,警察官らによる厳重な見張りと警備がなされていた。

(5) 事業場での労働条件

 仕事は,朝の6時ころから夕方5時ころまで行われ,昼に1時間の休憩時間があったが,5時以降も残業ということでしばしば夜遅くまで働かされていた。中国人労働者は,8時間労働とは名ばかりで毎日12時間前後にも及ぶ労働を強いられ,また安全管理という点においても放置されていた。また,仕事を少しでも手を抜くと,蹴られたり殴られたりというのはしょっちゅうのことであった。暴力を振るわれないようにするには,従順に日本人の言う事を聞いていなくてはならなかった。事業場報告書によれば,「仮初めにも酷使虐待の事実を認めず,かつ,華労との摩擦は一回もない。時間中に作業を終えしむるよう配慮し,火急なる作業を要求することなし。殴打リンチ等は厳に戒めたるをもって斯かる事実は全然なし」などと記載されているが,実態と大きく乖離している。休日とされていた日曜日も,中国人労働者自身の給仕用の薪を採りに山に入ることになっており,実質的には休日は与えられていなかった。中国人が従事していた作業は落盤などを伴う危険なものであったが,安全管理はなされておらず,事故が日常茶飯に発生し,劉忠三自身,左人差し指を2つの石に挟まれ怪我をしている。

 原告らは,被告古河鉱業との間に労働契約を締結していないし,華北労工協会との間にも労働契約等は一切締結されていない。そもそも原告ら3人は華北労工協会の名前も全く知らなかった。

 原告らは,終戦後,古河鉱業からは賃金等如何なる名目の金銭も一切受け取っていない。もちろん日本国や華北労工協会からも一切の金銭を受け取っていない。この点については第2中隊の第1小隊長をしていた劉忠三も一切支給されていなかったことを言明している。また,預金や送金ということも一切ない。この点についての事業場報告書の記載である「概要−給与は正当公平に支払いたり。一日一人当たり五円の実収賃金を支給す。給与制度−毎月の稼高を華労に通告,納得せしめたうえ,一括事業所として積立あり。給与受領状況−終戦後総隊長の意に依り,各人必要なる金額を払戻し,総隊長を通じ受領せしむ。送還時一括して個人に払い戻す」との事実は全くない。

(6) 事業場における食事

 中国人労働者の食事は,非常に粗末なもので何かの黒い粉で作ったマントウを与えられただけで,中国人労働者は,塩をおかずにして食べていた。1日に3回,1回当たり1個与えられただけであった。しかも,仕事を休むとそれさえ減らされるという状態におかれていた。日本人は,昼食のお弁当などを見ていると御飯とオカズを食べていたが,中国人労働者はマントウを食べていただけであり,味噌汁や漬け物さえ与えられなかった。ニンニクが極く稀に与えられた程度で,その他に野菜は全く支給されず,中国人労働者が日曜日毎に薪拾いに山に出かけたときに山菜を採ってきて食べるのがやっとであった。中国人労働者は,お腹が空くので,水を飲んで我慢していた。事業場報告書によれば,「受入時に小麦粉一日一人当たり七六七グラムを主食とした」とあるが,さらに就労期間ずっと「食糧事情,概要−日鮮人に比し,県指令に基づく配給量は絶対多量にして支給せられたる。日鮮重労働者は六〇〇グラムに対し,七六七グラム。支給状況−塩・米−華労のため特に増加配給せらる」とある。しかし,これが虚偽であることは計70名もの中国人労働者が栄養失調,胃腸カタル等で死亡していることから明らかである。酒などは全く支給されなかった。ビタミン剤や薬を与えられたことなどは一切なかった。

 食事は極めて粗末なものであったことから,中国人労働者の栄養状態は極めて悪く,栄養失調に陥る者が多数続出した。下痢が続き体力が低下し死んでいくのである。劉忠三と一緒に村から連行された劉小歪は,栄養障害がもとで下痢が続き仕事ができなくなったとき,何ら治療されず放置され,さらに働けないからということで食事を減らされた。本来なら人が食べるようなものではないマントウを無理に食べて飢えを凌いでいたが,病気になり寝込んでしまい働けなくなったときには,そのマントウさえ個数を減らされたのである。その結果,劉小歪は,劉忠三らが仕事に出ている間に死亡してしまった。劉小歪は,最後は顔をパンパンに腫らし死亡したという。

 終戦後になり,初めて食事の量や質も良くなった。米や豆を食べることができるようになった。

(7) 事業場における衣服その他の衛生条件

 衣服は,塘沽で支給されたもの以外には,地下足袋が1足支給され,作業服も1組新たに支給されただけであった。それも綿の薄手のものであった。

 風呂は2人くらいがやっと入れるものがあったが,毎日の労働がきつく,皆疲労が蓄積しており,徐々に風呂に入る人数が少なくなっていった。

 鉱山での労働は長時間かつ危険な作業であったことから,事故が多発していた。劉忠三の怪我は,骨折には至らなかったもののその治療は何らなされなかった。また,診療所といっても医者はいなくて,そこでの治療は中国人労働者が担当者として赤チンを塗るだけのものであった。事業場報告書によれば,「寮内に病室,治療室あり。右入室患者の巡回診療す。」などとの記載があるが,事実とは明らかに異なっている。

 栄養失調で死亡することは珍しいものではなかった。厳しく苛酷な労働のもと食事が極めて少量で粗悪なものであったことから,栄養失調に陥るのが当たり前であった。伝染病などの病気で死亡するのではなく,栄養失調により死亡したのである。栄養失調に陥っても,栄養剤はもとより薬も与えられず,医者の治療を受けることさえ許されていなかった。

 原告ら自身,何度も身近に死亡した者を目撃している。約300名が強制連行され,内104名が死亡している。足尾事業所は,中国人が強制連行された事業所においても極めて死亡率が高い事業所の1つであるといえる。

(8) 帰国

 原告らは,終戦後,強制労働から解放され,帰国することができた。原告らは,帰国に当たって衣服の支給を要求したが,結局支給されなかった。もちろん金銭が支給されていないのは,前記のとおりである。

 原告らは,1945年11月,九州を経て中国は青島に送還され,そこから,各自が汽車又は徒歩で故郷に帰郷した。

2 原告李祥,同李恕,同郭真,同韓英林,同侯振海の被害事実(被告鉄建建設株式会社,西松建設株式会社,同株式会社間組関係)

(1) 拉致・監禁

ア 原告李祥

 原告李祥(以下「李祥」という。)は,生年月日不詳,現在79歳である。

 李祥は,強制連行された当時,河北省易県紫荊関鎮東清源村に,父,叔父,妻,息子(当時9歳)の5人で居住し,現地で農業を営んでおり,また,八路軍から任命された村の幹部も務めていた。

 1944年4月中旬ごろ,李祥の村を数10名の中国人傀儡軍が包囲した。傀儡軍は,李祥の家の門を足で蹴り開け,就寝中の李祥を連行した。彼らは,李祥が八路軍から任命された村の幹部だから連行されたのだと言っていた。

 李祥は,中国人傀儡軍に拘束された後,易県の食料局付近のある家の地下の貯蔵用の穴蔵に拘留され,その中に11日間いたあと,易県の警察局の監獄に護送された。李祥は,そこで1か月ほど拘留された後,数10人の中国人と共に北京に護送された。李祥は,汽車の中では銃を持った日本兵に護送され,逃げたくても逃げられず,後ろ手に縛られていた。北京収容所は平屋造りで,四方に鉄条網がめぐらされていた。ここでは,食事は毎食1個50gの蒸し餅(とうもろこしの粉と大豆の粉を混ぜて円錐形にして蒸した食品)を2個,これを1日2食与えられただけだった。その後,李祥は,数10人の中国人とともに汽車で天津の塘沽に護送された。李祥は,捕まった日から脱走を考えて,その機会をねらっていたが,傀儡軍が常に見張っていたのでその機会がなかった。北京から塘沽までの列車での移動の間に脱走を図った者がいたが,日本人が彼を捉えて死ぬほど殴ったのを見たことがあったから,李祥は失敗すれば殺されると思っていた。

 李祥に対して,日本人の通訳は,労工協会の世話で日本へ行って働くこと,毎日の賃金は6元で,仕事を終えて帰国してから払うことを告げたが,どこで何の仕事をするのかは告げられなかった。労工協会の人も就労契約も見たことがなかった。

イ 原告李恕(日本で働かされていた時の名前は李樹伍)

 原告李恕(以下「李恕」という。)は,1918年10月3日生れで,強制連行された当時,河北省易県荊関郷三里鋪小新成に,妻及び息子が2人の4人で居住し,現地で農業を営んでおり,また,共産党の任命による村の青年主任も務めていた。

 1944年4月中旬ごろ,李恕の住んでいた村に,日本の1個連隊と中国人傀儡軍がやって来て6,7人の村の幹部と一緒に捕まった。李恕は,山に隠れていたのだが,その日はたまたま墓参りのため村に下りてきていたので捕まってしまった。李恕は,日本軍に拘束された後,紫荊関の日本軍の拠点に連れて行かれ,縛り上げられて,銃を出せと言われ,持っていないと言うと,丸太や革の鞭で叩かれ失神し,水をかけられ意識を取り戻した後,拷問を受けた。食事は毎日粟のお粥だけだった。李恕は,20数日拘留されてから,易県の警察局の留置場に車で護送され,そこで20数日滞在した。その後,李恕は,数10人の中国人と一緒に車で北京の南苑原29軍兵営まで護送された。ここには数百人の中国人が拘留されていたが,彼らは八路軍か,その幹部だった。ここでは始終監視がつき,行動の自由はなかった。部屋には藁のマットレスのみで,掛け布団などなく,また,食事は1日3食,1食1椀(50g前後)でおかずはなく,コーリャンのご飯あるいは小豆のご飯だった。李恕は,ここでは田植えの仕事をし,1か月あまり後に李祥,郭真と一緒に天津の塘沽に護送された。

ウ 原告郭真(日本で働かされていた時の名前は郭忠)

 原告郭真(以下「郭真」という。)は生年月日不詳,現在74歳であり,強制連行された当時,河北省易県荊関鎮高荘村に,両親,弟2人,兄,妹の7人で居住し,現地で農業を営んでいた。

 1944年5月初旬ごろ,郭真が村で当番の見張りに立っていると,日本兵の一団と中国人傀儡軍がやって来て,郭真を捕まえた。日本兵は,郭真に仕事は何かと聞くので,郭真が,草刈りだと答えたら,顔を何度か殴られ,紫荊関の警察署まで連行された。郭真は,紫荊関の警察署に7日間拘禁された後,10数人の中国人と一緒に易県の警察局の監獄に移送され,そこで10数日拘禁された後,北京に汽車で護送された。車内では,日本兵が銃を持って見張っていた。郭真は,北京では,西苑にあるレンガ造りの2階建ての建物に閉じ込められた。建物の周りには電気の流れている鉄条網が張ってあって日本兵が見張りをしていた。ここで死んだ人もいたが,死因は分からない。郭真は,ここでは,毎日野菜を植える仕事をした。郭真は,その後,北京を離れて天津の塘沽に李祥及び李恕と共に連行された。

エ 原告韓英林(日本で働かされていた時の名前は韓黒)

 原告韓英林(以下「韓英林」という。)は,1918年6月6日生れで,強制連行された当時,河北省深県北安荘に,母,妻,弟2人,妹の6人で居住し,現地で農業を営んでおり,また,共産党村青年救国会主任も務めていた。

 1944年3月ころのある夜11時か12時ころ,韓英林の村を100人位の中国人傀儡軍が包囲し,村の西の紫小屋で韓英林を捕まえ,縛り上げた。かねて韓英林は,捜査の対象とされており,韓英林の父は,その居場所を答えなかったために,日本軍に殺されていた。傀儡軍の中の日本兵が「共産党の幹部は誰だ。」と聞くので,韓英林は,知らないと答えたら,火中に突き落とすなどの拷問を加えられた。韓英林は,村で拘束された日の夜,深県の町に護送され,ここでも,中国人の傀儡軍から拷問を受け,耳に電気を通されたり,棒で殴られ足を折られたり,顔にできたやけどのかさぶたを無理矢理はがされたり,水の中に頭を突っ込まれたりした。この時の拷問によって耳が不自由になるなど,韓英林は変わり果てた姿となった。韓英林は,ここで計6日間拷問を受けた後,衡水監獄に移され,手錠・首かせを付けられた。牢屋には1部屋に40数人が押し込められ,大変不潔で,手の爪くらいもあるトコジラミなどたくさんの虫がいた。韓英林の足の傷は化膿してたくさんの膿が流れ,匂いもきつく,うじ虫が湧いたが,治療してくれる人はいなかった。食事はとうもろこしを糊状にしたものだった。韓英林は,そこで7日を過ごすと,今度は石家荘南兵営(収容所)に移された。そこの建物はレンガ造りで四方に電線が張ってあった。食事は,毎日コウリャン米を食べ,1食100〜150g,小椀1杯だった。おかずはなかった。韓英林は,そこで1か月位を過ごし,その後,北京に移送され,そしてすぐに天津の塘沽に移送された。韓英林は,塘沽で半月ばかりを過ごしたが,条件は劣悪で,蚊,ノミ,うじ虫,トコジラミがあちこちにいた。建物の四方には電線があり,さらに銃を持った兵が見張りに立っていた。韓英林は,ある夜,トイレに行くすきを見て逃げ出したが,日本兵に発見され銃で撃たれた。銃弾は韓英林の右の二の腕を貫通し,出血がひどかったが,看守がたばこの吸い殻で傷口を塞いだらやっと止まった。ちゃんとした治療をしなかったので,ひどく化膿し,韓英林には,今でも右腕をまっすぐ伸ばせない障害が残っている。

オ 原告侯振海

 原告侯振海(以下「侯振海」という。)は,1922年10月5日生れで,強制連行された当時,河北省余県東緑村に,両親,兄弟3人,姉妹4人の10人で居住し,当時軍人であり,八路軍129師団新4旅団第10連隊通信員を務めていた。

 侯振海は,日本軍に連行されるまでは八路軍129師団新4旅団第10連隊の通信班の班長をしていたが,1944年当時,負傷のため棗強県城流常の北にある村で療養をしていた。ある日,110名位の日本の傀儡軍が村を包囲し,侯振海は当時軍服を着ていたので縛られて棗強県に送られた。侯振海は,村で逮捕され棗強県に連行された後,すぐ衡水監獄に送られ,取調べを受け,素手で殴られたり,棍棒(直径6センチ,長さ2m)で殴られたりした。ここでは,大勢の人が木の箱のような部屋に閉じ込められた。侯振海は,数日後,今度は石家荘の華北運糧廠に連行され,ここでは,レンガ造りの平屋に泊められた。その中には銃を持った兵隊が見張っていたので逃げられなかった。侯振海は,その後,北京に連行されたが,鉄道が取り壊されていたので,徐水まで縛られたまま歩かされ,徐水から北京までは汽車で行った。侯振海は,北京に着くと万寿寺の1つの坊の中に泊まった。食事は糠の入った米であった。侯振海は,北京で尋問も拷問も受けなかったが,見張りがいたため行動の自由はなかった。侯振海は,夏になってから天津の塘沽に移送された。

(2) 事業場への連行

ア 李祥,李恕及び郭真

 同原告3名は,数日間塘沽に収容された後,1944年6月21日,日本の大きな貨物船(第6壽丸)に乗せられた。船倉には石炭が積まれていた。一緒に乗り込んだのは全部で300人余りであった。船の上では日本人の監督が見張っていた。食事は,毎食1個50g程度のとうもろこしやコーリャンなどの粉をこねて円錐形に丸め,蒸した食品だった。海洋の条件はとても悪く,船はひどく揺れるので,原告らは全く食欲がなく,食事をとってもすぐに吐いてしまうようなありさまだった。このような状態で航海を続けた後,原告らの船は,同年6月24日,下関港に着いた。そこで,原告らは10人1グループにされ,体や顔に消毒液を吹き付けられ,また,衣類はせいろで蒸して消毒された。そして,原告らは,その後,下関から汽車に乗って,同年6月28日,新潟の被告西松信濃川工事事業所に到着した。

イ 韓英林,侯振海

 同原告2名は,1944年8月2日,収容されていた塘沽から日本の貨物船に乗せられた。塘沽において空襲があったため,船には適切な飲料水が得られず,飲用に適さない不衛生な水を使ったので,多くの腸カタル患者を出していた。船では,韓英林は船底の部屋に入れられたが,侯振海は船倉に鉱石の積んである船だったので甲板にいた。船上には銃を持った日本人が監視していて,とても逃げられるような状態ではなかった。食事は,糠入りの米飯が出たが,船の揺れが激しいため誰も食べられず,口にしてもすぐに吐いてしまうような状態であった。このようにして原告らは,同年8月8日,下関に着いた。原告らは,そこで体の消毒と衣類の消毒を行った後,すぐ企業側の担当者に汽車に乗せられ,同年8月12日,被告西松信濃川工事事業所に到着した。何人かが腸を壊したまま到着し,適切な治療も受けずに死んだ。

(3) 事業場での仕事の内容

ア 被告西松信濃川事業場

 中国人労働者は,2つの中隊と1つの大隊とに分かれ,中隊の下にはさらに小隊があり,その小隊がそれぞれ10人1班に分かれていた。労働内容は,主につるはしとスコップでトンネルや川を掘り,手押し車やトロッコで土を運び,堤防を作ることであった。その他,水力発電の基礎工事,雑役などもあり,仕事は2班交代制で,日が昇ると作業を始め,日が暮れると作業を止め,毎日12時間も労働していた。12時間の労働が終わると,また,他の班が交代で労働をしていた。作業中,指図をする班長や隊長は中国人で,監督は日本人だった。

 韓英林は,塘沽で右腕に負傷し,これを使うことができなかったので,作業員のために湯を沸かしこれを運ぶ仕事が割り当てられた。

イ 被告間組御岳事業場

 冬になって,被告西松信濃川事業所の作業が降雪によって中断したため,中国人労働者は,1945年1月末,他の171名の労働者とともに長野県にある被告間組御岳事業所に,軍の監視の下に列車で移送された。移送に際し,病気を押して無理に移動したため,数名の中国人労働者が死んだ。

 被告間組御岳事業所では,日本人の監視員が常に労働者が逃亡しないように監視していた。それでも逃げ出した者もいたが,結局逃げても食べ物がなかったので再び日本人に捕まるだけであった。中には,山の上に逃げたにもかかわらず飢えと寒さに苛まれ,自ら帰って来た者さえいた。

 被告間組御岳事業所は,水力発電のためのダム建設を行っていたものである。中国人労働者は,ダム建設のための砂利採取・運搬,トンネル工事,一般雑役に従事し,主にはトロッコで土石運搬を行った。郭真は,仕事中に右手人差し指を切断する事故に遭遇したが,医師の治療を受けることはできず,他の労働者に布を巻いてもらっただけで,仕事を休むことはしなかった。休むと,おにぎりが毎食1個に減らされるからである。作業所では3か所に現地編成部隊(軍隊式にそう呼んでいた)を分宿させ,各中隊を3個の小隊に区分し,1個小隊40〜50名を日本人作業分割担当配下に所属させ,小隊長中隊長がこれを掌握していた。労働時間は1日8時間から9時間であった。

ウ 被告間組戸寿事業場

 原告らのうち,李祥,李恕,郭真は,1945年6月12日に被告間組御岳事業所から岐阜県にある被告間組戸寿事業所に移動させられた。

 被告間組戸寿事業所の労働者は,全て被告間組御岳事業所からの移動であったので,特別な訓練は行わず,作業も御岳事業所とほぼ同じであった。具体的には,鉄鉱石採取のための土壌の採掘・樹木の伐採・地ならしなどを行った。中国人労働者は,主に穴を掘っていたが,これはトンネルではなく,武器・弾薬を入れる防空壕であると言われた。

(4) 事業場での住環境

ア 被告西松信濃川事業場

 中国人労働者の宿舎は,バラック建ての長く広い建物で,南北に立っていた。大きさは,約5.8m×32.7m(57.6坪)の建物が一棟であった。その部屋の中で,中国人労働者は,何100人も頭と頭をつきあわせて雑魚寝をしていた。部屋は,木の板上に筵と布団が敷いてあったが,暖房はなかった。寝床の筵をめくるとノミとブヨがいっぱいで,布団はノミの糞だらけで表面の色もよくわからなくなっていた。また,風呂はあるにはあったが,1か月に1度も入れなかった。

 建物の周囲には,塀が張りめぐらされ,電流の通った鉄条網が張ってあった。また,事業場でも警察官が監督をしていたため到底逃亡することなどかなわなかった。

イ 被告間組御岳事業場  

 中国人労働者の宿舎は,1棟約7.2m×21.8mでありそれが内部で2つに仕切られていた。そして,それぞれに約70名ずつが収容された。暖房器具として,1部屋に3つの火が起こされていたが,少し離れたところではとても寒かった。また,風呂の設備はなく,1度も入ったことはなかった。

ウ 被告間組戸寿事業場

 中国人労働者の宿舎は,戦時であったため建物は仮建築宿舎であり,木造2階建て3棟150坪のバラック建てのような粗末なものであり,1人当たり約1畳の生活面積であった。雨が降ると雨漏りがひどく,建物の中にいても濡れてしまうような有様であった。また,病室や便所が別になっていたという事実はない。中国人労働者は,山の中に穴を掘ったところで用を足した。中国人労働者は,入浴も一度もしたことはなかったが,終戦後は風呂に入れるようになった。

(5) 事業場での労働条件

ア 被告西松信濃川事業場

 中国人労働者の作業中,中国人労働者がさぼったり怠けていると思われたとき,日本人か朝鮮人の監督は,中国人の隊長を呼んで殴らせた。隊員は番号を付けられ,名前ではなく番号で呼ばれた。 

 原告らは,強制連行の当初から終戦後送還されるまで,一度も賃金を受取ったことはなかった。ただし,郭真は,北京に収容されていた時,毎日5元,1か月で150元くれるという話を聞いたことがある。しかし,賃金台帳とか個人名義の預金通帳などを見たことも聞いたこともなかった。

イ 被告間組御岳事業場

 中国人労働者は,日本人と朝鮮人の監督によって監督されていたが,仕事が遅いと棒で殴られた。警察官が監視をしており,到底逃げられるような状況ではなかったので,逃亡はほとんどなかった。

 原告らは,前記のとおり,終戦後送還されるまで一度も賃金を受取ったことはなかった。各個人別の貯金帳を渡されたことはもとより,貯金帳が作成されたことを聞いたこともないし,見せられたこともない。原告らは,賃金が「組において保管」されているなどということは,誰からも言われたことがなく,全く知らなかった。したがって,原告らは,一度も自分の貯金を閲覧したことはなかった。また,原告らが煙草代として金員を受取ったこともなく,煙草は1人1包みの煙草の葉を配給されて吸っていた。また,原告らは,終戦後も「積立てられた賃金」を受取ったことなどない。日本の敗戦後は,日本人の監督は消えてしまい,全く新しい人が来たが,中国人労働者は帰国したい一心で,賃金についてはあまり関心がなかったので,原告らは,とりたてて賃金を請求することなどはしなかった。また原告らは,中国人の隊長らが日本に対して賃金を要求したとか,支給を受けたとかいうことは全く聞いたことがなかった。

 朝鮮人の労働者もいたが,仕事は中国人よりは軽いものであった。

ウ 被告間組戸寿事業場

 労働時間は,午前7時から午後5時までで休憩1時間を含む1日9時間であり,3交代制であった。被告間組戸寿事業所においても,新潟,御岳と同じく数名の警察官が常に監視し,逃亡しないように見張っており行動の自由は認められていなかった。

 前記のように,原告らは,賃金を支給されたことはないし,賃金台帳とか,個人名義の預金通帳などについては,その存在を見たことも聞いたこともなかった。

(6) 事業場における食事 

ア 被告西松信濃川事業場

 中国人労働者の食事は,糠の混じった米及び黒い粉でつくったマントウ(パン)であった。黒いマントウが1食につき1個,1日3食で計3個配られたことになる。中国人労働者は,これを大きな桶にいれて現場で食べ,食べ終わると作業を始めた。食事のための特別な休憩時間は設けられなかった。中国人労働者は,この程度の食事では到底足りず,いつもひもじい思いをし,日本にいる間の最もつらい思い出となった。

イ 被告間組御岳事業場 

 中国人労働者の食事は,糠の入った米と小麦粉の小さなおにぎり2つを1日3回支給されただけであり,中国人労働者は,いつも腹を空かせていた。肉,野菜とも出されたことはなかった。調理は,労働者100名中約6名の専任炊事班員(班長1名)を選び,調理をさせた。

ウ 被告間組戸寿事業場

 中国人労働者の食事は,あまりに劣悪かつ少量でありいつも空腹でひもじい思いをしていた。ただ,終戦後は腹一杯食べられるようになり,牛肉の塊をもらったり,肉類の缶詰を支給されたこともある。中国人労働者は,酒も終戦後の解放前は一度も飲んだことはなかった。まともな食べ物もないのに酒など支給されるはずもない。送還時にも特別な食料を支給されたことはなく,乾パンをもらったこともない。

(7) 事業場における衣服その他の衛生条件

ア 被告西松信濃川事業場

 中国人労働者の衣服は,北京で収容されていた時に配給された黒色作業服上下と白いワイシャツが1枚あり,さらに新潟で半袖上衣とズボンが中国人労働者に支給され,また,雨の日の作業には蓑が支給された。新潟は雨が多く,中国人労働者の中には,寒くてたまらないときには,セメントの紙の袋を探してきて穴を開け足に巻いたり,ボロ布を服につぎ当てたりしてして寒さをしのぐ者もいた。

 このように中国人労働者の衣食住の環境は劣悪であり,かつ,毎日の苛烈な労働のため,多くの労働者が体を壊した。死因は様々であるが,被告西松信濃川事業所内で182人中11名が死亡した。その内訳は,川への転落死,脳膜炎,感冒による死亡者がそれぞれ1名ずつ,赤痢,肺炎によるものが2名ずつ,大腸カタルが4名である。また,労働者は死亡しないまでも,劣悪な生活条件が原因となる疾病に悩まされる者が多かった。特に,宿舎が不潔であったため,たくさんの者が疥癬にかかって体中かゆがっていた。しかし,薬は支給されず,労働者は,血が出るまで体をかきむしった。このほか公傷者は2名であり,いずれもトロッコから土砂をおろした反動で足を怪我したものであった。

イ 被告間組御岳事業場

 中国人労働者の衣服は,日本上陸後は新潟県で1回だけ支給されただけで,その後支給はなく,また,補修用布・糸の支給もなかった。よって,衣服が破れた時には,日本入の監督から針と糸を貸してもらい修繕するしかなかった。寝具は藁布団しかなかったので,冬期はとても寒く,膝や腰を痛める者も続出した。

 中国人労働者の内,多くの者が,劣悪な生活条件による病気などで死んだ。中国人労働者が死亡すると,他の中国人労働者が,死体をかついで日本人の警察官の指示されたところまで運んで火葬にし,その遺骨を木の箱に入れて部屋の片隅に置いた。中国人労働者の内,郭真は帰国の際数10人分の遺骨を持ち帰り,天津で海に撤いて葬った。また,中国人労働者が体調を崩して作業を休むと,警察官が来て中国人の監督と一緒になって働けと命じ殴り付けた。そのような厳しい労働環境に耐え切れず,川に身を投げて自殺する者もいた。また,冬期の作業場はとても寒さが厳しかったので凍死する者もいた。被告間組御岳事業所の死亡者の内訳は,第1次強制連行者370名中74名,第2次182名中13名,そして中国人労働者を含む第3次171名中5名である。死亡者の70%は大腸カタル,20%は結核に起因した死亡であり,他にトラコーマ,肺炎,溺死,胃潰瘍,結核,腹膜炎,腸炎,老衰,狭心症,胸膜炎,脊椎炎,膿胸,盲腸炎,尿毒症,心臓麻痺,栄養失調,自殺などがあった。

 このように,被告間組御岳事業所,特に第1次の強制連行者の中から大量の死亡者が発生したのは,後に外務省嘱託として調査にあたったJ作成の華人労務者調査報告覚書によれば,以下の理由による。@ 400名という募集人員を満たすため,塘沽内の浮浪者など劣弱者までかき集め,健康診断などもせず,単に予防接種をしたのみであった。A そのため,移入時に既に慢性疾患にかかっている者も多かったが,移入状況が悪条件のもとに行われたため,移入後短期間で多くの死亡者が出た。B 1945年2月ないし4月は,ちょうど野菜類が払底した時期であり,労働者は深刻な栄養不足に陥った。C それに加え,被告間組御岳事業所は,1月の平均気温が零下8度,2月が零下6度,3月が摂氏2度という大変厳しい気候条件であり,かつ,地下足袋不足のため草履で作業をし,防寒服の支給もなかったため,栄養不足と苛烈な寒さの相乗効果で多数の死者を出したのである。

 次に,被告間組御岳事業所の公傷病者は16名おり,原因は,砂利採取中の不可抗力(打撲症全治1か月),トロッコ接触・衝突(擦過傷全治1か月,打撲症全治20日,捻挫全治20日,1か月),索道落下(骨折全治1か月),木材の挟撃・脱線 (切創全治20日が2件,1か月1件),岩石崩落(骨折全治20日),肩運搬途中捻挫(全治15日),凍傷(全治15日),過失による切創(全治20日) であった。

ウ 被告間組戸寿事業場 

 中国人労働者は,衣服については,特別に被告間組戸寿事業所に移ってから足袋や衣服一式等を支給されたことはなく,寝具については,布団を2人につき1枚支給されたが,毛布の支給はなかったので寒くて仕方がなかった。

 前記のように,中国人労働者の衣食住の環境は劣悪であったため,死傷者や病者が頻発したが,事業所には病室はなく,医師もいなかった。

 被告間組戸寿事業所においては,死亡者は4名,原因は,老衰,脚気,大腸カタル,肺浸潤である。公傷者は明確ではないが,事業所報告書には「失明セル2名」との記載がある。

(8) 帰国

ア 李祥,李恕,郭真

 同原告らは,被告間組戸寿事業所で終戦を迎えた。同原告らは,1945年8月15日から同年11月に帰国のため下関に移動するまでの間は,仕事をする必要もないので,何もすることなく過ごし,金員の支給がなかったので,出発時に町に出て買物をしたこともない。同原告らは,同年12月1日午後,長崎県南風崎からアメリカ軍の上陸用船舶に乗って塘沽に向かって出国し,5日5夜で無事到着した。その際にはウールの服上下が支給された。

 なお,被告間組は,労働者の送還に際して,戸寿事業場から長崎まで,同事業所の職員を労働者の世話係として帯同させた。

イ 侯振海,韓英林

 同原告らは,被告間組御岳事業所で終戦を迎えた。同原告らは,長野県内から特別列車に乗り,1945年11月29日夜佐世保港に到着し,軍施設に収容の上,翌朝アメリカの軍艦に乗船を開始し,その後5日間かけて天津の塘沽に無事到着した。なお,被告間組は御岳事業場から長崎県佐世保港まで事業所の職員を帯同させ,労働者の世話に当たらせた。

3 原告齋四徳の被害事実(被告宇部興産株式会社関係)

(1) 拉致・監禁

 原告齋四徳(以下「齋四徳」という。)は,1924年11月29日生まれで,強制連行された当時,河北省晋県北白水村に,両親及び兄2人と4人で居住し,農業に従事していたが,同時に八路軍遊撃隊員でもあった。

 齋四徳は,1944年春,八路軍決死隊隊員として,Kと共に,河北省晋県東宿村で見張り番をしていたところ,突然,1中隊の中国人の傀儡軍兵士に包囲され,Kは逃げたものの,その場で拘束されてしまった。

 齋四徳は,そこから直ちに小樵の日本軍拠点に連行され,その後,晋城の日本軍拠点に連行された。齋四徳は,晋城において,20数日間にわたり収監されたが,そこには齋四徳と同じように中国人10数人が収監されていた。そこでの食事は,トウモロコシ粉やコーリャン粉等を練って円錐形にして蒸したものが1日1回ないしは2回支給されるだけのものであり,かろうじて餓死しない程度のものであった。その後,収監されていた10数人の内から齋四徳を含む5,6人が選抜されて,辛集の日本軍拠点に連行された。辛集の日本軍拠点は,3,4階建てくらいの高さの大きな丸い建物のようなトーチカで,齋四徳は,そこに5日間収監された。齋四徳が収監された場所は,1日中太陽の光も当たらず,何も見えないところであり,齋四徳は,毎日午前9時に,日の当たる場所に出されたが,その時だけ日本兵の監視の下でトイレに行けるというような状態であった。次に,齋四徳らは,縛られたまま汽車に乗せられ,銃を持った日本兵に護送されて石家庄に連行された。連行された中国人全員が南兵営に収監されたが,その人数は1000人近くになっていた。齋四徳らは南兵営に約2か月収監されたが,南兵営の建物は,天井が板で,壁と床が煉瓦でできており,さらに,周囲は電流を通じた鉄条網で囲まれている上,日本兵が見張りに立っていた。齋四徳らは,石家庄にいた約2か月の間,毎日労働させられた。食事は,毎日3回のコーリャン米で,1回につき100ないし150gであったが,労働実態や住環境が劣悪なため,毎日のように死亡する者が続出し,毎日トラックで死体が運ばれていた。死亡した者の中には,逃亡しようとして捕まり撲殺された者が数多く含まれている。当時日本兵は気に入らないことがあるとよく殴り,時には相手が死ぬまで殴ることもあった。さらに,齋四徳らは,石家庄から汽車で塘沽に連行されたが,そこでは外側に鉄条網があり,日本兵の見張りがいる監獄に収監された。

(2) 事業場への連行

 齋四徳は,1944年9月16日,日本に移送すべく塘沽から第2弓張丸に乗船させられた。乗船に際して身体検査が行われ,被告宇部興産に不適当と思われる者が除外されたため,結局,齋四徳を含む291名が連行された。同船は,同月25日,門司港に到着したが,上陸した中国人は,286名であり,船中において5名が死亡した。その後,被告宇部興産は,同日中に,齋四徳ら286名を沖ノ山鉱業所に受け入れた。

(3) 事業場での仕事の内容

 被告宇部興産は,1944年10月8日から1945年8月20日までの間,齋四徳らを沖ノ山炭鉱鉱業所において採炭等の作業に従事させた。齋四徳らが送還されたのは,1945年11月22日である。

 中国人労働者は,沖ノ山炭鉱鉱業所の本坑中5段右6号及び左8号並びに旧坑において採炭,仕繰,掘進の作業に従事させられた。

(4) 事業場での住環境

 中国人労働者が収容されたのはバラックであるが,そのバラックには10数人が収容されていた。バラックの内部は,床板が敷かれただけであり,暖を取るためのストーブなど一切なかった。そのような中で,中国人労働者は,1つの木のオンドルに藁布団が敷かれたところで2人が一緒になって眠らざるを得なかった。

 この点,事業場報告書においては,「宿舎は内地一般鉱員社宅上級の部を取入れ改造したるに付設備その他の点に関し不備の点なし」とされているが,実態とは乖離している。また,暖房として「カンテキ及びストーブ」を設置したなどとの記載があるが,その具体的な設置数や場所等の設置状況は明らかではなく,仮にこれら暖房器具がどこかに設置されていたにしても,実際に,中国人労働者が暖をとることができたかははなはだ疑わしい。

 また,炭鉱で就労していたため,風呂や洗濯する場所はあったものの,それ以外の施設は一切なかった。

(5) 事業場での労働条件

 労働形態は,昼と夜の2交代制で10時間労働であり,休日は一切なく,中国人労働者は,毎日毎日炭鉱での12時間もの長時間に及ぶ過酷な労働を強いられていた。この点,事業場報告書においては,作業形態は原則3交代制とされ,「労務時間8時間を原則とするも作業の関係上幾分の長短あり」,「作業日数は10日毎の公休日を除き1ヶ月27日乃至28日とす」との記載があるが,これらは齋四徳の実体験とは全く異なっている。

 炭鉱においては事故が頻発し,炭車との激突による死者1名の他,落盤により右足指切断の傷害を負った者1名,その他の重傷者15名を含む53名が骨折,打撲などの傷害を負っている。齋四徳も右足にけがをしている。

 齋四徳は,その拘束の経緯や被告宇部興産との契約を一切していなかった状況から,賃金を受け取ることを期待してもいなかったし,実際に賃金が支給されることもなかった。この点につき,事業場報告書の「金銭は月一回賃金の六五パーセントを貯金とし残額より税金を差し引きたる額を寮において警察官,労工協会駐在所長華労側隊長或いはその代理者立ち会いの基に各一人毎に捺印せしめ明細書と共に交付す」との記載は虚偽である。

(6) 事業場における食事

 中国人労働者の食事は,1日3食であったが,そのほとんどは約100g程度のお粥1杯だけであり,それさえ満腹にはほど遠いものであった。ごくまれに魚が出されることや,場合によっては米と大豆かすを混ぜたものが支給されるなどしているが,せいぜい副食は油の入っていない古い白菜だけであった。ましてや酒が支給されることなど全くなく,中国人労働者は,空腹のまま過酷な労働に従事せしめられたのである。この点,事業場報告書によれば,「食料に関しても優遇の意味と健康回復の主旨に基づき特に警察当局の特別なる計らいにより日本中何処にも見ざる程の増食をなし得たり」「食料は一人一ヶ月25瓩(キログラム)にして健康保持及び作業上必要量と認む」「主食は着山以来昭和二十三年三月三十一日迄は小麦粉にして同年四月一日より送還までは内地一般配給割合以外に華労の嗜好を考慮し警察官署及び関係官署の応援を得て極力入手す」との記載があり,あたかも日本人労働者よりも中国人労働者を優遇していたかのごとくであるが,齋四徳の実体験とは甚だしく異なった記載である。

 実際は,上記のとおり粗末な食事しか支給されないまま重労働に従事させられていたのであり,その結果,沖の山炭坑鉱業所に連行された者計286名の内,32.5%にのぼる93名が死亡し,その内,92%強の86名が慢性腸炎兼栄養失調症により死亡しているのであり,栄養失調により失明した者も2名いることが明らかとなっている。

(7) 事業場における衣服その他の衛生条件

 被服の支給状況としては,中国において黒い作業着1着を支給されただけであったし,鉱業所で支給されたのは1足の靴だけであり,しかも,それは足の親指が出てしまうような粗末なゴム靴であった。その後,鉱業所において衣服が支給されることは一切なかった。この点,事業場報告書によれば,「被服は作業衣以外は入手困難なるに付警察官署の斡旋に依り日鮮人以上の支給を受く」とされ,附表五「被服支給状況」には作業着2,地下足袋6,帽子2,手袋,靴4,冬服2,夏服2,外套などの記載があるが,齋四徳の実体験とは異なるものである。そのため,中国人労働者は,拘束されていた約20か月にも及ぶ長期間にわたり,夏も冬も,就労中も食事中も就寝中も,わずか1着の衣服で過ごさざるを得なかったものである。上記のとおりストーブもない中,冬でもパンツで生活せざるを得ないという有様だった。中国人労働者は,かかる劣悪な環境の中で過酷な労働を強いられたため,そのほとんどが全身に浮腫を生じさせた。

 前記のとおり,被告宇部興産が沖ノ山炭坑鉱業所に受け入れた中国人は286名であるが,この内,32.5%にのぼる93名が死亡している。死亡原因は,慢性腸炎兼栄養失調症による者が圧倒的に多く,92%強の86名に上り,その食糧事情をはじめとする環境の劣悪さを物語っている。また,その他の死因として,気管支性肺炎による者が3名,急性腸炎による者が1名,蜂窩織炎による者が1名,事故死1名,自殺1名である。このように劣悪な環境の下,多数の栄養失調による死亡者を出したものであるが,被告は,事業場報告書の記載に基づき,栄養失調による死亡者の内,約9割の者が鉱山到着後3か月以内に死亡したことを捉えて,これらの死亡の原因が事業場における劣悪な労働条件や環境等にあるというよりも,およそ死亡の原因は供出時に既に存在したものであり,懸命な治療を行っても健康状態が極度に悪化しており,いかんともしがたいものであったと主張する。しかし,反面,死亡の時期が3か月以内という比較的早期であることは,それだけ事業場における食糧事情等の環境の劣悪さの程度が著しかったことを示すものともいえるし,既に栄養状態の悪い中国人労働者に対し,十分な栄養や休養を与えたり治療を施したりせずに健康の回復を待たずに過酷な労働に従事させたことを示すものともいえるのであって,いかんともしがたいものであったという被告の主張には無理がある。

 確かに,中国人労働者は中国人医師らによる診察を受けているが,労働安全衛生に必要な定期的な健康診断もなく,予防注射が実施されることもなかった。そのため,前記の通りの多大な死傷者を発生させ,これを食い止めることもできなかったのである。

(8) 帰国

 齋四徳らは,終戦を事業場において迎えたものであるが,前記の通り,終戦後である1945年8月20日まで就労されられた上,その後も,事業場に収容されたままであり,終戦から3か月以上も経った同年11月24日に至り,ようやく山口地区進駐軍の指揮に基づき送還されることとなり,同日,博多港から乗船し,同月30日,塘沽に到着している。なお,送還に際しては,被告宇部興産から職員7名が同道している。

4 原告陳大成,同張起宗,同呉慶長,同陳得志,同劉福清,同竇恩浩,同王漢廷の被害事実(被告同和鉱業株式会社関係)

(1) 拉致・監禁

 被告同和鉱業は,そもそも強制連行の事実自体がなかったと主張するが,終戦後連合国側への弁明のために作成されたいわゆる外務省報告書の中にも行政供出を半強制的に実施したとする記載があり,いわゆる事業場報告書にも「華労の募集(狩り集め)」といった記述があることから,中国人労務者の供出が強制連行という中国人労務者の意思を無視して行われた強制的なものであったことは明らかである。そして,陳大成本人尋問の結果及び中国人労働者聴取書からすれば,以下のとおり,被告同和鉱業小坂鉱業所で働かされることとなった中国人労働者も,本人の意思を無視した強制的な形で拉致されたことが明らかである。

ア 拉致前の原告らの状況

() 原告陳大成(日本おいては陳洪徳)

 原告陳大成(以下「陳大成」という。)は,1928年(辰年)生まれ(月日は不詳)であり,強制連行された当時の年齢は,15歳であった。

 陳大成は,強制連行された当時,河北省豊潤県韓城鎮東歓?郷東二村に,  祖父,祖母,父,母,妹(3人)の家族と居住し,農業に従事していた。

() 原告張起宗

 原告張起宗(以下「張起宗」という。)は,1926年2月24日生まれで,強制連行された当時の年齢は,18歳であった。

 張起宗は,強制連行された当時,河北省豊潤県韓城鎮劉各荘村に,父,母,弟(1人),姉(1人),妹(2人)の家族と居住し,農業に従事していた。

 () 原告呉慶長

 原告呉慶長(以下「呉慶長」という。)は,1923年4月5日生まれで,強制連行された当時の年齢は,21歳前後であった。

 呉慶長は,強制連行された当時,河北省豊潤県韓城鎮南関村に,父,兄の家族と居住し,廃品回収業に従事していた。

 () 原告陳得志(日本においては陳徳志)

 原告陳得志(以下「陳得志」という。)は,1919年8月21日生まれで,強制連行された当時の年齢は,25歳であった。

 陳得志は,強制連行された当時,河北省豊潤県韓城鎮袁家荘に,父,母,妹,弟(2人)の家族と居住し,農業に従事していた。

() 原告劉福清

 原告劉福清(以下「劉福清」という。)は,1924年生まれで,強制連行された当時の年齢は,20歳前後であった。

 劉福清は,強制連行された当時も,また現在も,河北省豊潤県韓城鎮劉各荘村において農業に従事しており,父,妻の家族と居住していた。

() 原告竇恩浩(日本においては菫長和)

 原告竇恩浩(以下「竇恩浩」という。)は,1923年生まれで,強制連行された当時の年齢は,21歳であった。

 竇恩浩は,強制連行された当時も,また現在も,河北省豊潤県韓城鎮東歓?郷東二村において農業に従事しており,祖父,祖母,父,母,兄弟(3人)及び妻の家族と居住していた。

() 原告王漢廷(日本においては王漢亭)

 原告王漢廷(以下「王漢廷」という。)は,1927年12月25日生まれで,連行された当時の年齢は17歳であった。

 王漢廷は,強制連行された当時,河北省豊潤県韓城鎮東歓?郷東二村に,父,母,兄弟,妹の家族と居住し,農業に従事していた。

イ 拘束

 日本軍,当時中国において「日偽軍」と呼ばれていた国民党の軍隊の一部,日本の傀儡政府の警察官等数百人が,1944年旧暦10月28日,突如,中国人労働者を拘束し,唐山へ連行した。

 陳大成,張起宗,陳得志,劉福清,王漢廷は,河北省豊潤県韓城鎮の韓城小学校前の広場で開かれていた市に来ていたところを拘束された。呉慶長は,河北省豊潤県韓城鎮の南関村の自宅で,竇恩浩は,韓城鎮の市にでかける途中でそれぞれ拘束された。日本軍,「日偽軍」らの数百人は,突如,市に集まっている人々を包囲し,銃を突き付けて拘束した。彼らは,老人,子ども,女性を解放し,年若い男を集めて4人ひと繋ぎにし唐山へ連行した。原告らは,連行する理由や行き先について何ら知らされなかった。王漢廷は,収容されたとき銃声を聞いたので,怖くて逃げ出せる状況になかった。連行の途中も,日本軍らは,原告らを銃で威圧し,逃げられないように監視していたが,このような状態であっても,途中,逃げた者が何人かいた。

ウ 唐山の留置場

 唐山の留置所に連行された原告らは,日本兵から「八路軍ではないのか」と尋問を受け,「答えないと胡椒水を飲ませる。電流を使って拷問する」と脅された他,電気いすにかけられる,日本兵により洋犬に噛みつかれるなどの拷問を受け,用便は監禁された屋内に垂れ流しにさせられるといった不衛生な状態であった。留置所での食事は,1日2食で,毎食小さな椀に盛られた豆餅(豆かすを円盤状に固めたもの)とトウモロコシのかすであったが,量が約100gと少ないだけでなく,カビが生えたりしており,苦く,とても食べられるようなものではなかった。当時は豚の餌に使われていたものである。

エ 塘沽の収容所

 中国人労働者は,唐山の留置所に7日間監禁されて,その後,繋がれて汽車に乗せられ,塘沽へ連れて行かれた。塘沽で中国人労働者が監禁された場所は,冷凍工場であった。冷凍工場には建物が数棟あり,1つの建物には1000人位が収容できた。建物の中の各部屋では,中国人が棒を持って監視しており,建物の周囲には電流の通った鉄条網が張りめぐらされ,監視塔もあって,日本兵が銃剣を装備して見張っていた。監禁された者の中には,逃亡を試みる者もいた。陳得志は,逃亡した者が捕まって日本兵に絞め殺されたところを目撃している。

 ここでの食事も,1日2食,1食につきドングリや大豆,トウモロコシの粉を蒸したようなものを1個(約500g程度)であった。食事の際に水は与えられなかったので,凍った小便を飲む者もいた。中国人労働者は,部屋から1歩も出られず,大小便も垂れ流しだったので大変不衛生であり,1部屋に何人も詰め込まれたので重なり合うように寝なければならず圧死する者すら出た。このようなひどい食糧状況と衛生環境のため,病死する者も多く,死体は窓の外に投げ捨てられた。

 塘沽の収容所では,圧死するほどの収容状況,ほとんど水が支給されないといった被害事実のほか,「目を開けてはいけない」「動いてはいけない」「みだりに用便してはいけない」という規則があり,その規則を犯せば殴打され,なかには殴り殺される者もいたため,一日中狭い部屋に身を縮め,他の者ともたれかかるようにして過ごさなければならなかった。

 原告らは,華北労工協会というものがあるということは,全く知らなかったし,当然同協会との契約のことも知らされていない。また,塘沽から船で日本に連行される時も,原告らは,自分たちがいったい何のためにどこへ連れて行かれるのか,知らされることはなかった。なお,日本に着いてようやく小坂鉱業所という行き先を知らされた。

(2) 事業場への連行

 原告らは,塘沽で2週間以上監禁された後,1945年1月8日塘沽から貨物船に乗せられ,大連を経由して同年1月12日下関港に連行された。船には,数百人の中国人が乗せられ,船上でも日本人によって監視され,原告らに行動の自由はなかった。船上での食事も,ドングリの粉を蒸したようなものが,1日2ないし3回与えられたが,カビが生えたものであって,到底食べられるようなものではなかった。船はひどく揺れたため,ひどい船酔いを起こす者が多数出た。このようなひどい状況の中で死亡する者が3名も出たが,遺体は布状のものに包まれた海に捨てられた。

 下関で下船後,原告らは,衣服も体も消毒され,下関からは,被告同和鉱業の職員と警官が添乗し,東京経由東北本線花輪線と大阪経由奥羽本線に分乗して同年1月15日,小坂事業所に到着した。その間,東京経由で1名,大阪経由で3名の死亡者が出ている。被告同和鉱業が華北労工協会と契約した中国人は当初200名であったが,上述したとおり死者がでたので,小坂事業所に到達した人数は193名であった。

 なお,塘沽から下関までは,被告同和鉱業が所属する鉱山統制会係員が輸送の任に当たり,下関から被告同和鉱業小坂鉱業所までは,小坂鉱業所の係員5名及び警察官3名が輸送の任に当たっている。

(3) 事業場での仕事の内容

 中国人労働者は,被告同和鉱業の名前も小坂鉱業所の正確な位置も知らされず,給与の話もないまま労働に従事させられた。

 中国人労働者は,班ごとにわかれて仕事を命じられ,陳大成,王漢廷は,主に枕木を取り替え,レールを枕木に固定させる仕事に,張起宗,陳得志,劉福清,竇恩浩は,銅の精錬や銅の運搬作業に,呉慶長は石灰等を運搬する業務に,それぞれ従事させられた。いずれもかなりの重労働であったが,精銅作業は,硫黄のにおいが立ちこめているため,かなりむせて嘔吐や鼻から血を流す者もいたし,石灰の運搬においてもむせて,鼻から血を流す者がいた。中国人労働者の労働時間は,1日8時間から9時間半であったが,精銅作業は3交替で,それ以外の作業は日勤であった。ただし,正月以外1日も休みはなく,中国人労働者は重労働に耐えねばならなかった。中国人労働者は,突然連行された異国の地で,後記のように食事が少ない上,さらに日本人が常に見張っていて,少しでも手を抜いたり指示された言葉が通じなかったりした場合,罵られたり,殴られたりする環境で,重労働していたため,精神的にも,肉体的にも疲労が蓄積し,衰弱していった。作業中の事故も多く,火傷や感電といったけがを負う者も多かったが,まともな治療は受けられずに放置され,傷口が化膿する者,死亡する者もいた。

(4) 事業場での住環境

 中国人労働者の宿舎は,「康楽館」と呼ばれていた使用しなくなった木造の劇場で,床敷であった。周りには鉄条網が張りめぐらされ,門には絶えず逃走防止のための監視員がいた。また,被告国による監視もあり,警察官憲は常に寮生の行動に対し細心の注意を払っていた。

 同宿者の1人当たりの面積は,畳1畳ないし1畳半と狭く,同宿舎は,周囲四方から風が入り込み,小坂では冬は常時雪が積もるので,非常に冷え込んだ。ところが,寝具は,藁布団と敷布団と掛け布団と半分の毛布だけで,大部屋にはストーブもあったが,そのストーブも1か月もつけることはなく,部屋を充分に暖めるような状況ではなく,中国人労働者は,人と体を寄せあって暖をとらねばならない過酷な生活を強いられた。事業場報告書には,「特に暖房設備(中略)に意を用い」「ストーブ並びに火鉢」を使用していたとの記載がある。しかし,事業場に到着後「寒冷」が原因で「凍傷」に罹患し死亡した者が6名もいる事実(L,M,N,O,P,Q)からして,事業場報告書のこの記載は虚偽であることが明らかである。

(5) 事業場での労働条件

 中国人労働者は,被告同和鉱業と契約をしたこともなければ,給与の支払いについての説明も全く無く,賃金は一切支払われていない。

 労働時間は,作業内容により1日8時間から13時間と幅があり,おおむね3交代制をとっていたようであるが,事業場到着後数日の休息のほか,休日はなかった。頻繁に事故が起こる危険な現場であったことに加え,日本人の指導員(中には日本刀と携行している者がいた。)が監視しており,絶えず中国人労働者をののしり,殴るといった虐待が行われた。

 事業場報告書には,「華労の指導に当たりては(中略)懇切丁寧は勿論のこと,肉親的情愛を以て接することを方針となし実行に勉めたり」との記載があり,被告同和鉱業もこれに沿った主張をするが,全く真実に反する。この記述を信頼すれば,肉親的情愛をもって中国人労働者に接した結果193名の内55名が死亡したということになるが,そのようなことが起こり得るはずがない。

 賃金について,張起宗と呉慶長には何らかの形で金銭を支給されているが,その額が日本にいた期間を通じて合計200円であることからすれば,その性質が賃金でないことは明らかである。

(6) 事業場における食事

 事業場における食事は,1日3回支給されたものの,1食に支給されるのは穀類でできたパンないし餅が100gから150gであって,野菜や菜っぱが主菜となることもあったが,全員が飢餓感を感じる粗末なものであった。

 事業場報告書には,「戦時中の極度の食料状況逼迫のため県当局へは勿論のこと主食の増給申請を再三依頼せるも遂に不能なりしため概ね鳴子百合を補正食料として用い或いは副食物にて補給に努めたるため概ね必要量を満たしたものと思考す。日鮮人に比するときは概ね2倍以上の支給状況なりき」との記述がある。しかし,事業場内で死亡した49名の内栄養失調で死亡した者は28名に上っている。また,1945年5月17日まで栄養失調が原因で死亡した者が出ている(R)。日本人に比べて2倍の量の食料を中国人に支給したということもおよそ真実とは解し難いし,現実にも中国人労働者より日本人の方が優遇されていた。したがって,事業場報告書の記述は全く信用に値しない。

(7) 事業場における衣服その他の衛生条件

 中国人労働者は,塘沽で綿入れの上着とズボンを支給されたが,終戦までこの1着であった。塘沽では靴も支給されたが,中国人労働者が「1週間靴」と呼んでいたほどすぐに使いものにならなくなるようなものであった。小坂事業所では地下足袋が支給された。しかし,防寒具は一切支給されず,連日のような冬の寒さのなかで,凍傷で足を欠損する者もいた。劉福清も,左足の第2趾を欠損した。風呂もなく,不衛生でシラミが発生するため,中国人労働者の間で疥癬が蔓延していた。後にやっと体が洗える桶が備え付けられたが,1回につき2人が洗える状況で,石鹸等は支給されなかった。中国人労働者のなかには,陳大成のように,わずか15歳の者もおり,また,病弱な者もいた。力もなく,食事も十分でなく,その上仕事がきつかったので,疲れのあまり血を吐くこともあった。負傷も絶えず,捻挫をするといった類のものは,鉄道の仕事をする時にはいつも起こっていた。足の指が凍傷になる者も多かった。足の指が凍傷にかかって足の指の爪が剥がれ落ちてしまい,耐えられない痛みと発熱の症状を呈した者もいたが,被告同和鉱業は,医師の診療を受けさせることもなく,外傷については重傷でも「220」という消毒薬を塗るのみで済ませ,多くの場合は薬さえ与えなかった。そのため死亡する者も出た。張起宗も,小坂鉱業所で消化器系の病気を発病し1か月あまりも闘病生活を送り,骨と皮ばかりにやせこけた。

 これに対して,事業場報告書には,衣服や作業着,石鹸の支給状況が記載してあり,風呂については「寮内に2個の浴場を完備し(中略)1個は皮膚病罹患者の薬槽となし(中略)隔日入浴せしめたり」「皮膚病患者には付近砂小沢温泉に収容し治癒に勉めたり」との記述が見られる。しかし,風呂に入れず,ほとんどの中国人労働者が疥癬に罹った事実を中国人労働者全員が供述しているところからすれば,その被害の深刻さがうかがわれる。したがって,入浴についての事業場報告書の記述は信用し難い。

 また,医療について,事業場報告書には,「当山直営の鉱山病院より内科,外科の専門医師毎日寮を訪れ診療所において診断並びに治療をなしたり」との記述が見られる。しかし,毎日寮を医師が訪れて治療をしている事業場で,事業場到着後49名もの中国人労働者が死亡するであろうか。死因をみても,49名中外傷が1名,その他1名で,その他47名は,栄養失調(28名),凍傷(7名),心臓麻痺(4名),結核(3名),感冒肺炎(5名)となっている。このような客観的事実に照らすと,事業場報告書の記述が虚偽であることは明らかであり,陳大成の当法廷での供述や中国人労働者聴取書の記述もそのことを裏付けている。

(8) 連行時の処遇と事業場での処遇の関係

 なお,医療衛生事情について,事業場報告書には,「栄養失調に基づく死亡者を出したるもこれは船舶(中略)汽車輸送中に死亡せしが来山後まもなく死亡せるものにして訓練期間経過後これがために死亡せるもの絶無なり」との記述が見られる。これは,小坂鉱業所で死亡者が多数出た原因を,それ以前の処遇に帰せしめるための弁明であると思われるが,中国人労働者の事業場到着後,相当期間たった後に栄養失調に罹患し死亡した者がいることは前記のとおりであり,前提とする事実自体が真実と異なる。また,事業場到着後事業場において死亡した49名の内,事業場到着後,訓練期間であり休養期間である40日を経過した1945年2月24日以降に死亡した者は34名である。中国人労働者は,小坂鉱業所での多数の死亡を出した原因の一端が被告国による事業場到着までの過酷な処遇にあることを否定しないが,その原因が,事業場報告書や被告同和鉱業が主張するように,事業場到着前の過酷な処遇のみにあるというのは明らかな誤りである。すなわち,中国人労働者が小坂鉱業所で被告同和鉱業により中国人労働者が最低限の処遇を施されていたならば,このような多数の死亡者を出すことはなかったのである。

(9) 帰国

 中国人労働者は,終戦について,日本の通訳から知らされた。被告同和鉱業が,小坂鉱業所で中国人労働者を働かせるのを止めたのは終戦後数日後である。

 原告らは,1945年11月27日,小坂鉱業所を出発し,(病者1名は,同日,米軍に引き渡され,日赤花岡分院に入院した。),小坂から汽車にのせられ,11月29日博多に到着し,同年12月1日,博多から辰日丸に乗船させられ,12月5日ようやく青島に到着した。辰日丸には約1000人以上の人が乗船していた。青島に到着したところ,国民党は徴兵のため,原告らを含む送還者を足止めした。陳大成,呉慶長などそれぞれ逃げ出して郷里に戻った者もいたが,1,2か月後,竇恩浩,張起宗,陳得志,劉福清,王漢廷らも解放されてようやく郷里にもどった。小坂鉱業所で死亡した者は木の箱に入れられ部屋の中に積み上げられていたが,終戦後やっと火葬され,遺骨は中国に持ち帰られた。

5 原告李鴻徳,同姚山子,同劉清岑の被害事実(株式会社日鉄鉱業関係)

(1) 拉致・監禁

ア 原告李鴻徳

 原告李鴻徳(以下「李鴻徳」という。)は,河北省徐水県白塔舗村に居住し,日本の企業に雇用され,鉄道で働いていた。

 李鴻徳は,1944年8月27日(旧暦),日本軍に捕まり強制連行された。李鴻徳は,その後,石家庄の収容所に送られ,行進や穴を掘る訓練をさせられた。

イ 原告姚山子

 原告姚山子(以下「姚山子」という。)は,1924年(旧暦)生まれで,河北省満城県姚庄に,父母,弟,姚山子の4人家族で居住し,農業に従事していた。

 姚山子は,1944年8月(旧暦),20歳のとき日本軍に捕らえられた。姚山子が朝起きたとき,日本軍が村を包囲しており有無を言わさず捕らえられ連行された。

ウ 原告劉清岑

 原告劉清岑(以下「劉清岑」という。)は,1922年1月18日生まれで,河北省満城県黄村に,強制連行された当時,28と名乗り,父母,息子,妻及び劉清岑の5人家族で居住し,農業に従事していた。

 1944年8月11日(旧暦),劉清岑が数えで19歳のとき,日本軍及び傀儡軍が,劉清岑の居住する村に押し寄せ包囲し,劉清岑及び村人たちを拘束し,銃を突き付けて脅し,村にある学校の校庭に連行した。日本軍及び傀儡軍は,拘束した中国人のうち劉清岑を含む若者15人にチョークで丸印を付け,その15人をさらに馬場と呼ばれる日本軍の駐屯地に連行した。劉清岑らは,ここで1週間ほど収容され,収容者一人一人に八路軍との関わりについて尋問された。八路軍ではないという回答をすると殴られ,むりやり八路軍との関わりを肯定させられた。

エ 原告らは,馬場から保定に連行され,さらに汽車に乗せられ,石家庄に連行された。石家庄では,李鴻徳は行進訓練及び穴掘り作業の訓練を受けたが,姚山子及び劉清岑は特に労働に従事することもなく,取調べなどの手続も行われなかった。ここで収容者は,2つのグループに分離され,健康な若年者は第2グループに分類された。健康な若年者以外の第1グループからは多くの死者が出た。収容された中国人は,3中隊,3小隊,3班に分類された。原告らは,ここで日本に連れて行かれることを知らされた。石家庄の収容所では,食事はコーリャンでできたマントウと白菜の混じったスープが1日3回支給されただけだった。そして,原告らに,ここで上下の綿入れ,帽子,タオル1本,ゲートル2本が支給された。李鴻徳の記憶では,石家庄の収容所では布団を1組支給されている。

 原告らは,石家庄から,日本軍の監視の下,汽車に乗せられ青島に向かった。青島への移送に当たっては,軍部警備隊と被告日鉄鉱業の職員がその任に当たった。

 青島の収容所には100人ほどの中国人が収容されており,原告らは荷役,煉瓦の運搬作業などに従事させられた。食事は,1日2回,昼と午後5時ころに石家庄の収容所で支給されたのとほぼ同じようなマントウが支給されただけで,李鴻徳や姚山子らは常に空腹状態にあった。このように栄養補給状態が悪かったため,徐々に体力が低下し始め,健康を害する者も出始めていた。その結果,青島では,多くの者が病気になり病死した者もいた。病死者は馬車に乗せられ,収容所外に運ばれて行き処理されていた。また,収容所では,監視する日本軍のいうとおりにしないと,すぐ殴られたり暴力が振るわれた。原告らは,暴力から自己の身を守るため,従順にしていた。

(2) 事業場への連行

 李鴻徳は,強制連行されてから約1か月後の1944年10月10日,約200人の強制連行された中国人とともに青島から出港し,12日後日本の下関に到着した。李鴻徳は,移送される途中毎日日数を数え,ただ故郷を思いやっていた。李鴻徳ら一行は,下関に到着するや体中を消毒され,岩手県の日鉄鉱業釜石事業所に移送された。姚山子と劉清岑を含む約100人の中国人は,李鴻徳が日本に移送されてから約2か月後の1944年12月24日に,青島から下関に向け移送された。姚山子らは2週間程度で日本の下関に到着したが,その途中,船内において3名の中国人が死亡した。

 姚山子と劉清岑らは,下関に到着後,すぐに体中を消毒され,即日岩手県の日鉄鉱業釜石事業所に列車で移送された。原告らは到着してから1,2日間休養をとった後,労働に従事した。事業場に連行された中国人は300人ほどであった。

 事業場報告書には,「入山後約1ヶ月間の休養を与える。休養に対し一人二円ずつ支給」との記載があるが,原告らの供述によれば,この記載が虚偽であることは明らかである。

(3) 事業場での仕事の内容

 中国人労働者は,日鉄鉱業釜石事業所において,鉄鉱石を採掘する労働に従事し,坑道に入り発破を用いドリルで掘削をし,穴を堀り広げトロッコで掘った土砂を坑外に除却するという一連の仕事をさせられた。

(4) 事業場での住環境

 中国人労働者の宿舎は,木造平屋建てで,屋根は木の皮を葺き,床は土でできており,その上に板敷きで造られたものであった。中国人労働者は中2階に収容されたが,天井は極めて低く腰をかがめないと歩けないほどの高さであった。釜石工業所は,冬にはかなりの雪が降り厳しい寒さになるが,中国人労働者の宿舎には,暖房設備も備わっていなかった。日本人らは,薪ストーブにより暖を取っていたが,中国人労働者は,寒さに震え凍える毎日を送っていた。

 事業場報告書には,「薪ストーブ二個を一一月から六月まで」使用したとの記述があるが,原告らに対しては全く支給されなかった。 

(5) 事業場での労働条件 

 約300人の中国人労働者は,300名の大隊,100名の中隊が3つ,そして小隊に分けられ,それに中国人の隊長が決められていた(石家庄で日本人が決めた。)。また,それらの中で3班に分けられ,2交代制で朝から夜まで働かされた。朝になると,日本人が棒を持って中国人労働者を起こし,朝食後整列・点呼をとり,中国人労働者は労働を開始した。休憩は,昼食時に短時間与えられていただけであった。勤務時間は,1週間毎に交替し,結局24時間働かされていた。もちろん休日などというものはなく,中国人労働者は1年中働かされていた。

 釜石事業所では朝鮮人やアメリカ人なども強制労働させられていたが,彼らと仕事内容は違い,中国人労働者は最もきつく厳しい部署に配置されていた。坑道内での落盤などによる事故が発生し,けが人や死亡者が出た。劉清岑も採掘作業中に左足の親指にけがをし,負傷部分は今でも爪が生えていない。

 作業中,日本人による暴力は日常であった。体の動きが鈍いとか,仕事が少しでも遅れるなどの事情があると,必ず日本人の作業監督者2名が中国人労働者を殴り付けた。その2名の日本人は,常時金槌を携帯し,その柄の部分で中国人労働者に暴行を振るった。

(6) 事業場における食事

 食事は,1日3回与えられた。朝食は,大麦で作られた水分の多い粥が茶碗1杯,昼食は粥と3切れの唐辛子を弁当箱に入れて作業現場で食べた。夕食は粥が茶碗に1杯であった。朝と晩の粥には漬け物のような唐辛子が3切れとどんぶり1杯の白菜がついていた。白菜は1班にどんぶり1杯のみが支給され,10数名で争うようにして食べた。したがって,1人2口しか食べることができなかった。これらの食事は中国国内のものより粗末なもので,とても人間が食べる代物ではなかったが,中国人労働者は,生き続けるために仕方なく食べなければならなかった。厳しい労働に比較して粗末な食事だったので,中国人労働者は,次第に体力を減退させていった。飲料水の支給もなかったので,中国人労働者は,作業中坑道の岩盤から垂れてくる水を飲んで乾きをしのいでいた。

 なお,事業場報告書には,「食糧に関しては到着前に関係当局の割り当てに基づき,小麦粉,粟を主食とし月量二二キログラム程度給食す」との記述があるが,中国人労働者の供述のとおり,中国人労働者に支給された食料は極めて劣悪な内容であり,事業場報告書の記載は虚偽であることは明らかである。中国人労働者の死亡原因の中で,事故より栄養失調が多いことは食料事情がいかに劣悪であったかを物語るものである。

(7) 事業場における衣服その他の衛生条件

 中国人労働者には,衣服や布団・毛布は一切支給されず,石家庄において支給されたものを使い続けていた。下着を付けず直接ズボンをはいて労働に従事していた。釜石事業所で支給されたものは,唯一粗末なゴム底の地下足袋1足だけであった。労働に伴って地下足袋はぼろぼろになったが,それ以上の支給がなかったため,中国人労働者はそれを使い続けるしかなかった。衣服の支給は,日本が敗戦し彼らが解放された船の中で,連合軍から支給されるまで待つことになった(下着を替えることもそれまで待つことになる)

 この点,事業場報告書にも「移入時には地下足袋,靴,補修用布等を支給す」とされており,その他の被服の支給が労働期間内にはなかったことが記載されている。

 風呂などの設備は一切なく,着替えもなかったので,ノミやシラミがたくさん体にわいた。体を拭く水さえ使える状態ではなかったので,中国人労働者は極めて不衛生な環境に置かれていた。事業場では多くの死傷者が出た。栄養状態や衛生状態の劣悪な環境によるため,事故による死傷よりも病気によるもののほうが多かった。病気の中では栄養失調が最も多かった。劉清岑の記憶によれば,連行された中国人の中で最後まで残り帰国したのが120人から130人であるから,残りの者は死亡したと思われる。中国人労働者が,けがをし又は疾病にかかっても,被告日鉄鉱業は,医師の診察を受けさせなかった。

 医療衛生施設に関し,事業場報告書には「華人労務宿舎内に仮診療所を設置し救急薬を常備し」「患者の状況に応じ医師及び看護婦の出張をなし」との記述があるが,事業場での中国人労働者の死者数は,事業場報告書によっても117名であり,仮診療所の設置,医師及び看護婦の出張によりこれほど多くの病死者が出るとはおよそ考えられない。事業場報告書の記載は虚偽であるとしか考えられない。

