Tribute to Michael Jackson
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You are great singer, dancer, song writer, producer, artist, actor and supported many children all of the world.
Distinguished services that you left are very big to us.
A lot of people all over the world keep loving you now.
Are you enjoying looking down at this current state from the heaven?
2010年 6月25日、‘king of pop’と呼ばれた Michael Jackson (マイケル・ジャクソン)が50歳の若さで、不慮の死を遂げてから1年が過ぎました。
テレビでは特番が組まれ、ラジオでは前後1週間くらいはあちこちで彼の曲が何度も流れ、全国各地ではファンによる追悼のためのダンスパフォーマンスなどが行われたり、オフィシャルグッズの展示や販売も開催されました。
そんな追悼ムードの中、東京ではMJの元妻であったDebbie Row(デビー・ロウ)が極秘で来日。
‘Billie Jean’の
歌詞
にある、「the kid is not my son」の「son」ではないかと言われている、B.Howard(ブランドン・ハワード)も来日し、ファーストアルバムの‘GENESIS’のプロモーションライブを行っています。
確かに彼は家族ぐるみでMJとのつき合いがあり影響を受けた…と言っていますが、このB.Howardの外見・ダンス、そして声もMJにそっくりとか?
その東京でのプロモーションライブで歌った、‘dance floor’
を聴くと確かに若い頃のMJに似ているような…。しかし、これもMJの名前をプロモートに上手く利用しただけなのかもしれませんし…。
隠し子騒動は、このB.Haward以外にも何人も現れています。
それにしても、死後もこのお騒がせぶり…。これもスーパースターの宿命でしょうか?
私がMJを知ったのはいつ頃だっただろうか…と、記憶をたどってみると…
最初はMichael Jacksonという個人ではなく、「JACSON5(ファイブ)」の
‘ABC’
という曲を聴いたのが始まりだったのではないかと思います。
JACSON5は、MJを含む彼の兄弟5人がモータウンレーベルにいた頃に使っていたバンド名です。その後、モータウンレーベルを去った彼らは「THE JACKSONS」の名前で活動しています。
私がJACSON5の‘ABC’を聞いたのは、それが発売されてからかなり後のこと。多分、私が小学生、それも低学年の頃だったと思います。
MJが‘ABC’を唱っていたのは、彼が11歳くらいの頃です。彼は男の子でもとても高くのびのある声、そして大人顔負けの歌唱力に、日本のアイドル歌手との余りの違いに驚きました。
その頃、それらの曲を聴くのはラジオでした。ですから、彼の歌声は知っていてもステージ上でのパフォーマンスはおろか、彼らの顔すら知りませんでした。もちろん、Michael Jacksonという個人名も…。
でも、MJはこの頃からすでに特質すべきパフォーマンスを見せていたようです。
しかし、私がこんなことを感じている時、既に彼はティーンエイジャーを卒業する頃で、兄弟たちから離れた初めてとなるセルフプロデュースのソロアルバム‘OFF THE WALL’の製作にかかっていました。
そして何年も過ぎてやっと私が‘OFF THE WALL’に出会ったのは中学・高校生時代。
FMラジオはもちろんのこと、ディスコのダンスフロアで、‘off the wall’
や‘don’t stop till you get enough’などの曲が流れるのを聴いていました。
THE JACSONSとのかけもちでの活動の中、この最初のソロアルバムは600万枚のヒット!
