日本の歴史認識慰安婦問題第3章 主な論点 / 3.5 他の国にもあった!?

3.5 他の国にもあった!?

慰安婦制度は他の国にもあった、戦時には必要な制度であり日本だけが責められるのは納得できない、こんな主張をする政治家や著名人が多い。日本以外の国にも兵士たちの性欲を満足させる仕組みは確かにあったが、それはどんなものだったのか、確認してみたい。

図表3.10 他の国にもあった!?

他の国にもあった!?

(1) 橋下徹氏の発言

2013年5月、当時大阪市長だった日本維新の会の橋下徹氏は、次のような趣旨の発言をした。

慰安婦の方々が意に反してその職業についたというのであれば、心情を理解して優しく配慮しなければならない。当時、世界各国の軍隊は慰安婦制度を持っていた、なぜ日本だけが責められるのか。日本軍がそういう制度をもっていたことは事実だが、朝鮮戦争、ベトナム戦争でもあった。違うところは違うと言うべきだ。銃弾が雨嵐のごとく飛び交う中で命をかけて走っていくときに、精神的に高ぶっている集団を休息させようとしたら、慰安婦制度が必要なのは誰だってわかる。

出典; HUFFPOST NEWS

事実を知ってもらう、言うべきことは言う、というもっともらしい前提をつけて発言しているが、これを聞いた元慰安婦やその関係者には慰安婦問題の存在を否定する単なる言い訳としか聞こえないだろう。橋下氏は、他の国にも慰安婦のような女性がいた、ということを世界の人たちが知らないとでも思っているのだろうか。

そもそも、他の国もやっているのに…、という発言は、公平でない、ということなのだろうが、時と場合によっては火に油を注ぐことになる。日本を貶めることはあってもそのプライドを回復することはない発言である。

(2) 各国の"慰安所"事情

兵士たちの"戦場の性"を処理する各国の方法を、秦氏は次の3タイプに類型化している。(秦:「戦場の性」、P147-P148)

自由恋愛型

アメリカやイギリスは故国の女性の世論が厳しく、軍内部にも抵抗があったので、慰安所の設置や公娼の公然たる利用は困難だった。そこで現地人女性の私娼の利用を黙認する方向で対応したが、性病の増大は避けられなかった。婦人部隊(米軍26万人、英軍44万人)や看護婦にも代替えの役割を期待した。また、日本軍やドイツ軍がかかえていた慰安婦を、居抜きの形で利用する例もあった。

慰安所型

日本とドイツが代表例。両者は開設の理由から管理運営の仕組みまで似ているが、人間が類似の機能を考えれば似たりよったりになるのは当然といえる。ドイツでは最近まで慰安所制度の存在自体を知る人が少なく、実態の解明は遅れているが、最近になって国防軍用だけでなく、アウシュビッツなど強制収容所向けの慰安所があったことが判明している。

レイプ型

ソ連が代表例だが、旧ユーゴスラビア内戦、バングラディッシュ独立戦争、などで似たような話がある。ソ連軍は第二次大戦末期のドイツと満州で大規模なレイプをくり広げた。このような"戦時強姦"と組織的な"慰安婦"制度とをどこで区別するかは、むずかしい。

吉見氏は次のように述べる。

{ 現在までの研究では、第二次大戦中に、軍中央が公認し、推進する慰安所をもっていたのは、日本とナチス・ドイツだけである。連合国の軍隊のまわりにも、売春宿があったことは事実だ。しかし、軍中央はこれらの売春宿を軍隊が管理・統制することをけっして公認しなかった。
以上は、他国でたたかう侵略軍や外征軍のケースだが、自国の解放をめざす軍隊の場合には、まわりに慰安所や売春宿はなかった。}(吉見・川田:「"従軍慰安婦"をめぐる30のウソと真実」、P44)

