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日蓮宗 法住山 要傳寺

日蓮宗法要式religious rituals

日蓮宗における伝統的法式(法要式)を概観します。
法要などで誦唱・読誦される経文・声明・要文・祖訓(日蓮の言葉)・和讃の数々を紹介。
なお、経文等の大意については、要傳寺の檀信徒向け冊子『檀信徒必携・勤行要典』も併せてご参照ください。
詳細は下記のタブからアコーディオンを展開してください。

要文

【開経偈】
無上甚深微妙の法は、百千万劫にも遭遇(あい)たてまつること難し。我今見聞し受持することを得たり。願はくは如来の第一義を解せん。至極の大乗、思議すべからず。見聞触知、みな菩提に近づく。能詮は報身、所詮は法身、色相の文字は即ち是れ応身なり。無量の功徳、皆是の経に集まれり。是の故に自在に冥に薫じ密に益す。有智無智、罪を滅し善を生ず。若しは信、若しは謗、共に仏道を成ず(ぜん)。三世の諸仏、甚深の妙典なり。生生世世、値偶し頂戴せん。

【頂経偈】
この経は諸仏出世の本懐、衆生成仏の直道たり。記の一に曰く、妙法の唱へは唯だ正宗のみに非ず。二十八品倶に妙と名づくるが故に。故(かるがゆえ)に品品の内、悉(ことごと)く体等を具し、句句の下(しも)、通じて妙名を結す。稽首妙法蓮華経 薩達磨芬陀利伽 一帙八軸四七品 六萬九千三八四 一々文々是真仏 真仏説法利衆生 衆生皆已成仏道 故我頂礼法華経。今身より、仏身に至るまで、能く持ち奉る。南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。

【開棺】
五蘊三毒の迷雲を払うて五眼三智の覚月を見ん、経に曰く開方便門示真実相

【献茶】
有相の冷水は色身の渇を止め、無相の涼味は心性の煩を消す
経に曰く如以甘露灑除熱得清凉

【献供】
通別の菩薩も未だ円教の極味を知らず今経寿量の筵に来って始めて種智還年の上食に遇う経に曰く一者法喜食二者禅悦食

【献香】
解脱の妙香義天に遍満す、衆生薫を受けて法界清浄なり

【献華】
香風萎めるを吹いて新香の者を雨らす、法界寂静にして唯妙色のみあり

【潅仏偈】
我今潅浴釈法皇 浄智功徳荘厳聚 五濁衆生令離苦 願証如来浄法身

【焼香偈】
戒香定香解脱香 光明雲台遍法界 供養十方無量仏 見聞普薫照寂滅

【焼香偈】
戒定慧解知見香 遍十方刹常芬馥 願此香煙亦如是 周遍自他五分身

【奉請礼(釈尊降誕会)】
至心頂礼 娑婆世界 示現降生 応化時身 釈迦牟尼仏

【奉請礼(釈尊成道会)】
至心頂礼 菩提道場 正覚会上 大恩教主 釈迦牟尼仏

【奉請礼(釈尊涅槃会)】
至心頂礼 涅槃教主 堪忍世尊 大滅時身 釈迦牟尼仏

【奉請礼(宗祖降誕会)】
一心奉請 娑婆世界 示現降生 本化上行 高祖日蓮大菩薩

【奉請礼(宗祖開宗会)】
至心頂礼 千光山上 立教開宗 本化上行 高祖日蓮大菩薩

【奉請礼(宗祖涅槃会)】
一心奉請 南無末法応時涅槃会上 本化上行 高祖日蓮大菩薩

【供養】
願此香華雲 遍満十法界 供養一切仏 妙法蓮華経 菩薩声聞衆 受用作仏事

【施食】
神呪加持浄飯食 布施恒沙衆鬼神 願皆飽満捨慳心 速脱幽冥生善道 帰依三宝覚菩提 究竟得成無上覚 功徳無辺尽未来 一切衆生同法食

【呪願】
汝等鬼神衆 我今施汝供 此食遍十方 一切鬼神供 如以甘露灑 除熱得清凉 如従飢国来 忽偶大王膳 願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道

【円頓章】
円頓者初縁実相造境即中無不真実。繋縁法界一念法界一色一香無非中道。己界及仏界衆生界亦然。陰入皆如無苦可捨無明塵労即是菩提。無集可断辺邪皆中正。無道可修生死即涅槃。無滅可証。無苦無集故無世間。無道無滅故無出世間。純一実相実相外更無別法。法性寂然名止寂而常照名観。雖言初後無二無別是名円頓止観。

【四弘誓願】
衆生無辺誓願度 煩悩無数誓願断 法門無尽誓願知 仏道無上誓願成

【水行肝文】
若持法華経 其身甚清浄 不染世間法 如蓮華在水 得聞此経 六根清浄 神通力故 増益寿命
真観清浄観 広大智慧観 悲観及慈観 常願常瞻仰 無垢清浄光 慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間 悲体戒雷震 慈意妙大雲 ■甘露法雨 滅除煩悩焔
澡浴塵穢 著新浄衣 内外倶浄 安処法座(七転)
南無妙法蓮華経(三唱)
*■は「樹」の「木」偏を「さんずい」にした字

