一泊二日の長い・長い旅の思い出
小野田学(昭和57年)8月一日(日)雨
今朝も小雨がこぼれかけた雨空。一昨日東海地方にも漸く梅雨明が伝えられたものの、昨日も今日も雨空。真夏の陽射と厳しい炎暑が何時になったらめぐまれるのか?
台風10号が近づいているとの予報。1泊二日間の「寸又峡温泉」への旅は大丈夫なのか?
岡崎市内の監事宅へ電話。「小雨でも行います」との観光会社からの返報とのこと。初めて訪ねる山峡への旅の期待と夢と台風への幾らかの不安を抱きながら、朝食後集合予定地の岡崎へ急ぐ。
朝9時。参加予定の25,6名があい集う。豊田観光の小型バスが既に到着して居て、一同乗車。林道の狭さゆえに大型バスは無理で、小型バスとのこと。今夕晩東海地方に上陸すると言う小型台風も「たいしたこともあるまい」とのあの声・この声。某研究会で企画された寸又峡行きが昨年9月下旬の大型台風に急遽取り止めとなったことから、今年は台風を避けて8月始めを予定日として、昨年の企画をそのまま実施しようと言うことになり、僕も誘われるままに出かけたものだった。
バスは次第に本降りになった雨の中を静岡県は大井川中流、お茶の産地として知られた本川根町・千頭へ。
春の川霧のおかげか、お茶の栽培に適した大井川沿いのこの辺りは「川根茶」で広く知られた所。そこで、バスを離れて、例のミニミニSLに乗ること3,40分くらい。「きしゃぽっぽ」の旅の懐かしさ・珍しさに台風の心配など殆ど感じられないほどの列車内の明るい雰囲気。奥泉駅下車。先ほどのマイクロバスに乗り換えて、狭い林道をうねうねと通り過ぎて、間もなく今宵の予定の山荘着。
幾年か前にこの寸又峡に韓国人の一人が大量のダイナマイトを持って投宿。いわゆる「きん きろう」事件としてマスコミで幾日も騒がれた事件のあった所で、予約した宿に着いて「この宿の隣であの騒ぎはありました」とベテラン仲居さんの説明を夕食の膳に向った席で聞く。「危険だから近所の旅館は避難命令が出ましてね、大変でした」とのこと。
雨はむやみに激しさを増す。懸念されていた小型台風は速度を速めて今夕伊良湖岬付近に上陸。さらに、速度を速めて明日未明ひは富山湾付近に吹き抜けるとのテレビの予報。
大したことも無さそうな要すに安堵。好きな者数名、だれかが持ち込んだ将棋板2,3面で大いに将棋を楽しむ者。ビールの快さの中で久々の再会を喜び合い、近況のあれやこれやを語らう者も。
夜になって、屋根を打つ雨音が増す増す烈しさを増す。
夏の暑さは薄れたものの、山荘の屋根を叩く雨音の凄まじさはかくべつ。話し声もしばしば妨げられるほど。こんな激しい雨音は僕には初めての経験。風などは殆ど感じられないほどだった。
8月二日(月)小雨後曇り
あれほど激しかった雨も何時しか小雨となっていた。
朝食後「さあ帰路に着く」と予定したとたんに「林道が壊れてマイクロバスも下りられない」との旅館側からの言葉。
さあ大変!、さあ困った!どうすべきか?
やがて、監事さんたちの相談の結果は「もう1泊しよう」と言う予定変更の知らせ。
困った! とはいえ、バスが降りられないのでは予定変更を受け入れざるを得ず。早速、各自その旨を自宅への電話。
25,6人がそれぞれ電話機に取り付くのだから、暫し大賑わい。
「明日も臨時休業」を家人に伝える。「明日は幾人かの患者を予約しているのだが てんてんてん」
まあ仕方がない。こんな時はさっさと諦めること。後は談笑。一部の者がまた将棋板を持ち出して、「王より飛車をかわいがる」様な大騒ぎ。あるいは、昼食後雨がやんだので、この辺りで有名な吊橋を渡ろうと出かける者、などなど。
テレビで富士川の東海道線の富士川鉄橋の損壊とか、国道1号線などの特に静岡県内での普通箇所多数とのニュースが頻りに伝えられている。
夜に入って又昨夜に勝る雨音の激しさ。監事と宿の関係者、観光会社の添乗員などで明日の予定についての打ち合わせなど。
8月三日(火)小雨後時々晴れ
あれほど激しかった昨夜の豪雨も漸く小雨の空となる。
早早の朝食。国道1号線など静岡県内の道路の寸断の凄まじさに、このままでは林道の改修など何時になるか全く見通しがつかない様子。ともかく、1刻も早くこの山峡を辞去(否脱出)しなければとの監事たちの打ち合わせの結論が伝えられる。
往路の林道の損壊が激しいので復路はべつの林道を通るとのこと。寸又峡旅館組合の数名が乗った小型トラックが先導してくれての下山。
道路の損壊部でトラックの乗員が降りて砂袋やスコップ作業で道路を修理しながらの下山。崖の上から滝のように流れ落ちる水の凄まじさ、反対側の寸又川の激流のものすごさにバスの中はしばしば悲鳴。永い時間の後漸く大井川鉄道の終着千頭駅にたどり着く。寸又峡を漸く脱出できた! やれやれ安心!
