日本の歴史認識慰安婦問題第3章 主な論点 / 3.10 その他

3.10 その他

この節では下図にある3つの論点について述べる。

図表3.16 その他の論点

慰安婦=公娼!?

(1) 慰安婦の証言は信用できない!?

a) 否定派の主張

秦氏は、{ 国家としての体面や法的処理に関わるとなれば、検証抜きで採用するわけにはいかない。…次のように共通したパターンは見える。1.慰安婦生活が平均より過酷だったらしい、2.戦後の生活に恵まれていない、3.名乗りを嫌う家族を持っていない、4.知力が低くおだてにのりやすい。}(秦:「戦場の性」,P177) と述べる。

小林よしのり氏は、過酷な環境だったことを語る慰安婦の証言と、親が金を必要としていたので慰安婦になったという娘の話をする日本軍兵士の証言を並べて、「どっちの証言を信用する?」と書いている。(小林よしのり:「慰安婦」,P150)

b) 国家補償派の主張

{ 極端に誇張された証言、たとえば、北朝鮮の元慰安婦が「約150人の慰安婦を2列に並ばせ両側から首を斬った」などという証言は非現実的である。
元慰安婦の証言では話すたびに細部が変ったり、記憶があいまいな部分も少なくない。大事なことは、証言の信用できる部分と、信用できない部分を区別し、信用できる部分を積み上げて事実に迫って行くことだ。このような方法は元慰安婦の証言だけでなく、すべての証言や記録・文書を用いる場合に必要なことだ。
具体的にみてみよう。秦郁彦教授は、最初に名乗りでた金学順さんの訴状と他の3つの証言(挺対協編、解放出版社編、伊藤孝司編)がくいちがっていることを問題にしている。しかし、この中でもっとも信頼瀬が高いのが「挺対協編」であることは、専門家ならわかるはずである。生年は戸籍で確かめているし、ヒアリングは何度もおこなわれており、妓生を養成する家に40円で売られたという本人にとって不利なことも明言されているからだ。… 問題は慰安婦にされた事情だが、証言では、養父は北京で日本軍将校にスパイと疑われて連れて行かれ、彼女は別の軍人によって慰安所に連行されたと記されている。しかし、かせぐために中国に連れて行かれたとすれば、養父に売られた可能性があると見るのが自然だろう。現に、秦教授もそう考えている。
証言の価値は大きい。そこから私たちが何をつかみとるかが問われている。}(吉見・川田:「"従軍慰安婦"をめぐる30のウソと真実」,P73-P76<要約>)

 図表3.17 金学順証言の変動

金学順証言の変動

出典)秦「戦場の性」,P179-P181

c) まとめ

秦氏も吉見氏も慰安婦の証言に対する信頼度は異なるものの、基本的な見解は同じであろう。すなわち、証言のなかには信頼できないものもある、特に法的責任を問う場合の「証拠」とするような場合は必ず裏付けが必要になる。だからといって、慰安婦の証言がまるっきり信用できないものでもない。
しかし、小林氏のような「一般的な否定論者」になると、「信頼できない」だけに歪曲して伝えられる。冒頭に掲げた小林氏の主張のように、まったく異なる証言を並べて証言者の素姓だけで「どっちが信用できる?」などという人に、歴史事実をまともに語る資格はない。

(2) 日本軍はよい管理をしていた!?

a) 否定派の主張

小林よしのり氏は「武漢兵站」の元慰安係長の回想記を読むと「慰安所の実態が見えてくる」といって、次のように述べる。

{ 漢口に入城した売春業者は朝鮮人の女たちをまったくの奴隷状態で酷使収奪してたので、漢口兵站の監督下に置き、内地人の女同様借金制度に切り換えた。… 日本軍はそれまで奴隷状態だった慰安婦にむしろ人権を与える方向に管理している。}(小林よしのり:「慰安婦」,P60)

