日本の歴史認識慰安婦問題第4章 活動の軌跡 / 4.4 アジア女性基金 / 4.4.3 難航した国々

4.4.3 難航した国々

図表4.6(再掲) アジア女性基金

アジア女性基金

(1) 台湾での活動と成果

婦援会の拒絶

台湾政府は「台北市婦女救援福利事業基金会」(婦援会)というNGOに元慰安婦の認定や台湾政府からの生活支援金の支給代行などを委ねていた。日本は1972年の日中国交回復の際、台湾との国交を一方的に打ち切り、日本の植民地支配にかかわる賠償・補償交渉もこの時打ち切られており、台湾の政府も市民もそれへの強い不満を持っていた。
1996年1月に基金の対話チームが婦援会を訪問し、元慰安婦たちと話し合ったところ、基金の償いに関心を示す人があらわれたが、婦援会は国家補償を求めるという方針を変えず、受け入れの意思を表明した慰安婦に思いとどまるよう、執拗に働きかけた。(大沼:「慰安婦問題」,P48-P49<要約>)

法的請求の訴訟を妨げない!

被害者の多くが、償いを受け入れたとしても国家補償請求訴訟は妨げられないことの保証を求めたので、基金はこの要望を日本政府に伝え、この保証を文書で与えるように強く求めた。最終的に日本政府もその要求を受け入れ、要求を認めた。この点で基金による償いは、後述するドイツの「記憶・責任・未来基金」のそれより優れたものとなった。ドイツの場合、償いを受けとる条件として法的請求を放棄するよう求められたからである。(同上,P49-P50<要約>)

救世主登場

それでも婦援会は反対の態度を変えなかったが、台北で長らく弁護士をつとめ、社会的に高い評価を得ていた頼浩敏氏がアジア女性基金の理念を評価し、協力を申し出たのである。1997年5月、基金は頼氏の法律事務所を申請の窓口として償いを実施することを決定、台湾の3つの新聞に償い事業の申請手続きを広報し、受付を開始した。主に貧しく、高齢で病気がちの元慰安婦たちが申請し、総理のお詫びの手紙、償い金、医療福祉支援費などを受け取った。貧しい生活を送っていた原住民族の被害者にとって総計500万円というお金は意味のある助けとなった。「生きている間にこういう日が来るとは思わなかった、生きていて本当によかった」、「日本人はわたしたちを裏切らなかった」ということばで喜びを示した人もいた。(同上,P50-P51<要約>)

婦援会に知られないよう支給

ただ、被害者たちは台湾政府からの生活支援金(月額1万5千元<約6万円>)を婦援会を通じて受給していた。基金の償いを受け入れたらこの支援金が打ち切られるのではないか、と怖れ、婦援会に知られないかたちで償い金などを受け取ることを強く望んだ。基金はそうした被害者の意向に沿って金の手渡し方を工夫しつつ、弁護士の立ち合いなどのかたちで償い事業の適正な実施を確保した。婦援会は最後まで被害者が基金から償いを受け入れることに反対し続けた。(同上,P51-P52<要約>)

秦氏著書からの補足 (秦:「戦場の性」,P312-P313)

(台湾政府により)認定された慰安婦の数は45名とされている。元慰安婦の総数は180人以上とか、766人の推定数字が伝えられているが、根拠は薄弱で憶測の域を出ない。

・婦援会や応援の日本人NGOの説得や妨害があり、台湾政府も傍観したため、支給は困難をきわめ、97年5月いらいの受領者は先住民8人にとどまっている。

・基金反対派は、金銭的な対抗策として篤志家の寄付により一人約200万円を97年10月に配り、台湾政府も婦援会を通じて42人へ200万円の一時金を支出した。

(2) 韓国での活動と成果

アジア女性基金に反発するNGO

韓国には慰安婦問題について、挺対協と「太平洋戦争犠牲者遺族会」という2つの主要な組織があり、そのほかにもキリスト教系NGOを中心とする日本に批判的なNGOが多数あった。1995年に村山内閣がアジア女性基金による償いの方針を明らかにすると、「基金による償いは日本政府が法的責任を回避する隠れ蓑だ」として、挺対協やキリスト教団体を中心とする多くのNGOは、これに強く反発した。基金に対する韓国の否定的評価は大手メディアの影響力により韓国社会に深く浸透し、異なる見解はほぼ圧殺されていた。(大沼:「慰安婦問題」,P53-P54<要約>)

被害者の意思確認

1996年8月以来、韓国政府が認定した207名の元慰安婦のうち基金からの接触に応じた被害者に基金による償いを受け入れる意思があるかを確かめたが、償い金の額が少ないなどを含めて様々な要求を口にした。しかし、償いの性質と内容を理解するにつれて、かなりの被害者が基金による償いを受け入れる方向に変わってきた。そうした被害者の多くは太平洋遺族会の一部と挺対協などの大きな組織以外の被害者だった。
韓国政府と有力なNGOの協力が得られないまま、償いの早期実施を求める被害者の希望にこたえるため、被害者の意志を尊重すべきだとして基金の償いに協力したNGOの「戦後責任をハッキリさせる会」(代表:臼杵敬子氏)を中心に償いを進めることになった。(同上,P55-P56<要約>)

