1.判決
請求棄却。
2.判断
「1 請求の原因1ないし3の事実並びに本願発明は引用例記載の発明と同一であることは,当事者間に争いがなく,成立に争いのない甲第4号証及び第5号証によれば,原告において本願発明が特許法第30条第1項に規定する発明であることを証する書面として特許庁長官に対し提出した書面である特開昭50-142558号公開特許公報(引用例)は昭和50年11月17日に,オランダ国特許出願第7504653号公開公報は1975年(昭和50年)10月28日に,ドイツ連邦共和国特許出願P24
19 970.0号公開公報は同年11月13日に,いずれも公開されたものであることが認められるから,本願は,これらの書面の公開日から6月以内に特許出願されたことが明らかである。
2 そこで,原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
(一)特許出願にかかる発明が特許法第29条第1項各号の一に該当する場合には,新規性がないものとして特許を受けることができないが,同法は第30条にこの発明の新規性喪失の例外規定を設け,その第1項には,「特許を受ける権利を有する者が試験を行い,刑行物に発表し,又は特許庁長官が指定する学術団体が開催する研究集会において文書をもつて発表することにより,第二九条第一項各号の一に該当するに至つた発明について,その該当するに至つた日から六月以内にその者が特許出願をしたときは,その発明は,同項各号の一に該当するに至らなかつたものとみなす。」と規定されている。この規定の趣旨は,特許出願をすることなく,自ら発明を公開した者が,その後においてその発明について特許出願をした場合において,その理由の如何にかかわらずすべて特許を受けることができないとすることは,発明者,とりわけ,特許法の規定を十分知らない技術研究者にとつて酷であり,また産業の発達に寄与するという特許法の目的(同法第1条)に悖る結果ともなることから,前記の要件を具備した場合には,発明がすでに公開されていることを理由に特許出願を拒絶されることがないことを明らかにしたものというべきである。したがつて,同条同項の解釈,適用は,その趣旨に合致するよう発明者の救済措置として必要な限度に留めるべきであり,発明者を必要以上に保護したり,社会一般に不測の損害を与える結果を招来することがあつてはならない。
(二)ところで,特許法第30条第1項に定める公開の一形態である刊行物への発表について,同条項には,「特許を受ける権利を有する者が・・・刊行物に発表し」とのみ規定されており,刊行物の種類,性質,型態等について何ら限定していないし,また特許法は「刊行物」に関する定義規定も設けていない。一方,同法第29条第1項第3号にいう「刊行物」には,日本国内又は外国において頒布された特許公報が含まれると解するのが一般であるが,同じ「刊行物」という文言が用いられていても,同法第30条第1項の「刊行物」の解釈に当たつては,その規定の趣旨に即して検討する必要がある。
まず,国内の公開特許公報についてみると,右公報は,特許庁長官が,特許出願の日から1年6月を経過したとき,出願公告をしたものを除き,その特許出願について出願公開する方法として,所定事項を掲載して発行するものである(同法第65条の2)。ところで,特許を受ける権利を有する者は,特許出願にかかる発明が特許法の定める要件を満たすならば,当該出願手続を追行することによつて特許権を取得することができるのであるが,その手続の過程において前記出願公開のため当該発明を公表する特許公報が同法第30条第1項にいう刊行物に当たると解すると,当該特許を受ける権利を有する者は,その公開日から6月以内に再度同一の発明について特許出願をすることができることになるが,このようなことを許容することは前述した同条同項の趣旨を越えて必要以上に発明者を保護することとなる。のみならず,出願公開後に出願が無効となつた場合(同法第18条),あるいは出願人が任意に出願を取下げた場合には,出願人が出願公開日の日から6月以内に再度出願をしても,その出願に係る発明は本来同法第29条第1項第3号に該当し,該発明について特許を受けることができないのであるが,公開特許公報が同法第30条第1項にいう刊行物に当たると解すると,当該発明は同号に該当するに至らなかつたものとみなされることになり,発明の新規性に関する法律の解釈,運用に不合理な結果をもたらすばかりでなく,発明者を不当に保護し,第三者による発明の利用が阻害されるという弊害が生じる。