吉見氏は第二次大戦中の範囲としているが、その後、日本軍とほぼ同じかたちの慰安所をベトナム戦争において韓国軍が設置していたことが知られている。

(3) ドイツ

目的は、性病対策、防諜、混血防止など。1940年7月、陸軍総司令官が指定売春宿以外の利用禁止を通達した。ドイツ本国に慰安所は設置されなかったが、西方占領地では従来からあった売春宿を軍の管理下におき、東方占領地、とくにソ連ではスターリンが売春を禁じていたので新設せざるを得ず、慰安婦は強制徴用された。慰安所の運営は前線の中隊長が軍医と協力して行い1942年には500か所以上あったといわれている。慰安所利用規則は日本軍のものに酷似している。性病予防を重視し、慰安婦は週2回、検診を受けた。その効果は満足すべきものがあった、と43年1月27日付の国防軍総司令部報告は自讃している。しかし、強姦は少なかったわけではなく、ロシア、東欧、フランスなどで多数の事例が報告されている。(秦:「戦場の性」,P150-P151<要約>)

なお、Wikipedia:「ドイツ軍将兵用売春宿」によれば、占領中を通して少なくとも34,140人の女性が被害を受けたと見積もられている。ピーク時兵力はドイツ陸軍が655万人(1943年)、日本陸軍が640万人(1945年)とほぼ同等註35-1なので、34千人という数字の信ぴょう性は不明だが、参考にはなる。

ドイツと日本の慰安所は規模や運用方法はよく似ているが、いくつかの違いがある。レギーナ・ミュールホイザー「戦場の性」をもとに推測すると次の3点にあると思われる。

①主たる目的; 日本では強姦防止だったのに対して、ドイツでは混血防止、すなわちドイツ人兵士が他の人種、特にユダヤ人と交わることを抑えることにあった。

②慰安所の管理; 日本では慰安婦集めから慰安所の管理まで業者に委託する形態が多かったのに対して、ドイツは軍中央が標準的な基準を作って軍直営で運営し、衛生将校たちは報告を求められた。

③慰安婦の徴募; 日本では内地や植民地から徴募した慰安婦が多かったが、ドイツの場合ほとんどが占領地の女性が多かったようだ。フランスなど西方占領地では既存の売春宿の娼婦、東方では私娼や一般の女性を使ったが、徴募の詳しい状況はよくわかっていない。( 註35-2 参照)

また、ドイツは戦時中の強制労働などに対しては戦後賠償を行なっているが、慰安婦については謝罪も賠償もしていない。かといって、元慰安婦やその支援者などが騒いでいる、という話も聞かない。その理由をレギーナ・ミュールホイザー「戦場の性」の監訳者(姫岡とし子)は、元慰安婦を支援する団体が旧ソ連下の政治経済情勢のもとでは作ることができないから、だという。それもあるだろうが、ドイツとソ連は激しいレイプ合戦を繰り広げており、双方ともにそれが明るみに出ることを望まないからという理由もあるのではないだろうか。

(4) アメリカ

米軍は日本やドイツのような慰安所は作らず、建前上は売春婦との接触を禁止しつつ、民間の売春宿の利用を黙認した。以下、秦:「戦場の性」,P160-P170 から要約する。

対独戦場

1941年陸軍サーキュラー170号規定において、「兵士の売春婦との接触はいかなる場合も禁止」、との布告を出したが、実際には買春を黙認し、軍内外から批判があった場合は形だけ調査して適切な処置をとることにしていた。"軍内外"というのは、カトリック神父や軍医将校、女権運動のリーダーなどだった。シシリー島を占領したあとドイツ・イタリア軍が残した慰安所を引き継いだり、私娼通いを黙認したりしていたが、性病の感染率は高かったという。

対日戦場

こちらもヨーロッパと同じような建前倒れがあった。ハワイでは兵士たちを対象にした売春宿があり定期検診もあったが、建前を主張する軍に押されて1944年9月に閉鎖された。中国昆明では、中国女性から性病を移される者が急増したため、インドから売春婦を運んできたが、総司令官が激怒して閉鎖された。米兵たちは定期的に休暇をもらいシドニーなどでドル札を切って景気よく遊んだが、オーストラリア軍兵士は家族らが凌辱されないか心配したという。

占領軍とRAA

敗戦によって米軍の大量進駐を迎えた日本政府は、「良家の子女を守るため」、30百万円の予算をつけて有力業者に話をつけ、芸妓、娼妓などを集めて「特殊慰安婦施設協会」(RAA: Recreation and Amusement Association)を設置した。8月27日に東京大森に第一号が設置され、以降、全国に展開されて、ピーク時7万、閉鎖時5万5千人といわれる売春婦がいたとされる。米軍は当初、RAAの利用に積極的だったが、1946年1月、公娼廃止を指令するGHQ覚書をきっかけに3月頃までに閉鎖された。職を失った女性は、パンパンと称された街娼になって米兵の相手をした。