(8) 帰国

 終戦後,中国人労働者に稼働停止命令が出され,原告らは,やっと強制労働から解放された。そして原告らは,終戦後の1945年9月釜石から横浜に移り,その後博多を経てアメリカ軍の艦船で塘沽へ移送され帰国した。塘沽へ到着したのは,1945年12月の直前のことであった(新暦)

6 原告婁慶海,同張永旺,同王信忠,同宋元慶の被害事実(被告飛島建設株式会社関係)

(1) 拉致・監禁及び事業場への連行

ア 原告婁慶海(日本名(名簿上)は33)

 原告婁慶海(以下「婁慶海」という。)は,旧暦1928年3月6日河北省定興県台南店で生まれ,強制連行された当時,両親と兄姉と共に農業に従事していた。

 婁慶海は,農業に従事中,突然現れた10数名の警察官らしき者に,両手を後ろ手に縛られ,まず定興県内の姚村にある日本軍駐屯地に連行された後,列車で塘沽に連れて行かれた。婁慶海は,塘沽に2週間ほど留め置かれた後,船で日本に連行された。なお,日本の強制連行者の名簿の中には,婁慶海は「33」と記載されている。これは,婁慶海の当時の愛称であった「34」と「35」の発音が同一であるため,表記を間違えたものである。婁慶海は,塘沽を出て,1週間ほどで日本に着いたが,着いた場所がどこだったかは正確には理解していない。その後,婁慶海は,列車に乗せられ福島県の飛鳥宮下事業所に連行された。当時,被告飛鳥建設は,日本発送電株式会社と宮下発電所建設の請負契約を締結しており,中国人労働者は,この事業遂行のための労働を強制させられることとなった。

 事業場報告書の「部外秘」とされている契約書には,その冒頭に本件中国人労働者の供給契約が,大日本帝国の計画に基づくことが記載されており,実際の供給主体となった華北労工協会の供給の実施細目が,軍隊式の過酷な供出を行ったことを示している。

イ 原告張永旺(日本名(名簿上)は36)

 原告張永旺(以下「張永旺」という。)は,旧暦1926年5月18日河北省定興県北河郷紅樹営六里舗で生まれ,強制連行された当時は両親と5人の兄弟と共に農業に従事していた。

 張永旺は,1944年の旧暦5月ころ,父と共に農業に従事中,突然,日本軍が現れて父を殴り,王の両腕を両脇から抱えられ,銃を突き付けられ両手を縛られて拘束され連行された。そこから北河郷の中心の街に1回集まり,さらに日本の警察官に定興県の県庁所在地に連れて行かれ,聖人廟に入れられ7,8日間留め置かれた。その間に200人以上の中国人が集められていた。見張りをしていたのは,日本軍,日本の警察,中国人だった。張永旺は,定興県の県庁所在地から縄で縛られて列車に乗せられ,塘沽の町まで連行された。

 その後,張永旺は,塘沽から船で門司まで連れて行かれた。張永旺が乗せられたのは日本の船で200名以上の中国人が同じ船に乗せられていた。船の中を管理していたのは日本の軍人である。食事は,米糠で作ったマントウを1日2回,1個ずつ支給された。船にはたくさんの病人がいたが,死んだかどうかは不明である。誰かが海に飛び込んだという話は聞いたことがある。張永旺自身は,船底で床に布団を敷いて寝ていた。張永旺は,塘沽からずっと海水を飲まされていて,下痢をして寝込んでいた。健康を維持する最低限度の環境も保障されていなかった。張永旺は,7日間船に乗り,門司に着いた。門司に着くと,風呂にはいることができたが,消毒液が入っているようで皮膚がとても痛かった。張永旺は,門司で列車に乗り,いったん東京で下車してそこから宮下村に行った。

ウ 原告王信忠

 原告王信忠(以下「王信忠」という。)は,旧暦1927年7月19日(身分証明書上は1927年10月3日)河北省定興県紅樹村で生まれで,強制連行された当時16歳であり,両親と2人の兄弟と居住し,農業に従事していた。

 王信忠は,1944年4月15日ころ,農業に従事中の父に家から食事を届けに行ったところ,突然,日本人と中国人総勢数10人の兵士が現れ,銃を突き付けられ両手を縛られて拘束され,まず北河店という町に連れて行かれ,その後さらに定興県の県庁所在地に連れて行かれた。定興県の県庁所在地には,同じように強制連行されてきた中国人が7,80人おり,翌日にはその人数は2,300人にふくれあがった。見張りの者は皆銃を持っており,王信忠は,捕まったら殺されると思い,逃げられなかった。王信忠は,定興県の県庁所在地で1週間ほど過ごした後,夜中の3時か4時にたたき起こされて,またひもで縛られて列車に乗せられ,塘沽まで連れて行かれた。塘沽では,王信忠は鉄条網で囲まれ犬の放たれた施設に収容された。王信忠は,その収容所で約15日間ほど過ごした。ここでは海水を支給されたが,食事の量は,コーリャンの糠と麦の皮で作ったマントウを1日2回,1個ずつ支給されるだけという極端に少なく,かなりの数の中国人がここで死んだ。この段階で,既に生命を維持する食料が支給されていなかった。

 王信忠らは,塘沽から船に乗せられたが,どこに連れて行かれるのかも聞かされておらず,日本に行くということも聞かされていなかった。契約書などももちろん交わしていない。食事は,1日にお粥1杯だけで,船酔いがひどくてそれすら食べることができなかった。どこに行くのか,何をさせられるのか他の中国人と話し合ったが,わからなくてとても不安であった。食事がとれずに栄養失調になって死んだ者も何人もおり,王信忠自身も,起きることもできない状態だった。7泊8日で船は門司に着いた。門司に着くと,王信忠は,体を消毒され,緑色の服を1着支給された。王信忠は,そこから4,50時間列車に乗って,福島県の宮下村という駅で降ろされた。

エ 原告宋元慶

 原告宋元慶(以下「宋元慶」という。)は,旧暦1925年10月3日河北省定興県李郁庄郷候官営で生まれ,強制連行された当時,母,兄,姉と共に農業に従事していた。

 宋元慶は,1944年の旧暦4月ころ,母と兄と姉と共に農業に従事していたところ,軍服を着て帽子をかぶった兵隊らしき者2名に縄で縛られて連行された。宋元慶が強引に連れて行かれた所は,定興県のどこかの村で,ここには4,50人程度の人が集められていた。連行の翌日,宋元慶は,手をひもで縛られ,一列に並ばされて列車に乗せられ,塘沽に連れて行かれた。宋元慶は,塘沽で日本兵に引き渡され,常に日本の軍人に監視された。

 宋元慶は,塘沽で上着,ズボン,毛布,布団,靴,帽子を支給されたように記憶している。

 宋元慶らは,塘沽から日本に船で連行されたが,塘沽を出発する前もその後も労働契約の締結はもちろん,日本で働くということを聞かされたことさえない。日本で実際に働き初めて,自身が連行された目的が判明した。

 宋元慶らの乗せられた船はかなり大きなものであり,宮下村に着いたとき中国人が288人だと知った。船内では小麦の皮とコーリャンで作ったマントウを1日3個支給された。宋元慶の知っているだけでも,船の中で3人が死亡した。船内では移動することはできたが,常に銃を持った日本人に監視されていた。宋元慶は,塘沽を出てから5泊したが,いったい今後どうなるのかとても不安であり,とにかく家に帰りたいと考えていた。

 塘沽を出てから5,6日して,船は日本の門司に着いた。その後,宋元慶は,列車に乗せられ,3日後に山に囲まれた土地に着いた。駅を降りると「宮下」という地名が書いてあった。駅を出てしばらくすると「飛鳥宮下作業組」というような看板が掛かっていた。宋元慶らは,Sという日本人に山奥に連れて行かれ,そこで仕事の内容の説明を受けた。しかし,給料や労働条件の話はなく,もちろん労働契約書なども見たことがない。給料の話などとても怖くて言い出せなかった。

(2) 事業場での仕事の内容

 宮下事業所に連行された288名は,大きく2隊に編成されそれぞれの隊には隊長,書記(副隊長)が選ばれ,各隊はそれぞれさらに6班に分けられ,班長が選ばれた。第1隊は石運びに従事し,第2隊は砂運びに従事させられた(夏期)

 王信忠,婁慶海両名は1隊3班,宋元慶は1隊6班,張永旺は1隊2班にそれぞれ配属され,いずれも石運びに従事した。石運びの業務とは大要以下の通りである。まず,宿舎から約1.5qほど山を登った現場で,毎日正午に岩の「発破」を行う。爆発に当たっては山腹に,まず中国人労働者が穴を開けダイナマイトを設置し点火する。爆破準備の要員としてT,Uなど中国人8名が選ばれた。次に,爆破された岩をさらに小さくするために再度爆破を行う。手頃な大きさに砕かれた岩を4人ほどで荷車に乗せ100mほど先にある機械まで運ぶ。機械に入れられた岩はその機械でさらに細かくされ,その後,別に機械で洗浄される。死亡記録上,「岩石転落」「土砂崩壊」が原因とされる死亡はこの一連の作業中のものと推測される。

 冬期には,本来の業務を遂行できないため,山に入って木を伐採し,それを山の上から棒でつついて下に転がすといった作業を行っていた。これらの作業は常時数名の監視員によって監視された状況で行われており,能率が少しでも落ちると,中国人労働者は殴打され,労働を強制された。

 以上のような労働を,毎日早朝から暗くなるまで全期間を通じてほとんど無休で強制されていた。業務中は,5人くらいの日本人が中国人労働者の管理をしており,他に中国人労働者が逃げないように見張っている警察官が1人いた。監視の日本人は,仕事が遅いと殴ったりしたが,特にその中の1人で片腕のない男は,よく中国人労働者に石をぶつけたりした。仕事は危険で,機械に巻き込まれて死んだ人がいた。大きな石の下敷きになって死んだ人もいたし,足や指をつぶされた人もいた。宋元慶も釘を踏み抜いてしまい左足の親指にけがを負って今でもその傷が残っている。しかし,医者に治療をしてもらった人など見たことがない。また,腹を空かせてマントウを盗んで殴られ,動けなくなって寝ているときに大便をし,その大便を食べさせられた上でさらに殴られて死んだ人もいた。栄養失調で死んだ人もいた。王信忠の知っている限りでも死者は7,8人出た。

 事業場報告書中の「死亡顛末書及死亡診断書」の死亡者の数及び死亡年月日だけからも強制連行後に強いられた労働がいかに過酷であり非人間的なものであったかがわかる。また,「不具廃疾顛末書」「公傷顛末書」において,まず特徴的なのは,強制労働に耐えられないと判断されて期間途中(それも連行が短期間。)で送還された者が相当数に上ることである。このことは,強制連行に際し,個々人の意思はもとより,その肉体的な状況も一顧だにせず,いわゆる「ウサギ狩り」が強行されたことを強く推測させる。さらに,「不具廃疾者」及び「公傷顛末書」さらには「傷害統計」の記録を見れば,労働に当たり中国人労働者の生命身体に対する安全への配慮が全くなされていなかったことがわかる。

 なお,労働時間を正確に把握することは困難であるが,朝暗いうちから日が暮れるまで1時間の昼休みを除き労働を強制されていたことから考えて,相当な長時間労働であったことは間違いない。ちなみに,2001年の福島県における夏至(6月21日)における日の出・日の入の各時間はそれぞれ4時16分と19時3分であるので,この間労働を強制されたものと考えて,労働時間は14時間47分(休憩1時間を除いて13時間47分),同じく2001年の福島県における冬至(12月22日)における日の出・日の入の各時間はそれぞれ6時50分と16時23分であるので,この間労働を強制されたものと考えて,労働時間は9時間33分(休憩1時間を除いて8時間33分)である。

(3) 事業場での住環境

 中国人労働者の作業現場も宿舎も山の上にあり,宿舎は木造板張りであり,隣には食事を作るところと警察の人がいる小さな建物があった。板敷きに藁をひいた2段ベッドのような所に百数十人が寝起きした(ただし,隊長と書記は就寝場所を異にする。)。浴場は別棟にあったようであるが,中国人労働者に使用は許されておらず,みんなは近くの大きな川には行って体を洗っていたが,数日に1回しか許されなかった。宋元慶は,泳げないのでほとんど川に入らなかったところ,体の一部にぶつぶつのできる皮膚病になった。娯楽室・休憩室などはもちろんない。中国人労働者は,冬期は,セメント倉庫であったという木造平屋建ての建物で過ごした。板の隙間から冷気が入り込む宿舎であった。暖房施設としては,ドラム缶様のものをストーブとして使用し,薪や古木材を燃料としていた。もっとも,ストーブの使用が許可されたのは就寝前のごく短時間のみである。

(4) 事業場における食事

 食事は,1日3食であるが,朝はほとんど水のようなおかゆ1杯,昼と夜は基本的には米糠で作ったマントウが1個づつ支給されるのみであり,冬には塩スープのようなものが支給されるだけであり,とても重労働を支える食事ではなく,多くの者が栄養失調となった。主食であるマントウの他は,たまに漬物が添えられる程度であり,野菜・魚・肉などは支給されたことがない。主食類がこのような状況であるので,嗜好晶(酒,煙草)などはほとんど配給されていない。このような給食状況であるため,ビタミン不足の皮膚病になったり,ほとんどの者が栄養失調になった。王信忠も,糠で胃を悪くしてしまい,それは中国に戻っても治らなかった。  

(5) 事業場における衣服その他の衛生条件  

 中国人労働者の衣服は,中国を出発前に支給されたものと,秋口に支給されたものだけであり,ノミやシラミが服について,かゆくて眠れないために,中国人労働者は,夏の夜は裸で寝ていた。

 事業場報告書中の「被服支給状況」,「食糧支給量」によれば,各種被服や食糧が中国人労働者に支給されたかのような記載となっているが,この点については,原告らの体験事実と大きく相違する。被告国の指示に基づいて被告国と被告企業らの責任を回避するために記載されたものである。また,疾病統計からは「疥」と呼ばれる皮膚病に罹患したことを示す記載がなされているが,中国人労働者は,症状に強弱があるのは別として全員がこれらの皮膚病にかかっていた。なお,死亡者数合計12名となっているが,医療体制はきわめて劣悪なものであった。作業場内には医療施設はなく,原告らは宋元慶を除き医者の姿を見たことがない。作業場外(宮下村)には衛生所のようなものがあったようであるが,関節炎や皮膚病程度では見てもらえず,現に,原告らは宋元慶を除き一度も診療されたことはない。中国人労働者は,いずれも疥癬にかかっていたが,薬さえ支給されたことがなく,強制労働期間中,健康診断を受けたことはない。

 張永旺は,寒さで関節炎にかかり,現在も痛みが続いている。王信忠は,栄養失調で血を吐き,脚を痛め,皮膚病にかかり,痛めた胃は帰国後長らく治らず,また,脚の関節は今でも痛む。宋元慶は,皮膚病にかかったり,呼吸困難になり宮下村の病院で治療を受けた経験がある。このことは,中国人労働者がいかに劣悪で不衛生な環境で生活を強いられたかを物語るものである。

 さらに,「諸給与調書」には,中国人労働者に給与が支払われたかのごとき記載がなされているが,この点も原告らの体験事実と全く異なる。この調書は中国人労働者の強制連行・強制労働が合法な労働契約に基づくものであると仮装するために作成されたものである。

(6) 帰国

 その後,原告らは終戦まで被告飛島の宮下作業所において強制労働を強いられ,1945年11月29日,本国送還のために華北労工協会員1名,事業場従業員6名,警察署員2名が付き添い,宮下作業所を出発し,同年12月3日米国船舶にて佐世保港を出発し,数日後塘沽に到着した。

7 原告畢兆亜,同畢兆倉,同劉玉洪の被害事実(被告株式会社ジャパンエナジー関係)

(1) 拉致・監禁

ア 原告畢兆亜(事業所報告書の名簿上は,畢超亜)

 原告畢兆亜(以下「畢兆亜」という。)は,1926年8月30日生まれで,強制連行された当時18歳で,河北省豊潤県14区畢家 村(現在は,華北省唐山市豊南県黒沿子鎮畢家 村であり,現在もここに住んでいる。)に,畢兆亜の両親,伯父,長兄夫婦と長兄夫婦の2人の娘と1人の息子,2番目の兄夫婦とこの夫婦の2人の子供,3番目の兄夫婦,畢兆亜の妻の総勢16人で居住し,両親を手伝って農業を営んでいた。畢兆亜の妻は妊娠中であった。

イ 原告畢兆倉(事業所報告書の名簿上は,畢超倉)

 原告畢兆倉(以下「畢兆倉」という。)は,1927年3月19日生まれで,強制連行された当時17歳で,河北省豊潤県14区畢家 村(現在は,華北省唐山市豊南県黒沿子鎮畢家 村であり,現在もここに住んでいる。)に,両親,3人の兄弟,妻の7人家族で居住し,両親を手伝って農業を営んでいた。

ウ 畢兆亜,畢兆倉は,いずれも,1944年の旧暦9月23日ころの朝8時ころ,野良仕事に行くために10人ほどの仲間と共に道を歩いていた時,突然,日本軍に取り囲まれ,銃剣を突き付けられ,10人ほどの仲間と共に,縛られて酒金 (撒金 子)という日本軍の駐屯地まで連行された。原告らはただの農民であったが,日本軍は中国人労働者を八路軍であると決めつけ,連行したのである。畢兆亜の兄のV(事業場報告書の名簿上はW)もこの時,一緒に連行され,同様に被告ジャパンエナジーの峰之澤鉱山で強制労働に従事することとなった(同人は1948年に死亡した)

エ 原告劉玉洪

 原告劉玉洪(以下「劉玉洪」という。)は,1921年2月2日生まれで,強制連行された当時23歳で,天津市漢沽区東尹郷看財村(東尹郷は現在合併されて揚家泊鎮となっており,現在もここに居住している。)に,両親,2人の弟,1人の妹,妻と当時4歳になる娘の8人家族で居住し,地主の家で作男として働いていた。劉玉洪の妻は妊娠中であった。

 劉玉洪は,同月24日の明け方,突然村にやって来た日本軍に拘束された。日本軍は,機関銃を突き付けて村人を廟に集めたのであるが,劉玉洪は,地主の命令で塩田に塩を汲みに行くため村人の群から抜けたため,日本兵から襟首を捕まれて血を吐くまで何度も投げ落とす,木製の農具でその柄が3つに折れるまで殴りつけるなどの暴行を受けた後,他の3人の中国人と共に縛られて酒金 (撒金 子)の日本軍駐屯地まで連行された。ここで,畢兆亜,畢兆倉と合流した。

オ 原告らを含む14名は,酒金 (撒金 子)で土の壁で作った狭い家に全員押し込められた。そこは,柵に囲まれ,周りに犬がいて門のところには日本兵が見張っているという状況で,到底逃げられるものではなく,しかも原告らは,八路軍だろうと言われて暴行を受けた。

 原告らは,酒金 (撒金 子)で4日ほど監禁された後,寨上(漢沽)の五分所というところに日本軍のトラックに乗せられて連れて行かれた。ここは,日本兵が捕まえた中国人労働者を収用するために作ったところで,軍隊が見張っているのであるが,原告らは,ここには1泊しただけで,列車で塘沽に連れて行かれた。その列車は1両だけで,7,8人の日本兵と14人の中国人が乗っていただけであるが,塘沽には大きな木造6棟の収容所があり,それぞれ300人余りの拉致された中国人が収容されていた。その収容所は,電流の通った鉄条網で囲まれ,日本軍と中国傀儡軍が監視していたのであるが,それでも逃亡を試みる多数の中国人労働者がいた。しかし日本軍に発見され,銃で撃たれたり,銃剣で刺されたりして,100人ないし600人が殺されることとなり,畢兆亜らはその死体を埋める穴を掘らされた。ここでの食事は極めて乏しく,1日に1,2食で大豆の屑ないし粟の粉をマントウの形にした物が1日に1個支給されるだけか,ほかに同じマントウが1個か,大豆の粕が入ったお粥1杯程度であった。しかも水が支給されないので,自分の小便を飲まなければならないほどであった。数え切れないほどの餓死者が出たほか,寒さで凍え死んだ者も少なくなかった。船に乗って出発する前に,海に飛び込んで死んだ者もいた。

(2) 事業所への連行

ア この塘沽に被告ジャパンエナジーの3人の担当者が訪れ,原告らは,塘沽で船に乗せられて同年(新暦)12月23日に出港し,1945年1月4日,下関港に到着した(上陸は1月5日。)。この船は本来貨物船であるが,貨物を乗せず,中国人労働者のみを約500人乗せて出港した。このうち原告らを含む約200人は,被告ジャパンエナジーの峰之澤鉱山に連行され,ほかの約300人は秋田に連行された。被告ジャパンエナジーが華北労工協会から引き渡されるはずであった人数はちょうど200人であったところ,極度の病弱者であった3名を除き,197名が乗船したのであるが,この197名の内,船中で既に10名が死亡した。死因は,栄養失調(4名),大腸カタル(6名)に疲労衰弱が重なったことである。船医はいなかった。死んだ者は,死体に石を結ばれて海に投げ捨てられた。船中での食事は,1日2回に増えたものの,相変わらず大豆の屑をマントウの形にした物が1回に1個支給されるだけであり,みな栄養失調状態であるにもかかかわらず,極度の船酔いで食事を取ることがほとんどできなかった。しかも,水もほとんど支給されなかった。

イ 原告らは,下関に着くと消毒され,直ちに列車に乗せられて日本の官憲の監視の下,峰之澤鉱山に到着した。しかし,この移動中にも栄養失調と大腸カタルで5人が死亡した。ずっと食事も水も満足に与えられなかったため,原告らもふらふらでのどもからからという状態であった。

(3) 事業場での仕事の内容

ア 峰之澤鉱山において,畢兆倉と劉玉洪は,地下300mくらい潜ったところで,鉱石の分類の仕事をさせられた。劉玉洪は,木を切って運ぶ仕事に廻されたこともある。いずれもかなりの重労働であった。また畢兆亜は,主として畑仕事をさせられた。

イ 結局,1945年2月28日,選鉱場で火災事故が発生し,その結果,同年4月6日ころ,中国人労働者は,同じ被告ジャパンエナジーが経営する日立鉱山に移送されることになった。日立鉱山には,原告ら峰之澤鉱山から移送された116名の外に,4次にわたって,786名の中国人労働者が強制連行されて来ていた。畢兆倉と畢兆亜は,岩盤を砕いてできた鉱石を運ぶ仕事をさせられたが,これは大変な重労働だった。劉玉洪は,荒れ地の開墾作業にまわされた。

(4) 事業場での住環境

ア 峰之澤鉱山における中国人労働者の宿舎は,山奥の平地に木造の平屋であった。床はなく,そのままの土で,通路の両側に30pくらいの高さで板が敷いてあり,中国人労働者はそこで寝た。静岡県といっても峰之澤鉱山は山奥であり,冬は雪が降るほど寒い。しかし,木造の宿舎には暖房もなく,土の上に板敷きで,夜の冷え込みはひどかった。建物の周りには囲いがあり,被告ジャパンエナジーの従業員である守衛が8人いたほかに,2ないし5名の警察官が監視のために配属されていた。

イ 日立鉱山においても,中国人労働者の宿舎は板敷きであった。そして,逃亡を防ぐため,宿舎の外に囲いがあり,そもそも警察官詰所の前を通らなければ出入りできない構造になっていた。ここは大規模な鉱山であり,被告ジャパンエナジーの従業員である守衛が数10人,警察官も24人が監視のために配属されていた。

(5) 事業場での労働条件

ア 中国人労働者は,峰之澤鉱山到着後,仕事の内容や道具の名前,その他日本語についての訓練・教育は一切なく,着いた翌日から働かされた。その後,峰之澤鉱山においても,日立鉱山においても休日はなかった。

イ 峰之澤鉱山において,畢兆倉と劉玉洪らが従事させられた坑道内の仕事の労働時間は,1日8時間から10時間くらいであり,畢兆亜らが従事させられた畑仕事は朝7時から夜8時ころまで13時間の長時間労働であった。

ウ 日立鉱山における労働時間は,1日8時間ないし9時間であったが,時には深夜まで働かされることもあった。

エ 作業においても,日本人の監視人がいたが,その管理は非常に厳しく,仕事が遅いとき日本人の言うことができないときはもちろん,理由もなく棍棒で殴りつけられることもしばしばあった。もちろん,原告ら自身も,何度も殴られたのであるが,栄養失調と疲労で体力もなく,何も抵抗できなかった。

 逃亡した者もいたが,皆簡単に捕まった。そして,捕まった者は,日本人の守衛の監視の下で,中国人の大隊長,中隊長らに殴られた。

オ 被告ジャパンエナジーは,華北労工協会との間では労働者の移入契約を締結したという形を取っており,そこでは,日本における訓練期間(1か月)においては1人1日2円(食事付き),訓練期間経過後は普通賃金1人1日5円及び出来高払い(食事付き)という契約内容が記載されている。しかし,原告らは強制的に日本に連行される過程において,労働契約を締結したこともなければ,仕事の説明を受けたこともなく,賃金の支払の話など全く聞いたこともない。劉玉洪によれば,毎月1円の小遣い兼生活費を支給されたということであり,畢兆亜は,帰国時に大隊長から5円を支給されたということであるが,これを賃金と呼べないことはいうまでもない。

(6) 事業場における食事

ア 峰之澤鉱山においては,朝は相変わらず大豆の屑をマントウの形にした物を2個,夜には大豆の屑のお粥を1杯というのが毎日の食事の内容であった。重労働をしていることからすれば,塘沽や船の中と中国人労働者の栄養状態に変わりはなかった。

イ 日立鉱山においても,食事は相変わらずマントウと大豆の屑のお粥だけであったが,1日3食になり,マントウは小麦粉,大麦粉の粉を混ぜて作ったもので味も良く,数も1回に2,3個と増えた。

(7) 事業場における衣服その他の衛生条件

ア 原告らは,塘沽からの船の乗船時又は下船時に作業衣を1着支給され,この1着を峰之澤鉱山にいる間ずっと着ていた(毛布1枚,布団1枚もこのとき支給された。)。鉱山に着いてからわらじを1足支給されたものの,靴も靴下も支給されたことはなかった。静岡県といっても峰之澤鉱山は山奥であり,冬は雪が降るほど寒かったため,凍傷で足や足の指を切断した者がいたほどである。宿舎には風呂もなく,中国人労働者の間で疥癬が蔓延していた。

イ 原告らは,日立鉱山で作業服を支給されたが,靴や靴下が支給されないのは相変わらずであった。風呂もないことは峰之澤鉱山と変わらない。畢兆亜,劉玉洪も疥癬になった。

ウ 重労働であるにもかかわらず食事が少なく,さらに日本人が監視していて少しでも手を抜くと殴られるので,中国人労働者は,全く息抜きもできず,疲労を蓄積し,日々衰弱していく毎日であった。こうして先に峰之澤鉱山に連行された182名(197名の内15名は峰之澤鉱山に到着するまでに死亡した。)の内,実に166名は,大腸カタル(死者を含めて43名。)栄養失調(死者を含めて23名。),肺炎,皮膚病などに罹患した。しかし,峰之澤鉱山においては,中国人労働者は医師の治療を受けることもできなかった。こうして,このうち66名は日立鉱山に移るまでの3か月間に死亡してしまった。その死因としては,栄養失調が23名,大腸カタル35名,肺炎が18名(ただし死因については重複がある。)であり,この3つの疾病で大半を占め,ほかに脳溢血,黄疽,腎臓病などによるものもある。これらの死因が,前記のような重労働,乏しい食事,寒さによるものであることは明白である。死者は,同じ中国人労働者が,木の箱に入れて山の中に穴を掘って葬った。

エ 当初集められた200名の内,峰之澤鉱山を出たときに残っていたのは,116名だけであったが,日立鉱山への移送の途中でも1名が死亡し,日立鉱山では8名が死亡した。帰国できたのは約半数の107名ということである。日立鉱山での死者が減少したのは,屈強な者だけがここまで生き残ってきたこと,日立鉱山では食事の量が増えたこと,日立鉱山では中国人労働者も医師の診察,治療を受けることができたことなどによる。日立鉱山での死者は心臓麻痺や肺炎が多く,労働の苛酷さに起因するものが多いことを推認させる。皮膚病が蔓延していたことはこちらも変わらない。

(8) 帰国

ア 1945年8月15日の終戦後も,原告らはしばらく日立鉱山にとどまり,ようやく同年11月26日に日立鉱山を出発し,同月29日に博多港を出港して,同年12月7日に塘沽に到着した。

イ 畢兆亜が家に戻ってみると,働き手がいなくなって家族はとても困窮していた。畢兆亜の母は,目が悪くなっていただけでなく,畢兆亜と兄Vがいなくなった苦しみから精神に異常を来してしまっていた。畢兆亜の父は,心労のせいで体の調子が悪くなり,畢兆亜らが戻って数年後に死亡した。Vの妻はVがもう帰ってこないと思い,再婚していた。

ウ 畢兆倉の母も病気になっていた。畢兆倉の妻は,畢兆倉が帰らないときは他のところに嫁に行くことになっていた。 

8 原告42,同43,同44,同45,同46,同47,同48,同49の被害事実(被告三菱マテリアル株式会社関係)

(1) 拉致・監禁

ア 原告42

 原告42(以下「42」という。)は1925年11月12日(旧暦)生まれで,強制連行された当時18歳で,河北省献県小趙屯に,祖父母,父,姉2人,弟,連行6か月前に結婚したばかりの妻,本人の8人で居住し,父親は内蒙古に出稼ぎに出ていたので,祖父と弟と42の3人で農民として働いていた。

 42は,1944年5月朝7時ころ,1人で畑で仕事をしているとき,日本軍人に囲まれて連行された。そのとき日本軍は,手当たり次第に村の男を連行し,その中から42を含めて健康そうな男を13人選び,そして軍の駐屯地に連れて行った。42らは,この駐屯地から交河大獄へ連れて行かれて,交河から白鎮,そして白鎮から汽車に乗って塘沽へ行った。白鎮までは日本兵が随行し,そこから塘沽までは中国人の警察からも監視された。塘沽に7,8日間いてから,総勢で約410人が1944年7月に船に乗せられ日本に向かった。

イ 原告43

 原告43(以下「43」という。)は生年月日不詳で,1944年の強制連行された当時数えで16歳で,河北省献県双嶺郷虎趙庄に,母,妻,妹と43の4人で居住していた。43の父親は43が11歳の時に死亡している。43は家族の中で1人だけの男として,当時現地で農業を営んでいた。なお日本で働いていた当時の名前は50であった。現住所も上記に同じである。

 43は,1944年5月朝8時ころ,畑で仕事をしているとき,突然相当な人数の日本軍に囲まれて,銃でつつかれるようにして連行された。日本人らは,43たちを何か会合のようなものをするからといってそのまま強制的に連行した。43らは,自分の村から許能屯まで連れて行かれ,そこから富鎮へ,富鎮から交河大獄へ行き,交河から白鎮,そして白鎮から汽車に乗って塘沽へ行った。白鎮までは日本兵が随行し,そこから塘沽までは中国人の警察からも監視された。43らは,塘沽に7,8日間いた。総勢で400人くらいになり,43らは名前のわからない船に11日間乗せられて日本に向かった。

ウ 原告44

 原告44(以下「44」という。)は生年月日不詳で,1944年の強制連行された当時数えで19歳で,河北省献県双嶺郷許能屯に,父母,妹と44の4人で居住し,現地で父と一緒に農業を営んでいた。なお日本で働いていた当時の名前は51であった。

 44は,1944年5月3日,昼前の時間に畑仕事をしていると,たくさんの日本人と漢奸に囲まれて連行された。最初に集められた場所は広場で,そこには100人くらいの人が連行されていた。そこから,44らは,トラックに乗せられ,富鎮に行き,さらに交河大獄に連れて行かれ,交河大獄に1泊し,白鎮から汽車に乗って塘沽へ行った。白鎮までは日本兵が随行し,そこから塘沽までは中国人の警察からも監視された。44らは,塘沽には7,8日間いた。総勢で何100人になり,名前はわからない船に乗せられて日本に向かった。  

エ 原告45

 原告45(以下「45」という。)は,1925年2月11日(旧暦)生まれで,強制連行された当時,河北省晋県南小吾村に,父,兄と45の3人で居住し,家族全員で小作として農業を営んでいた。

 45は,1943年5月ころ,畑仕事をしている最中に,突然日本軍が来て何の理由もなく捕まえられ,他村の体力の有りそうな4人の若者と一緒に連行された。45は,村から右字荘にあった日本軍の南兵営に収容され,そこに10日間ほどいた。逃亡しようとした者は日本軍に見つかって殺されており,45は,恐怖から逃げることができなくなっていた。その後,45は,天津からさらに塘沽に汽車で移送され,塘沽の収容所に2週間ほどいたが,ここでも何の説明もされないばかりか,何の理由もなく気に入らないというだけで棒や銃剣で殴られた。

オ 原告46

 原告46(以下「46」という。)は,1922年6月6日(旧暦)生まれで,強制連行された当時,河北省献県双嶺郷許能屯に,父,妻,兄嫁(兄は別のところにいた)と46の4人で居住し,農民である父の手伝いをしていた。

 46は,1944年5月(旧暦)の端午節の前,朝6時から7時ころの間に,日本人30人,中国人(漢奸)100人くらいが来て,銃を突き付けるようにして畑に仕事に行けといわれて広場に集められた。46は,許能屯で広場に集められ,トラックで富鎮を通って,そして交河大獄に連れて行かれた。その後の塘沽までの経過・監視の状況は43と同様である。

カ 原告47

 原告47(以下「47」という。)は,生年月日不詳で,当年75歳か76歳である。47は,強制連行された当時,河北省献県双嶺郷許能屯に,母と47の2人で居住し,当時農業を営んでいた。妹がいるが,既に結婚して他所にいた。母は纏足であったので仕事は何もできなかった。なお日本で働いていた当時の名前は52であった。

 47は,1944年5月(旧暦),日本兵が来るということを聞いたので,麦畑の方へ逃げて仕事をしている振りをしていたが,日本兵に見つかって広場に行けと言われて追い立てられるようにして連行された。47は,許能屯で広場に集められ,トラックで富鎮を通って,そして交河大獄に集められ,そこに1泊か2泊した。トラックは3台で,それぞれ日本人が5人くらい漢奸3人くらいが乗っていた。そこは監獄みたいなところであった。47は,大獄から出て交河県泊鎮駅から塘沽へ連れて行かれたが,その収容施設全体は兵隊に取り囲まれており,ここに十何日かは滞在した。

キ 原告48

 原告48(以下「48」という。)は,1916年2月16日(旧暦)生まれで,強制連行された当時28歳で,河北省交河県泊鎮任英村北?大車道に,母,6才と4才の娘が2人,48の4人で居住し,農業に従事していた。妻は既に他界していた。

 48は,1944年5月3日(旧暦)午後2時ころ,畑で仕事をしているとき,日本軍と中国兵が併せて70人から80人くらい来て農地を囲み,銃を突き付けられ,追い立てるように連行された。そこで働いていた48を含めた農民6人が,大車道の地域から集められた。48らは,そこから許能屯へ連れて行かれた。許能屯には80人から90人くらいが集められていた。48以外の5人というのは,X(高島事業場191番),Y(同190番),Z(同189番),α(同99番),β(同100番)であった。48を含む百何十人の中国人が,日本兵と中国兵に囲まれて歩いて許能屯から富鎮まで行った。48らは,富鎮からはトラックに乗せられ,交河県大獄に集められてそこに1泊した。トラックは3台で,それぞれ日本人が5人くらい漢奸3人くらいが乗っていた。そして,48らは,交河県泊鎮駅から塘沽へ連れて行かれたが,その収容施設全体は兵隊に取り囲まれており,ここに十何日かは滞在した。

ク 原告49

 原告49(以下「49」という。)は,1927年10月15日(旧暦)生まれで,強制連行された当時,河北省献県陣庄鎮に,母と本人の2人で居住し,農業に従事していた。生活は厳しかった。

 49は,1944年5月3日ころ朝の9時から10時の間,麦畑で収穫しているとき,日本人と中国人とが村にやって来て,村から49ら若い男17人が集められた。49らは,車に乗せられて,最初許能屯に連れて行かれ,そして交河県大獄に入れられた。3日目に,49は,列車に乗って泊鎮に行ったが,列車に乗るときには逃げられないように腕を縛られた。49は,泊鎮から塘沽へ行き,塘沽に着くと衣服が支給され,身体検査も行われた。病気を持っている人間とそうでない者と二手に分けられた。49は,2週間ほど塘沽にいて船に乗った。49が塘沽から乗った船には,400人余りの中国人がいた。400人を2つに分け,それぞれに中国人を管理していた。

(2) 事業場への連行

ア 42,43,44,45らの三菱崎戸への連行

 45を乗せた船が崎戸への移入の第1次であったのか,第2次であったのかは判明しない。ただし,第1次と第2次の到着の日は1週間しかずれていない。第1次の門司への到着は1944年7月5日,第2次の到着は7月13日(あるいは14日)とされており,事業場への到着は第1次が7月7日,第2次が7月15日となっている。

 42と43は,長崎まで約400人で来て半分に分かれたと述べていることから第2次の移入の組であった。船の中での食事は貧しく,1日3回雑穀で作られたマントウが出ただけであった。原告らは,基本的に船に乗せられるときも日本に着いてからも,どこに連れて行かれるのか,企業はどこであるのかの説明を全く受けていない。

イ 46,47,48,49らの三菱高島への連行

 高島への移入者の門司到着は,崎戸の第2次移入と同じ船だったので,記録上は7月14日となっているが,7月13日であるか14日であるかのいずれかである。高島への事業場への到着は15日となっている。

(3) 事業場での仕事の内容

ア 三菱崎戸(42,43,44,45)

 原告らは,崎戸事業場に到着すると,しばらくの間,直接仕事に従事することはなく,仕事の見学や内容を教えられ,工具(例えば,スコップ・つるはし)などに関する基本的な日本語を教え込まれ,また整列して歩行する訓練も受けた。中国人労働者の労働内容は,基本的に炭坑労働である。石炭をドリル等で掘削し,掘削した石を外に運び出す作業であった。また,坑道口を保護するための石囲いの作業があり,海から石を運んできて囲いを作りセメントで固めるのであるが,海からその場所まで中国人は大きな石を1人ずつ肩に担いで運んだ。また,全員ではないが,相当の人数の中国人労働者が,防空壕を掘る仕事に従事させられた。この防空壕を掘るときには警察の監視があったし,具体的な指示も受けている。実際には高島事業場とは異なり空爆はなかったが,飛行機が飛来したことがあり,防空壕に入ったことはあった。隊の編成は,大隊が全員によって構成され,その下に中隊,さらには班があった。それぞれの班が1つの坑道を担当していた。43,44,45は石炭掘り,42は石運びもしている。

イ 三菱高島(46,47,48,49)

 崎戸事業場と高島事業場は同じ三菱鉱業所の事業場であったので,形態は非常に似ている。中国人労働者は,崎戸事業場の場合と同様に,事業場に到着後はまず日本語を習わされている。トロッコのスイッチはどこかなどという作業についての簡単な説明も受けて,炭坑労働に従事するようになる。高島炭坑は中国人労働者が行く前に既に相当掘り進められており,中国人労働者は第7層を掘り進めることとなった。日本人が中国人の担当する作業,例えば運搬などに従事することはなかった。47は掘出した石炭を上の方に運搬するという作業に,48は掘削の作業を,49は石炭掘りの作業に従事していた。

(4) 事業場での住環境

ア 三菱崎戸(42,43,44,45)

 中国人労働者の宿舎は,木造平屋建てで床は板敷きで,複数棟あった。中は仕切りがなく何段かに分けられて寝ていた。暖房はなく,冬も敷き布団と掛け布団は1枚で寒かった。宿舎には風呂はなかった。

 宿舎には,日本人の寮長がおり,警察の詰所が門のところにあった。管理の点でいえば,崎戸そのものが島であるので,逃げる可能性はほとんどなく,特に寮の周りに鉄格子をしたり電流を流したりする必要はなかった。

イ 三菱高島(46,47,48,49)

 高島においても同様に,宿舎は,木造平屋建てで,約200人の中国人が全員収容されていた。細長い建物で両側に2段の作りで寝るようになっていた。裏手が山で高島も島であるので,特に逃亡防止のための施設は大がかりのものを必要としなかった。宿舎のそばには寮長や副寮長ら日本人が住んでいた。宿舎は警察官からも監視されていた。

(5) 事業場での労働条件

ア 三菱崎戸(42,43,44,45)

 基本的には2交代制で,朝方,夜方に分かれて労働時間は12時間で,朝は日が昇ってから沈むころまで,夜はその逆の時間帯であった。1週間のシフトで朝と夜が交代となったが,停電の時を除いて休みは全くなく,労働は極めて厳しかった。

 落盤事故や病気,そして後記の食糧事情もあって,栄養失調でなくなる者も多く,崎戸に連行された中国人436人の内,63人が死亡した。ただ,崎戸で特異的なことは,1945年8月9日,長崎刑務所浦上支所に抑留中に原爆で27名(名簿上)が死亡しているという事実である。華人労務者就労事情調査報告書第3分冊の中の「事業場別主要事件及紛争概要」によれば,崎戸では「炭坑爆破容疑事件」があり,事件発覚前に事前に検挙したことになっており,これらの者が原爆に巻き込まれ,無念の死を遂げているのである。この事件の真相は明らかではないが,えん罪であるとすれば抑圧の状況を物語っているし,容疑事実があったとしてもそこまで反発するほどの激しい強制労働の実態があったことを物語るものである。実際,日本人の監督は,中国人が日本語の意味を解さず,頼まれたことがわからなかったり間違えたりすると,それだけで中国人労働者を殴ったり,さらには機嫌が悪いということで殴るなどの暴行を加えている。

 中国人労働者は,いずれも賃金の支払を受けていない。報告書の集計によると,終戦前の三菱崎戸における経費の欄の中に「賃金」として134万6098円が計上されているが,かかる数額は中国人労働者に対して全く支給されておらず,虚偽も甚だしい。

イ 三菱高島(46,47,48,49)

 崎戸と同様に,基本的には2交代制で,朝方,夜方に分かれて労働時間は12時間で,朝は日が昇ってから沈むころまで,夜はその逆の時間帯であった。1週間のシフトで朝と夜が交代となったが,休みは全くなかった。ただし,48は,日本人と共同の作業に従事していたこともあって,8時間労働であった。起床時と就寝時の2回点呼があった。死者が出るほどの落盤事故はなかったが,病気や栄養失調でなくなっていった人はおり,事業場全体では205人中15人の中国人が死亡している。ちなみに,49と同じ村の出身者が,病院に行ったときに病院に落ちていたミカンを食べて食中毒で死亡している。このようなことにも栄養状態の悪さが出ている。高島でも,日本人の監督や他の日本人から,中国人が日本語の意味を解さず,頼まれたことが分からなかったり間違えたりすると,それだけで中国人労働者は殴られたり,さらには機嫌が悪いということで殴られるなどの暴行を加えられている。48は,門の出入りの際に中国人を使って門を開け閉めさせていた日本人に対して「バカヤロウ」と言っただけで殴られている。48は,このことがあって自殺を考え実行しようとしている。このような事実は,自殺を考えるほどの厳しい労働実態の下に中国人労働者がおかれていたことを示している。

 中国人労働者は,いずれも賃金の支払を受けていない。報告書の集計によると,終戦前の三菱高島における経費の欄の中に「賃金」として90万4175円が計上されているが,かかる数額は中国人労働者に対して全く支給されておらず,虚偽も甚だしい。

(6) 事業場における食事

ア 三菱崎戸(42,43,44,45)

 食事は,朝晩はマントウが1,2個しか出なかった。昼はマントウ2個と竹で作った水筒に水を入れて,それを持参して坑道の中で食事を取った。1日の食事を1食で食べても足りないほどだった。マントウではなくお粥のようなご飯が1杯の時もあった。おかずは漬け物だけで,小魚が時々出た。あまりに粗末な食事であったため,中国人労働者は海岸でのりや海草を拾って食べたり,草を取ったりして食べていた。食糧事情が以上のようなものであったため,1人の中国人が日本人のものを盗んで食べたことがあった。このことで,42も含めて30人ほどの中国人が暴行を受け,手を前に差し出して上体を前に折り曲げ,背中と腰に石を乗せて1時間ほどその姿勢でいることを強いられたり,井戸に頭を突っ込まれて意識を失うまで痛めつけられ,その上翌日に1食分を抜かされたという事件もあった。このような事件があるほどに,中国人労働者たちは,毎日ひもじい思いをしていたということである。

 受入直後と終戦直前の崎戸における1人1日平均の栄養摂取量と米麦雑穀類の支給量は,事業場からの報告によれば,下表のとおりとなっている。

 しかし,崎戸事業場からの報告は,受入直後と終戦直前が全く一緒であり,その数字には信憑性はないし,原告らの供述している内容とかけ離れたものであって,真実と異なるものである。

イ 三菱高島(46,47,48,49)

 食事は,主としてマントウであり,朝2個,昼1個,夜1個で,夜の仕事の時には,夜1個,夜中に2個,朝に1個というものであった。漬け物の付くときがあり,ごくたまに魚の出るときもあった。その量たるや「1日の分量を1食で食べてもとても足りない量」であった。あまりに食事が少なく空腹で,風呂に入ったときに風呂の中で意識を失う者もいたほどである。

 受入直後と終戦直前の高島における1人1日平均の栄養摂取量と米麦雑穀類の支給量に関する高島事業場からの報告は,1944年の受入直後より1945年の終戦直前の方が全般的に数値が上がっており,戦争が終わるころの日本全体の窮乏状況にかんがみるとき,到底その数字には信憑性はない。原告らの供述している内容と異なり真実とかけ離れたものといわざるを得ない。

(7) 事業場における衣服その他の衛生条件

ア 三菱崎戸(42,43,44,45)

 中国人労働者は,塘沽で仕事着1式と足袋1つそして布団が1つ支給され,これをずっと使い続けさせられた。足袋は数か月で使えなくなってしまったので,中国人労働者は,その後は厚めで丈夫な紙を足にくくりつけて代替していた。寮となった建物には,暖房設備もなかった。風呂は寮にはなかったものの,炭坑を出たところには風呂があり,この風呂には入ることができた。医者が島にいて,下痢や風邪の時には診察を受けることができたが,過酷な労働と栄養失調のため,多くの中国人労働者が亡くなった。また,坑道の中に水が出て,長時間水に浸かりながら働いていた中国人労働者の中には,45も含め関節を痛める者もあった。長崎刑務所浦上支部で死亡した27人を除いても36人が事業場で死亡している。

 なお,外務省報告書の表をみると,崎戸では伝染病疾患として結核性疾患6(全員死亡),疥癬222,呼吸器病231,消化器病356,脳神経系29,潰瘍膿瘍蜂窩組炎321,眼病116等合計1419の疾病数が計上されている。中国人労働者が医師にかかることを控えていたことや,一般に事業場報告書が事業者側に不利にならないように報告されている実態にかんがみるとき,かかる数値は崎戸における衛生状態が極めて不良であったことを示している。

イ 三菱高島(46,47,48,49)

 中国人労働者は,塘沽で仕事着1式と布団が1つ支給され,これをずっと使い続けさせられた。足袋は数か月で使えなくなってしまったので,中国人労働者は,その後は厚めで丈夫な紙を足にくくりつけて代替していた。また,1944年10月ころには袖無し半纏が,中国人労働者に支給された。崎戸同様に,寮となった建物には,暖房設備もなかった。風呂は寮にはなかったものの,炭坑を出たところには風呂があり,この風呂には入ることができた。医者は炭坑の現場にはいなかった。島の中に医者がおり,この医者にかかること自体は可能であったが,実際には仕事を休むとマントウが半分に減らされるので事実上休むことはできないという状態であった。

 事業場において15人が病気や栄養失調によって死亡している。崎戸と同様に外務省報告書「事業場別病類別罹患死亡数」の表をみると,結核性疾患3,呼吸器病54,消化器病69,潰瘍膿瘍蜂窩組炎55,眼病79等合計389の疾病数が計上されている。崎戸に比べれば数は少ないものの,中国人労働者の数が半分以下であることなども考慮すれば,高島においても衛生・健康管理状態は不良であったといわざるを得ない。

(8) 帰国

ア 三菱崎戸(42,43,44,45)

 原告らは,終戦後仕事をすることなく待機し,送還は1945年11月20日ころから始まっている。原告らは,崎戸から佐世保に移り,1週間ほどしてから,佐世保から塘沽に船で渡り,そして多くのものは天津を通過して自分の家に帰っている。この帰国の船の中でふるさとへの思いを胸に抱きながら,2名が無念の死を遂げている。

イ 三菱高島(46,47,48,49)

 高島からは帰国送還時に188人が船に乗せられている。帰国の経路は崎戸の中国人労働者と同様である。

9 原告53,同54,同55,同56,同57,同58,同59,同60の被害事実(被告株式会社間組関係)

(1) 拉致・監禁

ア 原告53

 原告53(以下「53」という。)は,1926年生まれで,強制連行された当時17歳で,河北省廊坊市安次区仇庄郷小麻庄に,両親と兄弟5人,そして叔母の9人で居住し,当時天津で医療機関からの手紙を村民に届けるという内容の業務に従事していた。

 53は,1942年3月ころ,当時の日本軍によって身柄を拘束された。53は,病院などの医療機関からの手紙を配達する仕事に従事していたところ,突然数人の日本軍に銃剣を突き付けられ,後ろ手に手錠をかけられたままトラックに乗せられ,塘沽にある収容所に連行され,塘沽の収容所では丸太を組んだ小さな小屋に収容された。ここでは,食事もろくに支給されず,衛生状態も極めて劣悪で,多くの病死者が出た。53は,収容所では鉄道の修理,弾薬の入った箱の運搬などの労働に従事させられた。冬は極めて寒く,ここで凍死する者も出るほどであった。その後,53は,1944年初頭に船に乗せられ日本の下関に連行され,下関からさらに汽車に乗せられ,被告間組の管理する利根川事業場に連行された。

イ 原告54

 原告54(以下「54」という。)は,1921年8月29日生まれで,強制連行された当時,父と兄弟4人の6人で居住していた。

 54は,1943年3月ころ天津にある絨緞の織物工場で働いていたが,その工場が倒産し,工場の責任者である日本人から別の仕事を世話するとの話を持ちかけられたところ,トラックに乗せられ西苑(シーエン)にある収容所に連行された。西苑の収容所には高い壁が張りめぐらされ,壁には電流が流れている有刺鉄線が設置され,逃亡できないような設備があった。54は,その収容所で中国人の捕虜の死体や病死した人の死体を埋める作業に従事させられた。冬の寒さは極めて厳しく凍死する者が続出した。54は,1944年2月ころには塘沽の収容所に移され,ここで約1か月間船を待ち,船が到着するとそれに乗せられて日本の下関に連行され,そこから間組の管理する利根川事業場に連行された。

ウ 原告55

 原告55(以下「55」という。)は,1920年生まれで,強制連行された当時23歳で,妻,両親,姉2人と弟1人の7人で居住していた。

 55が身柄を拘束されたのは,1943年1月ころであった。55は,清河(チンコウ)で布などを売る露天商の仕事をしていたところ,突然数人の日本軍人に身柄を拘束され,54と同じ西苑の収容所に連行され,その後,1943年4月に塘沽の収容所に移動され,そこから船で日本の下関に連行され,やはり利根川事業場に連行された。

エ 原告56

 原告56(以下「56」という。)は,1919年8月16日生まれで,強制連行された当時,河北省永清県別寸庄鎮老幼屯村に,妻,長男及び両親,そして本人の5人で居住していた。

 56は,1943年3月か4月ころ,当時居住していた村から20キロ程離れた町の市場に子豚を売りに出かけたところ,突然日本軍に銃剣を突き付けられ,身柄を拘束され,トラックに乗せられて収容所に入れられ,1か月ほど経ってから船に乗せられ,下関に到着し,そこから汽車で利根川事業場に連行された。

オ 原告57

 原告57(以下「57」という。)は,強制連行された当時12歳で,河北省永清県別古庄前劉武営村に,両親,姉と妹の5人で居住していた。

 57は,1943年3月か4月ころ,父親とともに外出したところ,20人から30人の銃剣を所持した日本軍人に捕らえられて連行された。57が連行されたのは西苑の収容所であった。この収容所は,常時日本軍が監視しており,周囲には高圧電流が流れ,中国人らの逃亡を防止していた。57は,この収容所に9か月間収容されたが,その間,食事は,コーリャンを夏に1日3回,冬は1日2回支給されただけで,服や靴の支給はなされず,風呂にも入れてはもらえなかった。この収容所で身体検査が行われ,健康体の者は塘沽の収容所に連行された。57も健康体の者として塘沽に送られた。57は,塘沽の収容所に3日間収容された後,船に乗せられ下関に上陸した。

カ 原告58

 原告58(以下「58」という。)は,強制連行された当時,妻,両親,妹3人,弟1人の8人で居住しており,農業を営んでいた。

 58は,自宅から定期市へ買物に出かけたとき,100人もの日本軍人により市が包囲され,その中にいた58を含む20人ほどの中国人が身柄を拘束され,そのまま西苑の収容所に連行された。西苑の収容所の状況は前記のとおりであり,58は,ここから塘沽の収容所に連行され,3日間収容された後,船に乗せられて下関に上陸した。

キ 原告59

 原告59(以下「59」という。)は,1925年5月18日生まれで,当時河北省永清県で農業を営んでいた。

 59は,隣村の自由市場に出かけたところ,その村が日本軍に包囲され,村民の中から59を含む若い男性ばかり200人以上が日本軍によって身柄を拘束され,軍用トラック10台ほどに乗せられ,西苑の収容所に連行された。西苑の収容所には600人以上の中国人が日本軍の監視の下に収容されていた。59は,この収容所に1か月ほど収容された後,塘沽の収容所に連行され,船に乗せられて下関に上陸した。

ク 原告60

 原告60(以下「60」という。)は,1926年5月26日(陰暦)生まれで,強制連行された当時17歳で,河北省永清県に,両親,弟,妹の5人で居住していた。一家は農業を営みながら生計を立てていた。

 60は,1943年ころ,八路軍や国民党軍を排除するため60の居住する村が焼き討ちされた際,日本軍に捕らえられ,西苑の収容所に連行され,そこから塘沽の収容所に送られ,船で下関に上陸した。

(2) 事業場への連行

ア 塘沽の収容所に連行された原告らは,そこから大きな貨物船に乗せられて日本に向かった。1隻の船に300名ないし400名の中国人が詰め込まれた。原告らは,船の一番底の船倉に詰め込まれ,そこに座らされたままの状態で輸送された。船中の食事は,糠の団子を1日2食支給されただけであり,日本に到着するまでの間にこれだけの食物で体力を維持することは不可能であった。衛生状態も悪く,原告らの身体中にシラミが沸いていた。こうした衛生状態及び食糧状態の劣悪さから,船中で病気になる者さらには死亡する者が出た。しかし,病人に対しても,何らの処置を施すでもなくそのまま放置された。また死亡者については死体を船上から海の中に放り投げて処理していた。

 なお,事業場報告書によれば,「船舶輸送は長時日を要したる為極度の疲労を来し,在華中の栄養失調及び疾病により死亡者第一回第二回共各一名を出したり。其の他出港直後逃亡を企て海中に飛び入りたる者一名ありたる…」と記載されている。しかし,前記した衛生状態及び食糧状態の劣悪さからすれば,日本に向かう船中で,中国人労働者の肉体は著しく衰弱していったことは確実であり,また,見知らぬ日本への連行による不安と絶望は,一層心身を衰弱させていったのである。

イ 原告らは,出港後6日目ないし7日目に日本の下関港に到着した。塘沽の出港日は,53,57,58,59及び60が1944年4月22日,54,55及び56が同月28日であり,下関に上陸したのは,53が1944年4月28日,54,55及び56が同年5月5日である。

 上陸した後,原告らは,風呂に入れられ,身体中の消毒をするなどの検疫が行われ,その後1人1人尋問を受けた。その後,原告らは,下関から汽車に乗せられ,群馬県の利根川事業場に連行された。事業場に到着したのは,53が1944年4月30日,54,55及び56が同年5月8日である。原告らは,利根川事業場での作業の後,1945年3月1日に同じく被告間組の後閑事業場に移動され労働させられた。

(3) 事業場での仕事の内容

 中国人労働者が強制労働させられた最初の事業場は,群馬県利根郡桃野村月夜野277所在(当時の所在地)の被告間組の事業場である。事業場に到着後,中国人労働者は,大隊,中隊及び班に分けられ,各作業場に配置され,中国人労働者は,班ごとに労働に従事させられた。各中国人労働者には,番号が付けられ,番号で呼ばれていた。53は101番,54は529番,55は522番の胸票番号がつけられていた。

 中国人労働者は,被告間組が請け負った墜道工事,すなわち水力発電所建設のための墜道を作る仕事に従事させられていた。つまり岩を削り,削り取った岩をトロッコで運搬する仕事であった。

(4) 事業場での住環境

 中国人労働者の宿舎は,木造1階建ての小さな小屋で,長屋のような作りになっていた。床は木の板が敷かれその上に紙がかぶせてあった。振り分けられた作業場によって人数が異なっていたため,宿舎として用意された小屋は,2棟である作業場と5棟である作業場とがあり,小屋の大きさも,作業場によって異なっていた。中国人労働者は,その宿舎1棟につき40名ないし80名程収容され,寝具も支給されなかった。宿舎に設備らしい設備は一切なかった。中国人労働者は,小さな小屋に何十人も詰め込まれていたので,横になって寝ることができず,膝を曲げて寝るしかなかった。また小屋そのものの建て付けも非常に劣悪で,屋根は板が1枚渡してあるだけで,雨が降ると雨漏りが激しく,昼間は屋根から日差しが当たり,冬に雪が降ると小屋の中に雪が舞い落ちるという状況であった。中国人労働者は,服の支給も寝具の支給もなかったため,冬は収容者全員で身を寄せ合ってお互いの体温で暖めあいながら寝るという状況であった。宿舎の外には,常時看守がおり,外に巡査が数人常駐し,中国人労働者を監視していた。

(5) 事業場での労働条件

 中国人労働者の労働は,昼夜の2交替制であり,12時間という長時間労働を強制されていた。昼間の作業は,夜が明けない暗いうちから起床させられ,日が暮れて暗くなるまで労働を強いられた。仕事にはノルマが課せられ,それが達成できないと,中国人労働者は,暴力による制裁を加えられ,終わるまで働かされた。中国人労働者は,休憩することも一切許されず,疲労で休憩しようとした者に対しては,同じく暴力による制裁が加えられた。53は,高熱を出し作業を休ませて欲しいと願い出たことがあったが,これに対して,日本人は,暴力を振るい,無理やり作業させるなどの制裁を加えた。こうした日本人による暴力的制裁は,日常茶飯事であった。仕事に従事する際,起床が少しでも遅れると暴力による制裁が加えられ,また,仕事に従事する前に中国人たちを整列させ,その際,特に原因がなくても中国人労働者を殴るなどの暴力が横行していた。作業中においても日本人による暴力は日常的に存在していた。日本人は,トロッコを押しながら作業している中国人労働者に対して,「歩くのが遅い」といっては暴力を振るっていた。中国人労働者は,私語をすれば当然のように殴られたし,日本語を解しないというだけで暴力を振るわれた。53は,日本人から「川から水をくんで風呂を炊け」と命じられた。もちろんこの場合の風呂は日本人が使用するものである。日本語を解しなかった53は,何を命じられているのかわからず,ちゅうちょしていると,それだけで殴るけるの暴力を受けた。

 落盤事故や労働災害も後を絶たなかった。砕いた岩石が足下に落下したり,トロッコが足にぶつかって骨折などの傷害が多数起きた。54も,落盤事故により足に傷害を負い,その際,休憩を申し出たところ拒否され,さらに棒で傷口を殴るなどの暴行を受け,それにより傷口は大きく腫れ上がった。それ以上休憩を懇願すればさらに暴力を加えられると考えた54は,仕方なしに痛む足を引きずりながら作業を続行したのである。

 中国人労働者の中には,極度の栄養失調や酷使,そして暴力による虐待に耐えられず,厳重な監視をかい潜って逃亡を企てる者がいた。しかし,そうした企てはことごとく失敗に終わり,逃亡した者はすぐに日本人の手によって捕らえられた。逃亡を企てて捕らえられた中国人労働者は,手を後ろ手に縛られ,石を背中に背負わせれて山から降ろされ,作業場にいる中国人労働者の前で虐殺された。原告らも,当然のことながらできれば作業場から逃亡したいと考えていたし,実際に仲間と逃亡の企てを話し合ったこともあった。しかし逃亡して捕らえられ虐殺されるという光景を目の当たりにした原告らを含む他の中国人労働者たちは,とても逃げる気持ちにはなれなかったのである。

(6) 事業場における食事

 食事の量は非常に少なく,1日3食あったものの,食事の内容は,コウリャンと糠で作ったマントウを1食につき2個支給されただけであった。1日中肉体労働に従事する中国人労働者にとっては,あまりにも少量であり,飢えをしのぐために,中国人労働者は,外に生えている雑草などを食べながら少量の食事を補充していた。当然,ほとんどの中国人労働者が,栄養失調の状態であり,また支給される食糧の質の劣悪さから,消化不良や下痢で苦しむ者が続出していた。水の支給は一切なく,中国人労働者は,のどの渇きを雨水や作業場に流れてくる水を手ですくって飲むことにより癒していた。中国人労働者の食糧が幾分良くなったのは,日本の敗戦後であった。

(7) 事業場における衣服その他の衛生条件

 中国人労働者がもともと着用していた服は,日本に到着するころには既にぼろぼろになり,着用できる状態ではなかった。事業場に到着してからは,各人に1枚ずつ桑の木の皮で作った「服」が支給された。何も着用するものがなかった中国人労働者は,これを直接地肌に着用するしかなかったが,木の皮で作ったものであるから,身体に皮が刺さり,とても「被服」とは言えないような代物であった。しかも結局,それはせいぜい5か月程度しかもたなかった。布製の服は一切支給されず,夏に褌が1枚支給されただけであった。木の皮で作られた服が着られなくなると,中国人労働者は,事業場に落ちている紙や麻袋を各自が拾い,その紙に穴をあけて首,両手,両足が出せるように自分たちで作り,それを着用していた。

 衛生環境も極めて劣悪であった。中国人労働者は,前記のような労働内容であるから毎日汗まみれになって労働に従事していたが,入浴は一度も許されなかった。中国人労働者は,作業場の中に水が流れているところを探し,そこで顔を洗い,時に身体を洗い,同時に水分を補給していた。飢えによりやせ細った身体にはノミやシラミが沸き,皮膚病に罹患する者が続出した。中国人労働者に対する医療体制は全くなかった。それどころか,けが人や病気の者に対しても療養の時間は全く与えられず,むしろ,日本人は,これらの者に対し,暴力を振るい無理やり作業に従事させていたほどである。

 以上のような劣悪な環境の下での作業であったため,当然のことながら負傷者や災害又は病気よる死者は続出した。事業場報告書によれば,作業に従事中の死者5名,負傷者221名,病死者42名(内6名は輸送途中に死亡)にも上っている。

(8) 後閑事業場への移動

 中国人労働者は,利根川事業場での墜道工事が完成すると,1945年3月1日,利根川事業場に隣接する後閑事業場に転入させられた。後閑事業場における労働内容は,飛行機建設のための地下工場を建設するものであった。この事業場での労働も,宿舎,被服,食糧,衛生環境等利根川事業場での労働について前記したと同様過酷なものであった。

(9) 帰国

 原告らは,後閑事業場で終戦を迎え,昭和20年11月27日,上越線沼田駅から列車に乗せられ,福岡県博多港まで輸送され,そこから船で青島まで輸送された。

(被告企業らの認否)

第1 被告古河機械金属株式会社

 原告らの主張第2,1(原告李倫,同劉忠三,同辛子峰の被害事実)については,認否することができない。

第2 被告鉄建建設株式会社

 原告らの主張第2,2(原告李祥,同李恕,同郭真,同韓英林,同侯振海の被害事実)については,確認することができない。

第3 被告西松建設株式会社

 原告らの主張第2,2(原告李祥,同李恕,同郭真,同韓英林,同侯振海の被害事実)については,同原告らが信濃川工事事業所で就労したことは争わず,昭和20年1月に同事業所が工事中止となり,中国人労働者が他の会社の事業所に移動したこと,原告らが,昭和20年11月下旬又は12月初旬,中国へ帰国したことは認め,被告らの出自,来日の経過,強制連行であったかどうか等は不知。被告西松建設株式会社が強制連行に加担したとする点は否認し,原告らの就労が劣悪な条件による強制労働であったことは不知又は争う。

第4 被告宇部興産株式会社

 原告らの主張第2,3(原告齋四徳の被害事実)については,認否することができないので不知。

第5 被告同和鉱業株式会社

 原告らの主張第2,4(原告陳大成,同張起宗,同呉慶長,同陳得志,同劉福清,同竇恩浩,同王漢廷の被害事実)については,認否することができない。

第6 株式会社日鉄鉱業

 原告らの主張第第2,5(原告李鴻徳,同姚山子,同劉清岑の被害事実)については,認否することができない。

第7 被告飛島建設株式会社

 原告らの主張第2,6(原告婁慶海,同張永旺,同王信忠,同宋元慶の被害事実)については,確認することができない。

第8 被告株式会社ジャパンエナジー

 原告らの主張第2,7(原告畢兆亜,同畢兆倉,同劉玉洪の被害事実)のうち,原告畢超亜,41,劉玉洪なる人物の移入,送還等の日時,同人らを旧日本鉱業株式会社が受け入れたことは争わないが,同社が強制連行に加担し,強制労働,奴隷労働を課したこと,多数の中国人が過酷な労役を強いられ,虐待,暴行及び栄養失調などによってそのうちの多数が死亡したことは否認ないし争う。同人らの拉致,収容の事実は知らない。

第9 被告三菱マテリアル株式会社

 原告らの主張第2,8(原告42,同43,同44,同45,同46,同47,同48,同49の被害事実)については,認否することができない。

10 被告株式会社間組

 原告らの主張第2,2(原告5,同6,同7,同8,同9の被害事実)及び同9(原告53,同54,同55,同56,同57,同58,同59,同60の被害事実)については,確認することが困難であり,認否することができない。

 

(被告企業らの反論)

第1 株式会社ジャパンエナジーを除く被告企業

1 原告らの中国人強制連行についての主張に対する反論

 原告らの中国人強制連行についての主張に関しては,中国側行政機関により合法的に原告らは供出されたはずであり,必ずしも強制連行の事実があったとまではいうことができず,原告らの各事業場への移入については,当時,国策として行われたものであり,被告企業は,中国での連行に加担した事実もなく,まして原告らが主張するように,政府の移入方針の決定が戦時企業利潤を企てた被告企業の突き上げによりなされたという事実もない。事実は,国策により被告企業の行動は制約されていたのである。

2 原告らの強制労働についての主張に対する反論

 移入華人労務者就労の方針としては,すべて日本人及び朝鮮人と同等の取扱いをなすこと,及び華人の民族性を考慮し,その習慣に急激なる変化を来さないことを取扱いの根本としており,華人労務者の使用に当たっては,まず,事業場到着後充分なる休養をとらしめ,また必要なる指導訓練を与え,可及的に供出時の編成を利用し,作業に関する命令は,日系指導員及び華系責任者(把頭又は隊長)を通し,これを発し,直接命令をなさないこととされ,このため,事業場は,現地より,同行する日系指導員を華人労務者の直接責任者として連絡世話に当たらせるなど,また,作業中,万一公傷病死等ありたる場合は必要なる救済手段を講ずるなど,これが就労につき遺憾なきを期すとされている。また,虐待殴打等の行為は厳に禁じられていた。そして同方針については,概ね実行されていたとされており,各被告企業事業場において,原告らが主張する強制労働の実態は存しなかった。

第2 被告株式会社ジャパンエナジー

1 原告らの中国人強制連行についての主張に対する反論

 強制連行という用語は,法律用語ではなく,多様な事実の評価にかかる評価概念であり,このような概念に該当するか否かを論ずることは,評価の当否の論議となってしまうので,事実の認定の場としては,適切さを欠くものである。原告らは,その主張する中国人労働者内地移入政策に基づく募集,供出の方法の実態につき,募集方法のいかん,移入の時期,当時の戦況の変化,試験移入か本格移入かを問わず,各中国人の個別事情のいかんを問わず,一括して違法な拉致等があったとするが,その根拠は明らかではなく,実態も明らかではなく,仮に原告ら主張のような拉致があったとしても,旧日本鉱業はこれに関与していない。