千頭駅の待合室で暫し待つうちに大井川鉄道寸断の凶報。間もなく大井川の氾濫と言う。そして、警察官数人がやってきて地域住民に対し避難勧告とのこと。
道路へ出てみたら膝くらいの高さまで水が出て流れている。
警察のゴムボウトで幾人かずつ高台への道路まで。僕は真っ先に道路を渡るはめになったばかりに警察官が負ぶって渡ってくれる。
「このくらいの水なら歩いて渡る」と言ったが、「流されてはいけないから」と無理やりおんぶされたのだった。ゴムボウトにぜひ乗ってみたかったと言うのが僕の本音。
本川根町の計らいで「老人憩いの家」を利用させて貰う。空は漸く小雨も上がる。じりじりと蒸し暑さが忍び寄る。
しかし、この施設は山の高台ゆえに水の心配などは全くなし。
大井川鉄道も寸断されており、完全に普通とのこと。今宵もまた帰宅は無理。
明日の家業の思い掛けない休業も諦めざるを得ず。小型の公衆電話に取り付いててんでに「無事と今宵までに帰宅できない」旨の各自宅への通知。
小型の公衆電話機だけに10円玉が直ぐに満杯になり、電話も不可能となる。無線電話などは夢のまた夢。各自の自宅に参加者名簿があるので、各自の自宅に幾人かの電話取次ぎを依頼せざるを得ず。
添乗員もバスガイドもその様子から遠慮して本社や鉄道関係、道路関係者との連絡打ち合わせなどは町まで出て、公衆電話を利用していたほど。
飼育している小鳥たちが死んでしまうと騒いでいた者もいたが、いかんともなしがたし。さっさと諦めることだとの助言の声も。
町の婦人会などのあり難い計らいで、僕ら20数名と他に数人の足止めグループの人たちのために昼食夕食の炊き出しのご配慮。そのお結びなどに込められた人の暖かさを心ゆくまで味わいながら腹に収めたのだった。
8月4日(水)真夏の晴天
すばらしい晴天。公衆電話が10円玉一杯で使用不能と成る。
昼過ぎになって「大井川鉄道が部分開通」との頼りに一同大喜び。道路水害後遺症でバスの通行はなお不可能。やむをえず添乗員やガイド嬢もマイクロバスを千頭駅近くに止めたまま、部分開通したと言う大井川鉄道を利用することとなる。
1区間くらい歩いては1、2区間くらい列車に乗り、又1区間くらい線路上を歩いて次ぎの列車で2,3区間乗り、などと2時間くらいの行程だったのを4時間くらいも要して漸く新金谷まで辿り着く。
観光会社のべつのマイクロバスが迎えに来ていて、そこからは往路と同様すんなり岡崎まで帰着したのだった。
疲れた! 疲れた! 皆ぐったりの様子。ともかく、1泊二日の予定が3泊4日になり、しかも何時帰宅が叶うかも知れぬ4日間を過ごしたのだから、其れもやむをえないこと。
観光会社の添乗員やガイド嬢、監事を勤められた役員2,3名の疲労困憊ぶりがいっそう痛々しく写るひと時だった。
ガイドさん、添乗員さん、役員さん本当に御苦労様でした。そして、有り難うございました。
漸く夜7時過ぎになって帰宅できたのだった。
その翌日僕は早速本川根町役場宛に個人的に鄭重なお礼の電話。
その後、時たま当時の役員などと会うたびに炊き出しのお結びの美味しさあり難さ、町当局の真に親切なご配慮が幾度も話題になったほどだった。