日本の歴史認識慰安婦問題第3章 主な論点 / 3.8 日韓協定で解決済み!?

3.8 日韓協定で解決済み!?

慰安婦問題など韓国との間の戦後補償問題については、1965年の日韓請求権協定により解決済み、と否定派は主張し、日本政府も同じ見解を表明している。この節では、日韓請求権協定とはどんなもので、本当に解決済みなのか、検討してみる。

図表3.14 日韓協定で解決済み!?

慰安婦=公娼!?

(1) 日韓請求権協定(1965年)

日韓請求権協定は、日本と韓国の国交回復にあたって1965年に締結された日韓基本条約とあわせて結んだ協定で、財産や請求権について取り決めている。以下、締結の経緯と内容を述べる。

交渉の前提条件

交渉は1951年のサンフランシスコ平和条約に基づいて、1952年1月から開始されたが、次の2点が前提条件となった。

a)韓国は戦勝国ではなく、"賠償"を受けとる立場ではない

b)日本が韓国に残した資産は韓国に引き渡す

韓国は、戦勝国としてサンフランシスコ条約に参加させるべきだ、と訴えたが、連合国はこれを認めなかった。そのため、サンフランシスコ平和条約は、日韓交渉について「両国間で財産及び請求権を特別調整する」ものと定めており、戦争による賠償という考え方はない註38-1

また、韓国に残した日本の資産は終戦時にアメリカが接収し、これを韓国に引き渡すことが決定しており、韓国の対日請求権はある程度充足されたはず、というのがアメリカの見解だった註38-2

交渉開始と中断

韓国は交渉開始にあたり、8項目の要求註38-3を提示したが、そのうち戦時賠償に近いものとして「被徴用韓国人の未収金、その他請求権の返済」があるものの、他は「美術品の返還」、「韓国が所有する財産の返却」などで、植民地支配による賠償に関する項目はなく、これら要求項目を積み上げてもたいした金額にはならなかった。

一方で、韓国は植民地支配への謝罪とそれを考慮した支払いを要求したが、日本はこれを拒否、当時韓国大統領だった李承晩は、李承晩ラインを設定して日本の漁船を攻撃したり、竹島に民兵を上陸させるなどして、圧力をかけた。日本側も植民地支配の賠償を要求するのであれば、在韓資産の返却を要求する、と応じて交渉は暗礁に乗り上げた。

交渉再開と妥結

1960年4月の「4月革命」註38-4で李承晩は下野し、1961年5月の軍事クーデターで朴正熙が大統領に就任すると風向きはガラッと変わり、植民地支配の問題を棚上げした状態で金額の交渉に入った。韓国側の請求項目に対応する額を積み上げても日本側試算だと7000万ドルくらいにしかならない。内訳は不明確なまま(おそらくモロモロを積み上げて)グロスで、無償3億ドル、有償2億ドルを支払うことで決着し、1965年6月22日調印された。これとは別に朝鮮半島の日本資産52.5億ドル註38-5 (北朝鮮分も含む) が無償提供されたことになる。
なお、日韓合意に当たっては、泥沼化したベトナム戦争に苦しむアメリカの介入があった註38-6とされている。

※当時の為替レートで5億ドルは1800億円、現在の価値に換算すると5400~7200億円になる。換算は 「日本円貨幣価値計算機」 による。

基本条約・協定の内容

基本条約及び請求権協定の主な内容は次の通りである。(全文は 小資料集 を参照) 条約、協定には植民地支配や戦後補償などの文字はまったくなく、ただ、「経済協力」の名目で日本が合計5億ドルを供与し、双方の請求権がなくなったことだけが明記されている。

・両国の間に外交及び領事関係が開設される。(条約第1条)

・1910年8月22日以前に大日本帝国と大韓帝国との間で締結されたすべての条約及び協定は、もはや無効であることが確認される。(条約第2条)

・3億ドルを無償、2億ドルを有償(低利貸し付け)により提供する。(協定第1条)

・両国及びその国民の財産、権利及び利益並びに請求権に関する問題が、サンフランシスコ平和条約第4条(a)註38-7に規定されたものを含めて、完全かつ最終的に解決されたこととなることを確認する。(協定第2条)

