日本の歴史認識慰安婦問題第2章 慰安婦システム / 2.2 慰安所のイロハ / 2.2.2 慰安所の設置目的と成果

2.2.2 慰安所の設置目的と成果

慰安所の設置目的は次の3点であった。

a) 強姦の防止

b) 性病予防

c) その他 … 精神的な"慰安"、防諜など

図表2.3(再掲) 慰安所のイロハ

慰安所のイロハ

(1) 目的_強姦防止_と成果註222-1

慰安所を設置した第一の目的は占領地の住民に対する強姦を防止することにあった。吉見氏は、「慰安所制度は強姦防止にあまり役立っていない」と述べ、同じ国家補償派の林博史氏は、「強姦は減るどころかかえって増えた」、という。その根拠として、前線の部隊などでは私設の「慰安所もどき」を作ったり、カネのかからない強姦を促したからだという。

秦氏も「強姦事件の発生を完全に抑え込むのは至難だった」と言いつつ、シンガポールでの慰安所設置について、「1937年に南京で起きたようなレイプはあまり起きなかった」と、一定の効果は認めている。

1937年から39年まで上海の陸軍病院に勤務した早尾逓雄軍医中尉(当時)は次のように述べている。

{ 出征者に対して性欲を長く抑制せしめることは自然に支那婦人に対して暴行することとなろうと兵站は気をきかせ中支にも早速慰安所を開設した、その主要なる目的は性の満足により将兵の気分を和らげ、皇軍の威厳を傷ける強姦を防ぐのにあった。
慰安所の急設は確かに其の目的の一部は達せられた、然しあの多数の将兵に対して慰安所の女の数は問題ならぬ、上海や南京などには慰安所以外に其の道は開けてるから慰安所の不足した地方へ或は前線へと送り出されるのであったがそれでも地方的には強姦の数は相当にあり亦前線にも是を多く見る
是は尚女の供給の不足してることに因るは勿論のことだがやはり留学生が西洋女に興味を持つと同様で、支那女といふ所に好奇心が湧くと共に内地では到底許されぬことが敵の女だから自由になるといふ考が非常に働いて居るために支那娘を見たら憑かれた様にひきつけられて行く、従って検挙された者こそ不幸なんで蔭にはどれ程あるか解らぬと思ふ }(吉見義明編:「従軍慰安婦資料集」,P228-P229<戦場に於ける特殊現象と其対策1939年6月>)

南京事件のとき、安全区国際委員会に報告された強姦(未遂含む)件数は全部で237件あるが、そのうち1月13日までに報告されたのは117件、残り120件はそれ以降である(弊南京事件のサイト4.6.1項図表4.9)。南京に慰安所が設置されたのは1月初旬とみられるので、設置後も強姦は減っていないことになる。ただし、占領(12月13日)直後の2週間ほどは混乱が激しかったので前半の実態はもっと多かった可能性がある。
慰安所を設置した効果を日本軍はまったく測定していないので何とも言えないが、ミクロにみれば林氏の指摘のような部隊もあったかもしれないが、マクロにみたら慰安所が一定の効果をあげた可能性はある。

(2) 目的_性病対策_と成果註222-2

慰安所を設置した第二の目的は性病対策であった。現在はペニシリンなどによる治療で短期間で治癒できるようになったが、当時は性病の特効薬はなく、平均治癒日数は、淋病が91日、梅毒が76日、鼠蹊リンパ肉芽腫(第四性病)は1012日だった。このため、性病患者が多数出ると戦力に大きな影響があった。

慰安婦の性病検査は定期的に行っても、将兵の性病検査は行われなかったので、将兵が感染源になることが多く、性病はかえって増加した。陸軍の戦地での性病の新規感染者は42年には1万1983人、43年1万2557人、44年には1万2587人と増加している。

秦氏もジャワでは、当初軍人が少なかったせいか、民間の売春宿を使っていたが、性病が増加したため、軍専用の慰安所を作った。しかし、慰安婦のほとんどは感染者だったことや、安さやサービスの良さにひかれて私娼にはしる軍人が多かったので、性病は減らなかったという。

吉見氏が指摘する戦地での性病感染者数は、絶対数では増加しているが、戦地に派遣された軍人数は42年から44年にかけて約1.5倍に増加しているので、感染率はむしろ下がっているといえる。しかし、期待したような成果をあげられたかどうかは疑問である。

新たな仕組みなどを導入したときにその効果を定量的に評価するのは、現在では当然のことだし、米軍などは当時から実施していたのに、慰安婦システムにかぎらず日本軍はそのような評価を行なった形跡がない。組織としての学習能力が欠如していることをあらわすもので、日本軍の弱点のひとつであろう。

(3) 目的_その他_と成果

強姦防止と性病対策以外にも、「慰安」の提供と防諜も慰安所を設置する目的にあった。秦氏はこの2つについてはふれていないので、吉見氏の見方を紹介する。

「慰安」の提供

大義名分がなく勝利の見通しもない侵略戦争において、将兵の士気を維持するためには性的な慰安が必要だと日本軍は考えた。軍医たちは、音楽・映画・図書・スポーツなどの娯楽施設の設置を提案したが、軍が提供したのは性的慰安施設だけだった。欧米の軍隊には休暇制度があったが、日本軍は戦時には休暇を与えていない。兵士の人権は認められず、上官の厳しい監視と私的制裁が横行するなかで、軍慰安所はストレスを解消し一時的な安らぎと解放感を得られる「唯一の楽天地」だった。(吉見:「従軍慰安婦」,P52-P55<要約>)
慰安婦のこんな証言もある。

{ あのひとたちはなにか、エッチなことを求めてとか、酔っぱらってくるのではなく、いっしょに話しながら遊ぼうとして、自分たちの心を和らげようと来るんだよ。…
将校たちはあまり関係を持とうとしないんだよ。自分のからだを大事にするの。故郷の妻子、故郷の奥さんたちのことを思い出すのかただただ座って泣いたりね。…
ある人は何もしないで帰るの。それでも頻繁に来るの。癒され、遊び、お酒を飲みながら話そうとして来るわけ。肉体関係を持たない人はたくさんいたよ。(「強制」5、P35-P36)(朴裕河:「帝国の慰安婦」,P84-P85)

「慰安」の提供が、最も効果があった目的だったかもしれない。

防諜

将兵が占領地にある民間の売春宿に通うと、将兵から地元の売春婦を通じて軍事上の機密が漏れるおそれがあった。スパイ防止のためには、慰安婦は「邦人」(日本人、朝鮮人、台湾人)であることが望ましかったが、人数も不足し輸送にも手間と時間がかかったので、占領地の女性も徴集した。軍慰安所には憲兵や巡察将校などが定期的に立ち寄り、将兵と慰安婦の関係などを点検した。(吉見:「従軍慰安婦」,P55-P56<要約>)


2.2.2項の註釈

註222-1 強姦は減ったか?

吉見:「従軍慰安婦」,P44

林博史:「日本軍慰安婦問題の核心」,P321

秦:「戦場の性」,P110,P112

註222-2 性病は減ったか?

吉見:「従軍慰安婦」,P51

秦:「戦場の性」,P110,P112

戦地に派遣された軍人数は、吉田裕:「アジア・太平洋戦争」,P95