バリアフリーを考える
近藤貞二いつ頃からか、「バリアフリー」だとか「ユニバーサルデザイン」などという言葉をよく耳にするようになりました。何とも耳りいい響きだと思いませんか?
そこで今回は、「バリアフリー」について考えてみることにしました。
まず「バリアフリー」をインターネットのフリー百科事典「ウィキペディア」(新しいページが開きます)で調べてみましたら、以下のように出ていました。
バリアフリー(Barrier free)とは、広義の対象者としては〈障害者〉を含む高齢者等の社会生活弱者、狭義の対象者としては障害者が社会生活に参加する上で生活の支障となる物理的な障害(障碍)や精神的な障壁を取り除くための施策、若しくは具体的に障害を取り除いた状態をいう。一般的には障害者が利用する上での障壁が取り除かれた状態として広く使われている。
と書かれていました。
また、「ユニバーサルデザイン」は以下のように書かれています。
ユニバーサルデザイン(Universal Design、UDと略記することもある)とは、文化・〈言語〉の違い、老若男女といった差異、障害・能力の如何を問わずに利用することができる施設・製品・情報の設計(〈デザイン〉)をいう。
とあります。
以上のことから私の解釈では、主に障害者が生活する上での障壁を取り除いた状態あるいはその施策を「バリアフリー」と言い、障害者や高齢者はもちろんのこと、誰もが使うであろうことを最初から考慮して設計する考え方あるいは設計されたものを「ユニバーサルデザイン」と言うのだろうと解釈します。
もっと具体的に言えば、例えば段差がバリアになっている場合、その段差を削って段差を無くすことがバリアフリーであり、設計段階から段差を作らないようなデザインにするのがユニバーサルデザインでしょう。
とすれば、総てがユニバーサルデザインであるならば、そもそもバリアフリーという考え方は無いはずなのですが、ユニバーサルデザインという概念の方がバリアフリーよりも後から提唱されたようです。
いずれにしても、障害者にとってはうれしいはずの概念であることは確かでしょう。
ということで前置きが長くなりましたが、今回はバリアフリー、特に鉄道駅のバリアフリーについて考えてみます。
なお、上では「バリアフリー」と「ユニバーサルデザイン」とを区別しましたが、以降では区別せずに総て「バリアフリー」として記します。
実は私がいつも利用する鉄道の最寄り駅は、町の駅周辺整備事業の一環として、最近新しい駅に作り変えられました。
それまでの駅は、急行は止まるもののホームはとても狭く、3線で2面あるうちの下りホームは島式で雨よけの屋根もありませんでしたので、雨の日には狭いホームを大勢の人が傘をさして改札へ急ぐという、とても危険なホームでした。
それが何と、今年2月には立派な駅になって生まれ変わりました。
2007年1月5日付の鉄道会社のニュースリリースには、「バリアフリー化され2月10日から供用を開始」という見出しで、バリアフリー化されて新しくなった駅の報道発表がありました。
そしてそのニュースリリースには、狭かった下りホームの拡幅を行ない、安全性の向上を図ったこと。橋上駅舎とホームを結ぶ車椅子対応エレベーターの設置やホームの嵩上げなどを行い、バリアフリー化を推進したこと。などが書かれてありました。
また、「ホーム上の待合室の新設や橋上階部分に売店を設置するなど、利便性と快適性の向上も図ります。」とも書かれてありました。
私は、この駅が完成する以前から、エレベーターが設置されるなど、障害者にも配慮された駅になることは聞いていましたので、どのような駅になるのか関心をもっておりました。また、どのような報道発表があるのかにも興味がありました。
できあがってみると想像していたより大きく、とても田舎の駅とは思えないほど立派な駅になりました。
駅の大きさはともかく、線路を挟んで南北の通行が可能な自由通路ができ、北口と南口それぞれに改札階へのエスカレーターとエレベーターがあり、改札階と上下それぞれのホームへのエレベーターも設置されています。もちろん、いわゆる点字ブロックも敷設されており、視覚障害者のための誘導音もピヨピヨ鳴っています。
また、狭かったホームは拡幅・嵩上げされて、車輌との段差が解消されて車椅子でも楽に乗降しやすくなったと思います。
なるほど、その意味では上記のニュースリリースにもありますように、たしかに障害者や高齢者にも配慮された「バリアフリー駅」と言えるのかもしれません。
しかし、ホームはどうでしょう?
ホームは広くなったとはいえ、そして車椅子でも乗り降りしやすくなったとはいえ、以前として危険がいっぱいであることには変わりはありません。特に視覚障害者は、ホームからの転落の心配やホーム上の障害物など、バリアはいっぱいです。
私たち視覚障害者のみならず、健常者でもひとつ間違えば線路上に転落して死んでしまうかもしれないような危険なホームなのに、それでも「バリアフリー化」などと言えるのでしょうか?また、そのような危険な駅でも「快適な駅」などとも言えるのでしょうか?