償いを受け入れた被害者たち

1997年1月11日、金田きみ子さん(仮名)など7名はソウルで基金の金平輝子理事から首相のお詫びの手紙、償い金と医療福祉支援費を受け取る手続きをとった。これに対して韓国のメディアとNGOは激しく反発し、日本政府とアジア女性基金のみならず受け取った被害者も非難され、「金に目がくらんで心を売った者」という目で見られるようになった。
他方、7人のほかにも少なからぬ被害者が償いを受け入れる希望をもっており、「ハッキリ会」を通してあるいは直接本人から基金に伝えられた。基金の内部には韓国世論を考慮して償いの実施は延期すべきだとの意見もあったが、最終的には被害者の意志を尊重すべきだという立場から、1998年1月。ハンギョレ新聞など4紙に広告を出して償いの内容を説明し、申請を受け付けることを広報した。(同上,P56-P59<要約>)

挺対協などの対抗策

挺対協を中心とするNGOは、被害者が「金で転ばない」ようにするため、市民への募金活動を開始していた。しかしこの募金は十分な成果をあげることができなかったため、挺対協は韓国政府に生活支援金を支給するよう働きかけた。1998年3月、挺対協と強いつながりをもつ金大中政権が成立すると韓国政府はこの挺対協の要求を受け入れ、被害者一人あたり募金活動で集めた418万ウォン(約40万円)と政府からの生活支援金3150万ウォン(約300万円)が支給されることになった。ただ、韓国政府は支給に際してアジア女性基金からの償いを受け入れないことを誓約するよう求めた。(同上,P59-P60<要約>)

頓挫した償い事業

韓国の反日ナショナリズムが激化するなかで、アジア女性基金は1999年1月に償いの実施を一時中止し、集団的な医療ケアへの転換などを含む基金事業の変更の可能性を含めて韓国政府や挺対協などと協議を重ねた。知日派の金大中政権は挺対協と基金との話し合いに期待するとの姿勢を示したが、反日ナショナリズムの象徴と化していた慰安婦問題で火中の栗を拾おうとはしなかった。一方、日本政府も道義的責任に基づく償い以上の行動はとらない、というスタンスから一歩も動こうとしなかった。
その後事態が大きく変わることはなく、2002年9月韓国での償い事業は終了した。(同上,P60-P62<要約>)

頓挫した原因

こうした韓国での状況に対して、アジア女性基金の問題として、償いの理念と性格について韓国国民に知ってもらうための広報活動の不足や拙劣さ、首相の手紙の翻訳が不適切註443-1で韓国から批判を浴びたこと、などがあった。しかし、韓国での償いが不満足な結果に終わったのは、アジア女性基金だけの問題ではない。韓国世論を変える努力を払わなかった日本政府、強硬なNGOの説得に動こうとしなかった韓国政府、元慰安婦を売春婦・公娼呼ばわりして韓国側の強い反発を招いた日本の一部の政治家や「論客」と右派メディア、みずから信ずる正義の追及を優先させた韓国と日本のNGO、一面的な慰安婦像と国家補償論を報じ続けた韓国メディア、そうした過剰なナショナリズムを正そうとしなかった多くの韓国知識人、韓国のかたくなな拒否を批判しなかった日本の左派やリベラルな知識人とメディア。これらのさまざまな要因が相まって、韓国における元慰安婦への償いに不十分な結果をもたらしたのである。(同上,P53-P66<要約>)

カネの問題ではない!?

挺対協の金充玉(キム・ユノク)氏は、アジア女性基金がカネの問題に矮小化したと主張した。これに対して大沼氏は、「カネの問題」は矮小な問題ではないという被害者も多数いる、と反論している。

{ 「尊厳の回復はして欲しい、でもそれと一緒にお金も欲しい」という願いは当然だ、と10人中8,9人は思うだろう。それがごく普通の人の素直な声のはずである。なぜ、そうしたあたり前の声が出なかったのだろう。その理由には次の点をあげておきたい。

(a) 金学順さんが名乗り出たとき、慰安婦は金をもらって身体を売った売春婦だという暴言を吐いた政治家や論客がいた。その発言は韓国でも報道され、儒教的倫理感の強い韓国では強い反応を引き出し、金のことを口に出すのは抑えるようになった。

(b) 日本の政府や企業は責任をあいまいにしたまま「見舞金」を支払うことで問題を処理することがあった。韓国のメディアは「償い金」を「慰労金」と報道し続けたが、このような言葉は被害者や世論の反発を強めることになった。

(c) 1990年代、豊かになった韓国は日本に対して金が欲しい、などと口が裂けても言うべきではない、という思いが強かった。儒教的発想や華夷主義的発想にもとづく対日道徳的優越感もあって、金より名誉、という態度が韓国を支配した。

(d) 挺対協やキリスト教関係者には、物欲を軽視する倫理主義的発想の人が多かった。

(e) メディアは問題の渦中にヒーロー、ヒロインを求める。元慰安婦のヒロインはお金が欲しいなどという俗っぽいことを言う人であってはならなかった。

韓国では多くの支援団体は「慰安婦問題とは人間の尊厳の問題であってお金の問題ではない」という主張をくり返し、他方で「慰安婦=売春婦」という日本の右派からの侮蔑的な攻撃にさらされ、普通の元慰安婦たちは沈黙を守るしかなかった。
アジア女性基金には「償いを受け入れたいけど、それが知られると生きていけない。くれぐれも内密にお金を払い込んでください」と訴えるしかなかったのである。}(同上,P94-P100<要約>)

基金を受け取った人は61人もいた!