(2) 基本条約・協定の課題

主な課題として次の2点がある。

・植民地関連条約などの有効性;
韓国側は交渉当初から「(日韓併合条約など)過去に締結された条約や協定は、当時から無効」と主張しているが日本は「現時点(基本条約締結時)から無効になる」と主張し、基本条約ではどちらともとれる内容で決着している。国際的には「当時の国際法慣行からするならば、無効ということはできない」註38-8という解釈が、一般的であるようだ。

・個人への補償;
日本の官吏や軍人・軍属、徴用工などの未払給与、恩給、補償など個人に対する補償金については、日本が主体的に対応する方法も提案されたが、「経済協力」の名のもとに供与されたお金のうちから韓国政府が支給することになった。しかし、供与されたお金の大半はインフラ整備などに使われて脅威的な経済発展を成し遂げた一方で、個人補償に使われたのは無償供与3億ドルのわずか5~6%であった註38-9

なお、個人が賠償を請求する「個人請求権」については、外交的保護権は消滅しているものの、個人が請求する権利そのものは消滅していない註38-10。日本で韓国人が慰安婦問題に関する裁判を起こせているのもそのためであるが、3.7節でも述べたようにその請求はすべて却下されている。

※外交的保護権: 「自国民が外国で違法な損害を受けた場合に、国が国自身の権利として、その外国に適当な救済を図るよう請求すること」(コトバンク(大辞林)) つまり、外交的保護権がないということは、国と国との関係としてではなく、個人として他の国に請求することになる。

(3) 韓国政府の見解

基本条約締結直後

1965年の韓国政府の見解は、「被徴用者の未収金及び補償金、韓国人の日本政府及び日本国民に対する各種請求等が、完全にそして最終的に消滅する」註38-11と、協定の内容を反復している。

盧武鉉政権

2005年盧武鉉政権は基本条約/協定の交渉過程を記した外交文書を公開し、慰安婦、サハリン残留韓国人、原爆被害者については請求権協定には含まれていないが、強制徴用被害者については含まれている、との見解註38-12を明らかにした。この解釈によれば、慰安婦問題などについては(国としての)請求権が残っているが"強制徴用被害者"――いわゆる"徴用工"も含まれる?――についての請求権はない、ということになる。

韓国憲法裁判所の判決

2011年8月、韓国憲法裁判所は、「韓国政府が慰安婦問題などで日本政府と外交交渉を行わないのは憲法違反にあたる」という判断を示した。この判決について、朴裕河氏は次のように批判する。

{ この裁判は、2006年に支援団体と慰安婦64名が「韓国政府が慰安婦問題の解決のために努力しないのは違憲」として起こしていたものだった。憲法裁判所は個人の請求権が日韓請求権協定によって消滅していないとみなして、その「解釈上の紛争」を解決するために政府が努力しないのは、違憲とした。(慰安婦の)支援団体の主張通りに動かない限り、"憲法違反"になる事態になった。
この請求の根拠は、日本が「婦女売買禁止条約」に違反したというところにあり、婦女売買の責任主体を日本だけにしているが、人身売買の主体はあくまでも業者だった。
このとき韓国外交通商部は、被害者が日本の賠償を受けるように動くことが政府の義務ではなく、政府が憲法違反しているとは言えない、と強く反論している。}(朴裕河:「帝国の慰安婦」,P177-P180<要約>)

韓国政府は、慰安婦問題について主体的に動かず、支援団体を外野から応援しているような状態だったのは事実であろう。それにしても、韓国政府は婦女売買の実態について裁判で朴氏の指摘するような反論ができなかったというのも情けない話である。

韓国大法院の判決

徴用工への補償について韓国大法院は2018年10月、新日本製鉄に対して1人当たり1億ウォン(約1000万円)の損害賠償を命じた。この判決について、韓国ソウル大学教授で右派の李榮薫氏は次のように批判する。

{ 大法院は、請求権協定では財産上の債権債務関係だけを扱い、"損害と苦痛"に伴う請求権問題は扱わなかったため、個人の請求権は有効だ、と言う。しかし、大法院の判決文と違って、請求権協定では徴用労務者の精神的被害問題が取り扱われている。
韓国は日本との国交正常化のための先決問題として請求権問題を扱い、植民支配の被害に対する賠償や補償ではなく、韓国側財産の返還を要求することを決定していたので、徴用労務者の精神的被害はもともと請求しないことになっていた。}(李榮薫:「反日種族主義」,P114-P115<執筆者は朱益鍾><要約>)

