日本の歴史認識慰安婦問題第3章 主な論点 / 3.1 論争の構造

flower第3章 主な論点

この章では、慰安婦問題に関する主な論点について、研究者の主張を紹介し、あわせて筆者の考え方も述べる。慰安婦問題に関する論争は1990年代から2000年代にかけて活発に行われたが、その後は新たな重要な事実は発掘されていない。最近になって李榮薫氏の「反日種族主義」や小林よしのり氏など否定派系の著書も出ているが、その主張のほとんどは過去の論争の蒸し返しである。

3.1 論争の構造

図表1.2(再掲) 論争の構造

論争の構造

(注)国家補償派/和解派/否定派の定義については、本レポートの「はじめに」を参照。国家補償派は、日本に国としての法的責任を認めた上での賠償を主張し、和解派は国の道義的責任を認めて賠償することを支持する人たち、否定派は国の責任を認めない(民間ベースで補償することを認める人もいる)人たちである。

(1) 慰安婦問題は多面的

慰安婦問題は、歴史認識問題の面だけでなく、女性の人権問題、植民地支配、法的問題、など他の側面も持っている。また、大きな被害を受けた元慰安婦がいる一方でそれなりに納得している元慰安婦もいて、多面的に見なければならない問題である。以下、各側面について筆者なりに総括してみる。

歴史認識

慰安婦問題に関する公式な史料はきわめて少なく、慰安婦のリクルートや生活、帰還状況などを示す統計的な資料もほとんどない。元慰安婦の証言も記憶があいまいであったり、支援者たちの「指導」で変えられたりした可能性のあるものも少なくない。しかし、こうした史料からでも元慰安婦たちの経験が様々だったことがわかる。慰安婦というハイリスク・ハイリターンの仕事で、ハイリターンを得た人もいれば不幸にもリスクに遭遇してしまった人がいるのは間違いない。そして、そのような性格の仕事だということを知って就業した人と知らずにリクルートされた人がいた、ということもまた間違いないのである。

女性の人権問題

慰安婦問題が顕在化した1990年代、世界にはフェミニズム(女性解放論)の嵐が吹いており、日本でも「ウーマンリブ」と呼ばれた運動が盛んだった。国連や欧米などで慰安婦問題が注目されたのも、韓国がアメリカなどで盛んに宣伝活動をしてそれが大きな成果をあげたのも、フェミニズムと結びついた結果であろう。ただ、日本における慰安婦問題の論争でフェミニストたちが一般の日本人の共感を得たかどうかは微妙である。

今日、世界的に女性の社会進出は大きく進展し、日本も韓国も当時に比べれば改善した。しかし、両国が世界と比べて低位に低迷しているのは、日韓両国の社会の特質が影響していると思われる。これを改善させようとするのであれば、大家族制など社会のモデルを過去に求める動きは大きな障害になる。

植民地支配

韓国で日本を糾弾する人たちにとっては、慰安婦問題のみならず植民地支配の問題が大きなウェイトを占めている。ところが多くの日本人は当時の世界において植民地は合法的な存在であり、日本だけが謝罪するのは理不尽だ、と思っている。これはそれぞれの立場の違いによって起こる認識、あるいは感情的な問題であり論争で解決できる問題ではない。相互に相手の立場を理解する姿勢を持つしかないと思う。

法的問題

法的問題には、慰安婦システムは合法かどうかという問題と日本国に謝罪や賠償責任はあるか、という2つの問題がある。詳しくは後述するが、慰安婦システムは当時の国際法に違反していた、しかしだからといって日本国が法的責任を負うのは現実的でない。では国としてそっぽを向いていてよいかといえばそれも違う。

国際社会はこの数十年のあいだに変化し、人道問題には時効はない、という考え方が支配的になっている。それは、当時の被害者や近親者が生存している場合、当時は合法だったのだからしかたない、と切り捨ててしまうのは被害者らの人権を無視していると考えるからである。日本でも最近、優生保護法やハンセン病患者を隔離する法律が憲法違反だった、と判断され政府による謝罪と補償が行われているのも、そのような流れの中にあるものだろう。ただ、国際間で法秩序を維持していくことも同じように重要なことで、その両方を満足させるために、道義的責任を果たす必要があるだろう。

(2) 韓国人が見た論争のカタチ

日韓の間にある慰安婦問題、徴用工問題、竹島問題などについての日本と韓国の論争について、朴裕河氏は次のように述べている。

{ 日本との葛藤があると特に激しく批判するのは、韓国では主にリベラル勢力である。日本で韓国を批判する人々は、多くが「保守右派」勢力であるのだから、日韓の対立は単なる「日本」と「韓国」の対立ではなく、「韓国のリベラル」と「日本の保守」との対立構造ともいえよう。…
日本のリベラルが「戦後補償」を進めようとすると右派が反発し、その日本の右派の言動が韓国(のリベラル)を刺激し、その韓国に連帯しようとする日本のリベラルに、さらに日本の右派が「反日」と非難する。そうした構造(不信と怒りのスパイラル)が、今も、歴史をめぐる日韓関係の中心をなしているのである。}(朴裕河:「和解のために」,P14-P15)

日本と韓国あるいは、日本の否定派と国家補償派の議論は、合理的な議論で決着をつけようということでも、双方がWin-Winとなる道をさぐるのでもなく、自分が勝つことしか考えない「勝負」として行われている。