日本の歴史認識南京事件第4章 南京事件のあらまし / 4.4 安全区の掃蕩 / 4.4.3 入城式

4.4.3 入城式

図表4.4(再掲) 安全区の掃蕩

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※ 各派評価 それぞれの事件が不法な事件かどうかについての各派の評価
史: 史実派(笠原氏) 中: 中間派(秦、板倉、偕行社) 否: 否定派(東中野氏)
〇:不法又はそれに準じる
△:研究者により異なる
-:合法又は調査対象外

(1) 時期尚早だった入城式

12月14日、松井総司令官は17日に入城式を挙行することを決定し、関係者に通知させた。しかし、上海派遣軍及び16師団の参謀たちは、掃蕩が完了しないことを理由に早くても18日、できれば20日以降にするよう進言したが、松井総司令官は予定を変更することはなかった。
そのため、特に安全区の掃蕩が杜撰で荒っぽくなったことは否めない。

(2) 入城式の模様

入城式は航空機も参加して盛大に行われた。笠原十九司氏の著書「南京難民区の百日」より引用する。

{ 12月17日は快晴で暖かな日中となった。午後1時半に南京入城式が定刻どおりに開始された。この式には南京攻略戦に参加した全戦闘部隊の3分の1が代表部隊として入城し、中山門から国民政府の庁舎まで3キロにわたり、中山東路両側に整列した。最前列に戦死兵の遺骨箱を首からさげて参列している部隊もあった。
ラッパ手の吹く「海行かば 水漬(みず)く屍 山行かば 草生す(むす)屍 … 」のメロディーが流れる中を、馬にまたがった中支那方面軍司令官・松井石根大将が中山門から先頭で入城、右うしろに上海派遣軍司令官・朝香宮中将、左うしろに第10軍司令官・柳川平助中将がつづき、しばらく間をおいて馬上に4列縦隊になった200名の高級指揮官の隊列がつづく。
… おりしも、海軍航空部隊と陸軍航空部隊の戦闘機が数十機の編隊を組み、紫金山の上空をかすめて式場の上空を飛来して分列行進をおこない、地上部隊の行進とあいまって一大絵巻を繰りひろげた。
午後2時半からは陸海軍の高級指揮官が参列して、国民政府庁舎の正面内庭で入城式典が挙行された。君が代のラッパが響きわたるなか、大きな日章旗が正門の楼上の旗棹に掲げられた。一同は東の方、東京の皇居に向かって列を正し、脱帽して最敬礼をしたあと、松井司令官が音頭をとって「天皇陛下万歳ッ!」と叫ぶと、「万歳ッ!」「万歳ッ!」「万歳ッ!」と参列の将兵一同によって万歳三唱がとなえられた。このあと大殿堂内に急設された祝宴場に会場をうつし、海軍長谷川司令長官の音頭でふたたび皇居遥拝をおこない、万歳を三唱して乾杯、3時半に入城祝賀式典は終了した。}(「南京難民区の百日」,P167)

入城式の模様は日本の新聞が大々的に報道した。