【頂戴経(祈祷経)】
師子相承したてまつる撰法華経
南無極難値遇一乗妙法蓮華経
南無生々値遇一乗妙法蓮華経
南無平等大慧一乗妙法蓮華経
釈迦の説教は一乗に止まり、諸仏の成道は妙法にあり、菩薩の六度は蓮華にあり、二乗の作仏は此の経に限る。一部八巻二十八品六万九千三百八十余品々のうち、咸く体等を具し、句々の下、通じてを妙名を決す。一々の文々是れ真仏なり、真仏の説法は衆生を利す。
一度聞けば能く一切の法を持つが故に、未だ六波羅蜜を修行することを得ずと雖も六波羅蜜自然に在前せん。一切の業障海は皆妄想より生ず。衆罪は霜露の如く、慧日能く消除す。
もし末法弘経広宣流布の志あらん行者は、法華金口の明説によりて信心を致さば、現当二世の所願必ず決定円満することを得せしむべき者なり。
我が不信を以て金言を疑わざれ。若しそれ信心強盛にして深重ならば、息災延命、決定得楽ならん。末法一乗の行者息災延命所願成就、祈祷経の文、末法唱導師日蓮大菩薩御撰。
南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経。

【運想】
唱え奉る妙法は、是れ三世諸仏所証の境界、上行薩■霊山別付の真浄大法なり。一たびも南無妙法蓮華経と唱え奉れば、則ち事の一念三千正観成就し、常寂光土現前し、無作三身の覚体顕れ、我等行者一切衆生と同じく法性の土に居して、自受法楽せん。此の法音を運らして、法界に充満し、三宝に供養し、普く衆生に施し、大乗一実の境界に入らしめ、仏土を厳浄し、衆生を利益せん。
*■は「土」偏に「垂」

【食法】
天の三光に身を温め、地の五穀に精神(たましい)を養う、みなこれ本仏の慈悲なり。たとえ一滴の水、一粒(いちりゅう)の米も功徳と辛苦によらざることなし。われらこれによって心身の健康を全うし、仏祖の教法(おしえ)を守って四恩に報謝し、奉仕の浄行を達せしめ給え。南無妙法蓮華経。

【勧請】
聞法歓喜讃 乃至発一言 則為已供養 一切三世仏
法華経中常住 一切三宝 知見照覧 法味納受

【行道文】
諸法従本来 常自寂滅相 仏子行道已 来世得作仏

宗定声明

【道場偈】
我此道場如帝珠
十方三宝影現中
我身影現三宝前
頭面接足帰命礼

【三宝礼】
一心敬礼
十方一切常住仏
一心敬礼
十方一切常住法
一心敬礼
十方一切常住僧

【切散華】
欲説法華経
香華供養仏
大哉大悟大聖主
香華供養仏
願以此功徳
香華供養仏

【咒讃】
阿檀地 仏駄波羶祢 薩婆陀羅尼阿婆多尼

【対揚】
南無久遠実成
一乗教主釈迦尊
多宝分身 証誠講演
天衆地類 倍増威光
報地荘厳 報恩謝徳
坐宝蓮華 成等正覚
増円妙道 位隣大覚
大慈大悲 報恩謝徳
高祖大士 示教利喜
聖朝安穏 増長宝寿
天下法界 平等利益
所願成弁 上行菩薩

【三帰(華厳三帰)】
一切恭敬
自帰依仏 当願衆生 体解大道 発無上意
自帰依法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海
自帰依僧 当願衆生 統理大衆 一切無礙

【三帰(本門三帰)】
南無 久遠実成 本師釈迦牟尼仏
南無 平等大慧 一乗妙法蓮華経
南無 本化上行 高祖日蓮大菩薩

【奉送】
唯願諸聖衆
決定証知我
各到随所安
後復垂哀赴

法華経要品

【妙法蓮華経 方便品 第二】
爾時世尊。従三昧安詳而起。告舎利弗 諸仏智慧。甚深無量。其智慧門。難解難入。一切声聞。辟支仏。所不能知。所以者何。仏曾親近。百千万億。無数諸仏。尽行諸仏。無量道法。勇猛精進。名称普聞。成就甚深。未曾有法。随宜所説。意趣難解。舎利弗。吾従成仏已来。種種因縁。種種譬喩。広演言教。無数方便。引導衆生。令離諸著。所以者何。如来方便。知見波羅蜜。皆已具足 舎利弗。如来知見。広大深遠。無量無碍。力。無所畏。禅定。解脱。三昧。深入無際。成就一切。未曾有法。舎利弗。如来能種種分別。巧説諸法。言辞柔軟。悦可衆心。舎利弗。取要言之。無量無辺。未曾有法。仏悉成就。止舎利弗。不須復説。所以者何。仏所成就。第一希有。難解之法。唯仏与仏。乃能究尽。諸法実相。所謂諸法。如是相。如是性。如是体。如是力。如是作。如是因。如是縁。如是果。如是報。如是本末究竟等。

【欲令衆】
諸仏世尊。欲令衆生。開仏知見。使得清浄故。出現於世。欲示衆生。仏知見故。出現於世。欲令衆生。悟仏知見故。出現於世。欲令衆生。入仏知見道故。出現於世。舎利弗。是為諸仏。唯以一大事因縁故。出現於世。
三界無安 猶如火宅 衆苦充満 甚可怖畏 常有生老 病死憂患 如是等火 熾然不息 如来已離 三界火宅 寂然閑居 安処林野 今此三界 皆是我有 其中衆生 悉是吾子 而今此処 多諸患難 唯我一人 能為救護
我遣化四衆 比丘比丘尼 及清信士女 供養於法師 引導諸衆生 集之令聴法 若人欲加悪 刀杖及瓦石 則遣変化人 為之作衛護
爾時宝塔中。出大音声。歎言善哉善哉。釈迦牟尼世尊。能以平等大慧。教菩薩法。仏所護念。妙法華経。為大衆説。如是如是。釈迦牟尼世尊。如所説者。皆是真実

