日本の歴史認識慰安婦問題第2章 慰安婦システム / 2.4 慰安婦のリクルート / 2.4.3 植民地(朝鮮・台湾)でのリクルート

2.4.3 植民地(朝鮮・台湾)でのリクルート

図表2.7(再掲) 慰安婦のリクルート

慰安婦のリクルート

(1) 朝鮮でのリクルート状況

図表2.9は、挺対協が編集した「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」に掲載されている19人の元慰安婦の証言のうちリクルートに関する部分をまとめたものである。

図表2.9 朝鮮人慰安婦のリクルート状況

朝鮮人慰安婦リクルート状況

(注1)年齢は満年齢だが、生年月日や慰安婦となった年月日が正確にわからない場合があるので多少の誤差がある。

(注2)文玉珠は満州に慰安婦で行ったあと、いったん朝鮮に戻り、再度、ビルマに行っている。

出身家庭と前職

中流家庭出身者も4~5人いるが、多くは貧困家庭の出身である。慰安婦になる前の職業は、妓生学校に通っていたのが一人で、残りは家事手伝い、女中、女工など、娼婦とは縁のない仕事をしている。なお、表には掲載していないが、6年間の義務教育をすべて受けたのは一人だけで、まったく学校に通っていないか、通っても1~4年というのがほとんどである。

慰安婦になった年齢

21歳以上はわずか2人で、17~18歳が最も多く、最年少は15歳である。

リクルート方法

リクルートの方法とリクルータが誰かを分析したのが図表2.10である。同様の分析を挺対協の本でも行っているので比較のために掲載した。

図表2.10 朝鮮人慰安婦のリクルート方法

朝鮮人慰安婦のリクルート方法

(注1) 挺対協は、リクルートの方法を暴力的連行/就業詐欺/誘拐拉致/人身売買/その他に分類しているが、暴力的連行と誘拐拉致の区別はつけずらい、などから誘拐、詐欺、合意の3種に分類した。また、挺対協はリクルータを民間人/官勧誘/軍人・憲兵/軍属の4種に分類しているが、官や軍をそこまで細かく分けても、証言の精度が低くあまり意味はないので、民間と官/軍の2種類に統合した。軍人、軍属と明言している場合は官/軍に分類したが、当時の国民服は一見すると軍服と見分けがつかないので、民間あるいは軍属をかたる女衒であった可能性もある。

(注2) 慰安婦は19人だが、文玉珠は2回リクルートとされているので、合計は20回となる。挺対協はもう一人同様のケースがあるとみているようだが、それが誰だかは特定できなかった。

筆者の分析では、身柄を拘束するなどして物理的に強制連行したケースは4件あるが、李玉粉と文玉珠は身売りされた可能性があるし、姜徳景は女衒につかまった可能性あり、尹頭理の警察に連れ込まれたというのは何か別の事情があったのかもしれない。ほとんどが、仕事の内容を言わなかったり、ごまかす就職詐欺であろう。娼婦の経験がない女性を連れて行くとき、最も確実なのがだますことになるが、身売りしたケースでも売った親などが本人に知らせなければ、買った女衒はだまして連れて行くか誘拐のようにして連れていくしかないだろう。
文玉珠の2回目は、就職詐欺のようなことを言っているが、本人は何をするか分かった上で同行しているので「合意」に分類した。

身売りの有無

身売りがあったことを明言しているのは李用女一人であるが、次の5人はカッコ内の人物に売られた可能性が高い。

金学順(養父)、李英淑(近所の朝鮮人夫婦)、李相玉(紹介所)、李得南(カフェを経営していた伯母)、朴順愛(紹介所)

ほとんどの慰安所は前借金があることを前提に運営しているため、誰かが前借金を受け取って身売りされたケースが多いと思われる

紹介所は、女性を売る場所で私娼として客に紹介したり、他の売春宿に売ったりしていたところである。カフェでも女性の性サービスをしていたので、ここでも女性の取引が行われていたであろう。(2020/1/4追記)