朴裕河氏も請求権はないという結論は同じだが、やや詳しく述べている。

{ 併合条約が結ばれた1910年当時は、植民地支配が法的に禁止されていなかった以上、植民地支配によって被った精神的・身体的被害に対して"賠償"を要求できる根拠が存在しない。
基本条約に向けての韓国政府の要請は、植民地支配に対する賠償ではなかった。日本は被徴用者に対する"補償"の議論のとき、「この項目は私的な請求がほとんどだと思うし、国交が回復し正常化すれば日本の一般法律に則り個別に解決する方法もあると思う」と述べたが、韓国は「国が彼らに代わって解決しようとしている」と答えている。また、日本は「徴用時には日本人として徴用されたものなので、日本人に対して行われたものと同様の補償を要求するのか」と質問したのに対し、韓国は「あたらしい立場から要求する」と繰り返している。
韓国が「被徴用者の精神的肉体的苦痛に対する補償までを含むもの」と認識していたのに対して、日本は「日本の国内法によってすでに成立している権利のみを念頭に置いていた」のだろう。こうした認識の差異は、当時の日本政府に植民地支配に対しての謝罪意識がなかったことを示す。そうではあっても、韓国政府がこのとき日本の意見を受け入れて個人補償部分を残していたなら、補償を受けることが可能だったかもしれない。これまで慰安婦たちがほとんどの裁判で負けたのは、このような事情があったからで、「日本の謝罪意識がない」ためではない。
個人の請求分を代わりに受け取ってしまって、日本に対してもはや個人請求をできなくしたのは、残念ながら韓国政府だった。そしてそれは時代的な限界でもあった。}(朴裕河:「帝国の慰安婦」,P185-P188)

植民地支配を合法と考えたら韓国人被害者への補償は日本人に対するものと同じになり、そこには植民地人であるがゆえの苦痛に対するものは含まれない。基本条約締結時に韓国は植民地支配の不当性を訴えたが、日本もアメリカなど連合国もそれを認めず、条約/協定にもそうした言葉は盛り込まれないまま、経済協力の名のもとに支払われたお金で韓国側で対応することになった。これは「時代的な限界」であり、条約や協定の法的問題として扱うべき問題ではない、筆者はそのように理解したい。

(4) 日本政府の見解

日本政府は一貫して「日韓協定により請求権の問題は解決済み」との姿勢を保っている。以下は、2019年7月19日の外相談話の一部である。(全文は 外務省ホームページ を参照)

{ 日韓両国は,1965年の国交正常化の際に締結された日韓請求権協定は,日本から韓国に対して,無償3億ドル,有償2億ドルの経済協力を約束するとともに,両国及びその国民の財産,権利及び利益並びに請求権に関する問題は、「完全かつ最終的に解決」されており,いかなる主張もすることはできないことを定めており,これまでの日韓関係の基礎となってきました。}

この解釈はアメリカなどからも支持されている。

{ これまで慰安婦問題を含めて、さきの戦争と植民地支配にかかわる請求権の問題は1951年のサンフランシスコ平和条約や被害国との2国間協定で解決されており、日本の法的責任を問うことはできないという解釈が支配的だった。この解釈は、現行法の解釈としてみるかぎり、かなり強固なものといわざるを得ない。そうした解釈は、日本政府だけでなく米国政府を含む多くの関係国政府の解釈でもある。}(大沼保昭:「慰安婦問題とは何だったのか」,P144)

(5) 国家補償派の主張

国際法の専門家である安倍浩己教授は、つぎのように述べる。

{ (日本)政府は、国際法を国家間の関係を規律する法体系とみている。慰安婦問題は国家間の問題であり個人の介入する余地は国際法的にはない、と政府が言うのに対して、元慰安婦側は、この問題は被害者個人と日本国との国際法上の問題でもあるとしている。これは国際法・国際社会観もからむ重大な対立にほかならない。
日本が国際法違反を犯したのであれば、その責任が追及されてしかるべきだが、政府によれば、どの国も日本の責任を法的に追及し得ないのだから、この問題は処理済みと表現される。しかし、それは違法な状態が治癒されることなく蓋をされたにすぎないのである。
このゆがんだ事態は、国が自発的に治癒できるものでもある。全容解明のための情報公開、調査、元慰安婦にたいする陳謝・賠償、再発防止、リハビリテーションといった措置を国が自発的に講ずればよい。法形式的にそれを禁ずるものは何もない。必要なのはそれを実現しようとする政治的意思、それだけである。}(吉見・川田:「"従軍慰安婦"をめぐる30のウソと真実」,P92-P93<要約>)

