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慰安婦システムは合法か? (3/5)

3.渡航関連の事件等

(1)長崎などからの誘拐・移送事件註10

1932(昭和7)年の第1次上海事変の際、海軍慰安所で働かせるために、長崎市内等において女性15名を女給・女中を雇うかのように騙して長崎から乗船させ、上海に上陸させた。これを共謀し実行した業者ら10人に対して、長崎控訴院は刑法226条の国外誘拐罪と国外移送罪を宣告して1.5~3.5年の懲役刑に処し、1937年3月、これを大審院も支持しました。

秦郁彦氏によれば、類似の事件として、1936年に佐賀県から満州に連れて行こうとした事件や1938年に金沢から済南に甘言を持って移送した事件があります。また、朝鮮半島からも1932年から約150人を満州や中国本土に売った事件、1935年から4年にわたって100人余を北支と満州に売り飛ばして、逮捕された事件もあったといいます。(秦郁彦「慰安婦と戦場の性」,P53-P54)

このように陸軍の慰安所が大々的に展開される1938年以前においては、刑法226条を適用して処罰される事例はいくつかあったようですが、それ以降になると適用される事例は少なくなります。

(2) 警保局長通牒後の領事館報告註11

1938年2月に内務省警保局長通牒が出されて、慰安婦の渡航が条件付きで解除されましたが、その直後、各地の領事館から身分証明書の発給についての要望などが内務省に寄せられています。

(3) 受入側(軍慰安所)の対応註12

このように騙されて連れて来られた女性たちを受け入れた日本軍人の証言を秦氏は紹介しています。秦氏はこれらの証言は「信頼性が高い」と判断しています。

{ 1941年のある日、国防婦人会による「大陸慰問団」という日本女性200人がやってきた。… 部隊の炊事手伝いなどをして帰るのだと言われたが、…皇軍相手の売春婦にさせられた。… 事務員の募集に応じたら慰安婦にさせられたと泣く女性がいた。(済南駐屯の第59師団の伍長)(秦「同上」,P382)

{ 1940年夏、南寧占領直後に … 民家改造の粗末な慰安所を毎日のように巡察した。10数人の若い朝鮮人酌婦を抱えた経営者は … 地主の次男坊で小作人の娘たちを連れて渡航してきたとのこと。契約は陸軍直轄の喫茶店、食堂とのことだったが、<兄さん>と慕う若い子に売春を強いねばならぬ責任を深く感じているようだった。(南支・南寧憲兵隊の憲兵曹長)(秦「同上」,P383)

この証言について、永井和氏は次のように述べています。
 これらが事実であれば刑法226条の国外誘拐罪、国外移送罪に該当するものである。送り出す警察も受け取って慰安所管理をする軍も何の手も打っていない。組織的に「見て見ぬふり」をしなければ、このようなことは起こり得ないはずである。1938年初めに軍慰安所が認知されたことにより、事実上刑法226条はザル法と化す道が開かれたといってよい。それは警保局長通牒が空文化したことを意味する。


註釈

註10 長崎などからの誘拐・移送事件

秦郁彦「同上」 永井和「同上」
日本軍「慰安婦」問題解決全国行動 資料 https://www.restoringhonor1000.info/2021/06/blog-post_4.html

註11 警保局長通牒後の領事館報告

拙レポート「内務卿警保局長通牒…」 https://www.ne.jp/asahi/puff/mdg/rp/Rcp220.html#cp050

註12 受入側(軍慰安所)の対応

秦郁彦「同上」,P382-P383 永井和「日本軍の慰安所政策について」(補注1)