日本の歴史認識南京事件 > はじめに

00はじめに

(1) 南京事件の意義

歴史は対象とする事象の内容だけでなくそこに到る経緯とその後に何が起きたかを知ることにより、その事象の意義をより深く理解することができる。

南京事件の前には、満州事変(1931年)を出発点として中国への進出(侵出?)が続き、1937年7月に起きた盧溝橋事件が上海、南京、徐州、漢口の順に飛び火した。南京事件後に「国民政府を対手とせず」と宣言したことにより交渉相手を失って、日中戦争はドロ沼化した。その後、蒋介石を支援する英米などとの対立が深まり、ついには太平洋戦争へと突入する。

南京事件は捕虜や市民への暴行について議論されてきたが、日中戦争がドロ沼化して太平洋戦争につながるきっかけになった事件でもある。 このレポートでは、第一次大戦以降、満州事変を経て、日中戦争に到る経緯、南京事件後ドロ沼から脱するための努力に関連して英米との摩擦が激しくなっていく様子も簡略に記した。

(2) “南京事件”か“南京大虐殺”か

“南京大虐殺”と呼ばれていたものが、“南京事件”と呼ばれるようになった理由について、ある著名なジャーナリストは「犠牲者数がさほど大きくないことがわかってきたせいではないか」と述べている。彼は「2万人を大虐殺と呼ぶかどうかは微妙」などとも述べているが、「30万人は“大虐殺”だが、1~2万人は“事件”にすぎない」というのはいかがなものか。わかりやすさを優先したのかもしれないが、勉強不足をさらけだしてしまった。

(3) 南京事件論争と本レポート

南京事件を研究する日本側研究者の説は、次の3つのグループに分類される。なお、中国側は30万人以上が犠牲になった、と主張している。

a) 不法殺害はなかったか、あってもごくわずか、という否定派(=まぼろし派)

b) 1~4万人規模の不法殺害があった、という中間派

c) 最大で20万人規模の不法殺害があった、という史実派(=大虐殺派)

本レポートでは、これら3つのグループの主張をそれぞれ次の文書を軸にして解説している。

①否定派;

東中野修道:「南京虐殺の徹底検証」,展転社,1998年

東中野修道:「再現 南京戦」,草思社,2007年

②中間派;

秦郁彦:「南京事件 増補版」,中公新書,1986年/2007年

偕行社編:「南京戦史」,偕行社,1988年,非売品

偕行社編:「証言による南京戦史」,雑誌『偕行』,1984年4月~1985年3月

③史実派;

笠原十九司:「南京事件」,岩波新書,1997年

(注1) 否定派は"まぼろし派"、史実派は"大虐殺派"(又は"虐殺派")と呼ばれることがあるが、本レポートでは"否定派"、"史実派"を使用する。また、中間派と史実派を総称して"肯定派"と呼ぶこともある。

(注2) 東中野氏の著書「・・・徹底検証」と「再現 南京戦」は、前者と後者で記述範囲が異なっていたり、見解が変わっていたりするので、この2書を軸とした。

なお、南京事件に関する日本政府の見解は、「犠牲者数には諸説あるが、非戦闘員の殺害や掠奪行為等があったことは否定できない」であり、本レポートはこれを通説として、作成している。

(4) 本レポートの構成

本レポートの本文は、第1章から第8章で構成されている。各章にはいくつかの節があり、大きな節はさらにいくつかの項に分割されている。第1章は概要で、第2章から第5章は時系列的に事件の背景や経緯、事件後のことを記述し、第6章で否定論とその反論、第7章で論争史を記載、最後の第8章は筆者のまとめにしている。

お忙しい方は第1章だけを読めば、事件の大要は理解できるようにした。また、各節の頭にはその節で述べていることのサマリを図表で解説しているので、それを追っていくだけでも一定の理解ができるはずである。

(5) サポート情報(お役立ち情報)

本レポートを理解していただくため、用語の定義、登場人物、関連地図、日本軍の編成、参考文献(寸評付き)、などの情報を随時参照できるようにした。これらは本文とは別のウィンドウに表示されるので、本文を見ながら参照することもできる。

(6) 引用について