【欲令衆(訓読)】
諸仏世尊は、衆生をして仏知見を開かしめ、清浄なることを得せしめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生に仏知見を示さんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見を悟らせめんと欲するが故に、世に出現したもう。衆生をして仏知見の道に入らしめんと欲するが故に、世に出現したもう。舎利弗、是れを諸仏は唯だ一大事の因縁を以ての故に世に出現したもうとなづく。
三界は安きことなし、猶お火宅の如し。衆苦充満して甚だ怖畏すべし。常に生老病死の憂患あり。是の如き等の火、熾然として息まず。如来は已に三界の火宅を離れて、寂然として閑居し林野に安処せり。今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し。唯だ我一人のみ能く救護を為す。
我れ化の四衆、比丘比丘尼、及び清信士女を遣わして、法師を供養せしめ、諸の衆生を引導して之を集めて法を聴かしめん。若し人、悪刀杖及び瓦石を加えんと欲せば、則ち変化の人を遣わして之が為に衛護と作さん。
爾の時に宝塔の中より大音声を出して、歎めて言わく、善哉善哉、釈迦牟尼世尊、能く平等大慧・教菩薩法・仏所護念の妙法華経を以て大衆の為に説きたまう。是の如し、是の如し。釈迦牟尼世尊所説の如きは皆是れ真実なり。

【宝塔偈】
此経難持 若暫持者 我即歓喜 諸仏亦然 如是之人 諸仏所歎 是即勇猛 是即精進 是名持戒 行頭陀者 即為疾得 無上仏道 能於来世 読持此経 是真仏子 住淳善地 仏滅度後 能解其義 是諸天人 世間之眼 於恐畏世 能須臾説 一切天人 皆応供養

【妙法蓮華経 提婆達多品 第十二】
深達罪福相 遍照於十方 微妙浄法身 具相三十二 以八十種好 用荘厳法身 天人所戴仰 龍神咸恭敬 一切衆生類 無不宗奉者 又聞成菩提 唯仏当証知 我闡大乗教 度脱苦衆生
爾時舎利弗。語龍女言。汝謂不久。得無上道。是事難信。所以者何。女身垢穢。非是法器。云何能得。無上菩提。仏道懸曠。径無量劫。勤苦積行。具修諸度。然後乃成。又女人身。猶有五障。一者不得。作梵天王。二者帝釈。三者魔王。四者転輪聖王。五者仏身。云何女身。速得成仏。爾時龍女。有一宝珠。価直三千大千世界。持以上仏。仏即受之。龍女謂智積菩薩。尊者舎利弗言。我献宝珠。世尊納受。是事疾不。答言甚疾。女言。以汝神力。観我成仏。復速於此。当時衆会。皆見龍女。忽然之間。変成男子。具菩薩行。即往南方。無垢世界。坐宝蓮華。成等正覚。三十二相。八十種好。普為十方。一切衆生。演説妙法。爾時娑婆世界。菩薩声聞。天龍八部。人与非人。皆遥見彼。龍女成仏。普為時会。人天説法。心大歓喜。悉遥敬礼。無量衆生。聞法解悟。得不退転。無量衆生。得受道記。無垢世界。六反震動。娑婆世界。三千衆生。住不退地。三千衆生。発菩提心。而得授記。智積菩薩。及舎利弗。一切衆会。黙然信受

【妙法蓮華経 提婆達多品 第十二(訓読)】
深く罪福の相を達して、遍く十方を照したもう。微妙の浄き法身相を具せること三十二・八十種好を以て用って法身を荘厳せり。天人の戴仰する所龍神も咸く恭敬す。一切衆生の類、宗奉せざる者なし。又聞いて菩提を成ずること唯仏のみ当に証知したもうべし。我大乗の教を闡いて苦の衆生を度脱せん。
爾の時に舎利弗、龍女に語って言わく、汝久しからずして無上道を得たりと謂える。是の事信じ難し。所以は何ん、女身は垢穢にして是れ法器に非ず、云何ぞ能く無上菩提を得ん。仏道は懸曠なり。無量劫を経て勤苦して行を積み具さに諸度を修し、然して後に乃ち成ず。又女人の身には猶お五つの障りあり、一には梵天王となることを得ず、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。云何ぞ女身速かに成仏することを得ん。
爾の時に龍女一つの宝珠あり、価直三千大千世界なり。持って以て仏に上る。仏即ち之を受けたもう。龍女、智積菩薩・尊者舎利弗に謂って言わく、我宝珠を献る。世尊の納受是の事疾しや不や。答えて言わく、甚だ疾し。女の言わく、汝が神力を以て我が成仏を観よ。復此れよりも速かならん。
当時の衆会、皆龍女の忽然の間に変じて男子となって、菩薩の行を具して、即ち南方無垢世界に往いて宝蓮華に坐して等正覚を成じ、三十二相・八十種好あって、普く十方の一切衆生の為に妙法を演説するを見る。爾の時に娑婆世界の菩薩・声聞・天・龍・八部・人と非人と皆遥かに彼の龍女の成仏して、普く時の会の人天の為に法を説くを見て、心大に歓喜して悉く遥かに敬礼す。無量の衆生、法を聞いて解悟し不退転を得、無量の衆生、道の記を受くることを得たり。無垢世界六反に震動す。娑婆世界の三千の衆生不退の地に住し、三千の衆生菩提心を発して授記を得たり。智積菩薩及び舎利弗、一切の衆会黙然として信受す。