2 原告らの強制労働についての主張に対する反論

 強制労働という用語も,強制連行と同様,端的に事実を指称するものではなく,多様な事実の評価にかかる評価概念であり,このような概念に該当するか否かを論ずることは,評価の当否の論議となってしまうので,事実の認定の場としては,適切さを欠くものである。法的判断の前提としての事実関係,特に個々的な事実関係を確定することは,現時点ではほぼ不可能といわざるを得ない。事実関係を推認するための歴史的資料に依拠して検証される各鉱山における中国人労働者の処遇等の評価に当たっては,当時の労務慣行や戦時非常時における労働統制の実情のほか,当時の衣食住その他の生活環境,社会環境,法制度,社会制度,習俗,習慣等を前提としてされるべきであり,現在のそれらを基礎にしてされるべきものではない。

 


 

法律上の主張

 

第1 条約又は国際慣習法に基づく請求

1 原告の主張

(1) 国際法上の個人の法主体性

ア 国際法上の違法行為と国家責任のあり方

() 条約又は国際慣習法は,国家間の国際法秩序を維持するものであり,各国家に法的な秩序維持のための義務,すなわち,国際法上の義務を生じさせる。国家がこの国際法上の義務に違反した場合には,当該国家は,その義務違反行為による責任を負い,この国家責任は,義務違反行為によって生じた被害が,原状回復,損害賠償,陳謝その他の方法によって回復したと認められるまでは解除されることはない。

 伝統的な国際法理論によれば,国際法上の義務は,原則として国家と国家との間の約束である条約によって,相対する国家がこの約束に基づく義務を負い,権利を取得するにすぎなかった。しかしながら,20世紀に入ってからの国際法の発展は,様々な多国間条約を生み,その結果,多数の国家が共同して一つの目的を持った秩序の形成を目指すようになった。多国間条約においては,条約加盟国が共通した権利義務を有することになり,侵害された権利が条約加盟国の集団的権利の保護としてその条約に規定されている場合には,上記権利の侵害行為は,当該条約の加盟国すべてに対する義務違反を構成することになった。現代における多国間条約の累積や進展は,従来の締約国間の権利義務関係を前提とする法秩序から,より広い範囲における国際法秩序を形成するものに本質的な変化を遂げたといってよい。その結果,国際法秩序を侵害する義務違反行為が国際的犯罪を構成する場合においては,条約加盟国に対してのみならず,広く非加盟国に対しても侵害行為の責任を負う場合も生じてきた。すなわち,加害国は,その違反行為によって生じた被害を回復する義務をあらゆる国家に対して負担するという原則が承認されるに至ったのである。

 第2次世界大戦後の国際人権法の発展は,基本的な国際社会全体に対する義務の観念を進化させ,国際法上の人権の保障は,特定国から特定国に対する義務ではなく,その義務違反については,いずれの国からでもその責任を問うことができるという観念が定着した。そして,国家が国際人権法を遵守する義務は,国際社会全体に対する義務にとどまらず,それぞれの国家を構成する個人に対する義務へも発展しているのである。

 以上のような,国際人権法,国際人道法に関する考え方は,国際法上の義務違反行為による権利侵害に対しては,加害国は,当該国家の行為によって被害を被った被害者個人に対して,原状回復,損害賠償等の国家的義務を直接負担するという論理を認めるものなのである。上記論理の下においては,侵略戦争やその遂行のために行われた国際法上の違法行為で,当該国家の国家責任を発生させる行為の犠牲者である個人は,当該加害国に対して,その被害の回復を求める権利を当然に有するということになる。すなわち,戦争被害という究極の人権侵害の犠牲者である個人は,現代国際社会においては,国際人道法その他関連する国際法の保護の対象として扱われるだけでなく,被害の回復を求める権利を付与されているという意味で,国際法上権利能力を有し,法主体性が認められるのである。

 国家が国際人権法を遵守する義務が,それぞれの国家を構成する個人に対する義務へも発展していることは,経済的,社会的及び文化的権利に関する国際規約,市民的及び政治的権利に関する国際規約(以下「国際人権B規約」という。)及び国際人権B規約の第1選択議定書からも明らかであり,また,基本的人権を侵害された個人が適切な損害賠償を請求するための手段を保障されていることは,世界人権宣言8条,国際人権B規約2条3項から明らかである。

 以上要するに,国際人権法違反の行為により基本的人権を侵害された個人が加害国に対して国際法上の義務違反を追及してその被害の回復を請求する権利を取得することは,条約にこれを認める特段の規定がなくとも,国際法の主要な淵源であるユス・コーゲンス又は「国際法の一般原則」として,当然に認められるのである。

() 被告国の主張に対する反論

a この点につき,被告国は,個人は,具体的に条約によって承認され,国際機関その他の特別の国際制度による救済制度が存在する場合に限り,初めて国際法上の権利主体となり得ると解すべきであると主張するが,狭きに失する。

 特に,第2次世界大戦後には,各種の条約によって,直接個人の権利義務が定められるようになり,個人の生活関係について国際法上の保護と規律が及ぶこととなっている。我が国が遵守義務を負う条約及び国際慣習法が個人の権利の保護を規定し,権利侵害を受けた個人の被害回復のための請求権を認めている場合には,我が国国内裁判所が,その国際法の解釈,適用を通じて,国際法上認められた個人の権利の執行を担保することは当然である。すなわち,個人の「法主体性」いかんは,国際法が個人の実体的な権利義務を認めていることを基本的な判断基準として決すべきであり,権利義務の実現ないし追及は,二次的な段階として,国際的又は国内的救済機関いずれかにゆだねられているとみるのが最も適切である。特に,我が国は,国際法をそのまま国内法として受容し,効力を認める体制をとっているのであるから,裁判所は,個人の国際法上の主体性という講学上の議論にとらわれることなく,国際法の実体規範の解釈,適用を行うべきなのである。

b また,被告国は,原告らが損害賠償請求権の根拠としている条約及び国際慣習法は,いずれも個人の請求権を基礎付けるものではなく,仮に,日本政府にこれらの国際法の規定に違反する行為があったとしても,個人は,所属する国家の外交保護権の行使により,損害の回復を間接的に得ることができるだけであり,そのような権利及び手続を定める特別な規定がない限り,加害国を直接に相手取って損害賠償を請求することなどできないと結論付けている。被告国の立論は,原告らの請求するような戦争被害を原因とする損害賠償請求権は,当該被害者の所属する国家の請求権に吸収され,又は同化され,その権利の行使は,外交保護権によって国家のみが行うことができるということを大前提としているようである。確かに,戦争被害の賠償をめぐる問題は,戦争終了後の平和回復時において,交戦当事国間の平和条約の締結等を通じて処理される例が多かったことは歴史的事実であり,その限りで,国家は,国民に代わり,国民に生じた損害その他の権利侵害の回復を国際的平面で実現してきたというのは必ずしも誤りではない。しかしながら,だからといって国際法に違反して外国人に対する違法行為を行った加害国がある場合に,被害者である個人に固有の損害賠償請求権が発生しないと断言するのは誤りである。戦争という大量に,かつ,広範囲に権利侵害が頻発するような事態に対処する法的救済措置として,およそ個人による加害国に対する請求権の行使が考えられないと結論付けるのは,少なくとも理論的な裏付けを欠いた議論といわざるを得ない。

 すなわち,外国人個人に対する国際違法行為があった場合,国際法の平面における当該個人の損害の回復は,その所属する国家の外交保護権の行使により実現されると説明されるのが一般的な理解であるが,外交保護権の行使は,個人の請求権の存在を論理的な前提とするが,国家が外交保護権を行使する場合も個人の請求権が国家に吸収されるわけではなく,所属国家の行使する請求権と個人の請求権は並存し得るのである。

イ 個人の法主体性を認める交戦法規の特殊性

() さらに,原告らの請求権を基礎付ける主要な根拠規定は,1907年陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約(以下「ハーグ陸戦条約」といい,同条約附属規則を「ハーグ陸戦規則」いう。)3条であるが,ハーグ陸戦条約を典型例とする戦時国際法又は交戦法規と呼ばれる一群の国際法の領域において,個人がどのように扱われてきたかは,国際法一般の議論とは区別する必要がある。上記の国際法の領域においては,伝統的に,戦闘に従事する個人が,交戦法規違反すなわち刑事責任の対象として常に法的主体とされてきたことは,「戦争の法は,常に,軍隊の個人構成員の行為を規制することを主眼としてきた」ことからも明らかであるし,ハーグ陸戦規則自体,個人の行為に対する規則であり,国家は,これを自国の軍隊に適用し,実行するように義務付けられている。そして,交戦法規の個人に対する適用は,各国が自国軍隊に対して発行する軍事マニュアルにも明確に規定されているのである。交戦法規が交戦国のみならず個人に対しても直接適用が可能である国際法の領域に属することは,クルップ事件についてのニュルンベルグのアメリカ軍事裁判所の判決や,ニュルンベルグ国際軍事法廷の判決により明確に確認されている。

 そして,交戦法規の個人に対する直接適用の可能性にかかわる上記の議論は,刑事責任に関するものにとどまるものではない。交戦法規が個人に義務を課しただけではなく,権利を付与したものであることは,交戦法規違反の罪で軍法会議に起訴されたものに与えられる刑事手続上の防御権の存在を想起すれば容易に理解できるのである。

() 交戦法規上,個人が権利義務の享有主体となり得ることが認められてきたという事実は,刑事責任の主体とされてきたというにとどまらない。例えば,捕虜は国際慣習法及びハーグ陸戦条約によって国際法上の権利義務の享有者たることを明確に認められているのであり,交戦法規上,個人が権利義務の享有主体と認められるという原則は,軍人軍属だけでなく,占領地その他における非戦闘員,中立国の国民等の私権尊重にも当然及ぶものであった。

 このような戦時における私権尊重の原則は,古くジャン・ジャック・ルソーの啓蒙思想に理論的根拠を持ち,これが戦時国際法の一般原則として国際慣習法として確立し,ハーグ陸戦条約に受け継がれたのである。同条約が個人を権利義務の主体と考えていることはその条文及びハーグ陸戦規則の各規定(規則46条,47条,52条,53条第2段等)からも明らかである。そして,ほかならぬ我が国自身,第2次世界大戦前に,これら交戦法規の私権尊重原則を厳格に遵守すべきであるという立場を,少なくとも公的には採ってきている。

 戦時における私権尊重の原則について強調されるべきことは,例外として押収や徴発を受ける際には,対価の支払又は領収証の発行と事後の還付,補償が必要であり,その支払等を受けるのは財産の所有者である個人(場合によっては市町村)だということである。

() さらに,戦争被害者個人が加害国に対して損害賠償請求権を有するという原則は,第2次世界大戦後における,数々の国際紛争の処理の中で再確認されてきている。1990年,1991年のイラクのクェート侵攻によるクェート国民の損害に対するイラクの国際法上の責任を認めた国連決議(1991年決議674号,同年決議687号16項)は,その一例である。

(2) 条約の自動執行力に関する被告国の主張に対する反論

 被告国は,条約が直接国内法上の効果を期待し,国民に権利を与え義務を課すことをも目的とする場合には,条約が,その目的を達成するため国家機関に立法義務を課し,又は行政措置を採ることを命じ,これを受けて,立法機関が法律を制定し,また,行政機関が法令に基づきその権限内にある事項について行政措置を採ることになるのが原則であり,例外的にそのような措置がなくても条約がそのままの形で国内法として実施できると判断されるためには,「主観的要件」として,私人の権利義務を定め,直接に条約を国内裁判所で適用可能な内容のものにするという締約国の意思が確認できること,「客観的要件」として,条約が私人の権利義務を明白,確定的,完全かつ詳細に定めており,その内容を具体化する法令に待つまでもなく,国内適用が可能であること等の基準により個々に判断しなければならないと主張する。しかしながら,この主張が失当であることは,以下のとおりである。

ア 国内的補完措置の必要性についての反論

 条約は,我が国憲法上,国家による批准と公布をもって,国内的効力を有し,国内法と同列になるのであるから,その条約が内容上明確に締約国に対して条約の実現のための立法又は行政措置が必要であると明記している場合又は規定の文言上その実施について国内立法又は行政措置を明らかに予定している場合若しくは条約の文言上に現れた締約国の意思から直接適用が否定されていると考えられる場合以外は,原則として他の法令と同様に,裁判所において直接適用が可能であると考えるべきであり,被告国の主張は,国際法の国内的効力を無条件で認める我が国憲法の国際法受容の体制と根本的に矛盾し,また従前の我が国判例の解釈態度とも大きく異なるものである。

 従前の日本政府の見解及び判例の立場は,被告国が主張するように「条約の内容が私人相互間又は私人と国家間に適用可能なものとして裁判所等の国家機関を拘束するためには」立法機関による立法作業又は行政機関による行政措置等の「国内措置による補完が必要」であるとの見解に立っていない。そして,例外的にこのような補完措置が必要とされていない条約の規定を判定する際に,被告国が主張するような「主観的要件」及び「客観的要件」が,直接適用可能性を判定する基準とされないことも,また明らかである。

イ 主観的要件についての反論

 被告国は,条約の直接適用可能性を認める基準として,締約国の意思を要件として主張するが,このような見解は,条約のほとんどが2国間条約であった時代には妥当性を見い出せたかもしれないが,ILO条約やハーグ陸戦条約などの多数国間条約が多くなってきた現代では,条約に加盟当事国の直接適用に関する意思が明示されることはほとんどないし,準備作業を調査しても,そのような当事国の意思が見い出されることはほとんどないのであるから,妥当性を欠く。

ウ 客観的要件の意味内容

 条約が直接適用可能であるためには,当該規定が客観的に明確でなければならないことは当然であるが,この明確性の基準は,憲法以下の国内法の解釈において要求される明確性と同程度以上のものである必要はない。なぜならば,それ以上の措置の必要がなく適用され得るという意味での直接適用可能性の問題は,条約固有の問題ではないからである。

エ したがって,被告国が主張するように条約の自動執行力について主観的要件を求めるのは妥当でなく,また,客観的要件も格別に要件とする必要もない。

(3) ハーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求

 侵略戦争やその遂行のために行われた国際法上の違法行為で,当該国家の国家責任を発生させる行為の犠牲者である個人は,当該加害国に対して,その被害の回復を求める権利を当然に有するとの一般的理解に加え,ハーグ陸戦条約は,それ以外の条約又は国際慣習法と異なり,個人の損害賠償請求権を条約中に明示した条約として,画期的な意義を有する。すなわち,以下に述べるように,ハーグ陸戦条約3条は,ハーグ陸戦規則の条項に違反した交戦当事者は,損害があるときは,その損害を賠償する責めを負うべきものとすると定め,交戦当事国の損害賠償責任を明示し,上記違反行為によって被害を受けた個人に対して,損害賠償請求権を付与していると解されるのである。

 したがって,原告らは,被告国に対し,ハーグ陸戦条約3条に基づき,損害賠償を請求する。

ア ハーグ陸戦条約の法的拘束力

 ハーグ陸戦条約2条は,「第一条ニ掲ゲタル規則及本条約ノ規定ハ,交戦国カ悉ク本条約ノ当事者ナルトキニ限,締約国間ニノミ之ヲ適用スル」と規定しており,この総加入条項によると,第2次世界大戦に参戦した国の中でハーグ陸戦条約未締結国があると,条約を批准した日本国に対しても条約の拘束力が発生しない一般的可能性が生じる。しかし,第2次世界大戦当時,ハーグ陸戦条約の条約としての法的拘束力が発生していないとしても,ハーグ陸戦条約全体が,当時において,国際慣習法の一部として,日本国に対しても法的拘束力を有したことは,ニュルンベルグ国際軍事法廷,極東国際軍事法廷の判決で明確に確認されており,争う余地がない。

イ ハーグ陸戦条約3条の解釈

() 条約解釈の原則

 条約の解釈は,「条約法に関するウィーン条約」(1969年5月23日採択,1980年1月27日効力発生,日本国は1981年7月20日公布〔同年条約16号〕,同年8月1日発効。以下「条約法条約」という。)に示された解釈原則によるべきである。

 条約法条約は,31条ないし33条に条約の解釈に関する条文を置いているが,31条は,条約の解釈に関する一般的な規則として,「条約は,文脈によりかつその趣旨及び目的に照して与えられる用語の通常の意味に従い,誠実に解釈するものとする。」(1項)とし,条約の趣旨・目的に照して実効性の規則の範囲内で目的論的解釈(特に条約の前文又は方針規定に基づくもの)を行なう余地を認めた。この場合,「用語の通常の意味」を確定するには,まず,条約文(前文と附属書を含む。)に加えて,その締結の際の当事国の関係合意とか,当事国の解釈宣言で他の当事国も認めたものなどの「文脈」により行なうことができる(2項)。このように,条約法条約による解釈の一般原則は,条約の個々の規定を切り離して個別に解釈することを禁止するだけではなく,条約全体の事情の中でその意味を確定しようとする趣旨である。

 この一般原則による条約の規定の意味について,あいまい又は不明確であるか,常識に反し不合理な結果がもたらされる場合は,さらに当事国の意思に照らしてこれを確認するため,補足的な解釈手段として,条約の準備作業(travaux preparatoires。提案・交渉議事録を含む。)及び条約締結時の諸事情を援用することが認められる(同条約31条ないし33条)。

 なお,ハーグ陸戦条約は,条約法条約発効前の条約であるが,条約法条約で認められた解釈原則は,国際判例等により従来から認められ,国際慣習法として成立していた原則を確認し,明確化したものであるから,これをハーグ陸戦条約の解釈に適用することに問題はなく,この点は我が国判例上も問題なく認められている。

() 一般的解釈方法によるハーグ陸戦条約3条の解釈

 そこでまず,一般的解釈方法によりハーグ陸戦条約3条の意味を解釈すると,同条には,ハーグ陸戦規則違反によって被害を受けた個人に損害賠償請求権が帰属せずに,その個人の帰属する国家の権利となるいう解釈を示唆する文言は一切存在しない。すなわち,ここで解釈の対象となるのは,日本語の訳文ではなくフランス語正文であり,日本語訳文において「賠償」と訳されている「indemnite」という単語自体には,国家間の賠償を意味するという限定的な用法は存在しない。また,英語訳文において「indemnite」は「compensation」と訳されているが,「compensation」の通常の意味は,国家間の賠償を意味するのではなく,主として個人間の不法行為又は契約違反等によって生じた損害の金銭賠償及び補償を意味するとされているのである。

 そして,ハーグ陸戦条約の前文は,同条約によって確認された戦争に関する法規慣例は「交戦者相互間ノ関係及人民トノ関係ニ於テ,交戦者ノ行動ノ一般ノ準縄タルヘキモノトスル」と定めており,ハーグ陸戦条約の目的が,条約の附属規則であるハーグ陸戦規則の規制対象を,交戦当事国同士の関係にとどまらず,戦闘に巻き込まれる人民との関係にも広げることにあるのは明らかである。この前文を受けて,ハーグ陸戦規則中には,43条,46条,52条3項,53条2項等,占領地における一般の住民と交戦当事者(国家)との関係を定めた規定があり,一般住民が,これらの条項により,個人として私権の尊重を受ける法的地位,徴発,課役に対する対価の請求権,押収された私有財産に対する還付請求権又は損害賠償請求権を認められることが明らかにされている。

 ハーグ陸戦条約3条の法的効果は,ハーグ陸戦規則違反の行為があった場合に,違反行為者が所属する交戦当事国に無過失の損害賠償責任を認めた点にある。同条約3条の規定には,個人が取得する損害賠償請求権の行使の方法,手続に関しては何の言及もないが,このことは,損害賠償請求を行う主体が被害者個人ではなく,その帰属する国家であることの理由付けにはならない。なぜならば,同条約3条には,同様に,国家が損害賠償請求権を行使する時期(例えば,平和条約締結時等),方法についても何の言及もないからである。要するに,ハーグ陸戦条約3条自体の文言は,ハーグ陸戦規則違反の行為により個人に損害の発生があった場合には,加害当事国が無過失で賠償責任を負担するということ以上には何も述べていない。

 以上を前提として,条約法条約31条の定める条約解釈の一般原則により,ハーグ陸戦条約の前文やこれと不可分の関係にある附属書の規定内容も踏まえて,同条約の趣旨・目的に照して実効性の規則の範囲内で目的論的解釈を行ない,同条約3条が規定する「用語の通常の意味」を解釈すると,同条が,ハーグ陸戦規則の規定に違反した交戦当事者の属する国家に,無過失で,被害の回復のための損害賠償義務を認めた趣旨の規定であるとするのが,条約文言の通常の解釈となる。そして,この条文が,損害賠償請求権の帰属主体は個人ではなく,その帰属する国家であると明示的に述べていない以上,同条は,被害者個人と賠償義務を負う加害当事国との法的関係を創設したと解するほかないのである。

 もっとも,国際法によって個人に損害賠償請求権が認められるということと,その個人が国家責任の解除を求める国際請求を提出し得る資格を認められるという問題は別の問題である。確かに,個人の損害賠償請求権が認められるといっても,現実的な権利実行の方法が条約中に明示されておらず,権利実行を担当する国際司法機関が特定されていない以上,権利の実行は,終戦時の平和条約締結の際に他の損害と一括して解決されるか,又は被害者の帰属する国家の外交保護権の行使による個別的な請求によって実現されるしかない場合がほとんどであろう。しかしながら,このことは個人に与えられた損害賠償請求権の法的性質が否定されたり,変質させられたりすることを意味するものではない。

 そして,本件では,原告らは,後述するように,ハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則が直接的適用力を有すると主張しているのであるから,個人が国際請求を提出できる資格を付与されているか否かの点は全く問題にならず,同条約3条が個人の損害賠償請求権の根拠規定となり得るということが明確になれば必要にして十分である。

 () 補足的解釈方法によるハーグ陸戦条約3条の解釈

a ハーグ陸戦条約3条の目的

 ハーグ陸戦条約3条は,次のような2つの目的を含んでいる。すなわち,第1の目的は,交戦当事国の軍隊の構成員が犯したすべての陸戦規則違反の行為に対する当該交戦当事国の責任を明確にすることであり,第2の目的は,当該交戦当事国は,上記違反行為により損害を被った個人に対して賠償金支払義務を負うとしたことである。第1の目的は,同条約3条の第1文に表明されているが,この賠償原則自体は,同条約3条の規定によって創設されたものではなく,1907年当時に存在した国際慣習法の宣言であった。また,第2の目的も,国際法の新たな要素の導入と解釈すべきではなく,国内段階で適用されるのと同一の基礎において国際段階でも適用され得る既存の法の一般原則として責任原則を認知したにすぎない。したがって,ハーグ陸戦条約3条導入の唯一の新規性は,条約の文中にそれらの原則が明記されたことであった。

b ハーグ陸戦条約3条の起草過程の議論

 ハーグ陸戦条約は,1899年陸戦ノ法規慣例ニ関する条約(以下「旧ハーグ陸戦条約」という。)及びその附属規則(以下「旧ハーグ陸戦規則」という。)の修正という形で1907年の第2回ハーグ平和会議において採択された条約である。このうち,ハーグ陸戦条約3条については,旧ハーグ陸戦規則の一部修正という形で論じられた損害賠償請求条項の加入の問題が,より一般的な条項を創設するという提案により,附属規則から条約本文への新条文の追加挿入という形で決着をしたものである。新たな損害賠償条項の挿入に関して,会議に参加した条約締結当事国の代表団の主な関心事は,軍隊との接触によって占領国等の非戦闘員である個人が被る損失に対する交戦当事国による賠償責任であった。すなわち,旧ハーグ陸戦規則に修正を施すことに関しては,平和会議の第2委員会第1小委員会で議論がなされたが,上記会議において,まずロシア代表が旧ハーグ陸戦規則52条の改正を要求したのに対し,ドイツ代表団から陸戦規則違反に関するより広範な2つの条文を追加することが提案された。ドイツ代表団の提案に関しては,陸戦規則違反の行為によって損害を被った個人に対し,加害国が無過失の損害賠償責任を負うべきであるとする点には異論がなく,これが,中立国市民と交戦国市民との間で条文を分けていた点についてのみ議論がされただけであったのである。

c 被占領地域住民の賠償請求権と実行のための手続

 さらに,起草過程の議論を検討すると,ハーグ陸戦条約3条が,使用者責任や無過失責任といった私法原理を,戦争法規違反の行為にも当然にあてはめようとした起草者の意思のもとに創られたものであり,また,占領地域の住民を含む私人の賠償請求権を条約本文中に明示したものであることは明らかである。すなわち,ハーグ陸戦条約3条は,当初から国家と国家との間の関係を規律する国家責任 (その者の行為に対して国家が責任を負うべき機関又は個人が犯した国際法の規則に反する違法行為により,ある国家が他の国家に対して負うべき責任という意味での国家責任)を念頭に置くものではなく,同条約の起草者は,個人が被った損害又は被害のみを念頭に置いていたと考えられる。もっともそのことは,ハーグ陸戦条約3条の第2文が,同時に上記のような意味での国家責任をカバーするほどに広範であることを否定するものではない。国家責任に関する一般国際法の理論の下で国家間の請求権を発生させる国際不法行為は,同時に,個人の法的利益の侵害をも構成し得るからである。

 ハーグ陸戦条約3条は,権利行使の手続について何ら言及しておらず,平和会議の起草過程の議論においても議論はされていない。しかし,被害が,占領地域において,占領権力が容認し,又は奨励するような軍の一般的行動様式の結果であるような場合には,被害者個人にある種の司法的手続が保障されていなければ賠償請求権を実行することはできない。この場合の司法手続を担当する裁判所には,こうした目的のために占領権力が設置する特別裁判所や被占領国の国内裁判所が考えられるが,加害国の国内裁判所であることもあり得るのである。

ウ ハーグ陸戦条約3条の直接適用可能性

 そこで,加害国である我が国国内裁判所におけるハーグ陸戦条約3条の直接適用可能性について検討をすすめる。

 条約の国内裁判所における直接適用可能性に関する考え方は,既に(2)において詳述したところであるが,ハーグ陸戦条約3条の立法目的は,起草過程から明らかなように,戦争法規違反の行為による被害者個人に奉仕するものであり,したがって,それら個人は,技術的障害にあわずにその請求を認知する国内裁判所による国内裁判手続に訴えることができるとするのが起草者の意思であったことは,制定経過から疑いがない。また,ハーグ陸戦規則は,ハーグ陸戦条約1条で明示的に定められているように,締約国の軍隊への訓令とされなければならず,したがって,同規則については,国内法的に一定の立法活動が要求される。しかしながら,ハーグ陸戦条約3条の規定は,ハーグ陸戦規則中にではなく,条約本文中にあり,軍隊の行為に対する国家責任という本質的な観念を規定したものであることからすれば,同条の効力が締約国政府の立法活動に同様に依存していると解釈することは不可能である。したがって,同条約3条は,その起草過程及び条約の体系的解釈からしても,その本来の性質から自動執行力を有しており,国内裁判所において直接適用可能なものということができる。

エ ジュネーブ諸条約追加第1議定書91条によるハーグ陸戦条約3条の再確認とその解釈

 第2次世界大戦後,ジュネーブにおける「戦争犠牲者保護のための国際条約作成のための外交会議」で採択された4つの条約は,ハーグ陸戦条約が確認した戦時国際法に関する国際慣習法による保護の範囲を質的,量的にさらに拡大するものであった。このジュネーブ諸条約をさらに補充し,現代社会に生起する様々な国際・非国際軍事紛争に対応させようとして作られたのが,ジュネーブ諸条約追加第1,第2議定書である。1977年に採択されたジュネーブ諸条約追加第1議定書91条は,ハーグ陸戦条約3条を文字通りそのまま踏襲するものであり,交戦規則違反の行為に関して,交戦当事国が賠償責任を負うとする一般原則は,この追加議定書の条項でも改めて確認された。

 追加第1議定書91条の趣旨について,赤十字国際委員会が発行する「1949年8月12日ジュネーブ諸条約の1977年6月8日追加議定書に関する解説」は,「91条は,文字どおり,陸戦の法規慣例に関するハーグ陸戦条約3条を再確認したものであり,いかなる意味でも同条を廃止する趣旨を含まない。そして,このことは,同条が慣習国際法であり続けることを意味する。」と明確に述べ,平和回復時の国家間の終戦処理との関係では,「当事国は,原則として,戦争によって生じた損害一般に関する問題と,戦争を開始した者の責任に関する問題を,平和条約の締結時に,当事国の意思によって決めることができる。他方,当事国は,戦争犯罪人を起訴することを控えたり,諸条約及び追加議定書に定められた規則違反の行為の犠牲者が請求できる損害賠償 (compensation to which the victims of the rules of the Convention and the Protocol are entitled)を否定することはできない。」(同解説1055頁パラグラフ3651)と述べる。上記解説が,追加第1議定書91条によって保障される権利,したがって,ハーグ陸戦条約3条によって明示された個人の賠償請求権が交戦当事国の権利ではなく,被害者個人の権利であることを当然の前提としていることは,同解説が,「損害賠償を請求できるものは,通常は,紛争当事国(当事者)若しくはその国民である。しかし,中立性の原則に対する違反若しくは紛争当事国の領土にいる中立国の国民に関して違法な行為がなされたような場合は,例外的な場合には,中立国もこれに当てはまるであろう。」(同解説1056頁パラグラフ3656),「例外的な場合を除いて,ある紛争当事国の不法な行為によって権利を侵害された外国人は,自身の政府に対して申入れを行うべきであり,その政府はその請求を違反を犯した紛争当事国に提出することになるだろう。しかしながら,1945年以降は,個人によりその権利を行使することを認知するという傾向が出現した。」(同解説1056頁パラグラフ3657)と述べていることから明らかである。

オ 本件への適用

 被告国の政策決定の下に原告らを含む中国人に対して行われた強制連行・強制労働は,ハーグ陸戦規則の条項に違反するものであることは明らかであるから,原告らは,被告国に対し,ハーグ陸戦条約3条に基づき被害者個人に付与された加害国に対する損害賠償請求権に基づき,本訴請求を行うものである。

(4) その他の条約又は国際慣習法に基づく損害賠償請求

ア 強制労働に関するILO第29号条約違反による損害賠償請求  

 () 強制労働に関するILO第29号条約の直接適用可能性

 強制労働に関するILO第29号条約(以下「強制労働条約」という。)1条1項は,締約国に対して「能フ限リ最短キ期間内ニ一切ノ形式ニ於ケル強制労働ノ使用ヲ廃止スルコト」を義務付けており,この規定が直接適用性を有しないことは,規定の文言上からも明らかである。しかしながら,労働従事者の限定(11条),労働期間(12条)と労働時間の限定(13条),相当な報酬の保障(14条),労働災害への補償(15条),健康の保持(16条)などの条文は,すべて一切の強制労働が廃止されるまでの間においても禁止される行為であり,強制労働概念(第2条1項),労働者の性別・年齢,労働時間,労働期間(13条),報酬(14条),生活保障(15条),処罰(25条)等について詳細に定めるこれらの規定は,裁判の根拠として通常援用される国内法令以上に内容が明確であり,裁判所が,文言の通常の意味に従ってこれらの規定の意味内容を見極め,違反の有無を判断することに特段の困難はない。したがって,条約が絶対的に禁止する強制労働については直接適用性(裁判規範性)を有すると解すべきである。

() 強制労働条約違反による個人の損害賠償請求権の成立

 国際違法行為により被害を受けた被害者が,加害国に対し,その被害の回復を請求する権利を取得することは,条約にこれを認める特段の規定がなくとも,国際法の主要な淵源であるユス・コーゲンス又は「国際法の一般原則」として,当然に認められることは,既に(1)において詳述したところである。

 とりわけ,強制労働条約を含むILO条約は,国際人権条約と同様,締約国間における権利義務関係を発生させるだけでなく,締約国の国民を含む個人の労働条件その他の権利義務の基準を規定するものであり,その救済の手段については,当該個人が属する国家と加害国との間での外交的保護による間接的な救済に限られるという論理が適用されない場合がほとんどである。その意味で「古典的なモデル」の条約とは異なるタイプの国際法であり,締約国は,他の締約国に対してだけでなく,管轄下にある個人に対しても条約を遵守する義務を負い,個人は,締約国との関係において人権を保護される権利を国際的平面において与えられているのである。

 そこで,締約国が条約に違反し,条約によって保護されている個人の権利を侵害した場合の法的効果が問題になるが,国家による国際違法行為の法的効果が,そのまま国家対個人にも当てはまるというべきである。人権条約が,上記のように,締約国とその管轄下にある個人との関係で権利義務を発生させるものである以上,条約違反の国際違法行為に伴う締約国の国家責任は,すべての締約国に対してのみならず,被害者個人との関係においても発生しているとみなされるのである。

 強制労働条約は,被害者個人が国際的平面において加害国の国家責任の解除を求め,国際請求を行う制度を条約中には設けていないのであるが,我が国においては,強制労働条約は憲法98条2項を介して当然に国内法となっている。ここで国内法としての効力を有するのは,強制労働条約の実体規定だけではなく,その違反に伴って形成される上記の国家責任解除に関する新たな権利義務関係も当然に国内法化しているというべきである。すなわち,我が国が強制労働条約に違反した場合,その違反により生じる国家責任は,国際的平面において被害者との関係でも発生しているが,その法律関係は国際法について一般的受容体制を採る我が国では,そのまま国内法化しているといえるのである。

() 本件への適用

 被告国の政策決定の下に原告らを含む中国人に対して行われた強制連行・強制労働は,強制労働条約の各条項に違反することが明らかである。そして,被告国の同条約違反により損害を被った原告らが,国家責任解除の方法として,その損害の回復を求める権利を取得することは上記のとおりである。したがって,原告らは,被告国に対し,被告国の強制労働条約違反により生ずる国家責任解除の方法として,上記違反行為から生じた損害の賠償を請求するものである。

イ 奴隷条約及び国際慣習法としての奴隷制の禁止違反による損害賠償請求

() 奴隷条約

 奴隷条約(1926年9月25日採択,1927年3月9日発効)は,第1条において,「奴隷制度とは,その者に対して所有権に伴う一部又は全部の権能が行使される個人の地位または状態をいう。」と定義し,奴隷労働を奴隷制度と奴隷取引の禁止の観点から規制した。注目すべきは,同条約が前文において,特に「強制労働が奴隷労働に類似する状態に発展することを防止する必要がある」ことを条約締結に際して考慮されるべき理由として挙げている点である。これを受けて,同条約5条1項は,「締約国は,強制労働の利用が重大な結果をもたらすことがあることを認め,(中略)強制労働が奴隷制度に類似する状態に発展することを防止するためにすべての必要な措置をとることを約束する。」として,強制労働が奴隷条約の禁止する奴隷制と同様に禁止されるべきものであることを明らかにし,更に同条2項(2)は,強制労働が限定的に許される場合においても,その労働は,「必ず例外的性質のものでなければならず,常に十分な報酬を受けるものとし,並びに労働に服するものを通常の居住地から移動させるものであってはならない。」としている。

() 国際慣習法としての奴隷制の禁止

 被告国は,奴隷条約を締結,批准していないが,奴隷制度及びこれに類似する強制労働の禁止は,本件当時,既に国際慣習法として確立していた。1948年12月に国際連合(以下「国連」という。)総会で決議された世界人権宣言は,第4条において,「何人も,奴隷にされ,又は苦役に服することはない。奴隷制度及び奴隷売買は,いかなる形においても禁止する。」と規定し,奴隷制禁止に関する国際慣習法を確認した。また,国連は,「1926年9月25日に署名された奴隷条約を改正する議定書(奴隷条約改定議定書)」(1953年10月23日採択,同年12月7日発効)及び「奴隷制度,奴隷取引並びに奴隷制類似の制度及び慣行の廃止に関する補足条約(奴隷廃止補足条約)」(1956年9月7日採択,1957年4月30日発効)で,重ねて奴隷制及びこれに類似する強制労働の廃止の原則を確認し,補充した。

() 本件への適用

 被告国の政策決定の下に原告らを含む中国人に対して行われた強制連行・強制労働は,国際慣習法によって禁止される奴隷制又はこれに類似する制度にほかならない。そして,被告国の上記国際慣習法違反により損害を被った原告らが,国家責任解除の方法として,その損害の回復を求める権利を取得することは(1)に述べたとおりである。したがって,原告らは,被告国に対し,被告国の上記国際慣習法違反より生ずる国家責任解除の方法として,上記違反行為から生じた損害の賠償を請求するものである。

ウ 人道に対する罪を犯したことによる損害賠償請求

() 人道に対する罪

 第2次世界大戦中の日本軍の戦争犯罪のうち,特に平和と人道に対する罪を犯した重大な戦争犯罪人に対しては,極東国際軍事裁判所が設置され,我が国の主要な戦争犯罪人が裁かれた。極東国際軍事裁判所では,ニュルンベルグ国際軍事法廷と同様に,それまで国際法上認められていた通常の戦争犯罪のほかに,新たに「平和に対する罪」(侵略戦争の計画,準備,開始,実行のための共同計画・共同謀議への参加)と「人道に対する罪」(大量殺りく,奴隷虐待酷使等の非人道的行為,政治・人種等の理由による迫害行為)が訴追の対象とされた。

 連合軍最高司令官マッカーサーの指令により布告された「極東国際軍事裁判所条例」(1946年1月19日公布)は,人道に対する罪を「戦前又は戦時中に為されたる殺戮,殲滅,奴隷的虐使,追放その他の非人道的行為,若は政治的又は人種的理由に基く迫害行為であって犯行地の国内法違反たると否とを問わず本裁判所の管轄に属する犯罪の遂行として又は之に關聯して為されたるもの(第5条1項 ())」と定義し,このいずれかを「犯さんとする共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に参加せる指導者,組織者,教唆者及び共犯者は,斯かる計画の遂行上為されたる一切の行為に付,其の何人に依りて為されたるとを問わず責任を有す(同条3項)」としている。

 ニュルンベルグ国際軍事裁判所条例において認められた「人道に対する罪」に対する処罰を含む国際法の諸原則は,第1回国連総会において,全会一致で確認されている(決議3〔T〕95〔1〕)。さらに,昭和26年に我が国が48か国と締結した日本国との平和条約(サンフランシスコ講和条約)において,被告国は,極東軍事裁判所における裁判を受諾し(同条約11条),日本政府として,上記裁判の正当性を承認した。

() 人道に対する罪と国家責任

 「人道に対する罪」は,戦争犯罪のうち特に残虐行為に加担した個人の犯罪構成要件を規定したものではあるが,その個人が刑事罰に処されるほどの違法行為をしたことは,とりもなおさずその違法行為から生じた結果について,当事者の国家もその責任を免れないことを意味する。ニュルンベルグ国際軍事法廷判決は,「ハーグ条約はどこにもかかる実行(ハーグ陸戦条約及び同規則によって禁止される行為の実行)を犯罪であると述べておらず,いかなる文も規定されず,犯罪者を裁判しかつ処罰する裁判所についても言及していない。しかしながら,過去多年にわたり,多くの裁判所はこの条約の定めた陸戦規則に違反した罪ある個人を裁判しかつ処罰してきた。」と述べて,国際慣習法上戦争犯罪として確立されてきたハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則違反の行為については,民事上は,加害国が損害賠償責任を負うだけでなく,当該加害行為は刑事訴追の対象となることを明らかにした。そして,ハーグ陸戦条約違反の行為が,交戦当事国の損害賠償責任を発生させるだけでなく,その実行者が戦争犯罪人として処罰の対象となるという理は,当然ながら,より重大な戦争犯罪である人道に対する罪にも当てはまることはいうまでもない。

 人道に対する罪は,個人の刑事責任を問うものであるから,その戦争犯罪者の当事国の国家としての賠償責任を基礎付けるものではないなどという議論は,一般の戦争犯罪のほかに特に平和及び人道に対する罪が訴追された歴史的経緯とその罪の本質及び犯罪がもたらした甚大かつ未曾有の惨禍に目をつぶる者の悪しき形式論にすぎない。

() 本件への適用

 被告国の原告らを含む中国人に対して行われた強制連行・強制労働は,極東軍事裁判所の判決によって違法な侵略戦争であると明確に認定された戦争遂行のために企画,立案,実行された政策の下に行われたものであり,極東軍事裁判所の「管轄の属する犯罪の遂行として又は之に關聯して為されたるもの」であることはいうまでもない。そして,その実体は,被占領下にある交戦国の一般住民に対する「奴隷的虐使」又はそれに匹敵する「非人道的行為」を行うための政策であり,その犯罪を「犯さんとする共通の計画又は共同謀議の立案又は実行に参加せる指導者,組織者,教唆者及び共犯者」は,人道に対する罪を犯したものといえるのは明らかである。そして,被告国が犯した人道に対する罪により損害を被った原告らが,国家責任解除の方法として,その損害の回復を求める権利を取得することは(1)に述べたとおりである。したがって,原告らは,被告国に対し,被告国が犯した人道に対する罪により生ずる国家責任解除の方法として,これにより生じた損害の賠償を請求するものである。

2 被告国の主張

(1) 個人の法主体性

ア 国際法の本質

 原告らは,条約又は国際慣習法を根拠に,原告ら個人が直接被告国に対して,我が国の国内裁判所において損害賠償を求めている。

 しかし,国際法は,国家と国家との関係を規律する法であり,条約であれ国際慣習法であれ,第一次的には,国家間の権利義務を定めるものである。国際法が個人の生活関係ないし権利義務関係を規律の対象としたとしても,それは,国家が他の国家に対し,そのような権利を個人に認めること,あるいは,そのような義務を個人に課すことを約すものであって,そこに規定されているのは,直接的には,国家と他の国家との国際法上の権利義務である。したがって,国際法が,個人の生活関係・権利義務を対象とする規定を置いたということから直ちに,個人に国際法上の権利義務が認められたとし,また,これによって個人が直接国際法上何らかの請求の主体となることが認められるものではない(東京地裁昭和38年12月7日判決・判例時報355号17頁,東京地裁平成元年4月18日判決・判例時報1329号36頁,その控訴審である東京高裁平成5年3月5日判決・判例時報1466号40頁,その上告審である最高裁平成9年3月13日第一小法廷判決・訟務月報44巻1号60頁,東京地裁平成10年10月9日判決・訟務月報45巻9号1597頁,その控訴審である東京高裁平成12年12月6日判決,東京地裁平成10年11月26日判決・訟務月報46巻2号731頁,東京地裁平成10年11月30日判決・訟務月報46巻2号774頁,東京地裁平成13年5月30日判決,高野雄一・全訂新版国際法概論上40頁,田畑茂二郎・国際法新講上67頁,小田滋・石本泰雄・寺沢一・現代国際法152頁)。

 国際法が原則として国家間の権利義務を規律するものである以上,ある国家が国際法違反行為により国家責任を負うべき場合,その国家に対し,国際責任を追及できる主体が国家であることは当然である。このことは,相手国から直接被害を受けたのが個人であったとしても,同様である(その個人が相手国国内法に基づいて何らかの請求ができるかは別問題である。)。この場合に,加害国に国際責任を問い得るのは,被害者個人やその遺族ではなく,被害を受けた個人の属する国家であり,当該国家が外交保護権を行使することによって,被害者等の救済が図られるのである(小田ほか・前掲書67頁,田畑・前掲書下51頁,藤田久一・国際法講義U216頁,高野雄一・全訂新版国際法概論下125頁,山本草二・国際法(新版)168頁,筒井若水「国際法に基づく個人の保護」法曹時報45巻4号1053頁,ヴィルヘルム・カール・ゲック=中村洸訳「今日の世界における外交的保護」法学研究(慶應義塾大学法学研究会)59巻1号30頁,中谷和宏・平成11年度重要判例解説288ないし289頁)。

 ところで,今世紀に入って,国際法違反行為により権利を侵害された個人が直接国際法上の手続によってその救済を図り得るような制度,すなわち国際裁判所に個人の出訴権を認めることなどを内容とする条約が締結された例がある。このような場合においては,個人が国家に対して特定の行為を行うことを国際法上の手続により要求できる地位を条約自身が与えているとみることができる。そうすると,本件のように国際法を根拠として個人が加害国に対して加害国の裁判所において損害賠償請求権等を行使することができるというためには,当該国際法規に,その旨の特別の制度が存在することが不可欠である。

 以上ように,国際法の法主体は,原則として国家であるから,個人にそのような国際法上の権利が認められるためには,特にその旨を条約において明確に定めることが必要であり,かつ,個人が自らその権利を行使するための国際法上の実現手続を保持し,当事者としての適格(請求の主体としての資格)が特別に認められているか否かがその重要な判断要素となる。言い換えれば,個人が国際法の単なる受益者にとどまらず,法主体としての権利能力を取得するには,国家に対し特定の行為を行うよう国際法上の手続により要求できる権能を与えられていることが必要である(山本・前掲書164頁以下参照)。以上の見解は,国際法の通説であり,我が国の裁判例においても同様の見解が採用されている。

 原告らが主張するような「個人に権利義務を付与している国際法規の実体面とその実現を規定する手続面を切り離して,前者の面は国際法が直接個人に命令し,後者の面はこれを各国の国内法に委ねていると見て,法主体の定義には後者の面までも含む必要はない。」との見解に好意的な評価をする論者でさえ,その結論については疑問を呈している。すなわち,例えば,栗林忠男教授は,「さまざまな問題の法的規制において,国際法と国内法がますます緊密な相互補完関係を深めている傾向に照らせば,この見方には容認できるものがある。」としながらも,「それではいかなる場合に個人の国際法主体性が認められるかといえば,国際法が『直接に』個人について権利義務を規定していればそれで十分であるとするのでは漠然とした基準であり厳密性を欠いており,結局,国際法が個人に関して規定する部分はほとんどすべて個人の国際法主体性を認めるという結論になりかねない。そのような見方が現段階で国際法構造を適切に把握するうえで有効な方法たり得るかどうかが問題である。」としているのである(栗林忠男・現代国際法144頁)。

イ 個人に法主体性を認める国際慣習法の不成立

 国際慣習法とは,「法として認められた一般慣行の証拠としての国際慣習」(1945年国際司法裁判所規程38条)をいうとされ,これが成立するためには,@ 諸国家の行為の積重ねを通じて一定の国際的慣行が成立していること(一般慣行)及びA  それを法的な義務として確信する諸国家の信念(法的確信)が存在することが必要である(山本・前掲書53ないし57頁,前掲東京地裁平成元年4月18日判決,同東京高裁平成5年3月5日判決,東京地裁平成7年7月27日判決・判例時報1563号121頁,その控訴審判決である東京高裁平成8年8月7日判決・訟務月報43巻7号1610頁,前掲東京地裁平成10年10月9日判決,同東京高裁平成12年12月6日判決,同東京地裁平成10年11月26日判決,同東京地裁平成10年11月30日判決)。

 そして,個人が,加害国に対し,その行為が国際慣習法をも含む国際法に違反することを理由に,直接損害賠償を求め得るかに関しては,個人に係る請求であってもこれを国際的に提起する資格を持つのは国家であるとの原則は,今日国際慣習法においても維持されているところであり(山本・前掲書168頁),裁判例においても,個人の国際法主体性を認めた国際慣習法の成立は否定されている(前掲東京地裁平成7年7月27日判決,同東京高裁平成8年8月7日判決,同東京地裁平成10年10月9日判決,同東京高裁平成12年12月6日判決,同東京地裁平成10年11月26日判決,同東京地裁平成10年11月30日判決)。

(2) 条約の自動執行力

 仮に条約が国内法としての効力を持つに至っても,「個々の国民が国際法を直接の法的根拠として当然に具体的な権利ないし法的地位を主張したり,あるいは国内の司法裁判所が,国家と国民あるいは国民相互間の法的紛争を解決するに当たり,右国際法を直接適用して結論を導くことが可能であるかどうかという国際法の国内適用可能性の有無の問題は,別途検討する必要がある」(東京高裁平成5年3月5日判決・判例時報1466号53頁)

 条約は,国際法の一形式であるが,これを締結するのは国家であって国家間の権利義務関係を定立することを主眼とするため,条約が直接国内法上の効果を期待し,国民に権利を与え義務を課すことをも目的とする場合には,原則として,立法機関が法律を制定し,また,行政機関が法令に基づきその権限内にある事項について行政措置を採ることになる。

 例外的に条約の規定がそのままの形で国内法として直接適用可能である場合があり得るとしても,いかなる規定がこれに該当するかは,当該条約の個々の規定の目的,内容及び文言並びに関連する諸法規の内容を勘案しながら,具体的場合に応じて判断されなければならない。上記判断に当たっては,第1に「主観的要件」として私人の権利義務を定め,直接に国内裁判所で適用可能な内容のものにするという締結国の意思が確認できること,第2に「客観的要件」として私人の権利義務が明白,確定的,完全かつ詳細に定められていて,その内容を具体化する法令を待つまでもなく,国内での直接適用が可能であることなどが挙げられる。これらの要件を考慮して条約の自動的執行力の有無を認定することとなる(山本前掲書105頁以下参照)。したがって,そうした検討を経ることなく,条約一般が直ちに国内において直接適用可能であると解することは正しい法解釈とはいえない。

 とりわけ,国家に一定の作為義務を課したり,国費の支出を伴うような場合には,事柄の性質上,権利の発生等に関する実体的要件,権利の行使等に関する手続的要件等が明確であることが強く要請される(前掲東京高裁平成5年3月5日判決・判例時報1466号53頁)

 本件においては,原告らは,個人の加害国に対する損害賠償ないし謝罪広告を請求しているのであるから,上記各請求権を根拠付ける条約条項を指摘する必要があるところ,後述するように,原告らが主張するハーグ陸戦条約3条等は,いずれも個人の国家に対する損害賠償請求権を規定するものではないから,原告らは,上記各請求権を根拠付ける条約条項を何ら指摘しないことに帰する。そうである以上,前記「主観的要件」及び「客観的要件」を具備しているとの主張もないといわざるを得ず,主張自体失当である。

(3) ハーグ陸戦条約3条に基づく損害賠償請求

 ハーグ陸戦条約の趣旨・目的,起草過程を考慮しても,同条約3条が個人の損害賠償請求権を認めたものと解することはできない。

ア ハーグ陸戦条約の趣旨及び目的

() 原告らは,ハーグ陸戦規則は,交戦当事国同士の関係にとどまらず,戦闘に巻き込まれる占領地の一般住民を保護するために遵守すべき規則を定めていることを根拠に,ハーグ陸戦条約3条が個人の損害賠償請求権を認めたものであると主張するもののようである。

 しかし,ハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則が,個人を保護の対象としているとしても,そのことをもって,同条約3条が,個人に損害賠償請求権を認めたものであると解することはできない。すなわち,同条約1条は「締約国ハ,其ノ陸軍軍隊ニ対シ,本条約ニ附属スル陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ニ適合スル訓令ヲ発スヘシ」と規定し,ハーグ陸戦規則の適用は,締約国において各国の陸軍に訓令を発する義務を課することによって実現する方式を採用しているが,これは,国家間に相互に義務を課し,国家間の権利義務を定めることによって条約の実現を図ろうとする国際法の基本原則に沿うものであって,他の分野の国際法と異なるところはない。学説でも,他の分野と同様に,人道法(戦争法規を含む。)の実施措置については,基本的にはそれぞれの国家にゆだねられているとされている(藤田久一「新版・国際人道法」181)

 個人の救済という観点でも,国際法上,国家間の権利義務を規定する形で個人の利益の保護をも図る例は少なくない。ハーグ陸戦条約も,国家間の義務を定めるという国際法の基本形態に沿って,個人の利益の保護を図ろうとした国際法規であるとみるほかない。ちなみに,個人が国際法上の規則によって保護を受けるということと,国際法上権利を持つということとは,全く異なるものである(小寺彰作成の意見書(以下「小寺意見書」という。)2頁)

 したがって,ハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則が個人を保護の対象としていることを根拠として,ハーグ陸戦条約3条が個人の損害賠償請求権を定めていると解釈すべき理由はなく,原告らの主張は,国際法の基本構造を理解しない独自の主張であって失当である。

() また,原告らは,ハーグ陸戦規則53条2項等に言及し,これらは,「すべて占領地における一般の住民と交戦当事者(国家)との関係を定めたものであり,一般住民がこれらの条項により,個人として私権の尊重を受ける法的地位を認められ,徴発,課役に対する対価の請求権を認められ,押収された私有財産に対する還付請求権若しくは損害賠償請求権が認められることを明らかにしたものである。」と主張する。

 しかし,ハーグ陸戦規則53条2項は,「(前略)陸上,海上及空中ニ於テ報道ノ伝送又ハ人若ハ物ノ輸送ノ用ニ供セラルル一切ノ機関,貯蔵兵器其ノ他各種ノ軍需品ハ,私人ニ属スルモノト雖,之ヲ押収スルコトヲ得。但シ,平和克復ニ至リ,之ヲ還付シ,且之カ賠償ヲ決定スヘキモノトス。」と規定するに止まり,私人の権利を救済するための手続を定めた文言が見当たらないばかりか,私人の「請求権」自体を認めるような文言も見当たらない。かえって,還付・賠償の時期が「平和克復」のときとされていることや,「賠償」は「決定」されるものとしていることからすれば,平和克復後の国家間の交渉による決定を予定しているものというべきである。そうすると,ハーグ陸戦規則53条が,私人の財産を保護しようとする規定であるとしても,同条から直ちに個人の国際法主体性が認められ,国際的な請求をなし得るとは解されず,同条の解釈においても,同条は,個人の国際法上の請求権を認めた規定ということはできない。

 そもそも本件で問題とすべきは,行為規範であるハーグ陸戦規則が個人の私権を保護しているかどうかではなく,個人の私権が侵害された場合の事後的な保護の在り方であり,ハーグ陸戦条約3条自体の解釈において,外交保護権の行使とは別に,個人が交戦国に対する直接の損害賠償請求権を有するものと規定されていると解釈できるか否かである。したがって,この問題を区別することなく一括して住民の権利性を論ずる原告らの主張が失当であることは明らかである。

イ ハーグ陸戦条約3条の文理解釈

 さらに,ハーグ陸戦条約3条の文理解釈によっても,同条が個人の損害賠償請求権を定めたものとは解されない。

 すなわち,ハーグ陸戦条約1条は,「締約国ハ,其ノ陸軍軍隊ニ対シ,本条約ニ附属スル陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ニ適合スル訓令ヲ発スへシ」と規定し,ハーグ陸戦規則の適用は,締約国において各国の陸軍に訓令を発する義務を課することによって実現する方式を採用しているが,これは,国家間に相互に義務を課し,国家間の権利義務を定めることによって条約の実現を図ろうとする国際法の基本原則に沿うものであることは,前述したとおりである。

 ハーグ陸戦条約3条は,このように締約国が訓令を発することにより実現することとした条約の実施につき,その履行を確保する一手段として,違法行為に対する伝統的な国家責任を規定したものである(藤田久一・前掲書194頁,前掲東京地裁平成10年10月9日判決,同東京高裁平成12年12月6日判決)。しかも,同条約中には国家に対する損害賠償請求権を個人に付与することを示唆する規定や文言は全く存しない。すなわち,ハーグ陸戦条約3条は,その文言上,個人が直接自己の権利を主張するための国際法上の手続を定めていないばかりでなく,そもそも個人の国際法上の権利一般について何ら言及していないのである。

 以上からすれば,ハーグ陸戦条約3条は,その文理自体からも,国家間の国家責任を定めたものにすぎず,個人の損害賠償請求権を定めたものではないと解釈するほかないのであり,原告らの主張は失当である。

 ハーグ陸戦条約3条のこのような解釈は,1952年当時の赤十字国際委員会の見解によっても支持され,我が国の裁判例においても広く採用されている立場である(上記の解釈を採るものとして,山本草二・シベリア抑留訴訟事件に関する調査研究46頁,高野雄一・全訂新版国際法概論下470頁があり,また,近時の裁判例として,前掲東京地裁平成10年10月9日判決,同東京高裁平成12年12月6日判決,同東京地裁平成10年11月26日判決,同地裁平成10年11月30日判決がある。)。

ウ 起草過程からの解釈

 さらに,原告らは,ハーグ陸戦条約の起草過程を根拠として,ハーグ陸戦条約3条が,個人に損害賠償請求権を認めたものであると主張するもののようである。

 しかし,条約文の審議経過や提案者の意図といったものは,条約文があいまい又は不明確等の場合に,補足的な解釈手段として例外的に利用されるにすぎず,ハーグ陸戦条約3条のように,条約の文理解釈において,国家間の権利義務を定めていることが明らかである場合には,そのような事情を考慮する必要はないのであるから,起草過程を重視して,その解釈を行う必要はない。

 念のため,以下に審議経過について反論を述べる。

() まず,原告らが,ハーグ陸戦条約3条の審議経過における各国の代表の発言が,被害を受けた個人の救済を念頭に置いていることから,同条の審議の際に,被害者個人に損害賠償請求権を認めるものとして審議されていたと理解しているのであれば,そのような理解には誤りがある。

 国際法においては,国家間に権利義務を課することによって,個人の救済をも図ることがあるが,国際法規が個人の救済を図ることを念頭に置いていると考えられる場合でも,個人の救済は,国家間に権利義務を課するという形で間接的に図られるとするのが,国際法の基本的な構造である。

 このような観点からすれば,特定の条約の趣旨が,個人の救済を目的とするものであっても,これをもって,直ちに当該条約において個人の国際法主体性を認め,個人を賠償請求の主体とするものとして定めているということはできないのであって,本件で,ハーグ陸戦条約3条の審議経過を検討するに当たっても,同条が,単に個人の救済を図る目的を持つか否かを検討するにとどまるのではなく,さらに進んで,同条が,個人に加害国に対する国際法上の損害賠償請求権を認めるという例外的な法政策を採用しようとしていたか否かという観点から検討しなければならない。

() このような観点から審議経過を検討すると,まず,原告らの援用するドイツ代表の提案の中の「その責任,損害の程度,賠償の支払方法の決定」,「賠償の問題の解決を和平の回復まで延期する」という表現は,賠償問題が国家間において解決される問題であることを明確にしていると考えられる。特に,「支払方法の決定」という文言からして,裁判所における解決が念頭に置かれていないことは明らかである。

() また,このドイツ代表の提案に対しては,交戦国の国民と中立国の国民との区別を設けた点で議論があったが,その中で,スイス代表は,明らかに賠償の支払が国家間で行われること,言い換えれば外交保護権の行使によって解決されるべきことを前提とした発言をしており,スイス代表は,損害賠償責任に関する規定を国際的制裁規定と理解していることも明らかである。そして,このスイス代表の発言に,ドイツ代表は謝意を表していたのである(小寺意見書26ないし29頁)。

 これに加え,審議経過においては,個人に生じた損害の救済につき,いかなる方法でこれを具体化し実現していくかについての発言も全くなかったのである。

() さらに,ハーグ第2回会議において,ドイツ代表がかかる提案をなすに至った経緯について,我が国の戦前における戦時国際法の代表的著作である信夫淳平博士の「戰時國際法提要上巻」によれば,以下の事情があったとされる。

 すなわち,1899年のハーグ第1回会議において,旧ハーグ陸戦条約及び旧ハーグ陸戦規則が締結されたが(なお,旧ハーグ陸戦条約には,ハーグ陸戦条約3条に相当する規定はなかった。),旧ハーグ陸戦条約1条は,ハーグ陸戦条約1条と同様に,「締約国ハ,其ノ陸軍軍隊ニ対シ,本条約ニ附属スル陸戦ノ法規慣例ニ関スル規則ニ適合スル訓令ヲ発スへシ」と規定していた。

 ところが,ドイツの参謀本部が1902年に制定して陸軍部内に令達した「陸戰慣例」の内容は,戦時無法主義を採用しており,この「陸戰慣例」の中には,「海牙条約の如きは単に徳義的拘束力を有するに過ぎず,獨逸陸軍は自己の便宜に従ひ之を守るも守らざるも可なり」という意味が記してあったために,列国はドイツの誠意を大いに疑ったとされている。そこで,「獨逸は不信實の非難を避くるがためか,第2回海牙会議において,陸戰法規慣例條約及び同規則の改正問題の討議に方り,同國代表は別に『() 交戰國にして本規則[本條約附屬の陸戰法規慣例規則]に違反するものは被害國に對し賠償を爲すの義務あること,() 兵の違反行為に對しては所屬國政府その責に任ずべきこと』と云える宣言案を提出した。各國全權孰れも異議なく,全會一致にて之に賛した。その結果が新條約(現行)第三條の『前記規則ノ條項ニ違反シタル交戰當事者ハ損害アルトキハ之ガ賠償ノ責ヲ負フベキモノトス。交戰當事者ハ其ノ軍隊ヲ組成スル人員ノ一切ノ行爲ニ付キ責任ヲ負フ。』といふ舊條約に見るなかりし民事的制裁の一規定の挿加となったのである。」とされ,ドイツは,このハーグ陸戦条約及びハーグ陸戦規則に従い,新たに訓令を陸軍部内に発したが,この訓令は「畢竟右の提議の責任上から新條約の諸規定と一致せしめざるを得ざるものであったのである。」(同書356頁)とされている。

() 以上のようなドイツ提案の経緯及び審議経過の検討によっても,ハーグ陸戦条約3条が,個人の損害賠償請求権を認める趣旨で審議されていたとすることはできず,原告らの主張は失当である。

エ 小括

 このように,ハーグ陸戦条約3条は,交戦当事国たる国家が,自国の軍隊の構成員によるハーグ陸戦規則違反行為に基づく損害につき,相手国に対し損害賠償責任を負うという国家間の権利義務を定立したものであって,その行為により損害を被った被害者個人が相手国に対して直接損害賠償請求をすることができることを認めたものではない。

 かかる見解は,我が国の近時の裁判例の採るところであり(前掲東京地裁平成10年10月9日判決,同東京地裁平成10年11月26日判決,同地裁平成10年11月30日判決,同東京高裁平成12年12月6日判決,同東京地裁平成13年5月30日判決),また,米国の裁判例においても採るところである。

 以上から明らかなように,原告らの主張は失当である。

(4) その他の条約又は国際慣習法に基づく損害賠償請求

ア 強制労働条約違反による損害賠償請求

 原告らは,被告国の行為が,強制労働条約に反すると主張する。

 しかしながら,原告らの主張が同条約違反に基づく国際法上の損害賠償請求権の主張であれば,前述のとおり,原告ら個人が条約違反国に対して直接損害賠償請求等を求めることはできないから,原告らの上記請求は,主張自体失当である。

 また,原告らが同条約を国内法として主張するのであれば,同条約が国内において個人の権利の発生根拠として直ちに国内法的に適用可能であるか否かの問題についても検討が必要である。しかるに,同条約については,損害賠償請求権についての規定を欠いているから,かかる条約が仮に国内法的効力を有するとしても,これに基づき,原告らに損害賠償請求権が発生するということはできず,原告らの請求の根拠足り得ない。

イ 奴隷条約及び国際慣習法としての奴隷制の禁止違反による損害賠償請求

 原告らは,被告国は国際連盟が1926年に採択した奴隷条約を批准していないが,奴隷制度及びこれに類似する強制労働の禁止は本件当時国際慣習法として確立しており,被告国の原告らを含む中国人に対する組織的な強制連行・強制労働政策は,奴隷条約が禁止する奴隷制又はこれに類似するものであり,奴隷条約及び国際慣習法としての奴隷制の禁止に違反する旨主張する。

 しかしながら,同条約には個人の加害国に対する損害賠償請求権を根拠付ける規定はないから,原告らの請求はそれ自体失当である。

 また,奴隷制度を禁止するとの国際慣習法が成立していたとしても,奴隷禁止の国際慣習法の違反行為につき被害者個人が直接加害国に対して直接損害賠償等を求め得るとする一般慣行及び法的確信の存在は認めることができない。

 したがって,原告ら個人が奴隷条約及び奴隷禁止の国際慣習法を援用して被告国に対して損害賠償等を求めることはできないから,原告らの主張は失当である。

ウ 人道に対する罪違反による賠償請求

 原告らは,被告による中国人に対する強制連行・強制労働は人道に対する罪に当たるものであり,人道に対する罪は,個人の犯罪の構成要件を規定したものではあるが,個人が刑事罰に処せられるほどの違法行為から生じた結果については,当事者の国家もその責任を免れない旨主張する。

 しかし,そもそも,「人道に対する罪」は,違反行為者個人の国際刑事責任が追及されるという効果を有するにすぎず(山本・前掲書546ないし548頁),違反行為者個人の所属する国家の民事的責任を基礎付けるものではない(前掲東京地裁平成7年7月27日判決,同東京高裁平成8年8月7日判決,同東京地裁平成10年10月9日判決,同東京高裁平成12年12月6日判決)。

 したがって,「人道に対する罪」に対する違反行為につき,個人が加害国に対して直接損害賠償等を求め得るとする国際慣習法が成立しているということはできないから,原告らの主張は失当である。

第2 1930年5月5日施行の中華民国民法に基づく請求

1 原告らの被告国に対する主張

 被告国による原告らに対する強制連行・強制労働という違法行為(不法行為)により原告らが被った損害に対する民事上の賠償責任については,法例11条1項の適用により,1930年5月5日施行の中華民国民法(以下「1930年中華民国民法」という。)が適用されることになり,その場合,法例11条2項により被告国が主張する国家無答責の法理が累積適用されることはなく,また,法例11条3項による民法724条の累積適用により請求権が消滅することもない。以下詳述する。

(1) 準拠法(法例の適用の有無)

 被告国による原告らに対する強制連行・強制労働により原告らが被った損害の民事上の賠償責任については,不法行為に基づく損害賠償についての一般抵触法規である法例11条1項を適用し,当時の中華民国法に準拠すべきことは,以下に述べるとおりである。

ア 法例11条1項の適用

 本件に国際私法(法例)が適用されるか否かを検討するに当たっては,何が私的法律関係であり,何が公的法律関係であるのかを抽象的に議論すべきではない。本件のように法例11条の適用が問題になっているのであれば,同条がどのような法律関係を対象としているのかを考察するとともに,公法の属地的適用の原則がどのような法律関係を対象としているのかを考察すべきであり,両者は表裏の関係にあるということができる。

() 法例11条が対象とする法律関係

 まず,法例11条がどのような法律関係を対象としているかについて検討する。

 法例11条の立法経緯をみると,同条は,旧法例7条と同趣旨の規定であるため,その立法に際して特に説明がされていない。旧法例7条の制定過程は明らかとなっていないので,更にさかのぼり,旧民法草案人事編の中に規定されている不法行為の準拠法に関する法例12条3項の制定過程における説明をみると,同条項は,不法行為が単なる私益のためのものではなく,公益のためのものであり,(契約と異なり)双方の意思によらないで債権を発生させるものであることを考慮して,不法行為地法主義を採用したことが分かる。ここでは,不法行為による損害賠償請求権が公益にかかわるというのが,法廷地の公益ではなく,不法行為地の公益を意味している点が注目される。

 そして,国家賠償責任もまた,個人に損害賠償請求権を与えるという点では,私益に関するものであるが,同時に公権力の行使を慎重ならしめるという点では,公益に関するものといえる。しかし,これは法廷地の公益でも,加害国の公益でもなく,まさに不法行為地の公益に関するものということになる。

 さらに,不法行為に関する各国の実質法を比較法的にみた場合,不法行為とは,違法な行為によって他人に損害を与えた者をしてその損害を賠償せしめる制度であって,社会共同生活において生じた損害の公平な分配を目的とするものということができる。そして,当該行為(作為・不作為)が違法であるか否か,損害の発生との間に因果関係があるか否か,そして損害賠償責任を生ぜしめるか否かは,実質法レベルの問題であって,国際私法の観点からは,何らかの行為(作為・不作為)があり,他人に損害が生じて,損害賠償責任を負わせるか否かという問題が発生した場合,それを解決するために,どの国の実質法を適用すべきかを決定することが,その任務となるのであって,当然のことながら,国際私法自体は,行為の違法性,因果関係,そして損害賠償責任の存否を決定するわけではない。

 本件では,日本軍による中国人の強制連行・強制労働という行為があり,中国人市民に損害が発生したので,日本国に損害賠償責任を負わせるか否かという問題が生じているのであり,本件は,以上に述べた国際私法上の不法行為の定義に当てはまる。

 したがって,本件は,法例11条の適用対象に当たるといえる。

() 法例11条の適用対象から除外される公法的法律関係

 次に,本件のような法律関係が,法例11条の適用対象から除外され,公法の属地的適用の原則が適用されるべき公法的法律関係であるか否かという観点から検討する。

 公法的法律関係においては,ある法規の場所的適用範囲の決定は,当該法規自体の明文の規定によることもあるが,明文の規定がない場合には,当該法規の趣旨及び目的に照らし,条理によって,場所的適用範囲に関する規則が導き出されることになる。我が国の国家賠償法については,戦前,戦後を通じて,上記のような明文の規定はないから,条理によって,場所的適用範囲を決することになる。上記の条理としては,一般に「公法の属地的適用」の原則が主張されている。

 公法の属地的適用の原則とは,公法の適用範囲は,主権の及ぶ範囲に限定され,公法は,その問題となった行為が自国の領域内でなされた場合にのみ適用されるべきであり,外国でされた行為には適用されないというものである。

