日本の歴史認識南京事件第4章 南京事件のあらまし / 4.3 幕府山の捕虜 / 4.3.3 収容所の火事

4.3.3 収容所の火事

図表4.3(再掲) 幕府山の捕虜

幕府山の捕虜

※ 各派評価 それぞれの事件が不法な事件かどうかについての各派の評価
史: 史実派(笠原氏) 中: 中間派(秦、板倉、偕行社) 否: 否定派(東中野氏)
〇:不法又はそれに準じる
△:研究者により異なる
-:合法又は調査対象外

(1) 兵士たちの証言

「皇軍兵士たち」に掲載の日記で16日に火災があったことを記しているのは4名いるが、いずれも発生時刻は正午頃であり、火災に紛れての逃走、それに対する銃撃を記したものは1件もない。

宮本省吾少尉;{ [12月]16日 … 午食事中俄に火災起り非常なる騒ぎとなり3分の1程延焼す、午后3時大隊は最後の取るべき手段を決し、捕虜約3千を揚子江岸に引率し之を射殺す}(「皇軍兵士たち」,P134)

遠藤高明少尉;{ 12月16日 晴 … 午后零時30分捕虜収容所火災の為出動を命ぜられ同3時帰還す、… 捕虜総数1万7千25名、夕刻より軍命令により捕虜の3分の1を江岸に引出Ⅰ【第一大隊】に於いて射殺す。一日2合宛給養するに百俵を要し兵自身徴発により給養し居る今日到底不可能事にして軍より適当に処分すべしとの命令ありたるものの如し}(「皇軍兵士たち」,P219)

この2人は「16日の夕刻、捕虜の一部を射殺した」と記しているが、その模様を記した日記もある。

黒須忠信上等兵;{ 2,3日前捕虜せし支那兵の一部約5千名を揚子江の沿岸に連れだし機関銃を以て射殺す、その後銃剣にて思う存分に突刺す、自分もこの時ばかりと憎き支那兵30人も突刺した事であろう。山となって居る死人の上をあがって突刺す気持ちは鬼をもひしがん勇気が出て力いっぱい突刺したり、うーんうーんとうめく支那兵の声、年寄も居れば子供も居る、一人残らず殺す、刀を借りて首をも切って見た、こんな事は今まで中にない珍しい出来事であった。}(「皇軍兵士たち」,P350-P351)

福島民友新聞の阿部輝朗氏は、「この日の夕方、捕虜の一部を釈放のため連行したが、騒がれたので射殺した」(4.3.1項(1)参照)としているが、上記の日記からは「釈放のため」とか「騒がれたので」といった状況は読み取れない。

(2) 東中野氏の見解

東中野氏は、{ 捕虜の放火にたいする「最後の取るべき手段」、すなわち関係者処刑の軍命令が出て、4千人のうちの"約3千"もしくは"3分の1"を処刑し、残るは2千名前後となった。}(「再現 南京戦」,P164) と述べる。

4千から3千又は3分の1を引くとなぜ2千になってしまうのか?… はさておき、「捕虜の放火にたいする最後の取るべき手段」とは、放火計画に参加した者たちを処罰することか、単に見せしめのためなのか、東中野氏は明らかにはしていない。前者だとすれば、犯人を選り分ける作業と裁判が必要だが、4千人から2千人を数時間で選別することは不可能だし、見せしめのための殺害が合法であるはずもない。そもそも、この放火が計画的である、ということは両角手記にも書いてあり、東中野氏もそれを踏襲しているが、計画的と判断する根拠は何も示していない。