もつとも,当事者間に争いがない本願発明及び引用例記載の発明の要旨及び前掲甲第4号証によれば,右発明は,本願の出願前は昭和50年法律第46号による改正前の特許法第32条第2号により特許を受けることができなかつたが,同改正法律(昭和51年1月1日施行)により特許を受けることができることになつたいわゆる医薬特許発明に該当するものであり,原告は右改正法律の施行前である昭和50年4月25日本願発明と同一のものであること当事者間に争いのない発明について特許出願をし,右特許出願について同年11月17日出願公開がされたものであることが認められ,次いで原告は右改正法律の施行当日である昭和51年1月1日本件特許出願に及んだものであるところ,このように発明者が特定の発明について特許出願をした当時その発明について法律上特許を受けることができなかつた場合に,その後法律改正が行われて特許を受けることができるようになつたためその発明について再度特許出願をしたとき,最初の特許出願について出願公開のため発行された公開特許公報を同法第30条第1項の刊行物として同条項の適用を受けることを認めるならば,発明者にとつて特許権取得の途が開かれることになるが,発明者をそこまで保護する必要はないし,法改正の遡及効を認めるような解釈を許容すべき理由はない。
また,外国の公開特許公報についてみても,外国において特許出願をした者が当該発明について日本国において特許出願をするに当たり,パリ条約第4条所定の優先期間が経過したにもかかわらず,外国において出願公開のため発行した公開特許公報を特許法第30条第1項所定の刊行物であるとして,同条項の適用を受けることを認めることは,特許を受ける権利を有する者に対し,優先権主張の利益のほかに過重な保護を与えると共に,第三者の利益を害する結果を招来することにもなるとおもわれる。すなわち,パリ条約第4条Bは,同条所定の優先期間(特許については12ケ月)の満了前に,「他の同盟国においてされた後の出願は,その間に行われた行為,例えば,(中略)当該発明の公表(中略)によつて不利な取扱いを受けないものとし,」と規定しており,優先期間中に行われた当該発明の公表によつて第二国出願に係る発明が新規性を失つたとして,出願について拒絶されることがないように配慮して,特許を受ける権利を有する者を保護している。もとより,第一国において,出願公開のための所要期間が原則として前記優先期間より長いものに定められている場合には,前記パリ条約第4条Bの規定にいう「当該発明の公表」の中には出願公開の型態による「公表」は含まれないこととなるが,いずれにせよ,各規定が優先期間中に行われた当該発明の公表によつて新規性を喪失したものとして第二国出願について拒絶がされることがないよう保障していること自体に変りはない。したがつて,外国において特許出願をした者が当該発明について日本国において特許出願をするに当たり,既に優先期間が経過したにかかわらず,外国の公開特許公報を特許法第30条第1項所定の刊行物であるとして,同条項の適用を受けることを認めることは,その者に前記パリ条約第4条Bの規定による発明の公表に基づく不利益取扱の禁止を適用するほか,更に,これと実質上同じ趣旨の新規性喪失の例外措置を認め,過重な保護を与えることとなり,他面において,当該発明の日本語による公開が日本国における出願日から1年6月を経過した後にされることになつて,優先権主張を伴う特許出願がされた場合と比べて遅延し,それだけ第三者に不利益を与える等の弊害を生ずるのである。本件において,前掲甲第4,第5号証によれば,原告は,本願発明と同一の発明について,1974年(昭和49年)4月25日ドイツ連邦共和国に特許出願をし,右出願について1975年(昭和50年)11月13日出願公開がされ,その公開特許公報が前記1認定のものであること,原告は,右発明について,1975年(昭和50年)4月18日オランダ国に特許出願をし,右出願について同年10月28日出願公開がされ,その公開特許公報が前記1認定のものであることが認められ,右認定事実に徴すれば,原告は,本願発明についてドイツ連邦共和国における特許出願に基づく優先権を主張することができる期間の経過後に,日本国に特許出願をし,特許法第30条第1項の適用を受けることの申立てをしたものであり,このような申立てを是認することは,まさに前述したような問題点を包蔵することとなることが明らかである。