 国家賠償法が公法であるとして,公法の属地的適用の原則を適用すると,日本の国家賠償法は,原則として日本における日本の公務員の不法行為にのみ適用されることになり,日本の在外公館の職員が自国民の保護を怠ったり,外国人からの査証の申請を不当に却下した場合,日本の国家賠償法が適用されないことになる。そして,公法の属地的適用の原則には,外国の公法を適用しないという意味もあることから,日本の裁判所は,自国の公法の適用範囲を超えた事件について,外国の公法を適用することはできないから,結局のところ,かような事件については,裁判管轄がないことになる。さらに,在外公館の職員が自国民の保護を怠ったり,外国人からの査証の申請を不当に却下した場合とは異なり,日本の公務員が外国における行為により,上記のような関係を持たない者に損害が発生した場合,例えば,日本の公務員が外国における公務の執行中に交通事故を起こした場合には,なおさら日本の国家賠償法を適用するわけにはいかないことになる。

 他方,日本に駐在する外国の大使館職員が自国民の保護を怠ったり,日本人からの査証の申請を不当に却下したとする。これは,日本における行為であるが,行為主体が外国の公務員であるから,日本の国家賠償法を適用することはできない。しかも,外国公法不適用の原則によるならば,外国の国家賠償に関する規定も適用することはできず,結局のところ,日本の裁判所において損害賠償請求訴訟を提起したとしても,裁判管轄が否定されるであろう。

 しかし,以上のような裁判管轄の否定は,妥当とは思われない。これらの訴訟で求められているのは,刑罰や行政処分の取消ではなく,単なる金銭賠償にすぎない。かような金銭賠償を命じることは,たとえその準拠法が外国法であっても,日本の裁判所がなし得ることであり,その管轄を否定すべき理由はなく,外国法の適用が必要であり,かつ,それが可能な法律関係であるというべきである。

() 国に対する外国法の適用

 以上のように,公務員の違法行為により他人に損害を生じた場合に,日本国に損害賠償責任を負わせるか否かが問題となる法律関係は,外国法の適用を必要とし,かつ,それが可能な法律関係であるといえる。

 この点につき,被告国は,我が国の国家権力の発動の違法性等について,我が国を単なる一私人として,他国の私法で裁くことは,到底考えられないとも主張する。

 しかし,外国法の適用対象は,不法行為自体であり,本件では,たまたま加害者が国家であったというだけのことである。また,被告国は,外国法の適用を,当該外国の主権の発動と理解して,国家が外国の主権に服することはないと考えたかもしれないが,外国法の適用を当該外国の主権の発動と考えるならば,主権独立の原則により,外国法の適用はすべて否定されることになるはずである。渉外事件においては,国際的な判決の調和という国際社会全体の利益のために,内外法は平等に適用されるべきであるというのが国際私法の基本なのである。日本の裁判所は,当該法律関係と最も密接な関連を有する法として,いずれの国の法が準拠法になるかを審理すべきであり,たとえそれが外国法であったからといって,その適用が,当該外国国家の主権の発動ということにはならない。

 以上のように,本件は,外国法の適用も可能とする渉外的私法関係であり,これを否定すべき公法関係に当たらない。

() 公務員所属国法説の不適用

 以上のとおり,国際私法が適用されるべき法律関係であるからといって,直ちに国家賠償責任について,法例11条1項により準拠法を決定すべきである,ということにはならない。

 一般の不法行為においては,加害者と被害者とは,不法行為の発生によって,初めて債権債務関係に入るのであって,この場合,不法行為地法は,両当事者にとって中立的な法として適用される。すなわち,加害者にとっては,自己の行動から生じる責任の存否及び範囲を予測することができるし,また被害者にとっても,自己が期待することができる賠償の有無及び範囲を予測することができるのであって,このような予測可能性ないし正当な期待保護の要請を満たすからこそ,不法行為地法主義が採用されたのである。

 これに対して,不法行為の発生以前から,加害者と被害者との間に特別な法律関係があり,この法律関係と不法行為との間に密接な関連がある場合には,不法行為についても,むしろこの特別な法律関係を規律する準拠法を適用した方が,両当事者の予測可能性ないし正当な期待保護の要請を満たすことになるであろう。例えば,法例11条1項の不法行為地法主義によるならば,外国における日本の公務員の不法行為には,常に当該不法行為地法である外国法が適用され,逆に日本における外国の公務員の不法行為には,つねに日本法が不法行為地法として適用されることになる。しかし,公務員の外国における不法行為には,例えば在外公館の職員が自国民の保護を怠ったり,又は外国人からの査証の申請を不当に却下した場合のように,加害者と被害者との間に特別な法律関係がある場合には,不法行為についても,その法律関係を規律する法を適用することが妥当であると思われる。この特別な法律関係の準拠法としては,当該公務員の所属する国の法,すなわち公務員所属国法が適用されるべきである。

 しかし,本件では,被告国が中国人を強制連行して,強制労働に従事させた行為は,当該外国の同意もなく,国際法上の根拠もない不法行為であり,日本軍にとっては公権力の行使であったが,原告らを含む中国人にとっては単なる誘拐であり,意思に反する労働の強制にすぎなかったのである。原告らを含む中国人は,日本軍との「意図しない接触」によりその加害行為に巻き込まれたのであり,かような場合には,不法行為地法以外に両当事者にとって中立的な法は存在しない。

 したがって,本件は,公務員所属国法説を適用すべき場合には該当せず,原則どおり法例11条1項が適用されるべきである。

() 被告国の主張に対する反論

 本件が,国際私法の適用されない公法的法律関係に属するとする被告国の主張は,現代の国際私法においては,国家と市民社会とは切り離すことが可能であり,市民社会には特定の国家法を超えた普遍的な価値に基づく私法があり,これはどこの国でも相互に適用可能なものであるとの命題が前提とされている。そこから,私法の領域では国家の利益に直接関係しないから,法の互換性が高いが,公法の領域はそうではないとし,私法は,特定の国家法を超えた普遍的な価値に基づく(私)法,すなわち国家の利益に直接関係しない領域に属する法律関係であり,これに対し,公法は,国家の利益が直接反映される領域に属する法律関係であるという命題を立てた上,国際私法上の公法,私法の区分は,国家利益との結び付き及びその程度から判断されるという基準を立てる。

 こうして被告国は,上記の公法,私法の区分の基準を前提とした上で,公権力の行使に伴う国家賠償という法律関係が公法的法律関係(我が国の国家利益が直接反映される法律関係)であるとする根拠として,@ 国家賠償法の公務員個人への求償権制限,A 相互保証主義,B 戦前の国家無答責の原則の3点を挙げるのである。

a サヴィニーの国際私法論についての基本的な理解の誤り

 被告国が前提とする上記命題は,サヴィニーがこのような見解を表明しているという道垣内意見書に基づくものと思われる。しかし,サヴィニーは,被告国が主張するような「国家と市民社会とは切り離すことが可能であり,市民社会には特定の国家法を超えた普遍的な価値に基づく私法がある」とは言っていない。サヴィニーは,従来の国際私法論が主権的発想に基づき個々の法規の性質から,その適用範囲を決定するという方法を採用していたのに対し,人や物質の国境を越えた移動が多様かつ活発になるにつれて,内外人の平等原則に基づき,内国法と同様に外国法も適用すべきであり,それによって,いずれの国で裁判がされても同一の結果が得られるという国際的な判決の調和が達成され,国際社会の共通の利益が図られるという発想の下に,より普遍的な法律関係の側から,その本拠を探求するというアプローチを採用しているのである。そのようなサヴィニーが国家利益との結び付きの強弱によって私法と公法とを区別するという法規分類学説のような主張をするはずがない。

b 公権力の行使に伴う国家賠償が公法的法律関係であるとして被告国が指摘する「根拠」の誤り

 また,被告国は,公権力の行使に伴う国家賠償という法律関係が公法的法律関係であるとする根拠として,@ 国家賠償法の公務員個人への求償権制限,A 相互保証主義,B 戦前の国家無答責の原則の3点を挙げるが,自国の実質法の解釈を前提として,国際私法の適用の有無を議論している点において基本的な誤りを犯している。すなわち,国際私法とは,複数の国が関連する法律関係(渉外的法律関係)について,いずれの国の法を適用すべきかを決定するための法律であり,それ自体は,当事者の法律関係を直接規律するのではなく,これを直接規律するいずれかの国の法を指定するための法律であって,適用規範ないし間接規範とも呼ばれる。これに対して,民商法や民事訴訟法など法律関係を直接規律する規範は「実質法」と呼ばれている。この国際私法と実質法とは,全く異なる次元の法律である。国際私法レベルにおいて準拠法を決定する際に,実質法を前提として解釈を行うことは誤りである。例えば,準拠法決定の過程において国家賠償法附則6項を適用するわけにはいかないのであって,同項に基づき戦前の日本の実質法が国家無答責を採用していたことを前提に国際私法の不適用をいうような解釈は,上記誤りを犯すものなのである。また,日本の実質法だけを前提として,法例を解釈しようとすることも誤りである。国際私法は,内外法平等の原則に立っており,日本法と同様に,外国法も適用されるからこそ,その存在意義が認められるのである。以上の基本的立場の下においては,上記@ないしBが,国際私法の適用を否定する根拠となり得ないことは,以下のとおりである。

(a) 国家賠償法の公務員個人への求償権制限について

 被告国は,国家賠償法の公務員個人への求償権制限をもって,公権力の行使に伴う国家賠償という法律関係が公法的法律関係である根拠とする。

 しかし,国際私法レベルからみた場合,日本の公務員の不法行為について,外国法が準拠法となり,公務員個人への求償権制限が適用されなかったとしても,どれほどの不都合を生じるというのであろうか。公務員個人への求償権制限は,およそいかなる国のいかなる時代の法によっても普遍的に認められなければならないというほどのルールではない。国際私法を適用し,外国法が準拠法となった場合においては,当該国の実質法の立法政策は必ずしも貫徹されるとは限らず,だからといって,外国法の適用を否定したのでは,国際私法は全く無用ということになりかねない。たまたま日本の現行国家賠償法において,公務員個人への求償権制限が規定されているからといって,外国法の適用が排除されると主張するのは,およそ国際私法の基本,ひいてはサヴィニーの国際私法理論を無視するものである。

(b) 相互保証主義について

 被告国は,国家賠償法の相互保証主義をもって,公権力の行使に伴う国家賠償という法律関係が公法的法律関係である根拠とする。

 しかし,法例11条の「不法行為」の概念は,違法な行為によって他人に損害を与えた者をしてその損害を賠償せしめる制度であって,社会共同生活において生じた損害の公平な分配を目的とするものである(山田鐐一「国際私法」317頁参照)。この場合の「損害の公平な分担」の内容は,実質法レベルでは各国によって異なることはもちろんであり,過失責任,無過失責任,あるいは責任の免除をも含めた概念である。したがって,相互の保証による外国人の国家賠償請求の制限も,誰にどの程度の責任を分担させるのかという損害の公平な分担の一態様であり,国際私法の観点からは,不法行為概念から外れるものではない。

 国家賠償法における相互保証の規定は,国家に対する外国人の損害賠償請求権を一定の場合において制限するものであり,外国人の権利をいかなる場合に制限するかは,個々の法律の趣旨に基づいて決められるべき実質法上の問題であり,外国人の権利を制限したからといって,当該権利が公法上の権利となるものではない。結局のところ,相互の保証は,外国法が日本国民に対して権利を認めていない限りは,日本においても当該外国の国民に権利を認めないとする外人法上の立法主義のひとつにすぎず,原因行為が公権力の行使に基づくものであるか否かといったこととは,本質的に無関係なのである。したがって,国家賠償法が相互の保証を採用しているということは,公権力の行使に伴う賠償責任の存否が公法的法律関係であることを基礎付ける根拠となるものでないことは明らかである。

(c) 戦前の国家無答責について

 被告国は,戦前において,国家無答責の法理が採用されていたこともまた,公権力の行使に伴う国家賠償という法律関係が公法的法律関係である根拠になるという。しかし,この主張も失当である。

 まず,戦前の国家無答責の法理は,特定の時代の日本の実質法にすぎず,あらゆる国のあらゆる時代の法を前提とした国際私法の適用,不適用を決定づけるものではないし,そもそも戦前の国家無答責の法理に限ってみても,それが普遍的な法理として確立していたわけではないことは,後記のとおりである。

 また,法例11条の「不法行為」概念は,損害賠償責任の否定という国家無答責の法理をも含む広いものであり,実質法における立法政策の問題であり,これもまた国際私法の適用・不適用を決定づけるものではない。

 いずれにせよ,被告国が指摘する前記@ないしBの点は,すべて実質法レベルの問題であり,そもそも実現しようとしている正義の観念が国際私法上のものとは異なるのであるから,そこでどのような議論がなされようが,あらゆる国のあらゆる時代の法を前提とする国際私法の適用,不適用を左右するものではないのである。

c 被告国の主張に対するその他の反論

 国家の行為による権利侵害に対する損害賠償請求権の本質については,これを公法上のものと解すべきではなく,私法上のものと解すべきである。戦前においてこの点を最も明解に論じたのは美濃部達吉教授であり(美濃部達吉「日本行政法上巻」917頁,918頁),戦後における有力な学説は,国家賠償法が私法に属し,同法に基づく損害賠償請求訴訟が民事訴訟の性質を有し,公法上の当事者訴訟ではないとしている(雄川一郎「行政訴訟法」113頁,今村成和「国家補償法」89頁,山内惟介「渉外判例百選」2版240頁,3版256頁など)。

 さらに,最高裁判所昭和46年11月30日第三小法廷判決・民集25巻8号1頁は,「国または公共団体が国家賠償法に基づき損害賠償責任を負う関係は,実質上,民法上の不法行為により損害を賠償すべき関係と性質を同じくするものであるから,国家賠償法に基づく普通地方公共団体に対する損害賠償請求権は,私法上の金銭債権であって,公法上の金銭債権ではなく」と判示し,国家賠償法に基づく請求権を私法上の請求権であるとする見解を採っているのである。

 以上のとおり,原因たる行為が公務員の公権力行使に伴う違法行為であっても,その結果,第三者に与えた損害を賠償し,その被害を回復するという法律関係は,私法関係に属するものといえるのである。

イ 法例11条1項に基づく準拠法の決定

 () 不法行為地の領土的帰属

 本件では,原告らの不当な拘束という不法行為が発生した場所は,当時は中華民国の領域内であったが,現在は中華人民共和国の領域に属している。そこで,法例11条1項により適用されるのは,中華人民共和国法か中華民国法かという問題が生じるが,以下の理由により,中華民国法が適用されるべきである。

 すなわち,法例11条1項は,不法行為という法律関係について,不法行為地という連結点を介して,不法行為地法を指定している。ここでいう不法行為地は,本件の当時は中華民国の領域に属していたのであるから,この連結点を介して,法例11条1項が指定しているのは,中華民国法以外にあり得ない。

() 隔地的不法行為

 次に,本件では,原告らは,中国で不当に拘束された後,日本に連行された上,強制労働に従事させられたのであるから,これらを一連の不法行為とみるべきか否か,また一連の不法行為であるとした場合,中国と日本のいずれが不法行為地になるかという問題(連結点の確定の問題)が生じる。これらについては,以下の理由から,被告国の行為を一連の不法行為とみた上,不法行為地は,中国であるとみるべきである。

 すなわち,原告らにとっては,そもそも中国から連れ出されたことだけで損害が発生しているし,自らの行き先を選択できる状況にはなかった。仮に,連行先が不法行為地になるとしたら,被告国は,原告らの連行先を選択することによって,一方的に準拠法を決定できることになる。その連結点である不法行為地を一方当事者だけが選択できるとするのは,最も中立的な法である不法行為地法を準拠法とする趣旨に反することになる。したがって,国際私法上の当事者利益の観点からは,中国法を不法行為の準拠法として適用すべきである。

(2) 1930年中華民国民法による損害賠償請求権の成立

 被告国による原告らに対する強制連行・強制労働は,1930年中華民国民法の以下の条項に該当し,被告国が不法行為責任を負うべきことは明らかである。

 1930年中華民国民法184条は,「故意又過失によりて不法に他人の権利を侵害したる者は損害賠償の責任を負う。故意に善良の風俗に反する方法をもって他人に損害を加えたる者また同じ。他人を保護する法律に違反したる者は過失あるものと推定する。」と,同185条は,「数人が共同して不法に他人の権利を侵害したるときは連帯して損害賠償の責任を負う。」と,同186条は,「公務員が故意に第三者に対して執行すべき職務に違背し第三者の権利に損害を及ぼしたるときは賠償の責任を負う。その過失によるものなるときは,被害者が他の方法によりは賠償を受けること能わざる場合に限りその責任を負う。」とし,同188条は,「被用者が職務の執行によりて他人の権利を侵害したるときは,使用者は行為者と連帯して損害賠償の責任を負う。」とそれぞれ規定している。

 被告国による原告らの強制連行・強制労働が上記各条項に定められた不法行為に該当し,被告国が損害賠償責任を負うことは明らかである。

(3) 法例11条2項による国家無答責の適用の主張に対する反論

 被告国は,法例11条2項は,不法行為の成立要件について,不法行為 地法と日本法の累積適用を定めているから,仮に法例11条1項により不法行為地法の適用があるとしても,法例11条2項により日本法が累積適用される結果,いわゆる国家無答責の法理により,原告らの損害賠償請求は否定されるという。

 しかし,法例11条2項の日本法の累積適用の下においても,そこで適用されるべきは,国家無答責の法理ではなく,民法又は現行の国家賠償法であり,その結果,不法行為が成立するから,原告らの請求は妨げられない。

ア 法解釈にすぎない国家無答責の法理

 被告国は,大日本帝国憲法下においては,国の権力作用については,私法たる民法の適用はなく,国の賠償責任は否定されてきた(国家無答責の原則)と主張し,別件においても,旧民法の制定の際に,国の権力的活動については民法に基づく国家責任が否定され,司法裁判所に対する国家賠償請求訴訟を提起する途も否定され,行政裁判所法及び旧民法が公布された明治23年に,公権力の行使については,国は損害賠償責任を負わないという法政策が確立したなどと主張している。

 しかし,以下に述べる立法者意思,戦前の裁判例の変遷,学説の状況に照らすならば,被告が主張する国家無答責の法理なるものが確固不動のものとして確立していたわけではないことが明らかである。

 () 立法者意思

 「主人及ヒ棟梁,工業,運送若クハ其他ノ事業ノ起作人,公私ノ事務所ハ其僕卑,職工,属員若クハ主管ニ依リ之ニ委託シタル職掌ノ報行中若クハ其際ニ引キ起サレタル損害ノ責ニ任ス可シ」と定めたボアソナード民法草案393条が法律取調委員会の審議で原案どおり可決されていることに照らしても明らかなとおり,当時の立法担当者の中には,民法を適用して国の賠償責任を認めるべきであるという意見が根強く存在していた。その後の審議を経て,民法財産編373条においては,「主人,親方又ハ工事,運送等ノ営業人若クハ総テノ委託者ハ其雇人,使用人,職工又ハ受任ノ職務ヲ行フ為メ又ハ之ヲ行フニ際シテ加ヘタル損害ニ付キ其責ニ任ス」と定められ,「公私ノ事務所」の文言が削除され,「総テノ委託者」と規定されるに至ったが,いかなる場合に政府官庁が官吏職員に対する委託者になるのかについては,司法裁判所の判断に委ねるというのが起案者の意見であった。上記規定は結局施行されず,その後,現行民法が成立し,施行されることになり,その結果,国の賠償責任にかかわる成文法(実定法)としては,旧憲法61条,行政裁判所法16条,現行民法の不法行為に関する規定が存在することになった。

 上記成文法をみてみると,旧憲法61条は,別に法律をもって定めた行政裁判所の裁判に属すべきものは,司法裁判所において受理しないことを定めたものであって,ここでは,行政裁判所に属することが法律で定められたものではない訴訟は,司法裁判所で受理することができるものとされている。また,行政裁判所法16条は,単に,行政裁判所に損害賠償の訴訟を提起することはできないことを定めたものにすぎず,同条は,司法裁判所が損害賠償の訴訟を取り扱うことができるかどうかについては何も触れていない。すなわち,行政裁判所が民事上の損害賠償請求訴訟を受け付けないからといって,司法裁判所は,損害賠償請求訴訟を受理するのであって,行政裁判所法16条は,国家無答責の法理とは全く何の関係もなく,その存在をもって,国家無答責の法理の論拠とすることはできない。そして,民法の不法行為に関する規定の中にも,国の損害賠償責任を否定した規定はない。このように,戦前においては,国家無答責の法理を明記した成文法(実定法)は存在しておらず,実際にも,国の賠償責任について,司法裁判所の管轄権が否定されることはなかった。

 以上の経緯に照らせば,当事者の立法者の意思としては,国の賠償責任をめぐる問題については,民法が適用されることを認めた上で,例外的に国が免責される場合については,司法裁判所の判断にゆだねたといえる。したがって,被告国が主張するように,明治23年の時点で,国家無答責の法理が立法政策として確立していたとはいえないことが明らかである。そして,国家無答責の法理なるものは,その後の司法裁判所の裁判例の集積を経て形成されてきたのであり,同法理は,判例の所産であり,その根拠は法令にはなく,単なる法令の解釈にすぎないことが分かるのである。

() 国の賠償責任に関する戦前の裁判例の変遷     

 田中二郎「判例により見たる行政上の不法行為責任」(昭和12年)と「行政上の損害賠償責任」(昭和21年)を通覧してみれば,戦前判決は実に多様,区々で,被告国が主張するような「大審院の判例も,権力的な作用に関する事項については,民法の適用はなく,国の損害賠償責任を否定するという態度で一貫している」といった決め付けは到底許されないことが分かる。被告国が,わずかな大審院判決を持ち出し,しかも,判決内容やその結論に対して批判評論が存在している点も無視して,権力的な作用に関する事項については,民法の適用はなく,国の損害賠償責任を否定するという態度で一貫しているとしているのは,戦前の裁判例の理解を誤るものである。

 すなわち,明治憲法下の司法裁判所は,公法・私法二元論に呪縛されていたものの,具体的事案を通じ,国ないし公共団体に賠償責任を認めないことの不合理を自覚せざるを得ず,そのため,「損害の公平な分担」という不法行為制度の大原則を遵守すべく,様々な論理立てをして,公法・私法二元論を排除しようとしていたといえる。国ないし公共団体の賠償責任を肯定した裁判例を分析すると,正面から国家無答責を否定したもの(以下「国家無答責否定判決」という。),「公共施設管理の占有関係」,「学校施設管理の占有関係」に着目し,これを行政権の行使から取り出し,切り離し,分離して,国ないし公共団体の賠償責任を導き出すもの(以下「私法行為抽出判決」という。),「行為の態様や故意,悪質さ」などを問題にして被害の救済を図ったもの(以下「権利濫用,権限逸脱判決」という。)などがある。

 ここで注目すべきは,田中二郎前掲書の97頁が「権力作用と非権力的作用との限界はもともと必ずしも明瞭でなく,解釈上に異動の余地があり,判例もこの点について推移しつつあるのであるから,若し社会正義の見地から民法不法行為法の適用を広く認めることが望ましいとするならば,判例がこの意味での正義の実現に指導的立場をとることが考慮されて然るべきであろうと思う(フランスの行政判例の偉大な使命を考えよ)」と指摘している点である。そして,判例がこの意味での正義の実現に指導的立場を取ったといえる上記のような例の中でも,職権濫用,権限逸脱判決は,その論理において戦後の指導的最高裁判決とも通ずるものがあるという点でさらに注目すべき裁判例というべきである。公権力の行使に携わる公務員の職務権限行使の違法性判断について,権限の濫用ないし逸脱を基準として判断した最高裁の判決例も多く,戦前判決中に,こうした最高裁判決の論理,判断基準と共通し,あるいは相通ずる判決が存在する以上,本件の判断に当たってもそうした戦前判決の判断基準に従って判断すべきはむしろ当然で,そして戦後法制の下では完全に否定された国家無答責の法理をわざわざ引っ張り出してくるのは,明らかに不当,不自然である。

() 学説の状況

 当時の学説の状況をみると,被告国において通説であるとする美濃部達吉「日本行政法上巻」,佐々木惣一「日本行政法総論」,田中二郎「行政上の損害賠償及び損失補償」,「新版行政法上巻全訂二版」を引用して国家の権力的行為に関して私法である民法の適用がないという見解を採っていたことはそのとおりであるが,このような見解は,宇賀克也「国家責任法の分析」において「国家責任根拠論に関する判例法の蓄積がみられなかったことは,この問題に関する学説の未発達の一因ともなった」と書かれているように,判例もまだ少なく,学説も未発達,未成熟な状況の下における見解であった。

 上記のような学説の状況下においても,田中二郎「不法行為に基づく国家の賠償責任」が,総論として,「公法上の特別の規定なき限り,経済生活に関する基礎的規律たる民法に於ける原則が公法の領域にも類推適用されるべきものと解するのが正当ではないかと憶測する。」と述べるなど,国ないし公共団体に対する損害賠償請求を正面から認めようとする異説は存在したのである。田中二郎教授は,その後この見解を改めるが,それでも「一直線の民法不適用論」に立ったわけではなく,「国家無責任」を原則としながらも,これを不変の「法理」とすることについては常に否定的な立場を採り,民法の適用範囲の拡大,拡張の必要性を指摘し続けているのである。その他,渡邊宗太郎教授,三宅正男教授も異説に立つものといえる。これらの異説は,それまでの学説が十分な検討や考察もないまま,ほとんど無条件,盲目的に「国家無責任」を信奉していたのに比べれば,判例の検討を踏まえ,あるいは憲法や国家理論として成立してきた「機関理論」の視点から,さらには「使用者責任論」等を踏まえて,その考察の上に理論化されている。しかも,学問,思想に対する弾圧が最も激しかった時期に,実社会における市民感情(法的正義の実現)や具体的衡平性,損害の社会経済的衡平分担などの視点をも十分に踏まえて発表されたものなのである。こうした異説の存在をみれば,国家の権力的行為に関して私法である民法の適用がないということは,当時の学界の通説であったと単純に決めつけることが誤りであることは明らかである。

() 確立した「従前の例」の不存在

 以上()ないし()に述べたとおり,第1に,当時の立法者は,国の賠償責任については司法裁判所の判断にゆだねていたこと,第2に,司法裁判所は国の賠償責任について,動揺を重ねながら民法の適用範囲を拡大する方向で変遷し,権力的行為についても民法の適用を肯定することを前提とした裁判例も存在しており,権力的行為について民法の適用を否定する裁判例もその実質的根拠は全く示されていなかったこと,第3に学説上も,少数説ながら権力的行為について民法の適用ないし類推適用を認める見解が存在し,民法の適用を否定していた学説も,その実質的根拠は明らかではなく,国家の賠償責任を否定することによる結論の不合理性を自覚し,立法化の必要性を認識していたことを指摘することができる。

 したがって,国家無答責の法理なるものの実体は,要するに民法の適用範囲をめぐる裁判例の集積途上の法理であり,「判例法」というほど法的安定性を有してはいない。少なくとも,被告国が主張する「国家賠償法施行前においては,国又は公共団体の権力作用については,私法たる民法の適用はなく,損害賠償責任は否定されていた(国家無答責の原則)」と断定できるような状況は存在していなかったのである。むしろ,明治憲法下の裁判所は,公法・私法二元論に呪縛されていたものの,具体的事案を通じ,国ないし公共団体に賠償責任を認めないことの不合理を自覚せざるを得なかったと思われる。そのため,「損害の公平な分担」という不法行為制度の大原則を遵守すべく,様々な論理立てをして公法・私法二元論を排除しようとしてきたのである。

 そして,この問題を考えていく上で注目すべき事実として,現行憲法の制憲議会で,国家賠償請求権保障に関する憲法17条が議員提案され採用されたという事実を指摘しなければならない。この事実は,「公務員による違法な加害行為」について,この制憲議会に参加していた議員たちが,1946年(昭和21年)当時において,国及び公共団体に責任があると考えていたことを示している。逆にいえば,それは戦前社会においてそうした国及び公共団体の不法行為責任と賠償の必要についての理解と共感が育ち,そうした中で前記の国及び公共団体の責任を肯定する判決も現われ,これを受け入れる素地がすでに社会的に形成されていたこと,少なくとも制憲議会に参加した議員たちは,国及び公共団体の不法行為責任と賠償の必要を認めていたことを示すものといえる。こうした事実からも,「国家賠償法施行前においては,国又は公共団体の権力作用については,私法たる民法の適用はなく,損害賠償責任は否定されていた(国家無答責の原則)」と言い切ることには無理があるのである。

 以上のとおり,本件当時,国又は公共団体の作用によって生じた私人の損害について,「公権力ないし権力作用によって生じた損害については賠償請求を許さない」とする「法理」は存在していない。少なくとも,それが「確立した法理」として認められていたという法状況は存在しておらず,むしろ,旧民法制定関係者たちは,この点について「司法判断の集積」に期待していたし,宇賀教授が「国家責任根拠論に関する判例法の蓄積が見られなかったことは,この問題に関する学説の未発達の一因となった」と指摘しているような状況が,実際の法状況であったといえるのである。

 国又は公共団体の賠償責任をめぐっては,確立した「従前の例」は存在していないのであり,国家無答責の法理が国家賠償法附則6項の「従前の例」であるとする被告国の主張は明らかに根拠を欠いている。裁判所は,国家賠償法附則6項にいう「従前の例」については,当時の法体系の枠組みの中でも,自ら戦前の立法事実,裁判例,学説に当たり,理論上,紛争の解決上妥当な判断,解釈を行っていくことができる。そして,本件のような外国人の強制連行・強制労働という非人道的不法行為については,戦前の判例においても先例がないのであるから,裁判所は,「大日本帝国憲法感覚むきだしの権力関係」理論ではなく,そうした旧憲法下の法的,時代的制約の下でも,法の「正義」(合理性,衡平性,妥当性)の見地から「権力関係理論」を克服し,民法の適用範囲を拡大して,「国,公共団体の損害賠償責任追求の道」を切り開いた戦前判決例の努力の過程を探ることが可能である。このような見地から,本件における被告国の賠償責任をどのように解すべきかにつき,以下のイないしクにおいて述べる。

イ 強制連行・強制労働の「私法関係」的側面(本件行為の私法的性格)からみた国家無答責の不適用

 () 「募集」,「使役」の私法的性格

 いうまでもなく,労働者を募集(斡旋を含む。以下同じ。)してこれを使役する法律関係は,私法的法律関係である。「募集」は労働契約の誘因に,あるいは第三者がこれに携わる場合は斡旋あるいは仲介として理解され,「使役」は雇用契約,労働契約に当たる。内務省が1924年(大正13年)12月に制定した内務省令第36号「労働者募集取締令」は,こうした私法的法律関係が不適切な形で成立して反社会的,非人間的な奴隷的拘束労働となっていくことを防止するため,こうした私的な「募集」と「使役」を行政的取締りの対象としたのであり,「募集」と「使役」の法律関係は,行政的取締りの対象とされる私的な法律関係であり,そこで生じた紛争は,民法を適用することによって解決が図られていくべきことが明らかである。

 そして,中国人の強制連行・強制労働の実施を決めた閣議決定は,これを「契約」に基づくものと位置付け,戦後における政府答弁も,一貫してこれを「契約関係」と説明してきた。「募集」と「使役」がもともと私法的法律関係であったからこそ「契約」という建前として持ち出すことができたのである。そして,当時,被告国は,各企業に割り当てた中国人労働者の労働条件を初めとした処遇を労務提供契約,華人労務者対日供出実施細目(以下「実施細目」という。)の策定という形式によって細かく定めたのである。その内容は,実施細目4の使用条件の項で,@ 契約期間,A 作業種類,B 作業組織,C 賃金算定及び支払方法,D 作業用品,E 送金,F 就労及び就労時間,G 公休日,H宿泊施設,I  生活必需品の調達,J 風呂,K 宿舎賃,燃料費等の負担,L 賄方法,M 衛生施設,N 保護救済,O 慰安所に及び,中国人労働者の衣食住のすべてをカバーするだけでなく,労働災害扶助規定をも含んでいる。さらに,私企業が中国人労働者に支払うことになっていた1日5円の日当のうち,約半分を被告国自身が負担することになっていた。

 中国人の強制連行・強制労働は,労働力補充を求める企業の要請に応えて,閣議決定により,日本国(商工省,企画院,興亜院,厚生省,内務省,運輸省,外務省,北京大使館)の国民動員計画産業の重筋労働部門労働力の使用として企画立案され,被告国は,中国における実際の連行に当たっては,国の機関(北京大使館,現地軍)と傀儡組織(華北政務委員会,傀儡軍,華北労工協会,新民会)との協力の下に,「募集又は斡旋」の名で,暴力によりあるいは詐言によって原告らを含む中国人を連行して,労働力補充を申し出ていた企業に引き渡し,また,日本国内では,国の機関(厚生省(労役),運輸省(輸送),大東亜省,農林省(食料),内務省(取締),軍需省,地方庁,警察署)による割当,輸送と監督,監視下の拘束状態で使役を行なったものである。そこでの国のかかわりが,国民動員計画事業として公権力の行使に携わる官公吏によってなされているのは事実である。しかし,同時に,そこにおける一連の行為を,国がこれまで説明してきたように「募集」と「使役」と理解するのであれば,これを私法的法律関係の視点により分析し検討することは,戦前の大審院判例に沿うならば,当然許されるはずである。

 このようにみてくるならば,本件における原告らと被告国の関係は,「募集」と「使役」の民事的私法関係という側面から理解していくことも,また他国に対する違法な主権の行使=侵略行為の被害者,加害者の関係ととらえていくことも,いずれも可能といわなければならない。そして,こうした理解の仕方は国,公共団体の損害賠償責任に関して戦前の大審院判例において示されてきた「私法行為抽出判決」の理解の仕方である。

() 戦前の裁判例(私法行為抽出判決)との対比

 前述したように,国,公共団体の損害賠償責任に関する戦前の裁判例は,公共施設,公共工事の管理関係について,ときにはこれを管理の視点から権力的規制の関係とし,あるときは占有の視点から民事上の関係としているのであり,また,在学関係について,ときにはこれを特別権力関係とし,あるときは占有の視点から民事上の関係として扱ってきたが,最終的には,これらを占有関係をめぐる民事上の関係として問題を処理することとし,さらに,公共事業施行のためになす行為の問題については,その行為そのものを取り上げて注目し,その行為自体の性格が「公の権力の行使にして私人に対し其権力に服従せしむる関係に於て為すもの」かどうかによって判断するに至っている。とすれば,本件についてもこれを「募集」と「使役」に関する民事問題として把握し,この法律関係に国がどのような形で関与したのかという観点から判断を行なっていくことは十分に可能といえる。

 そもそも中国人の強制連行・強制労働は,国民動員計画に組み込まれた労働力の募集,使役行為である。そして,労働者を募集してこれを使役する法律関係は,例外的な公権力の行使の場合(徴兵,徴用,刑罰としての懲役)を除けば,私法的法律関係である。「募集」は,労働契約の誘因に,あるいは第三者がこれに携わる場合は斡旋あるいは仲介として理解され,「使役」は雇用契約,労働契約に当たる。中国人の強制連行・強制労働の実施を決めた閣議決定は,これを「契約」に基づくものと位置付け,また戦後における政府答弁も,一貫してこれを「契約関係」と説明してきた。「募集」と「使役」とが基本的には私法的法律関係であるからこそ「契約」を建前として持ち出すことができたのである。

 中国人の内地への移入は,国民動員計画事業として閣議決定されたものであり,この事業そのものは国家行政作用である。しかし,同時に,そこにおける閣議が定めた労働力の「募集」と「使役」(雇傭)という一連の行為は,事業施行のためになす行為にほかならない。この「募集」と「使役」は,本来強制ではなく通常の自由意思に基づいて行われるべきところ,本件ではこれが強制的に行われたから問題となり,それが国家によって行われたから公権力の行使の場面であるかのようにみえるにすぎない。「募集」と「使役」の行為それ自体の性質をみれば,それは,全く私人と対等の関係に於いてなす行為で通常の私経済的活動の諸行為にほかならない。そして,本件は,本来私人と対等の関係においてなす行為である「募集」と「使役」を無理矢理強制するという違法行為を行ったことを問題とするものであり,この強制も私人が行おうと国家が行おうとその違法行為の性質に変わりがあるわけではない。なぜなら,中国人を対象とする本件では,例えば,日本臣民に対する徴用令に基づく徴用や懲役刑の執行などのように,労働義務を課す公権力の行使の場面は問題となる余地はなく,いかなる意味でも「私人に対しその権力に服従せしめる関係においてなす」行為は問題とならないからである。本件違法行為の本質は,端的に「募集」と「使役」という私経済的行為が違法に強制されたという点に尽きるのである。

 原告らの以上の主張は,戦前の大審院判例に沿った考え方であり,原告らは戦前の大審院判例が切り開いた法理論である私法行為抽出という考え方に従えば本件に国家無答責は適用できないと主張しているのであって,東京地裁平成13年7月12日判決(以下「γ判決」という。)が,「原告らは,被告がγを強制連行し,強制労働させた行為につき,閣議決定自体とその遂行のための行為を切り離して,前者は国の権力作用であるが後者は私的経済的行為であるかのごとく主張するが,これらは一連一体の行為と見るべきであって,これを切り離して評価すること自体に無理がある」と判示するのは,何らの説得力もなく,不当というべきである。

ウ 職務権限の著しい濫用,逸脱と国家無答責の不適用

 戦前の裁判例は,当初は「公務員がその権限を濫用ないし逸脱した事案」について,それは「国または公共団体の職務ではない」として主としてその「職務性」がないことを理由に国又は公共団体の賠償責任を否定する傾向にあった。しかしながら,公務員の行為の違法性が高ければ高いほど国又は公共団体の責任が否定されるというのは一般の市民感覚には反している。そして,「外観理論」が解釈論として定着していくのにともなって,公務員の悪質な違法行為については,「職務性」を否定する代りにこれを「職務権限の濫用ないし逸脱」の場合として,これを国,公共団体の責任原因とし,こうした違法性の高い事案については民法を適用して不法行為責任を肯定する裁判例が現われてきた。これが,前述した「職務権限の濫用ないし逸脱」判決であり,これらは,「職務権限の濫用ないし逸脱」を国家賠償請求訴訟における違法性判断基準とする戦後の最高裁判決の流れに連なるものということができる。

 中国人の強制連行・強制労働について改めて見てみると,その違法性は極めて高い。自国の主権の範囲を逸脱して,侵すことのできない他国の主権を侵犯した国際法無視の点でも,自らが定めた労働者募集取締令や自らが批准し公布した強制労働条約等を踏みにじった点においても,そして何より,原告らを含む多数の中国人に多大の犠牲と取り返しのつかない被害を及ぼしたという点において,その違法性はあまりにも深刻かつ重大なものといわなければならない。原告らを含む中国人の強制連行・強制労働にかかわった公務員の行為は,その職務権限を著しく濫用し,逸脱したものというほかないのである。このような深刻かつ重大な違法行為を正していくことは,まさに司法本来のあるべき課題である。仮に,国家無答責の法理が戦前に存在したことを承認しなければならず,「権力作用=民法の不適用=国家責任の不成立」が戦前社会の法律関係を規律する基準だったと認めなければならないとしても,上記の違法性の問題を正面から認定し,原告らを含む中国人の強制連行・強制労働にかかわった公務員の「著しい権限の濫用,逸脱」を認定し,国の損害賠償責任を肯定していくことは十分に可能である。それは現在の最高裁の理論であるばかりでなく,これに連なる戦前の大審院判例が前記のように存在しているからである。

エ 強制労働条約及びハーグ条約の国内法化による国家無答責の不適用

 被告国は,1932年(昭和7年)10月15日,強制労働条約を批准し,同年11月21日,ILOに批准登録し,同年12月6日,これを「強制労働ニ関スル条約」(同年条約第10号)として公布した。同条約は,1933年(昭和8年)11月21日,発効し,国内法的効力を有するに至った。また,本件当時,国際慣習法化したハーグ陸戦条約が国内法的効力を有していたことは既に述べたとおりである。

 国際法の国内法化及びそれが国内法に及ぼす影響については異説はない。すなわち,条約は,公布により国内法としての効力を持ち,法令は,条約に適合するように解釈されなければならない。被告国は,ハーグ陸戦条約並びに強制労働条約を誠実に履行しなければならず,この国際法上の義務は,これが国内法化することにより国内法上の義務ともなり,当然国内法の解釈にも影響を与えずにはおかないのである。   

 ここで留意されるべきは,この問題は,第1に,国際慣習法,批准,公布された条約の国内法化による国内法の解釈の問題,本件に即していえば,ハーグ陸戦条約及び強制労働条約が国内法的効力を持つに至った中にあって,国家無答責の法理が適用されるべきか否かという国内法の解釈の問題であって,被告国が主張するようなこれらが個人の請求権を認めているかどうかとは次元を異にする問題であるという点である。すなわち,条約の国内法的効力が認められた結果,国内法秩序がどのように影響を受けるのか,換言すれば国内法の解釈,国家無答責の法理の解釈にどのような影響を及ぼすのかという問題であり,個人の損害賠償請求権が認められるかという問題とは全く次元を異にするのである。第2に,強制労働条約に関してはそれとは別に特別の考察が必要となる。なぜなら,同条約は,自国民への強制労働をも禁止の対象としているところ,当然日本国の日本国民に対する強制労働も禁止しており(同条約6条,7条),日本国の他国に対する義務だけが問題となるのではないからである。仮に,同条約が国家間の権利義務を定めたものとしても,ある日本国民・住民が,日本国によって同条約違反行為の被害者となった場合,日本国が国際法上の責任を負うことは明らかである。そして,加害者となった日本国が被害者となった国民,住民に対し賠償,是正措置等の処置を行わなくして国際法上の責任は果たせないことはいうまでもなく,損害賠償だけは国家無答責の法理によって免れるとする都合のいい解釈は許されるはずはない。条約が国内法化した下で国際法上の義務が国内法上の義務となり,国内法の解釈にも影響を及ぼす法状況は,強制労働条約に関して一層切実な問題となって立ち現れることになるのである。

 そして,国家による国際違反行為は国家責任を生じさせることは一般国際法の原理から当然であり,その結果,国際違法行為をした国は,違法行為から生じた一切の損害を賠償し,国家責任を解除する義務を負う。「国家責任に関する条文案」を作成した国連国際法委員会はこれを次のように言う。「国家の実行および判例の支持を最も強く受け,かつ国際法の学説に最も深く根を下ろしている国際法の原則のひとつは,国際法上違法とされるいかなる行為にも国家の国際責任が伴うということである」(村瀬信也監訳「『国家責任』に関する条文草案注釈(1)一国際法委員会暫定革案第…部一」立教法学23号167頁)。ハーグ陸戦条約違反はもちろん,強制労働条約についてもこのことは同様であり,条約に違反する行為が日本国に帰属する場合には日本は国家責任を負うのである。

 以上からすれば,国際慣習法化したハーグ陸戦条約3条及び強制労働条約が国内法化した我が国法制の下においては,国家無答責を主張し得ないという法構造になっていたというべきである。ハーグ陸戦条約3条及び強制労働条約が国内法化したことによって,その実体規定が国内法的効力を有するというにとどまらず,その違反に伴って形成される国家責任解除に関する権利義務関係も当然国内法化しているのである。我が国においては,日本国を拘束するすべての国際法が国内的に受容されるのであって,受容される国際法が条約の実体規定だけに限定され,その違反に伴って形成された国家責任解除に関する権利義務関係だけは受容されないとの制約は一切ない。日本国がハーグ陸戦条約3条及び強制労働条約違反を犯したならば,その違反により生ずる国家責任は,国際法的平面においても国内法的平面においても共に発生しているのである。

オ 日本国の管轄に服さない外国人に対する国家無答責の不適用(国家無答責の法理の場所的適用範囲)

() 国家無答責の法理論上の根拠と場所的限界

 権力的行為について民法の適用を阻害していた理論的背景・根拠については,戦前の判例をみても必ずしも明らかではないが,国家無答責の法理は,次のような論理に立脚しているものと考えられる。すなわち,第1に「主権と責任は矛盾する」という主権無答責の法理を,第2に「違法行為は国家に帰属しない」という違法行為の国家帰属を否認する法理を挙げることができる(宇賀克也「国家責任法の分析」15頁,雄川一郎「アメリカ憲法の現代的展開2統治構造『アメリカ国家責任法の一断面』309頁」。

 第1の主権無答責の法理とは,主権者は何ものにも拘束されずに法を作成することができるのであるから,主権者は常に法に違反することはない,という考え方である。古くは,ホッブスの「リバイヤサン第26章の2」にみられるように,主権(者)の絶対性(非拘束性)を前提に主権(者)の免責が導き出されていたが,主権者を国民とする近代国家において主権の無責任の観念を貫徹し国の不法行為責任を否認するためには,主権者である国民(被支配者)を国家(支配者)と同視するという考え方(「支配者と被支配者の自同性」)が必要不可欠であった。近代国家においては,「支配者と被支配者の自同性」の論理により,主権者である国民=国家は法を侵犯し得ないし,法を侵犯することは考えられないとされ,国家の不法行為責任が否定されたのである。

 第2の違法行為の国家帰属を否認する法理とは,違法な国家機関の行為は,国家意思たる法規に違反するが故に法律上国家を代表する機関行為とは認められず,国家機関を構成する個人の個人的責任の問題を生ずるのに止まり,国家の法的責任は生じないという考え方である。雄川一郎教授は,この考え方を「国家と法秩序の自同性」から最も法論理的に構成したのがケルゼンであるとして,「国家機関〜それを通じてのみ国家なる法人が行為し得る〜は,それが国家の意思を実現するかぎりにおいて,すなわち,機関の自然的意思が国家の法秩序において表明された意思と合致するかぎりにおいてのみ,国家を代表する。国家の意思に反して,または国家の意思によらずして行動する国家機関においては,もはや国家は行為しない。何故なら,国家の意思に反して,または国家の意思によらずして生起するものは,国家に帰属され得ぬからである。したがって,具体的の場合にその法的義務を侵害するものは,決して国家人格ではあり得ず,常に,国家の意思を実現すべき職務義務を侵害して国家の意思を遂行せず,或いはそれに反して行為する自然的国家機関でのみあり得るのである。国家の不法ではなく国家機関の不法が存するのである。」とするケルゼンの見解を紹介している(雄川一郎前掲書316,317頁)。また,宇賀克也教授は,「『国家と法秩序の自同性』もまた,この法理を補強することに与って力あったのである。近代国家が,総じて,法治国家として自己規定する以上,国家権力は,法の枠内に覊束されねばならない。そこから,国家行為と適法性が結合され,違法行為を行う国家意思が否定されたのである。」として,「国家と法秩序の自同性」が主権無答責の法理を補強したことを指摘し(宇賀克也「国家責任法の分析」17頁),下山瑛二教授も,「国家ないし主権者が自己責任をとるということは,国家ないし主権者が違法な行為をなしうるという観念を前提とする。しかるに,近代国家が近代『法治』国家として立ち現れる特徴点は,その権力的作用をも『法』の枠内に覊束しようとする点にあった。したがって,国家行為=合法の公式は,その反射として違法な行為をするための『国家意思』を否定する結果となった。これがいわゆる『国家の不可誤謬性』と称されるものである。」として同様の指摘をする(下山瑛二「人権と行政救済法第2章国家補償」48頁)。

 以上の国家無答責の法理論上の根拠に照らせば,この法理には明らかに場所的適用範囲の限界があることになる。すなわち,日本国の管轄に服さない外国人にはこの法理は適用されないという限界である。「支配者と被支配者の自同性」の理由が正当化されるのは,その国家の管轄(統治権)に服する者の範囲での議論であって,その範囲外の者に対して及ばないことは当然である。当該国家は自国の管轄外にある他国の国民の意思により行動するのではないから,その関係に「支配者と被支配者の自同性」など存在するはずもないからである。また,「国家と法秩序の自同性」についても,それは,法治主義の下で国家の行為は法により適法化されるがゆえに,違法な行為は国家の行為と認められないとされているのであり,国家の行為を適法化する法も主権の及ぶ自国の管轄内に限られるのであるから,上記の考え方は自国の管轄範囲内においてのみ妥当するものであるのは当然だからである。

() 我が国の立法者意思

 「法律取調委員会・民法草案財産編第373条に関する意見」によれば,我が国の旧民法の立法担当者も違法行為の国家帰属を否認する法理に近い考えを持っていたことがうかがわれるのである。    

 法律取調委員会の今村委員は,この問題を国家が「人民ノ権利」を侵害した場合に,賠償責任を負うかという問題として取り上げている。そこでいう「人民」とは,国家がその権利を保護し,その幸福を増進する対象となる者であり,それは自国の管轄に服する「人民」であって,外国の管轄に服する人民を含まないと理解される。

 その自国の管轄に服する「人民」とは,まず自国民であり,その他に自国の領域内に住む外国人なども含まれるといえよう。しかし,外国の領域に住み自ら管轄に服する行為(査証の申請など)をしなかった外国人まで,ここでいう「人民」に含めるわけにはいかない。外国の管轄に服する人民に対しては,国家がその権利を保護したり,その幸福を増進することは想定されていないのであり,それゆえ国家無答責の前提を欠いていることになる。換言すれば,国家は,自国の管轄に服する「人民」に対しては,もともとその権利を保護し,その幸福を増進するものであるから,責任を負う場合がない(国家無答責)とはいえるが,外国の管轄に服する人民に対しては悪をなし得るのであり,その場合には,立法者自身が想定した国家無答責の根拠がないことになる。以上のような今村と同様の意見は,他の日本人委員にもみられる。

 国家無答責の根拠は,旧民法制定当時の立法者の見解によっても,国家とは人民の権利を保護し,幸福を増進させるものである,という「支配者と被支配者の自同性」「国家と法秩序の自同性」ないし利害の一致に求められていたのである。この意味で,本件の原告らは,事件の当時,日本の管轄ではなく中国の管轄に服する人民であったから,このような利害の一致を擬制することはできない。すなわち,本件は,国家無答責の前提を欠いているから,その法理の適用範囲外の事案であるといわざるを得ない。

カ 現憲法下における「従前の例」の解釈の在り方

 国家賠償法附則6項の「従前の例による」とは,国家無答責の法理により処理すべきであるとの意味ではなく,国家賠償法が存在しない従前の法状態(実体法)によるべきことを意味しているにすぎなことは,既に主張したところである。そして,法令の解釈は最新の解釈をなすべきであるという解釈の原則に従うならば(芝池義一意見書,甲総第96),「国家賠償法が存在しない従前の法状態(実体法)」について,戦前の判例の解釈に従う必要はなく,現時点において上記法状態について解釈を行うべきである。

 この場合,留意すべきことは,日本国憲法17条は,国の賠償責任を明記し,被害者の人権保障のために,戦前の国の特権的地位を否定し,私人と同様の地位に立つことを明らかにすることにより,いわゆる国家無答責の法理を全面的に否定し,憲法の趣旨に基づき国家賠償法が制定されたことである。このことにかんがみるならば,国家賠償法の附則6条に規定する「従前の例による」の解釈についても,日本国憲法17条の上記趣旨を没却させる解釈を採ることは許されない。

() 法令の解釈の基準時点

 現憲法下における「従前の例」の解釈の在り方をめぐる問題は,本件加害行為時と裁判時とで,国の賠償責任についての価値原理が180度変更している場合に,従前の価値原理に基づく解釈を踏襲し,結果的に日本国憲法の価値原理と真っ向から反する結論を導くことが法の解釈適用として許されるのかどうかという問題である。

 現在の裁判所は,基本的人権を中核とする日本国憲法の価値原理の担い手である。したがって,現在の裁判所は,究極的には日本国憲法の価値原理に則って法令の解釈適用を行わなければならない。裁判所としては,単に戦前の裁判例に従うのではなく,現時点において,戦前の法令の解釈をし直し,できる限り日本国憲法の価値原理に適合するような結論を導くように法の解釈適用に創意工夫を凝らすべきである。

 過去の法令の解釈について,過去の時点の解釈に従うべきではなく,現時点で当時の法令の解釈をし直すべきであるということは,複数の憲法学者,行政法学者らも主張しているところである。

() 正義公平の原則に従った解釈の必要

 また,本件のような,その加害行為が現行憲法の基本的人権尊重主義に違反するだけではなく,明治憲法の人権保障の精神にさえ明らかに違反するような残虐性の著しい非人道行為に対してまで,現在の損害賠償請求訴訟において,国家無答責の法理を持ち出すことは,「正義公平の原則」に違反するものとして許されないと解される。

 正義公平の原則は,条理に位置づけられるものであり,法の解釈の次元でも重要な意義を有している。また,この条理は戦前,戦後を通して実体法の中に存在する。解釈論として正義公平の原則を主張することは,国家賠償法が制定されなければ民法の解釈の発展によって救済されたであろう被害者が,国家賠償法の制定によって反対に民法によるの救済の途が事実上停止されるという不合理な結果を甘受しなければならない不正義を避けることにもなる(芝池義一意見書,甲総第96)。

キ 訴訟法上の救済手続の欠如としての国家無答責

 以上のアないしエにおいては,国家無答責の法理が実体法上の法理であることを前提として論じてきたが,ひるがえって考えると,国家無答責の法理は,成文法(実定法)上の解釈としては,訴訟法上の救済手続が欠如していることを意味する訴訟上の法理であると解さざるを得ないものといえる。

 すなわち,国の賠償義務が私法的性質を有すること,行政裁判所法16条は,行政裁判所が損害賠償の訴訟を扱わないことを定めていたにすぎず,司法裁判所については何も触れていないこと,民法の規定中に,国の賠償責任を否定した規定はどこにもないことは既に主張したところであり,実定法上は,国家無答責の法理を明記した成文法(実定法)は存在しておらず,そして,実際にも,国の賠償責任について司法裁判所の管轄権は否定されなかった。それにもかかわらず,大審院の裁判例の中には,実体的根拠については何も述べずに民法の適用を排除しているものもあるが,この点については,宇賀克也教授が,「わが国の場合,行政裁判所法16条と,公法・私法二元論を基礎とした権力行政についての司法裁判所の管轄の否定により,実体的根拠を論ずるまでもなく,訴訟上の理由で高権的活動に対する国家賠償請求の途が閉ざされていた」(宇賀克也「国家補償法」8頁)と述べているところである。そして,裁判例の中には,これを実体法の問題ではなく,手続法の問題として判示した例も存在するのであって,明治憲法下における裁判例は,国家無答責の法理の実体的根拠を全く示すことなく,専ら管轄の範囲外の問題であることを根拠に適用法条を欠く旨を宣言してきたにすぎないともいえる。すなわち,日本における国家無答責の法理は,判例上認められてきたものであるが,それは実体法上明確な根拠に基づくものではなく,単に,司法裁判所の管轄外であるために司法裁判所としては適用法条を欠くという訴訟手続法上の理由が根拠となっていたにすぎないともいえるのである。

 また,戦前の国家無答責の法理の成文法上(判例を除く実定法上)の根拠をさぐれば,行政裁判所法16条,明治憲法61条しかないことは明らかである。そして,この条文はいずれも裁判管轄の存否に関する手続法の領域に属するものであって,国家無答責の成文法の根拠が裁判管轄という訴訟手続法上の理由であったとするのは,成文法上の解釈としては十分理由がある。

 国家無答責の法理が成文法の解釈としては,専ら管轄の範囲外の問題であることを根拠とする訴訟法上の問題であるとするなら,今日においてこの法理を理由とすることはできないことはあまりにも明白である。なぜなら,今日では行政裁判所制度は廃止されて司法裁判所に一元化され,日本国憲法により国家無答責の法理が否定されたことと相まって,裁判所法3条で,「一切の法律上の争訟」は司法裁判所の管轄に属することになったのであり,本件訴訟はこの現在の訴訟法に従って審理されているからである。したがって,国家無答責が訴訟手続法上の法理であるなら,本件について,国家無答責の法理により国の賠償責任を免れさせる根拠は全くないことになる。

ク 時際法の観点からみた国家無答責の法理の不適用

 以上アないしカの主張は,国際私法が適用になるかどうかにかかわらず,すなわち,本件について日本法がそのまま適用となると解したとしても国家無答責の法理の適用がないことを述べたものであるが,国際私法が適用になるとの解釈に立つ場合においても,時際法の観点からみて,今日においては,国家無答責の法理の適用がないことは以下に述べるとおりである。

 抵触法とは,複数の異なる法が存在するときにいずれの法を適用するかを決定するルールである。このことは時際法,すなわち法律の変更があった場合に新旧どちらの法を適用すべきかを定める場合においても異ならない。法の空間的抵触を解決するのが国際私法だが,法の時間的抵触を解決するのが時際法なのである(三井哲夫「国際私法と時際法」国際私法の争点〔新版〕10頁)。時際法はそれぞれの法律の附則などの形で規定されることが多いが,その本質が抵触法であることに変わりはない。そして,この時際法の観点からみた場合にも,被告国による国家無答責の議論は肯定できない。確かに,国家賠償法附則6条は「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と規定しているが,この規定を適用することが妥当であるかどうかについても,当然これを時際法の観点から検討すべきことになる。時際法も抵触法である以上,サーシーの主張にもあるとおり,そこに抵触法としての時際法上の「公序」の問題が存するはずだからである。この場合,規定上旧法によるべき場合であっても,その適用が公序良俗に反することになるときには,時際法上の公序が発動され,結局旧法は適用されないことになる。

 これを本件についてみるなら,「戦前の国家無答責の法理は,現在からみれば,公序良俗に反する程に不当な法制度であり,かような法理が現在係属している事件に適用され,著しく不合理な結果をもたらす場合には,その適用を差し控えるべき」(奥田安弘第1意見書,甲総18号証)ことになるのである。すなわち,本件のような権利侵害においては,被害者の肉体的,精神的苦痛は現在もまだ続いている状態であり,その意味で今なお救済の必要性は大きい。また,加害者である被告国の側からみても,内外の状況は,補償の必要性を忘れさせることを許しておらず,平和と国際協調を標傍する戦後の憲法秩序全体に大きな影響を及ぼしている。さらに,加害行為と被害の状況をみても,本件加害行為は,いずれも常軌を逸したものであり,到底正当な権利行使とはいえないものである。かかる加害行為を戦後の法秩序の下において免責することは正常な法感覚に著しく反する。

 したがって,本件加害行為及び損害の発生が新法施行前の出来事であったからといって,旧法の国家無答責の法理を適用することは,法的安定性,当事者の予見及び期待可能性を考慮してもなお,時際法上の公序に反する。その結果,国家賠償法附則6項の解釈においては,本件における具体的な事情をみるかぎりでは,国家無答責の法理を適用すべきではなく,この場合,現行の国家賠償法によって不法行為の成立が判断されることになる。

 以上のとおり,時際法の公序の観点からみても,本件原告らの請求を国家無答責の法理により棄却することは許されないのである。

(4) 法例11条3項による民法724条後段の累積適用の主張に対する反論

 被告国は,法例11条1項により1930年中華民国民法が適用されて原告らの主張する損害賠償請求権が成立するとしても,同条3項により不法行為の効力全体について日本法が累積適用される結果,日本民法724条後段の「除斥期間」の規定も適用されるから,原告らの損害賠償請求権は既に消滅していると主張する。しかし,これもまた,法例11条3項の解釈を完全に誤った主張であるというべきである。

ア 法例11条3項の規定の文言

 法例11条3項の規定による日本法の累積適用が不法行為債権の消滅時効にまでは及ばないのは,その条文の文言をみれば明らかである。すなわち,同条1項が不法行為によって生ずる「債権ノ成立及ヒ効力」について,不法行為地法の適用を定めているのに対して,同条3項は,「損害賠償其他ノ処分」についてのみ,日本法の累積適用を定めている。すなわち,法例11条1項は,不法行為債権の「効力」について,これを不法行為地法によらせると規定しており,これによれば,不法行為債権の効力に関するすべての問題は,消滅時効の問題も含めて,不法行為地の実質法が適用される。一方,法例11条3項による日本法の累積適用は,「損害賠償其他ノ処分」にまでしか及ばないと規定されているのであるから,その結果,同項は,不法行為の直接的な効力である損害賠償の額及び方法の問題にまでしか及ばないものと解するほかないのである。

 仮に,法例の立法者が日本法の累積適用を不法行為の効力のすべてに及ぶとするつもりであったのならば,わざわざ2項と3項を分けなかったであろう。例えば,2項において,「前項の規定にかかわらず,日本の法律が認めない不法行為の成立及び効力は認めない」と規定すれば足りたはずである。ところが,法例は,このような規定の仕方をせず,11条2項と3項を別個に規定し,さらに3項においては,「損害賠償其他ノ処分」という文言を用いている。このことは,法例11条3項による日本法の累積適用の範囲を不法行為の効力の全体に及ぶこととする趣旨でないことを意味しており,通説はこれを当然の前提として立論しているのである。

イ 立法経過からの考察

() 立法経緯

 現行法例の立法資料として一般に利用される法例修正案理由書(皆木卜一郎編「再版・法例及国籍法附修正案理由書」29頁)によれば,11条2項の趣旨は,外国の法律によれば不法行為として債権の発生原因となる行為であっても,日本の法律によれば合法の行為であるときは,救済を与える理由がないということにあり,また,3項の趣旨は,外国の法律が与える救済と日本の法律が与える救済との間で,その処分方法が異なるときは,日本の法律が認めない救済方法を与える理由がないということにあるとされている。この理由書を素直に読めば,時効や除斥期間が含まれていると解することはできない。

 また,法例議事速記録(「法典調査会・法例議事速記録(日本近代立法資料叢書26)」125頁)では,穂積陳重が11条3項の提案理由を述べている。それによれば,法例11条3項は,日本法が認めた以外の損害賠償を認めないという趣旨であり,例えば,オランダ法では,名誉毀損の場合に,法廷で被害者に謝罪をするとか,以前に述べたこと,あるいは書いたことが誤りであったと公言することが救済方法として認められているが,たとえ不法行為地がオランダであったとしても,日本において,このような救済方法を認めることはできないとされている。

 さらに,奥田安弘第2意見書(甲総46号証)及び奥田安弘論文(甲総47号証)の紹介するドイツの立法及び立法草案によれば,我が国の法例11条3項は,モムゼン草案やゲープハルト草案をモデルにしたと考えられ,それによると,不法行為について外国法が適用される場合であっても,罰金や私罰の支払は,内国法が認める場合に限り命じられるとされていた。そこでいう罰金や私罰とは,現在の用語法でいえば損害賠償を意味しており,まさに内国法の適用は,このような損害賠償だけを対象としていたのである。我か国の法例は,オランダ法のように,損害賠償に加えて法廷での謝罪などを認める立法例があることを念頭に置いて,「損害賠償其他ノ処分」と規定したと推測される。

 以上によれば,法例11条3項は損害賠償の方法及び程度にのみ関する規定であり,時効や除斥期間は含まれていないと解するのが合理的な解釈である。

() 時効と公序に関する議論

 さらに法例の立法過程において,時効と公序の関係についてなされた議論も参照すべきである。すなわち,寺尾亨が時効と公序の関係について,起草者の意見を質したところ,穂積陳重は,別段の規定を設ける必要なしと回答したのに対して,梅謙次郎は,外国法上の時効期間が日本法上の時効期間よりも長い場合には,その外国法の適用を排除して,日本法を適用すべきであるとする規定を提案した。しかし,この提案は,賛成が少なく,結局は採用されなかった(法例議事速記録192頁以下)。

 その後,大審院大正6年3月17日判決・民録23輯378頁は,準拠外国法が日本法よりも長い消滅時効期間を定めている場合には,国際私法上の公序に反するとして,日本法を適用したが,学説は,一斉にこれを批判し,準拠外国法が定める時効期間が極端に長い場合や,全く消滅時効を認めない場合は,具体的な事件における適用結果を考慮したうえで,法例33条の公序の発動も考えられるが,一般的に時効期間の長短により法例33条を適用すべきではないと主張し(山田鐐一「国際私法」332頁など),戦後は,これに従った下級審判決も現れている(例えば,徳島地裁昭和44年12月16日判決・判例タイムズ254号209頁)。

 以上の経緯は,法例11条3項による日本法の累積適用に時効・除斥期間の問題が含まれないことを示している。仮に,法例11条3項にいう「損害賠償其他ノ処分」の中に時効・除斥の問題が含まれるとしたなら(そのような解釈は文言上無理であるが),梅謙次郎の提案は,少なくとも不法行為債権の時効については重複することになる。確かに,法例の立法経緯における議論は,第1次的には契約債権の時効に関するものであるが,梅の提案は,契約債権と不法行為債権を区別しておらず,このような重複は指摘されていない。これは,まさしく法例11条3項による日本法の累積適用に時効・除斥の問題が含まれないことを示している。

 また,時効と公序の関係に関する判例は,いずれも契約債権と不法行為債権を区別しないで展開されており,外国法の適用については,単に日本法によった場合と比べて長い時効期間を認める結果になるからといって,その適用が排除されるわけでなく,具体的な事案との関連で法例33条の公序の発動が問題となるにすぎないとしている(なお,国際私法上の公序は,そもそも外国法の適用結果が日本法によった場合と異なることだけを理由とするわけではないから,公序の発動の可能性があるということは,本来は取り上げる必要のない議論である。)。ここでも,仮に法例11条3項による日本法の累積適用に時効・除斥の問題が含まれるとしたなら,不法行為債権の時効について,上記の議論は成り立ち得ないことになる。なぜなら,公序の発動以前に,日本法よりも長い時効期間を定めた外国法は,すべて日本法の累積適用により排除されることになるからである。しかし,上記の議論は,そのような事態を完全に否定しているのである。

ウ 法例11条3項に関する学説

 法例11条3項による日本法の累積適用に消滅時効の問題までは含まれないことは,国際私法に関するどの法律文献を見ても明らかである。すなわち,法例11条3項により消滅時効の問題にまで日本法の累積適用が及ぶとしている学説は,過去から現在に至るまで,どのような著書や論文をみても,ひとつとして存在していない。被告国は,各見解の趣旨とするところを誤解しているとしかいいようがない。

 これは,日本の学説が上記の立法経緯を暗黙の前提としているからであろう。確かに,これらの学説では,丹念に立法経緯を紹介したり,ドイツの立法草案を検討したものは見当たらない。しかし,それは,法例11条3項の文言から,損害賠償の方法及び額についてのみ日本法を累積適用する趣旨であることがあまりにも明白であるために,改めて立法経緯を紹介するまでもないと考えられたからであろう。

エ 小括

 以上のように,法例11条3項の日本法の累積適用によって原告らの損害賠償請求権が認められないとする被告らの主張は,完全なる誤りである。原告らの損害賠償請求権が,被告らのいうように,日本民法の除斥期間の経過によって消滅しているということは考えられない。

(5) 民法724条後段の解釈,適用

 法例11条3項の解釈からすれば,民法724条後段の定めが累積適用されないことは余りにも明白であるが,念のため,民法724条の解釈・適用に関する被告国の主張についても反論をしておく。

 被告国は,民法724条後段の適用に関し,最高裁平成元年12月21日第一小法廷判決・民集43巻12号2209頁(以下「平成元年第一小法廷判決」という。)を根拠として,原告らの主張にかかる不法行為の時から既に20年を経過しているのであるから,民法724条後段により,不法行為に基づく損害賠償請求が消滅していることは明らかであると主張する。しかし,後述するとおり,最高裁平成10年6月12日第二小法廷判決(以下「平成10年第二小法廷判決」という。)によって,民法724条後段の適用に制限のあることが明らかとなった今,本件事案の事情からみて適用を制限すべきかどうかの実質論こそが問われているのであり,被告らの主張は意味をなさないものである。

ア 民法724条後段の法的性格(時効説)

 民法724条後段の20年の期間の法的性格については,立法の沿革,法解釈,比較法のいずれの見地から考察しても,時効と考えるのが相当である。

() 立法の沿革

 現行民法の立法に際して,極めて多くの諸外国の立法例が参考にされたことは,法典調査会の記録に示されているが,特に,民法724条の期間制限に関する規定が,ドイツ民法第1草案719条,第2草案775条及びそれに先駆するプロイセン民法の規定を継受したものであることは,立法資料の上から疑う余地がない。すなわち,ドイツ民法第1草案719条とそれにわずかな変更,修正が加えられた第2草案724条第1項の規定は,第1項「不法行為による損害賠償請求権は,3年の期間満了により時効にかかり,右期間は,被害者が被った損害及び賠償義務者の何人であるかを知ったときより始まるものとする。」第2項「右の請求権が,前項の規定によって既に時効に係っていない場合には,其の時効期間は,不法行為を為したときより起算して30年とする。」という内容のものであった。