(5) イギリス連邦軍

イギリス軍やその指揮下にあったインド兵、オーストラリア軍なども、米軍と同様に「慰安所」などは作らず、私娼や民間の売春宿の利用を黙認した。ただ、性病対策は米軍以上に力を入れ、コンドームの配布や兵士への性病教育などを実施している。性病感染率は米軍よりマシと自慢しているが、実態はそう変わらなかった、という説もある。また、米軍同様、ドイツや日本の慰安婦を居抜きで利用したり、インドのデリーで慰安所を開設したものの、本国からの指示で閉鎖した事例もあった。(秦:「戦場の性」,P156-P158<要約>)

(6) ソ連

日本軍は慰安所を福利施設とみなしていたが、ソ連軍はその代わりというわけではないだろうが、最前線の兵士たちによるレイプを黙認するか奨励したとされる。1945年、ベルリンに突入したソ連兵がくりひろげたレイプはすさまじく、ベルリンの全女性の50%(少なくとも10万人)が強姦された、と言われている。満州や北朝鮮におけるソ連兵の掠奪、強姦ぶりはすざまじいの一言に尽きる。ソ連軍からの女性提供命令を受け、プロの女性たちが頼まれたり志願したりして、一般子女の身代わりになった話も珍しくない。こうした暴行の犯行者が罪に問われることはなかった。(秦:「戦場の性」,P152-P155)

(7) ベトナム戦争以降

以下も、秦:「戦場の性」,P171-P175 からの要約引用である。

フランスの移動慰安所

フランスが主役になった第一次ベトナム戦争(1945-54)では、伝統的慣習になっていた移動慰安所で、慰安婦は北アフリカ出身者が多かった。

米兵向け売春宿

1966年頃までに、米軍各師団のキャンプの周辺には「公認の軍用売春宿」が設置された。軍司令官もこれを黙認し、女たちは週ごとに軍医の検診を受けていた。ベトナム戦争末期にはこの種の女性が30万~50万人をかぞえたともいわれる。

湾岸戦争における女性部隊

湾岸戦争(1990-1991)では、職業的娼婦に代って兵士同士の性充足法が一般化したようである。米大統領の諮問機関である「女性の軍務委員会」の調査によると、参戦した男女混成部隊の兵士4442人に対するアンケート調査で、64%が「前線で異性兵士と何らかの性関係があった」と回答した。

(8) 韓国

朝鮮戦争時の慰安所

韓国でも朝鮮戦争期に軍慰安所があった。設置した理由は軍人の士気昂揚、性欲抑制から来る欲求不満の解消、性病対策からだったとされている。書類上は「第5種補給品」と呼ばれた4か所、89人の慰安婦に対し、1952年だけで延べ20万4560回、1日あたりで6.5回、時には20~30回の性サービスが「強要」されたことを示す実績統計表もある。だが、ピーク時に約60万とされる韓国軍の兵力に対して、慰安婦総数は少なくとも300人、身分上は私娼にとどまった人数を加えると数千人のレベルと考えて間違いあるまい。(秦:「慰安婦問題の決算」,P30,P85<要約>)

ベトナム戦争時の"トルコ風呂"

2014年米軍司令部が「韓国兵専用慰安所」の存在に言及した書簡が発見された。書簡の主題は韓国兵と米兵の一部による米軍軍需物資の横流しなどに関するものだが、その舞台になったサイゴン市中心部にあった「トルコ風呂」は韓国軍の慰安所で、米兵の利用も黙認されていた。ベトナム参戦経験のあるアメリカ人の証言によれば、トルコ風呂は「射精パーラー」と呼ばれていた、とか、「トルコ風呂で働いているのはほとんどが20歳未満の農村出身の少女だった」とか、「サイゴン市内の別の場所には、これより大きな慰安所があった。目的は韓国兵のレイプと性病の防止だったと思われる」のような回想談がある。(秦:「慰安婦問題の決算」,P88-P89)

