日本の歴史認識慰安婦問題第4章 活動の軌跡 / 4.2 宮沢首相訪韓と河野談話

4.2 宮沢首相訪韓と河野談話

1992年1月11日、朝日新聞朝刊トップに「慰安所の設置や慰安婦の募集に軍が関与していたことを示す資料が発見された」という記事が出た。宮沢喜一首相が1月16日に訪韓を予定していた直前のことだった。宮沢首相は訪韓して謝罪をくり返し、調査を約束せざるをえなかった。そしてその調査結果として1993年8月に発表されたのが通称「河野談話」である。この節では河野談話発表に至る経緯や談話を巡る議論について述べる。

 図表4.4 河野談話

河野談話

(1) 労働省局長の"失言"

{ 1990年5月の盧泰愚大統領来日の折り、韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会の要請に基づいて、日本政府に韓国人軍人軍属名簿と強制連行者名簿を韓国側に返還するよう公式要求をした。その流れで、同年6月の参議院予算委員会において、社会党の本岡昭次議員が強制連行の中に従軍慰安婦としての連行があったかと政府に質問している。}(熊谷奈緒子:「慰安婦問題」,P120)

これに対して清水伝雄労働省職業安定局長は次のように答えている。

{ 徴用の対象業務は国家総動員法に基づきます総動員業務でございまして、… お尋ねの従軍慰安婦の業務とはこれは関係がないように私どもとして考えられます …
従軍慰安婦なるものにつきまして、古い人の話等も総合して聞きますと、やはり民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いているとか、そういうふうな状況のようでございまして、こうした実態について私どもとして調査して結果を出すことは、率直に申しましてできかねると思っております。}(秦:「戦場の性」,P23-P24より抜粋)

韓国の女性団体の抗議

このような日本政府の態度に怒った韓国の女性団体は、1990年10月17日、問題解決を求めて共同声明を発表した。それは次のようなものであった。

{ 日本政府は朝鮮人女性たちを従軍慰安婦として強制連行した事実を認め、公式に謝罪し、蛮行のすべてを明らかにし、慰霊碑を建て、生存者や遺族に補償し、過ちを2度と繰り返さないために歴史教育でこの事実を語り続けること。}(吉見:「従軍慰安婦」,P4<要約>)

「関与せず、資料がない」の答弁繰り返し

同年12月18日の参議院外務委員会で厚生省戸苅職安局庶務課長は次のように回答している。

{ 少なくとも厚生省関係、国民勤労動員署関係は関与していなかった。それ以上は調査ができなかった。}(秦:「戦場の性」,P25)

秦氏によれば、同様の質疑は91年4月1日と8月27日にも繰り返されるが、そのたびに答弁者は「関与していない」、「資料がない、見つからない」などと答えている。

加藤官房長官の回答

慰安婦裁判が始まった1991年12月6日には加藤紘一官房長官による"失言"が飛び出す。

{ 記者会見で彼が述べたのは、「政府関係機関が関与したという資料はなかなか見つかっておらず、今のところ政府としてこの問題に対処することは非常に困難」というものだった。
慰安婦が戦地の慰安所で営業するためには軍による関与が不可欠なのは当然であるのに、あたかも軍の関与を全面否定したともとれる発言ミスがなぜ起きたのか、事情は定かでない。}(秦:「戦場の性」,P26)

(2) 朝日新聞の記事

秦氏の非難

秦氏の著書「戦場の性」は1992年1月11日の朝日新聞の記事から始まる。

{ 今にして思えば、このスクープ報道」こそ、それから数年わが国ばかりでなくアジア諸国まで巻き込む一大狂騒曲の発火点となるものだった。… 主な見出しを羅列しておこう。
「慰安所 軍関与示す資料」
「防衛庁図書館に旧日本軍の通達・日誌」
「部隊に設置指示 募集含め統制・監督参謀長名で、次官印も」 …
朝日新聞の意図を一面のリードから引用する。