 そして,民法724条の母法たるこれらの立法は,不法行為に基づく損害賠償請求権に長短二重の期間制限を採用しているが,そのいずれもが,時効として立法されており,特に長期30年の期間が時効であることは,全く異論がないのである。そればかりではなく,民法の立法に際しての法典調査会に提示された当初の原案には,「不法行為ニ因ル損害賠償ノ請求権ハ被害者又ハ其法定代理人カ損害及ヒ加害者ヲ知リタル時ヨリ三年間之ヲ行ハサルニ因リテ消滅ス但第一六八条ノ適用ヲ妨ケス」とあった。この点について,民法の立法に際しての法典調査会における起案者穂積陳重の趣旨説明は,「本案ハ即チ此通常ノ場合ハ三年其他ハ消滅時効ノ規定ニ従フト云フノテアリマス」というのであり,その後の法典調査会や帝国議会の法典審議においても,この20年の期間が,時効期間であることについては,何らの疑念もなく,これを母法と異なる除斥期間として立法されたことを証する事実は存在しないのである。以上の立法経過や法継受の系譜等からみて,民法724条後段の立法趣旨が時効制度を定めることにあったことは明瞭である。

() 比較法的(特にドイツ法との比較)考察

 現行ドイツ民法852条は,「不法行為によって生じた損害の賠償請求権は,被害者が損害及び賠償義務者を知った時から3年で,これを知ったか否かを問わず,行為の時から30年で,消滅時効にかかる。」と規定している。また,ドイツ民法では,消滅時効にかかるとされているのは請求権である。原則として,請求権が除斥期間にかかることはないのである。したがって,ドイツ民法では,不法行為による損害賠償請求権は,その権利の性質上当然に消滅時効に服すると考えられているのである。

 さらに,フランス民法,イギリス民法等を見ても,不法行為による損害賠償請求権について,除斥期間とする立法例は全く存在しない。また,20年という期間も,ドイツやフランスと比較して,かえって短期間である。その上,二重期間という構造も,ドイツ法,イギリス法と同様であるが,その長期間を除斥期間とする見解は,いずれの国にも存在しない。さらに,各国とも,事案に応じた正義・公平を除斥期間の適用に優先しており,特別の事情があるときには,停止や信義則等の適用を認めているのである。

 このように,諸外国の立法例との比較法学的観点からみても,除斥期間説を採る日本の最高裁判所の態度は,特異な態度だといわねばならない。

() 法解釈学的考察

 民法724条後段の法的性格を除斥期間と解する見解の根拠は,「法律関係の速やかな確定」ということである。「法律関係の速やかな確定」という要請は,いかなる社会的諸関係における社会のどのような要請を表現しているのかは,法律関係の実体によって異なるものである。「速やかな確定」により損害賠償請求権を失う権利者及び義務を免れる債務者の双方にとって,「法における正義」の要請に合致するものでなければならない。そうであれば,「法律関係の速やかな確定」が法律上の要請であるとしても,その一事をもって,直ちに,不法行為による損害賠償請求権に関する民法724条後段所定の20年の期間が,除斥期間であると解することには,あまりにも大きな法解釈上の論理の飛躍がある。

 資本主義社会においては,商品交換関係の法的形態である売買契約関係の迅速な確定が,社会関係の安定した秩序のために強く要請される。そのことから,その一般的な社会的要請が不法行為による損害賠償請求権にまで妥当すると考えられるに至ったと思われる。しかし,例えば,通常の契約上の債権については,権利者側において,予め権利行使の準備が可能であり,義務者もそれを予期して行動する。そして,権利の行使が容易である権利者については,その不行使の過失,瑕疵がその人の不利に考慮されてもよいともいえよう。これに対して,不法行為は,多くは,予期しない状況に発生するものであるから,被害者の早期の権利行使は,困難であるのが普通である。とりわけ複雑な公害事件とか被災後長期間が経過した後に発病する職業病,あるいは加害行為,不法状態の長期にわたる継続,累積により漸次発現する損害のごとく,損害発生に至る経路が複雑で原因行為と損害との因果関係の発見・立証が困難で提訴まで時間のかかるものが多いことは周知の事実である。また,加害者や損害賠償請求権の存在が明らかであっても,戦争,事変あるいは拘禁等の社会的客観的な諸事情により,当然救済されるべき被害者の権利行使が,被害者自身の責めに帰し得ない事由から長期間にわたり阻害される場合が稀ではない。不法行為責任におけるこのような状況を顧慮すると,20年の長期時効には,充分な合理性があるので,除斥期間説の主張するように不法行為の時より20年の期間経過によって,被害者側の事情を一切考慮せず一律機械的に損害賠償請求権を切り捨てることには,被害者の権利保護の上で重大な懸念があるといわねばならない(内池意見書・甲総第9号証の1参照)。

イ 起算点論,停止規定の準用と除斥期間の不経過

() 除斥期間説の新たな展開

  民法724条後段の法的性格を除斥期間と解するとしても,その起算点である「不法行為ノ時」をいかに解すべきか,また,「停止」をいかなる範囲,程度まで認めるのかは,別に検討されなければならない。

a 起算点論

 民法724条後段の20年の期間の起算点について,下級審判決は,加害行為時説を採るもの,損害発生時説を採るものとに分かれている。周知のように除斥期間説を採るものは,「不法行為の時」を原因行為時ととらえてきた。それに対して,時効説は,これを「損害発生時」と解し,対立してきた。両説の,「法律関係の速やかな確定」と「被害者保護の重視」という2つのメルクマールがこの対立を生んだのであろう。ともあれ,現在では,除斥期間説=原因行為説では,法的正義を実現できないという状況となっている。例えば,再審無罪判決を得た受刑者が不法行為に基づく損害賠償をする場合のように,その被害者に権利の行使が法律上期待できない場合においては,継続的不法行為論による原因行為時の拡張や権利行使可能時までの進行の停止といった法解釈的技術を用いて,実質的時効説=損害発生時説=権利行使の可能時説と同一の結果を探らざるを得ない状況となっているのである。

 時効説においても,期間の起算点に関しては,除斥期間と同様の問題をはらむが,時効では,中断や停止事由により柔軟な対応が可能であるのに比して,除斥期間は,一般には,中断や停止に親しまないものと理解されているゆえに,起算点の決定は,極めて重大な結果をもたらすこととなる。なぜならば,原因行為時を起算点とする解釈は,いまだ発生もしていない損害賠償請求権について,その時効・除斥期間が進行することを認めざるを得ないという原理的な矛盾をはらむのみならず,現実の具体的な損害の発生過程は,多くの行為や事実が関連し,複雑な経路をたどるものであるから,何が原因行為で何がその発端か,終焉かということは,実際上判定が困難であって,その決定は,おのずから恣意的なものとならざるを得ない。起算点を損害の発生時に求める立場でも,損害は因果の流れに沿って,無限に展開するゆえに,その確定は,必ずしも容易ではないが,結局のところは,724条の立法趣旨により,損害賠償請求権の行使が客観的,一般的に期待され得る状況が,ここにいう「不法行為ノ時」だということになろう(内池意見書甲総第9号証参照)。

b 停止規定の準用

 停止規定の準用をめぐっては,再審無罪判決を得た受刑者あるいはその家族が,先の違法判決及びそれに基づく刑の執行により被った被害の賠償を国に請求した訴訟の判決が注目されている。そして,これらの判決に共通することは,そのいずれもが,民法724条後段の20年の期間を除斥期間としながら,被害者において,長期にわたり事実上又は法律上権利行使の可能性がなかったことを考慮して20年の期間を未了と判断している点である。そして,その理論的特徴は,先ず起算点としての「不法行為」を違法な判決の言渡しから刑の執行終了までの一体継続した不法行為としてとらえ,刑期の満了日をもって20年期間の起算点とする。そして,再審によって,無罪が確定するまでは,受刑者から国に対する損害賠償請求が事実上も法律上の可能性がなかったので,この間は,除斥期間は進行しない=進行を停止するという理論構成を採っていることである(内池意見書甲総第9号証の2参照)。

 民法が,158条ないし161条に規定しているのは,いずれも期間の「完了の停止」であるが,「停止」それ自体は,期間の満了についてのみならず,期間の開始や開始後の期間の進行についても考え得るのであり,上記法意に照らして,被害者が客観的にみて権利行使し得ないときは,除斥期間の進行が停止していると考えられる。

() 原告らの権利行使可能性

 原告らの権利行使可能性については,浅井基文元外務省中国課長(現明治学院大学教授)が意見書(甲総第11号証)で述べているとおりである。以下,要約して主張する。

a 被告国と中国との間の国交断絶状態と国交回復

 被告国は,中華人民共和国(1949年成立)に対する敵視政策を戦後一貫して取り続けた。そのために,被告国と中国は国交断絶の状態が続いた。1972年の日中共同声明によって国交を正常化させることが政治的に明らかにされた。1972年から1978年までの日中関係においては,様々な実務協定(貿易,海運,航空,漁業等)が締結されたが,本格的かつ正常な国家関係の基礎が法的に打ち固められたのは1978年の日中平和友好条約の締結によってであった。

b 中国における政治状況と原告らの権利行使可能性

 中国において対日民間賠償請求問題が公の場で初めて取り上げられたのは,1991年3月に行われた第7期全国人民代表大会(日本の国会に相当する。)第4回会議である。科学工業部幹部管理学院法学部教員童増氏が,大会信訪局(「信訪」とは,民衆からの陳情・投書を指し,全国人民代表大会のみならず,党・政府機関などにもこれらの陳情・投書を専門に受け付ける部局が設けられている。)に対し,被告国が戦争の過程において戦争規則及び人道上の原則に違反して中国人民及びその財産に対して犯した重大な罪業に関する賠償要求に関しては,中国政府はいかなる状況においても放棄すると宣言していないとする意見書を提出した。すなわち,国家間の戦争賠償と民間の戦争被害賠償という二種類の賠償を法的に区別し,前者については日中共同声明で中国側は放棄したが,後者については共同声明では触れておらず,したがって中国の民間人被害者及びその遺族は日本政府に対して要求できるはずだという主張が現れたのは,もっとも早くても1991年3月になってからである。

 1992年4月,江沢民国家主席が「日中戦争時の民間被害について,日本に対し賠償を求める動きが中国で浮上している問題」に関して日本の記者が質問したのに対し,「戦争が残したいくつかの問題に関して,我々は従来から事実に基づいて真実を求める,厳粛に対処するという原則を主張し,相互に協議してこれらの問題について条理にかなう形で妥当に解決するべきだと主張してきた。」と発言した。この発言は,慎重に言葉を選んでおり,日中関係が袋小路に落ち込むことは避けたいという配慮がうかがわれる。中国の政治状況の下では,かかる中国共産党指導部の政治的配慮は,一般の国民が党の対日政治的配慮を無視し,具体的な権利行使の挙に出ることを許さなかった。

 1995年3月9日,全国人民代表大会で銭其? 外相(当時)は,対日戦争賠償問題について,1972年の日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって,個人の賠償請求は含まれないとの見解を示し,補償の請求は国民の権利であり,政府は干渉すべきでないと述べた(以下「銭発言」という。)。これは1995年以降の日本側の行動に起因する中国国民の対日感情の悪化に伴って,中国政府が,対日政治考慮を優先する姿勢を変更したものである。この銭発言によって,一般の中国国民が日本政府を相手に本件訴訟を起こすことについて,いわば政府の政治的「お墨付き」が与えられ,初めて原告らの権利行使が可能になったということができる。

c 中国における法的整備状況と原告らの権利行使可能性

 ケ小平は,1978年12月,「人治から法治へ」というスローガンに集約される法治国家建設につき,「今の問題は,法律が整っておらず,多くの法律がまだ制定されていないことにある。とかく指導者の言葉が『法』とみなされて,指導者の言葉に賛成しなければ『違法』とされ,指導者の言葉が変われば,『法』もそれにともなって変わる。それゆえ,刑法,民法,訴訟法,その他の必要な法律(中略)の制定に力をそそぎ」と発言している。この発言は,1978年当時における中国が「法的空白」状態にあったことを端的に物語っている。

 ケ小平の以上の発言を受けて,中国国内における法整備に向けた努力が本格化した。しかし,中国においては,民法という基本法ひとつをとっても,わが国における民法総則部分に相当する通則は制定されたが,物権及び債権に関する部分はいまだ制定されるに至っていない。現在でもなお,中国が名実ともに「法治国家」の体をなすまでには,今後なお長期にわたる継続的努力が求められる状態である。法治国家建設の進ちょく状況と裏腹の関係にある中国人一般の法意識についても,中国人の法律に関する知識,ましてや,法律に基づいて自己の権利を主張するなどという発想は希薄である。

 原告らは,このような法概念の希薄あるいはほとんど欠落した一般的状況の下で生活している。我が国の社会における法意識を想定して,本件原告らの権利行使の可能性を論ずるのは誤りであって,中国社会の法意識を前提に原告らの権利行使可能性を判断しなければならない。中国社会の法意識を前提にすれば,原告らは,本件訴訟弁護団との出会いがなければ権利行使をなし得なかったのである。

d 中国における旅券法と原告らの権利行使可能性

 「中華人民共和国公民出境入境管理法」が制定されたのは1985年11月,施行されたのは,翌1986年2月からである。つまり,一般の中国人が自由に海外に渡航する根拠となるパスポートの取得が原則的に自由化されたのは,1986年以後である。また,1986年以降においても,パスポート取得の申請は公安機関になさねばならず,「国家の利益に重大な損失をもたらすおそれがある」ときは出国を許可しないとされていることから,対日関係に配慮していた中国政府の態度を考えると,1995年3月の銭発言までは,出国は極めて困難だったということができる。

 本件原告らが,原告として日本に渡航できる現実的可能性が生じたのは,1995年3月以降と考えられる。

e 中国における経済状況と原告らの権利行使可能性

 中国における経済状況を考えると,私的目的のために海外渡航するだけの経済力を持つに至った中国人は,まだ極めて少数であり,例外的であるというのが現状である。1995年当時の農村家庭1人当たりの純収入は月額で131.5元(1元16円とすれば,日本円で約1100円),都市家庭1人当たりの生活費収入は月額で325.2元(日本円で約5200円)であり,ほとんどの中国人戦争被害者及びその遺族にとって,自力で裁判の準備をして,日本に渡航し裁判に訴えるという経済的可能性は,現状ではないというほかない。

f まとめ

 原告らが権利の行使が法的に可能であることを認識し得た時期は,最も早くても1991年以後と判断するしかない。しかし,現実に権利行使の可能性を原告らが明確に認識するためには,1994年の本件訴訟弁護団との出会いが必要であった。そして,中国政府の「お墨付き」(前記銭発言)のあった1995年3月において初めて,原告らの権利行使を実行に移す条件が具備されるに至ったというべきである。

() 小括

 以上のとおり,客観的にみて現実に原告らの権利行使を期待できることとなったのは,1995年3月の時点である。ところで,前述したとおり,民法724条の法的性質を仮に除斥期間と解するとしても,「不法行為ノ時ヨリ」とは,客観的に見て権利行使をなし得る時と解すべきである。したがって,本件訴訟は,権利行使が可能になってから5か月後の1995年8月に提起されたのであるから,当然,20年の期間は満了しておらず,本件に民法724条後段を適用して,加害者たる被告の義務を免れしめ,他方,被害者たる原告らの権利を喪失せしめることはできないというべきである。また,権利者が権利行使できないときは権利者を保護するという停止の規定の法意から考えても,本件のケースでは,1995年3月までは除斥期間ないし時効の進行が停止しており,20年の期間は満了しておらず,民法724条後段の適用は許されないというべきである。

ウ 平成10年第二小法廷判決と除斥期間の適用制限

() 平成10年第二小法廷判決の内容

 平成10年第二小法廷判決は,平成元年第一小法廷判決を引用し,724条後段の性質について除斥期間説を採用することを明らかにしている。

 そして,「民法158条は,時効の期間満了前6か月内において未成年者又は禁治産者が法定代理人を有しなかったときは,その者が能力者となり又は法定代理人が就職した時から6か月内は時効は完成しない旨を規定しているところ,その趣旨は,無能力者は法定代理人を有しない場合には時効中断の措置を採ることができないのであるから,無能力者が法定代理人を有しないにもかかわらず時効の完成を認めるのは無能力者に酷であるとして,これを保護することにあると解される。」

 「これに対し,民法724条後段の規定の趣旨は,前記のとおりであるから,右規定を字義どおりに解すれば,不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において心神喪失の常況にあるのに後見人を有しない場合には,右20年が経過する前に右不法行為による損害賠償請求権を行使することができないまま,右請求権が消滅することになる。しかし,これによれば,その心神喪失の常況が当該不法行為に起因する場合であっても,被害者は,およそ権利行使が不可能であるのに,単に20年が経過したということのみをもって一切の権利行使が許されないこととなる反面,心神喪失の原因を与えた加害者は,20年の経過によって損害賠償義務を免れる結果となり,著しく正義・公平の理念に反するものといわざるを得ない。そうすると,少なくとも右のような場合にあっては,当該被害者を保護する必要があることは,前記時効の場合と同様であり,その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである。」

 「したがって,不法行為の被害者が不法行為の時から20年を経過する前6か月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合において,その後当該被害者が禁治産宣告を受け,後見人に就職した者がその時から6か月以内に右損害賠償請求権を行使したなど特段の事情があるときは,民法158条の法意に照らし,同法724条後段の効果は生じないものと解するのが相当である。」と判示する。

() 平成10年第二小法廷判決が出された背景

a 平成元年第一小法廷判決以後の下級審判例

 平成10年第二小法廷判決は,724条後段の法意について除斥期間説を採用しつつも,それを貫いた場合に生じる被害者保護の要請が害されるケースにつき,具体的妥当性のある結果を導くため,その適用を制限したものである。

 民法724条後段に関する平成元年第一小法廷判決は,「同条後段の20年の期間は被害者側の認識の如何を問わず,一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であるからである。」と判示している。

 しかし,平成元年第一小法廷判決後の下級審の判例の状況をみると,必ずしもこのような紋切り型の判断をしているわけではなく,むしろ,民法724条後段を除斥期間と判断しながらも,事例の具体的妥当性ある解決を試みているものが散見されたのである(福島地裁いわき支部昭和58年1月25日判決,東京地裁平成4年2月7日判決,京都地裁平成5年11月26日判決,大阪高裁平成6年3月16日判決など)。

b 平成元年第一小法廷判決以降の学説

 平成元年第一小法廷判決以降の学説は,むしろ724条後段の法的性質について時効説が多数を占める傾向にあり,除斥期間と解する学説においても,平成元年第一小法廷判決のように事案の内容如何に拘わらず時の経過という一事によって当然に請求権が消滅すると解するのではなく,事案の内容や特殊性を考慮し,一定の判断基準の下に被害者を保護するため,あるいは法の正義・公平を図るため,その適用を制限することを認めるようになっていた。すなわち,除斥期間説に対抗するものとして,時効説の再構築が図られる一方で,除斥期間説の弱点,欠点を補うためのものとして,前述したような起算点論や,また,「信義則違反」,「権利の濫用」に当たる場合には,除斥期間の適用は制限しなければならないとする考え方など除斥期間説にも新たな展開がみられていたのである。

() 平成10年第二小法廷判決のもつ意味

 平成10年第二小法廷判決は,その判文を読む限りにおいては,極めて限られた事例においてのみ,被害者の救済を図るようにもみえる。

 しかし,平成10年第二小法廷判決も「少なくとも右のような場合にあっては,(中略)その限度で民法724条後段の効果を制限することは条理にもかなうというべきである」と判示し,正義・公平の理念からして,単に20年の経過だけで権利行使を制限することが被害者に酷な場合には,民法724条後段の適用を制限して,権利は消滅していないと判断できる余地を残しており,要は民法724条後段を時効と解しても,除斥期間と解しても,期間の法的性質から直ちに援用制限ないし適用制限の範囲を演繹すべきではなく,個別事案の特殊性から帰納すべきであるとの基本的な立場に立つものというべきである。つまり,除斥期間であるという理由のみによって,法的関係の早期確定の要請が時効よりも強く働くと結論付け,著しく正義や公平に反した場合にだけ例外的に適用制限を認めるというような硬直した解釈を採ることは,個別事案の特殊性に応じて事案の妥当な解決を図るために存在する信義則や権利濫用法理の硬直化を招き,ひいては紛争解決に果たす裁判の役割も硬直化していくことになり,極めて不当な結果になる。平成10年第二小法廷判決はこうした硬直化した解決を回避し,個別事案の特殊性を十分考慮に入れながら法の正義・公平の観点から具体的妥当性ある解決を導いているのである。

() 適用制限の判断要素

 このように個別事案の特殊性を十分考慮に入れながら法の正義・公平の観点から具体的妥当性ある解決を導くためには,著しく正義・公平の理念に反する特段の事情があるかどうかの判断は,判断要素を限定的に考慮するのではなく,広く多様な判断要素を考慮しながら総合的になされるべきである。

 従来,裁判例で時効の援用を制限し,あるいは除斥期間の適用を制限するに際して,用いられてきた判断要素は,@ 義務者による権利行使の阻害度,A 権利行使条件の成熟度,B 権利行使的要素の認定,C援用態様の不当性,D 権利保護の必要性,E 義務者保護の不適格性,F 加害者の地位である。民法724条後段の趣旨が,法律関係の速やかな確定,攻撃防御・採証上の困難からの加害者の保護,権利の上に眠る者は保護しないなどにあることを考慮すると,@ 権利の性質や加害者と被害者の関係などから時の経過の一事によって権利を消滅させる公益性に乏しく,A 義務の不履行が明白で時の経過による攻撃防御・採証上の困難がなく,B 被害者の権利不行使につき権利の上に眠る者との評価が妥当しない場合には,上記特段の事情があるというべきであり,積極的に民法724条後段の適用を制限すべきである。

() 本件事案の特徴

 本件事案には以下の特徴がみられる。

a 本件不法行為の悪質性と権利侵害の重大性・明白性

 本件不法行為は,被告国の中国に対する全面的侵略の下で行われた。

 被告国は,1931年9月18日の柳条湖事件にみられるように,謀略を用いた軍事介入を行い,1932年には,被告国の傀儡国家である満州国を樹立させ,さらに,熱河省,河北省に侵攻した。その後も被告国の支配欲は飽くことを知らず,1937年7月,中国軍を攻撃し,盧溝橋付近で日中両軍の戦闘が繰り返され,8月には,日中両軍は交戦状態に入った(第2次上海事件)。

 日本軍は,南京への進撃途上の至る所で住民に対する略奪,暴行,虐殺,放火を行い,南京を占領すると,世界を震憾させた残虐行為を繰り広げた。南京城内外で殺害された中国軍民は,老人,子供,婦人など一般市民を含め,20万人は下らないといわれている(南京大虐殺事件)。次いで,1941年7月には日本軍は南部仏印に進駐したことにより(南進政策),米英等との対立が決定的となり,同年12月8日にアジア太平洋戦争が開始されたのである。

 被告国は,日中15年戦争において,住民虐殺,強制連行・労働,強姦など数限りない暴虐行為を繰り返し,900万人以上の中国軍民を殺害した。こうした中で,多数の中国人が中国国内から日本軍と国民政府によって捕らえられ,日本に連行されて過酷な労役を強いられ,数限りない虐待行為,暴行,栄養失調などによって,多数の者が生命を失ったのである。

 被告らの加害態様と原告らの被害状況は,別冊1記載のとおりであり,被告国と被告企業とが共同関係に立って,原告らを含む中国人を暴力的行為によって日本に連行し,まさに牛馬のように使役したのである。

 このような被告らの加害行為は,故意に行われた残虐極まるものであり,重大な国際法違反(奴隷条約及び国際慣習法としての奴隷制の禁止違反,ハーグ条約,人道に対する罪等の違反)かつ帝国憲法の下でも刑事犯罪に該当する重大な人権侵害行為である。

b 被告国による原告らの権利行使の事実上の阻害

 被告国が中国を全面的に侵略したことにより,中国民衆は,著しい苦難に見舞われた。戦後においても,被告国は,中国を敵視し,台湾との友好関係を優先させ,長期間にわたり国交は断絶したままであった。国交断絶の主要な原因が被告国にあることは明らかである。この間,原告らの権利行使が不可能であったことはいうまでもない。

 また,被告国は,1978年に日中平和友好条約が締結された後においても,賠償問題は解決済みであり,責任を負わない旨を公言し,そのため,後記のとおり,中国政府が対日関係を配慮したことから,原告らは,銭発言がなされた1995年3月まで,客観的に権利行使のできない状況に置かれた。かかる状況の主要な責任は被告国が負っているというべきである。

 さらに,被告国は,今日に至るまで,かかる姿勢を反省するどころか,一貫して責任を認めようとしない極めて不誠実な態度である。むしろ,戦争犯罪そのものがなかったとする閣僚の発言が後を絶たない有様である。中川農林水産大臣が1998年8月,就任の際に「慰安婦」に関する事実を否定したことは記憶に新しい。

 以上のとおり,被告国は,原告らの権利行使を事実上阻害してきた。

c 義務違反=損害賠償債務の存在の明白性

 被告国は,1946年3月1日,中国人に対する強制連行問題について,強制連行により配属された日本国内35社225事業場からの華人労務者就労事情調査報告書(事業場報告書)の提出を受け,現地調査を実施して中国人の強制連行に関する事実の大要を認めた上で,その責任の所在を明らかにしており,しかも,外務省管理局作成に係る「華人労務者就労事情調査報告書」(以下「外務省報告書」という。)の存在が明らかになったことにより,本件においては義務違反=損害賠償債務の存在が明白である。

d 原告らの権利行使可能性

 原告らの権利行使がごく近年(1995年3月)に至るまで客観的に不可能であったことは,前述したとおりである。

() 小括

 以上指摘したように,本件事案は,被害者に対する権利侵害が重大かつ明白で,加害者の行為が計画的かつ残虐極まり,また,被害者の権利不行使につき被害者を責める事情が全くなく,むしろ加害者がこれを阻害した事情が認められ,立証上の問題もない。かかる事情があるときは,民法724条後段を適用して被害者の権利を剥奪し加害者の義務を免れしめることは正義・公平に著しく反するというべきであって,同条後段の適用は制限されるべきである。

 仮に民法724条後段の適用があるとすれば,不法行為から20年を経過した1965年ころに,原告らの権利が消滅することとなるが,1965年ころは,日中両国の国交がいまだ断絶状態にあったのである。国交が断絶しており,原告らの権利行使が事実上不可能であったにもかかわらず,時の経過の一事をもって権利を消滅させることが正義・公平に著しく反することは明らかであろう。

 以上の結論の妥当性は,民法724条後段を適用することが著しく正義・公平に反するとした平成10年第二小法廷判決の事案と本件事案とを比較すると,より一層明らかである。第1に,加害行為の悪質性からいえば,平成10年第二小法廷判決の事案の加害行為が過失行為なのに対して,本件事案の加害行為は,故意によるもので,しかも残虐極まりない重大な犯罪行為である。本件事案において加害者の義務を免れしめることは,平成10年第二小法廷判決の事案に比しても許されるべきことではない。第2に,被害者の権利行使可能性の観点から検討すると,平成10年第二小法廷判決の事案は,被害者が心神喪失状況にありながら後見人が就任しないまま20年が経過したというものであり,法的に権利行使可能性がなく被害者保護の要請の高い事案であるが,他方,事実上は後見人を付すことが可能だった事案でもある。本件事案は,原告らは1995年3月まで客観的にみて権利行使ができなかったのであり,事実上の権利行使可能性という観点からいえば,平成10年第二小法廷判決の事案に比しても被害者保護の要請が高い。第3に,加害者が権利行使を妨害したかどうかという点について,平成10年第二小法廷判決の事案は,被害者の心神喪失状況を加害者が作出したというものであるが,他方,加害者が被害者の権利行使を阻害したとの評価はなされていない。それに対し,本件事案は,加害者が中国に対する敵視政策をとったため,1978年まで国交断絶の状態にあり,原告らの権利行使を不能にしていたこと,加害者が今日に至るまで一切の責任を認めず,そのために原告らの権利行使が事実上不可能となったことなど加害者が被害者の権利行使を事実上阻害した事案である。

 本件事案は,平成10年第二小法廷判決の事案に比しても被害者の権利を剥奪して加害者の義務を免れしめることは著しく正義・公平に反するというべきである。

 以上に加えて,本件事案は,日本国憲法の根幹的価値と国際協調主義に関わる重大な事案であり,このことも民法724条後段の適用に当たって十分斟酌されるべきである。民法724条後段の適用を制限すべきかどうかは,本件訴訟の口頭弁論終結時における価値判断だからである。戦争被害において,当時なされた虐殺や奴隷的環境の下での使役は,過失に基づくというよりも故意による極めて悪質な不法行為である。他方で何ら非難されるべき過失がない被害者が,この数十年間,被害につき謝罪されることもなく,救済もされずに放置されていたとすれば,その被害について,時が経過したからといって権利の消滅を説くよりも,被害を償うべきである。それこそが「平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において,名誉ある地位を占めたい」(日本国憲法前文)と誓った我が国及び国民の信義ある立場である。また,原告らの被った被害は,日本国憲法の根幹的価値に関わる看過できない重大なものである。

 したがって,被告国が,時の経過の一事による損害賠償請求権の消滅を主張することの法的当否は「個人の尊厳,人格の尊厳に根源的価値をおき,かつ,帝国日本の軍国主義等に関して否定的認識と反省を有する日本国憲法」(山口地裁下関支部平成10年4月27日判決・判例時報1642号24頁)の法意に照らして,真摯な検討が必要である(以上につき,甲総第10号証松本克美意見書参照)。

2 原告らの被告企業に対する主張

(1) 準拠法

 日中戦争拡大に伴い生産を拡大したことから深刻な労働力不足に悩んで いた被告企業が,被告国に対して労働力の確保を要求し,このことが大きな要因となり中国人の強制連行・強制労働という政策は立案されたこと,被告企業は,強制連行・強制労働の実施に当たっても,日本政府の傀儡団体にすぎない華北労工協会との間に移入契約を締結し,希望する人数の中国人を労働力として確保し,現に日本に連行する際には,担当者を中国国内の港まで派遣して,中国人を日本国内の事業場まで連行していること,その後,被告企業は,連行された中国人を,その逃亡を防ぎながら,不衛生で劣悪な環境に置き,乏しい食事しか与えずに使役したことなどの経過にかんがみれば,被告企業の強制連行・強制労働に係る上記の各行為は一連のものととらえることができ,かつ,被告国の行為と被告企業の行為は共同不法行為に当たるものと解される。したがって,被告企業の不法行為責任に関しても,連結点として,原告らの国籍,当初の不法行為の発生地を考慮し,法例11条1項により,中国の国内法が準拠法となると解するのが相当である。

(2) 1930年5月5日施行の中華民国民法による損害賠償請求権の成立 

 被告企業の行為が,前述した1930年中華民国民法184条,185条,188条に該当し,不法行為を構成することは明らかである。

(3) 除斥期間の経過による権利の消滅の主張に対する反論

 被告企業が主張する除斥期間の経過による権利の消滅の主張に対する反論は,被告国に対する主張(4)及び(5)と同様であるが,除斥期間の適用制限の要件である責任実現の必要性について,被告企業には以下の事情がある。

ア 強制連行・強制労働に対する関与

 中国人に対する強制連行・強制労働は,1942年11月27日「華人労務者内地移入に関する件」と題する閣議決定により国策として推進されたものであるが,この閣議決定をさせたのは他ならぬ被告企業である(甲総第55号証,甲総第56号証,甲総第58号証527頁「鹿島事業場報告書」,甲総第58号証533頁「鉄道建設興業及び西松組各事業場報告書」,537頁「華鮮労務委員会報告」,甲総第6号証13頁)。強制連行・強制労働の推進は被告企業の主導のもとに推進されたといっても決して過言ではない。

イ 事業場報告書の虚偽記載

 被告企業が作成した事業場報告書には,原告らを含む中国人に対して良好な労働環境を提供したかのごとき記述が散見される。しかしながら,実際には事業場において,奴隷同様の過酷な労働を強いただけでなく,住環境,衣服,食料,衛生環境のいずれをとっても極めて劣悪な環境のもとで働かせていたのである。そのうえ,原告らに対して賃金を一切支払っていないにもかかわらず,あたかも賃金を支払ったかのごとく記述をしている。このことは,外務省報告書「II現地調査報告覚書」においても指摘されているところである。このような,事業場報告書における事実と異なる記載は,原告らを人間として処遇しなかった各事業場の実態を隠蔽しようとした被告企業の悪質さを如実に表すものである。

ウ 国からの損失補償

 外務省報告書によれば,被告企業は,中国人労働者を使用したことによる損益を集計して,戦後「国家補償金」の名の下に,国から金銭の支払を受けていた。

エ 強制労働による無賃金による利益享受

 被告企業が国から損失補填を受けていた一方で,原告らを含む中国人労働者は自らの意思に反して強制的に拘束され,日本に連行され,各企業の事業場において過酷な環境及び待遇の下,奴隷同様に労働に服し,しかも労働の対価である賃金を一切受け取ることなく働かされたのである。

オ 事業場報告書の焼却処分

 被告企業は,自らが作成した関連資料一切を焼却し,事実の隠蔽を画策したのである。アジア問題研究所が編集・発行した「戦時強制連行『華鮮労務対策委員会活動記録』」にそうした事実が記載されている。

 以上に述べたとおり,被告企業は,国策として行われた中国人に対する強制連行・強制労働に深くかかわり,積極的に国を動かすという役割を担ったのであり,上記政策を積極的に推進しておきながら,責任追及を免れるために事業場報告書等には虚偽の記載をし,あるいは報告書を焼却するなど,国と共に事実の隠蔽を画策した。そればかりでなく,原告らに過酷な労働を課しながら,賃金を全く支払わず,かえって国から損失補償を受けるなど,原告らの甚大な犠牲の上に多大な利潤を獲得したのである。こうした事実関係からすれば,原告らの被った甚大な被害に比較して,被告企業の対応は不誠実きわまりないというべきであり,その責任を実現すべき必要性は極めて高いといわざるを得ず,除斥期間の適用を制限すべき要素となる。

3 被告国の主張

(1) 公権力の行使に伴う国家賠償に対する法例の不適用

ア 被告国の主張

 原告らは,被告国の中国人に対する強制連行・強制労働政策及び同政策に基づき原告らに対して行った強制連行・強制労働に関与した個々の日本軍人等が行った不法行為については,法例11条1項により,当時の中華民国民法が準拠法となり,被告国が,1930年中華民国民法185条,186条及び188条に基づき損害賠償をすべき義務を負う旨主張する。

 しかし,本件で原告らが主張する上記被告国の行為は,国家の権力的作用であり,極めて公法的色彩の強い行為であって,国家の利害というものから切り離して考えることができず,かかる行為について,私法の適用を認め,私法規定の抵触の問題ととらえ,一般抵触法規である法例を適用することはできない。すなわち,公権力の行使に伴う国家賠償という法律関係は,我が国の国家利益が直接反映される法律関係ということができ,国際私法の適用対象とはならないと考えるのが正当である(溜池良夫「国際私法講義」31頁,東京地裁平成10年10月9日判決・訟務月報45巻9号1597頁,その控訴審である東京高裁平成12年12月6日判決・判例時報1744号48頁,東京地裁平成11年9月22日判決・判例タイムズ1028号92頁)。以下に詳述する。

() 私法的法律関係と公法的法律関係

 現代の国際私法においては,国家と市民社会とは切り離すことが可能であり,市民社会には特定の国家法を超えた普遍的な価値に基づく私法が妥当しており,これはどこの国でも相互に適用可能なものであるとの考えが前提にある。確かに,私法の領域でも国によって法の在り方が異なることはいうまでもない。しかし,一般的性格に着目すれば,私法の領域では,国家利益に直接関係しないことから,一般に法の互換性が高く,このような私法の領域においては,連結点を介して準拠法を定めることに合理性がある。

 これに対して,国家の利益が直接反映され,場合によっては処罰で裏打ちされることもある公法の領域については,国家間の利益が相対立し,特定の国家利益を超えた普遍的価値に基づく国家法なるものを想定することが困難であるため,特定の国家法を相互に適用可能とすることはできない。法の抵触という問題は,公法の領域についても生ずるが,一般的な法の互換性を前提とする私法の領域とは,その性質が大いに異なることから,公法の領域が国際私法の守備範囲から除外されることになる(池原季雄「国際私法(総論)」11頁,山田鐐一「国際私法」13ないし16頁)。

 以上に述べたところからすると,国際私法が対象とする法律関係は,一般に法の互換性が高く,国家の利益に直接関係しない領域に属する法律関係(以下「私法的法律関係」という。)にとどまることとなる。そして,国家の利益が直接反映される領域に属する法律関係(以下「公法的法律関係」という。)は,国際私法の観点からは,公法の領域に属するものとして取り扱われることとなり,その対象外に置かれるものといわなければならない。

() 公権力の行使に基づく損害賠償と国家の利害との直接的関係

 以上のような観点から,国家の権力的作用に適用される我が国の国家賠償法を検討すると,同法は,公務員による公権力の行使を萎縮させないように公務員個人に対し求償できる場合を限定し(同法1条2項),外国人が被害者である場合は,相互保証のあるときに限って賠償する(同法6条)とし,私法の領域とは異なる特別の法政策が採られている。これらは,国家賠償の問題が国家の利害そのものと深く関係していることの証左である。特に,国家賠償法が相互保証主義を採用したということは,公権力の行使に基づく損害賠償責任の領域は,民法の予定する損害賠償責任の領域とは異なり,国の利害に直接関係する領域を構成することを示すものである(山田前掲書155ないし160頁)。

 これに加え,国家賠償法制定前の我が国の法体系をも考慮に入れる必要がある。すなわち,本件加害行為時の大日本帝国憲法下においては,国又は公共団体の権力的作用について,私法である民法の適用はないとされ,これに基づく国の損害賠償責任は否定されていた(国家無答責の法理)。このように,国の権力的作用について一般私法である民法の適用が否定されるとする当時の法制度をみても,公権力の行使に伴う不法行為については,我が国の法政策上,国家利益が直接反映され,一般私法と異なる領域に属する法律関係として理解されていたことが明らかである(同旨最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決・裁判集民事3号225頁)。

 以上にみたところからすると,公権力の行使に伴う国家賠償という法律関係については,我が国の国家利益が直接反映される法律関係ということができ,国際私法においては,公法の領域に属する法律関係として取り扱われることになり,国際私法の適用対象とはならないと解するのが正当である(溜池前掲書31頁参照)。

() 諸外国の立法例,裁判例

 諸外国の国家賠償制度を見ても,本件で問題とされているような公権力の行使に伴う国家賠償責任については,アメリカ合衆国,ドイツ,フランス,イタリア及びオーストリアでは,外国における事件についても抵触法の介入を待たず,自国の法を適用していると考えられる上,国家責任の限定(軍隊の行動による損害については多くの国で何らかの制限がある。)がされ,相互保証主義,行政機関への前置主義等各国独自の国家利益を反映した法制度が採用されていることがうかがわれ,一般の私法と異なる取扱いがされていることは明らかである。

() 小括

 我が国の公権力の行使に起因する損害賠償に関する法体系に,上記の比較法的視点をも併せ検討すれば,渉外的私法関係に適用すべき私法を指定する法則である国際私法(我が国では法例)が本件に適用されるものとは考えられず,本件では,法例11条が適用される余地はない。

イ 原告らの主張に対する反論

() 国際私法と実質法の関係に関する原告らの主張について

 原告らは,国際私法とは,複数の国の関連する法律関係についていずれの国の法律(実質法)を適用すべきかを決定するための法律であり,国際私法と実質法とは全く異なる次元の法律であって,実現しようとする正義の観念も異なるものであるから,実質法を前提として国際私法を解釈することは誤りである旨を主張する。

 しかしながら,法律関係の性質決定ないし個々の渉外事件の具体的解決は,各国の抵触規定自体(我が国では法例)の解釈問題に帰着するのであって,我が国の通説もその立場を採っている(国際私法独自説ないし法廷地国際私法説。澤木敬郎ほか「国際私法入門(第4版補訂版)」20,21頁,木棚照一「基本法コンメンタール国際私法」(別冊法学セミナー)6頁)。

 原告らも我が国の実定国際私法である法例11条1項によって準拠法として指定されるとする1930年中華民国民法に基づく請求をしているのであるから,その前提において法例11条の解釈適用が問題となることはいうまでもないところであり,その解釈において,我が国の法政策と矛盾がない解釈がされるべきことは当然のことである。このことからすれば,我が国の実質法に関する検討を無視することはできず,原告らが主張する加害行為に伴う国の賠償責任という法律関係が法例11条1項の不法行為概念に含まれるか否かを検討するに当たって,このような我が国の法制度の在り方という視点を欠くことができないのは当然といわなければならないから,原告らの上記主張は失当である。

() 国家賠償請求権は私法上の請求権であるとの原告らの主張について

 原告らは,国家に対する損害賠償はその本質は私法であり,一般私法である民法と同様に国際私法の対象分野となるべきである旨主張し,その根拠として,美濃部博士らの著作及び最高裁昭和46年11月30日第三小法廷判決・民集25巻8号138を引用する。

 しかし,国際私法の適用対象として使用される場合の「法律関係」という語は,「法律上問題とされる関係,すなわち法律の規律の対象となる生活関係」を意味するにすぎず,「いずれかの法律の適用によって法律関係として成立した関係」をいうのではない(溜池前掲書11頁)。国際私法の適用対象となる私法的法律関係とは,国家利益と直接関係しない生活関係のことをいうものと解されるのであって,ある法律の適用の結果として発生する権利義務関係の法的性質を問題としているのではない。

 そして,原告らがその主張の根拠として挙げる美濃部博士の見解は,法適用の結果生ずる賠償義務の性質について私法的性質を有する旨の記述をしているものの,公権力の作用に基づく国家の賠償責任については,その原因行為が公権力の行使であることを理由に民法の適用を否定しているのである。また,原告らは,国家賠償法に基づく損害賠償請求権を私法上の金銭債権であるとした上記判決を引用し,前記主張の根拠とするが,上記判決は,国家賠償法適用の「結果」として発生した損害賠償請求権の消滅時効について私法的規律に服するものとしたものであって,その責任原因を規律する国家賠償法が公法であるか私法であるかについて判断したものではないから(野田宏「最高裁判所判例解説民事篇昭和四十六年度」425頁参照),上記判決は,原告らの前記主張の根拠となり得るものではない。

 結局,公権力の行使に伴う損害賠償責任についての法律関係は,国家的利益との結び付きが強固なものであって,もともと公法的法律関係に属しており,私法的法律関係には属しておらず,このような法律関係は,本来,民法の適用を受けないものであって,国家賠償法1条1項において定められた国の賠償責任は,上記のような公法的法律関係についての国の責任を創設的に認めたものと考えるのが相当である。

 そして,このような国家賠償法の公法的側面は,その立法過程にも端的に表われている。すなわち,国家賠償法の立法に当たっては,当初,民法中の不法行為編を改正して国家賠償に関する規定を挿入するとする案が提示されたが,国,公共団体の公権力の行使の関係は私法的法律関係ではなく,民法に入れるのは立場が違い不適当とされて,民法への編入はされず,国家賠償法という独自の法律が制定されたのであって,こうした立法の経過(古崎慶長「国家賠償法」7ないし9頁参照)に照らしても国家賠償法が予定する法律関係は,民法上のそれと異なることは明らかである。

 既に述べたように,公法的法律関係と私法的法律関係との区分は,国家利益との結び付き及びその程度から判断されるべきであるが,かかる観点からしても,国家賠償の問題は公法的法律関係に属するものとみるべきものである。原告らの主張は,国家利益との結び付き及びその程度という視点を無視するものであり妥当でない。

 しかも,国家賠償の発生原因が公権力の行使に基づく以上,本件のような法律関係について,原告らが立論するところの法例11条の適用を前提とすると,不法行為地である当該外国の民法が適用されることになり,我が国の国家権力の発動の違法性等について,我が国を単なる一私人として,他国の私法で裁くことを意味することになる。しかしながら,このような結論は,前述のとおり,公権力の行使に伴う加害行為について一般不法行為と異なる取扱いをしている我が国の法体系の在り方及び前述の比較法的視点に照らすと,到底考えられないことである。

() 法例11条が対象とする「不法行為」の意義に関する原告らの主張について

 原告らは,@ 旧民法草案人事編の中に規定されていた法例12条3項は不法行為地主義を採用したものであるが,その制定過程における説明をみると,不法行為による損害賠償請求権が公益にかかわるという場合,それは,法廷地の公益ではなく,不法行為地の公益を意味していたこと,A 不法行為に関する各国の実質法を比較法的にみた場合,不法行為とは,「違法な行為によって他人に損害を与えた者をしてその損害を賠償せしめる制度であって,社会共同生活において生じた損害の公平な分配を目的とするもの」と定義することができ,この定義を前提とすれば,本件で原告らが主張する被告国の行為は,まさしく国際私法上の不法行為の定義に当てはまることを根拠として,本件における法律関係は,法例11条の適用対象となると主張する。

 しかしながら,前述のとおり,本件における法律関係は,国際私法の適用対象足り得ないのであって,我が国の国際私法である法例11条の不法行為概念の解釈をするまでもないが,法例11条の不法行為概念の解釈においても,国家賠償が法例11条の不法行為に該当しないことは,明らかである。すなわち,法例11条の適用の有無を判断するに当たっては,同条にいう「不法行為」という法律概念の事項的適用範囲を画定し,原告らの主張する法律関係がこれに包摂されるかどうかを検討する必要があるところ,この問題は,「不法行為」という国際私法規定の解釈問題であって,具体的には,各国際私法規定の精神・目的ないし趣旨とされるところに従い,各国実質法の比較検討等を通じて決定されるべき事項である(池原前掲書95頁,山田前掲書49頁)。

 そこでまず,原告らが根拠とする上記@についてみれば,旧民法草案人事編の制定過程での説明は,あくまでも旧民法草案について述べたものであって,法例の立法趣旨と連続性があるか不明である上,その説明においても,当該不法行為が犯罪に該当すれば,行為地国は処罰権を有し,このような「警察上ノ利益」と不法行為責任とは関連しているとして,行為地法を適用すべき理由が述べられているが,ここで適用が予定されているのは,自然人ないし法人なのである。国家が他国によって処罰されることはあり得ないのであるから,国家に不法行為地法を適用することは予定されていないものとみることができる。

 次に,原告らが根拠とする上記Aについてみれば,法例11条の不法行為が,「違法な行為によって他人に損害を与えた者をしてその損害を賠償せしめる制度であって,社会生活において生じた損害の公平な分配を目的とするもの」と定義できるとしても(山田前掲書309頁),国家賠償という法律分野は,「損害の公平な分配」を目的とするものではないから,かかる法律関係は,法例11条にいう「不法行為」概念に包摂されないものと解するのが相当である。すなわち,もともと公務員の不法行為について国家が責任を負うか,どのような場合に負うかについては,様々な立法例があり,本件当時においては,「損害の公平な分配」という見地を全く否定し,国家は責任を負わないとの立法政策を採用している国家も多かったのである。現在の国家賠償法をみても,相互保証主義(同法6条)を採用し,当該被害者との「損害の公平な分配」よりも,国家間における衡平という国家的利益を優先させていること,国家賠償法における違法性は,単に保護法益の侵害があっただけでは認められず,当該公務員が所属国法上負っている職務上の義務に違反したことが必要と解されている(昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁等)が,所属国法上の職務上の義務違反がない限り,そこには「損害の公平な分配」が損なわれてもやむを得ないとの前提があることを考えると,法例11条にいう「不法行為」概念に包摂されるとの解釈は到底採り得ないのである。

 したがって,この点からも,原告らの本件請求については法例11条が適用される余地はないものといわざるを得ない。

() 公法的法律関係の準拠法に関する原告らの主張について

 原告らは,本件では違法な行政処分の取消しや刑罰権の行使を求めているのではなく,損害の賠償(金銭賠償など)を求めているのであるから,本件は,外国法の適用が必要かつ可能な法律関係であり,このことは,当該法律関係が国際私法の対象である渉外的私法関係であることを意味するものであると主張する。

 しかしながら,本件における法律関係は,公権力の行使に伴う国家の責任の有無,程度を問題とするものであり,当該国家の公益,政策と密接不可分の関係にあるため,これに最も密接に関係している我が国の法律が適用されるべきであって,外国法の適用を必要かつ可能とする法律関係と解することはできない。

 このことは,本件で問題とされているような公権力の行使に伴う国家賠償責任については,アメリカ合衆国,西ドイツ等においても,抵触法の介入を待たずに自国の法を適用していることからも明らかである。すなわち,権力的作用である軍隊による戦争行為は,一般的に外国において行われるものであるが,そのような軍隊の行為による損害についての国家賠償責任は,多くの国で何らかの制限がされているのであるから,このような国家賠償責任が,当該国家の国内における公務員の行為にのみ属地的に適用されるにすぎないと考えられていないことは明らかである。

() 公務員所属国法説の不適用をいう原告らの主張について

 原告らは,国際私法が適用されるべき法律関係であるからといって,直ちに法例11条により準拠法が決定されるものではなく,加害者と被害者との間に特別な法律関係がある場合には不法行為地法主義によることが妥当でないために,公務員所属国法が適用される場合があるが,本件においては,被害者たる原告らと加害者たる被告国との間には特別の法律関係がなく,「意図しない接触」により日本軍の加害行為に巻き込まれたのであるから,不法行為地法以外に中立的な法はなく,本件は,公務員所属国法を適用すべき場合に当たらないと主張する。

 しかしながら,前記のとおり,本件における法律関係にはそもそも国際私法が適用されない。

 原告らの上記主張は,結局,当事者の期待の保護,予測可能性の確保という観点のみから,本件法律関係について,不法行為地法が準拠法とされるべきであると主張するものであるが,しかし,これは,本件のような国家賠償の問題について,国家が有する国家利益を全く無視するもので妥当ではない。すなわち,国家賠償という法律分野は,そもそも国家が責任を負わなかったり,制限されるという立法政策も数多くみられる法分野であるように,当該国家の公益,政策と密接不可分の関係にあるので,本件では国家利益との関連性こそが重視されるものである。このことは,諸外国の国家賠償制度において,それぞれの国が国家責任の限定,相互保証主義,行政機関への前置主義等各国独自の国家利益を反映した法制度を採用していることからも明らかである。

 このような国家利益との関連性という観点からすれば,公務員の公権力の行使に伴う不法行為については,公務員と被害者との間に公法関係が存在するか否かにより異なる取扱いをすべき十分な根拠は見い出せず,当事者間にそのような関係が存する場合についてのみ公務員所属国法が適用され得るとする原告らの主張には理由がない。

(2) 法例11条2項による国家無答責の原則の適用

ア 被告国の主張

 以上のとおり,本件に法例11条の適用はないが,仮に,原告らの主張するように同条の適用を考えてみても,同条2項により,不法行為の成立について不法行為地法と法廷地法とが累積的に適用される。

 本件において原告らの主張する行為は,法廷地である我が国の国家賠償法施行前の行為であるところ,大日本帝国憲法下においては,国の権力的作用については,民法の適用は排除され,また,これを規律する法令上の根拠もなく,国の損害賠償責任は認められていなかった(国家無答責の法理)。国家の権力的作用について民法の適用が排除され,国が賠償責任を負わないという法理は,通説及び判例であった。そして,その後,日本国憲法17条に基づき制定された国家賠償法において,その附則6項が,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と定めたことから,被告国の国家賠償法施行前の行為を理由とする本件請求は,損害賠償請求の法的根拠を欠くものである。

イ 原告らの主張に対する反論

 これに対し,原告らは,@ 国家無答責の法理の根拠は,「支配者と被支配者の自同性」の論理に基づくものであるから,統治権によって国家の国家無答責を正当化し得る者に対して主張できるだけであり,日本国の管轄に服しない他国の国民に対しては及ばない,A 国家無答責の法理は国家賠償法附則6項の「従前の例」に含まれない,B 国家無答責の法理の適用は,時際法上の公序に反するので許されないなどと主張する。しかし,原告らの上記主張は,以下に述べるとおり失当である。

() 日本国の管轄に服さない外国人に対する国家無答責の不適用(国家無答責の法理の場所的適用範囲)の主張について

 原告らは,日本国の管轄に服さない者に対する公権力の行使については,国家無答責の法理は適用されない旨主張する。

 しかし,原告らが主張する被告国の行為は,権力的作用に属し,当時の我が国の法体系においては,権力的作用については民法の適用がなかったことは明らかである。当該行為が権力的作用である以上,そのことは被害者が日本人であると外国人であるとを問わないのであって,これによる損害については,外国人であっても,日本民法に基づき,その賠償を請求することはできなかったというほかない。行政裁判所法及び旧民法が公布された明治23年の時点で,公権力の行使については国は損害賠償責任を負わないという立法政策が確立しており(塩野宏「行政法I」第2版222ないし223頁),このような法政策を採用した当時の我が国の法制の下においては,外国人が被害者である場合に限っては,権力的作用につき,国家責任を肯定し,日本人が被害者である場合のみに国家無答責となるという立場を採っていたとは到底考えられない。

 国家無答責の原則の根源は国家それ自体の主権性や権力性等に求められるべきものであって,国家と被害者との同質性にその根拠を有するものではないから,原告らの上記主張は失当である(東京高裁平成12年12月6日判決・判例時報1744号48頁参照)。

() 国家賠償法附則6項の「従前の例」の解釈

 原告らは,国家賠償法附則6項にいう「従前の例」は,時際法上の新法と旧法の適用関係を規律するものであり,新法である国家賠償法は実体法であるから,それに対応した旧法も実体法でなければならないところ,国家無答責の法理は手続規定に実定法上の根拠を有するものであるから,これを「従前の例」に含めることは妥当でないと主張する。

 しかし,国家無答責の法理は,国又は公共団体の権力的作用については私法たる民法の適用はなく,他に国家の賠償責任を認める実定法の規定がなかったことによる実体法上の法理であり,単なる手続規定に根拠のある法理ではない。

 国家賠償法附則6項は,「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と定めているが,この「なお従前の例による」との法令用語は,法令を改正又は廃止した場合に,改廃直前の法令を含めた法制度をそのままの状態で適用することを意味する(法律用語辞典・有斐閣1041ないし1042頁)。すなわち,国家賠償法施行前の公権力の行使に伴う損害賠償が問題とされる事例については,国家賠償法の遡及適用を否定するのみならず,それまで採用されていた国家無答責の法理という法制度がそのまま適用されることにより,国又は公共団体が責任を負わないことを明らかにする趣旨をも有するのである。

 このことは,国会における国家賠償法附則6項の審議内容を見ても明らかである。すなわち,国家賠償法案を審議した第1回国会の衆議院本会議(昭和22年8月7日開催)において,司法委員長松永義雄は,司法委員会における同法案の審議経過の報告において,「本法案施行前の行為に基き施行後に発生した損害に対する処置いかんとの質疑がなされたのに対し,国または公共団体に賠償責任なしとの政府の答弁でありました。」と述べており,その後本会議で討議が行われ,可決されている(官報号外昭和22年8月8日第1回衆議院議事録22号248頁)。このような審議内容からすれば,同項は,国家賠償法施行前の行為に基づく損害については,その損害の発生が同法施行前かあるいは施行後かにかかわらず,国又は公共団体が賠償責任を負わないとの趣旨の規定であることが明らかである。

 また,国家賠償法附則6項の「従前の例」が国家無答責の法理を指すことは,最高裁昭和25年4月11日第三小法廷判決・裁判集民事3号225頁によっても明らかにされている。すなわち,同判決は,警察官の防空法に基づく家屋破壊の不法を理由に提起された国家賠償請求事件に関し,上告理由書記載の「従前の判例学説が本件の如き場合に上告人に請求権なしとするものが多かった事は事実であるが少数なるも請求権ありとする学説もあった通説必らずしも真ならず。」とする上告人の主張に対し,「本件家屋の破壊行為が,国の私人と同様の関係に立つ経済的活動の性質を帯びるものでないことはいうまでもない。而して公権力の行使に関しては当然には民法の適用のないこと原判決の説明するとおりであって,旧憲法下においては,一般的に国の賠償責任を認めた法律もなかったのであるから,本件破壊行為について国が賠償責任を負う理由はない。」,「従前といえども公務員の不法行為に対し,国が賠償責任を負うべきものであって,新憲法はこれを法文化したに過ぎないと主張するのであるが,国家賠償法施行以前においては,一般的に国に賠償責任を認める法令上の根拠のなかったことは前述のとおりであって,大審院も公務員の違法な公権力の行使に関して,常に国に賠償責任のないことを判示して来たのである。」とした上で,「当時仮りに論旨のような学説があったとしても,現実にはそのような学説は行われなかったのである。」と判示し,この判決によって,国家賠償法施行前に国家無答責の法理が妥当することに関する論争に終止符が打たれたというべきであり,原告らの主張は失当である。

() 時際法の公序に関する主張について

 さらに,原告らは,国家賠償法附則6項を時際法とし,形式的には規定上旧法によるべき場合であっても,その適用結果が公序良俗に反するときは,時際法上の公序が発動され,結局旧法は適用されないことになるとした上で,本件において旧法の国家無答責の法理を適用することは,時際法上の公序に反するものとして許されず,現行の国家賠償法によって不法行為の成立が判断されることになると主張する。

 しかしながら,国家賠償法附則6項は,明確に「この法律施行前の行為に基づく損害については,なお従前の例による。」と定め,同法施行前の行為について国家無答責の法理により国の損害賠償責任は認めないことを明らかにしている。したがって,時際法上の公序なる不明確な概念を根拠として同項の例外を認めることはできない。原告らの主張は失当である。

() 小括

 以上述べたとおり,法例11条2項による国家無答責の原則の適用に関する原告らの主張は,いずれも失当である。

(3) 法例11条3項による民法724条後段の累積適用

ア 被告国の主張

 本件に法例11条の適用がないことは,前述のとおりであるが,仮に,原告らの主張するように同条の適用を考えてみても,同条3項により,不法行為の効力について不法行為地法と法廷地法とが累積的に適用される。そして,原告らの請求は,その主張に係る不法行為の時から既に20年以上が経過した後にされたものであるから,法廷地法である我が国の民法724条後段によりその請求権が消滅していることは明らかである。

イ 原告らの主張に対する反論

() 法例11条3項の解釈について

a 法例11条3項の文言及び立法経緯に関する主張について

 原告らは,法例11条3項の「損害賠償其他ノ処分」という文言及び同項の立法経緯からすれば,同項により日本法の累積適用が認められるのは,不法行為それ自体の効果である損害賠償の額及び方法の問題にとどまるものと解すべきであり,消滅時効や除斥期間の問題までは累積適用は及ばないと主張する。

 しかし,法例11条2項及び3項については,上記各規定により,不法行為の成立及び効果の全面にわたって日本法が累積適用されるとするのが通説である(中野俊一郎「基本法コンメンタール国際私法」72頁)。すなわち,通説は,法例11条2項,3項の規定を日本法上不法行為とされないものについてまで不法行為による救済を認める必要がないことを示したものと理解し,不法行為の成立と効力の全面にわたって日本法が累積適用されるものとしている(佐野寛「法例における不法行為の準拠法−現状と課題」ジュリスト1143号51頁)。

 したがって,法例11条3項の文言及び立法経緯からみて,本件について,法例11条3項によって,不法行為債権の消滅時効等に関する民法724条が累積適用されることがないとの原告らの主張は失当である。

時効と公序に関する主張について

 また,原告らは,大正6年3月17日の大審院判決は,準拠外国法が日本法よりも長い消滅時効期間を定めている場合には,国際法上の公序に反するものとして,日本法を適用したが,学説は,一斉にこれに批判し,準拠外国法が定める時効期間が極端に長い場合や,全く消滅時効を認めない場合は,具体的な事件における適用結果を考慮したうえで,法例33条を適用すべきであるなどと述べて,法例11条3項による日本法の累積適用に時効・除斥期間の問題が含まれないと主張する。

 しかし,原告らも認めるように,この大審院の判決やこの点に関する山田教授の見解は,法律行為(契約)に基づく債権の時効に関するものであって,法例11条の不法行為に関するものではなく,およそ日本法の累積適用が問題となる事例ではないから,原告らの主張は失当である。山田教授は,法例11条2項及び3項については,日本の裁判所が日本法上不法行為と認め日本法の認める範囲内においてのみ不法行為による救済に助力するという趣旨の規定であり,日本法が不法行為と認めないものに対してまでも,又は日本法が認める以上に国家が不法行為による救済に助力する必要はないという理由から,法廷地法たる日本法が適用されることを定めたものであり,その意味で,この規定はいわゆる特別留保条款というべき性質のものであると指摘しているのであって(山田前掲書324頁),山田教授が指摘する「日本の裁判所が日本法上不法行為と認め日本法の認める範囲内においてのみ不法行為による救済に助力するという趣旨」からすれば,法例11条3項は,時効・除斥期間を含めた不法行為の効力について全面的に日本法の累積適用を認めることを定めたものというべきであって,原告らの主張は失当である。

() 民法724条後段の法的性格について

 原告らは,民法724条後段の20年の期間の法的性格につき,立法の沿革,法解釈,比較法のいずれの見地から考察しても時効と考えるのが相当であると主張する。

 しかし,平成元年第一小法廷判決は,「民法724条後段の規定は,不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解するのが相当である。」と判示して,民法724条後段の法的性格を除斥期間としている。

 したがって,同条後段の法的性格を時効であるとする原告らの主張は失当である。

() 民法724条後段の期間の起算点及び停止規定準用の可否について

 原告らは,原告らの権利行使可能性の観点から,@ 1972年の日中共同声明によって国交正常化が図られたが,本格的かつ正常な国家関係の基礎が固まったのは1978年の日中平和友好条約においてであり,それ以前は国交断絶の関係にあった,A 中国における対日賠償請求問題に関し,民間人被害者及び遺族が日本政府に損害賠償を提起できるとする議論が出たのは1991年3月の第7期全国人民代表大会においてであるが,その後も対日関係を重視する中国政府の意図と影響下にあっては,一般の中国人が日本国に対して損害賠償を求めて裁判を提起するという可能性は皆無であった,B 1995年3月9日の全国人民代表大会において,銭其? 外相(当時)が対日戦争賠償問題について,1972年の日中共同声明で放棄したのは国家間の賠償であって,個人の賠償請求は含まれないとの見解を示し,補償の請求は国民の権利であり,政府は干渉すべきでない旨発言し,これにより初めて,一般の中国国民が日本政府を相手に訴訟を起こすことが可能となった,C  中国では法整備が不十分であり,国民の法意識が希薄であり,権利行使が不可能であった,D 中国で自由にパスポートが取得できるようになったのは1986年2月のことであるが,パスポート取得の要件が限定されているため,対日賠償請求のため出国できるようになったのは,前記銭外相の発言以降からのことであり,それ以前は,提訴の可能性がなかったなどと主張し,前記の権利行使可能時(1995年3月)を起算点とするか,あるいは前記権利行使可能時までは除斥期間が停止していた旨主張するようである。

 しかし,民法724条後段の除斥期間の起算点が不法行為の時であることは,その文言上明らかである。そして,「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」を起算点とする同条前段の規定と対比すれば,原告らが主張するように権利行使可能性の観点から,同条後段の「不法行為ノ時」を解釈する余地はない。法律関係の早期確定を図るとする法の趣旨からも,当然のことである。そして,除斥期間の性質とその法意に照らせば,原告らの法意識,経済状況,あるいは中国国内における政策的な事情はもとより,国交正常化がなされていなかった等の事情についても,除斥期間の進行を妨げる理由になるものではない。仮に,このような事情をもって除斥期間の進行を妨げる事由足り得るとすれば,このような事情が継続する限り,権利が消滅することはないという結論になるが,そのような結論は,法律関係の早期確定という法の要請に反するものといわなければならない。したがって,原告らのこの点に関する主張も失当である。

() 除斥期間の適用制限について

a 平成10年第二小法廷判決について

 原告らは,平成10年第二小法廷判決に言及し,民法724条後段について,@ 権利の性質や加害者と被害者の関係などから時の経過の一事によって権利を消滅させる公益性が乏しく,A 義務の不履行が明白で時の経過による攻撃防御・採証上の困難がなく,B 被害者の権利不行使につき権利の上に眠る者との評価が妥当しない場合には,除斥期間の適用を制限すべき特段の事情があるというべきであるとし,本件については,これら特段の事情があるから,民法724条後段の適用は制限されるべきであると主張する。

 しかし,不法行為をめぐる権利関係を長く不確定の状態におくことは重大な問題があり,被害者に対して可及的速やかに救済を求めさせ,法律関係を早期に確定させようとすることが法の意図するところといわなければならない。平成元年第一小法廷判決も,前述のとおり,民法724条後段の規定が不法行為によって発生した損害賠償請求権の除斥期間を定めたものと解しており,平成10年第二小法廷判決も,平成元年第一小法廷判決を引用して,「民法724条後段の規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり,不法行為による損害賠償を求める訴えが除斥期間の経過後に提起された場合には,裁判所は,当事者からの主張がなくても,除斥期間の経過により,右請求権が消滅したものと判断すべきであるから,除斥期間の主張が信義則違反又は権利濫用であるという主張は,主張自体失当である」と判示し,平成元年第一小法廷判決の枠組みを維持している。この元年第一小法廷判決は,「裁判所は,除斥期間の性質にかんがみ,本件請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても,同期間の経過により本件請求権が消滅したものと判断すべきであり,したがって,被上告人ら主張に係る信義則違反又は権利濫用の主張は,主張自体失当であって採用の限りではない。」と判示し,平成10年第二小法廷判決も,不法行為の被害者であって不法行為を原因として心神喪失の常況にある者について,民法158条の法意を援用して限定的にその例外を認めたものにすぎない。そして,同判決が平成元年第一小法廷判決の枠組みの中でのものであることからすると,その適用の範囲は極めて狭いものである(春日通良「時の判例」ジュリスト1142号90頁)。

 したがって,平成10年第二小法廷判決は,原告らの主張するように除斥期間の適用を制限することを広く認めたものとは解されない。

 そして,前記除斥期間の性質とその法意に照らせば,原告ら主張のような事情をもって,除斥期間の適用を妨げる理由となるものではない。したがって,原告らの上記主張は失当である。

b γ判決に対する批判

 なお,この点に関し,第2次世界大戦中に中国国内から日本国内に強制連行され,北海道内の事業場で強制労働に従事させられ,この強制労働から逃れるべく終戦直前に事業場から逃走し,その後約13年間にわたり北海道の山中で生活していたとする中国人(γ)の相続人が除斥期間である20年を経過して日本国を被告として提訴した損害賠償請求事件につき,γ判決は,除斥期間の適用に関し,「除斥期間制度の適用の結果が,著しく正義,公平の理念に反し,その適用を制限することが条理にもかなうと認められる場合には,除斥期間の適用を制限することができると解すべきである。」という一般的基準を定立した上で,「昭和33年(1958年)2月,γから被告に対し,被告が国策として行った強制連行・強制労働とこれに由来する13年の逃走生活についての損害の賠償の要求がなされた時点で,被告の担当部局において,既に国策として行った強制連行・強制労働の行為によってγに重大な被害を与えたことが明らかにされている公文書を作成していたにもかかわらず,その所在が不明との理由で,詳しい調査もせずにγからの要求に応じず,その結果,γを損害の賠償を得られないまま放置し,その後外務省報告書の存在が判明したことによって事実関係が明らかになり,本件の提訴に至ったという事実経過に照らすと,被告は,自らの行った強制連行・強制労働に由来し,しかも自らが救済義務を怠った結果生じたγの13年間にわたる逃走という事態につき,自らの手でそのことを明らかにする資料を作成し,いったんはγに対する賠償要求に応じる機会があったにもかかわらず,結果的にその資料の存在を無視し,調査すら行わずに放置して,これを怠ったものと認めざるを得ないのであり,そのような被告に対し,国家制度としての除斥期間の制度を適用して,その責任を免れさせることは,γの被った被害の重大さを考慮すると,正義公平の理念に著しく反しているといわざるを得ないし,また,このような重大な被害を被ったγに対し,国家として損害の賠償に応ずることは,条理にもかなうというべきである。よって,本件損害賠償請求権の行使に対する民法724条後段の除斥期間の適用はこれを制限するのが相当である。」と判示した。

 しかし,この判決の判断は,平成10年第二小法廷判決に明らかに違背する。すなわち,γ判決は,正義・公平・条理という一般条項から除斥期間の適用を制限することができるとするが,前述のとおり,平成10年第二小法廷判決は,除斥期間の適用制限について,このような一般的基準を定立したものではない。また,γ判決は,実質的には,被害の甚大さなどを理由として除斥期間の延長を認めたものに他ならないが,平成10年第二小法廷判決は,このような被害の甚大さを理由として除斥期間の延長を容認するものではない。また,γ判決は,被告が国である場合には,国家制度としての除斥期間の制度の適用が他の当事者とは異なるかのように述べるが,三権分立の下,法律は国民の代表者で構成される国会において制定されるのであって,行政権の行使に対しても,法律がその規定どおり適用されるのは当然のことであり,何故にその適用が正義公平の理念に著しく反するかは明らかでない。

