日本の歴史認識慰安婦問題第3章 主な論点 / 3.6 慰安婦=公娼!?

3.6 慰安婦=公娼!?

慰安婦は公娼と同じかどうかの議論は、否定派とそれを非難する人たちの間の議論としてのみならず、女性の人権問題をとりあげるフェミニストたちが重点的にとりあげる問題でもある。

図表3.11 慰安婦=公娼!?

慰安婦=公娼!?

(1) 2種類の議論

この問題には2つの側面がある。ひとつは、否定派が慰安婦問題に国の責任はないと主張する根拠のひとつしての議論である。否定派は、慰安婦制度は当時は合法だった公娼制度の延長上にあるものであるから、合法な制度であり、国が謝罪しなければならない筋合いのものではない、と主張し、それに国家補償派が反論する。

もうひとつは、女性の人権問題としての議論で、フェミニストたちは、慰安婦にしろ公娼にしろ女性の人権を踏みにじった制度であることには違いなく、両制度の根源にある男性中心で女性の人権を蹂躙する社会の問題として捉えるべきだ、と主張する。

(2) 否定派(小林よしのり氏)の主張

小林氏はこの問題について漫画で次のように語る。(漫画の語りのうち主な部分を抽出した)

{ 日本には昭和33年(1958年)まで公娼制度…つまり"公認の売春"という制度があった。それまでは売春は合法だった。そしてその頃までは日本は貧しかった。
人権の観念も「フェミニズム」の観念もない貧困の時代、体を売り家族を支えた多くの女性たちがいたのである。
慰安所は占領地の性犯罪や性病を減らすために確実に有効であったのだ。「それでも日本兵はあちこちで強姦してたじゃないか!」とサヨクは言っているが、それは「警察がいても犯罪が起こる」と言っているようなもの。何の犯罪だって根絶はできない。
貧困のために身を売るしかなかった境遇は悲劇ではあるが、そんな中でも人は案外、強く生きていく。サヨクは暗黒・悲惨の一色に染めたがるが、人間そんなに単純じゃない。
昔も今もスケベだから買う男がいて高収入だから売る女がいる。貧困ゆえに売らなければならない女もいる。}(小林よしのり:「慰安婦」,(P165-P169)

とてもわかりやすく単純化してあり、しかもこれに漫画がついているのだから、多くの否定派シンパの共感をよぶのは間違いないだろう。ただ、「警察がいても犯罪は起こる」を日本軍に適用するには大量すぎる強姦が起きているし、身を売った女性の中には「強く生きた」女性もいただろうが、自殺した女性や寂しい老後を送らざるを得なかった人もたくさんいた。それらをしかたがないこと、と片づけてしまうのは簡単だが、過去から学ぶことを拒否するところに進歩はない。貧しかった過去を克服したのは、過去から学んだことがたくさんあったからではないだろうか。

(3) 否定派への反論

吉見氏は、否定派に対して次のように反論する。

{ 慰安婦制度と公娼制度は同じではない。公娼制度は「事実上の性奴隷制度」だったが、慰安婦制度は文字通りの「性奴隷制度」だった。公娼制度があったのだから慰安婦がいても問題ではないというのは、公娼制度とは何かもよく知らない人の言葉だ。公娼といってもほとんどが、貧しい家庭を支えるために苦界に身を沈めており、自らの意志で売春婦になったひとはまずいなかった。
1900年に発布された娼妓取締規則では、娼妓の営業を本人の自由意思にもとづくものという外見を維持するため、廃業の自由や通信、購買などの自由を保障し、1933年には外出の自由も認められたが居住の自由はなかった。前借金がある場合、実質的にお金を返すまで遊郭で働かざるを得なかった。
公娼制は軍人だけでなく民間人も利用したが、慰安婦制度は軍人専用であり、慰安所の設置は軍が行い、軍の指示で業者は慰安婦を集め、慰安所の規則や料金も定め、経営・経理に深く関与した。公娼制度に警察はここまで介入しない。}(吉見・川田:「"従軍慰安婦"をめぐる30のウソと真実」,P57-P60<要約>)

簡単に言えば、公娼制度を定めた法は悪法であり、慰安婦制度はそれよりさらに厳しい環境で働かざるを得なかった、ということであろう。

(4) フェミニストの主張

フェミニストには後述の秦氏が指摘するように「男は動物以下」など、過激な言葉を使う人もいるが、ここでは比較的冷静と思われる藤目ゆき氏の主張を紹介する。

公娼制度への批判

この問題に対する藤目氏の基本的なスタンスは次の言葉であらわされるだろう。

{ 「慰安婦は公娼/売春婦だから問題はない」といった主張が横行していることは、性奴隷制の下で心身に深い傷を負わされた女性たちの痛苦を侮辱して否定するものであり、女性差別主義がなお日本人の意識に深く根を張っていることの表れである。}(藤目ゆき:「"慰安婦"問題の本質」,P199)

