「鉄道員は見た!」を読んで
近藤 貞二「鉄道員は見た!」難波とん平(なんば とんぺい)/梅田三吉(うめだ さんきち)著
発行:新潮社
音声デイジー 4時間27分
何やらサスペンスもののタイトルのようですが、これは現役鉄道員二人のエッセイ集です。
元々は「鉄子の部屋(てつこの『てつ』は『鉄道の鉄』)」という題名のメルマガとして、現役の私鉄社員、運転士の難波とん平さんと駅員の梅田三吉さん(どちらもペンネーム)が共同で発行していたメルマガを本にまとめられて文庫化されたものだそうです。
内容は、関西の私鉄に勤務している現役の鉄道員二人が、自らの体験談や同僚らから聞いた話をまとめたもので、てっちゃん(鉄道ファン)が喜ぶような専門的な内容ではなく、日々の業務の中で感じたことやできごとが書かれています。
しかし、業界の方が書かれたものですので、その職業ならではの苦労や楽しみ、ものの見方などが新鮮で、鉄道を利用することが多い私としても、なかなか興味深く読みました。
例えば、電車の運転士として独立するまでの大変さや雨の日のブレーキの難しさなど、運転士の本音があったり、酔っぱらいの話や信じられないようなできごとなどなど。そしてまた、痴漢の話とか、飛び込み自殺などの遺体処理の話など……。ちょっと生々しい話もありますが、総て現場で働く鉄道員ならわでの話がつづられており、鉄道員としての仕事に誇りを持って働いている姿勢が感じられる一冊です。
ところで、私がどうしてこの本を読みたいと思ったのか…。
それは、私は「てっちゃん」と言えるほど鉄道に詳しい訳ではありませんが、電車は好きで、ちょこっとだけ鉄道ファンだからです。
私はこの本を読みながら、もうずいぶん前に亡くなった父のことを思い出していました。
父はかつての国鉄に勤めておりまして、一浪して国鉄マンになったそうです。
仕事の内容はよく知りませんが、名古屋港の事務所に長くいたそうですので、おそらく貨物関係の事務職だったと思います(当時は船と提携した貨物列車による輸送が盛んでした)。
けれど、病気のために数年でやむなく退職しました。一浪してせっかく入った国鉄でしたが、たぶん10年足らずの勤務だったと思います。
その後結婚して私が生まれたのですが、小さい頃はよく父親の膝に乗せられて、ゴトゴト揺すりながら電車の話を聞かされたことを覚えております。まだ新幹線が走っていない昭和30年代半ばのことです。
昭和30年代といえば特急列車花盛りの時代、東海道本線だけでも、こだま、つばめ、はと、さくらなどなど、一度も見たことも乗ったこともありませんが、父の膝の上で話を聞くだけで子供心にわくわくしていました。
おまけに数年後には、夢の超特急(現在の新幹線)が走ると聞かされては、もう超特急に乗っているような気分でした。
そして、身近な名鉄には「パノラマカー」(新しいウィンドウが開きます)という、流れるような大きな窓に赤い車体、見晴らしばつぐんの前面展望車両に「どーけーよーどーけーよー…」と聞こえるミュージックホンは、いかにも速そうで私の心をつかみました。
残念ながら名鉄のパノラマカーは、2008年12月26日を最後に、定期運用が終わってしまいましたが、今も私の心には、赤いパノラマカーが走っています。
ちなみにパノラマカーは、1961年に名鉄の特急列車として投入されましたが、日本初の前面展望席で、日本初の冷暖房完備の車両だったそうです。
さて、そんなわけですから子どものころ、「大人になったら何になりたい?」と聞かれると、すかさず私は「電車の運転手」と応えていました。
その頃の私の視力では、電車の運転などできないということを認識していたのかどうかは疑問ですし、本気で思っていた訳でもないでしょう。しかし、私のみならず、当時の男の子の多くの夢は飛行機でも車でもなく、電車の運転手だったと思います。
「RAILWAYS 49歳で電車の運転士になった男の物語」という映画がありましたが、子供たちにとって電車は、それほどまでに身近で夢のある乗り物であったことは間違いありません。
