日本の歴史認識慰安婦問題第2章 慰安婦システム / 2.6 慰安婦の帰還 / 2.6.3 帰還後の生活

2.6.3 帰還後の慰安婦たち

(再掲)図表2.15 慰安婦の帰還

慰安婦の帰還

(1) 帰還後の生活

日本人元慰安婦

図表2.8に掲載した日本人元慰安婦9人のうち、普通に結婚して家庭生活を営んでいるのは鈴本文(仮名)ひとりだけで、あとは波乱万丈の人生を送っている。鈴本も夫には慰安婦であることを打ち明けているが、夫からは誰にも言うなと言われ、「主人の姉さんに知られたら何をいわれるかわからない」(広田和子:「従軍慰安婦・看護婦」,P45) という状態で夫以外の親戚や近所にも内緒で生活している。

また、戦時中に結婚したが死別(高梨タカ)、沖縄で結婚(石川たま子)、これ以外の6人は結婚していない。職業は田中タミが洋裁店を経営している以外は、遊郭の仲居や芸者、博打、闇屋、飲み屋、キャバレー、などいわゆる水商売系の仕事をしている人が多い。

城田すず子は、赤線出身者や家出少女のための更生施設に入ってキリスト教の洗礼を受け、晩年は社会復帰困難な女性の収容施設「かにた婦人の村」で過した。

山内馨子(菊丸)は、ダンサー、売春宿の経営、闇屋、カフェー、芸者、割烹、キャバレーなどを転々としたが、1972年(47歳)ガス自殺した。吉見義明氏は元慰安婦の精神的外傷の一例としてこの自殺を取り上げているが、菊丸が自殺した原因は他にもたくさんあるように思う。彼女はこう言っている。「ちゃんとした家庭に入りたいです。水商売の内側を知ってしまったから、自分ではやりたくない。一度結婚したいです」。

朝鮮人元慰安婦

図表2.9に掲載した朝鮮人慰安婦19人のうち、6人が正式に結婚しているが、5人は離婚し1人は死別している。8人は同棲又は妾として暮らしたが、2人は別れて4人は死別、残り2人も幸せな家庭を築いたという状況ではない。結婚も同棲もしなかったのは5人である。

彼女たちは夫や同棲相手と別れて一人になると、女中や食堂従業員などをしながら何とか食いつなぎ、老後は子供や親せきなどに世話になったり、生活保護で暮らしている人が多い。

元慰安婦たちが青壮年だった頃は、女性が経済的に自立することが難しかった時代であり、男(できれば経済力のある男)と結婚することが女性の幸せと思われていた時代だった。そうした環境で19人のほとんどは幸せな家庭生活を送ることができなかった。その理由には社会的問題や個人的問題などもあったろうが、慰安婦生活が大きな影響を及ぼしたことは間違いないだろう。

その他の国の元慰安婦

台湾での調査結果によれば、48人の元慰安婦のうち、結婚した者は31名でうち12名が離婚、同棲した者は10名、慰安婦だったことを夫が知っていて平和な生活をしているのは4組だった。(吉見:「従軍慰安婦」、P214<要約>)
フィリピン、インドネシアなどではこうした調査はない。

(2) 後遺症

日本人元慰安婦

日本人慰安婦で身体的な後遺症をあげている人は少ないが、次のような証言もある。

{ 菊丸さんも鈴本さんも40歳になるとすぐに生理が止まったという。… 嶋田美子さんの話を引用させていただく。「長いあいだ慰安婦をやっていると大陰唇が異常に発達して垂れ下がって来ます」}(広田和子:「従軍慰安婦・看護婦」,P75-P76)

身体的ダメージだけでなく、精神的なダメージも大きいと思われるが、慰安婦経験のみならず娼婦経験全体としてのものであろう。

朝鮮人元慰安婦

証言した19人のうち、性病、子宮不全、不妊などの生殖器系の不調を訴えた人が7人おり、その他にも漠然とした体調不良を含めて慰安婦の後遺症を訴える人が7人いる。産まれた長男に梅毒による脳障害があらわれた人や、子宮摘出せざるを得なくなった人、子宮内膜炎で悩む人など重度の後遺症を抱えている人もいる。