してみれば,特許を受ける権利を有する者が特定の発明について特許出願をした結果,その発明が出願公開され,公開特許公報に掲載されることは,同法第30条第1項にいう「刊行物に発表し」には該当せず,この理は日本国における公開特許公報であると,外国における公開特許公報であるとにより,異なるところはないというべきである。
(三)審決は,特許法第30条第1項にいう「発表」とは,特許を受ける権利を有する者が「自らの発表せんとする積極的な意思」をもつて発表することであり,他人が発表することを容認するというような消極的な意思が存在するだけでは同条同項にいう「発表」とはいえず,特許公報による出願公開は出願人の発明を公表しようという積極的な意思に基づいてなされたものではないから,本件引用例による公開は同条同項にいう「刊行物に発表」に該当しないとしているが,その要旨とするところは,結局,特許出願人が特許制度を利用した結果その発明が公表された場合には,「刊行物に発表し」に該当しないことを,出願公開制度と出願人の公表意思との関係で説明したものであり,公開特許公報による公表が出願人の発明を発表しようという積極的な意思に基づかないといえるか,疑義がないではないが,同条同項の適用について特許制度との関連において特許出願人が特許制度を利用した結果,その発明が公表された場合を排除する趣旨において,本判決と結論を同じくするものであり,「発表」という文言の解釈に関する原告の主張の当否について判断するまでもなく,審決の判断は結論において正当というべきである。
なお,原告は,特許庁が特許公報について,特許法第30条第1項の適用対象と認める運用を長年にわたつて堅持し,安定したプラクテイスとして定着してきたのにかかわらず,法改正措置によらず解釈によつて手続を変更するのは誤りであると主張する。
特許庁が特許制度を運用するに当たつては,特許法の解釈についてできる限り確定的な見解をもつて望み,これがいたずらに変更されることのないように努めるべきことは行政の安定性,信頼性の要請からして当然であるが,従来の特許法の解釈あるいはこれに基づく実務の運用に誤りがあると判断するに至つたときは,これを変更するのに必ず法改正措置を経なければならないものではなく,むしろ速やかに正しい解釈に基づく運用を行うべきであり,その適否は,究極的には変更された法解釈に基づいてなされた審決その他の行政処分についての司法審査によつて判断されるものであるから,これによつて特許出願人その他関係者に不測の損害を与えることにはならない。特許庁において従来の取扱を変更し,特許公報による公表については同条同項の「刊行物に発表し」に該当しないと解釈し,これを前提とした運用が行われてきており,本件の審決もそれに沿うものであるとしても,その解釈は当裁判所の説示したところと結論において一致するものであり,これを違法とすべき理由はない。
(四)以上のとおり,原告が本願発明が特許法第30条第1項に規定する発明であることを証する書面として特許庁長官に対し提出した書面である特開昭50-142558号公開特許公報(引用例),オランダ国特許出願第7504653号公開公報,ドイツ連邦共和国特許出願P24
19 970.0号公開公報への掲載は,いずれも同条同項に規定する「刊行物に発表し」に該当しないものであり,本願発明は引用例記載の発明と同一である以上,本願発明は特許法第29条第1項第3号の規定により特許を受けることができないとした審決の判断は正当であり,審決には原告主張の違法はない。
3 よつて,審決の違法を理由にその取消を求める原告の本訴請求は,理由がないから,これを棄却することとし,訴訟費用の負担及び上告のための附加期間の付与につき,行政事件訴訟法第7条,民事訴訟法第89条,第158条第2項の各規定を適用して主文のとおり判決する。」