中でもシングルカットされたひとつ
‘rock with you’
は、私の大好きな曲のひとつです。
Michael Jacksonといえば、‘THRILLER’が余りにも有名ですが、‘OFF THE WALL’はその前に発売されたものです。
‘OFF THE WALL’のアルバムはR&Bの曲が多く、クールなカッコ良さを感じます。
それに比べて‘THRILLER’のアルバムは、MJの代表曲となる、
Edward Van Halen(エドワード・ヴァン・ヘイレン)
のギターがカッコいいロック調の
‘beat it’(今夜はビートイット)
や、
Paul McCartney(ポール・マッカートニー)
とのデュエット曲の
‘girl is mine’、ムーンウォークのステップが一躍有名になった
‘Billie Jean’など、遊園地のアトラクションのような多彩さです。
その中でも
TOTO(トト)
から楽曲提供を受けた、
‘human nature’
は曲・
歌詞
共に、よく口ずさんでしまう私の大好きなものです。
この‘THRILLER’のアルバムは、世界中で大ヒットし、現在では1億枚以上の売り上げがあり、ギネスにも「1番売り上げの多いアルバム」として認定されています。
私もその売り上げに協力した一人ですけど…。
この後‘BAD’のアルバム発売後、MJは最高のコンビと言われたプロデューサーの
Quincy Jones(クインシー・ジョーンズ)
から離れ、自身のプロデュースにより、‘DANGEROUS’・‘HISTORY’・‘INVINCIBLE’などのアルバムも次々にヒットさせています。
MJの曲作りはとてもこだわったものでクオリティの高いものですが、曲だけでなく彼の場合はPVといわれるプロモーションビデオ(ミュージッククリップなどとも呼ばれる)も素晴らしいものです!
‘thriller’が有名なのは、このPVによるものも大きいのではないでしょうか。
MJが狼男に変身し、ゾンビたちと踊る、ストーリー仕立ての
‘thriller’
のPVは約14分。曲のPVというより短い映画を見ているような作品です。
これらのようなストーリー仕立てのものをその後MJ自信もPVとは言わず、ショートフィルムと言っています。
実際に‘thriller’はビデオカメラではなくフィルムで、それも映画監督によって撮影されています。ちなみに、この‘thriller’のショートフィルム制作費は80万ドル(1982年頃)だったそうです。
私は初めてこの‘thriller’のショートフィルムを見た時、ものすごい衝撃を受けました。
ストーリー仕立てといってもその内容は単純なのですが、狼男に扮したMJとゾンビのダンサーたちのダンスシーンにまず釘付けになりました。
そして、ひとつひとつのデティールの細やかさ。どのシーンを切り抜いても綺麗!
ゾンビが何体も出てくるのですから、「綺麗」という表現はどうかと思いますが、でも色やセット、衣装デザインに特殊メイクなど、どのシーンを切り抜いても素晴らしいのです。
見終わった後、『これがアメリカのショービジネスか…』と、ため息と共に脱力してしまいました。
‘thriller’と同じストーリー仕立てのショートフィルムとしては、
‘smooth criminal’
は、「moon walker」という別題までつけられている作品で、フルバージョンになると42分もあるほとんど映画といってもいいものです。
ステージパフォーマンスとして人気のあるムーンウォークと並んで、この‘smooth criminal’の中で行われる、直立した姿勢のまま限界まで体を前に投げ出す…というのがあります。前方に45度近くまで体を倒すには、靴と床をフックでひっかけるそうですが、そのまま起き上がるにも背筋や足首を鍛えないと無理なものです。
‘thriller’や‘smooth criminal’とはまた違ったロマンティックな感じなのが、 ‘remember the time’ です。こちらは 歌詞 もロマンティックなものですが、古代エジプトを背景にしての Iman Mohamed Abdulmajid(イマン・モハメド・アブドゥルマジド) とのキスシーンも話題となりました。
彼の曲作りや、ショートフィルム作成などへのこだわり方は、「ムーンウォーク 〜マイケル・ジャクソン自伝〜」(Michael Jackson 著, 田中康夫 訳)という唯一彼自身の言葉で語られた自伝の中に詰まっています。
「ムーンウォーク」の出版は1988年。MJ30歳の時です。
彼に纏わる報道は数限りなくありますが、彼はほとんど自分のことに対して何も語っていません。それがかえって誤解される要因になってしまったのかもしれません。