b) 国家補償派の主張

{ 漢口のような大都市の兵站では、余裕もあるので、たしかに慰安婦の状態を改善しようとしている。業者のあこぎな収奪を制限し、稼ぎ高の配分も借金のある者は業者6分、慰安婦4分、借金のない者は折半とするように指導している。そして、日本人慰安婦の場合、1年半と少しで内地に帰れるようにしたともいっている。これは事実だろう。…
多少の待遇改善をしても、本質的には性奴隷制度を維持していることには変わりがない。「人権を与える」というのであれば、前借金契約を破棄してただちに返すしかないはずだが、軍自体がこの制度を必要としているのだからやるはずがない。この根本のところを見逃して、人権もくそもないではないか。
軍の心ある慰安所担当者は、… 女性たちの待遇改善に努力をすることになる。そのかぎりでは「よい関与」という側面はあり、その努力は認めるべきだろう。…
条件のよかった大都市の慰安所でもこのようであった。それよりはるかに条件の悪い前線近くの慰安所はもっとすさまじいものだった。「私が沙洋鎮の前線で見た慰安所はバラック建てのアンペラ小屋で、お粗末なものだったが、南洋の施設はもっとはるかにひどいものだったにちがいない」と山田係長も記している。}(吉見・川田:「"従軍慰安婦"をめぐる30のウソと真実」,P42~P43<要約>)

c) まとめ

確かに、慰安婦にはよいサービスを提供して欲しかったから、その待遇を改善する努力をした善良な管理者もいただろう。しかし、そうでない管理者もたくさんいたであろうことは、次のような事実で裏づけられる。

・小林氏が引用した漢口兵站の山田慰安係長は次のように言う。{ 漢口兵站の場合、慰安係長は長続きしないと言われていたという。それは、特殊な仕事なので外部の中傷が多いこと、一部の業者に籠絡されやすいこと、… 問題を起こしやすい条件はそろっているのである。慰安係長を拝命した私は、役得めいたことはしない、職権をかさに威張らない、妓達にも対等の人間として接する… 最初からこうした方針で臨むことに腹を決めていた。}(山田清吉:「武漢兵站」,P79)
「漢口兵站の場合」というが、他の慰安所もおそらく同じようなもので、「外部からの中傷」を受けたり、「業者に籠絡」されたりした管理者が少なくなかったことを物語っている、と言っていいだろう。

・朝鮮人慰安婦19人の証言によれば、19人中13人(チップだけもらった3人も含む)が、報酬をもらっていないと証言している(図表2.13参照)。このうちかなりの数は、小林氏が指摘するように「内地人同様の借金制度」に切り換えれば、お金をもらえていた可能性が高い。つまり切り換えを推進しなかった管理者が少なくなかったといえる。

人によって管理方法が違ってくるのは大きな組織になればあたり前のことで、その差を小さくするためには組織の上部すなわち軍中央が指針なりガイドなりを通達し、それが守られていることを監査するようなしかけが必要である。ところが、{ 慰安所の管理は出先部隊の専管で、上級司令部や中央に届く戦時日誌や戦闘詳報の記載事項でもなかった。}(秦:「慰安婦問題の決算」,P68-P69) そのため、慰安婦や慰安所の管理は現場丸投げの属人的な管理になってしまったのである。

また、慰安所設置の目的が強姦や性病の抑制にあったのだから、それらの発生状況を定量的に監視し、目標を達成したのかどうか、しなかったのであれば、どうすれば達成できるのかを考えてしかるべきなのに、現場丸投げではそれもできない。これは、日本軍が持っていた組織管理上の致命的な欠陥といえる特質である。

(3) 戦場での性欲処理は必要?