【妙法蓮華経 勧持品 第十三】
唯願不為慮 於仏滅度後 恐怖悪世中 我等当広説 有諸無智人 悪口罵詈等 及加刀杖者 我等皆当忍 悪世中比丘 邪智心諂曲 未得謂為得 我慢心充満 或有阿練若 納衣在空閑 自謂行真道 軽賎人間者 貧著利養故 与白衣説法 為世所恭敬 如六通羅漢 是人懐悪心 常念世俗事 仮名阿練若 好出我等過 而作如是言 此諸比丘等 為貧利養故 説外道論議 自作此経典 誑惑世間人 為求名聞故 分別説是経 常在大衆中 欲毀我等故 向国王大臣 婆羅門居士 及余比丘衆 誹謗説我悪 謂是邪見人 説外道論議 我等敬仏故 悉忍是諸悪 為斯所軽言 汝等皆是仏 如此軽慢言 皆当忍受之 濁劫悪世中 多有諸恐怖 悪鬼入其身 罵詈毀辱我 我等敬信仏 当著忍辱鎧 為説是経故 忍此諸難事 我不愛身命 但惜無上道 我等於来世 護持仏所嘱 世尊自当知 濁世悪比丘 不知仏方便 随宜所説法 悪口而顰蹙 数数見擯出 遠離於塔寺 如是等衆悪 念仏告勅故 皆当忍是事 諸聚落城邑 其有求法者 我皆到其所 説仏所嘱法 我是世尊使 処衆無所畏 我当善説法 願仏安穏住 我於世尊前 諸来十方仏 発如是誓言 仏自知我心

【妙法蓮華経 如来寿量品 第十六】
自我得仏来 所経諸劫数 無量百千万 億載阿僧祇 常説法教化 無数億衆生 令入於仏道 爾来無量劫 為度衆生故 方便現涅槃 而実不滅度 常住此説法 我常住於此 以諸神通力 令顛倒衆生 雖近而不見 衆見我滅度 広供養舎利 咸皆懐恋慕 而生渇仰心 衆生既信伏 質直意柔軟 一心欲見仏 不自惜身命 時我及衆僧 倶出霊鷲山 我時語衆生 常在此不滅 以方便力故 現有滅不滅 余国有衆生 恭敬信楽者 我復於彼中 為説無上法 汝等不聞此 但謂我滅度 我見諸衆生 没在於苦海 故不為身現 令其生渇仰 因其心恋慕 乃出為説法 神通力如是 於阿僧祇劫 常在霊鷲山 及余諸住処 衆生見劫尽 大火所焼時 我此土安穏 天人常充満 園林諸堂閣 種種宝荘厳 宝樹多華果 衆生所遊楽 諸天撃天鼓 常作衆妓楽 雨曼陀羅華 散仏及大衆 我浄土不毀 而衆見焼尽 憂怖諸苦悩 如是悉充満 是諸罪衆生 以悪業因縁 過阿僧祇劫 不聞三宝名 諸有修功徳 柔和質直者 則皆見我身 在此而説法 或時為此衆 説仏寿無量 久乃見仏者 為説仏難値 我智力如是 慧光照無量 寿命無数劫 久修業所得 汝等有智者 勿於此生疑 当断令永尽 仏語実不虚 如医善方便 為治狂子故 実在而言死 無能説虚妄 我亦為世父 救諸苦患者 為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生■恣心 放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道 随応所可度 為説種種法 毎自作是念 以何令衆生 得入無上道 速成就仏身

【妙法蓮華経 如来寿量品 第十六(訓読)】
我仏を得てより来、経たる所の諸の劫数無量百千万億載阿僧祇なり。常に法を説いて無数億の衆生を教化して仏道に入らしむ。爾しより来、無量劫なり。衆生を度せんが為の故に方便して涅槃を現ず。而も実には滅度せず、常に此に住して法を説く。我常に此に住すれども、諸の神通力を以て顛倒の衆生をして近しと雖も而も見ざらしむ。衆我が滅度を見て広く舎利を供養し、咸く皆恋慕を懐いて渇仰の心を生ず。衆生既に信伏し、質直にして意柔軟に、一心に仏を見たてまつらんと欲して、自ら身命を惜まず。時に我及び衆僧倶に霊鷲山に出ず。我時に衆生に語る、常に此にあって滅せず。方便力を以ての故に滅不滅ありと現ず。余国に衆生の恭敬し信楽する者あれば、我復彼の中に於て為に無上の法を説く。汝等此れを聞かずして、但我滅度すと謂えり。我諸の衆生を見れば苦海に没在せり。故に為に身を現ぜずして、其れをして渇仰を生ぜしむ。其の心恋慕するに因って乃ち出でて為に法を説く。神通力是の如し、阿僧祇劫に於て常に霊鷲山及び余の諸の住処にあり。衆生劫尽きて大火に焼かるると見る時も、我が此の土は安穏にして天人常に充満せり、園林諸の堂閣種々の宝をもって荘厳し、宝樹華果多くして衆生の遊楽する所なり。諸天天鼓を撃って常に衆の妓楽を作し、曼陀羅華を雨らして仏及び大衆に散ず。我が浄土は毀れざるに、而も衆は焼け尽きて、憂怖諸の苦悩是の如き悉く充満せりと見る。是の諸の罪の衆生は、悪業の因縁を以て阿僧祇劫を過ぐれども三宝の名を聞かず。諸の有ゆる功徳を修し、柔和質直なる者は則ち皆我が身此にあって法を説くと見る。或時は此の衆の為に仏寿無量なりと説く。久しくあって乃し仏を見たてまつる者には為に仏には値い難しと説く。我が智力是の如し、慧光照すこと無量に寿命無数劫久しく業を修して得る所なり。汝等智あらん者此に於て疑を生ずることなかれ。当に断じて永く尽きしむべし。仏語は実にして虚しからず。医の善き方便をもって狂子を治せんが為の故に、実には在れども而も死すというに、能く虚妄を説くものなきが如く、我も亦為れ世の父、諸の苦患を救う者なり。凡夫の顛倒せるを為て実には在れども而も滅すと言う。常に我を見るを以ての故に、而も■恣の心を生じ放逸にして五欲に著し悪道の中に堕ちなん。我常に衆生の道を行じ道を行ぜざるを知って、度すべき所に随って為に種々の法を説く。毎に自ら是の念を作す。何を以てか衆生をして無上道に入り、速かに仏身を成就することを得せしめんと。