以下の主張は吉見氏の主張とほぼ同じである。

{ "自由主義史観"派註36-1は、「慰安婦=公娼論」をもって国家の責任を回避できると思っているようだが、公娼は国家が管理しているものであり、「慰安婦は公娼だ」と主張することによって管理者たる国家の責任を暴露している。
近代の公娼制度は、国家は「民間売春業者の存在を容認している」かのような外観と、公娼は自発的な意思で商行為をしているかのような欺瞞性をかかえた制度であった。
第一の欺瞞は、国家関与の隠蔽である。国家は公娼制度の外で行われる売春を"密売淫"として禁止することによって、女の性の売買の権利を独占し巨額の税収を確保していた。売春管理は地方行政に任せて中央政府が"醜業"に関与していないかのように見せかけ、税金も雑収入の名目で売春からの徴税という事実を隠蔽した。
第二の欺瞞は、人身売買ではなく自由意思によるという名目にしたことである。娼妓は前借金返済義務を負わされることにより、廃業の自由は名目だけになった。}(同上,P35-P37<要約>)

戦後の政策や社会の無理解を批判

つづいて、戦後の売春や1956年に制定された売春防止法についても批判する。

{ 1946年にGHQの廃娼令で娼妓取締規則は撤廃されたが、遊郭は特殊飲食店街(赤線)と名を替えて温存された。街娼とみなされた女性たちには、元娼妓などのほか、戦争孤児や戦争寡婦、引揚者、戦災者など売春をしなければ生活できないような苦境に追い込まれた女性たちも少なくなかった。彼女たちに国家は償う責任がある。
売春防止法は売春の禁止であるが、それまでやってきた仕事が非合法化される娼婦たちにとっては死活問題であり、政府の責任を問い国家補償を要求したが、彼女らの要求は世間の無理解にふみにじられた。売春防止法の施行で彼女たちは犯罪者扱いされ、地下に潜らざるをえなくなった。
国家が民間の買売春制度を容認していただけの公娼制度を、売春防止法をもって一件落着したかのような見方が幅をきかせている。このような迷妄が社会に蔓延しているがゆえに"自由主義史観"派の「慰安婦=公娼論」は国家補償無用論に利用されるのである。}(同上,P39-P40<要約>)

"慰安婦≠公娼"への批判

{ 「慰安婦≠公娼論」においては、公娼と戦地の慰安婦との差異が強調されるとともに、慰安婦には違法性がある、とされる。違法性の根拠としてよく指摘されるのは、「婦人及児童の売買禁止に関する国際条約」のほか、最近では慰安所業者に誘拐罪の有罪判決を下した1937年の大審院判決註36-2も慰安婦連行が刑法刑法違反であることを示すものとして注目されている。
適法性の有無が重視されるのは、「売春が合法であった時代のことを戦後の価値観で断罪するのは誤りだ」と強弁する"自由主義史観"派への対抗、つまり慰安婦連行は当時の価値観や法に鑑みても罪とされるという反論の意味があるように思われる。
このような「慰安婦≠公娼」論が、合法だから…当時の人権水準が低かったから…、慰安婦たちの被害は謝罪や補償に値するものではないという"自由主義史観"派の立論の前提に無批判であるとはいったいどうしたことか。
公娼制度がいかに悪法であるかを明らかにすることが重要である。代表的な法である娼妓取締規則や廃娼運動の展開などを意義あるものとして伝えることで国家の犯罪性を隠し続ける手助けをしてしまう危険をはらんでいる。さらに人権運動の挫折と汚辱の歴史を分析し、教訓としていくべきではないか。}(同上,P46-P50<要約>)

