日本の歴史認識慰安婦問題第1章 概要 / 1.3 主なできごと

1.3 主なできごと

この節では、慰安婦問題が顕在化してから現在にいたるまでに起きた主なできごとについて述べる。

 図表1.3 慰安婦問題の主なできごと

主なできごと

(1) 政治問題化

慰安婦問題が政治問題として注目されるようになった経緯は、熊谷奈緒子氏が簡潔にまとめているのでここではそれを拝借する。

{ 1990年6月、社会党(当時)議員から韓国人強制労働の問題について、強制労働者の中に慰安婦がいたのではないかと参議院予算委員会で質問が提示された。労働省は、慰安婦は民間業者が連れて歩いたので調査はしかねる、と答弁した。
これに対し、女性学学者の尹貞玉(ユン・ジョンオク)がリーダーとなって、37の女性団体が韓国挺身隊問題対策協議会(略称:挺対協)を1990年11月に結成した。…
1991年8月に、初めて慰安婦であったことを公に証言した金学順は他の慰安婦とともに補償を求めて、1991年12月に東京地裁に提訴した。
吉見義明による防衛研究所図書館での慰安婦資料発見は、1992年1月11日付朝日新聞のトップで報じられた。これは宮沢喜一首相の訪韓の数日前であったために、宮沢首相は韓国訪問中に、結局8回も謝罪することになった。そして帰国後、宮沢首相は政府に慰安婦問題の調査を命じた。}(熊谷奈緒子:「慰安婦問題」,P13-P14)

(2) 河野談話

宮沢首相の命により調査した結果、1993年8月4日に河野洋平官房長官は声明を出し、軍が慰安所の設置や管理に関与していたこと、慰安婦の募集については甘言、強圧などの本人たちの意志に反する働きかけに官憲が加担したこともあったと述べ、元慰安婦の名誉と尊厳を傷つけたことに対して反省とお詫びを表明した。(同上,P14-P15を要約)  河野談話の全文は『小資料集』を参照願いたい。

否定派は、次のように、国に賠償責任はないことをはっきりさせるべき、と批判する。

・甘言、強圧は、総じて本人の意思に反して… とあり、ほとんどがそうしたケースのように誤解される。(秦:「戦場の性」,P249-P251)

・「軍の関与」という言葉は本来、慰安婦を守るためであるのに、悪事に関わっているように誤解される。(藤岡信勝:「亡国の大罪と言う7つの理由」ー月刊Will2016年3月特大号,P66)

・「責任を痛感し」は、道義的責任と明確にすべし。(藤岡 同上 P67-P68)

安倍首相は2007年以降、再三、河野談話を否定する発言をしたが、韓国やアメリカなどから非難され、2014年に河野談話の見直しはしないと宣言、以降、河野談話は日本政府の公式見解となっている。

(3) アジア女性基金

1994年に誕生した村山政権は、「戦後50年問題プロジェクト」を通じて元慰安婦への補償を議論し、その結果1995年7月に「女性のためのアジア平和国民基金(略称:アジア女性基金)」が設立された。アジア女性基金は形式的には民間主導の団体であるが、その運営費などは政府が負担し、元慰安婦には首相のサインがあるお詫びの手紙を手渡した。

しかし、韓国の慰安婦支援団体や日本の国家補償派の人たちは、日本は法的責任を認めて、国家補償をすべきだと主張、韓国の慰安婦が"償い金"の受け取りをしないよう圧力をかけた。

{ 挺対協の共同代表の尹貞玉氏は、1997年1月に7名の元「慰安婦」がアジア女性基金から償いを受け入れたとき、「慰安婦」問題は、民族的自尊心、民族全体の名誉にかかわる問題であると主張し、受け取った被害者たちを「罪を認めない同情金を受け取れば、被害者はみずから志願して赴いた公娼になる」と非難した。}(大沼保昭:「慰安婦問題とは何だったのか」,P97)

では、なぜ法的責任を認めた国家補償にしなかったのか、アジア女性基金の呼びかけ人であり理事でもあった大沼氏によれば、「さきの戦争や植民地支配にかかわる請求権の問題は、サンフランシスコ条約や日韓請求権協定で解決済みという解釈を突き崩すのは困難であり、特別立法をするしかないが、それも自民党はじめ保守系議員が多数いる国会で議決するのは事実上不可能に近かった」註13-1という。

熊谷氏は、{ 法が道徳より生じるという考え方からすれば、法的責任が道義的責任よりも優位にあるということは必ずしもいえない。}(熊谷奈緒子:「慰安婦問題」,P146) とアジア女性基金を支持している。ドイツが設置した戦時中の強制労働者を対象とした「記憶・責任・未来」基金は、道義的責任に基づくものだが、アジア女性基金と比べると関係者の合意形成がよくできている註13-2、という。

最終的にアジア女性基金は、364名の被害者のもとに総理のお詫びの手紙、償い金(一律200万円。ただしオランダを除く)、医療福祉支援費(フィリピンでは120万円、韓国、台湾、オランダでは300万円)を届けた。フィリピン、韓国、台湾、オランダで認定された被害者は約700名であり、約半数が基金による償いを受け取ったことになる。(大沼 同上,P107) なお、インドネシアは、日本政府が拠出する3.8億円で高齢者福祉施設を建設し、元慰安婦を優先的に入居させることになった註13-3

