シンハラ語に未来はあるか?

シンハラ語質問箱 Sinhala QA68
2008-Mar-03 2015-May-16 2019-Jan-25



  日本には多くのスリランカ人が暮らしています。しかし、彼らは目立たない。スリランカ人です、と話しても、スリランカという国を知らない日本人が多いから、彼らは積極的に話をしません。そして、話したにしても、流ちょうな英語か、たどたどしい日本語。シンハラ語という言葉を、その存在さえも知らない人が大部分だからです。

 

「シンハラ語なんて誰も知らない」と思わずつぶやく

 スリランカ複合民族の国です。シンハラ人。タミル人、モスリム、それに、マレ―系の人もいます。言葉は英語が共通語のように話されていて、シンハラ語とタミル語が主流になって話されています。タミル語はスリランカでは少数の言語ですが、インドを含めると巨大な人口を抱える言語です。シンハラ語はスリランカでこそ主流の言語ですが、ただ、スリランカの島だけで話されている言葉なので特定の言語、絶滅が危惧される言語、と言えるかもしれません。
 そのシンハラ語を母語として話すスリランカ人が日本にも多く暮らしています。
 しかし、彼らは目立たない。実に静かに生活を送る人が多いのです。  スリランカからシンハラ人が日本へやってくる動機は様々です。日本企業での長期研修、大学での研究、日本文化を吸収したい、日本語を学びたい、日本人との結婚、などなど。人にはそれぞれ生きる理由があるのだから、当然、シンハラ人の一人一人にそれぞれの「日本に暮らす」理由があります。
 日本で働いてお金をためる。スリランカへ帰ったら稼ぎを元手に起業しよう。そう決意して日本にやってくる人もいます。
 日本は、特にアジア人に関して入国を厳しく制限するようになりました。国立大学で教鞭を取っているスリランカの方から「東京の街を歩くと、最近は職務質問を受けるようになった」と聞かされました。「新宿駅前の雑踏の中で、まるで犯罪人と決め付けられて、私はパスポートの提示を求められた」と憤懣をぶつけてきたのです。
 そのスリランカ人は日本が大好きです。日本での暮らしが長く、日本で生まれた我が子には日本名をつけています。
 日本の治安を守る職務に忠実な公務員の勤勉さが、たまたま、彼にパスポートの提示を求めただけだったのですが、権力が市民に下す勤勉さは時に暴力と受け取られ、そのスリランカ人にとっては大きな屈辱として受け止められたのです。

 彼のようにはあからさまにクレームを出さない人々もいます。黙々と日本人社会で働いて暮らしを送っている人々です。日本での彼らの日々の暮らしを支えるのは日本語です。シンハラ語と日本語は似ていますから、彼らは日本語をすぐに覚えてしまい、日本語が話せるようになるのも、そんなに時間がかかりません。
 日本語が流暢になれば日本での暮らしも楽しくなってくる。日本の暮らしに、日本語で溶け込んでゆく。
 でも、母国のことば・シンハラ語が無性に懐かしくなる。歌が恋しくなる。母国の映画が見たくなる。そんなとき、ネットが彼らの心を慰めてくれます。働き疲れた体を閉ざされた夜の闇に休めて、目を闇に見開いて、モニターのスピーカーから聞こえてくるシンハラ・ドラマの言葉に心を揺らす。 

シンハラ語の未来


 そんな彼らから嘆きの声が漏れて来ます。
「シンハラ語なんて誰も知らない」
 思わず彼らはそうつぶやくのです。

 遠からずシンハラ語はなくなる。誰もシンハラ語なんてわかっちゃくれない。シンハラ語版の「おしん」をユーチューブで観ながら、「自分たちの言葉がなくなる」とどこかで不安に駆られるのです。
 「シンハラ語の未来」という1文があります。2001年8月、スリランカの大衆紙「ディワイナ」紙に寄せられた言語学者J.B.ディサーナーヤカさんのエッセイです。マウント・ラヴィニアのアマラサラ社がこれをホームページに転載していましたが、いまは、削除されています。
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 シンハラ語は過去の言語か。それとも死語か。いや、生きている言語か。ディサーナーヤカさんはエッセーの中でそう提起して、それら三つの問いに丁寧に自答します。そして、その答えがとても優雅で晴れ晴れしいのです。

変わるからこそ!

 「日々堕落して、どんどん悪く変わっていくシンハラ語が生き延びるはずがない」というスリランカ社会に蔓延するシンハラ語衰退論を彼はきっぱりと断じます。そして、

「変わるからこそシンハラ語は今もこれからも生きてゆく」

と断言するのです。このシンハラ語への熱烈なエールを日本で読んだシンハラ人が、どれほど心に熱く祖国を思い返し、力づけられたことか。

 犯罪人を追いかける目でにらまれパスポートの提示を求められた異国のアジア人の思いは、いつか、我々に跳ね返って来るでしょう。日本が近い将来、アジア三流の貧国にデフレーションした時、生活の場を求めて地球上の国々を迷い歩く日本国の若い人々。
 それは近未来。たとえば2,025年。そのとき、新たに生きる場で将来の日本人はまるで犯罪人のように街頭で罵られ、かの国の権威からパスポートの提示を求められる。いや、あるいは、空港を警備する軍人から銃口を向けられ乱暴な言葉遣いで所持するバッグの開示を求められるのかも。

 近未来。たとえば2,025年。
 食うために国を出た。より自分らしく生きるために海を越えて他国へ渡った。働き続けた。ひと時の休息。闇の時間。寝食を忘れ、疲れきりながら、世界の国々へ散り散りとなった同朋が発するニホンゴ・ホームページに目を凝らす。youtubeに耳をそばだてて懐かしい日本語の歌をつむぎだすアニメにかじりつく。
 モニターに映し出されるのは「日本語に未来はあるか?」
 そこに迷い込むのは日本の島々を離れて、海を越えた異国で働く「私たち」であり、また、「あなたたち」であるのかも。