【妙法蓮華経 如来神力品 第二十一】
爾時仏告。上行等菩薩大衆。諸仏神力。如是無量無辺。不可思議。若我以是神力。於無量無辺。百千万億阿僧祇劫。為嘱累故。説此経功徳。猶不能尽。以要言之。如来一切。所有之法。如来一切。自在神力。如来一切。秘要之蔵。如来一切。甚深之事。皆於此経。宣示顕説。是故汝等。於如来滅後。応当一心。受持読誦。解説書写。如説修行。所在国土。若有受持読誦。解説書写。如説修行。若経巻。所住之処。若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舎。若在殿堂。若山谷曠野。是中皆応。起塔供養。所以者何。当知是処。即是道場。諸仏於此。得阿耨多羅三藐三菩提。諸仏於此。転於法輪。諸仏於此。而般涅槃。爾時世尊。欲重宣此義。而説偈言
諸仏救世者 住於大神通 為悦衆生故 現無量神力 舌相至梵天 身放無数光 為求仏道者 現此希有事 諸仏謦■声 及弾指之声 周聞十方国 地皆六種動 以仏滅度後 能持是経故 諸仏皆歓喜 現無量神力 嘱累是経故 讃美受持者 於無量劫中 猶故不能尽 是人之功徳 無辺無有窮 如十方虚空 不可得辺際 能持是経者 則為已見我 亦見多宝仏 及諸分身者 又見我今日 教化諸菩薩 能持是経者 令我及分身 滅度多宝仏 一切皆歓喜 十方現在仏 竝過去未来 亦見亦供養 亦令得歓喜 諸仏坐道場 所得秘要法 能持是経者 不久亦当得 能持是経者 於諸法之義 名字及言辞 楽説無窮尽 如風於空中 一切無障碍 於如来滅後 知仏所説経 因縁及次第 随義如実説 如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇 教無量菩薩 畢竟住一乗 是故有智者 聞此功徳利 於我滅度後 応受持斯経 是人於仏道 決定無有疑

【妙法蓮華経 如来神力品 第二十一(訓読)】
爾時に仏、上行等の菩薩大衆に告げたまわく、諸仏の神力は是の如く無量無辺不可思議なり。若し我是の神力を以て、無量無辺百千万億阿僧祇劫に於て、嘱累の為の故に此の経の功徳を説かんに、猶お尽くすこと能わじ。要を以て之を言わば、如来の一切の所有の法・如来の一切の自在の神力・如来の一切の秘要の蔵・如来の一切の甚深の事、皆此の経に於て宣示顕説す。是の故に汝等、如来の滅後に於て、応当に一心に受持・読誦し解説・書写し説の如く修行すべし。所在の国土に、若しは受持・読誦し解説・書写し、説の如く修行し、若しは経巻所住の処あらん。若しは園の中に於ても、若しは林の中に於ても、若しは樹の下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう。

祖訓(御妙判)

立正安国論(226頁)
汝早く信仰の寸心を改めて速やかに実乗の一善に帰せよ。然れば則ち三界は皆仏国なり、仏国其れ衰へんや。十方は悉く宝土なり、宝土何ぞ壊れんや。国に衰微無く土に破壊無くんば身は是安全にして、心は是禅定ならん。此の詞此の言信ずべく崇むべし。

南条兵衛七郎殿御書(320頁)…釈尊降誕会(4月8日)・釈尊成道会(12月8日)
法華経の第二に云く、今此の三界は皆是れ我が有なり。其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し。唯だ我れ一人のみ能く救護をなす。復た教詔すといえども而も信受せず等云云。此文の心は釈迦如来は我等衆生には親なり、師なり、主なり。我等衆生のためには阿弥陀仏・薬師仏等は主にてはましませども、親と師とにはましまさず。ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる。親も親にこそよれ、釈尊ほどの親。師も師にこそよれ、主も主にこそよれ、釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ。この親と師と主との仰せをそむかんもの、天神地祇にすてられたてまつらざらんや。不孝第一の者なり。

南条兵衛七郎殿御書(326頁)…小松原法難会(11月11日)
今年も十一月十一日、安房の国東条の松原と申す大路にして、申酉(さるとり)の時、数百人の念仏等にまちかけられて候て、日蓮は唯一人、十人ばかり、ものの要にあふものは、わづかに三四人なり。いるや(矢)はふるあめ(雨)のごとし、うつたち(太刀)はいなづま(稲妻)のごとし。弟子一人は当座にうちとられ、二人は大事のてにて候。自身もきられ、打れ、結句にて候し程に、いかが候けん、うちもらされていままでいきてはべり。いよいよ法華経こそ信心まさり候へ。第四巻に云く、而も此の経は如来の現在すら猶ほ怨嫉多し、況や滅度の後をや。 第五の巻に云く 一切世間怨(あだ)多くして信じ難し等云云。日本国に法華経よみ学する人これ多し。人のめ(女)をねらひ、ぬすみ等にて打ちはらるる人は多けれども、法華経の故にあやまたるる人は一人なし。されば日本国の持経者はいまだ此の経文にはあわせ給はず。唯だ日蓮一人こそよみはべれ。我不愛身命但惜無上道是なり。されば日蓮は日本第一の法華経行者なり。