慰安婦≠公娼とすることに対して藤目氏が抱いている不安は、慰安婦と公娼を分断することによって公娼を正当化し反女性イデオロギーを補強してしまうことのようだ。

(5) フェミニストへの批判

秦氏は過激なフェミニストたちをやんわりと批判する。

{ フェミニストたちは独特の仲間用語(ジェンダー、カムアウト、セカンド・レイプなど)を使う。
フェミニスト陣営の総帥格である上野千鶴子(東大教授)が展開した「文書資料至上主義=実証史学」への批判は、慰安婦の支援に関わっている運動家たちを困惑させた。「女は歴史に文書を残してこなかった… (ゆえに)文書資料中心主義の土俵にあがることは危険だ」、「客観性・中立性というのは、実は強者のルールの押しつけ」、「慰安婦の語りのなかに矛盾や非一貫性にこそ価値を認めるべきだ」と、大胆で新鮮な提言がくりだされていく。
戦闘的なマルクス主義フェミニズムの旗手である上野が鈴木や若桑みどりを叩くのを大越愛子が「反対陣営を利するだけ」と批判し、女性基金派の臼杵敬子を「工作部隊員」とののしるように、陣営内の対立は厳しい。保守系の女性たちとの関係も険悪で、彼女は上坂冬子、櫻井よしこ、曽野綾子、林真理子らの名をあげ、「保守の女たちはゴーマン派の男性と変わらぬ。むしろ女性に対しては同性ゆえにより残酷」と批判する。
慰安婦問題はたしかに、フェミニストたちの運動を活性化させる作用を果たしたが、それを契機にクローズアップした諸課題、たとえばナショナリズムとフェミニズムの相克、買売春と自己決定性の関りなどは決着がつかぬまま、むしろ混迷の度を深めているとも言えそうである。}(秦:「戦場の性」,P350-P354<要約>)

(6) 和解派の見解

和解派である熊谷奈緒子氏もフェミニストとほぼ同じことを述べている。

{ 公娼制は「女性を遊具視し、性奴隷化するシステムの国家公認」(鈴木2002-83)である。そうすると慰安婦イコール公娼だとして、合法性のゆえをもって慰安婦制度の免責を図ろうとうとするが、「女性にとって極め付きの悪制度である公娼制の存在が慰安婦制度免責の理由にされるとは、まったく逆立ちした論理」(鈴木2002-82)なのである。
さらに慰安所の慰安婦が売春婦であったら問題ないという保守派の考えは、そもそも売春業に携わらなければならない女性の社会的背景を見落としている。}(熊谷奈緒子:「慰安婦問題」,P78<要約>)

{ 慰安婦問題は女性問題として扱われることが多いが、じつはそこには階級問題が関わっていることを見逃してはならないと、多くのフェミニストが指摘している。多くの慰安婦が恵まれない家庭環境や何より貧しさを吐露している。この問題は現在にもつながっている。
その階級問題とともに関わってくるのが父権主義である。多くの元慰安婦が元は売春婦だったとしても、その背景には貧しい家庭における口減らしのための娘売りといった父権社会の中での習慣がある。そういったものを許容してきた社会にも問題があることは認識されるべきである。当時の公娼制度や、戦場でのその延長としての慰安所を可能にした発想の根底には、女性は男性支配の道具または対象として扱われてもよいという考えがあったと思われることだ。
さらに、慰安婦への矛盾した取り扱いが、父権社会の考えを示している。戦争において、極度の緊張を解放するために女性を必要とし、慰安婦を利用した。だが一方、女性の純潔貞操を尊重する父権社会では、売春婦は忌むべき存在であり、兵士の慰安婦利用は褒められた行為ではない。} (同上,P45-P47<要約>)

(7) まとめ

公娼制度は悪法だったかもしれないが、当時の日本において合法であったことは間違いない。ただし、国際的に廃娼運動が進みつつあるなかで、国内でも公娼制廃止の一歩手前までいっていたにもかかわらず開戦がそれにブレーキをかけ、慰安婦制度を成立させたのは時代の流れに逆行するものであった。
慰安婦システムは公娼制度の基本的な仕組み ―― 前借金を慰安婦が客の相手をしながら返済していく仕組みや定期的な性病検査など ―― をそのまま引き継いでおり、慰安所のなかには内地の遊郭の支店として出店するものもあった。ちがうのは、公娼制度が民間の買売春事業を容認しそれを国が監督していただけのものに対して、慰安婦システムは事実上、軍の一部になっており軍主体の事業に業者は下請けとして参画していた点である。また、3.7節で述べるように国際法に違反した行動が行われており、責任の所在はさておき、違法行為があったシステムだったことは間違いないのである。

また、フェミニストたちが指摘するように、公娼制も慰安婦制度も家父長制にもとづく人権軽視の風土が背景にあり、それが現代の日本や韓国にいまだに残っていることも事実である。女性の社会参加がなかなか進まないこと、少子化、さらにセクハラやパワハラも、この風土に一因があると思う。


3.6節の註釈

註36-1 自由主義史観

藤岡信勝氏や西尾幹二氏らが唱えている歴史観で、戦後の自虐的歴史観から「自由」になるという意味である。実証的な歴史認識とは距離をおく。例えば、西尾幹二氏の「国民の歴史」は神武天皇からはじめる「歴史物語」になっており、これを正当な日本の歴史だと称している。

註36-2 1937年の大審院判決

1932年に長崎県の女性を騙して上海の慰安所に連れて行った日本人斡旋業者が婦女誘拐海外移送罪で逮捕され、1937年大審院で有罪判決を受けた。(Wikipedia「朝鮮南部連続少女誘拐事件」)