かさかかげ
松尾敏彦
雨の日に、傘を差した人が路地で擦れ違う際に、 相手に傘からの水滴がかからないようにするため、 傘の内側を少し高くする所作のことを「かさかかげ」と言います。
それは、礼儀とか作法などというものでもなく、ごく普通に行われる所作。
さりげなく当たり前のように行われると、きっとその人の所作は美しく映るのでしょう。
私が昨年決めた自分へのテーマは、「何事もさりげなく」なのですが、これがなかなか難しいのです。
身近なことでは感謝の意での贈り物です。
送る間合いも含めて、負担に感じさせず、でも軽視したように受け取られても困るので、さりげなく受け取っていただける価格とか内容の商品が求められます。
勿論、そんなこと無視して間が悪くても高価な商品とか商品券というのも喜ばれるのかもしれませんが、
少なくともそこに感謝の気持ちは感じとっていただけるのか、
或いは、先方のことを考慮したという意思が伝わるのかとても疑問です。
「やったー」、「うれしいっ」、「すっごい」は伝わるでしょうが果たしてそれだけで!!
さりげなくと思えば思うほど「必死」になってしまって、いつのまにか頑張るとか試行錯誤とかさりげなく徒は程遠い姿になっています。
必死が悪いというのではなくて、やっぱり良い年をした大人としてはね!!
自分だけのことだとしても、いろんなことがさりげなくできればステキだと思いませんか?
ただし、その場合隠れたところでの努力は必須でしょう。
そして、他人に対してはさりげない気配りと行動ができればと思うばかりで、現実はとてもとてもそれどころじゃありません。
ひとりで考えて身に付くようなことではなく、 人から受けたさりげない気配りとか所作から学びとるものだろうと気づいたのは、もう良い大人になってからのことです。
それまでにきっと多くのさりげないものを受け取ってきたはずなのに、
ぼうっとして学ぶことなく過ぎてきた私です。
自らを演出するために必要なさりげなさ、
他人に対して求められるさりげなさ。
その両方が身に付くにはと考えるだけで、いったいどこから何をどうしたら良いのか判らなくなります。
そして、どちらがどこまでという範囲が無くて、それぞれ干与していると思えば、 とても難しいことをテーマにしたと思います。
"さりげない"という形容詞に続く言葉を書き出してみると、数ではなくて、その実現の難しさを実感します。
さりげないお洒落、会話、気配り、気遣い、行動、解除、応対、援助、etc。
自分を演出するために必要なさりげなさとは、お洒落であったり会話であったり、 ちょっと注意すればできそうな、いや、できないのかも……。
お洒落も会話も、他人に評価される訳ですから、どのように磨いたら良いのでしょうね!!
関心がなければお洒落のセンスを磨くこともできないでしょう。
無知では会話の内容も薄っぺらになってしまうでしょう。
しかし、知識をひけらかしたり理屈っぽくなったり、御託を並べたりするようでは、 お洒落とは程遠いものになります。
それに加えて他人に対して求められるさりげなさまで考えると……。
はてさていったいどうしたものでしょう。
さりげないサービスで持て成していただけるホテル、レストラン、居酒屋や喫茶店。
これらは規模の大小に関係なくとても気持ちよい時間を過ごさせてくれます。
公的な施設や病院などのように、本来もっともさりげないサービスの提供があって良いはずの施設はどうなのでしょう。
いえいえ、今は他人や他のことよりも自分の成長を摸索してのテーマなのですから、
横道に逸れている場合じゃありませんでした。
生涯に渡ってのテーマであることは間違いないですが、どこまで身に付くのか心配しながら、ここらでお開きとします。
さりげない逃げだしで失礼します。