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慰安婦システムは合法か? (4/5)

4.慰安所の実情_漢口慰安所の場合

この項では、山田清吾「武漢兵站」と長沢健一「漢口慰安所」をもとに、慰安所の現場でどのようなことがあったのかを見てみます。

漢口慰安所は1938(昭和13)年11月、300名の慰安婦を抱えて開業し、終戦により廃業するまで続きました。おそらく日本軍慰安所で最大規模クラスの慰安所だと思われます。長沢氏は軍医として開業から廃業までここで過ごしています。慰安係長だった山田氏は、軍と業者との癒着があって慰安係長の任期は1年、といわれた状況のなかで、1843(昭和18)年3月から終戦まで2年半近くにわたって慰安係長の職にありました。彼が行った漢口慰安所の管理はおそらく日本軍慰安所の中でも最高レベルのものであり、他の慰安所の多くはここまでの管理はできていなかった、と思われます註13

(1)業者との癒着註14

長沢氏は、業者から次のように脅された、といいます。「堅物の警察署長などがガミガミ取り締まったら、酒と女とコレ(金)で酢だこにしてしまう。それでも利き目がなければ、警察本部を動かして邪魔な署長は転勤か首にしますわ。軍隊も同じ、軍医さんでもあまりいちびりはったら、えらい目にあいまっせ」。

また、「将校向けの料亭を開業する便宜を与えて欲しい」という後方参謀の紹介状をもった業者が現れて、やむを得ず場所の提供や渡航の便宜を図ったが、連れて来た20人の女たちの書類上の身分は事務員となっていた、とも述べています。

(2) 業者の監視・管理註15

漢口慰安所では設立当初から業者に組合を組織させ、この組合を通じて業者を管理する仕組みを作りました。慰安婦の増減、収入・支出額、登楼者数、などのほか、慰安婦ごとに借金の回収状況などを定期的に報告させていました。

山田氏は次のように述べています。「借金返済の原簿である個人別の水揚帳なども、何か理由のわからない時貸しがあったり、ひどいのは兵站から公定で配給した敷布や寝間着類まで、地方の時価で書き込んであったりする。そういう点を問いつめると全く申開きのできない楼主もいた」。

こうした管理は、慰安所の管理者である軍として、当然、実施すべきことですが、軍として全慰安所にそのような管理を指示した様子はなく、業者との癒着とあいまって実施していない慰安所があったことは否めないでしょう。

(3) 慰安婦条件の確認註16

{ 慰安婦が到着すると、… 本人の写真、戸籍謄本、誓約書、親の承諾書、警察の許可書、市町村長の身分証明書などを調べ、所定の身上調書をつくり、それに前歴、父兄の住所、職業、家族構成、前借の金額などを書き入れる。身上調書は写しをとって、憲兵隊へまわしておく。}(山田清吉「同上」,P86)

こうした入国チェックのような業務は慰安所発足当初は領事館で行っており、そのため3項(2)に記したような問題が報告されていたのですが、その後軍側に業務移管されています。

{ 内地から来た妓はだいたい、娼婦、芸妓、女給などのの経歴のある20から27,8の妓が多かったのにくらべて、半島から来たものは前歴もなく、年齢も18,9の若い妓が多かった。「辛い仕事だが、辛抱出来るか」と尋ねると、あらかじめ楼主から言われているのか、彼女たちはいちように仕事のことは納得しているとうなずいていた。}(山田清吉「武漢兵站」,P86-P87)

楼主から釘を刺されれば、なかなか本心はしゃべれなかったでしょう。朝鮮人の中にはまともに日本語をしゃべれない者もいたようです。
戸籍謄本に16歳と書いてある朝鮮人女性、軍の酒保で働くなどと騙されて来た女性、陸軍将校の集会所である偕行社に努める約束できたので慰安婦とは知らなかったと泣き出した女性、などの事例が報告されています。

長沢氏は「奴隷」という言葉を使って、特に朝鮮人がひどかった、と述べています。

{ 朝鮮人業者の中にはひどい例もあった。証文も何も書類らしいものは一切なく、貧農の娘たちを人買い同然に買い集めて働かせ、奴隷同様に使い捨てにする。これでは死ぬまで自由を得る望みはないのだが、女たち自身もそうした境涯に対する自覚は持っていないようであった。}(長沢健一「同上」,P64)

(4) 契約の改善と問題註17

山田氏によれば、漢口慰安所ができた当時、「朝鮮人の妓たちは、まったくの奴隷で、酷使収奪されていたものを、内地人の妓同様に借金制度に切り換えられた」、といいます。これは、朝鮮人慰安婦たちの契約が、いわゆる「年季契約」だったことを意味しています。一方で、ほとんどが娼妓経験者で契約のことを知っていた日本人慰安婦は、前借金による契約だったと思われます。