上野殿後家尼御返事(329頁)
夫れ浄土と云ふも地獄と云ふも外には候はず。ただ我等がむねの間にあり。これをさとるを仏といふ。これにまよふを凡夫と云ふ。これをさとるは法華経なり。もししからば、法華経をたもちたてまつるものは、地獄即寂光とさとり候ぞ。

四条金吾殿御書(493頁)…施餓鬼会
又施餓鬼の事仰せ候。法華経第三に云く「如従飢国来忽遇大王膳」云云。此の文は中根の四大声聞、醍醐の珍膳をおと(音)にもきかざりしが、今経に来て始めて醍醐の味をあくまでになめて、昔しうへ(飢)たる心を忽にやめし事を説き給ふ文なり。
若し爾らば、餓鬼供養の時は此の文を誦して南無妙法蓮華経と唱へてとぶらひ給ふべく候。

土籠御書(509頁)…佐渡法難会(10月10日)
日蓮は明日佐渡の国へまかるなり。今夜のさむきに付けても、ろう(牢)のうちのありさま、思ひやられていたわしくこそ候へ。あわれ殿は、法華経一部を色心二法共にあそばしたる御身なれば、父母・六親・一切衆生をもたすけ給ふべき御身なり。法華経を余人のよみ候は、口ばかりことば(言)ばかりはよめども心はよまず。心はよめども身によまず。色心二法共にあそばされたるこそ貴く候へ。

開目抄(601頁)…立教開宗会(4月28日)
善に付け悪につけ、法華経をすつるは地獄の業なるべし。大願を立てん。日本国の位をゆづらむ、法華経をすてて観経等について後生をごせよ。父母の頚を刎ん、念仏申さずば。なんどの種種の大難出来すとも、智者に我義やぶられずば用ひじとなり。其の外の大難、風の前の塵なるべし。我日本の柱とならむ、我日本の眼目とならむ、我日本の大船とならむ、等とちかいし願、やぶるべからず。

祈祷鈔(678頁)…釈尊涅槃会(2月15日)
仏の御年満八十と申せし二月十五日の寅卯(とらう)の時、東天竺舎衛国(しゃえいこく)倶尸那城(くしなじょう)跋提河(ばつだいが)の辺(ほとり)にして仏御入滅なるべき由の御音、上は有頂、横には三千大千界までひびきたりしこそ目もくれ心もきえはてぬれ。五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国・無量の粟散国等の衆生、一人も衣食を調へず、上下をきらはず、牛馬狼狗G鷲蚊虻等の五十二類の一類の数大地微塵をもつくしぬべし。況や五十二類をや。此の類皆華香衣食をそなへて最後の供養とあてがひき。一切衆生の宝の橋をれなんとす。一切衆生の眼ぬけなんとす。一切衆生の父母主君師匠死なんとす。なんど申すこえひびきしかば、身の毛のいよ立のみならず涙を流す。なんだをながすのみならず、頭をたゝき胸ををさへ音も惜まず叫びしかば、血の涙血のあせ倶尸那城に大雨よりもしげくふり、大河よりも多く流れたりき。是偏に法華経にして仏になりしかば、仏の恩の報じがたき故なり。

如来滅後五五百歳始観心本尊抄(711頁)
釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す。我等此の五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与へたまふ。

如来滅後五五百歳始観心本尊抄(712頁)
今本時の娑婆世界は三災を離れ四劫を出でたる常住の浄土なり。仏既に過去にも滅せず未来にも生ぜず。所化以て同体なり。此れ即ち己心の三千具足、三種の世間なり。

如来滅後五五百歳始観心本尊抄(720頁)
天晴れぬれば地明かなり、法華を識る者は世法を得べきか。一念三千を識らざる者には仏大慈悲を起し、五字の内に此の珠を裹み、末代幼稚の頚に懸けしめたまふ。四大菩薩の此の人を守護したまはんこと、太公・周公の成王(文王)を摂扶し、四皓が恵帝に侍奉せしに異ならざる者なり。

諸法実相鈔(727頁)
現在の大難を思ひつづくるにもなみだ、未来の成仏を思ひて喜ぶにもなみだせきあへず。鳥と虫とはなけどもなみだをちず。日蓮はなかねどもなみだひまなし。此のなみだ世間の事には非ず。但偏に法華経の故なり。若ししからば甘露のなみだとも云つべし。

諸法実相鈔(728頁)
一閻浮提第一の御本尊を信じさせ給へ。あひかまへて、あひかまへて、信心つよく候ひて三仏の守護をかうむらせ給ふべし。行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。我もいたし人をも教化候へ。行学は信心よりをこるべく候。力あらば一文一句なりともかたらせ給ふべし。

如説修行鈔(733頁)
天下万民諸乗一仏乗と成りて妙法独り繁昌せん時、万民一同に南無妙法蓮華経と唱へ奉らば、吹く風枝をならさず、雨壤(つちくれ)を砕かず。代は羲農の世となりて、今生には不祥の災難を払ひ長生の術を得、人法共に不老不死の理顕れん時を各々御覧ぜよ。現世安穏の証文疑ひ有るべからざる者なり。

兄弟鈔(932頁)
女人となる事は物に随ひて物を随へる身なり。夫たのしくば妻もさかふべし。夫盗人ならば妻も盗人なるべし。是れ偏に今生計りの事にはあらず。世々生々に影と身と、華と果と、根と葉との如くにておはするぞかし。木にすむ虫は木をはむ、水にある魚は水をくらふ。芝かるれば蘭なく、松さかうれば柏よろこぶ。草木すら是の如し。比翼と申す鳥は身は一つにて頭二つあり。二つの口より入る物一身を養ふ。ひほく(比目)と申す魚は一目づつある故に一生が間はなるる事なし。夫と妻とは是の如し。