(2) 朝鮮人元慰安婦の証言(リクルート関係)

以下は、代表的なケースについてリクルート関連部分の証言を要約して引用している。註243-1

金学順(養父に売られたと見られるケース)

母は私が14歳のとき、再婚し15歳のとき妓生を養成する家の養女に出した。巻番(妓生養成学校)を卒業したのは17歳だったが、19歳にならないと朝鮮では営業することができなかったので、養父は私を北京に連れていった。北京に到着して食堂で昼食をとっているとき、養父はスパイの疑いをかけられて日本軍の将校に連行され、私は別の軍人に連行された。

文玉珠(2回目の連行)

最初に連行された満州の慰安所で好意を寄せてきた日本軍将校をだまして朝鮮に帰った。しばらくして、友人から「お金をたくさんくれる食堂にいかないか」と誘われ、もうだめにされた身体だからどうせならお金をたくさん稼ごうと思ってすぐに承知した。船に乗っている途中、同乗の女たちに「どこへ行くのか知っている?」と聞くと、女たちはみな食堂へ金を稼ぎに行くと答えた。まもなく直面する運命については全く何も知らないようだった。

尹頭理(警察に連行され地元の慰安所へ)

夕方、釜山鎮駅前の南部警察署の前を通りかかったとき、歩哨にたっていた巡査が来いと言うので警察署の中に入って行くと、「いいところに就職させてやる」と言われた。同じような少女が数人いた。その日の夜、軍用トラックに乗せられ、翌朝、警備船のような船で釜山の影島にある第一慰安所に連れて行かれた。慰安所の経営者は日本人の高山という人だった。

(3) 朝鮮の女衒(ぜげん)たち

朝鮮の公娼の処遇は内地より劣悪で、前借金や稼ぎ高は内地の半分以下、年季契約も長く、業者の搾取は苛烈だった。日本にも悪徳業者がいて、警察の摘発を受けたが、朝鮮にも同じような業者がいて、貧しい農夫の娘たちをいい仕事があるとだまして満州や中国に売った業者が捕まっている。女衒が女性を売る場合、朝鮮内より中国や満州国の方が2倍以上の利益を得られたという。(秦:「戦場の性」,P45,P54)

(4) 慰安所経営者の証言

以下は、朝鮮で慰安婦をリクルートし、ビルマで慰安所を開いた日本人の証言である。この北村という日本人はビルマで連合軍の捕虜となり、アメリカ軍の調査官に慰安所開設のいきさつなどを語っている。(全文は『小資料集』--ページヘッダの「サポート」にあり--を参照)

{ 北村は、朝鮮の京城で料理店を経営していたが、商売が不振に陥ったため、ビルマへ「慰安婦」を引き連れて行く許可を京城の陸軍司令部に申請した。その示唆は陸軍司令部から出たもので、朝鮮に在住する何人かの同じような日本人「実業家」に打診された。

北村は、19歳から31歳の朝鮮人未婚女性22人を買い受けたが、彼女らの両親に対する支払い額は、それぞれの性格、容貌、年齢に応じて300円から1000円であった。朝鮮軍司令部は陸軍の各司令部に、輸送、食料、医療など、彼が必要とするすべての援助を差しのべるよう要請した。
北村とその妻は、1942年7月10日、買い受けた女性22名を引き連れ、703名の女性(すべて朝鮮人)と90名ほどの日本人男女(ほかならぬ彼とおなじような人格低劣な連中)の一行で釜山を出航した。彼らは7隻の護送船団を組み、4000トンの客船で航行した。無料の渡航券が軍司令部から提供されたが、渡航中のすべての食事の代金は北村が支払った。彼らは台湾とシンガポールに寄港し、1942年8月20日にラングーンに到着した。