阿部氏の主張は法理論として間違ってはいないのかもしれない。しかし、現実的には3.7節の最後に書いたようにたくさんの壁があるなかで、どのようにして被害者を救済していくか、考えるべきであろう。

(6) まとめ

日韓協定には、植民地問題の解釈についての違いが関係している。この協定を締結した当時、韓国側は植民地として被った被害を含めて賠償するように求めたが、日本が公式に認めることはなかった。最終的にはそれを考慮した金額で折り合ったものの、名目が「経済協力」になったのはまさに"時代的限界"だったのだろう。今後も、日本政府が植民地支配について法的に謝罪することは今後もないと思うが、両国が和解するためには、法的以外の方法で双方が"何か"をしなければならないことは間違いない。当然のことだが、どちらか一方だけが"勝つ"、という結果もありえない。


3.8節の註釈

註38-1 韓国は戦勝国ではない

{ 1951年5月の段階で米国は英国の意見を受け入れて韓国を対日平和条約の署名国からはずす意向を固め、その意向は1951年7月9日にダレス国務長官顧問から梁裕燦駐米韓国大使に直接伝えられた。「日本と戦争状態にあり、かつ1942年1月の連合国共同宣言の署名国である国のみが条約に署名するので、韓国政府は条約の署名国にはならない」というのがその理由であった。}(藤井賢二:第1次日韓会談における「旧条約無効問題」について」2009年3月、東洋史訪15、兵庫教育大学、 HEART 兵庫教育大学アーカイブ)

註38-2 韓国に残した日本の資産

{ 1945年末、南韓でも米軍政が日本人財産を没収しました。日本が韓半島に残していった財産は1946年の価格で52億ドルを超え、そのうち22億ドルが南韓にありました。そこには民間人の財産も相当ありました。この財産を1948年に韓国政府が、米軍政から受け取りました。}(李榮薫:「反日種族主義」,P109)

{ 米国の立場表明の再提出(1957年12月31日)
(サンフランシスコ)平和条約第4条(a)で規定された「特別調整」とは、在韓日本人財産が取得されたということが考慮されるべしということを考えたことで、韓日間の特別調整は韓国の対日請求権が在韓日本人財産の引き渡しである程度消滅または充足されたかを決定する課題を同伴する。}(同上,P111<表9-3>)

※ 1946年当時の52億ドルは現在の価値に換算するとおよそ75兆円。

註38-3 韓国からの8項目要求

1. 韓国から持ち出された古書籍、美術品、骨董品、その他国宝、地図原版、地金、地銀の返還

2. 1945年8月9日現在の日本政府の対朝鮮総督府債務の返済

3. 1945年8月9日以後に韓国から振り込み、または送金された金員の返還

4. 1945年8月9日現在の韓国に本社または主たる事業所がある法人の日本にある財産

5. 韓国法人または韓国自然人所有の日本国または日本国民に対する日本国債・公債、日本銀行券、被徴用韓国人の未収金、その他請求権の返済

6. 韓国法人または韓国自然人所有の日本法人の株式またはその他証券の法的な認定

7. 前記の諸財産または請求権で生じた諸果実の返還

8. 前記の返還または決済は協定成立後即時開始し、遅くとも6か月以内に終了すること

出典: 李榮薫:「反日種族主義」,P108<表9-2>

註38-4 1960年4月の「4月革命」

1960年3月に行われた第4代大統領選挙(3.15不正選挙)における大規模な不正選挙に反発した学生や市民による民衆デモにより、当時、第4代韓国大統領の座にあった李承晩が下野した事件。(Wikipedia:「4月革命(韓国)」

註38-5 朝鮮半島の日本資産

在韓日本資産(GHQ調査で52.5億ドル、大蔵省調査で軍事資産を除き計53億ドル) (Wikipedia:「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」