なお、否定派は国家補償には反対しているがアジア女性基金は否定していない。秦氏も基金の資料委員として参加している。

(4) クマラスワミ報告

90年代初頭、ユーゴスラビア内戦における性暴力が世界の注目を集め、慰安婦問題も抱き合わせで国連人権委員会でとりあげられ、1994年3月スリランカ出身のラディカ・クマラスワミ氏を「女性に対する暴力に関する特別報告者」に任命した。クマラスワミ氏は日韓両国で関係者からヒアリングを行ない、1994年11月報告書を人権委員会に提出した。この報告書では、慰安所制度は国際法に違反する、日本は法的責任を認め、性奴隷にされた被害者への補償金支払い、謝罪、資料の公開、犯罪者の処罰、などを求めた。韓国の支援団体や日本の国家補償派はこの報告書を歓迎したが、秦氏によれば事実誤認がきわめて多い報告書だという。日本政府はこの報告書に抗議し、1996年の人権委員会ではこの報告を「留意」と評価した。この評価は5段階評価で下から2番目の評価である註13-4

大沼保昭氏も同様の評価をしている。{ (報告書は) 文書の内容に多々問題を抱えており、信頼性が低かったからこそ、そうした扱いにとどまったのだと考えられる。}(大沼 同上,P150)

(5) 女性国際戦犯法廷

2000年12月、フェミニストたちを中心とする民間団体は、東京で慰安婦問題に関する日本の責任を追及する模擬裁判を開き、昭和天皇ら10人に有罪判決をくだした。この裁判には弁護人もおらず、法廷が独自に設定した「憲章」をもとにしている、など問題の多い「法廷」であった。

(6) アメリカ下院決議

アメリカにおける韓国系団体の活動の支援を受けた米下院のマイク・ホンダ議員は、2007年1月に日本政府に元慰安婦への謝罪を求める決議を提出した。櫻井よしこ氏らは同年6月にワシントンポスト紙に「THE FACTS」と題する意見広告を出し、慰安婦を強制連行した証拠はない、などと主張したが、かえって議員の反発をかうことになり、7月に決議は採択された。その後、同様の決議がカナダと欧州(EU)議会でもなされた。

(7) 慰安婦像の設置

挺対協が続けてきた水曜デモ通算1000回を記念して、2011年にソウルの日本大使館前に設置したのが最初で、以後、韓国各地に設置されたほか、中国や台湾、米国カリフォルニア州グレンデール市にも設置された。(Wikipedia:「慰安婦像」)

(8) 朝日新聞のおわび

2014年12月、朝日新聞は過去の慰安婦問題報道について、第三者委員会を設置して調査した結果、強制連行があったとした吉田清治氏の証言などが事実と異なることを認めて一部の記事を取り消し、謝罪した。朝日新聞が誤りを認めた吉田証言その他の記事は10年以上前に、誤りであることが判明しており、遅きに失した、と言われてもしかたあるまい。

(9) 日韓合意

2015年12月、当時のオバマ大統領の仲介により、日韓の交渉が行われ、日本は韓国が設立する元慰安婦を支援するための財団に10億円を拠出し、慰安婦に補償金を支給することで合意した。安倍首相は、「最終的かつ不可逆的な合意」であることを強調したが、2017年5月の韓国大統領選でこの合意に否定的な文在寅が当選すると合意の履行を拒否し、2018年12月に事実上の破棄を宣言した。


1.3節の註釈

註13-1 法的責任を認めるのが困難な理由

大沼保昭「慰安婦問題とは何だったのか」,P144-P153<要約>)

註13-2 ドイツとの比較

{ ドイツの「記憶・責任・未来」基金の成立活動歴を見ると、アジア女性基金との違いが明瞭である。相違点は対象が元慰安婦か元強制労働者かということ、準備の段階における被害者の出身国や在住国との政治的合意の有無、基金の法的基盤、法的安定性の維持(… )、財団の運営方法である。類似点は企業の及び腰、そして基金集めの難しさ、道義的責任としての保証、両者ともリベラル政党による政治主導( … )ということである。… 総じていえることは、ドイツ側のほうがすべての国内外の関係者との十分な話し合いに基づく合意が内容的にも制度的にも十分にできあがった上で活動しているということである。}(熊谷奈緒子:「慰安婦問題」,P167)

註13-3 アジア女性基金の成果(インドネシア)

インドネシアの支援団体(兵捕協会)が、1996年に日本軍による性暴力被害者の登録作業を行ったところ、2万2234人の被害者が登録した。(川田文子:「インドネシアの慰安婦」,P173) このような状況下で慰安婦であったことを認定することは困難だった。インドネシア政府は、被害者個人への償いとしてではなく、高齢者福祉施設の整備事業への支援として行われるべきであるとの方針を示し、日本政府もこの方針を受け入れた。アジア女性基金としては、その施設が元慰安婦のために使われるかどうか定かでないとして、強い反対の声があがったが、施設への入居に際して元慰安婦と名乗り出た人を優先するという確約をとることで了解した。最終的に、日本政府が拠出する3億8千万円の予算で2007年までの10年間に50の高齢者福祉施設を建設することになった。(大沼保昭:「慰安婦問題とは何だったのか」、P72-P73<要約>)

註13-4 クマラスワミ報告

評価の度合いを示す段階は、1:賞賛,2:歓迎、3:評価しつつ留意、4:留意、5:否認、だが、よほどのことがないかぎり否認にはならない。(秦:「戦場の性」,P282<要約>)