日本の歴史認識慰安婦問題第1章 概要 / 1.4 すれ違いのわけ

1.4 すれ違いのわけ

米国コロンビア大学教授で日本の近現代史に詳しいキャロル・グラック教授は次のように述べている。

{ 今、アジアでは中国と韓国と日本の間で、… 過去の戦争についてのそれぞれの国民の物語がぶつかり合い、現在において政治的かつ感情的な敵対心が生まれている。こうした記憶の政治」にうまく対応するための一つの方法は、他国の「記憶」を尊重しつつ、それぞれの記憶に「歴史」をもっと加えていくことだ … }(キャロル・グラック:「戦争の記憶」,P4)

―― 以下、デアル調だと表現がきつくなるのでデスマス調で記します ――

グラック氏の言う「記憶」とは、事実をどのように見るかであり、「歴史」とは事実の集合体であると思われます。
歴史事実は誰もが共有できるものですが、その事実をどのように見るか、はそれぞれの人が育った環境や習得した知識などによって、大きく変ります。慰安婦システムがあったことは、誰もが認める事実ですが、日本の否定派はそれを戦前の法や社会環境を基準にして合法だ、というのに対して、国家補償派や韓国では、現代の感覚を基準にして違法性を主張します。人道問題に関する世界の流れは、後者、すなわち現代の感覚で裁く方向に向っているようです。
例えば、日本でも優生保護法やハンセン病に関する法律に違憲判決が出て、国は被害者へ賠償することになりましたが、これらの法律は戦後の新憲法のもとで合法とされてきました。しかし、現在振り返ってみて、やはりそれは間違いだったと判断されました。これもそうした世界の流れに沿ったものなのかもしれません。

グラック教授が指摘するように、こじれた日韓関係の修復には、まず、お互いが異なる価値観で慰安婦システムを評価しているのだということを知る必要があります。日本では、「事実と違うことは違うとはっきり言うべき」などと叫ぶ政治家もいますが、事実はそれを見る人の価値観によって違ってくることを知ればこのようなおろかな発言は影をひそめるでしょう。

日韓双方が自らの価値観に固執せず、相手はどのような価値観で事実を見ているか、それを理解することが和解への必要条件ではないでしょうか。議論を勝った/負けたでしか、評価できないような人は議論の場から退場願うようなことも必要になるかもしれません。