氷見海岸の一夜
永田 敏男私には二人の息子がいる。それぞれ結婚して二人ずつ子供がいる。私にとっては孫である。
今日はそのふた家族と私たち夫婦の10人で、2台の車に分乗して富山県氷見の海岸へ向かって旅行をする。このメンバーがそろっての1泊泊まりの旅行は初めてである。
今までは天気の悪い日が続いていたのに今日は五月晴れである。 朝が早いので、迎えにきた長男息子の次女は、眠ったまま毛布に包まれ車内に運びいれられて、そのまま後ろの席で眠っている。長女は、小学2年生なので、さすがに起きていてテレビを見ている。車に乗り込むときに「おはよう、今日はよろしくね。」と話しかけたら、「はーい」と一言返事をくれて、テレビに夢中である。それにしても、車内でこんなに明瞭にテレビの音が聞こえ、画像もきれいだとは、ここにも文明の力は発揮されている。
以前は、富山方面へは、米原から北陸道へ向かうコースで、ちょっと遠回りになるようであるが、豊田インターを入ると、ほとんど北へ向かってかなり近くなったようである。 しかし、トンネルの多いことは数え切れないほどである。 トンネルに入ると、車の音が反射して大きく聞こえ、出ると静かになるので、その出入りは良く分かる。
次男は、近くのインターから入ったので、ひるがので落ち合うことになっている。 2台の車の連絡は、携帯電話ででき、文明の力をここでも、いまさらながら感じた。
トンネルを出ると田んぼには、青々とした苗が植えられ、周りの山も緑一色のようである。しかも、北陸独特の高い山々は、真っ白な雪をいただいて、さながら絵画の世界に入ったようであると説明を受ける。
富山に入り高速を下りて「太閤山公園」で遊ぶ。おそらく太閤秀吉ゆかりの名前かも知れない。

写真の説明です:
平坦な大地の向こうに緑の木立が見え、その木立の更に彼方には
真っ白な雪を抱いた山々が連なって見えています。
山々の上には青い空が広がり山のすぐ近い場所には、白い雲がのどかに棚引いています。
2010年5月15日、富山県内太閤山公園にて撮影。(説明終わり)
行けども行けども、道が続き孫たちの遊びとしてはいくらでもあり、アスレティックスでしばらく遊んでいた。きゃあきゃあいいながら、何回も繰り返すバイタリティーに驚く。他にも、芝生の坂をプラスティックの橇で大騒ぎで滑ったり、橇を持ってまた上がってきたり、スリルと楽しさで疲れを忘れているようである。孫たちの底知れないパワーに驚きながら付き合う。ちょうど、橇が滑って行き着くところに、石で作られた麒麟・ライオン・象などがあり、我々夫婦はそれをなでまわしていた。麒麟の頚の長いこと、そうとう上の木の葉っぱが食べられるなと思ったり、大きな象の牙を触ったり、私には珍しくて、大変興味深い模型であった。

写真の説明:
子供の背丈の2倍ほどの高さのツイタテの前に、子供4人が立っています。
ツイタテの中ほどにはトラがこちらを向いて立っていて、そのトラを挟むように、左側に2人、右側に2人が立ってカメラを見つめています。
トラの輪郭がツイタテに融けて消えているので、まるでトラがツイタテから浮き出ているように見える不思議な写真です。(写真の説明終わり)
夕方6時近くに旅館に入る。民宿旅館とはいえ、さだかではないが、5/6階くらいはあったようである。二部屋続きの部屋で、ゆったりと休むことができそうだと思った。
まずは風呂へ誘われる。旅の宿のはじめのご馳走は、なんといっても風呂である。湯船につかると、一度に疲れが抜けていくように感じる。波の音は聞こえないが、5分も歩けば波打ち際に行くことができる。そのせいか、湯はやや塩分を含んでいる。風呂から出ると、もう別の部屋に夕食が準備されており、みんなが集まる。私の乾杯の音頭で宴会が始まる。
このあたりでは定番のカニ・舟盛り・後は私には何があって、何を食べたのか、ビールの味しか覚えがなかった。勢いに乗って、酒を注ぎに回ったら大騒ぎ、零すやら、人をのけるやら、かえって迷惑だったかもしれないが、みんな気持ちよく注がせてくれた。
孫たちも、お腹が膨れると4人が一斉に動き出し、にぎやかさはいよいよ佳境に入る。
2時間ばかりの宴会をおえて、部屋に帰り、再び風呂に行く。ついでに露天風呂も行ってみようということで、足場の悪い不規則な階段を下りたり上がったりで、その距離およそ10メートルくらいだったのに、その寒さたるや、震えが止まらなかった。
露天風呂に着いて入浴した時のその暖かさたるや、至福のいたりであった。
氷見海岸の一夜というロマンティックなタイトルにしてはおそまつで、やはり民宿であるためか、敷布団が薄いのか、あるいは硬いのか、睡眠はあまり良く取れなかった。朝はひどく眠たい感じが残っている。
朝6時ころに起きて、まず風呂に行き、次に次男の息子と海岸の散歩としゃれる。
日本海の海なのに、ひどく静かだ。ホトトギスが鳴いて遠ざかったと思ったら、カモメがなく。7時近くには鶯の声も聞こえ、えさを探しているのかトンビも、懐かしい声を響かせていた。
テトラポットの形も、波の勢いを防ぐゆえんなのか、コンクリートのブロックで複雑に組み合わされているように感じた。
ぽんぽんと音を響かせながら、波音の静かな海を船が行く。おそらく漁船だろうと思った。
もう帰りのことは書かない。43年の前に結婚して、新婚旅行もしなかった。というより、お金がなくてそれどころではなかった。
それに比べれば、あまりロマンティックではないが、こうして日本海の海辺で一夜を送れたのも、私の努力が少し報われたのかなと満足を感じる。二日とも天気はじょうじょうで、自然も私たちを祝福してくれたのだろうと感謝している。
旅行の醍醐味は、変わった景色、珍しい食べ物、未知の人との会話など、上げればきりがないかも知れない。しかし、もっとも感動的だと思うのは、見知らぬ人との会話、旅館の人たちの暖かいもてなし、たとえそれがビジネスであろうと、精一杯の触れ合いである。
「よくいらっしゃいました。」だけでも嬉しいものである。家族の間においても、お互いに話す機会が与えられ、会話の中に相手をいたわり、特に、みんなで私を支えてくれて家族の一員であることを今更ながら認識し、その感動こそが、私の最大の旅行の産物だろうと思った。