 東京高裁平成12年12月6日判決も,「右判決(注:平成10年第二小法廷判決)は,『不法行為の被害者が不法行為の時から二〇年を経過する前六箇月内において右不法行為を原因として心神喪失の常況にあるのに法定代理人を有しなかった場合』というきわめて限定された事実関係の下で,民法158条の規定の適用が時効の場合について可能であるのに除斥期間については不可能となることによる不均衡等をも考慮の上,文言どおりの法規の適用が法全体を支配する正義・公平の理念に著しく反するものと判断し,民法158条の定める期間の範囲内で権利行使をすることを許容したものであり,被害が甚大であること,あるいは権利行使が困難であることを理由として除斥期間の延長を容認するものではなく,そのようなことは除斥期間を定めた民法の趣旨に反するというべきである。」と判示し,原告らの主張と同様の控訴人の主張を排斥しているところである。

(4) 小括

 以上述べたように,本件において原告らが主張する被告国の行為は,国家の権力的作用に属し,極めて公法的色彩の強い行為であって,私法規定の抵触として処理し得る対象ではない。したがって,法例11条の適用を前提とする原告らの主張は,それ自体成り立たない。また,仮に法例11条の適用を考えてみても,原告らの主張する結論を導くことはできない。よって,原告らの1930年中華民国民法に基づく損害賠償請求に関する主張は失当である。

4 被告株式会社ジャパンエナジーを除く被告企業の主張

(1) 準拠法

ア 不法行為についての準拠法

 不法行為は,法律が,主として正義衡平の観点にたって,不法な行為によって他人に損害を与えた者に対し,その損害を被害者に賠償せしめる公益的な制度である。したがって,不法行為に関する法は,いわゆる社会保護の法として,本来属地法の管轄に属するべきものである。しかし,我が国の法例第11条は,不法行為の準拠法の決定について,不法行為地法主義を指定しながらも,同時に,法廷地法の適用を認めるという折衷主義を明らかにしている。

イ 連結点の確定

 準拠法の指定は,法律関係の何らかの要素(連結点)を媒介してなされる。不法行為の場合,不法行為地が連結点であり,準拠法は不法行為地法とされている(法例第11条第1項)。

 原告らが主張する損害賠償請求権は,「主として日本における」強制労働に関する債権であり,その請求金額や法的措置はすべて日本法に従って請求されている。不法行為制度は,被害者の損害の補填を目的とするもので,不法行為地において迅速な救済が期待され,かつ,侵害事実の発生地が,被害者と加害者の双方にとって,受容可能性が高い共通地と考えられる。

ウ 隔地的不法行為の準拠法

 原告らの主張する一連の不法行為は,ほとんどが日本におけるもの(不法行為の期間はほとんどが日本におけるもの)であり,それによって発生する損害も,ほとんどが日本において発生したという主張であり,その上加害当事者も日本国及び日本企業によるものであるというのであるから,不法行為の重心は日本において行われたものというべきである。

 本件のような隔地的不法行為の場合,不法行為の重心が行われた地(損害発生のほとんどが発生した地)を基準に準拠法を決定するのが,被害者の救済を迅速に行うという不法行為法制度の趣旨にかなうから,上記不法行為関係に最も密接牽連する法は,日本法ということになる。

エ 時際法

 準拠法選択の後に,具体的に適用される法が何かが問題となる。原告らは,準拠実質法上の時際に関する法の適用根拠を明確にするべきである。

 中華民国法と中華人民共和国法が,まったく別の法秩序であるとしても,当然に中華民国法を適用すべき理由とはならない。国際私法のルールによって,外国旧法を直接指定できるという根拠は,更に明確にすべきである。

オ 外国人被害者の損害の算定基準

 国際私法上,損害賠償の範囲・方法等,不法行為の効力に関する問題は,法例11条が定める不法行為準拠法によることになる。

 原告らは,不法行為準拠法を中国法と主張するが,準拠法を中国法と指定するということは,全中国法体系に依拠して(損害額算定基準も含めて)裁判所に対し裁判することを求めるということである。

 原告らは,損害の内容として財産的損害(賃金相当損害金)と,精神的損害(慰謝料)を合計して,各原告について,金2000万円の損害が発生したと主張するが,損害の明細を特定すべきであり,また,その計算根拠を具体的に主張しなければならない。

(2) 除斥期間の経過による損害賠償請求権の消滅

  仮に,原告らが主張するように,準拠法は1930年中華民国民法によるべきと判断されたとしても,以下に述べる理由から,本件の場合,日本民法724条後段の除斥期間の規定が適用されるというべきである。

ア 民法724条後段の累積適用

() 法例11条2項による民法724条後段の累積適用

 法例11条2項は,外国において発生した事実が日本の法律によれば「不法」でないときは,これを不法行為としては認めないとしている。同条項は,不法行為に関する法が国内の公益秩序の維持に関する法であることなどから,日本法によれば不法行為とならない行為については,これを不法行為と認めてその救済を図る必要がないことを定めた趣旨であり,不法行為の成立について不法行為地法と日本法との累積的適用を認めたものと解すべきである。とすれば,日本法において不法行為としての効力が認められない行為は,同条項の「日本ノ法律ニ依レハ不法ナラサルトキ」に当たり,日本法によるべきである。そして後述のように,除斥期間は一定の時の経過により不法行為の効力を確定的に消滅させる制度であることからすれば,除斥期間の経過により,原告らの主張する行為は,日本法によれば「不法ナラサル」ものといえ,よって法例11条2項により民法724条後段の除斥期間の規定が適用されるというべきである。

() 法例11条3項による民法724条後段の累積適用

 法例11条3項は,「損害賠償其他ノ処分」につき,日本の法律の適用を認めている。同条項は,上記同条2項と同様の趣旨から,不法行為に基づく損害賠償の方法及び程度に関しても,不法行為地法と日本の法律との累積的適用を認めているものであり,不法行為の効力に関して,全面的に日本の法律による制限を認めたものである。そこで,「日本ノ法律カ認メタル損害賠償其他ノ処分ニ非ラザレハ之ヲ請求スルコトヲ得ス」との規定の趣旨も,損害賠償等不法行為の効果の発生の態様のみならず,効果の制限に関する時効,除斥期間等についても日本の法律による制限を及ぼす趣旨と解すべきである(東京地裁平成10年10月19日判決)。

() 法例33条による1930年中華民国民法の適用排除

 本件訴訟は,日本の裁判所において審理判断されるのであるから,外国法の適用については法例によることとなる。とすると,仮に原告らの主張する加害行為が存在し,それが中国国内で開始され,その後の日本における行為とが一体として行われたと評価され,当該行為に1930年中華民国民法が適用されるとしても,同法において,不法行為に関し,日本民法と同じ除斥期間及び効力が定めてあるならば格別,これと異なる定めである場合には,日本民法の除斥期間及び効力に関する定めは,公序良俗に関する強行規定であるから,法例33条により1930年中華民国民法の適用は排除され,日本民法が適用されることになるというべきである。

() 小括

 以上より,仮に,原告らの請求する加害行為が存在し,これに1930年中華民国民法が適用されて当該行為が不法行為と評価されるにしても,その効力に関しては全面的に日本の法律による制限を受けるから,日本民法の除斥期間の規定が適用されることになる。したがって,原告らの主張を前提にしても,除斥期間の規定の適用を受けることになる。

イ 民法724条後段の解釈

 原告らは,民法724条後段の法的性格を消滅時効と考えるのが相当であるとし,また,仮に同条の法的性格を除斥期間と解するとしても,平成10年第二小法廷判決によって民法724条後段の適用に制限のあることが明らかとなった今,個別事案の特殊性からみて同条の適用を制限すべきかどうかの実質論こそが問われるべきであり,本件事案には民法724条後段を適用することが正義,公平に著しく反する特段の事情が認められ,したがって,本件事案に民法724条後段が適用されるべきではない旨主張している。

 しかしながら,民法724条後段の法的性格は除斥期間と解すべきであり,また仮に原告らの主張する事実の存在を前提にしても,本件事案は,平成10年第二小法廷判決のいう「特段の事情」が認められる事案ではなく,原告らの主張はいずれも失当である。

() 民法724条後段の法的性格

 原告らは,立法の沿革,比較法的考察,法解釈学的考察からみて日本民法724条後段の法的性格を消滅時効と解すべきであり,同様に解する裁判例も存在する旨主張している。

 従前,民法724条後段の規定の法的性格について除斥期間説と消滅時効説の対立があった。しかしながら,平成元年第一小法廷判決は,「右規定は,不法行為による損害賠償請求権の除斥期間を定めたものであり,裁判所は,除斥期間の性質にかんがみ,不法行為による損害賠償請求権が除斥期間の経過により消滅した旨の主張がなくても,右期間の経過により右請求権が消滅したものと判断すべきであり,信義則違反又は権利濫用の主張は,主張自体失当である」旨判示し,さらに最高裁平成2年3月6日第三小法廷判決・裁判集民事159号199頁がこれを踏襲したことから,その後の下級審は除斥期間説に統一された。そして,平成10年第二小法廷判決もこれを確認しており,これらの最高裁判決により,民法724条後段の法的性質論については判例上,もはや終止符が打たれている。

 上記のように,724条後段は除斥期間を規定したものであるが,仮に原告らが主張しているように,同条後段は消滅時効を規定したものであるとすれば,被告らは,本件第3回口頭弁論期日において,消滅時効を援用する。

() 原告らの「起算点論」に対する反論

 原告らは,民法724条後段の除斥期間の起算点,即ち同条の「不法行為ノ時」とは,損害賠償請求権の行使が客観的,一般的に期待され得る状況をいうと解しているようである。

 しかしながら,民法724条後段は,@ その文言上20年の期間の起算点を「不法行為ノ時ヨリ」と規定していること,A 一定期間の経過により法律関係を画一的に速やかに確定すべきとの除斥期間の制度趣旨からは,「不法行為時」を起算点とすることが上記趣旨に合致すること,B 不法行為の場合は,20年という今日の常識からすればかなり長期の期間が予定されているから,この期間を更に後にずらすことは合理的とはいえないことからすると,原告らの主張は,同条後段の文言からも,同条の趣旨からしても導けないものである。したがって,原則として除斥期間の起算点は「発生要件たる行為の時」即ち「不法行為時」とすべきである(富山地裁平成8年7月24日判決参照)。

 裁判例の中には,長期間加害行為が継続して,かつ,その経過後に損害が顕在化する種類の不法行為においては,その起算点を「損害発生時」と解するものもあるが,本件事案は,これらの裁判例が前提としている加害行為が継続している場合でも,進行性の損害が生じている場合でも,あるいは,後日損害が顕在化した場合でもない。原告らが主張している加害行為は,遅くとも原告らが我が国を離れた時点で終了しているものである。また同様に,原告らが訴状において不法行為後に原告らが日々被っていると主張する精神的苦痛等については,上記不法行為成立後の記憶,思い出に過ぎないものというべきであり,精神的苦痛が継続する限り侵害が継続して除斥期間の起算点の更新が認められることにはならないというべきである。また,仮に原告らが帰国後,誤解によって周囲の者から迫害を受けたとしても,そもそも原告らの主張する不法行為とは相当因果関係のないものである。

 したがって,遅くとも原告らが帰国して被告らの実質的支配から離脱した時点をもって除斥期間は進行していると解すべきであり,原告らは,1945年11月末ころから12月ころにかけて帰国したということであるから,帰国後50年以上の期間が経過している本件においては,除斥期間が経過したことは明白である。

() 平成10年第二小法廷判決の理解と停止規定の準用に対する反論

a 平成10年第二小法廷判決の射程

 原告らは,平成10年第二小法廷判決を評して,判例が一般的に724条後段の除斥期間の適用を制限する余地を認めたかのように解釈しているが,かかる原告らの考え方は独自の見解にすぎず,同判例の解釈を誤ったものである。すなわち,同判決は,除斥期間に「信義則」や「権利濫用の法理」による制限を一切認めていない平成元年第一小法廷判決の枠組みを維持しながら,当該不法行為を原因として被害者が心神喪失の常況すなわち意思無能力となり,しかも法定代理人も有しない状態にあったという,およそ法律上被害者の権利行使が絶対的に不可能であったという「特段の事情」を認定し,かかる場合には民法158条の法意に照らし,724条後段の効果は生じないものと解するのが相当であるとして,極めて限定的な場面に限って724条後段の適用の制限を認めているにすぎないのである。平成10年第二小法廷判決を正しく解釈すれば,724条後段の適用が制限される場面は,民法158条が適用される事案と同様の利益状況,すなわち20年を経過する前6か月内において法律上権利行使の可能性がなかったという状況があり,かかる状況の下,20年の経過という事実のみで一切の権利行使が許されないとすることが,著しく正義,公平の理念に反する場合ということになり,同判決は,決して「信義則違反」「権利濫用の法理」という一般法理によって除斥期間の適用が制限されるというような一般的な解釈を採っているのではない。

 このように,判例が724条後段の適用制限を極めて限定的な場面に限っているのは,民法724条後段を除斥期間と解し,除斥期間に信義則や権利濫用の法理を認めない判例の立場からは当然の帰結である。すなわち,権利関係の早期確定の要請及び長期間の時の経過によって関係資料等が散逸し,客観的事実関係の確定が困難になること等を根拠とする除斥期間及び724条の趣旨からは,除斥期間の適用を制限する余地を認めること自体本来できないことであり,これを更に一般化するとか,類型化を試みたりすることなどは除斥期間及び同条の制度趣旨からして一層できないことだからである。実際に除斥期間の適用の例外が認められるのは,平成10年第二小法廷判決のような特殊な事案のみであろう。同判決は,一般的に民法724条後段の除斥期間の適用を制限する余地を認めたものでもなければ,同法158条の時効の停止の類推適用の可否について一般的に検討してこれを認めたものでもないというべきである。

 以上のような理解は,平成10年第二小法廷判決を評した最高裁判所調査官が,同判決は平成元年第一小法廷判決の枠組みの中でのものであることからすると,同判決の適用の範囲は極めて狭いものと思われるとしていること(春日通良「時の判例」ジュリスト1142号91頁)とも一致するものである。したがって,同判決をもって原告らの主張のように724条後段の適用の例外を一般的に許容したものと解することは相当でない。

 また,原告らは,除斥期間の停止に関して「停止」それ自体は,期間の満了についてのみならず,期間の開始や開始後の進行についても考え得るのであり,被害者が客観的にみて権利行使し得ないときは,除斥期間の進行が停止していると考え得るとし,原告らが客観的に見て権利行使をなし得る時まで除斥期間の進行が停止していた旨も主張している。しかしながら,かかる原告らの主張は,停止概念を誤ったものであり,主張自体失当というべきである。そもそも「時効の停止」とは,時効の完成間際に,時効中断を不能又は著しく困難ならしめる事情が発生した場合に,時効によって不利益を受ける者を保護してその事情の消滅後一定期間が経過するまで時効の完成を延期する制度である(四宮和夫著「民法総則」第四版319頁)。そして,平成10年第二小法廷判決は,除斥期間である20年の期間満了前6か月内の事由だけを問題としていることからして,同判例も上記「時効の停止」の概念を当然の前提としているものと解される。これに対し,原告らの主張は,特段の事情が存する場合には,全く除斥期間が進行しないというものであり,かかる原告らの主張は,「時効の停止」概念の理解を誤り,また,平成10年第二小法廷判決からも導けないものである。

 そして,本件事案は,再審無罪判決を得た受刑者あるいはその家族が,先の違法判決及びそれに基づく刑の執行により蒙った損害の賠償を請求する事案とも全く異にするものである。けだし,上記のような場合は,再審無罪判決が出るまでは,当初の判決は未だ違法とは判断されていないのであるから,およそ被害者は,判決が違法であることを前提としての権利行使をすることはできないのに対して,本件事案は,後述するように権利行使の可能性が存するからである。

 以上のとおり,原告らの除斥期間の「停止」の理解は失当である。

b 平成10年第二小法廷判決と本件事案に対する停止規定準用の可否

 平成10年第二小法廷判決に照らして,本件事案に除斥期間の停止規定を準用すべき「特段の事情」が認められるであろうか。既に述べたように,平成10年第二小法廷判決は,除斥期間に「信義則」や「権利濫用の法理」による制限を一切認めていない平成元年第一小法廷判決の枠組みを維持しながら,およそ法律上被害者の権利行使が絶対的に不可能であったという「特段の事情」がある場合に限り,停止の規定の準用を認めるものであるが,本件は,上記事案とは事案を異にし,原告らにおいてその意思能力に何ら欠けるところはなく,また,仮に原告らの主張する不法行為が事実であったとしても原告らの本訴提起が不法行為の時から20年を経過する以前でなかったことが被告らの上記不法行為に起因するものでもないのであるから,同判決の「特段の事情」が認められる場合には当たらないというべきである。本件と同種の事案において名古屋高裁金沢支部平成10年12月21日判決は,「特段の事情」の存在を否定している。

 この点につき,原告らは,本件事案において,除斥期間の規定の適用を排除すべきであるとの結論の妥当性は,平成10年第二小法廷判決の事案との比較でも明らかであると主張するが,まず,原告らの主張している第1の理由については,そもそも除斥期間の適用と被害者の主観的認識とは無関係であるし,また,第2の理由についても,仮に事実上後見人を付すことが可能だったとしても,実際上後見人を付していない以上,平成10年第二小法廷判決の原告は,当時およそ権利行使が法律上絶対的に不可能であったことに変わりはなく,客観的には権利行使が可能であった本件原告らとは全く異なるものである。さらに,第3の理由についても,戦争賠償の問題が国家間の協議により解決が図られるべき問題である以上,権利行使を阻害した云々は問題とはならないし,仮に問題になるとしても被告企業とは全く無関係の政治的な問題である。

 以上からみて,本件事案には,除斥期間に停止規定を準用すべき「特段の事情」の存在は認められないと解すべきである。

c 原告らが主張する民法724条後段の適用制限要件と本件事案

 以上のように,平成10年第二小法廷判決に照らし,本件事案においては,除斥期間に停止の規定が準用されないことは明らかであるが,原告らの主張する除斥期間の適用の制限の要件に照らしても,本件事案は,除斥期間の適用制限を認める要件を充たしておらず,したがって,原告らの除斥期間の適用を制限すべきとの主張は,主張自体失当である。

 原告らは,著しく正義・公平の理念に反する特段の事情がある場合には,除斥期間の適用制限を一般的に認め,そして特段の事情が認められる場合として,@ 権利の性質や加害者と被害者との関係などから時の経過の一事によって権利を消滅させる公益性に乏しく(権利消滅の公益性の欠如),A 義務の不履行が明白で時の経過による攻撃防御・採証上の困難がなく(立証十分・義務違反の明確性),B 被害者の権利不行使につき権利の上に眠る者との評価が妥当しない(権利行使不可能性)場合には,特段の事情があるというべきであり,積極的に民法724条後段の適用を制限すべきであると解している。

 しかしながら,原告らの挙げている理由は,以下のようにいずれも反論が可能であり,「特段の事情」足り得ないことは明らかである。

 すなわち,上記@の点について,原告らは,本件不法行為は,権利侵害が重大・明白で,悪質極まりなく,また原告らの権利行使が事実上阻害されてきたとして原告らの権利を除斥期間の経過により消滅させる公益性が乏しい旨主張している。しかしながら,そもそも戦争とは,国家間における総力戦であり,その遂行過程においては,国家総動員の名の下に,国民は,徴兵され,あるいは徴用されて軍需産業に動員され,または財産を供出せざるを得ないなど国家により国民生活全般にわたって統制を受けるのみならず,相手国からは攻撃されて生命・財産を失うなど,戦争は,相手国民と同様に自国民に対しても数々の損害及び苦痛を生じさせる。そこで,戦争によって損害・苦痛を被るのは,ひとり原告らのみではなく,戦争にかかわった関係各国の国民すべてにわたって共通のものである。そして,被告企業が原告らのような外国人を被告企業の工場等で労働させたのは,国家による戦争遂行のための国策として国家の行為の一環として行われたものである。このような見地から,戦争遂行に伴う損害については,国,国民を問わず,国家間において解決すべき問題として認識されてきた(サンフランシスコ平和条約第14条(),同第19条())。そこで,諸外国においても,一般に戦争遂行に伴う個人の損害・苦痛については,個別に民事賠償の問題として取り上げるのではなく,国家間の協議により解決されており,我が国と中華人民共和国との戦後処理の問題も日中共同声明により解決されている。ちなみに,ドイツにおいては,和解により,個人に対する個別補償がなされている旨説明されているが,これは,戦争遂行行為とは全く無関係のナチスドイツによるユダヤ人虐殺行為に対するものであって本件事案とは全く異なるものである。したがって,戦争遂行に伴う損害・苦痛については,そもそも私人間で請求されるべき性質のものではないのである。このように,戦争賠償は,国家間の協議により解決されるべき問題であることから,それに関して権利を消滅させる公益性が乏しいと主張するのは全くの独善である。本件事案には,時の経過により権利を消滅させる公益性が欠如するような特別の事情は認められるものではない。

 また,Aの点に関し,原告らは,被告らの事業場報告書により,被告らの義務違反=損害賠償債務の存在は明白である旨主張している。しかしながら,本件においては,そもそも原告らの主張するような強制的行為が行われたかどうかも関係証拠が散逸していることから不明である。事業場報告書に記載の人物と本件訴訟の原告らとが同一人物であることの確認すら被告らは関係証拠が散逸してできない状況である。このように,被告らにおいて十分な反証活動をなし得ない状況の下では,到底公正な裁判は期待し得ない。そして,原告らが日本に来て被告らの工場等で労働したことが原告らの主張のように事実であったとしても,被告らの行為が当時の法律の下において違法であったかどうかは必ずしも明らかではない。これらのことは,原告らの本人尋間や,専門家・学者らの証人尋間を実施してみたところで変わるものではない。したがって,本件事案は,立証十分で義務違反が明確である事案ではないことは明らかであり,原告らの主張は失当である。

 さらに,Bの点に関し,原告らは,元外務省中国課長の意見書を根拠に,客観的に見て原告らが権利行使を期待できることとなったのは,1995年3月の時点であり,それまでは除斥期間ないし時効の進行は停止しており,20年の期間は満了しておらず,本件事案に民法724条後段の適用は許されない旨主張する。しかしながら,原告らの権利行使可能性がなかった根拠として上記意見書に挙げられているものは,以下に述べるように,いずれも除斥期間の停止を認めるに足り得ないものであり,したがって,原告らの主張はいずれも失当である。

 原告らが,権利行使の可能性がなかったことの理由として挙げている第1は,我が国と中華人民共和国とは1972年の日中共同声明まで国交断絶の状態が続き,本格的かつ正常な国家関係の基礎が法的に打ち固められたのは1978年の日中平和友好条約の締結によるということである。しかしながら,国交の断絶が必ずしも原告らの権利行使可能性を奪うことにはならないことは次の理由から明らかである。すなわち,我が国の裁判制度は,国交のない外国人に対しても何ら訴権を制限していない。そして,国交正常化前の日中間においても,1950年に設立された目中友好協会を中心に日中両国民間の文化交流活動や友好運動活動等が展開され,また,1953年には日本政府から中華人民共和国への旅券発給を受けた日本赤十字社,日中友好協会等関係者らの北京訪問,中国人殉難者の遺骨の調査・収集・返還,さらには翌年の中国紅十字団代表10人の日本訪問等,国交正常化前においても日中間において人的交流は頻繁に行われ(ちなみに,中国年鑑1961年版によれば,1956年中に日本から中国へ渡航した人数は1000人を超え,反対に中国から来日した人数は142人にも上っている。),また,貿易面においても,1949年設立の日中貿易促進会,1952年設立の日本国際貿易促進協会等の機関を中心にして実施されていた(添谷芳秀「日本外交と中国一九四五−一九七二」69頁以下,林代昭著,渡邊英雄訳「戦後中日関係史」50頁以下参照)。このように国交正常化前から日中間の往来は頻繁に行われていたことから,原告らの請求は,国交正常化前であっても手続的に可能であったというべきである。仮に,人証の出頭可能性について問題があったとしても,これに対しては陳述書等代替手段があり,国交正常化前も手続的に全く道が閉ざされていた訳ではない。したがって,国交断絶は,原告らの権利行使可能性の障害事由足り得ないというべきである。

 原告らの挙げている理由の第2は,中国において対日民間賠償請求問題が公の場で初めて取り上げられたのは,1991年3月に行われた第7期全国人民代表大会第4回会議であり,1995年3月9日の全国人民代表大会での銭発言により,ようやく一般の中国国民が日本政府を相手に本件訴訟を起こすことについて政治的「お墨付き」が与えられ,初めて原告らの権利行使が可能になったということができる,ということであるが,これも同様に原告らの権利行使を制限する理由とはならない。すなわち,平成10年第二小法廷判決に照らして,除斥期間の停止が認められるためには,およそ法律上被害を受けた者に権利行使の可能性が絶対的になかったということが要求されるが,原告らが挙げている上記の理由は,単なる原告らの主観的認識の有無にすぎず,事実上のものにすぎないないものであり,これをもって法律上権利行使の可能性が絶対的になかったことにはならない。権利行使の可能性の有無は,客観的に判断されるべきものであるが,それまで議論されていなかったことが議論されるようになったことによって原告らが権利行使の可能性を知ったとしても,それは単に原告ら特定個人の主観的な事情にすぎず,客観的可能性ではない。また,一外相の発言の結果により,権利が創設されたり,いったん消滅した権利が復活し,行使できるようになったりすることはないのである。もし仮にこのようなことが是認されるとすれば,およそ法的安定性は保たれないことになってしまう。名古屋高裁金沢支部平成10年12月21日判決も,「時の政府の法的見解の如何によって時効の起算点が異なるような解釈は消滅時効制度の趣旨が権利の上に眠る者を保護しないことのみにあるのではなく,当該法律関係の早期確定の要請並びに一定の年月の経過によって証拠資料が散逸し,客観的事実関係の確定が困難になることを配慮したものであることに照らすと,法的安定性の面からも相当でなく」と判示し,同様に解している。

 原告らが挙げている理由の第3は,中国においては,未だ「法治国家」の体をなすまでに至っておらず,中国人一般の法意識からして法律に基づいて自己の権利を主張するなどという発想は希薄であり,原告らは,本件訴訟弁護団との出会いがなければ権利行使をなし得なかったということである。しかしながら,法意識の程度と権利行使の客観的可能性とは全く別の問題であり,法意識の程度といった主観的事情は権利行使の可能性とは無関係である。また,本件訴訟弁護団との出会いの有無によって権利行使の可能性が生じるという原告らの主張は,極めて恣意的な基準であるといわざるを得ない。そして原告らの主張を前提としても,前述したように,国交正常化前から日中間で人的交流は頻繁に行われていたのであるから,国交正常化前から本件訴訟弁護団と原告らとの出会いの可能性はあったということができるから,国交正常化前から原告らの権利行使の可能性はあったというべきである。したがって,これも除斥期間の例外を認める理由にはならないものである。

 原告らが挙げている理由の第4は,一般の中国人のパスポートの取得が原則的に自由化されたのは,1986年以降であり,その後も前述の銭発言までは,出国は極めて困難であり,また,第5として,ほとんどの中国人戦争被害者及びその遺族にとって自力で裁判の準備をして日本に渡航し裁判に訴えるという経済的可能性はなかったことである。しかしながら,前者については,前述したように国交正常化前でも人的交流は頻繁に行われており,パスポートの取得の有無をもって権利行使を法律上制限する理由足り得ず,また,経済的出訴可能性についても,我が国において日本人が裁判を提起する場合にも程度の差こそあれ同様な問題はあり,これをもって原告らの権利行使を法律上制限する理由足り得るものではない。そして前述のように本件事案は,再審無罪判決を得た受刑者あるいはその家族が,先の違法判決及びそれに基づく刑の執行により蒙った損害の賠償を請求する事案とも全く異にするものである。したがって,本件事案において権利行使の可能性がおよそ存しなかったとの原告らの主張は失当である。

 以上みてきたように,本件事案には,除斥期間の適用制限を認める「特段の事情」を認めるに足る要件がいずれも認められないものであり,原告らの主張は失当である。

d 除斥期間の適用制限を認めた下級審判例と本件事案

 原告らは,信義則・権利濫用の法理を根拠に除斥期間の適用を制限した下級審判例を挙げて,これらの下級審判例に照らし,本件事案においては,民法724条後段の適用を制限されるべき旨主張するが,失当である。

 前述したように,除斥期間に「信義則違反」「権利濫用法理」が適用されないことは,最高裁判所の確定した判例であり,原告らが挙げる下級審判例は,今後上級審において変更が予想されるところである。さらに,これらの下級審判例と比べても,本件事案は除斥期間の適用制限が認められる事案ではない。

 近時,民法724条後段の適用について信義則違反・権利濫用の法理を適用し,除斥期間の例外を認めた裁判例について検討してみると,@ 債務者が消滅時効完成後に不法行為を自認し,債務を承認した場合(福島地裁いわき支部昭和58年1月25日判決),A 債務者が加害行為への関与を隠匿するために虚偽の事実を記載した公文書を作成するなどした場合(福岡高裁宮崎支部昭和59年9月28日判決,平成元年第一小法廷判決の原審),B 予防接種禍訴訟や労災訴訟などにみられるように債権者の保護の必要性が大きく,かつ,同じ条件にある他の債権者が債務の弁済を受けている等の事情があって,債務の履行の拒絶を認めるのが不当ないし不公平とされる場合(名古屋地裁昭和60年10月31日判決)などである。

 これに対して本件事案は,被告企業が,@ 時効完成後に不法行為を自認して債務承認行為を行うなど矛盾する態度を取った事案ではないことはもとより,A 加害行為への関与を隠蔽するため虚偽の事実を記載するなどの原告らの請求を妨げる行為を行った事案でもない。そして,B 本件事案は,関係当事国家間の協議によって解決すべき戦争賠償の問題であり(サンフランシスコ平和条約第14条 (),同第19条()等参照),我が国と中華人民共和国との戦後処理の問題も日中共同声明により解決されている。戦争遂行に伴って生じた関係当事国の国民の損害・苦痛については,そもそも私人間で請求されるべき性質のものではないのみならず,戦争による損害・苦痛は,原告らに特有なものではなく,我が国の国民にも共通のものであり,戦争被害による救済を受けていないのは,原告らのみではなく,原告らは,上記Bの事案のように,他の同様な者が救済されているにもかかわらず,原告らのみ救済をされていないというものでもない。本件において原告らの請求を認めないことに何ら不当・不公平とされるべき場合でもない。

 以上からして,原告らの挙げる下級審判例に照らしても,本件事案に民法724条後段の適用を制限すべきとの原告らの主張は失当であることは明らかである。

5 被告株式会社ジャパンエナジーの主張

(1) 準拠法

 隔地的不法行為の準拠法については,意思活動の行われた場所を不法行為地とする行動地法説(江川英文「国際私法(改訂版)」223頁ほか),現実に損害の発生した場所を不法行為地とする結果発生地法説(久保岩太郎「国際私法概論(改訂版)」188頁ほか),過失責任の原則の支配する不法行為については行動地法,無過失責任の支配する不法行為については結果発生地法によるとする説(折茂豊「国際私法(各論)(新版)」180頁,山田鐐一「国際私法」325頁ほか),紛争の事実関係と最も密接な現実的牽連を有する社会の法によるとする説(石黒一憲「新版国際私法」321頁)などがある。原告らが主張する事実を前提にすれば,上記のいずれの説によっても,準拠法として日本法すなわち日本民法が適用になることは明らかである。すなわち,原告らの主張する強制連行・強制労働なるもののうち中国で行われたものは唯一原告らの主張する拉致と逮捕・監禁の一部のみで,その他その端緒から終了に至るまでの行動地は当時日本の統治下にあった朝鮮半島や領海を含む日本国内であり(公海上の不法行為も,船舶による搬送そのものが強制連行としての不法行為だとすれば,峰之澤鉱山で中国人労働者を受け入れた際に使用された船舶は朝鮮郵船株式会社所属の会寧丸で,帰還の際に使用されたのは江ノ島丸であったとされ,いずれも日本船籍であるので,旗国法たる日本法が適用になり,また,もし付添いに当った旧日本鉱業従業員個人の不法行為とみるならば,加害者の属人法として(折茂前掲書184頁)又は双方の重畳的適用により(江川前掲書234頁),日本法が適用になる。原告らの主張する食料を与えられなかったこと等による苦痛という損害は,日本国内で発生したとしており,本件が製造物責任のような無過失責任が問題となり得る事案でないことも明らかであって,また,原告ら主張の強制連行・強制労働なるものと最も密接な牽連関係を有するのも,原告らの主張する内容からすると,その時間的,場所的観点からみても立案,実施,結果等の観点からみても,日本国内であることは明らかだからである。そして,東京地裁平成3年9月24日判決の不法行為の最も重要な部分(極めて重要な部分)が行われた場所という基準によっても,以上に述べたことから,日本国内となるのである。

 このように,原告らの主張が国際私法上不法行為と性質決定されたとしても,法例11条1項により日本法が適用になり,民法724条(消滅時効,除斥期間)が適用される。

(2) 法例11条3項による民法724条の累積適用

 本件において仮に法例11条1項により1930年中華民国民法が適用になり,同法によれば消滅時効や除斥期間に服さず,かつ,法例11条2項により日本法上も不法行為の成立が否定されないとしても,同条3項により,民法724条が累積適用される。

 法例11条2項は,不法行為に関する法が国内の公益秩序の維持に関する法であることなどから,日本の法律によれば不法行為とはならない行為については,これを不法行為と認めてその救済を図る必要がないことを定めた趣旨と解するのが相当である。したがって同条項は,不法行為地法と日本の法律との累積的適用を認めたものであり,両国の法の要件を共に備えなければ不法行為が成立しないとしたものであると解すべきであり(フィリピンの慰安婦間題に関する東京地裁平成10年10月9日判決),また,法例11条3項は,不法行為の効果である請求権の内容,請求の方法のほか,請求権の相続,譲渡,時効等の問題に日本法を適用するとしており,同条項は,前述の同条2項と同様の趣旨から,不法行為に基づく損害賠償の方法及び程度に関しても,不法行為地法と日本の法律の累積適用を認めているものであり,不法行為の効力に関して全面的に日本の法律による制限を認めたものと解するのが相当である(東京地裁平成10年10月9日判決)。このように,本件に日本法が適用になるにせよ1930年中華民国民法が適用になるにせよ,日本民法の消滅時効及び除斥期間の適用があるものである。

 この点については,原告らの主張に対する反論として相被告国の主張を援用する。なお,累積的適用を認めた裁判例として東京地裁平成10年7月28日判決があり,同判決は,原告が,第2次大戦中,満州国において,陸軍軍人の暴行によって夫を殺害されたと主張して,被告国に対し,損害賠償(慰謝料)を請求した事案につき,「法例11条2項は不法行為によって生ずる債権の成立について,同条3項は不法行為によって生ずる債権の効力について日本法の累積的適用を定めた規定であるというべきである。」とし,「債権の消滅時効ないし除斥期間の問題は,債権の消滅の問題に含まれるが,それは債権の効力の一態様にほかならない。したがって本件において原告が主張するように,法例11条1項によって指定される満州国法及び同条2項によって指定される日本法により,不法行為に基づく損害賠償請求権が発生,成立するとしても,同条3項によって,不法行為によって生ずる債権の効力の問題の一つとして消滅時効ないし除斥期間を規定した日本民法724条の規定が累積的に適用されることになる。」としている。

(3) 消滅時効

 そして,不法行為による損害賠償請求権は,「損害及ヒ加害者ヲ知リタル時」から起算して3年間これを行使しなかったときは時効により消滅する(民法724条前段)。仮に原告らが何らかの損害を被ったものであれば,その被った損害及び加害者とされる被告の社名等の認識はその時点で明らかなのであって,そのときから消滅時効は進行する。

 したがって,本件においては,被告株式会社ジャパンエナジー(以下「被告エナジー」という。)の鉱山での就労関係が終了し,その指揮監督から離脱した昭和20年(1945年)11月29日ころから3年を経過した日に時効消滅しており,被告エナジーは,本件第2回口頭弁論期日において,上記時効を援用する。

(4) 除斥期間

ア 平成元年第一小法廷判決は,民法724条後段の除斥期間は不法行為に基づく損害賠償請求権の訴え提起等の権利の行使に着手するまでの存続期間(権利の寿命)とし,信義則又は権利濫用の主張は主張自体失当であるとしている。

 本件は,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定等の問題と直接関連性のない事案である民法637条の除斥期間を経過した請負契約の目的物の瑕疵修補に代わる損害賠償請求権に関するもの(最高裁昭和51年3月4日第一小法廷判決・民集30巻2号48頁)でないことはもちろん,平成10年第二小法廷判決のような事案でもなく,「除斥期間の経過により消滅した旨の主張をしていないことが,(加害者が)積極的に除斥期間の経過による利益を放棄する意思を有していることによるものと認められる特段の事情がある場合においては,裁判所は除斥期間の規定を適用すべきではない」(東京地裁平成4年2月7日判決・判例タイムズ782号65頁)とするような事案でもない。

 したがって,本件においては,仮に,原告らの被告エナジーに対する損害賠償請求権が発生したとしても,前記のとおり昭和20年(1945年)11月29日ころから20年を経過した日に法律上当然に消滅している。

イ 原告らは,平成10年第二小法廷判決をとらえて,同判決は,平成元年第一小法廷判決が示した民法724条後段の規定を除斥期間とすることによる画一的な判断をできるだけ回避し,被害者保護の観点や法における正義・公平の観点から,具体的妥当性ある解決を図ろうとする平成元年第一小法廷判決以降の下級審判例や学説の動向の流れの中で出されたものであるとした上,平成10年第二小法廷判決は,著しく正義や公平に反した場合にだけ例外的に適用制限を認めるというものではなく,信義則や権利濫用の法理の硬直化を回避し,法の正義・公平の観点から個別事案の特殊性を考慮して具体的妥当性ある解決を導いているものであると主張している。

 まず,平成元年第一小法廷判決以降の下級審裁判例,学説の動向についての主張についてであるが,学説の動向は措いても,平成元年第一小法廷判決以降の下級審はこの判示に従っているのであり,同判決は定着しているといえるものである。原告らの掲げる京都地裁平成5年11月26日判決・判例時報1476号3頁のような信義則の観点を許容するものは極めて例外といえるのであり,東京地裁平成4年2月7日判決・判例タイムズ782号65頁及び大阪高裁平成6年3月16日判決・判例時報1500号15頁も例外ではあろうが,前者は,「除斥期間の経過により消滅した旨の主張をしていないことが,(加害者が)積極的に除斥期間の経過による利益を放棄する意思を有していることによるものと認められる特段の事情がある場合」という特殊な事案に関するものであり,後者は,平成10年第二小法廷判決と同様の事案に関するものである。平成元年第一小法廷判決以降の下級審裁判例が同判決の枠組みを外れるような動向にあったといえるものではない。平成10年第二小法廷判決は,その判示にみるように,平成元年第一小法廷判決の枠組みを維持しつつ,不法行為の被害者であって不法行為を原因として心神喪失の常況のある者について,民法158条の法意を援用して限定的にその例外を認めたものであって,「本判決が平成元年判決の枠組みの中でのものであることからすると,本判決の適用の範囲は極めて狭いものと思われる。」(春日前掲書90頁)のである。このように,平成10年第二小法廷判決は,原告らが主張するように広く信義則や権利濫用の法理等の観点から個別事情の特殊性を考慮して具体的妥当性ある解決を一般的に認めることを指向したものではなく,権利行使に着手するまでの間の存続期間(権利の寿命)と観念される除斥期間について,既存の民法158条の法意を援用して限定的にその例外を認めたものにすぎない。原告らが主張する個別事情の特殊性に応じた具体的妥当性ある解決を図るというのは,要するに,信義則違反や権利濫用の主張あるいは条理に基づく主張を許容するということであろうが,それでは上記の除斥期間の趣旨を没却してしまうことになり,また,「信義則違反又は権利濫用の主張は,主張自体失当」とする平成元年第一小法廷判決に反する結果となるのである。

 また,民法724条後段の趣旨は,平成元年第一小法廷判決が説示するように,同条がその前段で3年の短期の時効について規定し,さらに後段で20年の長期の時効を規定していると解することは,不法行為をめぐる法律関係の速やかな確定を意図する同条の規定の趣旨に沿わず,むしろ同条前段の3年の時効は損害及び加害者の認識という被害者側の主観的な事情によってその完成が左右されるが,同条後段の20年の期間は被害者側の認識のいかんを問わず一定の時の経過によって法律関係を確定させるため請求権の存続期間を画一的に定めたものと解するのが相当であって,原告らの主張はこれと反する独自の見解にすぎない。そして原告らは,上記のような各主張を前提にして@ 権利を消滅させる公益性に乏しいこと,A  攻撃防禦・採証上に困難がないこと,B 権利の上に眠ることの評価が妥当しないこと,という基準を掲げるのであるが,結局のところこれらは信義則違反ないし権利濫用の主張を原告らなりに定型化したものにすぎないのであって,これらが認められる場合においては特段の事情が存するとして民法724条後段の適用が制限されるなどという主張は,「信義則違反又は権利濫用の主張は,主張自体失当」とする平成元年第一小法廷判決や権利の存続期間(権利の寿命)とする除斥期間の趣旨に真っ向から反する見解にほかならず,明らかに失当である。

ウ 原告らが掲げる前記@ないしBの基準とこれによる民法724条後段の適用制限の主張が主張自体失当であることは,明らかなのであるが,原告らが前記@ないしBの基準に当てはまる事情として主張しているところについて,念のため付言することとする。

 原告らは,@の事情として,本件の不法行為は,被告国の中国に対する全面的侵略の下で行われたもので,その加害行為は残虐極まりないものであること,被告国は,中国に対し敵視政策をとって国交を長期間断絶し,賠償問題は解決済みであるとして責任を負わない旨を公言し,原告らの権利行使を事実上阻害してきたことから,責任実現の必要性が高く時の経過によって権利を消滅させる公益性に乏しいこと, Aの事情として,外務省報告書や各事業場報告書等により証明が十分であることから,時の経過による攻撃防禦,採証上の困難がないこと,Bの事情として,原告らが本件の損害賠償請求権を行使することは1995年3月まで客観的に不可能であり,1994年に本件訴訟代理人弁護士らと出会うことによって主観的に可能となったことから,権利の上に眠る者との評価は妥当しないことを主張している

() @について

 原告らは,日清戦争又は満州事変以降,我が国は全面的な侵略戦争を敢行し,数限りない残虐行為を中国で行ったもので,本件もそのような下で,被告国と被告企業が一体となって強制連行を行い,強制労働を課したものである旨繰り返し主張しており,わが国の侵略戦争,傀儡等の歴史評価,歴史観に係る主張が原告らの主張のうちのかなりの部分を占めている。周知のとおり,わが国の敗戦によって終結した戦争に関する評価については,わが国による残虐な侵略戦争であったとする評価から,その過程において過誤はあっても欧米列強からの植民地解放戦争であったとする評価まで様々であり,また,論者によって問題点として照準を当てる箇所も区々に分かれているのが実情である(現在の傾向としては,侵略戦争,植民地解放戦争などと一概に決めつけることはせずに,歴史上の事実を丹念に拾って分析するという方向にあるようである。)。また,当時の中国における特に日本軍の行動については,原告らは住民虐殺,強姦など数限りない暴虐行為を繰り返し900万人以上の中国軍民を殺害したと主張しており,あるいはそうであったのかもしれないが,例えば南京事件(南京大虐殺)については幻であるとする説から30数万人にのぼるという説まで分かれ,現在国際的問題にもなっているように,現時点で客観的事実がすべて明らかになっているとは必ずしもいい難い。およそ歴史観,歴史評価,歴史認識といわれるものは,歴史上の事実そのものではなく,一定の過去の事象を前提にはしていても,それは現在の政治特に国際関係における力学の脈絡の中で認識され評価されるものであり,また,それとの関係での各人なりの現在の価値観,世界観,政治姿勢等が強く反映するといえるものである。このような性格を有する歴史観,歴史評価,歴史認識に係る主張は,原告らの評価,認識を含め,政治等の場における正当性いかんの問題とはなり得ても,客観的事実の確定を目的とする訴訟の場における議論としてはふさわしくないのであり,本件においても,原告らのこの点の主張はそのようなものとして取り扱うのが相当と考えられる。また,本件で,原告ら個人が主張する個別的な事実関係のほか,中国人労働者内地移入政策の全体像が問題になるとしても,それは,各資料から認定し得る客観的事実としての全体像でなければならないのであって,強制連行・強制労働という全体像が仮に一定の歴史評価,歴史観等から出たものであるならば,そのような評価は少なくとも訴訟の場においては相当性を欠く主張といわざるを得ない。

 そして,原告らは,被告国と被告企業が一体となって原告らを含む中国人の強制連行を行い,強制労働を課したものだとし,その加害行為は,暴力的な国際法違反,刑事犯罪に該当する重大な人権侵害行為であると主張している。しかし,旧日本鉱業の峰之澤鉱山,日立鉱山における中国人労働者の受け入れや処遇等については,外務省報告書や事業場報告書等からは,原告らのいう強制連行・強制労働なる評価を含め,上記のような評価を導くことは困難である。また,原告らは,日中共同声明が調印されるまでの間わが国が日華平和条約により中華民国と国交を持っていたことをとらえて,中華人民共和国と長期間国交断絶をしたままであったのはわが国の責任であるかのような主張をしているが,このような一定の政治姿勢に基づく主張は,あえて説明するまでもなく訴訟の場における主張として当を得たものとは考えられない。

() Aについて

 原告らは,外務省報告書や事業場報告書等によって証明が十分であり,攻撃防禦や採証上も困難ではない旨主張している。しかし,本件は戦後50年以上も経過した事案であるため,上記外務省報告書等により中国人労働者内地移入政策や中国人労働者の処遇等についての概要は知り得るものの,被告において確たる事実特に安全配慮義務違反(仮にその規範の遡及適用が認められたとして)や不法行為の成否の判断の前提となる具体的事実関係を確定するための証拠資料もなく,具体的事実を確認することもできず,その確定はほぼ不可能である。攻撃防禦や採証に困難がないなどという主張が失当であることは,自明のことであろう。

() Bについて

 原告らは,中華人民共和国とわが国との間に国交がなかったこと,同国内における政治状況,法的整備状況,旅券法による渡航可能性,経済状況から,損害賠償請求権の行使は客観的に不可能であり,主観的には本件訴訟代理人弁護士らと出会うことによって可能となった旨主張している。しかし,消滅時効においてすら,確定した判例は,権利者側の内部的事情や主観的事情はその進行を何ら妨げるものではないとしているのであり,ましてや権利の存続期間(権利の寿命)と観念される除斥期間においてはこの理は当然のことであろう。また,原告らの上記主張は,要するに信義則に基づく主張にほかならないのであって,信義則違反又は権利濫用の主張は主張自体失当であるとする平成元年第一小法廷判決にも反するものであり,失当な主張である。

 ちなみに,昭和28年(1953年)ころから中国人労働者等の遺骨送還事業が始まっているが,それ以前に設立された日中友好協会等を中心として日中間の人的交流等が行われており,昭和47年(1972年)の日中共同声明以降の国交正常化以前においても日中間には頻繁な交流があったのであって,仮に,原告らに損害賠償請求権があったとするならば,そのころにおいても客観的に権利行使の可能性が全くなかった訳ではない。

() なお,原告らは,権利を消滅させる公益性に乏しい等前記の@ないしBの事情がある場合には,特段の事情が認められる場合に当たるものとして,民法724条後段の除斥期間の適用を制限すべきであるとした上で,除斥期間の起算点は客観的に権利行使し得るときと解すべきであるから1995年3月から起算すべきであるとし,また,時効停止の法意からみても同年同月まで除斥期間の進行は停止していたと解すべきである旨主張している。しかし,上記@ないしBの主張が主張自体失当であることは前記のとおりであるが,除斥期間の起算点が客観的に権利を行使し得るときであるなどという主張は,特殊な性質を有する債権の属性としてならば格別,およそ消滅時効の起算点においてすら妥当しない主張であり,また,除斥期間の性質や平成元年第一小法廷判決,平成10年第二小法廷判決の趣旨からすると,民法724条後段に時効の停止の規定の類推適用を一般的に認めているとはいえないのであって(春日前掲書),原告らの上記主張もまた失当である。

() 以上のとおり,本件について仮に原告らに不法行為に基づく損害賠償請求権があるとしても,旧日本鉱業の中国人労働者に対する指揮監督等がもはやあり得ないころ(昭和20年11月29日ころ)から20年を経過した日に,法律上当然に消滅している。

第3 安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権

1 原告らの主張

(1) 安全配慮義務について

ア 原告らが主張する「安全配慮義務」の内容と同義務違反を構成する具体的事実

() 原告らが主張する「安全配慮義務」も,「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務」である。しかし,原告らが本件において主張する「安全配慮義務」の内容は,現在,通常の労働災害事件などで問題とされる「安全配慮義務」の内容とは相当に異なる。被告国及び被告企業が,中国から強制連行してきた原告らを含む中国人労働者に対して,強制連行によって発生した法律関係に付随して負担する信義則上の義務は,@ 生命,健康を維持するに十分な食料を与え,A 生命,健康を維持していける程度の労働条件で働かせ,B 健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服を与えるという最低限の義務にすぎない。言い換えれば中国人労働者を一人の人間として取り扱う最低限の義務である。

 原告らの主張する安全配慮義務の内容は上記のごとく単純であって,被告国及び被告企業が,上記の程度の義務も果たさず,中国から強制連行してきた原告らを含む中国人労働者に対して,十分な食料を与えず,いつ死んでもおかしくないような栄養不良状態で苛酷な労働につかせ,寒さにこごえ,皮膚病に悩むような劣悪な宿舎と衣服しか提供しなかったことが,被告国及び被告企業の義務違反に該当する具体的事実であって,被告国及び被告企業の義務違反行為はこれに尽きる。そして,十分な食料を与えられず,いつ死んでもおかしくないような栄養不良状態で苛酷な労働につかされ,寒さにこごえ,皮膚病に悩みながら生活させられるという,およそ人としての尊厳を踏みにじられた有り様を強いられた苦痛が,原告らの損害なのである。

 被告国及び被告エナジーは,原告らには,安全配慮義務の内容を特定し,かつ,その義務違反に該当する事実を主張立証する責任があるが(最高裁昭和56年2月16日第二小法廷判決・民集35巻1号56頁。以下「昭和56年第二小法廷判決」という。),その安全配慮義務違反の主張に当たっては,まず,被害を受けたとされる者ごとに,義務者の違反によって生命,身体等に侵害を受けたとする結果やその結果の発生した具体的状況を明らかにした上で,発生した結果との関係から,その具体的状況の下において義務者がそのような結果を予見できたか,どのような措置を講じていれば結果の発生を防止できたか,そして義務者と被害者との法律関係及び当時の技術水準や経済的,社会的状況その他の諸事情に照らして,義務者に対し,上記結果発生の防止措置を採ることを義務付けるのが相当であるかといった点を判断するに足りる具体的な事実を明らかにする必要があると主張する。しかし,原告らが,十分な食料を与えられず,いつ死んでもおかしくないような栄養不良状態で苛酷な労働につかされ,寒さにこごえ,栄養不良や疲労からくる疾病や,皮膚病に悩みながら生活させられるという,およそ人としての尊厳を踏みにじられた有り様を強いられて苦痛を受けたという結果について,被告国及び被告企業が予見できなかったということがあり得ないことはいうまでもないし,当時の経済的,社会的状況においてもなお,被告国及び被告企業が,前述のような最低限の義務を果たすことすら不可能であったとか,不相当であるとかいうことがあり得ないこともいうまでもない。したがって,「被告らが,結果を予見できたか」,「被告らが,どのような措置を講じていれば結果の発生を防止できたか」,「被告らと原告らとの法律関係及び当時の技術水準や経済的,社会的状況その他の諸事情に照らして,被告らに対し,右結果発生の防止措置を採ることを義務付けるのが相当であるか」といった点を判断するために必要な主張は,上記の程度で十分である。

() なお,被告らの原告らに対する安全配慮義務を更に具体的に特定すると,以下のとおりである。

a 生命,健康を維持するに十分な食料を与える義務の具体的内容

 国際連合経済社会理事会で採択されて成立した国際連合被拘禁者処遇最低基準規則20条,日本人の栄養所要量表,当時の監獄法施行規則94条,被告間組作成の事業場報告書などに照らすと,重い労作に従事していた原告らについては,1人当たり1日3500キロカロリーに相当する食料が供給されるべきであったとみられるが,仮に当時の逼迫した食料事情を最大限考慮しても,当時の監獄において重労働に従事していた男性に供給された食糧の熱量(このうち最も少ない代用食鶉豆の場合)である2694キロカロリーを下回ることは許されないはずである。したがって,被告国は,監督官庁たる商工省を通じて,被告企業をして,原告らを含む中国人労働者に対し,生命,健康を維持するに十分な食料として,少なくとも,1人当たり1日2694キロカロリーに相当する食料を供給せしめる義務があり,被告企業は,原告らを含む中国人労働者に対し,上記熱量に相当する食料を調達して供給する義務があったというべきである。

b 生命,健康を維持していける程度の労働条件で働かせる義務の具体的内容

 大正5年制定の鉱夫労役扶助規則5条1項,10条などに照らすと,当時の社会的,経済的状況の下においても,被告国は,監督官庁たる商工省を通じて,被告企業をして,原告らを含む中国人労働者に対し,生命,健康を維持していける程度の労働条件として,1日の就業時間が6時間を超えるときは少なくとも30分,10時間を超えるときは少なくとも1時間の休憩時間を就業期間中に設けなければならないこと,毎月少なくとも2回の休日を設け,労働者を2組に分かち,交代に午後10時から午前5時に至る間において就業させる場合は,毎月少なくとも4回の休日を設けなければならないこと,監督に当たって暴行をふるってはならないことを被告企業に守らしむる義務があり,被告企業は,原告らを含む中国人労働者に対し,生命,健康を維持していける程度の労働条件として,上記条件を遵守しなければならない義務があったというべきである。

c 健康を維持し,人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服その他衛生条件を整える義務の具体的内容

 前記の国際連合被拘禁者処遇最低基準規則10条ないし17条,19条,22条,25条で定められた基準,昭和4年に制定された鉱業警察規則67条1項の規定,鉱夫労役扶助規則14条の規定,当時の監獄法施行規則89条,90条,102条,103条,105条,107条の規定によれば,当時としても,人を一定の場所に起居・生活させる場合には,健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服その他衛生条件を整えるべく,十分な余裕のある清潔な就寝場所を提供すること,十分な暖房設備を整えること,蒲団や毛布などの寝具を与えること,清潔な衣服を与え,洗濯の機会を与えること,風呂を整え,十分な入浴の機会を与えること,皮膚病その他病気になったときには医師の治療を受けさせ,治るまで治療に専念させることが当然のこととして求められたものというべきである。

 このように,当時の社会的,経済的状況の下においても,被告国は,監督官庁たる商工省を通じて,原告らを含む中国人労働者に対し,健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服その他衛生条件を整えるべく,上記のような措置を被告企業に採らせる義務があり,被告企業は,原告らを含む中国人労働者に対し,健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服その他衛生条件を整えるべく,上記のような措置を採るべき義務があった。

イ 安全配慮義務は,戦前,戦中においても存在した。

 被告エナジーは,最高裁のいう安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理は,少なくとも憲法理念を異にする戦前の事案にまではその射程距離が及んでいないとみるべきであると主張する。

 しかし,「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務」は,正しく信義則に基づくものであって,その発生根拠は,民法施行時から存在するのである。被告エナジーは,信義則は,権利濫用の法理とともに,本来,権利の行使,義務の履行等に関する調整的,補充的機能を果たす原則にすぎず,このような機能を越えて,付随的な義務であるとはいえ債務不履行責任を伴う義務発生の根拠とするには明らかな論理の飛躍が伴っていると主張する。しかし,信義則も,権利濫用の法理も,単に権利の行使,義務の履行等に関する調整的,補充的機能をするだけではなく,それ自体が権利義務の発生根拠となり得るのである。

 ただ,信義則にしろ,権利濫用の法理にしろ,その具体的内容は,当然,時代によって異なる。昭和50年代に判例上,安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理が認められるようになったのは,昭和47年に労働安全衛生法が施行されたことに表れているように,職場における労働者の安全と衛生を確保すべきであるという要請が,高度経済成長の中で高まってきたからにほかならない。もとより,それ以前においても,職場における労働者の安全と衛生を確保する必要がなかったわけではないが,高度成長以前の日本においては,労働者のために十分な安全施設を作ることや労働者に安全教育を施すことについての配慮は不十分であった。その反省に基づき,昭和47年には労働安全衛生法が施行され,労働者の安全と衛生を確保すべきであるとの要請が規範的にも具体化し,このような時代の要請に沿って,安全配慮義務違反を問題とする多くの下級審判決が登場し,最高裁昭和50年2月25日第三小法廷判決・民集29巻2号143頁判決(以下「昭和50年第三小法廷判決」という。)が出されたのである。

 本件は,職場における労働者の安全と衛生を確保すべきであるという思想がまだ十分ではなかった第2次世界大戦中の事件である。したがって,原告らが主張する「安全配慮義務」は,判例上要求されているような高い水準のものではない。被告国及び被告企業が,中国から強制連行してきた原告らを含む中国人労働者に対して,強制連行によって発生した法律関係に付随する義務として,信義則上負う義務は,前記@ないしBの最低限の義務であると主張しているのであって,このような義務である以上,戦時下であっても当然に認められるべきものであることはいうまでもない。

 また,被告エナジーは,新たな判例の遡及適用には自ずから限界があるといわなければならないとして,最高裁の安全配慮義務に関する一連の判例の遡及効を否定する。

 しかし,罪刑法定主義と刑罰法規の絶対的不遡及原則のある刑事の分野と異なり,立法においても,しばしば施行前の事案にまで遡及適用されるとする条項が置かれることがある民事の分野においては,判例上確立された法理ないし法解釈が当該判決宣告前の事案に適用されることを否定する理由は原則としてない。判例が法的拘束力を有する英米法においても,判例は遡及するのが原則であり,不遡及的判例変更は例外的な場合にのみ行われる。例外的な場合とは,主として,当事者の信頼利益を考慮しなければならない場合,すなわち旧判例を信頼して行動していた当事者に対して,判例変更によって不測の危害を与えることになる場合である(伊藤正巳・田島裕「英米法」366頁)。職場における労働者の安全と衛生を確保する必要がないと信じていた雇用主が戦前にいたとしても,その信頼は保護に値しないし,仮に被告国及び被告企業が,中国から強制連行してきた中国人労働者に対して,十分な食料を与えず,いつ死んでもおかしくないような栄養不良状態で苛酷な労働につかせ,極寒にさらし,皮膚病を放置していても,まったく構わないと信頼していたとしても,その信頼は保護に値しないことはいうまでもない。

 三菱難聴1次,2次訴訟の控訴審判決(大阪高裁昭和63年11月28日判決・判例時報1391号3頁)も,職場における労働者の安全と衛生を確保すべきであるという思想がまだ十分ではなかった昭和40年代以前においても,更には労働基本権,生存権などを定めた現行憲法制定以前においても,そして,日本が社会的,経済的に厳しい環境下にあった第2次世界大戦中においても,安全配慮義務が存在したことを認め,上告審判決(最高裁平成3年4月11日第一小法廷判決・判例時報1391号3頁。以下「平成3年第一小法廷判決」という。)は,これを是認している。また,シベリア長期抑留等補償請求事件の第1審判決(東京地裁平成元年4月18日判決・判例時報1329号36頁)は,第2次世界大戦後,旧ソ連軍によって,シベリア,中央アジア等の各地の収容所に捕虜として分散抑留され,劣悪な環境の下で苛酷な強制労働に従事させられた元日本人捕虜らが,国を相手にして,国が,元日本人捕虜らの生命及び健康を保護すべく配慮する義務を負っていたにもかかわらず,かかる義務を怠ったために,元日本人捕虜らのソ連抑留,強制労働を惹起したとしてその安全配慮義務違反の責任を追及するなどした事案について,「原告が主張する安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随的義務として当事者の一方又は双方が相手方に対し信義則上負担する義務であって,国家公務員の場合には,国が公務遂行のために設置すべき場所,施設若しくは器具等の設置管理又は国家公務員が国若しくは上司の指示のもとに遂行する公務の管理に当たって,国家公務員の生命及び健康等を危険から保護するよう配慮すべき義務といえるが,このような義務は,大日本帝国憲法のもとにおいて徴兵又は志願によって軍務に就いている軍人と国の間でも,戦地において戦闘行為に従事し,敵の攻撃等にさらされることが当然に予定される軍務の特質から,一般の公務員に比しその適用範囲が制限されるにしても,存在しないものではないと解される。」と判示し,その控訴審判決(東京高裁平成5年3月5日判決・判例時報1466号40頁)は,これを是認している。さらに,長崎じん肺訴訟上告審判決(最高裁平成6年2月22日第三小法廷判決・判例時報1499号32頁。以下「平成6年第三小法廷判決」という。)は,戦中,戦後にわたって炭鉱労働に従事していた労働者が,粉じん作業に従事してじん肺に罹患したという事案について,「被上告人が上告人ら元従業員の雇用者としてその健康管理・じん肺罹患の予防につき深甚の配慮をなすべき立場にあったことを勘案すれば,本件安全配慮義務の履行が必ずしも容易であったとはいい難い一時期があったことその他,原判決説示の被上告人側の事情を考慮しても,なお前記慰謝料認定額についての原審の裁量判断を正当化するには遠く,結局,原審の右判断には,損害の評価に関する法令の解釈適用を誤った違法があるというに帰着する。」と判示している。

 これらの判例からみても,最高裁のいう安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理は,少なくとも憲法理念を異にする戦前の事案にまではその射程距離が及んでいないとみるべきものであるという被告エナジーの主張の誤りは明白である。

ウ 安全配慮義務は,雇用等の契約関係にある当事者間にのみ発生するものではない。

 被告エナジーは,安全配慮義務違反による債務不履行責任は,不法行為責任とは異なり,雇傭等の契約関係にある当事者間を規律するものであって,信義則上,契約等の法律関係の付随義務として負う安全配慮義務の不履行(不完全履行の一類型ともいわれる。)に基づき負担することになる損害賠償責任であるところ(民法1条2項,415条),原告らの主張は,結局,労務提供の意思がないのに,強制連行され,強制労働させられたという「事実関係」を主張しているにすぎず,契約規範(債務不履行規範)を適用すべき「法律関係」はなかったというのであるから,被告エナジーに安全配慮義務が発生する余地はないと主張する。

 安全配慮義務は,契約法理に包摂され,不完全履行の一形態とされているが,上記義務は,契約締結上の過失や,広く積極的債権侵害として取り上げられる際の注意義務と論理構造上酷似しており,元々その本籍は不法行為規範にあるところ,「特別な社会的接触の関係」にある場合に,不法行為規範が特別に契約法理に服するものとして取り扱われるものである。安全配慮義務は,「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務」と定義されるが,ここでいう法律関係が,契約関係に限定されないことは,上記の一般論を述べた昭和50年第三小法廷判決が自衛隊員の事故に関するものであったことからも明らかである。

 それでは,「特別な社会的接触」の基となる「法律関係」は,契約関係以外にいかなるものを含むと解すべきかについて検討する。ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間においては,その特別な社会的接触の関係に入ることによって,相手方の法益を,その法律関係に伴う危険の現実化によって侵害し,損害を与える可能性が増大する。そして,ある特別な社会的接触の関係に入ることによって発生する相手方の法益に対する増大した影響可能性に対応して,相手方の法益を侵害しないように配慮する義務が一層強く要請される。また,その法律関係に伴う危険の現実化によって,相手方の法益を侵害し,損害を与える可能性がある一方で,その法律関係によって利益を得ている者は,その相手方に対して信義則上,相手方の法益を侵害しないように配慮する義務が一層強く要請される。すなわち,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,信義則上,相手方の法益を侵害しないように配慮する義務が,社会生活上他人に対して損害を与えてはならないという一般市民法的義務よりも強く要請される根拠は,1つは,危険責任,すなわち,危険を管理する者が,その危険から発生した被害につき責任を負うという原則であり,もう1つは,報償責任,すなわち,利益の帰するところに損失も帰するという原則である。したがって,安全配慮義務を発生させる法律関係とは,その法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,その特別な社会的接触の関係に入ることによって,相手方の法益を,その法律関係に伴う危険の現実化によって侵害し,損害を与える可能性が増大するような関係であって,その法律関係において,一方又は双方が,相手方に対して,その危険を管理し,あるいはその法律関係から利益を得ているという関係であるということができる。

 このような性質を有する関係は,必ずしも契約関係に限定されるものではない。被告エナジーの立論は,安全配慮義務違反による責任が,債務不履行責任であることから,安全配慮義務違反を契約上の義務の違反と同視しているが,債務の発生原因が契約に限定されないのと同様に,安全配慮義務を発生させる法律関係も契約に限定されないのである。例えば,一方が他方に労働を提供する関係を考えてみると,労働の提供を受ける者は,これによって利益を受けるとともに,労働現場の危険を管理し得る立場にある。そこで,労働の提供を受ける者は,労働を提供する者に対して,生命,身体などの人格的利益を保護する義務を負うのである。その場合,両者が,直接の契約関係にある必要はない。元請企業と下請企業の労働者(以下「下請労働者」という)との関係にあっても,後者の労働によって,前者が利益を受ける立場にあり,また前者がその労働現場の危険を管理し得る立場にある場合には,後者の生命,身体などの人格的利益を保護する義務を負うのである。元請企業と下請労働者との間において,安全配慮義務違反による債務不履行責任を肯定した判例は,被告エナジーも引用する前記三菱難聴1次,2次訴訟判決のほか,多数存在する。

 この問題について,平成3年第一小法廷判決は,「認定事実によれば,上告人の下請企業の労働者が上告人の神戸造船所で労務の提供をするに当たっては,いわゆる社外工として,上告人の管理する設備,工具等を用い,事実上上告人の指揮,監督を受けて稼働し,その作業内容も上告人の従業員であるいわゆる本工とほとんど同じであったというのであり,このような事実関係の下においては,上告人は,下請企業の労働者との間に特別な社会的接触の関係に入ったもので,信義則上,右労働者に対し安全配慮義務を負うものであるとした原審の判断は,正当として是認することができる。」と判示しているが,ここにおいては,安全配慮義務の発生根拠とされているのは,元請企業・下請企業間及び下請企業・下請労働者間の雇傭契約等の存在ではなく,下請労働者が元請企業の労働者と同じ作業環境にあることという実質論であり,そこにおける「法律関係」は,元請企業・下請企業間及び下請企業・下請労働者間の雇傭契約等の存在ではなく,元請企業と下請労働者との間にある,雇用関係と同視できるような社会的・経済的関係すなわち事実上の使用従属関係なのである。

 被告エナジーは,上記事件の控訴審判決の「下請労働者と元請企業は,直接の雇傭契約関係にはないが,元請企業と下請企業との請負契約及び下請企業と下請労働者との雇傭契約を媒介として間接的に成立した法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入ったもの」というくだりをとらえて,間接的な契約の存在が安全配慮義務の発生の要件となっているとするが,控訴審判決の上記の部分も,元請企業と下請企業との請負契約及び下請企業と下請労働者との雇傭契約が,安全配慮義務の基礎にある法律関係であると述べているのではなく,元請企業と下請企業との請負契約及び下請企業と下請労働者との雇傭契約を媒介として成立した元請企業と下請労働者間の事実上の使用従属関係をもって安全配慮義務の基礎にある「法律関係」ととらえているとみるべきなのである。この場合における安全配慮義務違反による債務不履行責任は,元請企業と下請企業との請負契約上の債務不履行でもなければ,下請企業と下請労働者との雇傭契約上の債務不履行でもなく,元請企業と下請労働者との間の事実上の使用従属関係から発生する信義則上の義務の違反としての債務不履行なのである。したがって,仮に元請企業と下請企業との請負契約が無効であっても,下請企業が下請労働者を無理矢理労働現場に連行したという場合であっても,元請企業の管理する設備,工具等を用い,事実上元請企業の指揮,監督を受けて稼働し,その作業内容も元請企業の労働者とほとんど同じであったという関係であれば,安全配慮義務が発生することに変わりはないのである。

 被告エナジーは,安全配慮義務は契約規範(債務不履行規範)に基づく義務であるから,雇傭等直接の契約関係にない当事者間においてはその違背に対する債務不履行責任は認められないのが原則なのであるが,最高裁が,契約規範という枠組みを維持しつつ,直接の法律関係に準ずる法律関係がある者として,その当事者間に安全配慮義務違反による債務不履行責任を肯定したものは,元請企業と元請企業の労働者と労働環境が変わらない下請労働者との関係についてのみであると述べる。しかし,安全配慮義務は契約規範(債務不履行規範)に基づく義務であるから,雇傭等直接の契約関係にない当事者間においてはその違反に対する債務不履行責任は認められないという原則など存在しないし,また,直接の法律関係を有しない当事者間において,安全配慮義務違反による債務不履行責任を肯定した最高裁判例は,元請企業と下請労働者との関係以外にもある。