日本ではアメリカほどではなかったものの、
尋常性白斑病
を白人になりたくて皮膚を漂白した…とか、整形しすぎで顔がくずれてきている…。そして、裁判にもなった児童虐待疑惑。
黒人なのに肌が白くなるという白斑病であることは、それを言い続けてきたのにも関わらず、遺体の検案書に書かれたことが最後の証明となり、整形手術もMJ自信で鼻を2回とあごを整形した…と告白していましたが、それ以上のものがあったのではないかと言い続けられました。
訴えられた2回の児童虐待疑惑も、1度目のものは彼が人をおとしめるような争いの裁判をせず和解にもち込み、多額のお金を支払ったことが誤解を招きましたが、その後被害者側は児童虐待などはなかった…と公言しています。
2回目の時にはMJ自身にも子どもがいたことから、裁判でのきっちりした決着を求めました。もちろん無罪です。
どちらも家族ぐるみでMJには多大な恩恵を受けているはずなのですが、やはりお金への欲望は留まることがないんですね。
後日談として、MJが亡くなってから数ヶ月後、この父親の一人が銃で自殺しています。原因はMJとは関係ないことであったかもしれませんが…。
そんなスキャンダルばかりが目立ったMJでしたが、ノーベル平和賞の候補に2度もあがっていたことを知っている人は少ないのではないでしょうか…。
彼が寄付した金額は600億円以上とも言われています。
この金額はどこまでのものを足したものかはわかりませんが、「個人で寄付した学が1番多い人」ということでもギネスに登録されていることは事実です。
ペプシのCM撮影中におったやけどの際、ペプシ側がMJに支払った約3億円の賠償金をそのままやけどをした人々に…と、全額寄付。
コンサートツアーで世界中を回っている時にも、その国々の養護施設や病院を訪問し、子どもたちと過ごす時間を大切にしています。
おもちゃやお菓子を詰めたギフトボックスを3万人の子どもたちにプレゼントしたりもしています。
アフリカの飢えで苦しむ子どもたちのために作った
‘we are the world’
は、メンバーとアレンジを変えて
Haitiバージョン
として、今年起きたハイチ地震の救済のためにも使われました。
ハイチ地震はMJの死語のことですが、敬意をはらってMJの歌声も使われています。
‘we are the world’を検索していたところ、
MJのソロバージョン
というのをたまたま見つけました。
多分、MJが自分のスタジオでとったデモ録音だと思います。バックコーラスも全てMJの声を重ねたものです。
MJの声がとても優しく響いていて、シンプルで気に入ってしまいました。
他にも環境問題に対して、
‘earth song’
や
‘heal the world’
の曲と共に、
「Heal The World 寄金」を創設。
アメリカでの同時多発テロの時には、
‘what more I can give?’
という曲を作っていますが、プロデューサーやレコード会社とのゴタゴタがありダウンロード配信にて発売となりましたが、この収益も子どものための組織に贈られています。
日本の阪神・淡路大震災の時にも
‘People Of The World’
(秋元康 歌詞訳)をJ-Friends(TOKIO・V6・近畿キッズ)に提供し、MJ自身が1週間ほど毎日レコーディングへのアドバイスのためアメリカから直接電話指導したそうです。
この曲で集まった3億円は、もちろんすべて寄付されたとのことです。
上記の曲もそうですが、それ以外にもいろいろな曲で彼は想いを歌っています。
‘black or white’ は文化間の違いをなくすために…との想いだったようですが、最初のショートフィルムでは暴力的な表現やセクシャルさなど問題点があり修正が加えられています。‘they don't care about us’ では、反ユダヤ思想と言われましたが、MJはそれに対しては反論しています。
最後のコンサートとなるはずだった「this is IT」の中でもこの曲はセレクトされていて、曲の間にキング牧師の演説を取り入れています。
イラク反戦歌として、 ‘we've had enough’ という曲もアルバムに納めています。
MJはそれほど突飛なことをしているとも思えないのですが、どうしていつもスキャンダラスに取り上げられてしまったのでしょうか…。
彼の名前を出せば視聴率がかせげるから…、雑誌の売り上げがのびるから…といったMJの名前を使って自分たちの欲望を叶えようとする人々によって本人であるMJは被害ばかりを受けてしまったのかもしれません。