種種御振舞御書(963頁)…龍口法難会(9月12日)
去文永八年太歳辛未(かのとひつじ)九月十二日御勘気をかほる。其の時の御勘気のやうも常ならず、法にすぎてみゆ。了行が謀反ををこし、大夫律師が世をみださんとせしを、めしとられしにもこえたり。平左衛門尉、大将として数百人の兵者にどうまろきせて、ゑぼうしかけして、眼をいからし声をあらうす。大体事の心を案ずるに、太政入道の世をとりながら国をやぶらんとせしににたり。ただ事ともみへず。日蓮これを見てをもうやう。日ごろ月ごろをもひまうけたりつる事はこれなり。さいわひなるかな、法華経のために身をすてん事よ。くさきこうべ(臭頭)をはなたれば、沙に金をかへ、石に珠をあきなへるがごとし。

妙一尼御前御消息(1000頁)
法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔よりきかずみず、冬の秋とかへれる事を。いまだきかず法華経を信ずる人の凡夫となる事を。経文には「若有聞法者 無一不成仏」ととかれて候。

清澄寺大衆中(1134頁)…立教開宗会(4月28日)
此を申さば必日蓮が命と成べしと存知せしかども、虚空蔵菩薩の御恩をほうぜんがために、建長五年四月二十八日、安房国東条郷清澄寺道善之房持仏堂の南面にして、浄円房と申者並に少々大衆にこれを申しはじめて、其後二十余年が間退転なく申す。或は所を追出され、或は流罪等、昔は聞く不軽菩薩の杖木等。今は見る日蓮が刀剣に当る事を。

四条金吾釈迦仏供養事(1182頁)…本尊開眼供養
画像・木像の仏の開眼供養は法華経・天台宗にかぎるべし。其の上一念三千の法門と申すは三種の世間よりをこれり。三種の世間と申は一には衆生世間・二には五陰世間・三には国土世間なり。前の二は且くこれを置く。第三の国土世間と申すは草木世間なり。草木世間と申すは、五色のゑのぐは草木なり、画像これより起る。木と申すは木像是より出来す。此の画木に魂魄と申す神(たましい)を入るる事は法華経の力なり。天台大師のさとり也。此の法門は衆生にて申せば即身成仏といはれ、画木にて申せば草木成仏と申すなり。

報恩抄(1237頁)…伊豆法難会(5月12日)
今度命をおしむならば、いつの世にか仏になるべき。又何なる世にか父母師匠をもすくひ奉るべきと、ひとへにをもひ切りて申し始めしかば、案にたかはず、或は所をおひ、或はのり、或はうたれ、或は疵をかうふるほどに、去る弘長元年辛酉(かのえとり)五月十二日に御勘気をかうふりて、伊豆国伊東にながされぬ。又同弘長三年癸亥(みずのとい)二月二十二日にゆりぬ。其後弥よ菩提心強盛にして申せば、いよいよ大難かさなる事、大風に大波の起るがごとし。

報恩抄(1248頁)…宗祖報恩会式(10月13日)
日蓮が慈悲曠大ならば南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。此の功徳は伝教・天台にも超へ、竜樹・迦葉にもすぐれたり。極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず。正像二千年の弘通は末法の一時に劣るか。是はひとへに日蓮が智のかしこきにはあらず、時のしからしむるのみ。

松野殿御返事(1268頁)
魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹の花は多くさけども菓になるは少なし。人も又此の如し。菩提心を発こす人は多けれども退せずして実の道に入る者は少なし。都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。

法華初心成仏鈔(1433頁)
我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉て、我が己心中の仏性南無妙法蓮華経とよびよばれて顕れ給ふ処を仏とは云ふ也。譬えば、籠の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集るが如し。空とぶ鳥の集まれば籠の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給ふ。(中略)仏になる道には我慢偏執の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。

妙法尼御前御返事(1535頁)
夫れ以みれば日蓮幼少の時より仏法を学し候ひしが念願すらく、人の寿命は無常なり。出づる気は入る気を待つ事なし。風の前の露、尚譬へにあらず。かしこきも、はかなきも、老いたるも、若きも定め無き習ひなり。されば先づ臨終の事を習ひて後に他事を習ふべし

妙心尼御前御返事(1706頁)
いにしへよりいまにいたるまで、をやこ(親子)のわかれ、主従のわかれ、いづれかつらからざる。されどもおとこ(男)をんな(女)のわかれほどたと(尊)げなかりけるはなし。ちりしはな(花)をちしこのみはさきむすぶ、いかにこ人のかへらざるらむ。こぞもうくことしもつらき月日かな、おもひはいつもはれぬものゆへ。法華経の題目をとなへまいらせてまいらせ候。

盂蘭盆御書(1775頁)…盂蘭盆会(7月16日)
悪の中の大悪は我が身に其の苦をうくるのみならず、子と孫と末七代までもかゝり候ひけるなり。善の中の大善も又々かくのごとし。目連尊者が法華経を信じまいらせし大善は、我が身仏になるのみならず、父母仏になり給ふ。上(かみ)七代・下(しも)七代、上無量生・下無量生の父母等存外に仏となり給ふ。乃至代々の子息・夫妻・所従・檀那・無量の衆生、三悪道をはなるゝのみならず、皆初住・妙覚の仏となりぬ。故に法華経の第三に云く「願はくは此の功徳を以て普く一切に及ぼし、我等と衆生と皆共に仏道を成ぜん」云云。