また、精神的障害も少なくない。「当時のことを考えると頭が痛くなってぐっすり眠れない、うつ状態になると冬でも部屋の戸を開けていないと眠れない」(李相玉)、「体が熱くなったり冷えたりする」(李得南)、「30歳を過ぎた頃からノイローゼになって急に夫が嫌いになり"出て行って"と叫んだ」(崔明順)

日本人慰安婦とちがい、この19人の朝鮮人元慰安婦は娼婦経験なしで、かつ本人の意思に反して慰安婦になっており、慰安婦制度への恨みが大きくなるのは無理もない。

※ 朝鮮人元慰安婦の証言は、挺対協「証言」による。

その他の国の元慰安婦

台湾では調査した48人の元慰安婦のうち、26人が子どもを産むことができず、子宮病が10名いた。フィリピン人の場合、慰安婦生活の帰還が短かったので性器関連の損傷は朝鮮人や台湾人ほどではなかったが、淋病が1名、膣損傷が1名、子宮摘出が1名、不妊が1名いる。(吉見:「従軍慰安婦」、P214<要約>)

(3) 慰安婦たちの訴え

最後に慰安婦たちの証言から筆者が目についた言葉をいくつか紹介する。

消しゴムで消したい過去

{ 内地に帰った慰安婦たちが互いに交際しないのは… 「消しゴムで消せるものなら消してしまいたい過去だからね」}(斎藤キリ、千田夏光:「従軍慰安婦」,P106)

戦争に負けてよかった!

{ 終戦を聞いた。あったり前だと思ったよ。日本人が日本人をいじめるんだから、あたしゃ、とうにこの戦争は負けるよ、って言ってたよ。「いまにみやがれ、軍人のやつ、のぼせてると素っ裸になるぞ!」 その通りになった。日本は戦争に負けてよかったですよ。あんな軍隊に威張らせてたら大変だぁ。でもね、じゃあみんなに責任がないかといえばそうじゃぁない。日本はよその国を奪って、えらい民族だ、って威張って暮らしてましたよ。昨日も勝った、今日も勝った、ってね。軍人だけが戦争してるみたいに。」(高梨タカ、玉井紀子:「日の丸を腰に巻いて」,P152-P153)

責任逃れはやめて!

{ 私の人生を台無しにしたことを差し置いても、私たちを処女のまま連れて行って犠牲にしたことだけでも賠償してください。当時自分たちの意のままに弄んでおきながら、今になって民間業者が自発的にしたなどと言って、「処女供出」が弁明できると思いますか。ともかく私たちを死地に追い込んだのは、日本帝国の政策ではなかったんですか。日本政府はこれ以上責任逃れはやめてください。}(李用女、挺対協:「証言」、P239-P240)

{ 人の一生をこんなにめちゃくちゃにしておいて、まだ責任逃れをするとは日本はどういうつもりですか?結婚もできないように私の一生を台無しにして、口先だけの謝罪をするとはどういうことですか?死んで目を閉じるまで、自分がされたことを忘れることはできません。いや死んでも忘れることなどできないでしょう。}(尹頭理、挺対協:「証言」、P314)

韓国政府も責任を!

{ 日本も悪いけれど、その手先をした朝鮮人はもっと憎い。韓国政府に言いたいことがたくさんあります。韓国政府も私たちに補償してくれなければなりません。家がないためにひどく苦労しています。政府は、私たちが住む家だけでも建てるべきだと思います。}(金徳鎮、挺対協:「証言」、P70)

あの時代に生まれたのが運命!?

{ 教会に通いはじめて10年になります。すべて先祖たちの罪悪のせいだと思います。生まれた国があまりに貧しかったからでしょう。私が当時結婚していたとしても、慰安婦になっていたかもしれないし、そんな時代に生まれたのが私の運命だと思います。娘たちは私の過去を知りません。知らせる必要もないと思います。毎日神に祈っています。けれども、けっして忘れることはできません。こんなふうにすべてを話したので、さっぱりして心が安らかになりました。}(金台善、挺対協:「証言」、P252)