間違っているからといって反論すれば、それもまた彼らの格好の的となり本質に向かうどころかどんどんとかけ離れた方向へと向かってしまう…。だから彼は口を閉ざし、彼とお金を結びつけない子どもたちへ愛情を注いだのだと私は思います。
彼の命日である 6月25日から世界中で上映された「king of pop の素顔」という元マネージャーが10年にわたってMJの私生活を撮影したドキュメンタリー映画が公開されました。
その中でも彼が行く所にはいつも多くのファンとそれを制するためのボディーガードや警察官、警備員たち。パトカーに誘導されての移動。ショッピングセンターを貸し切りにしないと出来ない買い物。
ステージに上がっていない時は普通の男性のままでいたいと思ったMJに対して、いつどんな時でもスーパースターとして見る周囲の人々…。そのギャップに寂しさや戸惑いを感じていたのではないでしょうか…。
彼の最後のステージとなるはずだっった‘This is IT’のリハーサル風景などを編集した映画やDVDの売り上げをも含めて、彼が亡くなってからの収入は900億円を超えるといわれています。
ファンとしてはこの様な数字だけが取り上げられるのは余り嬉しいものではありませんが…。
しかし、さすがアメリカ!?とでもいうべきか…、MJは自分が死んだ後のことをもきちんと遺言してあったようです。
それによると、経費として40パーセント・子どもたちに40パーセント・寄付に20パーセントという打ち分けだったそうです。
「this is IT」のコンサートツアーは、彼の借金返済のためだったとも言われていますが、私は自分の仕事のことがわかるようになった子どもたちへエンターティナーとしての父親をみせておきたかった…という発言に1票投じたいと思います。
「this is IT」のリハーサルをしていた時、彼が亡くなる寸前、彼は50歳です。オーデションで選ばれたダンサーたちは20代。
MJは歌って踊っているのですが、彼の年齢の半分ほどのダンサーたちが汗を流し、肩で息をしているのにMJは彼らよりはるかに軽やかに動いています。
私は最近のMJのダンスパフォーマンスを見ることが出来ないので自分では判断つきかねますが、彼はコンサートのステージ上ではダンサーの3倍の動きをしているとも言われています。それだけ彼の動きは早く、ステージの端から端まで動き回っているのでしょう。
MJのそっくりさんタレントのマイケル井上さんがあるテレビ番組に出演してMJの曲を少しだけ踊った後インタビューを受けたのですが、1曲全部を踊ったわけでもないのに息があがってしまっていてインタビューに応えるのも途切れ途切れになっていました。
マイケル井上さんは身長もMJとほとんど同じ177センチ。ただ体重はマイケル井上さんが約63キロ、「this is IT」の時のMJは約56キロ。
確かに体が軽いとステップは軽やかになりますが、持久力がなくなります。マイケル井上さんもMJのダンスは60キロをきってしまうとステージをこなせるかどうか難しい…と言っていました。
MJ自身も自分の年齢を考えて、「this is IT」がラストコンサートと言っていました。
始め10公演だったのがいつの間にか50公演になって、彼も体力的な不安も感じていたと思います。
最後の最後まで彼はお金儲けに使われてしまったのか…、それとも世界中のファンのためにと愛情を持っての無理だったのか…。
今ではその真意はわかりません。
でも、彼の完璧主義は自身の体作りだけでは留まらず、ダンスや舞台装置などのあらゆる面に及び、この「this is IT」を見ればすぐにわかります。
最後までステージに熱い思いを注いでいたことは確かです。
MJは今、カリフォルニア州ロサンジェルスのforest-lown memorial parkでゴールドの棺に入って眠っています。
I love your songs.
I love your voice.
And I love smile of which you felt shy.
It is regrettable not to be able to see your great performance.
But everyone dies sometime ado.
I shall never forget all of you.
I love you so much, Michael Jackson.
*個人名は、基本的に英語表記とさせていただきました。
*‘…’(シングルカッコ)内で、アルバム名は大文字、曲名は小文字で表記しました。
*曲や歌詞などのリンクは2010年 7月現在・有効なものですが、その後リンク先サイトの都合でページが繋がらなくなる可能性もありますのでご承知おきくださいませ。