ラングーンで彼女たちはそれぞれ20~30名のいくつかのグループに分けられたうえで、ビルマ各地に分散配置されたが、それぞれのグループは各地の連隊、部隊または部隊群に所属した。北村らはタウンジー、メイクティラ、メイミョーで業を営み、1943年1月頃ミッチナに到着した。ミッチナには合わせて3つの慰安所ができ、女は朝鮮人42名、中国人21名だった。後方地域の慰安所には日本人女性がいたが、前線地域には一人もいなかった。

慰安婦は彼女自身が稼いだ額の50%を受けとり、交通費と医療費は軍当局が負担、食料は軍の援助のもとに慰安所経営者が購入した。経営者は、衣服、必需品、奢侈品を法外な値段で慰安婦に売ることによって余禄を得た。慰安婦は、彼女の家族に前貸しされたお金と利息を返済できれば、朝鮮へ帰るための無料の交通の便宜を提供され、自由の身になることができた。しかし、1943年6月、第15軍司令部が、債務から解放された慰安婦たちを帰国させる手配をしたにもかかわらず、戦況のゆえに、北村のグループではだれ一人として、帰国を認められた者はいなかった。}(吉見義明編:「従軍慰安婦資料集」,P458-P460,資料No.100 <要約>)

(5) 朝鮮総督府の関与

吉見氏によれば、朝鮮総督府は慰安婦の徴募について業者を支援し、業者が犯している不法行為を黙認したり、身分証明書の発給に便宜を図ったりしていたという。日中戦争期には、中国各地にある日本の領事館が現地の軍の要求を外務省に報告し、外務省はこれを拓務省に通報する。これを受けて拓務省は朝鮮総督府に知らせる。総督府はこれを警務局から道知事、警察署長へと降ろした。(吉見:「従軍慰安婦」,P99-P100,P104-P108)

(6) 台湾でのリクルート註243-2

1992年末までに、台北市婦女救援福祉事業基金会に被害を申告した女性またはその家族への訪問調査の結果、慰安婦だった可能性がある者は56名であり、そのうち48名は確実に慰安婦であったとされている。確実とされたケースでも証言の内容に問題がある場合もあるようだが、この報告書を分析すると以下のようになるという。

徴募時期 … 1942~43年に徴募された者が最も多い

徴募時年齢 … 21歳以下の未成年が半数

徴募方法 … だまされた者が最多

大陸及び朝鮮で徴募された4名を除く44名についての調査結果

「だまされた」人は、「軍関係の食堂などの店員で体は売らない」と言われた人が多く、看護婦になる、炊事・洗濯の仕事とだまされた人もいる。

強制的に連行された人のうち、5名は役場からの割り当て、3名は周旋人や叔父など。
44名のうち、9名は100円から500円の前借金をもらっており、これを身売りとすれば、別にブローカーに売られた者1名を加えて10名が人身売買となる。

(7) 台湾人元慰安婦の証言

{ わたしは家でお父さんの仕事を手伝っていました。そうしたら日本人の警察が呼びに来て、仕事があるから来なさいって言いました。兵隊にご飯をつくったり、破れた着物を縫ったりする仕事だと。行きたくないと思ったけれど、警察の人が、いまは戦争で男も女も国家総動員法だから来なくてはいけないと言うので、働きに行くことにしました。日本兵がたくさんいました。わたしのほかに女の人も何名かいました。わたしたちは朝起きたら顔を洗って、ご飯をつくって兵隊に食べさせ、それから洗濯して、破れた着物を縫いました。そうしたら、夜になって呼ばれて、部屋に入れられて…、悪い仕事でした。}( デジタル記念館「慰安婦問題とアジア女性基金」 )


2.4.3項の註釈

註243-1 朝鮮人元慰安婦の証言

挺対協編:「証言-強制連行された朝鮮人慰安婦たち」

金学順; P43-P45 文玉珠; P166-P168 尹頭理; P303-P306

註243-2 台湾でのリクルート

吉見:「従軍慰安婦」,P109-P112