a) 否定派の主張

{ 男は体が疲労した時、死に近づいた時、子孫を残そうとして性欲が向上してくる本能がある。なかなか現実として「紳士の軍隊」を作るのはむずかしい。もともと、理性のフタをはずして暴力をむき出しにするのが戦争だもんな。… 人間の暴力性を解放してしまう戦場にて軍紀違反する輩もいる。その時、現地の女性が犠牲になることがあった。それを防ぐのに慰安所が効果的で、幸い金で女の性を売りたい人はいっぱいいる。中には貧乏で売らねばならぬ人もいた。}(小林よしのり:「慰安婦」,P59・P62)

b) 国家補償派の主張

{ 日本軍が慰安所を設置したことはほめられる行為ではなかったにしても、必要だったとする慰安所の必要悪論は旧日本兵のあいだだけでなく、広く浸透している。いや必要悪論ではなく、罪の意識さえない必要論かもしれない。… 女性の性の売買は当たり前、それは人類が古くからおこなってきた営為であり、慰安婦も公娼だったのだからなにも問題はない。兵隊の性欲は抑えられないから、軍の秩序を保つために必要だった、というわけである。…
連合国に比較し、国力の劣る日本軍は、天皇を頂点にいただくピラミッド型のきびしい階級制度のもと、下級兵士にはきわめて過酷な戦闘行為を強いた。食料は … 現地調達主義、休暇制度もなく、兵士の生命は軍馬や武器の価値よりも軽く扱われた。こうした人権無視の軍隊にあって、軍に対する反感、上官に対する反発、厭戦感情などを「女をあてがう」ことで解消させ、戦意高揚に役立てようとした。破壊と殺戮を強いられる兵士の精神の荒廃を性的"慰安"をあたえることで軍はバランスをとろうとした。いわば軍隊内の矛盾を解消する緩衝地帯として慰安所は位置づけられたのである。}(吉見・川田:「"従軍慰安婦"をめぐる30のウソと真実」,P49~P51<執筆者:川田><要約>)

c) まとめ

小林氏の場合は「疲労した時や死に近づいたときに男の性欲は増す」らしいが、一般的には違うようだ。

・早尾逓雄陸軍軍医中尉の調査結果;

{ 人間は恐怖、疲労困憊のもとには性欲発揮することなし。これは睾丸の組織検査にも表れたり。戦闘休止し精神に余裕を生じ休養の効果表れるとともに睾丸の組織は常態に復旧す。ここにさらに精神の緊張失わるるをもって、性欲勃然として起こるは当然なり。餓鬼とならざるを得ず、これ強姦の流行せし所以なり。これをあえてせざるはその人の修養のあつきを物語るものとす(「軍医官の戦場報告意見集」44頁)。}(笠原十九司:「南京難民区の百日」,P48-49)

・ベテラン慰安婦 高梨タカの証言;

{ 突撃の前には妓を抱いてすっきりした気持ちで戦場にむかったって?突撃の前の日なんかに妓を抱きに来る兵隊なんかありゃしないよ。あんなもん、ピンとしなけりゃ入らないじゃないのよ。ウソ、ウソ、生き残りの大ボラよ。}(玉井紀子:「日の丸を腰に巻いて」,P88)

南京で日本軍が大量強姦事件を起こしたとき、「前線より後方部隊がひどかった」と言う人もいたらしいし、ソ連軍が猛烈な強姦を行なったのは勝ちが確定したあとの追撃戦のときだったし、米軍の強姦や娼婦買いも同様に戦闘が終ってからである。

日本軍においては、現地調達主義(徴発)が強姦のきっかけになったとか、強姦をした兵士に上官への反発心から強姦した、という証言もある註3a-1

戦争に強姦はつきもの、のように言われているが、日中戦争のときの八路軍(共産党軍)やベトナム戦争のベトコンには、強姦はまったくなかった註3a-2と言われている。

こうした情報を総合してみると、兵士の強姦あるいは性欲増進が起こる原因は次のようなものだと思われる。

① 戦闘が一段落したあとの解放感

② 敵国の民衆への憎しみ、もしくは"戦利品"としての正当化意識

③ 故郷から離れた異国の地での解放意識(いわゆる旅の恥はカキステ)