山田氏はまた、次のようにも述べています。「妓は自分の身体で稼いで前借を返さねばならぬという拘束がある。何とも不合理な話なのだが、私にも特別の配慮のしようがない」、と述べています。これを裏返せば、借金完済まで慰安婦をやめることはできない、と考えていたわけで、本レポート2項で国際連盟が指摘した問題に対して政府が回答した「借金が残っていても廃業できる」という状態ではなかったことを示しています。

参考)慰安所は必要悪か?註18

慰安婦システムの問題の背景には、年季奉公や前借金契約を前提とした売春や慰安所を必要悪として認める風潮があったと思われますが、慰安所は不要という人も少なからずいる一方で、極端に美化するような人もいました。
以下は、山田清吉氏が調査した軍人や作家などの慰安所に対する認識です。

武漢兵站司令官 堀江貞雄大佐; 特殊慰安所を軍が施設として持っていることにはいろいろ意見もあろうが、現在のところ必要悪として認めなければなるまい。しかしその弊害を極力少なくする方法としてなるべく兵をそうした遊里へ近づけないために、健全娯楽の施設を強化する必要がある。同時に慰安婦たちをドロ沼から一日も早く救ってやるために慰安所の不正をなくし、明朗な管理も行っていきたい。

長尾和郎「関東軍軍隊日記」; …これらの朝鮮女性は「従軍看護婦募集」の体裁のいい広告につられてかき集められたため、施設で営業するとは思ってもいなかったという。それが満州各地に送り込まれて、いわば兵隊たちの排泄処理の一道具に身を落とす運命となった。… 戦争に挑む人間という動物の排泄処理には心底から幻滅を覚えた。

藤野英夫「死の筏」; 私は応召中は絶対に婦女に近寄らないことを心に堅く誓っていたので、(仲間の)3人組のおつきあいに慰安所までは行くが、出征以来この時まで、未だ女に接したことはなかった。… 男が雄鶏のような強引さと敏速さで雌鶏に臨むようなことはしたくない、というのも私が遊ばない心境の一端であった。

守屋正「ラグナ湖の北」; … 上陸の夜、すでに遊里を訪ねた人達を少なからず知っているが、私は今度の出征は自分自身をよほど潔癖にしておかないと神罰を蒙る恐れ十分にありとして、不浄なところヘは足を向けなかった。

伊藤桂一「兵隊たちの陸軍史」; 戦場で青春の幾刻かを過ごした人たちには、多少なりとも、彼女ら慰安婦との交渉の記憶があるだろう。 … 死生の間において肉と情を頒ちあう交渉がいかに切実な甘美なものであるかは、それを体験したものでなければわからないかもしれない。… 戦場的倫理観からいうと、売春行為というものは、それが美徳でこそあれ、決して不道徳、または卑猥な行為であるとはいえないようである。あえていえば、死を賭けている者が行う、一種の儀式のようなものなのだ。
なお、伊藤桂一氏は「Will 2007年6月号」で次のように語っています。「娼婦は最古の職業といわれ、現在でも身を売る女性はたくさんいる。そしてどこの軍隊にも、周辺には女がつきものです。なのになぜ日本軍の慰安婦だけが今なお、とくに韓国や中国で問題にされるのか。反日的な風潮にもよるんでしょうか…。 その根本には、娼婦を醜業、賤業と見る見方があるようにも思えます。だから強制連行されたことにしないとまずいのかもしれない」註19


註釈

註13 慰安所の実情_漢口慰安所の場合

長沢健一「漢口慰安所」,P53-P54 山田清吉「武漢兵站」,P60・P79・P85

註14 業者との癒着

長沢健一「同上」,P58・P68

註15 業者の監視・管理

長沢健一「同上」,P59-P60 山田清吉「同上」,P83

{ しかし、楼主側もうまみがなければ、漢口くんだりまで来て商売する気がなくなり、したがって慰安所の存在は危うくなるから、その兼ね合いは難しく、目をつぶらねばならない点もあった。}(長沢健一「同上」,P63」)

註16 慰安婦条件の確認

長沢健一「同上」,P64・P221 山田清吉「同上」,P81・P86・P89・P90・P100

註17 契約の改善と問題

山田清吉「同上」,P78・P110-P111

{ 慰安婦の中には計算にうとく単純なものもいた。働いても働いても借金が減らないという金銭関係に対する疑惑についても、これまで年期奉公の形式で前借金と引きかえに一切の自由を売り渡していた封建的雇用関係から、これを直接に質してみることなどは思いもよらなかった。ただ黙って泣き寝入りするのが一般であった。… 妓たちの収入は、平均兵6、下士官1、将校1くらいの接客で、 … だいたい1年半ぐらいで借金を返済し、それ以上働けば少しは貯金もできて内地へ帰れるように指導したつもりである。こまかい収入はつかめないが、ショートタイムの将校などもあって、実際の収入はこれより多かったかもしれない。}(山田清吉「同上」,P82-P84)

註18 慰安所は必要悪か?

山田清吉「同上」,P60-P61・P72-P75

註19 伊藤桂一氏の述懐

文藝春秋編「従軍慰安婦 朝日新聞vs文藝春秋」(電子書籍),(位置番号)2546-