アメリカ軍向け慰安婦

朝鮮戦争後も、ひきつづき米軍は韓国に駐留した。貧困に苦しむ女性たちはドルを目当てに米軍基地周辺の"基地村"に群がった。なかでも有名なのは38度線に近い東豆川基地で、ピーク時の6500人から減ったが、最近でも60数店に1500人の米兵用慰安婦がひしめいている。(秦:「戦場の性」,P173<要約>)

1960年代に基地村の売春及び関連事業は韓国のGNPの25%近くを生み出し、1962年に慰安婦は20,000人が登録されていた。2014年6月25日、米軍慰安婦として働かされたとして韓国人女性ら122人が韓国政府を相手に国家賠償を求める訴訟を起こした。(Wikipedia:「在韓米軍慰安婦問題」)

(9) まとめ

これまで見てきたように戦場の性欲を満たす方法は各国各様である。日本軍と同様の「慰安所型」を採用した国のうち、フランスと韓国は規模も小さいのでさておき、ドイツと日本を比べてみると、両者はとてもよく似ているが、大きく異なる点が2つある。ひとつは、ドイツは軍中央が慰安所の管理に強く関与していたのに対し、日本は現場任せだったこと。もうひとつは、徴募した慰安婦がドイツは占領地の女性を強制的に集めたのに対し、日本は占領地の外に植民地の女性、それも未成年の娼婦未経験者を多数、甘言などでだまして連れてきたことである。結果的に植民地の女性を連れてきたことが慰安婦問題を大きくしてしまった。

現場任せ

軍中央の関与が薄かったために、国の法的責任が問われにくくなっている。これがいいことかどうかはさておき、日本軍の特質である現場任せは、業者による慰安婦のだまし徴募や慰安所における搾取・暴力などのほか、末端部隊による私設慰安所設置などの弊害を招いただけでなく、強姦抑制や性病防止という目的達成にむけた改善努力をほとんど行わないことにもつながっている。日本軍の特質としての"現場任せ"は、現場の自律性による組織力の強化という優れた特質につながる一方で、下克上、あいまいな基本戦略、属人的組織運営、学習の軽視、など負の効果も生み出している。

再び橋下氏批判

冒頭に書いた橋下徹氏の発言の意図は、「戦場において兵士の性欲が高まるのは必然的なものであり、当時はそれを慰安する仕組みを各国が持っていた。日本だけが"レイプをした"などと責められるのはおかしい」、ということであろう。他の国との違いは、日本は植民地の女性それも未成年の素人女性を大量に慰安婦として徴用したことにある。植民地問題の是非はともかく、それが韓国側の世論に火をつけたことは間違いないのである。

だからといって、ロシアやドイツは非難の対象にはならない、というつもりはないが、日本だけが非難されることに「不公平感」を訴えても、第三者から見れば子どもの喧嘩のようにしか聞こえないだろう。
さらに、橋下氏の主張にある「戦場における兵士の性欲」を容認するかのような発言にも問題がある。この件については、3.8節で述べるが、その当時は容認されたとしても現代の価値観でこれを容認してはならないと思う。


3.5節の註釈

註35-1 ドイツ軍/日本陸軍のピーク時兵力

ドイツ陸軍は、Wikipedia:「ドイツ陸軍(国防軍)」による。日本陸軍は、3.4節の図表3.6を参照。

註35-2 ドイツ軍慰安所の徴募

ドイツの"慰安婦"の徴募状況はよくわかっていない。

{ 女性たちが売春施設に来ることになった実際の状況については、今日までほとんどわかっていない。多くの女性が自ら売春に応募したと推測されうる。… 自発と強制の境界は、ここでも流動的であった。フランツ・ザイトラーは、とくに若い女性は、恐れられていたドイツへの労働動員よりも軍用売春施設の方を選択したと考えている。(もっとも彼は証拠となる史料を一つも引用していない。…) 実際、若い女性が一人で労働動員のためにドイツへ行ったら何が起きるかについての悲惨な話、すなわちレイプされ、性的奴隷となり、不妊手術を受けさせられ、あるいは、妊娠させられるか殺されるかもしれないという話が広まっていた。}(レギーナ・ミュールホイザー:「戦場の性」、P135)