註38-6 日韓協定へのアメリカの介入

{ 1965年の日韓請求権協定締結が、泥沼化したベトナム戦争の負担に苦しむ米国の介入によってなされた … }(内田雅敏「通過点としての日韓"合意"」,雑誌「世界」2016年3月,P133)

註38-7 日韓併合条約の有効性

原文はとても分かりにくいので主旨だけを記す。

第4条 (a) 朝鮮や台湾、千島列島など日本の領土だったところにある日本の財産や請求権、ならびにそれらの地域の施政を行っている国とその住民が日本に所有している財産や請求権については、日本とその国との間で特別取極(special arrangements)をする。

原文は こちら

註38-8 日韓併合条約の有効性

2001年に開かれた国際学術会議「韓国併合再検討国際会議」で、日韓および欧米の学者が検討している。この会議は韓国側の主張する違法論を国際的に認めさせようという政治的意図の下に主導・開催されたものであった。韓国の学者は一致して不法論を述べ、また日本から参加の笹川紀勝も不法論を述べたが、ダービー大学のキャティ教授が帝国主義全盛の当時において「国際法が存在していたかどうかさえ疑わしい」とし、ケンブリッジ大学のクロフォード教授(国際法)は「強制されたから不法という議論は第1次世界大戦以降のもので当時としては問題になるものではない」、「国際法は文明国間にのみ適用され、非文明国には適用されない」とし、「英米などの列強の承認があった以上、当時の国際法慣行からするならば、無効ということはできない」としている。(Wikipedia:「韓国併合再検討国際会議」)
註39-4(ページ外) にはこの会議で「不当だが合法」論を主張した海野福寿氏の主張も記載したので、併せて参照願いたい。

註38-9 個人補償に使われた金額

{ 対日民間請求権申告法が1971年1月に制定されました。対象になったのは、日本銀行券、日本国債などの財産関係と軍人・軍属または労務者召集または徴用され1945年8月15日以前に死亡した者、つまり被徴兵と被徴用の死亡者でした。申請があったのは、財産関係131,033件、人命関係11,787件でした。請求権補償法は1974年12月に制定され、補償金受領は1975~77年に行われ、財産関係に66億1695万ウォン、人命関係に25億6560万ウォンが支給されました。民間補償額がみな合わせて91億8800万ウォンで、無償3億ドルの6.3%にしかなりませんが、朴正熙政権が着服したのではなく、請求権を持ついくつかの金融機関(国有金融機関など゙)に対しては補償しないことにしたからです。}(李榮薫:「反日種族主義」,P189-P191<要約>)

註38-10 個人の請求権

現在の両国の解釈では、日韓請求権協定で被害者個人の賠償請求権(実体的権利)が消滅したのではないことについては一致しており、争点は外交保護権の有無と訴訟により請求する権能の有無の2点である。ところで、日本の裁判所による解決の可能性はすでに消滅しており、訴訟権能の問題は過去の争点である。また、外交保護権の問題は個人と企業・国との間の交渉等においては直接関係のない問題である。こうしてみると、両国の日韓請求権協定解釈の対立はそれほど大きなものではなく、日韓請求権協定が戦争・植民地被害者の権利回復の障碍になっているわけではない。(出典: 「法律事務所の資料棚」

註38-11 基本条約締結直後の韓国政府見解

「1965年の条約と協定に関する韓国政府の公式解説」
財産及び請求権問題の解決に関する条項で消滅する我々の財産及び請求権の内容を見れば、(中略)被徴用者の未収金及び補償金に関する請求、韓国人の対日本政府及び日本国民に対する各種請求等が、完全にそして最終的に消滅する。(1965年7月)
出典: 李榮薫:「反日種族主義」,P114<表9-4>

註38-12 盧武鉉政権の見解

「韓日請求権協定は日本の植民支配の賠償を請求するためのものでなく、韓日両国間の財政的、民事的債権・債務関係を解決するためのものであり、したがって日本軍慰安婦問題など日本政府や軍など国家権力が関与した反人道的不法行為に対しては請求権協定によって解決されたと見ることはできず、日本政府の法的責任が残っている。サハリン同胞問題と原爆被害者問題も請求権協定に含まれていない」と明らかにした。しかし強制動員被害者についてはすでに解決済みという立場を明らかにした。(中央日報日本語版2018/10/30)