日中戦争や太平洋戦争中、日本軍が慰安所の設置や従軍慰安婦の募集を監督、統制していたことを示す通達類や陣中日誌が、防衛庁の防衛研究所図書館に所蔵されていることが10日明らかになった。
朝鮮人慰安婦について、日本政府はこれまで国会答弁の中で「民間業者が連れて歩いていた」として、国としての関与を認めてこなかった。昨年12月には、朝鮮人元慰安婦らが日本政府に補償を求める訴訟を起こし、韓国政府も真相究明を要求している。国の関与を示す資料が防衛庁にあったことで、これまでの日本政府の見解は大きく揺らぐことになる。政府として新たな対応を迫られるとともに、宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされたことになる。

… 軍が関与していたことも、研究者の間では周知の事実だった。慰安所を利用した軍人の手記や映画やテレビドラマのたぐいも数多くこの種の見聞者をふくめれば、軍が関与していないと思う人の方が珍しかったろう。それをやや舌足らずの国会答弁に結びつけて「国としての関与を認めてこなかった」とこじつけたのは、トリックとしか言いようがない。}(秦:「戦場の性」,P11-P12)

秦氏のこの文章には、「寝ている子を起こした」朝日新聞への怒りが込められている。それは否定派が共通に持つ思いだろうが、朝日新聞より責任が重いのは「誰もが知っているはず」の軍の関与をはぐらかすような答弁を繰り返した政府の方であろう。

吉見氏の述懐

資料があることを朝日新聞に知らせたのは吉見義明氏だった。吉見氏はそのときのことを次のように振り返る。

{ わたしは91年3月まで、2年間にわたってアメリカに留学していたため、このような政府答弁が問題になっていることを良く知らなかった。だが政府答弁の虚妄は明らかだった。実際、わたしは留学まえに、日本軍が軍慰安所設置を指示した公文書を防衛庁防衛研究所図書館で確認していた。金学順の発言を聞いて、あらためてわたしは同図書館に通い、関連文書を探した。そして湮滅を免れた6点の証拠を発見し、新聞に発表することができた。}(吉見:「従軍慰安婦」,P4-P5)

新聞記事の反響

{ 新聞発表の翌日1月12日、加藤紘一官房長官は日本軍の関与を認め、13日には謝罪の談話を発表した。訪韓した宮沢喜一首相は17日、日韓首脳会談で公式に謝罪した。}(吉見:「従軍慰安婦」,P5)

{ このキャンペーン記事は、狙いどおりの大反響を呼ぶ。他の新聞も一日遅れで追随するが、同じ日の朝日夕刊には早くも「11日朝から、韓国内のテレビやラジオなどでも朝日新聞を引用した形で詳しく報道され…」と手回しの良さを見せた。…
一方、後手にまわって失点を重ねる政府の不手際も、やはりこの時から始まった。… 宮沢首相は早々と14日の記者会見で、「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べ、16日に「抗議のデモ相次ぐ」(16日付毎日新聞) ソウルへ向かったが、滞在中も天皇の人形が焼かれたり、名乗り出た元慰安婦が坐り込むなど、反日デモが荒れ狂った。}(秦:「戦場の性」,P13)

(3) 宮沢首相訪韓

{ 毎日新聞ソウル支局の下山特派員は、のちに現場の空気を回想して次のようにレポートした。「宮沢首相が青瓦台(大統領官邸)の記者会見場で卑屈な表情を浮かべている姿が記憶に生々しい … 1時間25分の首脳会談で、宮沢首相は8回も謝罪と反省を繰り返した … 韓国の大統領補佐官は、韓国人記者たちに謝罪の回数まで披露した。こんな国際的に非礼な記者会見は見たことがない」。}(秦:「戦場の性」,P14)

(4) 日本政府による調査

宮沢首相は帰国後、政府に慰安婦問題の調査を命じた。調査の経緯を、[秦:「戦場の性」P252-P254] から要約引用する。

中間報告

1992年7月6日、第一次調査結果を発表、各省庁から127件の関連文書を公表し、加藤紘一官房長官が「政府は関与したが、… 強制連行したことを裏づける史料は見つからなかった」と報告した。韓国政府はこれに対して吉田証言だけを根拠に強制連行されたと断じたが、「彼女たちの収入は業者との間で4対6程度で分配」、「終戦後は大部分が帰国した」、などの事実認識を示した。93年2月に挺対協が出版した元慰安婦19人の体験記では「今までに発見された軍文書のうち、慰安婦の動員方法を具体的に説明するものは1件もない」、「吉田証言の信ぴょう性に疑義を挟む人たちがいる」、など強制連行は否定されたも同然になった註42-1が、盛り上がっている韓国の反日世論の手前、後戻りは政治的に不可能に近かった。