私は、鉄道会社の上記のニュースリリースを読んで、そして実際に何度か新駅を利用してみて、「バリアフリー化」という鉄道会社の報道発表に大きな疑問と違和感を感じました。そして、公共機関としての会社のバリアフリーについて、その姿勢を知りたく思いました。
そこで私は、ホームから改札階へ上がる階段の上り口でピヨピヨ鳴っている誘導音をもう少し大きくしてもらいたい旨の要望を添えて、上記の疑問を電子メールで鉄道会社にぶつけました。
鉄道会社からは以下のような回答メールが届きました。以下はその一部です。
当駅は多種多用な車両が発着するため、ホームドア・柵の設置が大変困難であり、現在は設置する計画はございません。申し訳ございません。
なお、ホームに設置されている警告ブロックにつきましては、現行の基準を満たすものを設置させていただいておりますほか、車両間の転落防止幌の設置を継続して実施中でございます。
ご不便をおかけし大変に心苦しいのですが、何卒ご理解をお願い申し上げます。
階段付近の誘導音につきましては、新駅舎の営業直後から近隣の方からご苦言をいただいており、ボリュームにつきましてはご苦言をいただかない範囲での調整となります。
何卒ご理解をお願い申し上げます。
以上が鉄道会社からの回答ですが、私は、この駅にホームドアもしくはホーム柵の設置を求めるメールをしたわけではありません。将来ホームドアもしくはホーム柵の設置など、安全第一のバリアフリーを願って、鉄道会社のバリアフリーについて、その考え方と方向性を知りたかったのです。
けれど、鉄道会社が形の違う多種な車両を作り続ける以上、ホームドアもしくはホーム柵の設置など永遠にありえないでしょう。
そして、誘導音についても、聞こえないような誘導音では無いに等しいです。バリアフリー対策のひとつとして設置されたはずの誘導音なのに、必要としている者が聞こえるようにもう少し大きくしてほしいと望んでいるのに、必要でない人の意見のほうが大切のようです。それがこの鉄道会社のバリアフリーについての姿勢だと、回答を読んで私はそう思いました。
ちなみに、駅の改札に上がるエスカレーターの上り口にも「改札方面上りエスカレーターです」のような案内音が流れていますが、こちらは管理者である町役場の担当者にお願いしましたら、やや離れた所からでも聞こえるくらいに大きくしていただけました。
鉄道会社の言う「近隣の方からご苦言」とやらは何なのでしょう?
最近よく「バリアフリー」などという言葉を耳にしますが、鉄道会社に限らず、世間に向かっての高印象をアピールするための材料にしかされていないように思えるのは、私のゆがんだ考えからなのでしょうか?
インターネットの新聞記事を検索してみても、全国では駅ホームからの転落事故がいかに多いかが分かります。その多くが健常者ですけど……。
そして転落事故を記した新聞記事には、決まって「この事故のため○○人の足に影響…」などと、まるで一人の身体よりも大勢の迷惑の方が大切のような書かれ方をされてしまいます。
酔っぱらっていたにせよ、不注意だったにせよ、これだけ多くの人が傷ついているのに、落ちるようなホームを作り続けるのは、不良品を作り続けるのと同じだと考えます。
少なくとも鉄道会社は、ホームが危険であることを十分わかっておりながら、しかもその危険をかかえたままで、「バリアフリー化」などと安易に言ってほしくないと私は強く思いました。
それにしても「バリアフリー」って何なのでしょう?
ここまであれこれと書いてきたのですが、私の頭の中はいつもそんな疑問が巡っています。
ある人にとってはバリアフリーであっても、ある人にとってはバリアになることはありうることです。
例えば、総ての床をフラットにしてしまえば、車椅子ユーザーにはバリアフリーでしょうけれど、視覚障害者にとっては自分がいる位置が分かりにくく、かえってバリアを作ることになってしまいます。
また、上でも書きましたように、以前はこの駅、何年か前に必要な所に点字ブロックは敷設されましたが、ホームは狭いは行き先の案内放送は無いわで、バリアフリーにはほど遠い駅だったと思います。
けれど、私はその駅をもう何十年も利用しているものですから、それほどのバリアは感じておりませんでした。
ところが、バリアフリー化されたはずの新しい駅になって、とても神経を使って利用しなければならない状態になってしまいました。
狭くてバリアでいっぱいだったはずの駅より、バリアフリーに配慮されて作られたはずの駅の方が神経を使わなければならないということはどうした皮肉なことでしょう?
これには二つの理由を考えています。
まず一つ目は、視覚障害者の場合は慣れの問題が大きいと思います。
以前の駅は狭かったからこそ私には、障害物や危険な場所も安全に歩く目印として探しやすかったのでしょう。
そして新しい駅は、まだ十分全体が頭の中に入っておらず慣れていないのだろうと思います。
しかしそれは私個人の慣れの問題であり、やはり誰もが初めての所であっても安心して利用できなければバリアフリーとは言えないでしょう。
二つ目は、以前は電車が駅に近づくたびに駅員さんが出て、いちいちスイッチを操作して構内踏切の遮断機の上げ下げをしておりました。また、自動改札ではありませんでしたので、切符も改札の駅員さんに手渡しでした。
そのようなことから、駅員さんの目が駅全体に行き渡りやすいという、不確実な安心感が私の中に無意識にあって、それが設備としてのバリアフリーを上回ったのかもしれません。
であれば、ハード的なバリアフリーがなされなければいいかと言えばそうでもなく、やはりハード面とソフト面は車の両輪のようなものでなければならないし、そしてまた、せっかくのバリアフリーの設備も運用の仕方によっては意味のないものになってしまいます。
このように、事例一つを取っても、それぞれの立場によって感じ方はまちまちだと思いますし、総ての人に完璧なバリアフリーなどないのかもしれません。
あったとしても、経費の問題などで、総てがすぐにできることではないでしょう。だからこそ低いゴールではなく、もっと遠くを見据えたバリアフリー対策が必要だと考えます。