いえいえ、最近は子鉄(子供の鉄道好き)や男性ばかりでなくて、子供と一緒に電車を楽しむ「ママ鉄」と呼ばれるお母さんも増えているそうですよ。
とにかく、鉄道好きな人が多いことは間違いないでしょう。
話は変わりますが、盲学生の弁論を聴くと、中学生でも将来は「○○なはり灸マッサージ師になりたい…」という趣旨の主張をよく聞きます。
という私も、盲学校の中学生のとき、同じような言葉で弁論を締めくくった記憶があります。
仕事は何であれ、将来の夢や希望を持つこと自体はすばらしいことですし、子どもの頃の夢が変化していくことも至極自然なことでしょう。
しかし、私自身のことを振り返ってみると、子供の頃に「電車の運転手になりたい」と思ったのは、父から聞かされた特急電車の話や赤いパノラマカーを見て、電車に対する子供心の単純なあこがれでした。そこには、視力がどうのとか、安全がどうのとかいう意識などなかったはずです。
それがまだ中学生だというのに、将来ははり灸マッサージ師になるものだと、勝手に決め込んでいたのです。決め込んでいたというより、それが当時は私も周囲も、目が見えなければ、はり灸マッサージ師になるのが当たり前の風潮でもあったのかもしれません。
はり灸マッサージの仕事がどうのということではありません。目が見えないことで、当然のようにはり灸マッサージ師になるものだ…。あるいはなれるのだと、夢をみなくなってしまうところに問題があるのです。
もちろんそのような人ばかりでないことは知っていますが、私のように、そうしてはり灸マッサージ師になった者は、本人も治療を受ける側も悲惨です。
話を戻しますが、今回この「鉄道員は見た!」を読んで、父のことや自分の過去についてまで思いが広がってしまいましたが、実際にはこの本、鉄道ファンでなくても楽しく読める本です。
ただ、著者の二人は本当に鉄道員の仕事が好きなことが伝わり、私の父もまた、電車の運行には直接関わっていませんでしたが、著者の二人に負けないくらい、やはり鉄道の仕事が好きだったのだろうと思いをはせ、現在の自分と重ね合わせてしまいました。
ところで、表題とは全く関係ありませんが、ウグイスのさえずりが録音できましたので、今回はそれをお届けします。
録音物のタイトル:「春となり」
録音日:2010年3月16日
録音機材:三洋電機製ICレコーダー(ICR-s250rm)
このウグイス、私の職場の裏庭で、こっそりさえずる練習をしていました。こっそりといったってウグイスですもの、どこで鳴いたってバレバレですけどね。
というわけで、こっそりは私の録音でした。
だって、こんなに近くでウグイスがさえずっていたのは初めてでしたので、急いでICレコーダーをセットしました。
まだちょっと下手くそなさえずりかなって思いますけど、その後も2・3日はきれいな鳴き声で楽しませてくれました。
ウグイスは、スズメ目ウグイス科、ウグイス族に属し、体長は15センチぐらいで、スズメよりやや大きいそうです。
ご存じのように、ウグイスは「ホーホケキョ」ときれいな声で楽しませてくれます。このさえずりを知らない人はいないと思いますが、ホーは吸う息、ホケキョは吐く息だそうです。
ウグイスに聞いたわけではありませんが、調べたらそんなふうに書いてありました。
今はあのウグイス、どこに行ったのでしょう?山で元気にいてくれることを祈っています。
ところで、これも調べて分かったことです。
ウグイスは実際には見たことはありませんが、色は柔らかな黄緑色のようなきれいな色だと思っていましたが、実際のウグイスの羽の色は、緑よりも茶に近いくすんだ地味な色だそうですね。
また、ウグイスといえば梅を思い浮かべますが、これも梅の木を好んで留まるわけでもなさそうです。実際に、私の裏庭には梅の木はありません、
梅の木はありませんが、来春もまた来て、上手にさえずれるようになるまで、ゆっくり練習場にしてくださいね!ウグイスさん。それまで待ってます。