泣き笑い
佐藤文子2月のある土曜日の午後。実家の千架ちゃん(弟嫁)から電話で「姉さん、お母さんがもう駄目みたい。
先生が会わせたい人がいたら連絡するようにって…」
私は、娘達と一緒に大急ぎで大分へ帰りました。
博多駅に着いたのが19時過ぎでした。
迎えに来た弟は「遅いから病院は明日にしよう。どちらにしても夜に入ってから眠ってるだけみたいじゃけん」と。
翌朝、病院へ。その日の17/35分に昏睡状態のまま母は、静かに息を引き取りました。
平成16年4月の下旬。実家の弟から電話がありました。
「婆ちゃんが胆癌でもう手がつけれんみたいじゃけん…。先生は、年だから何ヶ月持つとはハッキリ言えんじゃと。
俺は、先生に『可哀想じゃけん延命治療は止めて下さい。苦しまないように・痛まないようにお願いします…』と、頼んじゃけん姉ちゃんも承知しといてくれな。むげねぇけん 仕様がねぇわ。
それにしても、84才まで一度も病気にならんかった方が不思議なぐらいじゃけんな…」お互いに溜め息ばかりでした。
そして、あの日から10ヶ月後。
私が新幹線で向かっている途中。19時に担当医に母は「苦しいけん眠らしち下さい」とお願いしたそうです。
そして、そのまま2度と目を覚ますことなく永遠の眠りに就きました。
病院から家に帰ると、ばたばたと人の出入りが次から次へと。
眠らぬ一夜が明け、午後19時。通夜の時刻になりました。
ごいんげもお見えになりお経が始まりました。
(ここからは、晴眼者が見た話もまじえます)
顔を真っ赤にしたごいんげは、母の寝かされている仏壇の前に座わると
お経を上げ始めました。ところが、何を言ってるのやらムニャムニャと聞いてる者には分かりません。
次は、お説教です。初めは皆静かに聞いていましたが、お経と一緒で何を話しているのかさっぱり??。
その上、何が可笑しいのか時分で言って自分で「ハハハ ハハハ」と楽しそうに笑っています。何か妙に
思った私は隣の人に聞いてみました。
「どうかしたんですかごいんげは?何を言ってるのかさっぱり分かりませんねー?」
その人は「酔っぱらっちょるんだわっ」と教えてくれました。
周りも皆その時分にはくすくす笑っています。
私は又
「何時もああなんですか?」
「うん、いつもじゃわ」
その間にもごいんげは、何か言っては母の布団にかぶさったり一人で喋って「ハハハ ハハハ」と本当に楽しそうに笑っています。
又、隣も面白い人で
「長いなあいつまで話取るじゃろか?こりゃなかなかおわらんばい・オオッ、今度は宮沢賢治が出てきたぞ・
こーりゃ、婆ちゃんがビックリして飛び起きにゃいいが」等々言っているものですから もう、周りは笑いの波…。
そんなことにはお構いなく、ごいんげのお説教は止むことなく続きます。
笑い出したら止まらない私。堪えきれず廊下に飛び出しました。
やがて、何が何だかさっぱり分からない長い長いお説教が終わった
ごいんげは、玄関とトイレを間違えてうろうろ ウロウロと。皆(唖然)……。
そんな雰囲気の仲で、ごいんげの目の前で厳粛な気持ちで座っていたであろう弟に聞きました。
「ネエ、おかしかったねぇ 笑えたやろ?」
弟は「何言うちょるんや!ごいんげの目の前で、なんぼおかしゅても笑えるかーこらえとかにゃしょうがねえじゃろが……」と怒ったように憮然として言いました。
平成17年3月記