日本の歴史認識南京事件第4章 南京事件のあらまし / 4.4 安全区の掃蕩 / 4.4.5 城外の再掃蕩

4.4.5 城外の再掃蕩

図表4.4(再掲) 安全区の掃蕩

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※ 各派評価 それぞれの事件が不法な事件かどうかについての各派の評価
史: 史実派(笠原氏) 中: 中間派(秦、板倉、偕行社) 否: 否定派(東中野氏)
〇:不法又はそれに準じる
△:研究者により異なる
-:合法又は調査対象外

「兵民分離」と併行して、南京城外の再掃蕩も行われたが、その成果を佐々木少将私記は次のように記す。

{ 1月5日 … 城外近郊に在って不逞行為を続けつつある敗残兵も逐次捕獲、下関に於て処分せるもの数千に達す。}(「南京戦史資料集」,P382)

この時期の城外掃蕩についての史料は乏しいが、笠原氏は中国側資料からいくつか事例をあげている。農民や難民がまきぞえをくらった可能性もある。

{〔江浦県〕12月27日、日本軍40人が村々を捜索してまわり、農民や難民17人を殺害、婦女6人を強姦(「江浦県誌」)  〔江寧県〕12月下旬、上坊で婦女10名が強姦され、陰部に鉄棒を刺して殺害される。38年1月8日、陸朗村で県城から避難していた市民が、「敗残兵狩り」で100余人殺害される。その時婦女8人が輪姦され、腹を割かれて殺害される。岔呂郷では … 日本兵が「花姑娘(ホアクーニャン)探し」のために頻繁に襲来、婦女250余人が強姦され、多くは殺害された。… (「江寧県誌」)(笠原:「南京事件」,P207)

中間派(南京戦史及び秦氏)は、2千を犠牲者数としてカウントしている。
史実派は「兵民分離」で「処刑」されたものも含めて、数千としている。
否定派(東中野氏)は、佐々木私記に記載のとおり、「不逞行為を働いた中国兵の処刑」であり合法としている。(「再現 南京戦」,P325)