韓国政府の対応

1993年2月に就任した金泳三大統領は、「この問題は日本側が真実を明らかにすることが重要で、物質的補償は必要ない」(3月13日読売新聞) と発表、それを受けて韓国外務部は3月29日、韓国人元慰安婦に対する生活支援措置を決定し、一時金約500万ウォン(約74万円)、月額15万ウォン(のち50万に増額)の支給と医療費の無料化、などを実施した。
一方、盧泰愚元大統領は1993年3月に文藝春秋の対談で「慰安婦問題は日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけた」と語った。

元慰安婦へのヒアリング

日本政府にとって金泳三大統領が述べた補償要求の撤回は「渡りに船」に見えたのであろう。それまで消極的だった元慰安婦への聞き取り調査に踏み切った。それまでに、内閣外政審議室が実施した日本人の旧軍人、元総督府官吏、業者など関係者からのヒアリングでは強制連行を裏づける情報はなく、韓国人元慰安婦からのヒアリングをやる以外に韓国側の期待に沿う手段はなかったと言える。秦氏は韓国人業者を探し出してヒアリングすべき、と政府担当官に進言したようだが、「そんな話を持ち出してもケンもホロロですよ」と取り合ってもらえず、「これはセレモニーなんだな」と直感したという。

外政審議室の田中審議官らに福島瑞穂弁護士などを加えた10人の一行は7月26日から30日にかけ、ソウルの聞き取り会場に向かったが、支援グループやマスコミにもみくちゃにされ、「まず謝罪してから始めろ」と要求されるなど散々な目にあっている。

(5) 河野談話

1993年8月4日、河野官房長官談話が発表された。その主要部分は次のとおりである。(全文は小資料集を参照)

慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。
なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島はわが国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

(6) 強制性を認めた経緯

秦氏は強制性を認めた経緯について次のように悔しがる。

{ 慰安婦への補償はしなくていい代りに、「強制性」を認めるという「交換条件」は、去りゆく宮沢政権にとって魅力的と思えたのかもしれないが、それは落とし穴でもあった。…
ハト派的心情の強い河野、宮沢が、慰安婦証言のインパクトと慰安婦や日本人をふくむ支援勢力の執拗な圧力に動揺して、取り乱したと言われてもしかたがないだろう。…
後述するクマラスワミ勧告も、関釜裁判の判決(98年4月)も、ここが起点になった。何かあれば、河野談話を盾にとられる禍根のタネと化したのである。
しかも韓国のマスコミや世論の受けとめ方は、直後には賛否あい半ばしていたが、やがて日本国内の反体制派と呼応して、挺対協を先頭に日本へ国家補償を要求する運動が高まっていく。「これでおさまる」と考えた日本政府の甘い期待は裏切られた。}(秦:「戦場の性」,P257)

「これでおさまらなかった」のは、河野談話に反対する政治家などの声が聞えてきたことも大きく影響しているに違いない。
また、秦氏ら否定派は「強制性」にこだわるが、アメリカでは強制されたかどうかより慰安婦制度そのものを問題視しているという指摘もある註42-2

(7) 河野談話に対する評価

国家補償派の評価

吉見義明氏は、次の3点を問題として指摘する。

{ 第1に、慰安婦の徴集、軍慰安所制度の運用主体が業者であるかのように読める余地を残している。
第2に、日本政府はごく一部の朝鮮人元慰安婦からヒアリングしただけで、他の国の人々からヒアリングしていない。
第3に、国際法に違反し戦争犯罪を犯した問題なのに、徹底した真相解明、罪の承認と謝罪、再発防止措置などが言及されていない。}(吉見:「従軍慰安婦」,P7-P8<要約>)

否定派の評価

秦氏は次のように述べる。

{ 河野談話公表の前夜おそく、外政審議室長からFAXで原案を受けとり、コメントを求められた。一読して、募集段階で官憲が強制連行したかのような印象を与えるのはまずいと思った。たしかな証拠なしに強制連行を認めるかのような表現を入れると必ずや将来に禍根を残すだろうと切言したが、時間切れだという。そこで後日への悪影響を少しでも軽減する見地から、①「強圧」を「威圧」へ、②「総じて」を「時として」へ、③「直接」を「直接間接的に」へ修正するよう申し入れた、特に②「総じて」を重視したが、これらの提案はすべて採用されなかった。}(秦:「戦場の性」,P250-P251<要約>)