韓国で基金を受け取った人は、7人だけではなかった。2015年に大沼氏は次のように述べている。

{ その後も50名を超える被害者が償いを受け入れたいという意志を示しました。基金は、… そうした方々の希望に応えて償いを実施しました。ただ、このような状況だったので、受け取る人たちは挺対協やメディアから激しいパッシングを避けるため、償いを受け取ることを公表しないことを強く求め、基金もそれは絶対に守ろうとしました。そのため、韓国での償いについては、人数も発表してきませんでした。人数を明らかにすれば … 犯人探しが始まるからです。その後ようやく2014年に、61人という人数だけは表に出しました。}(同上,P147-P148)

秦氏著書からの補足 (秦:「戦場の性」,P299-P305,P426-P427)

・1998年4月21日、金大中大統領は閣議で、「日本政府が自発的に反省・謝罪し賠償するなら、それはそれとしてその方々に支給されるべきだ。民間団体が日本政府に継続して賠償要求することに対し、韓国政府は介入しない」(1998/4/21付朝日新聞夕刊) と語った。微妙な言いまわしながら、「女性基金の償い金は渡さないでもらいたい」という意向であることは明確である。

・1998年6月11日、アジア女性基金の原理事長は金大統領への手紙を携え、駐日韓国大使を訪問したが、大使の反応は冷ややかで、大統領の返書を待たず、帰りがけに「韓国政府の立場」と題した無署名のメモを渡されただけだった。そのメモには、支援金支給の目的は慰安婦問題を終結させることで、基金の事業を否定するものではない、基金のお金は慰霊塔の建設など慰安婦問題を歴史の教訓とするような事業に使って欲しい、などと書かれていた註443-2

・女性基金の償い金を受け取った遺族会系の7人に、挺対協が加えたいじめはかなりひどかったらしい。だが、7人も負けていない。「挺対協は日本のキリスト教系団体から受け取った見舞金(1千万円以上)をネコババしている」と告発し、デモを繰り返している。1997年夏には金田グループと挺対協派がソウルの街頭でもみあった。

ナショナリズムの問題にすりかえた挺対協

秦氏は、{ 挺対協が大統領決定を左右するほどの圧力団体に成長したのは慰安婦を日本の「民族抹殺政策」の所産と決めつけ、「民族の恥」としてマスコミや一般大衆の反日ナショナリズムに訴えたからであろう。}(秦同上,P305) という。

大沼氏も、{ 挺対協共同代表の尹貞玉氏は、「慰安婦制度は当時の朝鮮に対する政策として行われたのだから、民族全体の名誉とも関係がある。私たち全体の歴史の流れの中の問題なのです」 と、ナショナリズムの立場に被害者個々人のかけがえのない生を従属させる主張をしている。}(大沼:「慰安婦問題」,P211<要約>) と批判する。

慰安婦問題が大きくこじれた原因のひとつに日韓両国のナショナリズムのぶつかり合いがあったのは間違いない。


4.4.3項の註釈

註443-1 首相の手紙の翻訳ミス

{ 日本政府は当初、「お詫び」の韓国語訳として、韓国語で重いお詫び・謝罪を意味する「サジェ」ではなく、軽い詫びを意味する「サグァ」ということばを採用した。先例の踏襲だった。しかし、「サグァ」という軽いことばを用いたことは、韓国内で厳しい批判の対象となった。1998年12月には日本政府も[お詫び]を「サジェ」に修正したが、最初に染み付いたマイナスイメージを払拭することはできなかた。}(大沼:「慰安婦問題」,P63)

註443-2 韓国政府の見解

韓国大使が原理事長に渡したメモには次のように記されている。(秦:「戦場の性」,P426に記載の内容を要約している)

軍隊慰安婦に関連する韓国政府の立場(1998年6月)

・前政権では、基金事業を阻止する目的で政府支援金の支給を検討したことは事実だが、新政権での支援金支給の目的は基金事業の阻止ではなく、慰安婦問題を終結させるためのものである。…

・被害者への支援金支給の際、「基金」の一時金を受け取らないとの誓約書を求めたのは、韓国政府の支援金を受け取ったうえ、さらに「基金」の一時金を受け取るのは他の被害者との衡平の上で不適切であるのと、「基金」の一時金支給に反対する国内関連団体の立場を考慮したものである。…

・我が政府としては基金の事業自体を否定するものではなく、一時金の支給方式に反対しているのである。日本側は発想を転換し、韓国の関連団体や被害者たちの要求通り、軍隊慰安婦を問題を歴史の教訓とするための事業(例.慰霊塔、記念館設立など)に変更すべきである。