 最高裁平成2年11月8日第一小法廷判決・判時1370号52頁(以下「平成2年第一小法廷判決」という。)は,船主から運送会社に対し,船舶運送委託契約に基づいて船舶の運行が委託された特殊タンク船内の事故において,運送委託契約の委託者である船主に雇傭されていた船長が窒息死したという事案において,運送委託契約により船舶の運行を受託した運送会社に,運送委託契約の委託者である船主に雇傭されていた船長に対する安全配慮義務を認めた。ここにおいても,船長の労働によって,運送会社が利益を受ける立場にあり,また,運送会社がその船内の危険を管理し得る立場にあったが,船長と運送会社との間には直接の契約関係はない。ただ,運送会社が,船舶を自己の業務の中に一体的に従属させ,事故の被害者である船舶の船長に対し,その指揮監督権を行使する立場にあり,同船長から実質的に労務の提供を受ける関係にあったというだけである。上記の関係が,信義則上,運送会社が船舶の船長に対して安全配慮義務を負う根拠となる「法律関係」なのであって,運送会社と船主との間の運送委託契約や船主と船長との間の雇傭契約が,安全配慮義務を発生させる「法律関係」であるわけではない。上記の安全配慮義務違反による債務不履行責任は,運送会社と船主との間の運送委託契約上の義務の債務不履行でもなければ,船主と船長との間の雇傭契約上の義務の債務不履行でもなく,運送会社と船長との間の事実上の使用従属関係から発生する信義則上の義務の違反としての債務不履行なのである。したがって,仮に上記運送委託契約が無効であって,船主が無理矢理に船に乗船させた船員に事故が起きた場合であっても,船舶運送委託契約の受託者である運送会社が,当該船舶を自己の業務の中に一体的に従属させ,当該船員に対し,その指揮監督権を行使する立場にあり,当該船員から実質的に労務の提供を受ける関係にあれば,安全配慮義務が発生することに変わりはないのである。

 安全配慮義務発生の根拠となる「特別な社会的接触」の基となる「法律関係」は,元請企業と下請労働者との間の事実上の使用従属関係のように,雇用関係はなくても,雇用関係と同視できるような事実上の関係をも含んでいるのである。

エ 安全配慮義務の発生において,安全配慮義務に対応する権利者の側の同意等の意思表示は必要ない。

 被告エナジーは,原告らの主張は,華北労工協会との供出契約はあっても,それによる就労に関して何ら同意等の意思表示をしたことのないまま,強制連行されて,強制労働させられたものだというのであり,これはまぎれもなく不法行為責任を主張しているものにほかならないと主張し,安全配慮義務の発生において,安全配慮義務に対応する権利者の側の同意等の意思表示が必要であるかような主張をしている。

 しかし,前記のように,安全配慮義務違反の責任は,債務不履行責任ではあるが,契約上の義務違反の責任そのものではないので,その基になる法律関係は,当事者の意思の合致に基づく関係である必要はなく,安全配慮義務に対応する権利者の側の同意等の意思表示も必要ない。例えば,元請企業と下請労働者との間の事実上の使用従属関係も,元請企業と下請労働者との間の意思の合致に基づいて構築された関係でないことは明らかである。確かに,この場合に下請労働者は,当該労働の現場における就労に関して同意しているのが通常であるが,下請労働者が,当該労働の現場における就労に関して同意していることが,安全配慮義務の発生の要件となるわけではない。「元請企業の管理する設備,工具等を用い,事実上元請企業の指揮,監督を受けて稼働し,その作業内容も元請企業の従業員とほとんど同じであった」という関係にある労働現場で事故が起き,多数の労働者が死傷したという場合に,仮にその中に,下請企業がその意思に基づかずに無理矢理労働現場に連行した労働者が含まれていたとしても,「元請企業の管理する設備,工具等を用い,事実上元請企業の指揮,監督を受けて稼働し,その作業内容も元請企業の従業員とほとんど同じであった」という関係にある以上,その者に対しても元請企業は安全配慮義務違反の責任を負うべきであり,その者に対してだけは元請企業は安全配慮義務違反の責任を負わなくてよいということになるわけがないのである。

 「特別な社会的接触」の基となる「法律関係」は,当事者の意思の合致に基づく関係である必要はなく,安全配慮義務に対応する権利者の側の同意等の意思表示も必要ない。ただ,特別な社会的接触の関係に入り,その結果として,当事者の一方又は双方が,生命,身体などの人格的利益について危険にさらされることとなった場合に,その特別な社会的接触の関係の基となる法律関係において,一方又は双方が相手方の危険を管理し,あるいはその法律関係から利益を得ているという関係があることが要求されるのである。

オ 安全配慮義務が発生するためには,その基となる「法律関係」が有効であることも,合法であることも要しない。

 被告エナジーは,例えば,労務提供に関して使用者の被用者に対する安全配慮義務が認められる根拠が労務指揮権等使用者が労働者の労務を受領し得る正当な法的地位の存在に求められるものであるように,安全配慮義務は,契約規範の枠内において規律されるものとして,契約関係の存在を当然の前提とするものであると主張する。

 しかし,安全配慮義務が発生する基となる「法律関係」は,有効なものであることも,合法であることも要しない。労務提供の場面では,使用者が負う安全配慮義務は,労務指揮権等を行使しながら,使用者が労働者の労務を受領しているという地位の存在に求められるが,それ以上に,労務指揮権等が有効適法なものであることや,労務の受領が正当な法的地位に基づくことまでは要求されない。

 例えば,監獄管理者たる国は,監獄における危険を管理し得る立場にあるので,逮捕・勾留されている被疑者に対して,生命,身体などの人格的利益を保護する義務を負う。その場合に,全く嫌疑がないのに違法に逮捕・勾留されている者があったとして,その者に対しては,生命,身体などの人格的利益を保護する義務を負わないといういわれはないのである。なぜなら,国は,全く嫌疑がないのに違法に逮捕・勾留されている者に対しても,監獄における危険を管理し得る立場にあることに変わりはないからである。また,6歳児と単純軽作業についての雇傭契約を締結する例を考えると,雇用契約はもちろん無効であるが,使用者は,6歳児に対しても労務指揮権等を行使しており,使用者が6歳児の労務を受領しているという関係にあり,その労務指揮権は有効な契約に基づくものではなく,6歳児の労務を受領し得る正当な法的地位があるともいえない。しかし,同じ現場で雇傭契約を締結した20歳の青年に対するのと同様に,使用者は,6歳児に対しても,職務遂行上必要な施設,器具等の設置管理や,その勤務条件の管理に当たって,同人の生命及び健康等を危険から保護するための具体的な方策を取る等労働現場の危険を管理し得る立場にあることに変わりはない以上,その法律関係から安全配慮義務が発生することに変わりはないのである。

 ちなみに,労働契約が強行法規や公序の違反又は意思表示の瑕疵を理由に無効であったり,取り消されたりした場合にも,労働契約関係が事実上展開する(した)限りは,信義則上,使用者が労働者に対し安全配慮義務を負うものというべきである。

(2) 被告らに原告らに対する安全配慮義務が発生する根拠

ア 本件強制労働の法律関係 

 第2次世界大戦当時において,日本国内では,国家総動員法4条,国民徴用令によって,強制的に日本国民をある労働に従事させることができた。国家総動員法4条,国民徴用令によって,日本国民を強制的にある労働に従事させた場合の国と当該日本国民との関係は,国家総動員法4条,国民徴用令に基づく公法上の権利義務関係である。他方で,その場合,徴用された国民と割り当てられた企業との間には雇傭契約に準ずる私法上の関係が成立した。美濃部達吉「経済統制法令における公法と私法()(法律時報昭和16年11月号)によれば,「徴用命令それ自身は直接には唯徴用に応ずべき公法上の義務を負はしむるにとどまるものであるが,その命令が実行せられて既に徴用せられた上は,被徴用者を使用する国又は工場の事業主と被徴用者との間に,雇傭契約に準ずべき私法上の関係を生ずるもので,被徴用者は官衙に使用せらるる場合には,官衙の長,私の工場に使用せらるる場合には事業主から相当の給与を受ける権利を有するのである。其の指定業務に従事することは国家から徴用命令に依って命ぜられた所であるから,一面に於ては国家に対する公法上の義務であるに相違ないが,併し其の業務の特定の事業場における業務であり,其の事業主の営む事業に従事するのであるから,事業主も亦其の勤務を要求する権利を有するものであることは疑いなく,事業主が給与の義務を負うのもそれが為めであり,而して被徴用者と事業主との関係は私法上の権利義務関係に外ならない。」というのである。

 以上によれば,国家総動員法4条,国民徴用令によって,強制的に日本国民をある労働現場で起居させ,そこで労働に従事させた場合,国及び企業は,徴用された国民に対して,前述のような@ 生命,健康を維持するに十分な食料を与え,A 生命,健康を維持していける程度の労働条件で働かせ,B 健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服を与える義務を負っていたというべきである。

 外国人である原告らを含む中国人に対しては,国家総動員法4条,国民徴用令を及ぼす余地はない。したがって,華北労工協会との間の供出契約に基づいて,華北労工協会から労働者の供給を受けるという外観を取って強制労働が行われた。しかし,華北労工協会と原告らを含む中国人との間には実は労働契約などなく,華北労工協会は,実際は被告国が管理掌握する団体であった。実態は,被告国が,その国家権力を発動して強制的に,原告らを含む中国人労働者を鉱山労働などの労務に従事させ,被告国から原告らを含む中国人労働者を割り当てられた被告企業は,あたかも自己の従業員であるかのように,強制連行された原告らを含む中国人労働者を使役したのである。すなわち,被告国は,原告らを含む中国人労働者に対し,その国家権力に基づき強制的に一定の業務に従事させる行為,すなわち徴用行為を行ったのであるが,それは違法な権力行使だったのである。その場合の被告国と原告らとの関係は,国と国民徴用令によって徴用された日本国民との間の公法上の関係に類似した関係であり,原告らと被告企業との関係は,国民徴用令によって徴用された日本国民と割り当てられた企業との間の雇傭契約に準ずべき私法上の関係に類似した関係があるが,それは,既に述べたように,当時の国際法,中国国内法に照らして違法であるという判断がなされる法律関係であり,その違法な法律関係に基づいて,被告国及び被告企業と原告らとの間には「特別な社会的接触の関係」が発生し,その結果として,生命,身体などの人格的利益について危険にさらされることとなった者に対し,その法律関係において,危険を管理し,かつ,その法律関係から利益を得ている被告国及び被告企業が安全配慮義務を負うことになるのである。

 前記のように安全配慮義務は,有効な法律関係においてのみ発生するものではない。通常に雇傭契約を締結した労働者に対して負うべき義務が,無効な法律関係,違法な法律関係において,免除されるいわれはないのである。違法な権力行使によって原告らを含む中国人労働者を徴用した被告国と,被告国から原告らを含む中国人労働者を割り当てられて使役した被告企業は,国家総動員法4条,国民徴用令によって,強制的に日本国民をある労働に従事させた国及び企業と同様の安全配慮義務を負担することを免れるわけにはいかない。

イ 原告らと被告国との「特別な社会的接触の関係」

 被告国と原告らを含む中国人労働者との間には,次のような特別な社会的接触の関係があった。すなわち,被告国は,原告らを含む中国人労働者を中国から強制連行し,各企業に供給した主体であり,かつ,日本に連行した後も,各企業の事業場からの逃亡を防止し,外部との連絡を遮断して強制労働をさせた主体であって,しかも,各企業に割り当てられた原告らを含む中国人労働者の労働条件や衣食住その他の処遇を定め,これを各企業に守らしめ,仮に各企業がこれを守らなければ是正を命じ得る立場にあったという特別な社会的接触の関係である。具体的には以下のとおりである。

() 華北労工協会の設立と被告国の関与

 「満州国」建国以後,関東軍は,「満州産業開発5か年計画」を樹立し,重化学工業化を押し進めたが,その過程で労働力不足が生じ,「入満」奨励策を採った。そこで,関東軍,「満州国」政府,満鉄,関東局によって,1938年1月「満州労工協会」が設立された。「満州国」においては,日本の国家総動員体制の強化に対応して労働統制策が展開され,1939年には,基本法として「労働統制法」が施行され,同法に基づいて,「満州労工協会」が全満州の企業間協定の締結を実現した。「入満」中国人労働者の多くは華北地域からの者であったが,「満州国」における労務動員は,従来の労働統制では不十分なものになり,より権力的な労務動員政策が実施されていく。こうして,「満州国」(関東軍)と華北(北支那方面軍)との利害調節が必要となり,華北において二元的に労働統制を図るものとして「満州労工協会」の華北版というべき華北労工協会が,1941年7月に設立されたのである。華北労工協会の本部は北京に置かれ,省,首都及び特別市に総処が,道には弁事処が,重要な県市には弁事分処・特別弁事処が設けられた。労工協会の代表には中国人が就いたりしたが,実際の権限は日本人(実質は日本軍)が掌握していた。

() 強制連行の実施

 華北労工協会の役割は,華北における労働者を募集・斡旋し,華北内外に対する労働力の供給配分を円滑にして労働対策の遂行を図ることにある。しかし,労働者の募集・斡旋は,「兎狩り」「労工狩り」に代表されるように日本軍及びその支配下にあった傀儡政府あるいはその軍隊によって強制的に何の罪もない農民や商人を有無を言わせず駆り立てるものであった。華北労工協会は,北平(北京),太原,石家荘,塘沽などの収容所を管理したが,日本軍隊ら等によって拉致・拘禁された中国人らはこの収容所へ収容され,拘束・拘禁された。この収容所の実態は,強制連行された中国人が日本軍の獲得物,支配物であることを雄弁に示しており,原告らを含む中国人労働者は,この収容所から日本の企業に物資のように「供出」された。この強制連行がなければその後の日本での強制労働がなかったことは明らかである。

() 労務提供契約・実施細目策定における国の指示,命令

 華北労工協会と企業との労務提供契約には「労工」の使用条件の内容として詳細な実施細目が示されている。この意義について理解するには当時の日本の国家総動員法体制の法秩序を踏まえる必要がある。

 1938年に制定された国家総動員法は1941年に大改正され,労務統制は一層強化され,あらゆる場面に作用した。労務の需給調整については,従来は,雇主に対してのみ,「従業員の使用,雇入もしくは解雇」につき必要な命令をなし得ることになっていたが,この改正では,従業員の側に対しても命令をなし得ることとなり,また,従業者の「賃金,給料その他の従業条件」について必要な命令をなすことができるとされた。政府は,1942年11月の閣議決定によって中国人の強制連行を可能にするのと同時に,その際の中国人の処遇条件を細かく定めているが,これは,国家総動員法6条の命令権限が政府にあることに則したもので,これが事実上の命令となって実施細目に具体化されたのである。事実,1942年11月の閣議決定は,個々の企業に対する勧告あるいは希望ではなく,「国民動員計画」(閣議決定第2,要領1)における政府の強制措置であり,「移入する華人労務者の募集又は斡旋は華北労工協会をして(中略)当たらしむ」(閣議決定第2,要領3)と定め,以下,移入,輸送,就労,管理の各分野において,初めから終わりまでの全過程に対する政府の統制措置を決定しているが,その要綱は,実施細目に符合し,実施細目において具体化されているのである。労務提供契約及び実施細目は,いわば政府の命令によって作られた約款というべき性質のもので,形式上,華北労工協会が定めた形になっているが,日本政府の閣議決定以下の諸措置を具体化したものであり,政府の指示・命令が,被告企業と原告らを含む中国人労働者との関係を規律していたのである。特に,実施細目は,1,募集供出方法,2,輸送方法,3,供出に関する費用,4,使用条件,5,駐在員,6,送還方法,7,採用規格,8,到着後の予備訓練,9,逃亡者に対する処理にわたって規定し,特に4の使用条件では,@ 契約期間,A 作業種類,B 作業組織,C 賃金算定及び支払方法,D 作業用品,E 送金,F 就労及び就労時間,G 公休日,H 宿舎施設,I 生活必需品の調達,J 風呂,K 宿舎費,燃料費等の負担,L 賄方法,M衛生施設,N 保護救済,O 慰安所などについて規定している。これらの規定は,中国人労働者の衣食住のすべてをカバーするだけでなく,労働災害扶助規定をも含み,送還方法にまで及んでいる。

() 被告国による労働管理 

 以上のように作られた労務提供契約及び実施細目によって,原告らを含む中国人労働者は,被告企業との間で,使用者と被使用者という実質的な労働法律関係に入ったものである。いわば,被告国は,原告らを含む中国人労働者と被告企業との間の実質的な労働法律関係を,国家総動員法体制の法秩序の下で作り上げた張本人である。そして,まさにその故に,被告国は,原告らを含む中国人労働者と被告企業との労働法律関係を維持・管理するために包括的な管理者の役割を担うこととなる。労働管理は,1944年11月28日の次官会議によって,厚生省 (労役),運輸省(輸送),内務省(取締り),大東亜省,農林省(食料),各事業場並びに下級機関として地方庁,「現地より同行せる日系指導員」,国民職業指導所及び警察署が行うように決められている。内務省は,厚生省,軍需省と連名をもって関係地方庁に対し,中国人労働者の指導に開し通牒を発し,又は取締要領を定めその励行方を通牒していた。この取締要領においては,関係地方庁は,中国人労働者の割当予定の通報を受けたときは,事業場と連絡し,作業場,宿舎等の選定,警戒対策の樹立その他取締上必要な諸般の準備をすること,事業場に対しては,逃亡防止及び外部との連絡遮断に処する確実なる施設の完備と華人労務者監督の責任を負担させることなどと定められ,また,各事業場においては,地方の警察が管理における重大な役割を果たしており,宿舎側近に警官見張所を設置し,点呼及び携帯品点検には警察官が立ち会い,事業場からの逃亡者には警察への連行が指示された。

() 被告国の関係企業に対する賃金補填

 経済的にみても,被告国と被告企業が実質的には共同して原告らを含む中国人労働者を使用しているとすらいい得る関係がある。そもそも,原告らを含む中国人労働者は,戦争遂行に必要な鉱工業生産力を確保し,戦争の進展に伴う労務需給の逼迫に対処するために,被告国が中国から強制連行して被告企業に割り当てたものであり,華北労工協会と被告企業との間の労務提供契約において被告企業が中国人労働者に支払うことになっていた1日5円の日当のうち,半分は被告国が負担することになっていた。さらに,敗戦の翌年の1946年,被告国は,「中国人労働者によって損害を受けた」とする当時の35社の関係企業の厚かましい補償要求に応じ,総額金672万5474円もの補償金を支払った。これは,経済的にみて,被告国と被告企業が実質的には共同して原告らを含む中国人労働者を使用しているとすらいい得る関係であったことの表れなのである。

() 被告国は,元請会社などと異なり,権力をもって各企業の従業員に対する労働条件を規律することができるのであり,しかも,被告国が労働条件を規律しているのは,戦後のように労働者を保護する目的で規律しているのではなく,国家総動員法に基づき,労働者を使役するものとして,その労働条件を規律しているのである。さらに,施設,器具等もまた国家総動員法の配給機構の下では,被告国が提供していたものと同視できる面もあるし,特に中国人労働者の宿舎,その位置,構造等については,内務省警保局外事課において立案し,関係各当局の協議において決定し,食料はもとより,衣類,履物も配給制度の下で最低限の保障をできるものであった。そもそも,原告らを含む中国人労働者は,戦争遂行に必要な鉱工業生産力を確保し,戦争の進展に伴う労務需給の逼迫に対処するために,被告国が中国から強制連行して各企業に割り当てたものであって,被告国は,労働者それ自体を各事業場に提供しているものである。そして,逃亡できないように,警察力を使って監視していたのであるから,被告国こそが労働を強制していた主体とみることができるのである。被告国が,国家としての戦争遂行に必要な鉱工業生産力を確保するために,原告らを含む中国人を中国から強制連行して各企業に割り当て,逃げることができない強制状態を作出して労働をさせ,その労働関係も被告国が規律しているという関係は,まさしく勤務条件を具体的に支配管理するという直接的具体的な労務の支配管理性を有する関係にほかならないというべきものである。

() 以上が,被告国と原告らを含む中国人労働者との間の「特別な社会的接触の関係」の詳細であり,この「特別な社会的接触の関係」に入ることによって,被告国は,国民徴用令によって徴用された日本国民との間の公法上の関係に類似した特殊な法律関係に伴う危険の現実化によって,原告らを含む中国人労働者の人格的利益を侵害したのであるが,被告国は,上記の危険を管理する立場にあるとともに,この法律関係から戦時における労働力の確保という利益を得ていたのである。したがって,被告国は,原告らを含む中国人労働者に対し,@ 生命,健康を維持するに十分な食料を与え,A 生命,健康を維持していける程度の労働条件で働かせ,B 健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服を与える義務を負っていたものというべきである。

ウ 原告らと被告企業との「特別な社会的接触の関係」

 被告企業と原告らを含む中国人労働者との間には,次のような特別な社会的接触の関係があった。すなわち,被告企業と原告らを含む中国人労働者との間には,労働契約が存在する場合と同様の使用従属関係があり,被告企業が,原告らを含む中国人労働者の労働条件を具体的,直接的に支配管理してきたばかりでなく,守衛を置いて原告らを含む中国人労働者がそれぞれの事業場から逃亡することを防止し,その閉鎖された環境において,原告らを含む中国人労働者に対し衣食住を直接供給する立場にあったという特別な社会的接触の関係である。

(3) 安全配慮義務の準拠法

 本件は,被告国及び被告企業が中国人である原告らを中国国内から日本国内に強制連行し,強制労働をさせたという事案であるため,準拠法の問題が生じる。ただし,この問題について,不法行為責任を問題にする場合と,安全配慮義務違反を問題にする場合とでは,単位法律関係が異なるので,準拠法は,必ずしも同一とは限らない。

 安全配慮義務を契約上の義務と類似のものとみた場合,法例7条を類推適用することになる。法例7条1項によると,当事者の意思によって準拠法が決定されることになるが,そもそも原告らと被告らとの間には契約が存在していない以上,かような準拠法に関する当事者の意思は存在しない。そこで,訴状においては,法例7条2項を適用し,準拠法に関する当事者の意思が分明ならざる場合として,行為地法によるというところから,労働関係が成立していたのが日本であることをもって,日本法を準拠法とした。しかし,ここでいう行為地法は,本来は契約締結地法ということになるが,本件では契約締結地を考えることもできないので,法例7条2項が直接適用されるわけでもない。ただし,我が国の学説によると,準拠法に関する当事者の意思が明示されていなくても,契約の型・内容・性質など,あらゆる事情を総合的に考慮して,黙示の意思を探究すべきであるとしており (山田鐐一「国際私法」293頁,その他の学説については,川又良也「当事者自治−黙示の指定」渉外判例百選第三版74頁),これに従った裁判例もみられる(判例の総合的研究としては,奥田安弘「わが国の判例における契約準拠法の決定」北大法学論集15巻5号1頁以下)。そして,かような黙示の意思の探求を契約類型ごとに具体的に示そうという試みもある。これによると,雇傭契約については,例えば現地採用の場合には労務給付地法,勤務地が国際的に移動する場合には企業の本拠地法などが黙示の意思として推測される(佐野寛「基本法コンメンタール国際私法」49頁。溜池良夫「国際私法講義」358頁,澤木敬郎「国際私法入門第3版」192頁)。いずれにせよ,本件では,事実上の労働関係が専ら日本において成立していたことから,それに関する安全配慮義務の準拠法は日本法によるという意思であったと推測できる。

 他方で,安全配慮義務は,契約当事者の意思によって定まるものではないので,一種の法定債務であるとみるという立場も考えられる。これによると,法例11条1項によって準拠法は決定され,そこにいう原因事実発生地とは,本件では,事実上の労働関係が成立していた地を意味すると解されるから,この立場によっても日本法によって判断されるべきことになる。

(4) 被告企業らの消滅時効の主張に対する反論

 第2,1(5)()で述べたとおり,原告らが客観的にみて現実に権利の行使できたのは,1995年3月の時点であるから,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権の時効の期間は満了していないし,また,第2,2被告企業は,国策として行われた強制連行・強制労働に深くかかわり,積極的に国を動かすという役割を担ったのであり,上記政策を積極的に推進しておきながら,責任追及を免れるために事業場報告書等に虚偽の記載をし,あるいは報告書を焼却するなど事実の隠蔽を画策したこと,過酷な労働を原告らに課しながら,賃金を全く払わず,かえって国から損失補償を受けるなど,原告らの犠牲の上に多大な利潤を獲得してきたのであって,外務省報告書の存在が明らかとなり,被告企業の安全配慮義務違反が明らかになった以上,消滅時効の規定は適用されない。

2 被告国の主張

(1) 原告らの主張する安全配慮義務が具体的義務内容の特定を欠くこと

ア 安全配慮義務は,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随的義務として当事者の一方ないし双方が相手方に対して信義則上負う義務である(昭和50年第三小法廷判決)。安全配慮義務違反の法的性質は,広い意味での不完全履行の一種と解されているところ,不完全履行とは,履行遅滞や履行不能と異なり,一応債務の履行はされたが,その内容に債務の本旨に従わない不完全さ(瑕疵)がある場合であるから,瑕疵ありとするためには,履行が完全でないことが損害賠償債権の発生要件となるのである。そうすると,債権者は,まず履行が不完全であった事実(履行過程に関連する付随的義務の存在)を主張・立証しなければならない(吉井直昭・最高裁判例解説民事篇昭和56年度56頁)。昭和56年第二小法廷判決もこのことを明らかにしている。そして,安全配慮義務違反の成立が問題とされる法律関係は一様ではなく,事故の種類・態様も千差万別であって,その具体的内容は,公務員の職種,地位及び安全配慮義務が問題となる当該具体的状況等によって異なるものである (昭和50年第三小法廷判決)から,安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求訴訟においては,事故発生の具体的状況等を踏まえて,その義務の内容を特定し,かつ,義務違反に該当する事実を主張・立証する必要がある(吉井前掲書57頁,後藤勇「安全配慮義務と証明責任」現代民事裁判の課題G883頁)。すなわち,安全配慮義務違反の主張に当たっては,生命,健康等を侵害されたとされる者ごとに,その結果が発生した具体的状況を明らかにした上で,発生した結果との関係から,義務者がそのような結果を予見できたか(結果の予見可能性),どのような措置を講じていれば結果の発生を回避できたか(結果の回避可能性),そして,義務者と被害者との法律関係及び当時の技術やその他社会的な諸事情に照らし,義務者に対し,上記結果の発生の防止措置を採ることを義務付けるのが相当であるかといった点を判断するに足りる具体的な事実を明らかにして主張する必要がある。

 この観点から,原告らの主張を検討すると,原告らの挙げる前記@ないしBの義務は,当時の技術やその他の社会的な諸事情に照らした具体的な内容ではなく,一般的で概括的かつ抽象的な内容にとどまるものであって,それだけでは,被告国が採るべき具体的な措置の内容が明確にされていないし,個別具体的な状況に即した主張ということもできない。

 そうすると,原告らの安全配慮義務違反の主張は,そもそも安全配慮義務違反を問うに当たり不可欠な要件事実の主張を欠くから,主張自体失当として棄却を免れないものというほかない(安全配慮義務違反の主張につき,安全配慮義務の特定を欠くとして請求を棄却した裁判例として,東京地裁平成8年11月22日判決・訟務月報44巻4号507頁,東京地裁平成10年12月21日判決(乙A第10号証)及びその控訴審である東京高裁平成11年12月21日判決(乙A第11号証)。)

イ 原告らは,前記@ないしBの義務は当時においての最低限度の義務であると主張する。

 しかし,安全配慮義務は信義則に根拠を置くものであり,その信義則は事件当時の信義則にほかならないから,結果が発生した具体的状況を明らかにした上で,結果の予見可能性及び回避可能性を検討し,さらに当時の社会情勢,技術水準等諸般の事情に照らし,債務者に当該義務を負わせるのが相当か否かという観点から義務の存否を決する必要があることはいうまでもない。そうすると,原告らは,当時の社会水準に照らし,どの程度の水準が最低限度であったか,原告らの置かれた状況がその水準を下回ったものかどうかを明らかにし,被告国において,信義則上,当時において,どの程度の措置を講じることが義務付けられていたかをより具体的に主張する必要があるといわなければならない。

ウ 以上述べたように,原告らの主張では,被告国の具体的な義務内容の特定がなく,安全配慮義務違反を主張する上で不可欠な要件事実の主張を欠いているというほかない。

 なお,原告らは,被告国は,原告らを含む中国人を中国から強制連行し,各企業に供給した主体であり,かつ日本に連行した後も,各企業の事業所からの逃亡を防止し,外部との連絡を遮断して強制労働をさせた主体であって,しかも,各企業に割り当てられた原告らを含む中国人労働者の労働条件や衣食住その他の処遇を定め,これを各企業に守らしめ,仮に各企業がこれを守らなければ是正を命じ得る立場にあったとも主張している。上記主張によれば,原告らは,被告国の安全配慮義務の具体的内容としては,直接原告らに対する関係での前記@ないしBの義務を主張しているのではなく,各企業に対し上記各義務を履行させるように命じる義務(各企業を通じて上記@ないしBの義務を履行させる義務)を主張しているようにもみえる。しかし,被告国において,上記のような労働者の保護についての必要な命令を発すべき義務というものは,国の行政作用としての一般的な労働者保護政策上の責務をいうものであって,そのような義務をもって,私法上信義則に基づく安全配慮義務の内容とすることはできない。したがって,原告らが仮に被告国の安全配慮義務の内容として,各企業に前記@ないしBの義務を履行するように命じる義務を主張しているのであれば,このような国の義務は,安全配慮義務とは無関係であり,原告らの安全配慮義務違反の主張は,この点でも失当を免れない。

(2) 安全配慮義務の前提となる「特別な社会的接触」を欠くこと

ア まず,安全配慮義務が認められるためには,当事者間に雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係が存することが必要である。すなわち,安全配慮義務違反は,前述したとおり,「ある法律関係に基づき特別な社会的接触の関係に入った」当事者間において,「当該法律関係」の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負担する義務であるから,まず,原告らと被告国とがどのような法律関係にあったのかが問題とされなければならない。

 しかるとき,安全配慮義務違反に基づく損害賠償責任は債務不履行を理由とする損害賠償責任であるから,上記の「ある法律関係」に基づく「特別な社会的接触の関係」とは,不法行為規範が妥当する無限定かつ社会的な接触関係を意味するものではなく,契約関係ないしこれに準ずる法律関係が介在することが必要であり,このような関係が認められない場合には,上記義務が成立する余地はない(星野雅紀「安全配慮義務とその適用領域について」下森定編・安全配慮義務法理の形成と展開50頁)。最高裁昭和55年12月18日第一小法廷判決・民集34巻7号888頁(以下「昭和55年第一小法廷判決」という。)も,社外労働者であった死亡被災者の遺族が,安全配慮義務違反を主張して,遺族固有の慰謝料を請求した事案につき,「亡δ(被災者)と被上告人(使用者)らとの間の雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係の当事者でない上告人(被災者の遺族)らが雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係上の債務不履行により固有の慰謝料請求権を取得するものとは解しがたい」と判示し,安全配慮義務が成立するためには雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係が存することが必要であるとしている。

イ 次に,安全配慮義務が認められるためには,当事者間に直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係が必要である。すなわち,安全配慮義務は,労務ないし公務遂行に当たって支配管理する人的及び物的環境から生じ得べき危険の防止について信義則上負担する義務である(最高裁昭和58年5月27日第二小法廷判決・民集37巻4号477頁)から,その成立が認められるためには,当事者間に事実上の使用関係,支配従属関係,指揮監督関係が成立しており,使用者の設置ないし提供する場所・施設・器具等が用いられ,これらの物的側面ないし労務の性質が,労務者の生命・健康に危険を及ぼす可能性がある場合等当該労務に対する直接具体的な支配管理性が認められることが必要なのである(奥田昌道「船長の窒息事故と受託海運会社の安全配慮義務」私法判例リマークス1992()32頁)

ウ このように,安全配慮義務の成立の前提となる「ある法律関係」に基づく「特別な社会的接触の関係」とは,当事者間に上記のような「雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係」が存在し,かつ,当事者間に「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」が存在する場合に限定されるというべきである。しかるに,原告らの主張によれば,原告らは一方的に強制連行されたというのであるから,その社会的接触は強制連行という「事実行為」によって設定されたものであって,「ある法律関係」によって設定されたものではなく,さらに,原告らが主張する事実によっても,被告国と原告らとの間に「雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係」があるとも,「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」があるとも認められない。

 したがって,原告らと被告国との間には,安全配慮義務の前提となる「ある法律関係」に基づく「特別な社会的接触の関係」は存在しないということができる。

(3) 国民徴用令に基づく法律関係との類似性に関する原告らの主張に対する反論

ア 原告らは,まず国民徴用令に関する法律関係が安全配慮義務を発生させる法律関係であることを前提として,これと類似する法律関係である原告らと被告国との間の関係は,安全配慮義務の前提となる「特別な社会的接触の関係」に当たると主張する。

 しかし,国家総動員法に基づく国民の徴用に関する法令を検討しても,原告らと被告国との間の「特別な社会的接触の関係」を基礎付けることはできない。すなわち,国民徴用令17条は,「被徴用者総動員業務ニ従事スル場合ニ於テハ(中略)管理工場又ハ指定工場ニ使用セラルル者ニ在リテハ當該管理工場又ハ指定工場ノ事業主ノ指示ニ從フベシ」と定め,同18条1項は「被徴用者ニ対スル給與ハ(中略)被徴用者ヲ使用スル管衙ノ長又ハ事業主之ヲ支給スルモノトス」と定めているが,これらの諸規定に照らせば,徴用の結果生ずる使用関係は,被徴用者と事業主との間に発生することが予定されていたと解されるから,国と被徴用者との間においては,前記の「雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係」,「当事者間に直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」が生じることは予定されていないということができる。そうすると,国民徴用に関する法律関係を前提に,「特別な社会的接触」を根拠付けようとする原告らの主張は,前提において失当であり,採用の余地はない。

イ さらに,そもそも安全配慮義務とは,ドイツ官吏法における安全配慮義務の生成過程を参照したものとされている。ドイツでは「国家が官吏に対して有する特別の権力的立場や官吏が使用者に対し負う特別の忠誠義務等の反面として,国は,官吏に対し,包括的な安全配慮義務を負うのである。官吏関係は,国と官吏との双務的忠誠関係であり,官吏に対し国家もまた義務が課せられているのである。」ということが,安全配慮義務を認める根拠であることがうかがわれる(柴田保幸・最高裁判所判例解説昭和50年度民事篇67頁)。このように,双務的な忠誠関係を伴う身分関係が存在することが安全配慮義務発生の要件と解されるべきである。

 しかしながら,国民徴用令の場合には,上記のような関係を見いだすことはできず,国民徴用令に関する法律関係からは,被告国の安全配慮義務を導くことはできない。すなわち,国民徴用令に基づく徴用については,「臣民の徴用は権力を以って特定人に對し一方的に公法上の勤務義務を命ずる行爲」であるとされ(美濃部達吉・日本行政法下巻502頁),「國民の徴用は權力を以て特定人に對し一方的に公法上の勤務義務を命ずる行政處分である。」,「徴用それ自體は何等の身分關係の設定を内容とする行爲ではなく,身分は從來の儘で,唯臨時他の労務に服せしめるものであ」るとされているのであって(末川博ほか・総動員法體制126頁[原龍之助執筆]),そこでは戦争という緊急事態において国民に対する一方的な処分が存するにすぎない。

ウ したがって,国民徴用令による徴用という法律関係をもって,安全配慮義務発生の根拠とする原告らの主張が失当であることは明らかであり,国民徴用令と類似の関係があるとして安全配慮義務が発生するとすることはできない。

(4) 「特別な社会的接触」に関する原告らのその他の主張について

ア 原告らは,@ 国家総動員法6条に基づき,政府は,企業に対し,従業者の使用,雇入,解雇,賃金その他の労働条件全般にわたって統制命令を発することができ,1941年の改正後は,従業員に対しても命令をなし得ることとなっていた,A  労務提供契約及び実施細目は,いわば政府の命令によって作られた約款というべき性質のものである,B 労働管理は,厚生省(労役),運輸省(輸送),内務省(取締り),大東亜省,農林省(食料),各事業場,地方庁,日系指導員,国民職業指導所及び警察署が行うように決められ,内務省は,厚生省,軍需省と連名をもって,中国人労働者の指導及び取締りに関し通牒を発し,関係地方庁は,作業場,宿舎等の選定,警戒対策など取締上必要な準備をすることとされ,警察は,宿舎に見張所を設置し,点呼等に立会いをしていた,C 賃金についても,企業が支払うことになっていた日当の半分を国が負担し,戦後には,企業が中国人労働者によって受けた損害につき補償金を支払ったから,経済的にも企業と共同して中国人労働者を使用しているといい得る関係にある,D 被告国は,国家総動員法に基づき,その労働条件を規律しているのであり,さらに,施設,器具等も,国家総動員法の配給機構のもとでは,被告国が提供していたものと同視できる面もあるし,宿舎の位置,構造は内務省警保局外事課が立案し,関係当局の協議において決定し,食料はもとより,衣類,履物も最低限度の保証をできるものであったとした上,そのような関係は,まさしく勤務条件を具体的に支配管理するという直接的具体的な労務の支配管理性を有する関係にほかならないと主張する。

イ しかし,上記@については,被告国が国家総動員法に基づき使用者に対し必要な命令をすることができるとしても,被告国と労働者との関係は,事業者に対する必要な命令を介してのみ行われる間接的な関係であることが明らかであり,むしろ,そのこと自体において,被告国と原告らとの関係につき「雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係」あるいは「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」が存在しないことを示すものということができる。例えば,昭和16年法律第19号による改正前の国家総動員法6条は,「政府ハ戦時ニ際シ国家総動員上必要アルトキハ勅令ノ定ムル所ニ依リ従業者ノ使用,雇入若ハ解雇,就職,従業若ハ退職又ハ賃金,給料其ノ他ノ従業条件ニ付必要ナル命令ヲ爲スコトヲ得」と定めているが,これは,政府が使用者と従業者との間の労働契約に介入することは認めていたものの,国が直接契約の当事者となったり,労務に対する直接具体的な支配管理を及ぼしたりすることは想定されていない。つまり,国家が労働条件について公権的介入をしたからといって,労働者と国家との間に契約関係が成立することはなく,両者の問題を混同する原告らの主張は失当である。現在の労働基準法において,労働者と使用者が対等の立場に置いて決定すべきことを前提としつつも(同法2条),国家が労働条件について,様々な介入をすることとし,例えば,均等待遇及び男女同一賃金を実現することを命じ(同法3条,4条),労働時間は休憩を除いて1週間について40時間を超えて労働させることはできない(同法32条1項)などの規制をしているが,これによって,労働者と国家との間に契約関係が成立するとの見解は存在しない。Aについても同様であり,仮に,労務提供契約及び実施細則が政府の命令を背景として使用者によって作られた約款であったとしても,そのことは,被告国が,労働者と企業との間の労働契約等についての約款の内容を規制するという程度において関与するにとどまることを示すものであり,これをもって,被告国と原告らとの間に「雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係」,「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」があったことが根拠付けられるものではない。Bについても,被告国の機関が,中国人労働者の指導あるいは取締りに関する通牒を発していたからといって,それだけでは,被告国と原告らとの間に「雇傭契約ないしこれに準ずる関係」,「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」があったことを根拠付けることにならない。また,中国人労働者の指導といっても,それが具体的にいかなる指導なのかは不明であるから,被告国の直接労務管理を示すものということはできないし,中国人労働者の取締りと,その労務についての支配管理とは全く事柄を異にしており,取締りを実施したからといって,その労務を支配管理していたとすることはできず,警察官が点呼等に立ち会ったからといって,それが被告国の原告らに対する労務管理の根拠となるものではない。Cについては,被告国が企業の支払うべき労働者への賃金の半分を負担したとしても,原告らの主張によれば,直接労働者に対して賃金の支払をするのは企業であるというのであるから,被告国は,直接労働者に対する関係で賃金支払義務を負っていたものでないことが明らかである。したがって,賃金支払という観点においても,被告国は,労働者に対して直接の関係を有するものではなかったということができ,このことは,逆に,被告国と原告らとの「雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係」,「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」が存在していなかったことを示すものである。また,企業の損失の補填をしたという点も,同様である。Dについては,被告国が労働条件を規律し得る立場にあったからといって,そのこと自体は,使用者と従業者とが契約関係にあることを前提として,国家総動員法に基づく一般的な規律をなし得るにすぎないと考えられるから,原告らとの関係において,「雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係」,「直接具体的な労務の支配管理性が存在する法律関係」の存在を基礎付けるものではないことは当然である。したがって,原告らの主張する上記@ないしDの事情を根拠として,安全配慮義務の前提となる「特別な社会的接触の関係」を導くことはできないといわなければならない。

(5) 小括

 以上のとおりであるから,原告らの安全配慮義務違反にかかる主張はいずれも失当である。

3 被告エナジーを除く被告企業の主張

(1) 安全配慮義務の適用範囲

 原告らは,@ 生命,健康を維持するに十分な食料を与え,A 生命,健康を維持していける程度の労働条件で働かせ,B 健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服を与えるといった内容の義務を安全配慮義務の内容であると主張しているが,以下に述べるとおり,これらの義務は,雇用ないし雇用類似の一定の人的関係から発生する契約法上の債務としての高度な注意義務ではなく,一般的・普遍的な関係から発生する不法行為法上の義務であり,原告の主張事実は,労働契約における付随義務としての安全配慮義務の構成要件に該当せず,主張自体失当である。

 本来双務契約である労働契約の対価的関係から導かれる債務は,労務の提供とこれに対する対価としての賃金債務しかないので,伝統的な法理論からは,使用者である権利者の債務として,労働者から労務の提供を受けてこれを支配して使用する場所や労務の使用方法等の安全を確保する義務を導くことは困難であった。そこで,一般法規としての信義則(民法1条2項)から「付随義務」という概念を導き,「危険の分配」論の応用として,使用者の注意義務を高度化し,双務契約における対価関係に立つ債権債務を,主要債権債務から拡大するに至ったのである。この「安全配慮義務」が適用される範囲は,当然,その法理において理論的に適用範囲が画されるものであり,無制限に適用されるものではない。すなわち,「安全配慮義務」なる概念は,判例法によって確立された概念であるから,これが適用される範囲は,判例の射程距離の及ぶ範囲に限られるのである。そこで,判例法の適用される範囲は,判例における事実関係と,その事実関係に適用される一定の解釈及びその解釈を前提とした法的結論が導かれた規範的評価であるとか,規範が認められる法価値(一定の作為義務等の規範の必要性)によって法的フレームが画されるものであり,判例法における構成要件は,これらによって定まっているのである。

 判例法における「付随義務」としての「安全配慮義務」とは,どのような法的フレームであるのかは,判例における事案の事実関係と,なぜ「安全配慮義務」を認める必要性があったのかを考察することによって明らかとなる。

 「安全配慮義務」が判例において確立されたのは,昭和50第三小法廷判決においてであるが,この判決は,凹凸の激しい荒れ地を走行しながら戦闘訓練をするという危険性の高い環境の下で,運転に高度な操作を必要とする業務に従事中に,隊員が特車(戦車)の運転操作ミスから死亡した事案に対するものであった。この事案の事実関係を抽象化すると,「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係がある当事者間(国と公務員との雇用関係等の支配・従属的関係の当事者間)」「危険性の高い環境」「高度な操作や注意・教育など人間の操作,管理が可能なこと」「これらの特性(高度な注意義務を必要とする特性)が起因した事故」ということができる。その後の「安全配慮義務」が認められた判例も,機械や設備・器具の安全性の管理とか,使用者の安全管理としての指示等に落ち度がある事例であり,ことごとくこれらの3要素で構成された事案である(昭和56年第二小法廷判決,最高裁昭和58年5月27日第二小法廷判決・民集37巻4号477頁,最高裁昭和59年4月10日第三小法廷判決・民集38巻6号557頁)

 このように,安全配慮義務とは,危険性の高い職場環境等から,使用者に高度の注意義務を課する必要がある場合(規範の必要性)に,一定の当事者関係,その危険性の高い環境等の事実(白地構成要件)と規範的評価(違法性の評価)を構成要件にして認められる危険性の排除等一定の注意義務(措置義務・作為義務)ということができる。

 それでは,本件における原告らの主張する事実関係が,このような「安全配慮義務」の適用される事実であるか否かであるが,原告らの主張する事実は,原告らと被告企業との個々の間で「安全配慮義務」の構成要件である危険性の高い労働環境等,高度な注意義務が発生すべき構成要件としての事実の主張はない。原告らが主張する「安全配慮義務」の内容は,前記のような「生命健康を維持する義務」というような義務であり,高度な注意義務としての危険性排除の措置義務ではない。したがって,原告らの主張する義務は,判例法でいう「安全配慮義務」ではなく,一般法概念における規範としての義務であり,民法の適用では不法行為法上の義務に相当するものである。

 原告らの主張は,一定の当事者関係があれば,どのような義務でも「安全配慮義務」であるということになるが,それは法的概念の混同を来たし,それこそ,民法は権利濫用と信義則だけで法条はいらないという結論となってしまう。

 もとより,人間としての尊厳は軽視することは許されず,原告らの主張する義務は,雇用する立場から導かれるものではなく,人権に由来する規範に基づくものである。この義務は,職場の安全環境とか職務の危険性から導かれるものではなく,自然法とか人権に由来する普遍的な一般規範に基づくものであり,たまたま義務を負担する者が雇用する立場にあったとしても,その義務は,労働契約に由来するものではないし,まして「安全配慮義務」に由来するものではない。

 そして,この「安全配慮義務」と「不法行為」とは法適用の「領域」が異なるものである。すなわち,法が保護しようとする目的において,本来は労働者自身において身を守るべきであるとして分配される「危険の分配」から導かれる使用者の一般義務では危険性の高い職場環境等から労働者を保護することはできないので,労働者を保護するために,このような危険性を伴う労働等については,不法行為法上要求される注意義務とは違ったより高度な注意義務としての「安全配慮義務」を課すことにしたのであるから,「安全配慮義務」の適用される領域は,「危険性を伴う労働環境や労働」という「保護領域」なのである。そこで,「安全配慮義務」と「不法行為」とは,注意義務の程度,内容が異なるものであり,両者は法適用の「領域」が異なるものである。「不法行為」と「安全配慮義務」とが競合するのは,あくまで,例えば,バス乗客がバスの運転手の過失で傷害を受けた場合などのように,1個の行為が2つの法条の構成要件に該当する場合であり,本件原告らの主張する被告らの注意義務違反の内容は,前記のようなものであるから,一般不法行為における注意義務の内容であるとはいいえても,「安全配慮義務」の内容ではなく,本件の場合競合の問題は起こらないのである。

 そもそも,原告らの「安全配慮義務」の主張は,債務不履行構成を採ることにより除斥期間の適用を回避し,原告らの主張事実によれば,本来不法行為領域で判断すべき事柄について,債務不履行領域にこじつけようとするものであり,何ら法的根拠を有しないものである。しかも,原告らが主張している損害は,強制連行・強制労働によるものである。この場合,強制労働という主張は,意思に反した労働をさせられたという主張であるから,本来,契約法理と相いれないものである。また,原告らは,原告らに対する被告企業の従業員等の行為は,前に述べたとおり当時の中国及び日本の国内刑罰法規のうち,暴行,脅迫,傷害,逮捕,監禁,強要その他の犯罪行為に該当する複合的な行為であると主張しているのであり,このような行為すら,安全配慮義務違反であるというような主張ができるとすれば,典型的な不法行為においてすら,安全配慮義務違反の問題となってしまい不法行為と債務不履行とを区別し,時効期間を異にした法の趣旨を無視することになるものである。そして,原告らのこの強制連行・強制労働という主張は,「その悲惨な経験から生じた財産的及び精神的損害は,どんなに少なく見積もっても金2000万円」といった損害論の根拠ともなっているのである。このように,原告らの主張する損害の内容自体,強制を前提としており,安全配慮義務の範ちゅうに属さないものであることは明らかである。

 以上のとおり,原告らの「安全配慮義務」に違反するという主張は,主張自体失当である。原告らの主張事実についての法適用の場面としては,以上のとおり,債務不履行ではなく,不法行為の問題である。そして,不法行為については,事実関係を論議するまでもなく,除斥期間を経過しているものであることは,既に主張したとおりである。

(2) 判例が適用される時的範囲

 原告らは,戦時中の本件事案について判例でいう「安全配慮義務」が適用されると主張しているが,誤りである。

 まず,本件は,「安全配慮義務」を認めた判例の時点よりもはるかに過去の事実であり,判例の拘束力は及ばない。また,判例の拘束力を別としても,「安全配慮義務」の発生を基礎付ける規範は,本件当時には存在しなかったものである。「安全配慮義務」は,昭和18年から昭和20年の終戦前当時にもともとこれを基礎付ける規範があって判例がそれを確認したというものではない。

 判例は,口頭弁論終結時において認定した事実と,その認定した事実の時点における事実に対する規範的評価やその時点における価値判断の尺度を基礎としている。ある判例が出た後の事案について,判例が拘束力を有するのは,ある判例が示している構成要件に該当する事実については,その後の事案であっても,通常は同様の法的評価と法的結論が社会的に妥当するからである。このような判例も,後発的に判例変更を必要とする価値評価の変遷等があるとき判例変更されることになるが,それまでは判例拘束力が継続することになる。このように,判例は,判例が出た時から判例変更されるまでは法としての効力を有していても,判例が出た時から過去に遡って判例の効力が及ぶものではない。もし,過去に判例の効力が及ぶものとすると,際限のない過去にまで判例が適用されることになり不当であり,法律の不遡及の原則は,判例にも適用されるものである。実際にも,事実に対する規範的評価やその時点における価値判断の尺度は,判例ができた時点とそれよりも前の時点とでは社会的背景も一般的に異なるものであるから,判例に遡及的効力を認めることはできない。

 「安全配慮義務」が判例となった昭和50年代は,石油ショック後の高度成長期に入った時期で,工業製品の技術革新に入り,大量生産体制を背景として生産性が強調されるようになるとともに,一方では生活の安定とともに,公害に対する強い関心等健康や生活におけるゆとり,人間性等の人権的配慮が強く求められる価値観が定着していった時代で,折しも昭和47年には労働安全衛生法が制定・施行され,使用者に安全衛生上の義務が拡大・強化される等の社会背景があり,労働災害をめぐる裁判においても,労働環境等について,高度な注意義務としての「安全配慮義務」を確立する必要があり,これが,その時点における判例規範として確立したのである。一方,本件事案が起こった昭和18年から昭和20年の終戦前の状況は,日本全国が臨戦体制の戦時下で,労働者の安全確保よりも軍需物資の生産・供給の方が優先されていた社会背景であり,安全配慮義務という高度な注意義務を認めるべき社会的な法規範そのものが存在していなかったのである。もとより,注意義務の内容によっては,判例が出た時よりも前からその根拠となる規範が存在し,判例は従前からある規範の確認にすぎない場合もあるが,「安全配慮義務」については,本件が起こった昭和18年から昭和20年の終戦前のころには,その根拠となる規範は存在していなかったのである。

 仮に,原告らが主張する被雇用者等従属的に支配する者の健康に注意し生存を維持するように配慮する注意義務の根拠となる規範が,その当時存在していたとしても,上記注意義務は,「付随債務」である「安全配慮義務」として存在したのではなく,一般不法行為法上の注意義務として存在していただけなのである。したがって,原告ら主張の注意義務が判例上の「安全配慮義務」であるとし,本件事実について本件行為時にさかのぼって判例拘束力の適用を受けるという原告らの主張は,主張自体失当である。

(3) 安全配慮義務を発生させる法律要件を充足しないこと

 原告らの主張する前記@ないしBの安全配慮義務の内容は,前述したとおり,通常の労働災害事件などで問題とされる安全配慮義務の内容とは異なるもので,明らかに「安全配慮義務」の適用領域を逸脱するものではあるが,原告らの主張する強制連行・強制労働の関係を前提としては,原告らと被告企業との間に,安全配慮義務が適用されるべき「事実関係」や「特別な社会的接触の関係」(平成3年第一小法廷判決)又は「法的関係」がないことは明らかである。

ア 安全配慮義務を発生させる「法律関係」

 原告らの主張によれば,原告らが主張する安全配慮義務の定義及び発生要件等は,その義務の具体的内容を除き,昭和47年ころから下級審判例によって形成され,昭和50年第三小法廷判決以降確立された判例法理によっているものと考えられる。したがって,安全配慮義務に関する原告らの考え方によったとしても,被告企業に債務不履行責任である安全配慮義務違反が生ずるか否かは,原告らが主張する強制連行・強制労働という事実を前提として,本件で安全配慮義務(その具体的内容・程度はさておき)の発生要件が具備されているどうかが上記判例法理に従って検討されなければならない。

 安全配慮義務を発生させる法律関係については,判例上,沿革的には,私法上の雇傭契約上の義務が観念されていたが,かかる雇傭契約上の義務に限らず,公務員の公法上の勤務関係,請負契約上の義務,在学契約上の義務等も安全配慮義務を発生させる法律関係として認められてきた。そして,さらには,元請企業と下請労働者との関係のように直接契約関係に立たない当事者間でも安全配慮義務を発生させる法律関係が認められるようになった。その意味で,安全配慮義務の適用領域は拡大化しているともいえる。

 本件でも,原告らは,被告企業との間には,何ら契約関係が存在しないと主張しているのであるから,直接契約関係に立たない当事者間において安全配慮義務を発生させる法律関係が認められる場合とはどのような場合であるかが問題となる。

 元請企業と下請労働者との間に,安全配慮義務違反による損害賠償義務が認められた判決としては,平成3年第三小法廷判決があり,同判決は,「認定事実によれば上告人の下請企業の労働者が上告人の神戸造船所で労務の提供をするに当たっては,いわゆる社外工として,上告人の管理する設備,工具等を用い,事実上上告人の指揮,監督を受けて稼働し,その作業内容も上告人の従業員であるいわゆる本工とほとんど同じであったというのであり,このような事実関係の下においては,上告人は,下請企業の労働者との間に特別な社会的接触の関係に入ったもので,信義則上,右労働者に対し安全配慮義務を負うものであるとした原審の判断は,正当として是認することができる。」と判示しているのであるが,ここで正当として是認された原審においては,昭和50年第三小法廷判決の考え方を踏襲し,「安全配慮義務が,ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において,当該法律関係の付随義務として信義則上,一般に認められるべきものである点にかんがみると,下請企業(会社又は個人)と元請企業(会社又は個人)間の請負契約に基づき,下請企業の労働者(以下「下請労働者」という。)が,いわゆる社外工として,下請企業を通じて元請企業の指定した場所に配置され,元請企業の供給する設備,器具等を用いて又は元請企業の指示のもとに労務の提供を行う場合には,下請労働者と元請企業は,直接の雇傭契約関係にはないが,元請企業と下請企業との請負契約及び下請企業と下請労働者との雇用関係を媒介として間接的に成立した法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入ったものと解することができる」と説示されているのである。原告らは,平成3年第三小法廷判決の解釈につき,安全配慮義務の発生根拠とされているのは,元請企業・下請企業間及び下請企業・下請労働者間の雇傭契約等の存在ではなく,下請労働者が元請企業の労働者と同じ作業環境にあることという実質論であり,そこにおける「法律関係」とは,元請企業・下請企業間及び下請企業・下請労働者間の雇傭契約等の存在ではなく,元請企業と下請労働者との間にある,雇用関係と同視できるような社会的・経済的関係すなわち事実上の使用従属関係であると主張している。しかし,平成3年第三小法廷判決が,単なる事実上の使用従属関係だけをもって安全配慮義務を発生させる法律関係であると考え,元請企業・下請企業間の請負契約及び下請企業・下請労働者間の雇傭契約の存在は,安全配慮義務発生の法律関係を何ら基礎付けるものではないと考えているとの原告らの解釈は誤りである。同判決が,元請企業と下請労働者との間に債務不履行である安全配慮義務違反を肯定したのは,元請企業と下請企業との間の請負契約及び下請企業と下請労働者との間の雇傭契約の存在を基にして,事実上下請労働者が元請企業の指揮監督の下,元請労働者と同じ労務を給付していたという実質的な関係が認められたからであり,関係当事者が特別な社会的接触に入ったその基礎となる法律関係を認定する根拠として雇傭契約の存在事実も当然考慮していたものというべきである。

 そもそも,安全配慮義務は,債務不履行規範の適用領域にかかわる問題であり,安全配慮義務違反は,債務不履行の一態様として,損害賠償責任を発生させるのであり,この点で,不法行為責任と区別される。すなわち,安全配慮義務を発生させる法律関係は,不法行為規範上の法律関係とは異なるのであり,判例上も安全配慮義務は,不法行為法上の義務とは別の性質を有する契約上の義務であると観念されているのである。そして,雇傭契約が存在する当事者間においては,被用者は,使用者の指揮命令の下に労務を供給する義務を負うのに対し,使用者は,労務給付のための場所・設備・器具・材料等を供給する場合には,被用者が労務を給付する過程において一被用者の生命,健康を損なうことがないように危険から保護し,その安全を保障する義務を負っているのである。直接契約関係にない元請企業と下請労働者との間に,債務不履行責任である安全配慮義務が認められるのも,間接的にせよ何らかの契約的な関係を基にして,実質上,下請労働者も元請企業の労働者と同様に労務を供給しているという関係が認められることから,元請企業と下請労働者との間には,直接雇傭契約が存在する場合と同視できるような債権債務の関係を観念することができるからである。

 平成3年第三小法廷判決が,元請企業と下請労働者との間には,直接雇傭契約がなくても,当事者間に「使用従属の関係にある労働関係」,「雇用関係と同視できる関係」又は「指揮監督関係」が存在し,実質的に元請企業の労働者と同様の作業環境にある場合などには,安全配慮義務が発生するというのも,当事者間に,実質的に雇用関係と同視できるような債権債務の関係を観念し得ることが,その根拠になっているのであり,このような債権債務を観念する重要な事実として,元請企業・下請企業間の請負契約及び下請企業・下請労働者間の雇傭契約の存在が挙げられているのである。したがって,原告らが主張するような単なる事実上の使用従属関係のみをもって,それが安全配慮義務を発生させる法律関係であると解釈することは,判例解釈上もできないというべきである。

 ちなみに,本件と同種事案である東京地裁平成9年12月10日判決においても,単なる事実上の支配管理関係だけでは,安全配慮義務を発生させる法律関係になり得ないことが明確に述べられている。

イ 原告らが主張する「法律関係」の不当性

 原告らは,安全配慮義務を発生させる法律関係とは,「その法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入ることによって,相手方の法益を,その法律関係に伴う危険の現実化によって侵害し,損害を与える可能性が増大するような関係であって,その法律関係においての一方又は双方が相手方に対して,その危険を管理し,あるいはその法律関係から利益を得ているという関係」であり,このような性質を有する関係は,必ずしも契約関係に限定されるものではなく,元請企業と下請労働者との間の事実上の使用従属関係のように,雇用関係はなくても雇用関係と同視できるような事実上の関係をも含んでいると主張している。そして,原告らは,本件では,原告らを含む中国人労働者に対する中国からの強制連行によって発生した違法な法律関係に基づいて,被告企業と原告らを含む中国人労働者との間には,労働契約が存在する場合と同様の使用従属関係があり,被告企業が,原告らを含む中国人労働者の労働条件を具体的直接的に支配管理してきたばかりでなく,守衛を置いて原告らを含む中国人労働者がそれぞれの事業場から逃亡することを防止し,その閉鎖された環境において,原告らを含む中国人労働者に対し衣食住を直接供給する立場にあったという特別な社会的接触の関係が発生し,その結果として,生命,身体などの人格的利益について危険にさらされることとなった原告らに対し,その法律関係において,危険を管理し,かつ,その法律関係から利益を得ている被告企業が安全配慮義務を負う旨主張している。

 原告らが主張する別冊1記載の事実関係の下においては,原告らと被告企業との間に何ら契約は存在しないという事実,原告らは,被告企業の指揮監督の下に労務を給付したという事実がそれぞれ挙げられる。また,原告らの被告企業各事業場における労務の給付は,いわば契約とは全く無縁な被告企業による原告らに対する強制連行に端を発した違法な強制によるものであり,原告ら自らの自由な意思に基づくものではないという事実が挙げられる。かかる事実関係の下では,原告らと被告企業との間に雇傭契約と同視できるような契約上の債権債務の関係などそもそも観念し得ないというべきである。確かに,原告らと被告企業との間には直接契約関係がなく,原告らが被告企業の指揮監督の下に労務を給付したという事実のみをみるかぎり,元請企業と下請労働者との関係と同様に,原告らと被告企業との間には事実上の使用従属関係があるということができる。しかし,原告らの労務給付そのものが被告企業の強制により,原告らの自由な意思によるものではないという点と原告らと被告企業との間には,間接的に成立した法律関係すらも存しないという点で元請企業と下請労働者との関係とは異なっているのである。すなわち,直接的にも間接的にも契約関係に立たない被告企業によって,原告らは自らの意思に反して強制的に中国から連行され,各事業場で強制的に労務を給付させられたという場合に,原告らと被告企業との間に,雇傭契約があったと同視できる契約上の債権債務関係を観念することなどできないのである。被告企業の違法な行為によって自らの意思に反して強制的に労務を給付させられている原告らが,その被告企業に対し,実質的に雇傭契約があったと同様に,労務の給付が義務付けられているなどということは考えられないからである。そこにあるのは,原告らも主張するとおり,人は誰でも社会生活上他人に対して損害を与えてはならないという不法行為法上の一般市民法的義務が被告企業に対してあるのみである。

 以上のとおり,原告らが主張する事実関係の下では,原告らと被告企業との間に,かかる不法行為法上の義務は観念できても,実質的に雇傭契約があったと同視できるような契約上の義務を観念することはできず,本件では,原告らと被告企業との間には,安全配慮義務を発生させるだけの法律関係は何ら存在しないというべきである。

 なお,原告らは,安全配慮義務が発生するためには,その基となる「法律関係」が有効であることも合法であることも要しないとして,違法な在監関係や6歳児を相手方とする雇用契約の例を挙げる。しかし,原告らが主張する例は,いずれも,本件で安全配慮義務を肯定する根拠にはなり得ないものである。

 まず,在監関係の例についてであるが,原告らは,受刑者の刑務作業中の事故に関し「被告は,矯正施設である刑務所を設置,管理,運営するものとして受刑者に課す刑務作業に関しその安全性に配慮する義務があるというべきである解される」と判示した裁判例(横浜地裁昭和63年5月25日判決・判例時報1295号94頁)を引用し,在監関係についても,国は安全配慮義務を負っているとしている。しかし,在監関係については,「収容施設内の事故については,国・公共団体と被拘束者との間には確かに支配・管理あるいは教育指導するという法律関係の介在が認められるが,これは,自由な意思に基づくものでなく,国と公務員あるいは学生・生徒と学校との間にみられる法律関係とは自ずから異質なものである。安全配慮義務は,債務不履行を理由とする以上,少なくとも「契約的な関係」で相接触するという法律関係の存在を前提としなければならず,国・公共団体が専ら一方的な公権力の行使により特別権力関係に組み入れた場合,そこに契約関係又はこれに類似する法律関係を構成することの困難さがあると思われる。」との見解(星野雅紀「安全配慮義務とその適用領域について」45頁)もあるように,安全配慮義務の問題は生じ得ないともいえる。むしろ,在監関係において国が負う在監者の身体・生命の安全を保護すべき義務の性質は,安全配慮義務ではなく,強制力の行使に本来的に内在する一般的な義務であり,かかる義務違反については,国家賠償法上の責任問題が生ずるにすぎないというべきである。仮に,原告ら主張のとおり在監関係についても,安全配慮義務の問題が生じ得るとしても,本件事案にはかかる解釈は当てはまらないというべきである。すなわち,刑務所における身柄拘束という強制力の行使そのものは,法律上の根拠に基づいて行われているのであり,本件原告らが主張する強制連行という法律上も契約上も何ら根拠を有していない場合とは,その性質が異なるものである。また,仮に,何らかの理由で,後にその公権力の行使が違法であると判断されたとしても,国との関係でその被拘束者は,適法に逮捕・勾留されている者と実質何ら異ならないという関係が存在するのに対し,本件では,既に述べたとおり,原告らが意思に反した労働を強制されているという点で雇傭契約が存在する労働者と実質上同視できる関係にはないからである。次に,6歳児との雇用契約の例についてであるが,確かに,6歳児に意思能力がない場合,雇傭契約は法律上無効ではあるが,事実上雇傭契約が存在している点で雇傭契約が全く存在しない本件事案とは異なる。その6歳児が無効となった雇傭契約に従って20歳の青年と同様に労務を給付したという事実関係の下では,理論上は,安全配慮義務が発生し得る余地があるかもしれない。しかし,もし,6歳児を誘拐して監禁した上で強制して労務を給付させたという場合には,そもそも安全配慮義務の問題は生じ得ないのである。本件では,雇傭契約の成立すらなく,原告らは自由な意思に基づかず強制的に労務を給付させられたというのであるから,6歳児を誘拐して監禁した場合と同様,債務不履行である安全配慮義務が発生する余地はない。したがって,この例も本件で安全配慮義務を認める根拠にはなり得ないというべきである。

 そして,以上に述べたことは,労働契約が強行法規や公序の違反又は意思表示の瑕疵を理由に無効であったり,取り消された場合も同様であり,かかる場合にも安全配慮義務が発生し得るのも,契約的な関係により相接触したという関係が認められるからであり,その論理も,一切契約的な関係が認められない本件事案において,安全配慮義務を認める根拠にはなり得ないというべきである。

 さらに,原告らは,強制連行による法律関係について,「原告らと被告企業との関係は国民徴用令によって徴用された日本国民と割り当てられた企業との間の雇傭契約に準ずべき私法上の関係に類似した関係」があり,「それは,当時の国際法と中国国内法に照らして違法であるという判断がなされる法律関係」であると主張している。しかし,原告らが主張する強制連行による法律関係は,国民徴用令によって徴用された日本国民と割り当てられた企業との間の雇傭契約に準ずべき私法上の関係に類似した関係とは著しく異なるものである。すなわち,国民徴用令によって徴用された日本国民と企業との関係は,徴用令による公法上の義務を介して,特定の事業場における日本国民の企業に対する労務の給付義務及び企業の日本国民に対する賃金支払義務をそれぞれ観念し得るのであり,実質的に雇傭契約があったと同視できる関係が認められるのであるが,本件では,既に述べたとおり,原告らの主張を前提とする限り,原告らの労務給付は,何ら法的根拠を有せず,かつ,被告企業の強制によるものであるから,原告らに被告企業に対する労務給付の義務を観念することはできず,原告らと被告企業との間には,雇傭契約があったと同視できる債権債務の関係は存しないのである。

 したがって,原告らが主張する強制連行により生ずる法律関係は,雇傭契約に準ずべき私法上の関係に類似したものとは到底いい得ないものである。

(4) 小括

 以上に述べたとおり,安全配慮義務違反を理由とする損害賠償請求は,債務不履行責任の一形態なのであるから,直接雇傭契約が存在しない当事者間において安全配慮義務が生ずるためには,少なくとも,雇傭契約と同視できるような関係が認められる必要があるというべきであり,当事者間に,雇傭契約上の債権債務が実質上観念できなければならないというべきであるが,強制連行・強制労働という原告らの主張を前提とする限り,原告らと被告企業との間には,雇傭契約上の債権債務を観念することはそもそもできず,安全配慮義務を発生させる法律関係など成立し得ないというべきである。

 原告らは,専ら不法行為規範の適用領域の問題として扱われるべきである本件につき,何らの法的根拠もなく債務不履行規範に基づき安全配慮義務違反を主張しているものであるから,主張自体失当であるというべきである。

(5) 消滅時効

 仮に原告らの主張する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権があるとしても,債権発生の時から起算して10年以上が経過しており,既に時効により消滅しているので,上記消滅時効を援用する。

4 被告エナジーの主張

(1) 安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理の不遡及

 原告らは,@ 最高裁のいう安全配慮義務は信義則によるものであって信義則は民法施行時から存在したこと,A 原告らが主張する安全配慮義務は,生命,健康を維持するに十分な食料を与え,生命,健康を維持していける程度の労働条件で働かせ,健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服を与えるという最低限の義務であるから,戦時下であっても認められるべきものであること,B 被告エナジーは安全配慮義務に関する判例の遡及効を否定しているが,民事の分野では,判例が当該判決宣告前の事案に適用されることを否定する理由は原則としてないこと,C 戦前における労働者の安全と衛生を確保する必要がないと信じていた雇傭主が戦前にいたとしても,その信頼は保護するに値しないし,ましてや本件の中国人労働者に対する最低限の義務についてはいうまでもないこと,D 判例は,第2次世界大戦中においても安全配慮義務の存在を認めていることを挙げ,戦前における事象についても,安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求をすることができると主張するが,原告らの上記主張は,以下に述べるとおり失当である。