河野談話修正要求箇所①~③

その場合も、甘言、強圧 による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。…
当時の朝鮮半島は … その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

(8) 河野談話のその後

2007年7月、米国下院で日本政府に元慰安婦への謝罪を求める決議が採択されたころ、当時の安倍首相は、河野談話を否定するような発言を行なったが、アメリカのひんしゅくをかい、ブッシュ大統領に釈明している。

{ 米国での「慰安婦」問題に関する議会への決議案上程問題をめぐる安倍晋三首相の発言が問題化した。「慰安婦」について広義の強制はあったが狭義の強制はなかったという趣旨の発言註42-3が、米国その他で安倍首相、ひいては日本全体の元「慰安婦」への冷淡さ、人権感覚の欠如とみなされ、批判・非難の嵐が巻き起こったのである。訪米を控えた安倍首相は反発の激しさにたじろぎ、1993年の河野官房長官の談話を引いて元「慰安婦」への謝罪の意思を示し、なんとか訪米を乗り切った。}(大沼保昭:「"慰安婦"問題とは何だったのか」,P239)

2014年に「河野談話作成過程に関する検証チーム」が主として韓国とのやりとりについて検証を行い註42-4、「今回の検討作業を通じて閲覧した文書等に基づく限り,その内容が妥当なものであると判断した」としている。
現在、日本政府としては「河野談話は見直さず、継承する立場は変わらない」を公式見解としている。


4.2節の註釈

註42-1 挺対協の証言集の記載

証言集では、「吉田証言の信ぴょう性に疑義を挟む人たちがいる」 のあとに、「狭義の強制連行」があったことを述べている。

{ 吉田清治の証言があるが、… その信ぴょう性に疑義をはさむ人たちがいる。
当時の国際条約に規定されているように「詐欺または、暴行、脅迫、権力濫用、その他一切の強制手段」による動員を強制連行だと把握するならば、本調査の19人の場合は大部分が強制連行の範疇に入る。}(挺対協編「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」,P26)

註42-2 強制の有無は問題ではない!

{ 安倍のブレーンの岡崎久彦・元駐タイ大使が、「産経」5月14日付の「正論」の欄に、「安倍総理訪米と慰安婦問題の行方」という一文をよせています。そこで岡崎氏は、アメリカ社会では「強制の有無などは問題ではない。慰安婦制度そのものが悪なのである」と指摘しています。アメリカ社会では、女性の人権という意識が強く、無理やり連れていったことだけが問題なのではなく、慰安所に入れてそこに日本軍兵士が通ったこと自体が人権問題になっている。}(林博史:「日本軍"慰安婦"問題の核心」,P40-P41)

註42-3 安倍首相の発言

{ 「官憲が家に押し入っていって人さらいのごとく連れていくという強制性はなかった」(2007年3月5日 参議院予算委員会)、「この狭義の強制性については事実を裏づけるものは出てきていなかったのではないか」(2006年10月6日 衆議院予算委員会)(林博史「日本軍"慰安婦問題"の核心」,P70)

註42-4 検証チーム発足の趣旨

検証の趣旨について報告書は次のように記している。検証報告書は 首相官邸サイト からダウンロードできる。

{ 河野談話については、2014年2月20日の衆議院予算委員会において、石原元官房副長官より、①河野談話の根拠とされる元慰安婦の聞き取り調査結果について、裏付け調査は行っていない、②河野談話の作成過程で韓国側との意見のすり合わせがあった可能性がある、③河野談話の発表により、いったん決着した日韓間の過去の問題が最近になり再び韓国政府から提起される状況を見て、当時の日本政府の善意が活かされておらず非常に残念である旨 の証言があった。
同証言を受け,国会での質疑において、菅官房長官は、河野談話の作成過程について、実態を把握し、それを然るべき形で明らかにすべきと考えていると答弁したところである。
以上を背景に,慰安婦問題に関して、河野談話作成過程における韓国とのやりとりを中心に、その後の後続措置であるアジア女性基金までの一連の過程について,実態の把握を行うこととした。}