諫暁八幡抄(1844頁)…立教開宗会(4月28日)
日蓮は去る建長五年癸丑(みずのとうし)四月二十八日より今弘安三年太歳庚辰(かのえたつ)十二月にいたるまで二十八年が間、又他事なし。只だ妙法蓮花経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れむとはげむ計りなり。此れ即ち母の赤子の口に乳を入れむとはげむ慈悲なり。

上野尼御前御返事(1890頁)
法華経と申すは手に取れば其の手やがて仏に成り、口に唱ふれば其の口即ち仏なり。譬へば天月の東の山の端に出づれば、其の時即ち水に影の浮ぶが如く、音とひゞきとの同時なるが如し。故に経に云く、若し法を聞くこと有らん者は、一として成仏せざること無し云云。文の心は、此の経を持つ人は百人は百人ながら、千人は千人ながら、一人もかけず仏に成ると申す文なり。

波木井殿御書(1932頁)…引導文
日蓮は日本第一の法華経の行者なり。日蓮が弟子檀那の中に日蓮より後に来たり給ひ候はば、梵天・帝釈・四大天王・閻魔法皇の御前にても、日本第一の法華経の行者、日蓮房が弟子檀那なりと名乗りて通り給ふべし。此の法華経は三途の河にては船となり、死出の山にては大白牛車となり、冥途にては灯となり、霊山へ参る橋なり。霊山へましまして艮の廊にて尋ねさせ給へ、必ず待ち奉るべく候。

法華和讃

【宗祖聖詠】
立ち渡る 身のうき雲(くも)も 晴れぬべし たえぬ 御法(みのり)の 鷲の山風(やまかぜ)
自(おのず)から よこしまに降る 雨はあらじ 風こそ夜半(よわ)の 窓をうつらめ
芦(あし)の葉(は)の かたちは船(ふね)に 似たれども 難波(なにわ)の人を えこそ渡さぬ

【高祖御一代記】
一ツには 日(ひ)の本(もと)の 安房(あわ)の長狭(ながさ)の 小湊(こみなと)に 誕生なされし 高祖日蓮 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
二ツには 両親(ふたおや)の み許(ゆる)しを得て 清澄(きよすみ)に 得度(とくど)なされし つと(勤)め励むも 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
三ツには み定(さだ)めぬ 諸経の中(なか)の 法華経は 諸仏世尊の 御本懐(ごほんがい)ぞと 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
四ツには 春夏秋冬(よつのとき) 何時(いつ)か心も 休まれず 天変地夭(てんぺんちよう) 飢饉疫癘(ききんえきれい) 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
五ツには 種々(いろいろ)と しら(調)べなされし 安国論(あんこくろん) 捧(ささ)げて天下(てんか) 諫(いさ)められたし 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
六ツには 無法(むほう)にも 調べはあらで 思いきや 伊豆の伊東に 島流(しまなが)しとは 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
七ツには 何程(なにほど)の 大難(だいなん)来(きた)るとも いと(厭)わねど 死身弘法(ししんぐほう)は 身の願いとて 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
八ツには 八幡(やはた)なる 神の御前(みまえ)の 諫暁(かんぎょう)も 大義名分 世(よ)に糺(ただ)すため 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
九ツには 小松原(こまつばら) 龍の口(たつのくち)佐渡(さど)と 大難(だいなん)は 四ヶ度(しかど)小難(しょうなん) 数(かず)を知られず 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
十には とく開(ひら)く 御法(みのり)の花(はな)や 池上(いけがみ)に 尊(とうと)く響く 入相(いりあい)の鐘(かね) 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
終(おわり)には 大(おお)いなる 聖(ひじり)は遺言(ゆいごん) ましまして 身延(みのぶ)の沢(さわ)に み霊(たま)とどむる 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経

【追善歌題目】
一ツには 人(ひと)の世(よ)は 生老病死(しょうろうびょうし)の 四苦(しく)あれど 後世(ごせ)を願う 人ぞ少なき 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
二ツには 二心(ふたごころ) 持ちて信ぜば み空(そら)より 雨(あめ)降(ふ)るごとく 阿鼻(あび)に入(い)るぞよと 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
三ツには みほとけ(御仏)は みのり(御法)唱(となえ)えつ 死す人を 霊山浄土(りょうぜんじょうど)に 迎(むか)えとらるる 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
四ツには 世の中は 親に先立ち 子(こ)に後(おく)れ あわれはかなき 風(かぜ)のたえねば 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
五ツには 息が長く たえなば花の よそおいも たえてあわれや 残るなきがら(亡骸) 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
六ツには 六(む)つの親 親族(うから)集(つど)いて 仲々(なかなか)に なげ(嘆)くもあわれ 愚(おろ)かなりけり 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
七ツには なげ(嘆)くとも 甲斐(かい)ぞなければ 妙法(みょうほう)を 唱えまつれよ 追福(ついふく)のため 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
八ツには やがて越(こ)ゆ 死出(しで)の山路(やまじ)に 法華経は 大白牛車(だいびゃくごしゃ)と なるぞ尊(とうと)き 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
九ツには この人(ひと)は 仏の道を決定(けつじょう)し 疑(うたがい)なしと 仏(ほとけ)説(と)かるる 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経
十には と(疾)く行(ゆ)きて 霊山浄土(りょうぜんじょうど)の 艮(うしとら)の わたりどの(廊)にて 祖師(そし)を尋(たず)ねよ 南無妙法蓮華経 南無妙法蓮華経

【宗歌「立ち渡る」】
立ち渡る 身のうき雲も 晴れぬべし たえぬ御法の 鷲の山風

【仏讃歌「ささぐみあかし」】
いまささぐ このみあかし まことのみちを あかしたまえ
わがひかり とわにたえず つたなきあゆみ てらしたまえ

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