④ 非人間的な軍隊生活への反発や一時的逃避

しかも、これらは男性すべてに起こることではなく、小林氏流に言わせていただけば「スケベな男」(女好きな男性)に起こるものである。

原因がこのようなものであれば、「戦場で兵士の性欲が増して強姦に走るのはしかたがない」という慰安所必要悪論には無理があるといわざるをえない。国や軍が次のような施策をとればよいのである。

兵士へのモチベ―ション付与; 侵略戦争やメンツにこだわって始めた戦争は、一般国民や兵士にその必要性を認識させにくい。

兵士の人間性尊重と適度な休養; ストレス解消は性欲の充足よりも「健全な娯楽」である方が効果的、漢口の山田慰安係長はそう考えて図書館の設置や演芸会、スポーツ大会の開催に力を入れている。休暇もなく長期間戦場に張り付けられ、たまったストレスを発散する場は慰安所だけ、では強姦などにはけ口を求める兵士が出てくるのは無理もない。

軍の規律確保; 特に上層部の規律確保; 危なくなったら、逃げ出すような上官がいるところで、兵士のモラルを保つことは不可能。日本軍にはそのような幹部が少なからずいた。また、いわゆる「圧迫の移譲」のように上位の者から加えられたストレスを下位の者に圧力を加えることによって解消しようとするような風潮――これは現代のパワハラにつながっている――を排除することも必要。

残念ながら、旧日本軍はこれら3つのどれもが不合格であったことを認めざるを得ない。これらは、一朝一夕に解決できる問題ではなく、旧日本軍の本質を分析し、長所を生かし、短所を補う風土をつくりあげていく努力が必要だが、傲慢主義(ゴーマニズム)の旗を掲げる限り、それは不可能だろう。多様性を認め、相手の主張に耳を傾ける余裕がなければかなわない問題である。


3.10節の註釈

註3a-1 強姦のきっかけ

徴発は諸悪の根源;

{ 徴発の名目で民家を荒らしまわるうちに女をみつけて襲い、その犯跡をくらますために殺して焼き払う、という連鎖反応を引き起こすのである。… 砲兵旅団長として華中に出征した澄田睞四朗少将は、次のように述べている。「上司から命令したのが《徴発》であり、然らざるものが《掠奪》だなどという理屈が兵隊さんに呑み込める道理はない。兵士達はこんなことから、… 良心の麻痺を来して、軍紀風紀の頽廃を生じ、遂に放火、殺人(強姦)果ては虐殺なども、さほどの悪業とは、思わないような心境に立至ったと推するのは、筆者の僻目だろうか」(『任官60周年陸士第24期生小史』)(秦郁彦「南京事件」,P220)

上官への反発心;

{ 戦友がバタバタ死んでいく戦場で兵隊は刹那的になっていきますよね。えらそうなことを言うのは戦争を職業にする、それで名誉と金が得られる職業軍人だけなんですね。
そこで慰安婦というものを、えらい人はわれわれ兵隊に与えたわけです。その刹那性をなだめようとして。われわれのためでなく、彼らのためなのですがね。兵隊が刹那的になって、手荒いことをすると指揮官である彼らの責任になる、ということです。
殺し合いをさせられ、何日も何日も殺されたり殺したりしている人間を、平和な状態の道徳で律することはどうですかね。弁解ととられるのは勝手ですけど … }(千田夏光「続・従軍慰安婦」、P102-P103)

註3a-2 ベトコンは強姦をしなかった!

{ヴェトコンに捕らえられたアメリカ人女性たちは、釈放後にヴェトコンに強姦されなかったと言っている。ヴェトコンが強姦をほとんど起こさなかった理由には懲罰の存在があった。強姦の罪による処刑は公表されていた。人民から好意を抱かれるかどうかがヴェトコン自らの正当性に関わる中、強姦と略奪が起きるのは重大な政治的失策とみなされた。
また、8年間ヴェトナムにサイゴン特派員として駐在していたニュージーランド人のAP通信記者ピーター・アーネットによれば、革命遂行という使命に身を捧げている者には慰安所は必要なかったという。}(熊谷奈緒子「慰安婦問題」,P68)