ア @について

 原告らは,信義則は民法施行時から存在していたと主張するが,安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理は,法的効果の変更(時効期間の延長等)を伴う新たな法の創造であり,この法理がある法律関係に付随する信義則上の義務という意味で信義則に根拠を置き,信義則が遡及適用されるものであるとしても,戦前の時代は,昭和50年代とは社会制度,法制度等を異にしており,上記法理は裁判所においてはもとより,国民の間においてすら認知されていなかった規範であるから,判例により創造されたこの新たな規範は,信義則上,戦前の事案には適用すべきではないのである。

イ Aについて

 原告らは,原告らの主張する義務は最低限のものであるから,戦時下においても認められるべきであると主張するが,これは義務の存否の問題と義務の内容の問題とを混同した主張である。すなわち,およそ規範の存否の問題と規範の内容の問題とは別の問題のはずであり,また,仮に原告らのいう義務の内容が最低限度のものであり,これを果たさないことにより被告企業に責任が生ずるということがあるならば,それは民法施行時から存在する不法行為責任を追及すればそれで足りることであり,後世に創造された安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理を遡及適用させなければならない(それも消滅時効援用の濫用を主張するための前提として遡及させなければならない)理由とはなし得ないからである。

ウ Bについて

 原告らは,被告エナジーが判例の遡及効を否定しているとしているが,正確ではない。被告エナジーは,判例の遡及適用を原則として承認した上で,前記の理由から,信義則上,少くとも戦前の事案については,最高裁の創造した安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理の適用はなく,その法理の射程距離は及んでいないと解すべきであると主張しているのである。原告らは民事では遡及効を否定する理由は原則としてない旨主張するが,原告らも「原則として」としているので,例外的に遡及効を認めない事例があることを承認しているようであり,本件がまさにそのような例外事例といってよい。

エ Cについて

 原告らは,戦前において労働者の安全と衛生を確保する必要がないと信じていた雇傭主が戦前にいたとしても,その信頼は保護するに値しないし,ましてや本件の中国人労働者に対する最低限の義務についてはなおさらである旨主張する。一般に新たな裁判規範の創造は,それ以前の規範に対する批判等から生じているものであるため,その創造後においては,規範定立前の当該規範に合致しない事象についてはこれを保護するに値しないと一般的にはいい得るものであろう。また,このような安全配慮義務の創造とその履行の確保の義務付けは,すぐれて戦後の現行憲法下での法理念,法制度,社会制度等を前提とした考え方であるという点で社会の進歩や成熟性の産物といえるものであって(特に,昭和47年の労働安全衛生法の施行の影響が強い。),もし原告らの主張するような論理が成り立つとすれば,歴史を歴史として承認しないことになりかねず,民法が施行された明治31年までさかのぼって,すべての同種事象を,労働者の安全と衛生を確保する必要性がないと信じていたから保護に値しないとして安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理により裁くことを承認することとなってしまう。原告らの主張は,前述したように規範の存否の問題と内容の問題とを混同している議論である上,原告らのいう安全や衛生を確保する必要がないと信じていた雇傭主に起因する事故の惹起は,民法施行時から存在する不法行為規範により解決すればすむことであり,強いて昭和50年以降の安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理をその法理が法規範として存在しなかった戦前の事案にまで遡及適用させなければならない理由とはなし得ないといわなければならない。

オ Dについて

 原告らは,第2次大戦中にも安全配慮義務が存在したことを認めた判例が存在する旨主張している。原告らが掲げる最高裁判例のうち平成3年第三小法廷判決は,安全配慮義務違反による債務不履行責任の遡及適用を正面から是認したものではなく,平成6年第三小法廷判決も傍論と見られるものであって(被告のような立論について正面から判示したものではない。),その意味では,この点に関する判例は確定しているとまではいえないであろう。また,大阪高裁昭和63年11月28日判決の「およそ人の体の安全・健康は,いかなる時代,いかなる社会的,経済的情勢のもとにおいても最も尊重されるべきものであること」は現在からみればそのとおりであろうが,そのことから直ちに戦前,戦中に最高裁のいう安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理の法規範としての存在を肯定するものだとすると,国のために死ぬことが美徳とされていた時代の事象はそのほとんどがこの規範に違反するということになりかねず(例えば神風特攻隊などは当然に違法だということになるのであろうか。),また,シベリア強制労働補償請求事件に対する東京地裁平成元年4月18日判決・判時1329号36頁は,「一般の公務員に比しその適用の範囲が制限されるとしても,存在しないものではないと解される。」とするのみで,理由は何ら示されておらず,なぜそうなのか全く不明のものである。

カ 以上のとおり,原告らの主張によっても,昭和50年以降に定立された安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理を戦前の事案にまで遡及適用する根拠は何もないのである。

(2) 安全配慮義務の不成立

ア 原告らは,被告エナジーが引用した平成3年第三小法廷判決のほか,平成2年第一小法廷判決をとらえて,「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務」にいう「法律関係」とは,「事実上の使用従属関係」のことであると主張している。

 しかし,このような主張は,「事実関係」を強いて「法律関係」と強弁しているにすぎず,善解しても,原告らのいう「事実上の使用従属関係」とは「特別な社会的接触の関係」の一態様であるから,安全配慮義務の成立には「法律関係」は不要であるという独自の見解を主張しているにすぎない。原告らのこのような主張は,安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理が,雇傭契約等の法律関係に付随する信義則上の義務として契約規範の範疇に属する規範(債務不履行規範)であることを無視しているものであり,法律関係がなくとも事実上の使用従属関係という事実関係さえあれば信義則上安全配慮義務が発生するという独自のものであって,失当であることは明らかである。

 原告らは,平成3年第三小法廷判決をとらえて,元請企業と下請企業との請負契約及び下請企業と下請労働者との雇傭契約を媒介として成立した元請企業と下請労働者との間の事実上の使用従属関係をもって法律関係とみるべきであるなどと主張しているが,請負契約及び雇傭契約を媒介として間接的に成立した法律関係が正しいのであって,「法律関係」を「事実上の使用従属関係」にすり替えているものである。また,上記の場合における債務不履行責任は,元請企業と下請企業との請負契約上の債務不履行でもなければ,下請企業と下請労働者との雇傭契約上の債務不履行でもないと主張しているが,上記判決は,正確には,元請企業と下請企業との請負契約及び下請企業と下請労働者との雇傭契約を媒介として間接的に成立した「法律関係」に基づき,下請労働者が元請企業のいわゆる社外工として元請企業の管理する設備,工具等を用い,事実上元請企業の指揮,監督を受けて稼働し,その作業内容も元請企業の従業員であるいわゆる本工とほとんど同じであったという「事実関係」にある場合においては,元請企業と下請労働者との間に雇傭契約という直接の法律関係がなくとも,これがある場合に準じて信義則上,元請企業は下請労働者に対し安全配慮義務を負うとしたものなのである。したがって,原告らが主張するように,この債務不履行は,元請企業と下請労働者との間の事実上の使用従属関係から発生する信義則上の義務の違反であるなどとするのは誤りである。

 次に,平成2年第一小法廷判決も,運送会社と船主との運航委託契約と船主と船長との雇傭契約を媒介として間接的に成立した法律関係に基づき,船舶の運航委託契約の受託者である運送会社は,船舶を自己の業務の中に一体的に従属させ,事故の被害者である船舶の船長に対しその指揮監督権を行使する立場であり,同船長から実質的に労務の提供を受ける関係にあったという事実関係がある場合においては,信義則上,運送会社と船長との間に雇傭契約等直接の法律関係がある場合に準じて運送会社の船長に対する安全配慮義務の成立を肯定したものであって,運送会社と船長との間の事実上の使用従属関係から信義則上安全配慮義務が発生したなどというものではない。

イ 原告らは,安全配慮義務の成立は雇傭契約等直接の契約関係にある当事者間にのみ発生するものではなく,雇傭契約等直接の法律関係にある当事者間において成立するのが原則ではない旨主張している。

 しかし,安全配慮義務違反による債務不履行責任は,事実行為に係る不法行為責任とは峻別される契約規範の範疇に属する規範(債務不履行規範)に基づくものであり,裸の事実から信義則上安全配慮義務が導かれるというものではなく,雇傭契約等の法律関係の付随義務として信義則上負う義務であり,雇傭契約等の法律関係を前提にして初めて導かれる義務である(原告らが主張する不法行為責任と安全配慮義務違反による債務不履行責任との差異の主張は,後者が契約規範に属する規範によるものであるという前提をとってはじめて妥当する説明であろう。)。最高裁のいう「ある法律関係に基づいて特別な社会的接触の関係に入った当事者間において当該法律関係の付随義務として当事者の一方又は双方が相手方に対して信義則上負う義務」というのも,契約等直接の法律関係にある当事者を指称しているものであって,母国法ともいえるドイツ民法618条や学説も,雇傭契約の当事者に関するものであり(安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理は,原告らが主張するように,元々不法行為規範に本籍があるというものではなく,雇傭契約に本籍があるのである。),それが契約等における当事者の合意内容いかんにかかわらず信義則上発生するという意味で法定責任の要素を持つという点で,一般の債務不履行責任と趣を異にするというものである。元請企業と下請労働者との関係のような間接的な法律関係とその労働の実態に基づき,直接の法律関係がある場合に準じて安全配慮義務の成立を認めるのはやはり例外といえるのである。このように,平成3年第三小法廷判決や平成2年第一小法廷判決は,一定の要件の下で,直接の法律関係がある場合に準じて安全配慮義務の発生する場合を拡張したものといえるのであり,昭和55年第一小法廷判決が「雇傭契約ないしこれに準ずる法律関係」と説示していることをも考慮すると,安全配慮義務発生の要件である「法律関係」とは,「直接の法律関係又はこれに準ずる法律関係」とする考え方が妥当と思われる。

ウ 原告らは,安全配慮義務が発生するためには権利者側の同意等の意思表示は必要ないとしていくつかの例を挙げている。

 まず,原告らは,被告エナジーは安全配慮義務の発生には権利者側の同意等の意思表示が必要であるかのような主張をしているとするが,被告エナジーが指摘するのは,原告らの主張は同意等の意思表示もない不法行為の主張にすぎないと述べているのであって,法律関係は契約によるものが一般的ではあっても,安全配慮義務成立の前提となる法律関係は契約に限られるなどと主張しているものではない。

 この点は措いて,契約に基づかない法律関係の例として原告らが挙げる例について若干検討することとする。公立小学校の在学関係と小学生に対する安全配慮義務を挙げているが,この場合の安全配慮義務発生の前提となる法律関係とは,市町村教育委員会の保護者に対する入学期日の通知等の行政処分をいい(佐賀地裁昭和60年12月11日判決・判例時報1196号95頁,福岡高裁昭和61年8月6日判決・行裁集37巻7・8号1009頁,福岡高裁平成元年7月18日判決・判例タイムズ712号140頁),これと在学関係における生徒の管理等の特別な社会的接触の関係を基にして,学校管理者に安全配慮義務が肯定されるのであって単に学校側の生徒に対する管理作用のみにその根拠があるものではない。次に,原告らが挙げる在監関係であるが,仮にこの関係に安全配慮義務を肯定する立場に立つとすると,刑法,刑訴法,監獄法等を前提とする裁判所の有罪判決 (実刑判決)及びそれによる収監等が安全配慮義務成立のための法律関係の基礎となるものである。また,原告らのいう徴兵された軍人につき安全配慮義務を肯定することは,失当といわざるを得ないが,当時の徴兵に関する法律関係は,兵役法(昭和2年法律第47号)及びこれによる徴兵検査の結果による徴集,帰休兵・予備兵等の召集等の行政処分によるものと思われる(当時の兵役制度は複雑である上,戦争の苛烈化に伴いかなりの改正がなされている。)。原告らは,このような関係をとらえて,ただ,特別な社会的接触の関係に入り,その結果として当事者の一方又は双方が,生命,身体などの人格的利益について危険にさらされることとなった場合云々と主張し,あたかもこのような事例においては特別な社会的接触の関係のみで安全配慮義務が発生するかのような主張をしているが,そうであれば誤りであり,いずれも行政処分等に基づく法律関係が前提となっているのである。

エ 原告らは,安全配慮義務が発生するためには,法律関係が有効であることも合法であることも要しないとしていくつかの例を挙げているが,原告らが本件事案との関係でこのような主張をする趣旨は,契約等が無効であったり違法であったりしても安全配慮義務は成立するから,法律関係がなくとも「事実上の使用従属関係」という事実関係があれば,安全配慮義務は発生するということにあるようである。

 まず,原告らは,被告エナジーが述べた「労務指揮権等使用者が労働者の労務を受領し得る正当な法的地位の存在に求められるものであるため」という文言をとらえて,被告エナジーは,安全配慮義務が成立するためには当該法律関係が有効適法なものであることを要する旨主張しているように述べているが,そういう趣旨ではなく,被告エナジーがここで正当な法的地位と述べたのは,後日の適法違法の評価を問わず,安全配慮義務の発生には労働者の労務を受領し得る契約等の法律関係の存在という法的地位が前提となると述べているのであって,当該法律関係が常に有効,適法であることが必要であると主張しているものではない。

 契約等の法律関係を違法,無効とする事由は,その類型や具体的事情によって千差万別であるため,本件の安全配慮義務の発生との関係で一般化して議論することは適当ではないが,原告らの挙げる例によりつつ若干検討することとする。

 雇傭契約に関し,例えば児童を雇傭したりあるいは女性を売春婦として雇傭したような場合は,当該契約は無効とされることが多いであろう。このような場合,現実の労務の給付の重要性等から将来に向かってのみ解約の効果を生じさせるとする考え方が有力であるように,安全配慮義務の問題は継続的契約の特殊性等の問題として処理し得るのであり,安全配慮義務のみに限った問題ではない。同様に,原告らが指摘する元請企業と下請企業との請負契約が無効である場合や運送会社と船主との運送委託契約が無効である場合も,その無効事由いかんにより一概にいうことはできないことは同様と考えられる。また,嫌疑のない者に対する逮捕・勾留については,裁判官の逮捕令状を原則とする逮捕,裁判官の勾留決定という法律上の根拠そのものは有効に存在するのであって,この関係について安全配慮義務の存在を肯定する立場に立つとしても,安全配慮義務の存否と嫌疑の有無とは関係がないのである。しかし,原告らが挙げる下請業者が下請労働者を無理矢理労働現場に連行した場合等の例については,例えば,違法に逮捕監禁された被害者をその事情を知って加害者から預った場合の例を想定すると,当該逮捕監禁した加害者に安全配慮義務が発生するいわれはなく(不法行為そのものである。),加害者から預ることによってのみ預った者に突如安全配慮義務が発生するというのは背理であるので,当該預った者は共同不法行為者として加害者とともに不法行為責任を負うことになるのである。いずれにせよ,原告らが挙げる法律関係の違法,無効の例をもって事実上の使用従属関係という事実関係があれば安全配慮義務は成立するなどということはできない。

(3) 本件における安全配慮義務の不発生

ア 原告らは,安全配慮義務が生じる前提となる法律関係は事実上の使用従属関係であるとした上で,そのような法律関係(事実上の使用従属関係)とは,「強制連行によって発生した法律関係」であるとし,その強制連行によって発生した法律関係とは,被告国又は被告国が管理掌握する華北労工協会が,原告らを含む中国人に対し,その国家権力に基づき強制的に一定の業務に従事させる行為,すなわち徴用行為を行ったものであって,被告国と原告らを含む中国人労働者との「法律関係」は,国と国民徴用令によって徴用された日本国民との間の公法上の関係に類似した(違法な)関係であり,被告企業と原告らを含む中国人労働者との「法律関係」は,華北労工協会との間の供出契約による労働者の供給というのは外観(欺瞞,虚偽仮装)にすぎず,国民徴用令によって徴用された日本国民と割り当てられた企業との間の雇傭契約に準ずべき私法上の関係に類似した(違法な)関係であり,また,被告企業と原告らを含む中国人労働者との「特別な社会的接触の関係」とは,被告企業と原告らを含む中国人労働者との間に,労働契約が存在する場合と同様の使用従属関係があり,被告企業が,原告らを含む中国人労働者の労働条件を具体的,直接的に支配管理してきたばかりでなく,守衛を置いて原告らを含む中国人労働者がそれぞれの事業場から逃亡することを防止し,その閉鎖された環境において原告らを含む中国人労働者に対し衣食住を直接供給する立場にあったという特別な社会的接触の関係である旨主張している。

イ まず,安全配慮義務成立のための法律関係が事実上の使用従属関係ではないことは前記のとおりである。

 次いで,「強制連行によって発生した法律関係」と原告らは主張しているが,これは,事実関係を法律関係と強弁しているものにすぎない。すなわち,強制連行の意義は,自由意思に反して連れて行くことを意味しているものと思われるが,その内容は,原告畢兆亜,同畢兆倉は道を歩いていたところを,同39は庭を掃除していたところをそれぞれ日本軍に連行されて,狭い家に押し込められて収容所に連れて行かれ,塘沽から貨物船で下関に栄養失調状態のまま移送されたということであり,要するに事実行為を主張しているにすぎないのであって,法律関係の主張ではないことは明らかだからである。強制連行によって発生した法律関係などという主張は矛盾したものである。

 また,前記のとおり,戦前の国民徴用令に関する事案に安全配慮義務違反による債務不履行責任の法理を適用することは失当なのであるが,仮に当時においても徴用に関して安全配慮義務が問題になるという前提を採れば,国家総動員法(昭和13年法律55号)4条に基づく国民徴用令(昭和14年勅令第451号。昭和15年勅令第674号で対象を拡大している。)の徴用においては,厚生大臣の徴用命令の発令とその旨の通達を受けた地方長官の徴用される者に対する徴用令書(召集の赤紙に対し白紙といわれた。)の交付(7条)等が安全配慮義務発生の前提となる法律関係に当たると考えられる(この関係は,一方的な処分性を有する法律関係という点で前記した小学生の在学関係,在監関係,徴兵関係と類似する。)。また,徴用令書には,官衙等の名称及び所在地のほか地方長官が決定した従事すべき総動員業務,職業及び場所等を記載することとされており(8条,9条),これにより強制的に事業者と被徴用者との間に雇傭契約又は雇用契約類似の私法上の契約が成立すると考えられており,これらが事業主の被徴用者に対する安全配慮義務発生のための法律関係(仮にこのような規範の遡及適用が認められたとして)と思われる。徴用は,特定人に一方的に勤務義務を課するとともに,これを強制的に特定の経営に編入する行政処分であって,いわゆる命令契約の一種であるが,被徴用者と当該経営者との関係は私法上の契約と考えられるものである(石井照久ほか「労働法総論」(増補版)58頁)。しかし,原告らは,国民徴用令のような法令上の根拠に基づく徴用,すなわち法令に基づいて特定人に一方的に就労義務を課し,強制的に特定の事業主に編入する旨の行政処分が,原告らに対して現実になされた旨の主張はしておらず,単に拉致,逮捕・監禁等の事実行為(強制連行)を徴用又は徴用類似行為と比喩的に言い換えているだけであって,このような事実行為をもって法令に基づく行政処分である徴用などとはいえず,原告らの主張によると,原告らを含む中国人労働者と被告企業との間には法律関係は存在しないことになるのである。

 要するに,原告らの主張は,事実行為,事実関係の主張をもって法律関係などといっているものであり,事実上の使用従属関係をもって法律関係といえないのと同様に,このような主張をもって被告企業に安全配慮義務が発生したなどといえないことは明らかである。

 以上に述べたとおり,原告らの主張によれば,本件において被告エナジーに安全配慮義務が成立しないことは明らかであり,したがって,被告エナジーにその不履行責任があるとすることもできない。

(4) 安全配慮義務の不特定

 原告らは,安全配慮義務の内容を特定し,かつ,その義務違反に該当する事実を主張立証する責任があるが(昭和56年第二小法廷判決),その安全配慮義務違反の主張に当たっては,まず,被害を受けたとされる者ごとに,義務者の違反によって生命,身体等に侵害を受けたとする結果やその結果の発生した具体的な状況を明らかにした上で,発生した結果との関係から,その具体的状況の下において義務者がそのような結果を予見できたか,どのような措置を講じていれば結果の発生を防止できたか,そして,義務者と被害者との法律関係及び当時の技術水準や経済的,社会的状況その他の諸事情に照らして,義務者に対し結果発生の防止措置を採ることを義務付けるのが相当であるかといった点を判断するに足りる具体的な事実を明らかにする必要がある(東京地裁平成8年11月22日判決・訟務月報44巻4号507頁参照)。すなわち,安全配慮義務それ自体は白地の規範であって安全配慮義務の具体的内容は,その基礎となる法律関係の内容や被害にあった者の地位・職務,事故時の具体的状況等によって千差万別であるため,主張立証責任を負う原告らにおいて,上記の程度の安全配慮義務の内容を具体的に特定する必要があるからである。

 これに対し,原告らは,原告らの主張する安全配慮義務は昭和50年第三小法廷判決が説示した安全配慮義務と変わりはないものであるとした上で,被告国及び被告企業が,中国から強制連行してきた原告らを含む中国人労働者に対して強制連行によって発生した法律関係に付随して負担する信義則上の義務は,@ 生命,健康を維持するに十分な食料を与え,A 生命,健康を維持していける程度の労働条件で働かせ,B 健康を維持し人としての尊厳を保ち得るような衛生状態で暮らすことができるような住環境と衣服を与えるという最低限の義務にすぎないとし,被告国及び被告企業が,上記の程度の義務も果たさず,中国から強制連行してきた原告らを含む中国人労働者に対して,十分な食料を与えず,いつ死んでもおかしくないような栄養不良状態で苛酷な労働につかせ,寒さにこごえ,皮膚病に悩むような劣悪な宿舎と衣服しか提供しなかったことが,被告国及び被告企業の義務違反に該当する事実であり,そして,十分な食料を与えられず,いつ死んでもおかしくないような栄養不良状態で苛酷な労働につかされ,寒さにこごえ,皮膚病に悩みながら生活させられるという,およそ人としての尊厳を踏みにじられた有り様を強いられた苦痛が,原告らの損害なのであると主張している。

 原告らの主張は,前記のとおり「強制連行によって発生した法律関係」という点で既に失当であるが,この点を措いたとしても,中国人労働者内地移入政策により中国人労働者を受け入れた被告国及び被告企業の中国人労働者処遇全般に関する一般的,抽象的な注意義務ないしは中国人労働者内地移入政策の実情や結果についての原告らによる概括的な評価,評論とでもいうべきものであって,旧日本鉱業の安全配慮義務違反により被害を受けたとする各原告の具体的結果やその具体的状況は明らかではなく,また,その具体的結果や状況との関係で,当時の社会事情に照らし,旧日本鉱業がどの程度の内容の具体的安全配慮義務を義務付けられていたのかも明らかではなく,安全配慮義務違反の主張としては特定を欠き失当といわざるを得ない。

 この点について原告らは,十分な食料を与えられなかった等による苦痛という結果について予見できなかったということはあり得ないし,また,当時の技術水準や経済的,社会的状況に照らしてもこのような最低限の義務を果たすことが不可能であったとか不相当であったということはないから,予見可能性,結果回避可能性の判断をするために必要な主張としては,前記主張程度で十分である旨主張している。しかし,およそ義務違反として相手方当事者の責任を問うものである以上,このような予見可能性,結果回避可能性についての主張立証は,具体的結果や具体的状況等を前提としてなされるべきであり,一般的,抽象的な注意義務等の主張にすぎない原告らの主張は,やはり安全配慮義務の特定に欠けるといわざるを得ない。

(5) 消滅時効

 仮に原告らの主張する安全配慮義務違反に基づく損害賠償請求権があるとしても,債権発生の時から起算して10年以上が経過しており,既に時効により消滅しているので,上記消滅時効を援用する。

第4 立法不作為を理由とする損害賠償請求

1 原告らの主張

(1) 立法の不作為を理由とする国家賠償請求に関する判例,学説の動向

 立法者の立法義務が憲法上明示されているか,又は解釈上導き出される場合で,相当の期間を経過してもなお立法者が立法義務を怠っている場合,立法不作為が憲法違反となることについては,学説,判例において,一般的に認められており,立法行為の内容が違憲である場合又は立法不作為が違憲とされる場合には,当該立法行為又は立法の不作為は,国家賠償法上違法となり,国に損害賠償責任が生ずるというのが多くの学説であり,下級審判例である。

 ところが,最高裁昭和60年11月21日第一小法廷判決・民集39巻7号1512頁(いわゆる在宅投票制度廃止違憲訴訟。以下「昭和60年第一小法廷判決」という。)は,国会議員の立法行為と国家賠償責任について,「国会議員は,立法に関しては,原則として,国民全体に対する関係で政治的責任を負うにとどまり,個別の国民の権利に対応した関係での法的義務を負うものでないというべきであって,国会議員の立法行為は,立法の内容が憲法の一義的な文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行なうというごとき,容易に想定し難いような例外的な場合でない限り,国家賠償法1条1項の規定の適用上,違法の評価を受けないものといわなければならない。」と判示した。しかし,上記判断については,立法行為に政治的性格があるにしても,立法行為が政治的責任を負うにとどまると説くのは,論理の飛躍であり,立法行為であっても法的評価に服すると解すべきで,上記判決のような見解は,立法行為を国家賠償で争う途を狭めるもので,それに対応して違憲審査が歪められるなどの批判がある(戸波江二「立法不作為の違憲確認」,芦部信喜編「講座・憲法訴訟第一巻」有斐閣1987年)

 そして,韓国人元従軍慰安婦らが国家賠償を求めたいわゆる関釜裁判の第1審山口地裁下関支部平成10年4月27日判決・判例時報1642号24頁(以下「関釜第1審判決」という。)は,昭和60年第一小法廷判決を批判して次のようにいう。すなわち,関釜第1審判決は,国会議員の免責特権は違法性と責任要件とを区別する不法行為法においては,違憲国賠訴訟での請求を否定する根拠にはならないとした上で,「憲法上の根幹的価値に関わる人権侵害が現に個別の国民ないし個人に生じている場合に,その是正を図るのは国会議員の憲法上の義務でもあり,(中略)右人権侵害が作為による違憲立法によって生じたか,違憲の立法不作為によって生じたかによってこの理が変わるものではない。」「積極的違憲立法の是正については,当該法令のその事実への適用を拒否することによって簡明に果たされるのに対し,消極的違憲の立法不作為については,その違憲確認訴訟を認めることに種々の難点があることから,国家賠償法による賠償を認めることがほとんどの唯一の救済方法になるともいえるのであって,その意味では,むしろ,立法不作為にこそ違法と認める余地を広げる必要もある。」「国会が立法の必要性を十分認識し,立法可能であったにもかかわらず,一定の合理的期間を経過してもなおこれを放置したなどの状況的要件が備わっていることが必要である。」などと述べ,このような理由をもって,戦後補償立法義務を怠った国会の立法不作為の違法を認め,国家賠償法1条1項に基づく損害賠償請求を認容したのである。

 関釜第1審判決は,立法不作為が違法と評価される場合につき,昭和60年第一小法廷判決が判示した「容易に想定しがたい例外的な場合」をより広げ,これを明確にした点で評価し得るが,「日本国憲法秩序の根幹的価値に関わる人権侵害」ないし「人権侵害の重大性」という概念は,なお漠然としており,具体性に欠けるとの批判が学者からなされている。しかしながら,この判決では,第1に,「従軍慰安婦」問題を「重大な人権侵害」と認定したこと,第2に,その上で,国の立法不作為に基づく違憲確認という手法を用い,国家賠償法に基づく過失責任を認定し,国が補償立法をしなかったことに基づく精神的損害として原告らに対する30万円の損害賠償を命じ,国会に補償立法を求めたことにより,「従軍慰安婦」問題,ひいては戦後補償問題全般について一定の司法的救済の方途を示した画期的判決として高く評価することができ,この判決は,立法不作為の違憲性の判断基準につき,一定の影響力を持つものと思われる。

(2) 関釜第1審判決に基づく検討

 関釜第1審判決は,立法不作為を理由とする国家賠償の要件について,「次のような場合,すなわち,前記の意味での当該人権侵害の重大性とその救済の高度の必要性が認められる場合であって,しかも,国会が立法の必要性を十分認識し,立法可能であったにもかかわらず,一定の合理的期間を経過してもなおこれを放置したなどの状況的要件,換言すれば,立法課題としての明確性と合理的是正期間の経過とがある場合にも,立法不作為による国家賠償を認めることができると解するのが相当である。」とした。この観点から本件における原告らを含む中国人の強制連行・強制労働の問題について検討してみる。

ア まず,原告らを含む中国人の強制連行・強制労働も「根源的人権問題」として重大な人権侵害である。

 日中戦争も終盤にさしかかった昭和17年,日本国内では労働力不足が深刻な状態で,被告企業を含む全国各地の企業は,政府に対して中国人労働者の導入を要請し,被告国は,その要請に応じ,閣議によって中国人労働者の導入を決定した。そして昭和18年から同20年5月までの間に,原告らを含む3万8935名もの中国人が,日本軍又はその支配下にある満州傀儡軍によって強制的に拉致され日本に連行された。日本に連行された後,中国人労働者は日本企業が運営する135か所の事業場で苛酷な労働を強いられた。原告らも被告企業が運営する事業場で強制労働させられた。この強制連行・強制労働により6830名もの中国人労働者が死亡し(死亡率約18%),467名が深刻な後遺症を負った。原告らも,被告らによる強制連行・強制労働によって回復し難い多大な損害を被ったことは,別冊1において主張したとおりである。

 上記のごとき強制連行・強制労働は,人格の尊厳を根底から侵し,民族の誇りを踏みにじるものであって,しかも,決して過去の問題ではなく,現在においても克服すべき根源的人権問題で,いわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害である。

イ そして,関釜第1審判決は「法の解釈原理として,あるいは条理として,先行法益侵害に基づくその後の保護義務を右法益侵害者に課すべきことが一般に許容されている。そうであれば,日本国憲法制定前の帝国日本の国家行為によるものであっても,これと同一性ある国家である被告には,その法益侵害が真に重大である限り,被害者に対し,より以上の被害の増大をもたらさないよう配慮,保障すべき条理上の法的作為義務が課せられているというべきであり,特に,個人の尊重,人格の尊厳に根幹的価値をおき,かつ,帝国日本の軍国主義等に関して否定的認識と反省を有する日本国憲法制定後は,ますますその義務が重くなり,被害者に対する何らかの損害回復措置をとらなければならないはずである。しかるに,被告は,当然従軍慰安婦制度の存在を知っていたはずであるのに,日本国憲法制定後も多年にわたって右作為義務を尽くさず,同女らを放置したままあえてその苦しみを倍加させたのであり,この不作為は,それ自体がまた同女らの人格尊厳を傷つける新たな侵害行為となるというべきである。」と述べている。

 すなわち,関釜第1審判決では,「従軍慰安婦」制度によってもたらされた被害が,その後の元「慰安帰」らの人生をも変えたのであり,現在においても克服されていない「根源的人権問題」であるという認識から,帝国日本政府と日本国憲法制定後の現日本政府の法的責任を問うている。被告らによる強制連行・強制労働によってもたらされた原告らの被害は,原告らのその後の人生を変え,現在においても克服されていないのであり,根源的人権侵害を受けてきたものである。そして,関釜第1審判決は,現日本政府には,「従軍慰安婦」制度により元「慰安婦」に対して行った帝国日本政府の人権侵害行為について,「その法益侵害が真に重大である」ので,「法の解釈原理」及び「条理」に従って,その被害の増大をくい止めるべき作為義務があるとし,河野洋平氏による「内閣官房長官談話が出された平成5年(1993年)8月4日以降の早い段階」という発言,すなわち「従軍慰安婦」の問題が明瞭になり,政府が公式に謝罪の意を表した期日をもって,「先の作為義務は,慰安婦原告らの被った損害を回復するための特別の賠償立法をなすべき日本国憲法上の義務に転化し,その旨明確に国会に対する立法課題を提起したというべきである」とする。そして,その賠償立法をするために必要とされる「合理的期間」を3年とし,内閣官房長官談話が出された期日から3年後の1996年(平成8年)8月末をもって賠償立法制定に要する「合理的期間」を経過したものとする。そして「合理的期間」内に賠償立法がされなかったこと(立法不作為)について,国会議員には過失があるとして,元「慰安帰」である原告らに対し,国家賠償法1条1項に基づき,精神的損害賠償として30万円を支払うことを命じたのである。

() 本件についてみると,平成5年6月7日,第126回国会参議院予算委員会で清水澄子委員が外務省報告書の存在の確認について質問し,池田維政府委員(外務省アジア局長(当時))は,「かなり蓋然性の高いものというように思っておりますが,いずれにしても,調査を行っているということでございます。」と答弁し,宮澤喜一内閣総理大臣(当時)も,「ただいま政府委員がお答えを申し上げましたとおり,ただいま政府が調査をいたしておるところではありますけれども,真実であるという蓋然性が高いというふうにお答えを申し上げました。そのお答えに基づいて申し上げますならば,当時多くの中国人の労務者が中国より連れてこられ極めて不幸な状況に陥ったということは否定できないと考えられます。戦時という異常な状況はありましょうけれども,多くの中国の人々に耐えがたい苦しみを与えたことは極めて遺憾なことであったと,こう申し上げます」と答弁している。

 翌平成6年6月22日,第129国会参議院外務委員会において,清水委員が外務省報告書の調査結果について再度質問をしたのに対し,川島裕政府委員(外務省アジア局長(当時))は,「一連の調査をやりました結果,本件報告書が当時外務省が作成したものであることは間違いない事実であると思われる次第でございます。」と答弁し,公式に確認している。

 柿澤弘治外務大臣(当時)も,「たとえ戦時下という異常な状況の中とはいえ,当時多くの中国人の方々が半強制的な形で我が国に参りまして厳しい労務につかされたと,その中で多くの苦難をお与えしたということはまことに遺憾なことであったと思います。」と答弁している。

 これらの国会での論議とドイツ連邦共和国,アメリカ合衆国,カナダにおける第2次世界大戦中の各国家の行為によって犠牲を被った外国人に対する謝罪と救済のための立法の国際的潮流とがあいまって,遅くとも外務省報告書を公式に確認した平成6年6月末には,強制連行・強制労働によって被害を被った原告らに対する謝罪と損害を回復するための特別の賠償立法をなすべきことが明確に国会に問題提起されている。上記問題提起から現時点までに,関釜第1審判決が賠償立法をするために必要とされる合理的期間と判断した3年を大幅に超える期間が既に経過している。

() さらに,ILO条約勧告適用専門家委員会の1999年の報告は,中国人強制連行・強制労働事件について直接触れ,外務省報告書の概要を援用し,「本委員会はこのような悲惨な条件での,日本の民間企業のための大規模な労働者徴用は,この強制労働条約違反であったと考える。」「請求が現在裁判所に係属しているにもかかわらず,被害者の個人賠償のためには,何らの処置が講じられていない」「政府から政府への支払が,被害者への適切な救済として十分であるとは考えない。」「日本政府が自らの行為について責任を受け入れ,被害者の期待に見合った処置を講ずるであろうことを確信する。」「本委員会は,日本政府に,訴訟の進行状況と講じられた処置についての情報を提供するよう要請する。」等々の指摘をしている。上記報告を受けてから補償立法をするために必要とされる合理的期間は1年もあれば十分であると思慮され,いずれにしても,上記立法をなすべき合理的期間を経過していることは明白であり,立法不作為が国家賠償法上も違法となっているのである。

(3) 従来の判例,学説に基づく検討

ア 憲法上の立法義務

 関釜第1審判決の要件によらないとすると,本件における立法不作為が違憲となるについては,国会議員に憲法上立法義務が課されていることが必要となるが,以下のように,日本国憲法の諸規定をみるならば,憲法解釈上,国会議員の立法義務が明白であるといえる

() 憲法前文

 我が国は,敗戦により明治憲法から日本国憲法に改正されるに際して,民主的で平和な社会を築くことがその最大の課題とされた。このことは,日本国憲法前文が「人類普遍の原理」としての民主主義及び自由の価値をうたい,そして何よりも第9条とともに平和の達成に最大の価値を置いている点に明瞭に表れている。日本国憲法前文は,このような普遍的価値をうたっているとともに,当時の我が国が行ってきた植民地支配と侵略戦争という誤った歴史的行為の克服を意図したものと考えられる。前文は,「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起ることのないようにすることを決意し,」この憲法が確定されたとしており,政府の行為により戦争の惨禍を起こしたことに対する反省と,戦争責任を果たし,平和な社会を築くべく努力すべきことを,世界に対して宣言したものといえる。日本国憲法前文は,直接的には1945年7月のポツダム宣言の趣旨にしたがって制定されているが,戦後責任の視点からいえば,ポツダム宣言の受諾により,我が国は,1943年11月カイロ宣言の内容を履行する義務を負うと同時に,戦争犯罪人の厳重処罰(すなわち戦争責任の追求)を受け入れたのである。さらにカイロ宣言は,日本の侵略行為によって獲得した領土についての原状回復,朝鮮人民の奴隷状態からの解放をうたっており,具体的に植民地の原状回復と植民地の人々の人身解放を我が国に義務付けたのである。

 日本国憲法前文は,我が国の戦争責任と平和な国際社会の構築の責務を明瞭にしたものであるといえる。こうした前文の規範的内容は,我が国がもたらした過去の「戦争の惨禍」,すなわち植民地支配による強圧政治やカイロ宣言にいう「朝鮮人民の奴隷状態」を始め,中国及び台湾その他のアジアの人々への奴隷的強制や専制的支配により,多くの人々の生命を奪い,身体を傷つけ,財産を奪い,多大な精神的苦痛をもたらしたことへの反省を示しているとともに,その責任を果たす方法として,過去の犠牲者への謝罪と補償を行うべきことを要請しているとみるべきである。

() 憲法前文及び9条

 憲法前文は,先の大戦の惨禍を受けて平和のうちに生存する権利を設け,具体的規定として,9条により,国際紛争解決の手段として戦争を放棄している。この事実は,憲法が戦争による被害を誠実に賠償することを前提としていると解され,現に国民に対しては,1952年の戦傷病者戦没者遺族等援護法の制定に始まり,1957年の引揚者給付金等支給法,さらには同年の未帰還者に関する特別措置法等々が規定されていることにも明らかである。憲法9条で戦争を放棄する以上,当然,戦争行為は不法であるとの先進的認識が表明されているのであり,とすれば,かつて引き起こした戦争により被害を被った人々に対して誠実に責任を取り,賠償をしていくことは,同条が当然に義務付けているものといわなければならない。

() 憲法13条

 個人の尊厳原理をうたった13条は,個人の生命,身体,幸福追求権を包括的権利として保障している。これには,原告ら被害者が踏みにじられた人権を回復し,精神的,肉体的苦痛をいやされ慰謝され,将来の幸福な生活を送るべき環境も整えることを予定しているとみられる。したがって,同条も原告らを含む強制連行・強制労働の被害者の被害回復を図り,賠償をすることを国に義務付ける規定の一つである。

() 憲法14条

 平等原理は,その性質上,前国家的なものであり,国民はもとより個人は平等に扱われることを国家に要請し,したがって,かつて国家に忠義を尽くした日本人軍人,軍属にのみ戦後補償をすることを絶対に容認しない。それゆえ,同条に基づき,前述のような国民に対する戦後の賠償,補償と平等に,侵略先の外国人に対しても同様の賠償又は補償をすることが要求されることとなり,かかる立法が義務付けられている。

() 憲法17条,29条1項及び同条3項

 憲法17条は,国家権力により生命,身体等を侵害された場合には,国家は,被害者に対し,賠償すべきことを義務付けている。加えて,財産権に対する侵害については,憲法29条1項,3項が,公共のために特別の犠牲を強いられたときには正当な補償を具体的に義務付けており,財産権以上に基本的人権の中核となる生命,身体については,なおさら国家の正当な補償が求められる。かかる事実を総合すると,上記各規定は,生命,身体の侵害については,財産的侵害に比してより一層具体的な補償ないしは賠償規定を設けることを国家に要求しているものといわざるを得ない。したがって,かつて侵略戦争で被害を受けた人(とりわけ植民地支配を受けた人々)に対して補償を行う立法をすることは,上記各規定によって,当然に要求されるところである。

() 憲法40条

 憲法40条は,国家権力が誤って国家の刑罰権を発動したときに,それが明らかとなったときには補償することを義務付けている。とすると,原告らのような戦争犯罪被害者については,国家自らが行った侵略戦争行為により人権侵害をした場合であり,なおさら補償を要するというべきである。したがって,同条に基づき,監獄状態の下で強制労働を強いられた人々との関係で,補償立法をすることが義務付けられるのは当然といわなければならない。

() 憲法98条2項

 第2次世界大戦において,侵略をした国家であるドイツやイタリアは,戦後補償立法をするとともに,戦争犯罪については,時効を適用せず徹底した戦後処理を行い,ドイツでは2000年7月,強制連行について「強制労働補償基金」が成立している。前述した国際的潮流からすれば,もはや戦後賠償ないし補償をすることは国際慣習法として確立したといい得る。したがって,我が国においても,戦争被害者に対する賠償ないしは補償をすることが国際的にも義務付けられているといえる。現に,国家間の賠償義務については,具体的な免責が条約によって明示されて初めて賠償義務を免れることになる事実は注意すべき事柄である。

() 小括

 以上の各規定は,被告国に対し,強制連行され,事実上の監獄状態のもとで強制労働を強いられた原告らを含む中国人被害者に対する具体的な賠償ないしは補償を憲法解釈上明白に義務付けているといえる。

イ 本件立法不作為の違憲・違法性

() 賠償ないし補償立法懈怠の違憲・違法性

a 昭和20年12月1日,被告国の第89回帝国議会衆議院において,「議員ノ戦争責任ニ関スル決議」及び「戦争責任ニ関スル決議」の各決議案が提出され,「戦争責任ニ関スル決議」は,同月中に賛成多数により可決された。上記各決議案の内容は,次のとおりである。

「議員ノ戦争責任ニ関スル決議」

 ポツダム宣言受諾以来我カ戦争責任ニ付テハ深甚ナル反省カ加ヘラレ既ニ軍部,財界及言論界ハ相次イテ自粛ノ実ヲ示スノ秋独リ政界ノミ惜トシテ反省ノ実ナキハ真ニ遺憾ニ堪ヘス国民ヲ代表シテ範ヲ天下ニ示スヘキ衆議院カ此ノ際戦争責任ヲ明確ニセスシテ議案ノ議事ヲ進ムルカ如キハ断シテ許スヘカラサルコトナリ大東亜戦開始以来政府ト表裏一体トナリテ戦時議会ノ指導ニ当レル者ハ此ノ際速ニ其ノ責任ヲ痛感シテ進退ヲ決スヘシ

「戦争責任ニ関スル決議」

 今ヤ我国ハ一大敗戦ノ結果思想政治経済社会ノ全面ニ亙リ肇国以来未曾有ノ危局ニ直面セリ此ノ秋ニ当リ道義日本建設ノ方途ヲ確立シ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カント欲セハ今次敗戦ノ因由ヲ明ニシ其ノ責任ノ所在ヲ糾シ将来斯ノ如キ不祥事再発ノ危険ヲ杜絶スルノ途ヲ講セサルヘカラス,惟フニ戦争責任ナルモノハ之ヲ国際的ニ稽フレハ世界平和ヲ撹乱スル無謀ノ師ヲ起サシメタル開戦責任ト開戦後ニ放テ国際条規ニ背反スル惨虐行為ヲ行ヒタル刑事犯罪トニ止ル宣戦以後国家ノ命令ニ奨順シテ合法的ニ戦争遂行ノ為職域ニ挺身シタル一般国民ニ及フヘキモノニアラス翻テ今次敗戦ノ因ツテ来ルトコロヲ観スルニ軍閥官僚ノ車悉ニ基クコト素ヨリ論ナシト雖モ彼等ニ阿附策応シ遂ニ国家国民ヲ戦争強行ニ駆リタル政界財界思想界ノ一部人士ノ責任モ亦免ルヘカラサルトコロナリ我等職ニ立法ノ府ニ列ル者モ亦静ニ過去ノ行蔵ヲ反省シ深ク自粛自戒シ新日本建設ニ通進セサルヘカラス

 被告国の帝国議会衆議院は,「戦争責任ニ関スル決義」において,「道義日本建設ノ方途ヲ確立シ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カント欲セハ」と宣明して,「道義的国家たるべき義務」を自覚しており,同義務履行の内容とて「今次敗戦ノ因由ヲ明ニシ其ノ責任ノ所在ヲ糾シ将来斯ノ如キ不祥事再発ノ危険ヲ杜絶スルノ途ヲ講セサルヘカラス」としている。

b このような自覚を有した被告国の帝国議会衆議院の議決を経て,昭和21年11月3日に,「新日本建設の礎」(憲法公布文)である日本国憲法が公布されたことからみても,「道義的国家たるべき義務」は,立法府にも課せられた憲法上の義務といえる。事実,「今次敗戦ノ因由」の一つとされる軍人恩給が昭和21年2月に,軍事扶助法及び戦時災害保護法が同年9月にそれぞれ「将来斯ノ如キ不祥事再発ノ危険ヲ杜絶スルノ途ヲ講」ずるものとして廃止されたことは,「道義的国家たるべき義務」履行の具体的な表れであったといえる。なぜならば,軍人恩給制度廃止を指示した連合国最高司令官総指令部(GHQ)の渉外局発表によれば,この制度こそは,「世襲軍人階級の永続を計る一手段であり,それは日本の侵略政策の大きな源となったものである。(中略)現在の惨憺たる窮境をもたらした最大の責任者たる軍国主義者が,他の犠牲において極めて特権的な取扱いを受けるが如き制度は廃止されなければならない」(「戦争責任・戦後責任日本とドイツはどう違うか」・朝日選書24頁)というものであったからである。

c また,被告国の帝国議会衆議院は,上記決議において,被告国の帝国議会衆議院の議員が「反省シ深ク自粛自戒」すべき「過去ノ行蔵」の1つとして,「開戦後ニ於テ国際条規ニ背反スル惨虐行為ヲ行ヒタル刑事犯罪」があることを認識していたことを意味する。

 この点,被告らの強制連行・強制労働行為は,「開戦ニ於テ国際条規ニ反スル惨虐行為ヲ行ヒタル刑事犯罪」に当たり,被告国の国会議員は,遅くとも昭和27年4月28日には,強制連行・強制労働の存在及びその事実を知り得た。なぜならば,被告国は,同日効力を発生した平和条約第11条において,「日本国は,極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」たが,原告らに対する被告らの行為は,「開戦後ニ於テ国際条規ニ背反スル惨虐行為ヲ行ヒタル刑事犯罪」であることが明らかであり,あいまいな「一種の戦争損害」ではないからである。

 そして強制労働を課せられた原告らが被った損害も,「暴力及び強欲により日本国が略奪した」(カイロ宣言)ことによるものであることに照らせば,「開戦後ニ於テ国際条規ニ背反スル惨虐行為ヲ行ヒタル刑事犯罪」に準ずる行為による被害といえる。

 したがって,事実上の奴隷状態,監獄状態のもとで強制労働を強いられた人々に対して救済補償すべき立法作業に着手すべきであった。

d 一方,平和条約の効力発生後,戦争犠牲者に対する国家補償の見地から,被告国が立法した戦争犠牲者に対する補償ないし援護のための法律としては,@ 昭和27年4月戦傷病者戦没者遺族等援護法,A昭和28年8月旧軍人恩給の復活,B  同月未帰還者留守家族等援護法,C 昭和31年12月旧軍人等の遺族に対する恩給等の特例に関する法律,D 昭和32年5月引揚者給付金等支給法,E 昭和34年3月未帰還者に関する特別措置法,F 昭和38年3月戦没者等の妻に対する特別給付金支給法,G 同年8月戦傷病者特別援護法などがある。

 以上のとおり,被告国は,日本国籍を有する軍人,軍属及びこれらの遺族に対して,国家補償を実施してきた。ちなみに,補償立法による援護費等の支出は,いずれも日本国籍を有する者を対象とし,昭和27年度から現在までの累計で約40兆円以上にものぼる。一方,これまで,外国籍の個人に対する戦後補償による金員の支払は,昭和42年9月の台湾住民である戦没者の遺族等に対する弔慰金等に関する法律によるものだけである。すなわち,被告国が行ってきた,外国人戦争被害者に対する戦後補償は,戦争被害者をほとんどかえりみないものだった。

e 以上の点から,被告国としては,「道義的国家たるべき義務」の履行内容として,被告国による戦争犯罪及びこれに類する行為により被害を被った者に対して,その被害回復のための補償立法に着手すべき具体的義務を負っていたものといえる。しかも,昭和27年4月の戦傷病者戦没者遺族等援護法以来,国家補償の見地から,被告国が日本国民のみを対象とする補償立法を逐次行い,予算措置を講じてきたことに照らせば,本件原告らを対象とする補償立法及び予算措置を講じることは可能であったといえる。しかるに,被告国の立法府である国会は,立法義務を何ら履行することなく,漫然と50年余を経過させた。したがって,被告国が50年の間,立法作業に着手することなく放置してきたことにより,立法のための合理的期間は優に経過しているのであって,被告国の立法不作為の違憲・違法性は明らかである。

() 賠償ないし補償立法義務の懈怠の故意・過失

 大日本帝国の中国に対する植民地支配及び戦争により原告らを含む多数の中国人に多大な被害を被らせた事実,また,戦後50年を経た今日まで原告らを含む多数の中国人被害者及びその遺族が生活苦の中に放置されたままである事実を国会議員らは認識しているはずであり,少なくとも容易に認識することができた。強制連行・強制労働についても同様である。一方,以上に述べてきた個々の憲法の規定や戦後賠償及び補償立法の国際的潮流からすれば,賠償又は補償立法義務の存在は,個々の国会議員にとっても容易に認識できるところである。それにもかかわらず,原告らを含む中国人被害者に対して,戦後50年を経た今日まで謝罪,賠償,補償のための立法措置は全くとられたことはなく,賠償又は補償立法をしようとする動きさえも今だ顕在化しているとはいえない。その間,原告らを含む多数の中国人被害者は,生活苦の中に放置されたままであり,しかも高齢のため,一日も早い救済が緊急に要請されている。

 したがって,国会議員らは,賠償ないし補償立法をなすべき合理的期間を既にはるかに徒過しているというべきであり,少なくとも過失により,憲法上の作為義務に違背した立法不作為に陥っていることは明白である。

 したがって,被告国には,賠償又は補償立法があれば補填されたであろう原告らの各損害を賠償する義務がある。

(4) 小括

 以上を総合してみると,被告らによる本件強制連行・強制労働については,関釜第1審判決と同様に,被告国には,憲法上の作為義務に違背した立法不作為の違憲,違法に基づいて原告らの各損害を賠償する義務があることが明白である。

2 被告国の主張

 原告らは,原告ら被害を受けた者に対する救済措置立法の制定を放置してきたという長い間の不作為事実に関し,被告国は,立法不作為の違法による国家賠償法1条に基づく損害賠償義務を負う旨主張する。

 しかし,原告らの上記主張は,以下に述べるとおり,原告らが引用する昭和60年第一小法廷判決に反するものであり,かつ,立法不作為についての国家賠償法の適用に関する誤った理解に基づく独自の主張であって,失当である。

(1) 昭和60年第一小法廷判決と立法不作為

ア 昭和60年第一小法廷判決が,立法行為(不作為を含む。)について,国家賠償法上違法と評価され得る例外的な場合を憲法の一義的な文言に違反する立法行為のような場合に限定した論拠は,立法にかかわる憲法解釈については,国民の間に多様な見解が存するのが通常であり,全国民を代表する立場にある国会議員としては,その多様な見解を立法過程に反映させるべく,自由に意見を表明し,表決を行うべき職責を負っており,特定の憲法解釈に立脚する立法がされ,又はされないことは,多種多様の意見の対立の中から多数決原理により決定されるべきものであるという点にある。

 そこで,昭和60年第一小法廷判決は,国会議員が,多義的な解釈を容れる余地のある憲法の条項について,違憲立法審査権の行使の結果として,司法の立場からは違憲とされる解釈を採り,これに基づいて意見を表明し,表決に加わった(又は,意見を表明しない,表決に加わらない。)としても,議会制民主主義の原理からは,国会議員の上記立法過程における行動は,当然に許容されているもので,原則として,国家賠償法上違法とされるものではないとする趣旨を明らかにしたものである。

 したがって,上記「例外的な場合」とは,国会議員の立法過程における行動が一義的に確定される場合であるから,かかる事態は,文字どおり「容易に想定し難い場合」なのであって,憲法の一義的文言に反する場合か,又は憲法解釈上争いがなく,憲法に違反することが一見して明白である場合,すなわち誰の目から見ても違憲であることが明らかであるにもかかわらず,あえて立法を行うというような場合にとどまるべきことは明らかである。

イ ところで,昭和60年第一小法廷判決は,上記「例外的な場合」について,立法不作為の場合に関しては,具体的に言及していない。

 しかし,立法不作為が国家賠償法上違法となることを例外的にせよ認めることは,憲法が採用している権力分立制度との関係でより慎重な検討が必要である。

 すなわち,憲法は,41条において,「国会は,国権の最高機関であって,国の唯一の立法機関である。」と規定するのみで,いつ,いかなる内容の立法を行うか,又は行わないかを国会の裁量にゆだねているところである。しかるところ,裁判所が国会議員の立法不作為に対する法的責任を問うことは,裁判所が個々の国会議員に対して特定内容の法律を特定の時期までに立法すべき義務を課することにほかならない。この点で,既に成立した法律についての立法過程における国会議員の行動を問題とする場合に比し,あるべき立法行為の内容とその時期を全国会議員が個々の国民に対して負担する法的義務として措定しなければならない点において極めて大きな困難がある。日本国憲法が採用する三権分立の基本理念からすれば,裁判所において,広範な立法裁量権を有する国権の最高機関である国会に対し,たやすく一定の立法義務を課し得るとすることはできないからである。立法行為については,憲法81条が裁判所に違憲立法審査権を付与しているが,立法不作為について同条が触れるところがないのもこの観点から理解できる。学説でも,「立法行為の違憲判断は,具体的な法令の違憲審査をすることによって行うことができるが,立法の不作為については,立法機関の行動全体を評価することであって,法令の違憲審査とは全く異質の判断構造を持っているため,違憲立法審査権があることは当然にこれをみとめる根拠となるものではない」(遠藤博也「国家補償法上巻」179頁)とされているところである。

 このことは,「あるべき立法行為が措定した具体的立法行為の適否を法的に評価するということは原則として許されない。」と前記の判示部分においても明らかにされているところである。

ウ そうすると,立法不作為につき,昭和60年第一小法廷判決のいう「憲法の一義的文言に違反しているにもかかわらず国会があえて当該立法を行うというごとき容易に想定し難い例外的な場合」に即して想定するとすれば,憲法上,具体的な法律を立法すべき作為義務が,その内容のみならず,立法の時期を含めて明文をもって定められているか,又は憲法解釈上,作為義務の存在が一義的に明白な場合でなければならないというべきである。しかし,憲法上,上記作為義務を定めた規定は存在しないし,憲法解釈上も上記作為義務を肯定することは困難であるから,昭和60年第一小法廷判決は,立法不作為が国家賠償法上違法となることは,基本的に予定していないものといわなければならない。

エ 以上が昭和60年第一小法廷判決の正確な理解というべきであるが,同判決の示した国会議員の立法行為と国家賠償法1条1項の違法に関する判断基準は,その後の判例もこれを踏襲しており(一般民間人戦災者を対象とする補償立法をしないことに関する最高裁昭和62年6月26日第二小法廷判決・裁判集民事151号147頁,生糸の一元輸入措置及び生糸価格安定制度を内容とする繭糸価格安定法改正に関する最高裁平成2年2月6日第三小法廷判決・訟務月報36巻121号2242頁),立法行為についての国家賠償法の違法性判断基準に関する判例の枠組みは確立したものといえる。

(2) 例外的場合に関する原告らの違法性判断基準の誤りについて

ア 原告らは,「被告らによる強制連行・強制労働によって回復しがたい多大な損害を被ったのである。これは,人格の尊厳を根底から侵し,民族の誇りを踏みにじるものであって,しかも,決して過去の問題ではなく,現在においても克服すべき根源的人権問題」であるとし,「根源的人権問題」である場合には,国会議員に立法義務が生じ,国家賠償法上の損害賠償が請求できると主張するようである。

イ しかし,国会議員の立法不作為が例外的に違法の評価を受けるのは,憲法で一義的に定められた具体的な立法義務に違反して立法をしない場合,又は憲法解釈上,そのような立法義務が一見明白に定められているにもかかわらず立法をしない場合に限定される。

 原告らが違法判断基準として主張する「根源的人権問題」は,判断基準として不明確である上,なぜにこれを立法不作為における違法判断基準とすべきであるのか,その理由が示されておらず,根拠を欠く。

 原告らのような立場にある者を救済するための立法措置を国会議員に一義的ないしは一見明白に義務付けた憲法上の規定がないことはもちろん,憲法施行前の公権力の行使により生じた損害について救済のための立法措置を採るかどうかは,立法府の広汎な裁量にゆだねられているのである。

 したがって,本件では,そもそも国会議員の立法不作為につき,国家賠償法上の違法を問われる余地はないというほかない。

ウ なお,原告らは,本件に関連する歴史的経緯として,いわゆる強制連行・強制労働問題に関する内外の動向に言及し,遅くとも外務省報告書を公式に確認した平成6年6月末には,強制連行・強制労働によって被った原告らに対する謝罪と損害を回復するための特別の賠償立法をなすべきことが明確に国会に問題提起されていると主張するが,政府の認識や利益団体等からの各種意見,陳情を取り上げるか否か,かかる意見に基づいて立法作業を行うか否かは,正しく国会の裁量に属する事項であって,かかる裁量を否定することは許されないといわなければならず,これら内外の動向をもって憲法上の立法義務が明白になったと断ずることもできない。また,原告らは,立法をすべき必要性を国会議員が認識してから立法措置を採るまでの期間について,既に関釜第1審判決がいう3年を大幅に超える期間が経過しているとか,ILO条約勧告適用専門家委員会の1999年の報告から1年経過しているから合理的期間を経過しているなどと主張するが,かかる立法すべき期間についての主張にも合理的根拠はない。

エ 以上述べたとおり,原告らの立法不作為についての国家賠償法上の違法性判断基準についての主張は失当である。

(3) 補償立法義務の一義的明白性の欠如

 原告らは,@ 憲法前文及び9条,A 憲法13条,B 憲法14条,C憲法17条,29条1項,3項,D 憲法40条,E 憲法98条2項の憲法の諸規定をみれば,憲法解釈上立法義務が明白であるとも主張する。

 しかし,国家賠償法上,立法不作為が違法とされるためには,国会議員の立法義務が憲法の規定上,又は解釈上,その内容も含めて一義的明白であることが必要であるところ,原告らが挙げる憲法諸規定によっては,原告らに対する補償立法義務を一義的明白に認めることはできず,原告らの主張は,主張自体失当というほかはない(東京高裁平成11年8月30日判決・訟務月報46巻8号3449頁以下参照)

(4) 小括

 以上のとおり,原告らの立法不作為に関する主張は,立法不作為が国家賠償法上違法となる場合に関する確立した判例に違背しているのみならず,国会議員の立法義務を導く論拠に飛躍があり,失当である。そして,本件において,原告らに対する補償立法をすべきことを一義的ないしは一見明白に定めた憲法上の規定は見い出し得ないから,補償立法をしなかった国会議員の行為につき国家賠償法1条1項の違法を問われる余地はない。

 したがって,原告らの立法不作為を理由とする国家賠償請求も棄却を免れない。

第5 原告らの損害

1 原告らの主張

 以上のとおり,原告らは,ハーグ陸戦条約3条を初めとする国際法に基づき,1930年中華民国民法に基づき,安全配慮義務違反に基づき,又は立法の不作為の違法を理由として,被告国に対して強制連行・強制労働により被った損害の賠償を請求することができ,また,1930年中華民国民法に基づき,又は安全配慮義務違反に基づき,被告企業に対しても損害賠償を請求することができる。

 戦闘員でも何でもない中国の一般市民である原告らは,ある日突然,異国の軍隊等によって暴力的に拉致され,愛する家族と別れを惜しむ間すら与えられずに引き裂かれ,極めて非人道的な方法で家畜のように日本に移入された挙げ句,遠い異国の地において,自国を侵略している国の国策に資するために,奴隷労働に従事させられたのである。原告らが,上記のような強制連行・強制労働によって被った被害の深刻さは,目を覆い,耳をふさぎたくなるようなものである。

 しかるに,原告らの被害に対する被告国の対応は,原告らのささやかな要求すら一顧だにしないという不誠実極まりないものであり,人道に対する罪を犯したとして国際社会から断罪された歴史的経緯を持つ政府が,被害国民に対して取るべき態度とは到底いえず,被告企業の態度も同様のものであった。

 こうした原告らの損害は,本訴においても完全に回復することは到底不可能なことであるが,その悲惨な経験から生じた財産的及び精神的損害は,どんなに低く見積もっても,2000万円を下回ることはない。

 よって,原告らは,被告らに対し,第1ないし第4に主張したところに基づき上記2000万円及びこれに対する1945年8月16日から支払済みまで年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2 被告らの認否

 原告らの主張は争う。

第6 その他の金銭請求(被告鉄建建設株式会社以外の被告企業に対する請求)

1 原告らの主張

(1) 賃金請求

 原告と被告企業との間には,労働契約その他何らの契約も存在しなかったし,華北労工協会と被告企業との間の労務提供契約も,虚偽仮装というべきものである。しかしながら,実際に労働がされた以上,雇用契約や労働契約が全体として無効であった場合でも,不当利得関係などによって事態を処理することは,いたずらに法律関係を複雑にするだけであり,労働者にかえって不利益を及ぼしかねないので,賃金請求権の法律効果は発生すると解すべきであり,強制労働のように労働契約が不成立の場合においても,原告らが被告企業のために労務に服し労働した以上は,同様に考えるべきである。華北労工協会と被告企業との間の労務提供契約には,原告らに対して1人当たり1日5円の割合で賃金を支払うという定めがあるから,各原告が,被告企業に就労させられるべく中国の港を出港してから,日本の敗戦によって強制労働関係が終了する1945年8月15日までの各原告の日数及び各原告の有する賃金債権の金額は,本文添付の別紙請求目録記載の日数欄及び金額欄記載のとおりである。

 よって,原告らは本文添付の別紙請求目録記載の金額及びこれに対する1945年8月16日から支払済みまで,商事法定利率の年6分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(2) 不当利得返還請求

 仮に,原告らと被告企業との間に賃金請求権が発生しないとしても,被告企業は,原告らの就労によって労働の成果を受益し,又は原告らを無償で労働させることによって賃金の支出を免れるという利益を得ており,原告らは労務を提供しながら何らの対価も得られないという損失を被っており,利益と損失との間には因果関係があるものの,法律上の原因はないから,原告らは,悪意の受益者である被告企業に対し,不当利得返還請求権を有している。華北労工協会と被告企業との間の労務提供契約には,原告らに対して1人当たり1日5円の割合で賃金を支払うという定めがあり,これは,当時の原告らの労働に見合った相当賃金と推定されるから,原告が,被告企業に就労させられるべく中国の港を出港してから,日本の敗戦によって強制労働関係が終了する1945年8月15日までの各原告の有する不当利得返還請求権の金額は,本文添付の別紙請求目録記載の日数欄及び金額欄記載のとおりである。

 よって,原告らは,上記の賃金請求権が認められない場合には,同賃金相当の不当利得返還及びこれに対する1945年8月16日から支払済みまで民法所定の年5分の割合による遅延損害金の支払を求める。

(3) 被告企業らの消滅時効の主張について

 第3,1(4)で述べたとおり,原告らが客観的にみて現実に権利行使できたのは,1995年3月の時点であるから,賃金ないし不当利得返還請求権の時効の期間は満了しておらず,消滅時効の規定は適用されない。

2 被告エナジー及び被告鉄建建設株式会社を除く被告企業の認否,反論

(1) 賃金請求権について

ア 原告らと被告企業との問に労働契約は成立していないとの原告らの主張によれば,賃金請求権が発生することはなく,原告らの本件賃金請求は法的根拠を欠く。原告らが本件賃金請求権発生の根拠とする労働契約の無効,取消しによる不遡及効は,労働契約そのものが成立していない本件事案には適用されない。

賃金の支払

() 被告宇部興産は,華北労工協会との間の契約書のとおり,月1回,事業場到着より就労までの間は日給2円を,その後は,坑内労働者には日給3円,坑外労働者には日給3円を支払っており,支払については,賃金の65%を貯金し,残額から税金を差し引いた額を,寮において,警察官,華北労工協会駐在所長,中国人労働者側隊長あるいはその代理者の立会いの下,現金にて各人毎に捺印させて明細書と共に交付し,積立金については,送還期日決定と同時に現金で支給している。

() 被告日鉄鉱業は,警察の指示により現金を所持させることを禁じられていたため,終戦後,中国人労働者の幹部を通して預り金として保管していた賃金を支払った。

() 被告飛島建設は,中国人労働者に対し,日給5円を支給することとし,その支払は,月末締切り翌月10日支払(終戦後は5日毎に現金支払)とし,一括して華北労工協会駐在員立会いの下に中国人労働者の隊長に渡し,隊長から各労働者に対する支払を行わせていたのであるから,原告らにも賃金は支払われていたはずである。

ウ 消滅時効

 仮に,原告ら主張のとおり賃金請求権があるとしても,原告らが主張する履行期の翌日である昭和20年8月16日から起算して1年以上経過しており,既に時効により消滅している(民法174条1号)ので,これを援用する。

(2) 不当利得返還請求権について

 原告らは,賃金請求権が認められない場合の予備的請求として,不当利得返還請求権を主張しているが,仮に原告らが主張するとおり不当利得返還請求権があるとしても,原告らが主張する履行期の翌日である昭和20年8月16日から起算して10年以上経過しており,既に時効により消滅している(民法167条)ので,これを援用する。

3 被告エナジーの認否,反論

(1) 賃金請求について

ア 原告らの主張は,拉致,逮捕,監禁されて奴隷労働に従事させられたというものであり,旧日本鉱業との間には雇用契約等賃金請求権の発生根拠となる法律上の原因は全くなかったというのであるから,旧日本鉱業に対する賃金請求権は発生していない。

イ 賃金の支払

 旧日本鉱業は,華北労工協会との契約ないしは政府の定めた「華人労務者賃金基準」に基づき,原告らが就労していたならば,同人らを含めこれらの基準に基づく中国人への賃金は支払済みである。

ウ 消滅時効

 仮に,原告らが主張するとおり賃金請求権があるとしても,原告らが旧日本鉱業の指揮監督等から離れた昭和20年11月29日ころから起算して1年(民法174条)又は10年(同167条1項)を経過した日に時効により消滅しているので,これを援用する。

(2) 不当利得返還請求について

ア 旧日本鉱業は,労働の対価としての賃金は支払済みであり,中国人労働者の受入れにより当時膨大な損失を被っており,原告らが就労していたとしても原告らの就労のみが峰之澤鉱山,日立鉱山に利得をもたらしたとみることは不可能である。したがって,原告らには労務提供による損失は発生しておらず,旧日本鉱業に利得の発生もないので,不当利得返還請求権は発生していない。

イ 原告らが主張する不当利得返還請求権があるとしても,原告らが旧日本鉱業の指揮監督等から離れた昭和20年11月29日ころから10年(同167条1項)を経過した日に時効により消滅しているので,これを援用する。

第7 名誉回復措置の請求

1 原告らの主張

 原告らの祖国中国は,原告らが日本に強制連行された1944年当時,日本軍の侵略を受けて,これと戦う15年にわたる戦争の最後の段階にあり,極めて厳しい状況下にあった。したがって,原告らにとって,日本のために働くことは,利敵行為であり,これを行うことを強いられることは耐え難いことであった。原告らは,約4万人の中国人と共に,これを強制されたばかりか,強制労働のために最低限の生活条件も保障されず,消耗品扱いの文字通り残酷な強制労働に従事させられた。これが,原告らの人格をかえりみない暴虐であったことはもちろんであるが,そればかりではなく,原告らは,その名誉感情を傷つけられ,客観的にもその名誉を蹂躙された。すなわち,原告らは,帰国後,日本のために働いたとして,同胞から激しい指弾を受けざるを得なかった。それは,同胞が日本と戦っている時に,日本に出稼ぎに行き,日本のために働き,利敵行為をしてきたというものであった。こうした非難は,全く誤解に基づくものであったが,同胞が被った被害が大きいだけに,また,情報が極めて乏しいこともあり,この誤解が容易に解けることはなかった。そのような誤解のために,原告ら本人だけでなく,その家族までが不利益を受けた。このような事態を招いた要因の一つは,被告国が強制連行・強制労働の事実を認めないことにある。

 よって,原告らは,被告らに対し,民法723条に基づく名誉回復措置として,請求の趣旨記載の謝罪文の公表を求める。

2 被告らの認否

 原告らの主張は争う。

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