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慰安婦システムは合法か? (2/5)

2. 国際連盟の指摘

(1)婦人及児童の売買禁止に関する国際条約註6

婦人・児童の売買禁止に関する国際的な条約は1904年に初版ともいうべきものができてから、1910年、1921年、1933年と更新され、日本は1925年に1921年版を批准しています。

1921年版の骨子は次のようなものです。

・成年(21歳以上)の女性を詐欺や暴行・脅迫などの強制的手段によって、未成年の女性については本人の承諾有無にかかわらず、醜業(売春)に従事させた場合は刑事罰を科す。

・締約国は、上記犯罪者を捜索・処罰するための一切の措置をとること。また、婦人及び児童の売買を防ぐ処置および婦人・児童を保護するのに必要な規則を定めること。

(2) 留保条件註6

日本政府は、成年年齢を18歳以上とする、朝鮮や台湾などの植民地を対象外とする、という条件をつけて条約に署名しました。しかし、枢密院は2つの留保条件について、「18歳に引き下げることに疑問を呈し、人道上緊要なるものは我新領土にも適用すべき」などとして、留保を早期に撤廃するよう申し入れました。結局、政府は成年年齢の留保は1927年に撤回しましたが、植民地は適用除外のままでした。

(3) 国際連盟の指摘註7

1931年6月8日~7月12日、国際連盟の調査団が「東洋における婦人児童売買の実情調査」のために来日しました。調査団は婦人・児童の売買防止策や保護策の実情などについてヒアリングし、娼妓の就業・廃業における自由意思について質問しました。

これに対して、日本側は「就業時は本人自らが出頭して娼妓登録を行い、廃業についても本人の意思を妨害をすることを禁止しており、前借金と娼妓稼業はそれぞれ独立の問題として、債務が残っている状態でも廃業することができる」と回答しました。

しかし、調査団側からは「もし前借金完済の為に娼妓稼業を強いる契約が無効と宣告されれば、妓楼経営者は前借金を貸すことはなくなり、そうなればこの種の商売の致命傷です」と指摘され、日本の公娼制は「非人身売買」であるという日本側主張にかなり懐疑的な反応を示しています。

(4) 政府見解と現場の実情の差註8

上記のように、政府の見解は「前借金と娼妓稼業はそれぞれ独立しており、前借金の返済が終っていなくても廃業はできる」というものですが、その実現性について眞杉侑里氏は大審院の判決をもとに検討しています。その結果、それぞれが独立しているという見解は大審院とは共有されているが、現場とは共有されておらず、前借金の返済が終るまで業者は娼妓が廃業をすることを許さないケースや、契約類型(1項(3))のうち、①の年季契約については、一定期間の就業と前借金とのあいだに強い関連性があり、両者は不可分、つまり独立していない、と結論づけています。

秦郁彦氏も次のように述べています。{ 前借金が残っていても廃業する自由は認められたが、楼主側の妨害や警察の非協力があり、実際には廃業しにくいうえに、新たな生業につくのも容易ではなかった。}(秦郁彦「慰安婦と戦場の性」,P28)

一方、秦氏はこの国際条約について、成果はあまりあがっていない、1937年の実態調査では蘭・伊・仏・カナダ・アルゼンチンなどで依然として14-20歳の未成年者が娼婦の1-2割を占めていた、などを理由に、「ザル法にすぎない」(同上、P32) と切り捨てています。その「ザル法」に当時の日本政府は準拠しようと努力はしたけれど、現場に周知させるまでには至らなかった、というのが実情ではないでしょうか。

(5)英字新聞の記事註9

1931年6月11日付の「ジャパン・クロニクル新聞」(英字新聞)は社説で以下の如く主張しています。

 「今日,文明国中, 日本ほど大規模に公娼制を認めている国は無い。 … 国際連盟は各国の性道徳の問題には何等関心を持たない。唯、男子によって婦女子が売買され, 奴隷の如き状態に於て搾取されつつある問題に注目している。此の見地から見れば, 日本の公娼制度なるものは非難さるべき最悪のものである」。


註釈

註6 婦人及児童の売買禁止に関する国際条約、留保条件

太田・桜武「アジアにおける女性・児童売買の歴史と実態」,P27-P30 吉見義明「従軍慰安婦」,P163-P166

註7 国際連盟の指摘

眞杉侑里「同上」,P242-P247

註8 政府見解と現場の実情の差

眞杉侑里「同上」,P247-P257

註9 英字新聞の記事

太田・桜武「同上」,P37-P38
ジャパンクロニクル新聞は、のちに「ジャパン・タイムズ」に合併している。(コトバンク〔デジタル大辞泉〕)